歴史生物学 TCA回路への異論 7

 時間が空き過ぎた。書いている本人も以前の部分を忘れてしまっていた。我がままなお願いだが、以前の投稿を読まれた上でお読みになったほうが理解が進むと思います。

 され、カイコについて少しばかり深堀りし過ぎたかもしれない。読者の中には「こいつは何を言いたいのだろうか」と違和感を感じた人がおられるのではないか。書いた本人もそれが正常な感覚であり、私の方が幾分、いやかなり異常であると自覚している。簡単にまとめてみよう。素直に常識に従えば、TCA回路はエネルギーを生産する好気的回路である。一部の中間体から、生物の生存に必要な物質群への経路が分岐するとは云え、解糖系とTCA回路を通って1分子のグルコースが酸化されると38分子とか36分子とか30分子ののATPが生産されるという考えは、生化学における「公理」に近いものがある。

 つまり、世の常識の枠内において、TCA回路による炭素固定などと云う話題はエネルギーを必要とする系であって、エネルギー産生系であるTCA回路の解釈とは全くカテゴリーの違う話と認識せざるを得ない。それ故に、微量であるとはいえ、カイコがTCA回路を通して炭素固定を行ったいうことの話題性があったのだと思う。ここにおいて、TCA回路がエネルギー生産系であるとする常識を守るためにどう捉えればよいかと思惟すれば、炭素固定はTCA回路に入る前の段階で起こっている反応であり、TCA回路を回るのは「固定がおわった後の話である」とするのが、最高の解釈であろう。そうすればTCA回路の神話は揺るがないわけである。カイコの炭素固定についての私の考察は、このTCA神話を信じる人々に対する援護材料になるのかもしれない。ここまでカイコにおける炭素固定にこだわって書いてきたにも拘わらず、そんな事は私に取ってたいしたことではないなどと云うと怒られそうだが、一寸面白かったのであれこれ考えてみたに過ぎない。

 それはそうとして、TCA 回路が本当に好気的であるのかという問題は残るだろう。薬学会の定義に於いては、「糖、脂肪酸、ケト原性アミノ酸の炭素骨格を酸化する代謝経路であり、好気的な条件下でエネルギー獲得に中心的な役割を果たす。」と明確に書いてある。KEGGにおいても「Krebs cycle is an important aerobic pathway for the final steps of the oxidation of carbohydrates and fatty acids. クレッブスサイクルは炭水化物や脂肪酸を酸化する最終段階の重要な好気的経路である。」と述べている。これに対し、筆者はTCA回路と酸化的リン酸化反応は分けて考えるべきであり、そうした場合 TCA 回路は好気的経路ではないと述べた。この部分について、もう少し議論を続けたい。

 こういう屁理屈を唱えると、グリコリシスは細胞質に存在し、TCA回路はミトコンドリアに存在する。グリコリシスで生産されるNADH2は、細胞質においてピルビン酸あるいはアセチルCoAから誘導されるアセトアルデヒドの還元に使われるが故に、グリコリシスは嫌気的系路であり、ミトコンドリア中のTCA回路で生産されるNADH2やFADH2は、酸素を消費する酸化的リン酸化に使われるが故に、TCA回路と酸化的リン酸化を一体のものと捉え、好気的系路として考えるのが正しいという反論を受ける場合が多い。長い間、この反論に反駁できず、もやもやとした違和感に囚われていたのだが、近年になって上記の反論が間違っていることに気が付いた。疑問を持って20年近く経っていた。常識が造る馬鹿の壁を乗り越えるのはとても難しいことに改めて気付かされたのである。

 細胞質内で、グリコリシスを通って生産される2NADH2は、ピルビン酸あるいはアセチルCoAから誘導されるアセトアルデヒドの還元に使われる。従って細胞質内の酸化還元の状態は一定に保たれる。また、グリコリシスにおいてその系路中で酸素を消費するような段階は存在しない。この論法に従えば、グリコリシスは還元的に進行し、2ATPを生産すると考えられる。学生の頃偉い先生からそう言われて、なるほどそういうものかと盲信していた。しかし、よくよく考えるとそれは乳酸醗酵でありエタノール醗酵である。嫌気的条件下で起こる乳酸醗酵であってもエタノール醗酵であっても、生成したピルビン酸はTCA回路へは流入せず乳酸かエタノールを生産する。この時点で、解糖系においては1分子のグルコースから生産されるATPは2分子であるとする言説は正しい。しかしながら、嫌気的条件下で機能している解糖系を、好気的条件下で機能しているTCA回路をリンクさせて記述するのは矛盾を含むのである。ピルビン酸を供給しないグリコリシスをTCA回路とリンクさせて考える、その時点で矛盾が生じているのである。そもそも、エタノール醗酵を行っている酵母においては、ミトコンドリアはほとんど発達していないのである。

 ではどう考えれば良いのか? 一般的な生化学の教科書に書いてある内容は、おおむね以下のようにまとめることができる。

グルコース1分子あたり、解糖系を通って2分子のATPが消費された後、4分子のATPが生産されるので、正味2分子のATPが産生されるが、同時に解糖系では2分子のNADH2も生産されるのだが、NADH2の1分子から、3分子のATPが産生されるため、計6分子のATPが生産される。(*: 実際には、細胞質に存在するNADH2のミトコンドリア内部への輸送に伴い、1分子のNADH2に対して1分子のATPを消費するため、2分子のNADH2から産生される正味のATPは4分子となる。)

ピルビン酸が脱炭酸反応で酸化されてアセチルCoAが生産される際に、2分子のNADH2が副生されるので、これが酸化的リン酸化系を通ると6分子のATPが作られる。

(以下、TCA回路を流れるアセチルCoAは2分子であることに注意)

TCA回路のスクシニルCoAからコハク酸の段階で(グルコース1分子あたり)2分子のGTPが生産されるが、GTPはATPと等価な高エネルギー物質でありATPに変換可能であるため、2分子のATPが生産されたと見なす。

 TCA回路全体で、NADH2は(グルコース1分子あたり)6分子生産されるので、これらから18分子のATPが生産される。

 TCA回路のコハク酸からフマル酸になる段階において、FADH2が(グルコース1分子あたり)2分子生産されるが、FADH2の1分子当たり2分子のATPが生産されるため、計4分子のATPが生産される。

 生産されるATPを合計すると36分子ということになるのだが、38分子のATPが生産されるという計算においては、細胞質のNADH2をミトコンドリアに輸送するときに消費されるATPを考慮していない場合を意味している。また、実際の反応においてはプロトンが必ずしもATP生産に使われるとは限らず他の系路で消費される場合もあるため、NADH1分子からATP2.5分子、FADH21分子からATP1.5分子が生産されるとして換算し直すと

解糖系 2 ATP

解糖系NADH2  2×2.5ATP – 2ATP(輸送で消費)= 3 ATP

ピルビン酸の脱炭酸反応 NADH2 2個x2.5 ATP = 5 ATP

TCA回路 GTP 2x1 ATP = 2ATP

TCA回路 NADH2 6個x2.5 ATP  = 15ATP

FADH2 2個x1.5 ATP = 3ATP となり

となり、全体では計30分子のATPができるということになる。

 何が言いたいのかといえば、解糖系の中で《ピルビン酸が脱炭酸反応で酸化されてアセチルCoAが生産される際に、2分子のNADH2が副生されるので、これが酸化的リン酸化系を通ると6分子のATPが作られる。》という記述に従えば、解糖系は嫌気的系路であるという大前提が崩れるのではないかという疑問である。そしてその疑問はそのままの形でTCA回路の好気性の問題に係わってくるのである。解糖系のグリセルアルデヒド 3-リン酸が 1,3-ビスホスホグリセリン酸 に変換される反応において、2分子のがNADH2が生産されるのだが、これがミトコンドリアに取り込まれATP生産にカウントされている。ピルビン酸の脱炭酸反応は解糖系に含まれないし、TCA回路にも含まれないと云う解釈で、ここで生産されるNADH2は無視できたにしても、グリセルアルデヒド 3-リン酸が 1,3-ビスホスホグリセリン酸 の段階で生産されるNADH2はどう考えても無視できない。解糖系が嫌気的代謝系であると云う言明を生かすとすれば、TCA回路も酸化的リン酸化のプロセスを切り離して嫌気的回路であるとせざるを得ないのである。

 結論としては、人を含む好気的生物に於ける解糖系を好気的代謝系としその際に機能しているTCA回路も好気的代謝系と定義するか、あるいは両代謝系から酸化的リン酸化を切り離して双方ともに嫌気的代謝系と定義するしか方法はないように思える。

 この当たりの概念の混乱は、解糖系を醗酵と云う立場から見ていたグループと筋肉生理という立場から見ていたグループ間の意見の相違、さらにはATP(エネルギー)生産がTCA回路の意義であると云う前提の基で研究を続けたHans Krebs の研究結果などが入り交じって起こったのであろう。

 では、上に書いた混乱が納まればそれで良いかと問われた時、まだ納得できない私がいる。研究者として、自分の足下を掘るなと忠告や助言を受けたことが何度もあるのだが、研究を進めるに当たって自らが立脚している学問の基盤を、常に見直す営為は不可欠であると考えている。(だから業績が上がらない)では、何処が腑に落ちないのか。TCA回路を歴史的な視座から眺めると、幾つかの疑問が浮上するのである。TCA回路は、いつ地球上に現れたのだろう?初めて出現したTCA回路は、現在の系路と同じものであっただろうか?それとも、不完全な系であったのだろうか? TCA 回路が好気条件下で働く系路であるならば、嫌気的条件下で生きる生物にはTCA回路は存在するのだろうか、それとも存在しないのだろうか?TCA回路から酸化的リン酸化を切り離した時、TCA回路の存在意義はどうなるのだろう?

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少し落ち着いた

 しばらく、下書きしか書いていない。色々と書きかけのものは幾つもあるのだが、完結させずに放りっぱなしになっている。さて、雑用というには幾分以上に重たい社会的役割がようやく一段落した。さほど真面目に努めたわけではないが、先月の末で民生委員の任期がきれた。もう一期やってくれという話があったのだが、強く辞退した。もう一期務めることに対して、業務自体がいやだったわけではない。コロナワクチンの問題がなければ再任されることに異存はなかったのだが、一つだけ譲れないことがあった。国はいまだにワクチンを推進する政策を続けている。ご存知のように私は、非国民と言われることさえあるワクチン懐疑派である。月に1~2度、ご老人の自宅を訪問していたのだが、ワクチンの接種券が来たがどうしようをと尋ねられることが何度もあった。

 民生委員のバックにいる社会福祉協議会、市、県、その上の厚労省の全てがワクチン接種推進の立場にいるのである。コロナワクチンの安全性に大きな疑問を持つ人間として、ワクチン接種を勧めることはできない。もちろん打つなというのも踏み込みすぎになる。だから困るのである。万一のことが起こった場合、社会的な糾弾を避けようとすれば良心が痛むに違いない。自らの判断に従って行動すれば、周りから轟々たる非難を受ける蓋然性がある。幸い任期中にそうしたことは起こらなかったとはいえ、薄氷を踏むような気分の毎日だった。

 書類の整理、後任の方への引き継ぎなどを済まして、無責任なようだが少しだけほっとしている。気分を換える為に書類の整理とともに居室の大掃除をした。転居して10年あまり、動かなくなっていた障子をジャッキを使ってはずし、破れが目立っていた障子の紙も張り替えた、机の向きも変えた。七日ほどかけて何とか目処がついてきた。終活?そんなつもりはない。新しく買った本の置き場がなくなったのが最大の理由であった。平積みするしかなかった字訓、字統、字通、類語辞典が使いやすい位置に収まった。一寸古くなった生化学辞典、時に参照する専門書もそれなりの位置に収まり、気分的に風通しがよくなった気がしている。

 今後、書きかけて停止している数十本の記事を順次アップしようと考えてはいるのだが、農作業の方が楽しいことがネックである。今日も、今年度最後となるであろう渋柿の収穫に行ってきた。天気は良いし、空気は旨い。コンテナ3個が一杯になった。初冬となり四十雀と山雀の混群が、鳴き交わしながら飛び回っている。もちろん、見張り役のジョウビタキも近くの枝に止まって私の行動を見張っている。もう十二月、暖かいとはいえブヨは出ないと判断してネットを持って行かなかったのが間違いで、3ヶ所刺されてしまった。しばらく痒い日が続きそうだ。

 

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ニュースの見方 2

 世界は一週間先も予見できないほどの混乱した状況にある。いわゆるマスコミの流すニュースは、そのまま信じたら何処に連れて行かれるか分からない。ナオミ・クラインが言う所のショックドクトリンが、重層的に実施されているように見える。いや、そういうふうに見ること事態が、陰謀論に毒されているという見方も出来るだろう。しかし、お前の言うことは陰謀論であり聞くに値しないと言い続けてきた何人かの知り合いが、少しづつ認識を変え始めた。余りの遅さに今頃かいという思いが先行する場合が多いのだが、できるだけ丁寧に説明することを続けている。感じるのは政府とマスコミの洗脳の深さと悪意ともいえる程の巧妙さである。

 私は40年前にTVを捨てた。誇張と煽り、TV局の持つ偏見のフィルターによる事実の歪曲などに嫌気が差したのが原因である。ではTVを本当にまったく見なかったのかと聞かれると、少し違う。同居していた両親はTVを見続けていた。耳が遠くなっていた父親は、道路からでも聞こえるような音量で見ていた為、TVの音声だけは聞くことができた。そこで気付いたのだが、アナウンサーの声・トーン・響きが、ニュースによって明らかに違うのである。TV番組の内容は極めてつまらない。でもTVはとても面白い。昔、画面を消して色々な番組を見たわけだ。古典落語はそれなりに聞けた。漫才ではいわゆる地下鉄漫才はそれなりに聞けたが、当時流行っていた新作の漫才は全く面白くなかった。ドタバタのど付き合いの画面に、笑い声がかぶせてあるだけだと云うのが良く見えた。音声を消した TVはかなり悲惨だった記憶がある。一度やって見られたらどうだろう。画面の後でここは拍手、ここでは笑い声、ここでは感動の声などとブロックサインを出して盛り上げているディレクターの姿が目に浮かぶだろう。

 そんなことはどうでも良いとして、昨日の千葉テレビ報道である。

『千葉県9月12日 2881人感染 ワクチン未接種の40代男性など12人死亡』というのがテロップに出ていた。『ニュース内では、死亡した人のうち40代男性は、9月下旬に感染が確認され、その後免疫系の基礎疾患が悪化し、死亡しました。ワクチンは未接種でした。』

 近頃、ニュースの解釈は異常に難しくて、使われている言葉の定義にまで遡らないと真意が分からない事が多い。上の報道をみると、この40代の人がワクチンを打っていれば死なずに済んだだろうにと判断しそうになる。しかしである、先月半ば頃、厚生省は1回目や2回目の接種日がわからない人を未接種者として扱って感染者数のデータを出していたこと、接種歴不明者を接種者と改めたところ、感染者の85%が接種者であることが判明するやいなや、今度は感染者の接種歴を非公表にするという隠蔽を行った経緯がある。https://news.yahoo.co.jp/articles/302956e09ab38e2d48292a38a03cbbacf24b7340?page=1

 さらに、2回目の接種までしかしていない人においては、もう効果が落ちているため未接種者として扱うというのであれば、この40代の男性は2回目の接種までは終えている可能性は十分にある。さらに免疫系の基礎疾患の原因がワクチンであった可能性も捨てきれない。とすれば、亡くなった方々は全て接種者と云うことになる。考えすぎだと云う批判もあると思うが、コロナ感染症についてはマスコミの報道内容を盲信することはできない。コロナ感染症については、近日中に新しい知見を含めて書く予定である。

 いま一つ、エリザベス女王が亡くなった。チャールズ皇太子が即位し、チャールズ3世になった。安倍前首相の国葬と彼女の国葬を比較するつもりはない。多くの人がやっていることの後追いをするつもりはない。ただ、チャールズ3世について気になったことがある。一般的にはチャールズの名を持つ英国国王はあまり幸福な国王ではなかったが故に、彼の治世に対して少しばかり不安を感じている人がいるようだ。私も、彼の治世は短いのではないかと危惧している。理由は以下の記事にある。

https://www.miyamatakeru.com/charles-ninnki/

 画像をコピペで使えればいいのだが、権利の問題があるので上記のブログを見て欲しい。問題は2枚目の写真である。チャールズ新国王とともにカミラ夫人が歩いているものだが、彼の手に注意して欲しい。赤黒く浮腫んでいるように見えないだろうか。その他にも書類にサインをしている画像が出回っているが、手は同じように浮腫んで見える。インクで手を汚し、不機嫌になったという報道もある。これを常識的に判断すれば、公式の場所に現れる場合においても、手の浮腫みを隠しきれない状態になっていると考えられる。とすれば、心臓、腎臓、甲状腺などがかなり弱っている可能性が高い。リンパ浮腫の可能性も捨てきれないか。飲みすぎかな。

 勿論、深読みがすぎるとする批判があるだろう。ただ、今の時代はニュースをそのまま信じられるほど社会正義が機能しているとは思えないし、皇族や王族の写真となればそれなりの検閲が入っていない筈がない。そうした状況にあることを加味して、ニュースを見ようと云う提案である。皇族や王族にとっては写真の一枚一枚が政治のカードである。すねたりひねたりして、全てを疑い、斜めに受け取るべきだと云っているのではない。一応、ニュースはニュースとして受け止める。その後、行間を読み、写真を読み、言葉遣いをそして使われている言葉を吟味し、ニュースを提供している会社の背景を考える。そしてそのニュースについて意識の窓口を広くしておく。それだけである。

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言わんこっちゃない

 色々と書き始めてはそのままになっている。秋の植え付けが迫っているにもかかわらず、余りの暑さに作業を怠り、畑をぼう然と眺めている日々が続いている。朝晩はいくぶん過ごしやすくなったとはいえ、昼間の暑さは真夏に引けを取らない。さらにだが、17年あまり飼っていた老犬が数日前に息を引き取った。ペットロスが起こるほど入れ込んでいたわけではないし、すでに半年以上寝たきりだったので気持ちの整理はついていた。ただ、埋葬するまでの何時間か、腐敗を防ぐ為に入れるドライアイスの入手がなかなかできず走り回ってしまった。都会出あれば日本炭酸などの販売所に行けばすぐに手に入れることができるのだが、地方にはそうした販売所はない。

 あと1~2回ほどだらだらとつまらない話を書いて、TCA回路の話を完結させたい。週末以降に台風が来そうだから、来襲の日を執筆に当てる予定である。停電しないことを願っておこう。

 さて、7月2日にニュースの見方という記事を書いた。梅雨入りじゃなかった、梅雨明け宣言が早過ぎたのではないかと批判と云うほどではない文章だった。個人的には早過ぎるのではないかと感じたからである。「まあ、早めに出しておかないと7月半ば過ぎからだらだらと降り続けられると、梅雨明け宣言する機会を逸してしまう。一旦宣言を出しておけば、後は夏の長雨とか夏の豪雨とか云って済ますことができる。」かもしれないがと危惧した内容だった。この危惧が当たってしまったわけだ。今回は気象庁が正直に訂正したと云うニュースが流れた。

『2022年9月1日 17:10

 気象庁は1日、今年の梅雨入り、明けの時期の確定値を発表した。速報値で梅雨明けの時期を6月下旬としていた九州南部と北部、四国、中国、近畿、東海、関東甲信の7地方をそれぞれ24~28日間ずらし、7月下旬と大幅に修正した。北陸、東北南部と北部は特定できないとした。多くの地方で観測史上最速の梅雨明けとされていたが、記録ではなくなった。

 気象庁は、速報値で梅雨明けの根拠とした6月下旬から7月初めの記録的な猛暑は「梅雨の中休みと言っていいような状態」と説明。7月中旬から偏西風の南下に伴う上空の寒気で、大気の状態は不安定になり、梅雨が続いていたと判断した。(共同通信)』

 補償を求められたり犯罪とされる可能性がないため、気楽にと云えば失礼だが訂正に対するハードルは低かったのではないか。昔、球場周辺の弁当屋さんにとって次の日の天気を予想情報は重要な経営情報であったと聞く。いまでは殆ど全ての球場がドーム球場になった為、天候による経営リスクは減ったに違いない。この訂正、あなた達の梅雨明け宣言が間違っていたから、その後の商売で大きな赤字が出たなどと、海の家の組合などから提訴されていたとすれば、この訂正は絶対にされなかっただろう。そういう意味で、平時の気象庁は楽な省庁であるのかもしれない。これが戦時であれば、ある軍団の装備、構成に天気は極めて大きな関連性を持つ。身を削るようはストレスを感じながら、予報を出していたに違いない。 本日天気晴朗なれども波高し。

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いやはや忙しいこの頃です

 5月の終わりにギックリ腰をやった事が原因で、7月終わり頃まで動けなかった。日本の季節の中で最も草が伸びるこの3ヶ月を、腰を庇いながらヨロヨロしていたわけである。ドラえもんである。雑草と呼ばれる名も知らぬ草々が、伸びた伸びた。手入れの悪い畑に目隠しとして植えていたソルゴー(もろこしとも呼ばれる)、2mを超えたようだ。そんなに伸ばして種子を作らせると、来年はそれらが発芽して雑草になると書いてあるのだが、穂にはびっしり種が実っている。雑草であっても沢山実が実るのは嬉しいものである。でも茎はとても堅い。乗用モアでゆっくりと切っても良いのだが、この植物体をワラマルチの代用にしてみようと思いついた。

 ソルゴーの横にトラクターを走らせた後で、そこに秋作のカボチャを植える。いわゆる冬至カボチャである。抑制栽培が可能であるカボチャの種を購入し、数日前から苗を作っているた。良い具合に育ってきたのでこれを移植し、その周りをソルゴーでマルチングして草の生育を抑えだけでなく、果実の敷きわらとして利用しようと云う企みである。ワラに比べてはるかに堅いソルゴーの茎であれば、果実の重さによる沈み込みを抑えることができるのではと期待している。カボチャを収穫した後は、すき込んでしまえば土壌の物理性の改善も期待できる。さてどうなるか、11月には答えが出るだろう。

 世界では食糧危機が叫ばれている。アメリカの西部、ヨーロッパ、中国は干ばつらしい。ロシアとウクライナの小麦も輸出がほぼ停止している。インドは米の輸出を停止し、パキスタンは国土の半分が水に沈んだという報道があった。そうしたニュースに特段影響されたわけではないが、今年は秋ジャガをかなり大目に植え付けることにした。季節的には一寸早いのだが、体力を考え植え始めを2週間ほど前倒しにしたわけである。秋作に適したジャガイモは男爵系の品種である。現在の所、男爵20Kgとデジマ20Kgを植え終わった。台風が通り過ぎた頃には芽が出るだろう。秋作には向かないといわれるメイクイーンの売れ残りが、40Kg以上コンテナの中で発芽している。物は試し、これも植えることにする。こうやって無理を続けているのだから、ギックリ腰が完治するわけがない。朝は地獄の一歩手前である。

 5日前だったかな百舌の声を聞いた。3日前から、鈴虫の声が聞こえるようになった。日が暮れたあとの風が涼しくなった。昼間の気温が30度を軽く超える状況とはいえ、季節は進んでいるようだ。それにしても忙しい。9月の4日に町内清掃がある。それまでに畑の外縁の草刈りをしておかねばならない。返還予定の畑の草刈りも期限が迫ってきた。カミキリムシの被害を受けているクリの木も実を付けたまま何本か倒れている。田んぼには電柵を設置しなければならないし、田んぼの内部に雑草が群生している。何とかせねばならない。作業を行いながらあれこれと世情について考えるのだが、夕食をとったあと一眠りすると全てを忘れている。いやなことが多いので、その方が幸せなのかもしれないな。

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