近況

大分前から左目が見えにくくなっていた。一昨年の夏頃から体重も減り始めていた。12月頃、夜間の運転が危なっかしくなったのを自覚してとある眼科に行ったのだが、外部からの派遣の方が担当の医師となり、手術まで6ヶ月近くかかるという。説明も余りにもおざなりだったので、通院をやめてしまった。目も悪かったがその他の臓器も極めて不調だったので、白内障はしばらく置いておくことにした。体のあちこち不調だからといって素直に病院に行くような玉ではないのである。唯々辛いな、きついなと思いつつ日々を送っていた。だが、いよいよ左目が見えなくなっただけでなく体重減少も止まらず、昨年の4月には 68 Kg あった体重が 53 Kg になってしまった。年は年だし、若い頃ベンゼンやクロロフォルムなどの溶媒を毎日吸い続けた過去を考えれば癌が発症していてもおかしくはない。それなりの覚悟はあった。

去年の春頃、たまたま近所の店で以前お世話になった方と話していたら、眼科なら私が懇意にしている方がいる、直ぐに連絡を取ってやろう言う話になり、その眼科への通院がその日に決まってしまった。まあ手術になるのは間違いないので、その前に糖尿病がどの程度進んでいるのかを把握しておかないと不味いだろうと思い、近所の内科へ行った。空腹時の血糖値が約 300  mg/dL、HbA1Cが15.6 という値だった。かなり進んだ糖尿病である。これは手術が出来るような状態ではない。毎日、夕食後に1Lを超えるほど水を飲んでいたことも、異常な体重の減少もこれが原因であったようだ。このお医者さんは良い人で、私の手に負える値ではありません。直ぐに専門医の所へ行きなさいと糖尿病専門医を紹介された。これ以降のことはここでは端折ることにするが、良い先生方に恵まれて血糖はそれなりの値に落ち着き、先月終わりまでに両目の手術は終わった。

術後の経過は順調で視力は1.2程度まで見えるようになっただけでなく、体重は60Kgまで戻った。体調もかなりよくなった。この間、歯の治療もしたので、しばらくは現状を維持できそうだ。このブログもPCの画面が見えずほぼ休眠状態だったが、これからぼつぼつ書き続ける事にしたい。ただ、体力というより脳力の低下を感じているので更新回数は余り増えなさそうである。まあぼちぼちと生存確認程度に続けていく予定である。

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熊と米

  •  毎年、今年の世相を表す漢字を日本漢字能力検定協会が選定しているのだが、今年は《熊》が選ばれたそうだ。熊による被害がメディアで頻繁に取り上げられたのだから、然もありなんと思わなくもないが少しばかり違和感がない分けではない。違和感の理由は後述するとして、2位だったのが《米》、3位は《高》だったという。投票数をみると(熊:23346票)、(米:23166票)、(高:18300票)で4位(脈:6418票)以下とは大きな開きがある。
  •  それぞれの漢字が何を意味しているかと考えれば、《熊》は熊による多発した襲撃事件と考えていいだろう。《米》は急激に上がった米の価格を意味すると思う。《高》も物価高の現在を反映していると考える。初の女性総理である高市氏をイメージしているとする解釈があるが、庶民感覚としては物価高の反映である割合が多いように感じる。《脈》という漢字、これが何を意味しているのかしばらく分からなかった。頻脈とか不整脈などが市中で頻発しているというニュースは読んだことはない。杉田水脈と言う政治家がいたが、参院選で落選して以来特に目立つことはしていなかったと記憶している。
  •  いくつかのサイトを参照した結果、これが関西万博の公式キャラクターであるミャクミャクからの連想だと書いてあった。個人的には余り好きなキャラクターではなかったので、特に感想というものはない。また私の感性が世の中とズレているなと思っただけである。
  •  それはそうとして《熊》で感じた私の違和感は、報道の中で例年の事件数との比較が殆どなされないことだった。新聞やウェブ上では、熊がでた、熊に襲われた、死者が出た、警察が出動した、自衛隊員の出動が可能になった、罠にかかった熊を処分した、麻酔銃を使った、東京にまで熊が出た、猟友会と行政担当者の間で揉めている等々のニュースで埋め尽くされた。熊が出没することで市民生活に影響が出ていることは間違いない。運悪く命をなくされた方々を悼むと同時に怪我をなされた方々の回復を願うのは当然であるが、例年の事件数との比較データはみたいと思っていた。
  •  環境省にそのデータがある。クマに関する各種情報・取組というページに載っているのだが、各県別の生のデータがエクセルの表として示してある。字が小さすぎて見る気にもならない。狙い通りかもしれない。これを要約した物はないかと捜していたら読売新聞オンライン上に『クマ被害はどこで? 都道府県別の報告数や人身被害数の推移』というページがあった。ここから引用する。
  • https://www.yomiuri.co.jp/topics/20251030-OYT8T50082/

 

  •  この図を見ると2025年の出没件数・捕獲数ともにかなり増えているのは間違いなさそうだ。2025年のデータが10月までのものである事を考えると、過去もっとも多かった2023年の3割り増しくらいまで増えるかもしれない。出没がもっとも多かったように思える11月のデータが加えてないからだ。

  •  次は全国のクマ被害者数(25年度は11月末現在)のグラフである。12月分のデータが加えてないとはいえ、2023年より少し増えた程度である。熊の害を過小評価するつもりはない。確かに他の年度に比べると2倍以上の被害が出ている。腑に落ちないのは今年の被害であれ程大騒ぎをしたマスコミは、なぜ2023年度は沈黙していたのだろう。大騒ぎを納得しようとして少し調べたら、もっと納得できなくなってしまった。

要するに疑問は二つ、一つはなぜ熊の出没が増えたのかという真っ当な疑問、今一つは同じ程度の被害が出ていたにもかかわらず2023年はなぜ報道が殆どなかったのかということになるのかな。今年は熊報道で隠したいニュースがあったのだろうかという問題の立て方でも良いだろう。政治的にはいくつか思い当たる案件がなくもない。人類にとっては3I /ATLASの問題の方が遙かに深刻だろう?

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ガソリンは危険です

雀(カラ)が群れを解き、ギンヨウアカシアの黄色い花が目立つようになった。春です。モンンシロチョウやモンキチョウなど定番のチョウに混じってテングチョウやヒオドシチョウ、たまにシータテハが日溜まりで暖を取っている。カワラヒワの甘ったるい囀りが孟宗竹の頂きから聞こえてくる。世の中は春である。

 朝から種まきをしようと、購入しておいたナス、トウガラシ、エゴマ、カボチャ、シロウリなどを用意していたら、横に薪を割ったとき捨てた残渣があった。これを燃やしながら種まきをしようと思った。バーナーで火をつけようとしたが上手く燃えない。小屋にガソリンの混じった軽油があった事を思いだした。300ml程のガラス瓶に小分けして、これをかけて燃やそうとしたのが大間違いで5本の指の松明を作ってしまった。まあ手を振り回して消すのは消したのだが、思い掛けないガソリン火傷、これ思ったより何倍が酷いです。冷水で冷やしながら5時間が経つが、まだ水から出すとヒリヒリと痛みが酷い。

 皆さん、ガソリン火傷には気をつけましょう。グーグル検索をしても治療法はヒットしません。とにかく冷やしています。今夜ねむれるかな?京都アニメーション事件の被害者の方々、熱かったでしょうね。心から哀悼の意を表します。中指、薬指、小指の全周と各指の下の3つの膨らみ、さらに月丘までが痛んでいます。水膨れができるのかな。ジャガイモの植え付けとタマネギの草取りを済ませておいて良かったと胸をなで下ろしています。

午後11時、有り難い事にようやく痛みが引いてきた。良かった、これで今夜は寝られそうだ。知り合いの坊さんが、大難は小難に、小難は無難になどという講話をされる。何ともない時は無難は何になるんだろう、何難なのかなあ〜などと茶化して聴いているのだが、今回は大難が中難で納まった気分である。仏壇の前で感謝感謝である。

とはいえ、近頃仏壇の前で何方を拝めば良いのかが次第に分からなくなってきた。私、真言宗の檀家だと自認している。とすれば大日如来が本尊という事になる。昔の私は浄土宗の門徒だった。浄土宗の本尊は阿弥陀如来である。もっと昔、我が家は浄土真宗の門徒であった。この場合も阿弥陀如来が本尊である。この宗派の変遷にはそれなりの理由があるのだが、それは横に置くとして構造主義的に見るととても興味深い。

先ず本尊とされる如来がいて、この本尊と衆生とを繋ぐ位置に宗祖と呼ばれる人が位置する。真言宗においてはそれが空海であり浄土宗においては法然、浄土真宗においては親鸞という事になる。名前を呼び捨てにしてごめんなさい、法然と親鸞には上人という接尾語があるのだが、空海には適切な接尾語がない。弘法大師という呼び方があるにはあるが、ここに弘法大師と書くと何となく座りが悪い。従って、各人を呼び捨てにした。ただ、各宗派ともに本尊、宗祖、門徒あるいは檀家あるいは信徒という構造になっている。周りを見回すと、日蓮宗であろうと禅宗であろうとこの構造を持つ。面白い事にキリスト教であっても、イスラム教であってもヒンズー教であっても同じ構造を持つ。つまり、信仰する神あるいは仏がいて、神と民衆を繋ぐ宗祖がいて、その下に民衆が存在するという構造は同じだという事である。

古希を過ぎてからそんな事に気付いてどうすると言われそうだが、自ら気付いた時の喜びは格別である。手を火傷して、大した事にならなかった事を仏壇の前に座って感謝し、そこでレビー・ストロースの構造主義を思い出す。佛教の各宗派の構造は共通している、いや世界の大宗教も同じ構造だと気付いてしまった訳である。

考えてみれば、人間が作る他の組織であって同じ構造になっている。いままで生化学における代謝系の解釈において構造主義とはいってもソシュールが唱えた言語論を利用してきた。レビー・ストロースの構造主義は数学的色合いが強いためちょと敬遠してきた経緯がある。でも本棚のどこかに「悲しき熱帯」と「野生の思考」が残っている筈だ。読み直してみよう。

 

 

 

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地震恐怖症

昨日というより今日である、福島沖でかなり大きめの地震があった。とは言え。耐震基準がきっちり決められている現在の日本であれば、あの程度の地震では大きな被害は出ない。「その程度の常識」はある。だが、日頃の会話の中で地震が怖いねという私の発言が重なると、あなたは地震恐怖症かと疑われる場合がなくもない。しかし、多くの人が持つ「その程度の常識」がいつでも通用すると考えているあなた方に対して危機感を感じているのである。私から見れば、あなた方が地震不感症であるように見える。

南海トラフで発生すると予想されている大地震、津波が何分後に来るとか、津波の高さが何メートルになるとか、何万人死ぬとかいう事とは別次元の怖さがあることに気付いていない人がほとんどである。私は大津波が問題ではない、何万人死のうと大した問題ではないといっているわけではない。それらは極めて大きな問題である。しかし、もっと厳しいに違いない大きなリスクがある。令和6年に内閣府が出した南海トラフ地震での被害予測は250兆円から300兆円なのだが、読んでみたら余りに楽観的過ぎるように感じた。

https://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/taisaku_wg/pdf/3_sanko.pdf

2018年に土木学会も南海トラフでの巨大地震の被害予想を出しているのだが、大まかな値として1500兆円以上になると試算している。1500兆円というお金がどれほどのものか、冷静に考えると背筋が寒くなる。昨年の日本のGDPは 600兆円弱である事を考えれば、全日本人が2年半の間飲まず食わずで働いた時の値に相当する。さらにこの地震、日本で大きな割合のGDPを稼ぎだしている関東・静岡・名古屋から大阪に至る工業地帯を壊滅に近い状況に追い込むと予想されている。幸運にも津波で生き残った人が働こうと思っても、家も、生活のインフラも、移動手段も、働く場所も失われているのみならず、生存者に必要な水と食糧さえ供給されないだろう。因みに阪神淡路大震災の被害額が約10兆円、東日本大震災の被害額は18~25兆円を考慮すれば、1500兆円という被害が如何に大きなものであるか分かってもらえるかもしれない。

さらに首都直下型地震が南海トラフ地震と連動する可能性が囁かれている。この地震による地震の被害予想は、先の土木学会の試算によれば800兆円を超える。1500兆円、800兆円という値は土木学会の試算であるため、幾分かの水増しがあるかもしれない事を考慮しても、尋常ではない被害となる事は否定できない。万一、この二つが連動した場合、南九州から関東、東北に至る太平洋側が被災する事になる。多分被災者は7,000万人を超えるだろう。

被災者への支援、これは期待できない。被災地区に住む7千万人の人々に必要な支援を日本海側の人々が担えるのかと考えれば甚だ心もとない。はっきり言えば不可能である。鉄道が機能を失い、道路は寸断されているるであろう。空港も機能不全となるであろうし、能登地震で見られたように港湾施設も破壊された状況で、どうやって支援物資を運ぶのか。そもそも支援物資を作っていたのが被災地域なのである。

外国からの援助?、被災した直後であれば人道的立場からという美名の下にいくらかの支援が期待できるかもしれないが、1,000兆円を超える巨大な損害の前ではスズメの涙にもならない。少し時間が経つと復興利権を狙った災害便乗型資本主義(ショックドクトリン)の草刈り場になると予想できる。日本人は冷酷な外国資本の下で酷使される原住民の位置づけになるだろう。

1.000兆円を超える膨大な損害を抱えただけでなく富の生産基盤を失った国家に、食糧を売ってくれる国、原油を売ってくれる国があるだろうか。食糧を買っても物流が停止している、原油を買っても精製施設が動いていない。火力発電所も被災しているため電気もない。もし万一幸運にも、原子力発電所が壊れていないとしても、送電線は寸断されているに違いない。東北大震災の時、被害は大きかったが関東から大阪に至る工業地帯が生き残っていたため、円の暴落は起こらなかったが今回は円の暴落が起こるだろう。我が国の国際的購買力が地に落ちるのである。その際にアメリカという国家が日本の持つメリカ国債の売却を認めるとは思えない。日本国民は塗炭の苦しみを味わう事になると思う。

岸田政権が進めている移民政策、彼らにも言い分がある事は幾分認めるとしても、大地震の発生と同時に国内にいる移民のグループが何らかの形で騒動を起こす事は否定できない。埼玉県川口市の状況をみればわかるように、大災害とともに移民政策のデメリットが噴出し、警察力では対応できないほどの社会不安が発生するだろう。

こうした未来から逃れるためには、国家として貴金属の備蓄を充実させる事、備蓄を含めた食糧政策を実施する事、防災事業を速やかに実施する事、長期的には工業生産基地の分散を行う事、日本海側が安全とは言わないが日本海側への投資を増やしバランスの取れた国土整備を行う事などを早急に実施すべきと考えているが、今の政府にそれを望むのは難しい。本来の意味での国土強靭化政策は必要なのである。

何でこんなことを書くのか、南海トラフ地震の前兆となるかもしれないスロースリップが宮崎県沖で発生しているだけでなく、日向灘でかなり強い地震が何回か発生しているからである。政府が官僚だけ連れて岡山に逃げる用意をするのではなく、国土全体を考えた政策を実行する事を願っている。事は国民に一週間分の水と食糧の備蓄を求めるような次元の話ではないのである。

ではお前に何が出来るという質問とも批判ともつかない問いを発する人がいる。至極残念だが、基本的には何も出来ない。南海トラフ地震においては、当地でも震度5~6程度の揺れが予想されている。私自身が被災者になりかねない。もし家が壊れずに残った場合、ジャガイモやサツマイモを栽培して数人分程度の食糧なら生産できると思うが、それを配送するための物流が動いている保証はない。それ以上に地震の発生時期が植え付けの時期の合致する保証もない。米が作れれば良いのだが、トラクターや管理機など農業用機械の燃料が入手できる保証はない。種もみの入手さえ難しいだろう。現在の農業は石油がなければ成立しないのである。食糧不足で困る人々の前に耕作放棄地が広がるという皮肉な風景が見られる可能性が高い。

ただ一つ供給できるかもしれないものは、長寿命の野菜の種かな。カボチャやダイコンなどの種については、数年分の備蓄を持っている。万一の場合、欲しい人達に配布するつもりである。ただ、現在の野菜類はF1種である場合がほとんどであるため、継続的に栽培が可能かどうかはやってみないと分からない。

 

 

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心を読まれてる

新規投稿が遅れに遅れているせいでいくつかの連絡が来ていたのだが、その中の一人の指摘が図星だった。図星だった人の二つの指摘、一つは「ペントースリン酸経路に拘わり過ぎているのではないか、このままバクテリアと古細菌について、従来の形で話を進めるのは労多く話は繰り返しになりなかなか先に進まないだろう。特徴的な何種かの生物についての議論で矛を収めろ。あんたの言いたい事は色々な経路を見直して代謝系を観る新たな視点を提唱したいのだろう。時間潰しはやめなさい。」

もう一つはブログの提示の方法についてだった。「あのね、40歳前から考え続けて来た事を書いているのだろう。もう35年以上考え続けた物だよな。考え続けた結果は本人には自明のロジックであっても読者にとっては初めてのものだろう。読者は常識を外れた仮説を突然突きつけられるわけだ。とすれば、過去に投稿したものを、適切な間隔で再表示すべきではないか。」さらに、「もう少し分かり易い形で書いたほうが理解を得られやすい、言い方を変えれば学問的正確さを必要以上に追わないほうが良い場合もあるだろう。」

いやいやそういう視点はなかったな。書きながら肩が凝っていたのは、力み過ぎていたのかもしれない。さらに、「最後に一言、今の水準を維持しながら週一回とかいう頻度でこのブログを続ける才能はお前にはもうないよ。原報へのアクセスもなかなかし難くなっているだろう。」その通りである。図星である。脱帽である。素直に反省して指摘に従おうと思った。

まあそれはそうとして、今年は荒れてますね。何でも荒れています。最も気になっているのは地震かな。能登での地震がまだ混乱の最中にあるのに、次の地震が起きそうな気がしています。巷間ささやかれているのは、首都直下型、南海トラフ、相模トラフ、千葉から仙台に連なる東北の東岸、北海道から千島列島沿いで起こるであろう巨大地震なのだが、私は別の地震も有り得ると考えている。と書いて三日が経つのだが、嫌な所で地震が起こった。小笠原での大きなヤツではない。京都での地震である。この地震を単なる内陸部で起こった地震と考えるか、それとも別の要因によるものと考えるか。ここで判断が分かれるだろう。

 1986年、三原山の噴火が起こった時にその噴火の経緯を冷静に説明していた木村政昭博士をよく覚えている。この木村氏についてはその後も注目していたのだが、彼が提唱していた日本列島断層(線)が今でも記憶に残っている。(下記参照)

 http://kimuramasaaki.sakura.ne.jp/site2/2016/05/22/1389/

 彼の学説は現在の社会で力を持つ人々にとって好ましくないらしく、常に世間から無視され続けている。日本列島を貫く大断層である中央構造線は定義によって異なるが、鹿児島県の川内原発の沖合いあたりから熊本地震を起こした布田川・日奈久断層帯を西端とし、大分付近から四国、紀伊半島を横断した後、長野県の諏訪湖までの部分と、フォッサマグナで地表トレースが難しいとはいえ埼玉県岩槻辺りを通り鹿島灘に抜ける大断層である。この定義に関しては異論はない。ただ木村博士は上記の中央構造線が京都南部付近で分岐して琵琶湖の東岸を経由し、福井県・岐阜県から能登半島の根本付近から日本海に抜け東北と北海道の西岸に沿って利尻島の西海上まで繋がる大断層があると提唱したわけだ。この仮説は先に書いたように、社会的には完全に黙殺された状況にある。とはいえこの仮説、過去に起こった地震の震源を調べてみると、捨て去るには惜しい仮説である気がしているというわけである。

 能登半島で起きた地震の余震分布を見た時、新潟沖あるいは若狭湾沿いでの地震発生の可能性は捨てきれない。歴史的にもかなり大きな地震が起こっている。先日発生した京都での地震をもってその前兆とするなどという短絡的な事を言うつもりはないが、頭の隅に一寸だけ入れておく必要はあると感じている。奥歯に物が挟まっているような書き方をしたが、そういう訳です、ハイ。

 

 

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