歴史生物学 TCA回路への異論 8

 歴史的な視座から眺めると色々な疑問が残っている。TCA 回路は、いつ地球上に現れたのだろう?初めて出現したTCA回路は、現在の系路と同じものであっただろうか?それとも、不完全な系であったのだろうか? TCA 回路が好気条件下で働く系路であるならば、嫌気的条件下で生きる生物にはTCA回路は存在するのだろうか、それとも存在しないのであろうか?前回の終わりにそう書いた。

 こうした形の疑問を持つ学生は極く少数ではあるが存在する。私もそうだった。彼らは完全な形での答えを求めているのではなく、ただ素朴に疑問を出しているに過ぎない。教える側が、そこは私にも分からないと素直に答えれば、ああ先生にもわからないことがあるんだと悪気の欠片もなく喜び、その先生を軽蔑するのではなく尊敬し始める場合があるのである。そして、これを契機に学問を始める学生もいる。

 ここで先生方が面子と沽券に囚われると学生との信頼関係が失われ、取り返しのつかないことになる。今になってわかるのだが、先生という人々が教科書を使って教えることなど大した事ではない。社会に出てさほど役立つ物ではないし、新しいといえる内容でもない。役立つとすれば、前に進もうとする師の後ろ姿くらいかな。学生(弟子)には、師を視界の先に在るものを理解しそれを超えようと汗する態度が求められる。この際、師はそうしたことができる弟子を嫉んではならない。

 さて本論に戻るとして、以下に示すこれらの図は、いつものようにKEGGのサイトからの引用である。図3-16は光合成細菌であるChlorobium chlorochromatiiの持つ 回路、図3-17は嫌気性古細菌であるThermoproteus uzoniensisの持つ 回路、図3−18は好気性古細菌であるSulfolobus tokodaiiの持つ回路、そして図3−19がHomo sapiens (Human) 持つ TCA回路と呼ばれる系路である。系を動かす酵素にいくつかの差異はあるにしても、系を構成する化合物は同じであり、註釈なしにこれらの図を見せられて、ヒトの持つ系路とヒト以外の生物が持つ系路が同じ存在意義を持つものではないと主張する人がいるとしたら、その人はかなりな変人だと認定されても仕方ない。私も、長い間同じように見えていた。

図3-16 光合成細菌であるChlorobium chlorochromatiiの持つ 回路
図3-17 嫌気性古細菌であるThermoproteus uzoniensisの持つ 回路
図3-18 好気性古細菌であるSulfolobus tokodaiiの持つ回路
図3-19 Homo sapiens (Human) 持つ 回路

 とはいうものの、答えるのが甚だ難しい困った事実が存在する。ヒトを除く上記の3種の生物において、その TCA 回路は右回りに機能しているのではなく左回りに機能しているのである。では、その左回りの系は何をしているのか。図3−2を参照すればすぐに分かることだが、TCA 回路が左回りに機能するとすれば、スクシニルCoA から2-Oxoglutarate、2-Oxoglutarateからオギザロコハク酸の段階で炭素固定が起こっているのである。ある程度以上の知識を持つ人々はこの系を知っており、この逆周りの系を還元的クエン酸サイクルと呼んでいる。解糖系という糖の分解系に、糖新生系という逆向きのベクトルを持つ代謝系が存在したように、TCA 回路にも還元的クエン酸サイクルという逆向きのベクトルを持つ代謝系が併存しているのである。ではこの還元的クエン酸サイクルという逆向きのベクトルを持つ代謝系は何をしているのか。

 日本光合成学会が2015年4月に公開したWeb版の光合成事典というサイトがある。その中から還元的クエン酸サイクルという逆向きのベクトルを持つ代謝系についての説明を引用したい。以下 引用である。(https://photosyn.jp/pwiki/index.php?還元的TCA回路)

 「 還元的カルボン酸回路,逆転クレブス回路とも呼ばれる炭素同化回路. Evansら(1966)により緑色硫黄細菌Chlorobium limicolaにおいて光合成CO2同化系として存在が提唱され,その後一部の紅色細菌,好熱性水素細菌Hydrogenobacter,嫌気性古細菌Thermoprotenusなどでも存在が報告されている.その起源は還元的ペントースリン酸回路より古いと考えられている.解糖系の一部とTCA回路を組み合わせたような回路で,還元型フェレドキシンを用いるピルビン酸シンターゼによりTCA回路に向かう反応とは逆にアセチルCoAからのピルビン酸合成を行う.緑色硫黄細菌ではPEPカルボキシラーゼによりホスホエノールピルビン酸(PEP)にCO2を固定しオキサロ酢酸を生成する経路が働いている.緑色硫黄細菌ではピルビン酸からホスホエノールピルビン酸への転換をピルビン酸・リン酸ジキナーゼが触媒する.オキサロ酢酸以降はTCA回路の逆転によってスクシニルCoAを生じ, TCA回路では非可逆的な反応であるスクシニルCoAから2-オキソグルタル酸(α-ケトグルタル酸)の合成を還元剤として還元型フェレドキシンを用いる2-オキソグルタル酸シンターゼにより行う.クエン酸の開裂にはATP依存型のクエン酸リアーゼを用いてオキサロ酢酸およびアセチルCoAを生成する.」

 TCA回路の説明においては、酸化的リン酸化を含めてエネルギー収支の問題が大きく取り上げられるのに、ここにはエネルギー収支の話は全く見当たらない。何となく不満である。最初にさらっと触れられたように、還元的カルボン酸回路の意義は炭素固定ということで納得して良いのだろうか。

 さらにこの逆向きのベクトルを持つ代謝系を持つ生物種の構成を考えると、現在の動物細胞もその細胞質に還元的クエン酸サイクルを持っていたように思える。それが酸化的リン酸化を伴うTCA回路を持ちミトコンドリアの祖先であった好気的細菌との共生の後、還元的クエン酸サイクルを失っていったと考えて良いだろう。つまり好気的なTCA回路が還元的クエン酸サイクルに置き換わった事を意味する。では、好気的なTCA回路は還元的クエン酸サイクルのどの機能を代替したのだろう。還元的クエン酸サイクルがエネルギー生産を行わない以上、エネルギー生産をその意義として置くことはできない、同時に好気的なTCA回路のあるかどうかわからない程度の炭素固定能力にその因を求めるのは、論理的に通用しないようだ。

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インバウンドは嫌いだ

  数日前、外国からの観光客がだいぶ戻ってきたと云う新聞記事があった。小さな記事だったのだが、この現象を好意的に受け止める内容であった。もっと客が戻れば良い、もっと土産物が売れれば良い、もっと客が泊まれば良い、そうすれば地域経済が浮揚する、ひいては日本経済にも良い影響がある、そんな内容である。要するに地元に金が落ちさえすれば良いという立場のようだ。そりゃあ観光地の宿泊施設や土産物屋に行ってインタビューをすれば、そういう返事が来ることは容易に予想できる。記者が現地に行かなくても、AIにキーワードを入れればすぐに書ける記事である。そんな記事に価値があるのかと問いたい。

 コロナ騒ぎの少し前、日本の観光地は韓国と中国からの観光客で溢れ返った。九州の太宰府であっても、参道から聞こえる声は韓国語と中国語だった。参詣するに際してのマナーの話は横に置くにしても、余りの混雑に行く気をなくした。神社・仏閣が観光地であることは認めるにして、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンと同じに考えて良いのだろうか。日本に限らず世界の多くの国において観光地とされている宗教施設は数限りない。現地のまともな信者達は、観光客による喧騒に辟易としているのではないだろうか。

 なぜインバウンドが嫌いか。観光客として行くにしても受け入れるにしても、訪れた土地に対する基本的心構えが出来ていない人が多いからである。行き先の政治形態も文化も宗教も習俗も知らず、団体で乗り込んで行ってまるで自国にいるかのようにに振る舞う、その思い上がった俗悪さが嫌いなのである。間違ってほしくないのだが、この旅行者に対する嫌悪感は、近年日本を訪れている観光客に対して持っているだけではない。1970年代から旅の恥はかき捨てとばかりにご乱行を続けてきた日本人の団体客にも向けられている。旅行者が落とす金に目がくらんで、媚びへつらう観光業者も嫌いだ。結果として、そういう醜い人間集団を生み出すインバウンドが嫌いだと云っているわけだ。

 などと書いていたら姻族壊滅、卒寿を過ぎた妻の両親、その娘3人が新型コロナに感染した。新型コロナ自体についてはさほど心配をしているわけではないが、母親の脱水症状が進んでいたらしく、コロナ病棟に収監されてしまった。そういう訳で、父親にはモルヌピラビル、母親にはレムデシビルという評判の悪さに反比例して薬価の高い薬が投与されているようだ。母については入院中で会うことも適わないため運を天に任せるしかないが、父親のモルヌピラビルについては服用を止めてもらっている。もう少し早く知っていれば母も脱水状態にならないよう、なんとかできなかったなと思ったが、これは私の思い上がりだろう。

 最終的には全員がコロナ罹患者となった。自宅待機などという規制があるためなかなか思い通りには出歩けないため、私が思いついた必要品をチマチマと届けている。といっても、十分に手が行き届いているとは言い難い。先月のクリスマス頃からの騒動であるため、年賀状書きも停止したままである。このブログの読者で年賀状が来ないと心配してくれている方々、私は元気です。

 二日ほど熱が下がっていた父が、今朝また39℃近い熱を出したという連絡があった。肺炎が怖いな。病院は休みだ。肺炎と一言で言うが原因が細菌であるか、ウィルスであるか、あるいはマクロファージであるかによって治療に使う薬が異なる。半端な知識を持っているとはいえ、素人が手出しをするのは憚られる。あと数日はこの状況が続くだろう。インバウンドについてもう少し書きたかったのだが、一応ここまでにしておく。

 

 

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歴史生物学 TCA回路への異論 7

 時間が空き過ぎた。書いている本人も以前の部分を忘れてしまっていた。我がままなお願いだが、以前の投稿を読まれた上でお読みになったほうが理解が進むと思います。

 され、カイコについて少しばかり深堀りし過ぎたかもしれない。読者の中には「こいつは何を言いたいのだろうか」と違和感を感じた人がおられるのではないか。書いた本人もそれが正常な感覚であり、私の方が幾分、いやかなり異常であると自覚している。簡単にまとめてみよう。素直に常識に従えば、TCA回路はエネルギーを生産する好気的回路である。一部の中間体から、生物の生存に必要な物質群への経路が分岐するとは云え、解糖系とTCA回路を通って1分子のグルコースが酸化されると38分子とか36分子とか30分子ののATPが生産されるという考えは、生化学における「公理」に近いものがある。

 つまり、世の常識の枠内において、TCA回路による炭素固定などと云う話題はエネルギーを必要とする系であって、エネルギー産生系であるTCA回路の解釈とは全くカテゴリーの違う話と認識せざるを得ない。それ故に、微量であるとはいえ、カイコがTCA回路を通して炭素固定を行ったいうことの話題性があったのだと思う。ここにおいて、TCA回路がエネルギー生産系であるとする常識を守るためにどう捉えればよいかと思惟すれば、炭素固定はTCA回路に入る前の段階で起こっている反応であり、TCA回路を回るのは「固定がおわった後の話である」とするのが、最高の解釈であろう。そうすればTCA回路の神話は揺るがないわけである。カイコの炭素固定についての私の考察は、このTCA神話を信じる人々に対する援護材料になるのかもしれない。ここまでカイコにおける炭素固定にこだわって書いてきたにも拘わらず、そんな事は私に取ってたいしたことではないなどと云うと怒られそうだが、一寸面白かったのであれこれ考えてみたに過ぎない。

 それはそうとして、TCA 回路が本当に好気的であるのかという問題は残るだろう。薬学会の定義に於いては、「糖、脂肪酸、ケト原性アミノ酸の炭素骨格を酸化する代謝経路であり、好気的な条件下でエネルギー獲得に中心的な役割を果たす。」と明確に書いてある。KEGGにおいても「Krebs cycle is an important aerobic pathway for the final steps of the oxidation of carbohydrates and fatty acids. クレッブスサイクルは炭水化物や脂肪酸を酸化する最終段階の重要な好気的経路である。」と述べている。これに対し、筆者はTCA回路と酸化的リン酸化反応は分けて考えるべきであり、そうした場合 TCA 回路は好気的経路ではないと述べた。この部分について、もう少し議論を続けたい。

 こういう屁理屈を唱えると、グリコリシスは細胞質に存在し、TCA回路はミトコンドリアに存在する。グリコリシスで生産されるNADH2は、細胞質においてピルビン酸あるいはアセチルCoAから誘導されるアセトアルデヒドの還元に使われるが故に、グリコリシスは嫌気的系路であり、ミトコンドリア中のTCA回路で生産されるNADH2やFADH2は、酸素を消費する酸化的リン酸化に使われるが故に、TCA回路と酸化的リン酸化を一体のものと捉え、好気的系路として考えるのが正しいという反論を受ける場合が多い。長い間、この反論に反駁できず、もやもやとした違和感に囚われていたのだが、近年になって上記の反論が間違っていることに気が付いた。疑問を持って20年近く経っていた。常識が造る馬鹿の壁を乗り越えるのはとても難しいことに改めて気付かされたのである。

 細胞質内で、グリコリシスを通って生産される2NADH2は、ピルビン酸あるいはアセチルCoAから誘導されるアセトアルデヒドの還元に使われる。従って細胞質内の酸化還元の状態は一定に保たれる。また、グリコリシスにおいてその系路中で酸素を消費するような段階は存在しない。この論法に従えば、グリコリシスは還元的に進行し、2ATPを生産すると考えられる。学生の頃偉い先生からそう言われて、なるほどそういうものかと盲信していた。しかし、よくよく考えるとそれは乳酸醗酵でありエタノール醗酵である。嫌気的条件下で起こる乳酸醗酵であってもエタノール醗酵であっても、生成したピルビン酸はTCA回路へは流入せず乳酸かエタノールを生産する。この時点で、解糖系においては1分子のグルコースから生産されるATPは2分子であるとする言説は正しい。しかしながら、嫌気的条件下で機能している解糖系を、好気的条件下で機能しているTCA回路をリンクさせて記述するのは矛盾を含むのである。ピルビン酸を供給しないグリコリシスをTCA回路とリンクさせて考える、その時点で矛盾が生じているのである。そもそも、エタノール醗酵を行っている酵母においては、ミトコンドリアはほとんど発達していないのである。

 ではどう考えれば良いのか? 一般的な生化学の教科書に書いてある内容は、おおむね以下のようにまとめることができる。

グルコース1分子あたり、解糖系を通って2分子のATPが消費された後、4分子のATPが生産されるので、正味2分子のATPが産生されるが、同時に解糖系では2分子のNADH2も生産されるのだが、NADH2の1分子から、3分子のATPが産生されるため、計6分子のATPが生産される。(*: 実際には、細胞質に存在するNADH2のミトコンドリア内部への輸送に伴い、1分子のNADH2に対して1分子のATPを消費するため、2分子のNADH2から産生される正味のATPは4分子となる。)

ピルビン酸が脱炭酸反応で酸化されてアセチルCoAが生産される際に、2分子のNADH2が副生されるので、これが酸化的リン酸化系を通ると6分子のATPが作られる。

(以下、TCA回路を流れるアセチルCoAは2分子であることに注意)

TCA回路のスクシニルCoAからコハク酸の段階で(グルコース1分子あたり)2分子のGTPが生産されるが、GTPはATPと等価な高エネルギー物質でありATPに変換可能であるため、2分子のATPが生産されたと見なす。

 TCA回路全体で、NADH2は(グルコース1分子あたり)6分子生産されるので、これらから18分子のATPが生産される。

 TCA回路のコハク酸からフマル酸になる段階において、FADH2が(グルコース1分子あたり)2分子生産されるが、FADH2の1分子当たり2分子のATPが生産されるため、計4分子のATPが生産される。

 生産されるATPを合計すると36分子ということになるのだが、38分子のATPが生産されるという計算においては、細胞質のNADH2をミトコンドリアに輸送するときに消費されるATPを考慮していない場合を意味している。また、実際の反応においてはプロトンが必ずしもATP生産に使われるとは限らず他の系路で消費される場合もあるため、NADH1分子からATP2.5分子、FADH21分子からATP1.5分子が生産されるとして換算し直すと

解糖系 2 ATP

解糖系NADH2  2×2.5ATP – 2ATP(輸送で消費)= 3 ATP

ピルビン酸の脱炭酸反応 NADH2 2個x2.5 ATP = 5 ATP

TCA回路 GTP 2x1 ATP = 2ATP

TCA回路 NADH2 6個x2.5 ATP  = 15ATP

FADH2 2個x1.5 ATP = 3ATP となり

となり、全体では計30分子のATPができるということになる。

 何が言いたいのかといえば、解糖系の中で《ピルビン酸が脱炭酸反応で酸化されてアセチルCoAが生産される際に、2分子のNADH2が副生されるので、これが酸化的リン酸化系を通ると6分子のATPが作られる。》という記述に従えば、解糖系は嫌気的系路であるという大前提が崩れるのではないかという疑問である。そしてその疑問はそのままの形でTCA回路の好気性の問題に係わってくるのである。解糖系のグリセルアルデヒド 3-リン酸が 1,3-ビスホスホグリセリン酸 に変換される反応において、2分子のがNADH2が生産されるのだが、これがミトコンドリアに取り込まれATP生産にカウントされている。ピルビン酸の脱炭酸反応は解糖系に含まれないし、TCA回路にも含まれないと云う解釈で、ここで生産されるNADH2は無視できたにしても、グリセルアルデヒド 3-リン酸が 1,3-ビスホスホグリセリン酸 の段階で生産されるNADH2はどう考えても無視できない。解糖系が嫌気的代謝系であると云う言明を生かすとすれば、TCA回路も酸化的リン酸化のプロセスを切り離して嫌気的回路であるとせざるを得ないのである。

 結論としては、人を含む好気的生物に於ける解糖系を好気的代謝系としその際に機能しているTCA回路も好気的代謝系と定義するか、あるいは両代謝系から酸化的リン酸化を切り離して双方ともに嫌気的代謝系と定義するしか方法はないように思える。

 この当たりの概念の混乱は、解糖系を醗酵と云う立場から見ていたグループと筋肉生理という立場から見ていたグループ間の意見の相違、さらにはATP(エネルギー)生産がTCA回路の意義であると云う前提の基で研究を続けたHans Krebs の研究結果などが入り交じって起こったのであろう。

 では、上に書いた混乱が納まればそれで良いかと問われた時、まだ納得できない私がいる。研究者として、自分の足下を掘るなと忠告や助言を受けたことが何度もあるのだが、研究を進めるに当たって自らが立脚している学問の基盤を、常に見直す営為は不可欠であると考えている。(だから業績が上がらない)では、何処が腑に落ちないのか。TCA回路を歴史的な視座から眺めると、幾つかの疑問が浮上するのである。TCA回路は、いつ地球上に現れたのだろう?初めて出現したTCA回路は、現在の系路と同じものであっただろうか?それとも、不完全な系であったのだろうか? TCA 回路が好気条件下で働く系路であるならば、嫌気的条件下で生きる生物にはTCA回路は存在するのだろうか、それとも存在しないのだろうか?TCA回路から酸化的リン酸化を切り離した時、TCA回路の存在意義はどうなるのだろう?

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少し落ち着いた

 しばらく、下書きしか書いていない。色々と書きかけのものは幾つもあるのだが、完結させずに放りっぱなしになっている。さて、雑用というには幾分以上に重たい社会的役割がようやく一段落した。さほど真面目に努めたわけではないが、先月の末で民生委員の任期がきれた。もう一期やってくれという話があったのだが、強く辞退した。もう一期務めることに対して、業務自体がいやだったわけではない。コロナワクチンの問題がなければ再任されることに異存はなかったのだが、一つだけ譲れないことがあった。国はいまだにワクチンを推進する政策を続けている。ご存知のように私は、非国民と言われることさえあるワクチン懐疑派である。月に1~2度、ご老人の自宅を訪問していたのだが、ワクチンの接種券が来たがどうしようをと尋ねられることが何度もあった。

 民生委員のバックにいる社会福祉協議会、市、県、その上の厚労省の全てがワクチン接種推進の立場にいるのである。コロナワクチンの安全性に大きな疑問を持つ人間として、ワクチン接種を勧めることはできない。もちろん打つなというのも踏み込みすぎになる。だから困るのである。万一のことが起こった場合、社会的な糾弾を避けようとすれば良心が痛むに違いない。自らの判断に従って行動すれば、周りから轟々たる非難を受ける蓋然性がある。幸い任期中にそうしたことは起こらなかったとはいえ、薄氷を踏むような気分の毎日だった。

 書類の整理、後任の方への引き継ぎなどを済まして、無責任なようだが少しだけほっとしている。気分を換える為に書類の整理とともに居室の大掃除をした。転居して10年あまり、動かなくなっていた障子をジャッキを使ってはずし、破れが目立っていた障子の紙も張り替えた、机の向きも変えた。七日ほどかけて何とか目処がついてきた。終活?そんなつもりはない。新しく買った本の置き場がなくなったのが最大の理由であった。平積みするしかなかった字訓、字統、字通、類語辞典が使いやすい位置に収まった。一寸古くなった生化学辞典、時に参照する専門書もそれなりの位置に収まり、気分的に風通しがよくなった気がしている。

 今後、書きかけて停止している数十本の記事を順次アップしようと考えてはいるのだが、農作業の方が楽しいことがネックである。今日も、今年度最後となるであろう渋柿の収穫に行ってきた。天気は良いし、空気は旨い。コンテナ3個が一杯になった。初冬となり四十雀と山雀の混群が、鳴き交わしながら飛び回っている。もちろん、見張り役のジョウビタキも近くの枝に止まって私の行動を見張っている。もう十二月、暖かいとはいえブヨは出ないと判断してネットを持って行かなかったのが間違いで、3ヶ所刺されてしまった。しばらく痒い日が続きそうだ。

 

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ニュースの見方 2

 世界は一週間先も予見できないほどの混乱した状況にある。いわゆるマスコミの流すニュースは、そのまま信じたら何処に連れて行かれるか分からない。ナオミ・クラインが言う所のショックドクトリンが、重層的に実施されているように見える。いや、そういうふうに見ること事態が、陰謀論に毒されているという見方も出来るだろう。しかし、お前の言うことは陰謀論であり聞くに値しないと言い続けてきた何人かの知り合いが、少しづつ認識を変え始めた。余りの遅さに今頃かいという思いが先行する場合が多いのだが、できるだけ丁寧に説明することを続けている。感じるのは政府とマスコミの洗脳の深さと悪意ともいえる程の巧妙さである。

 私は40年前にTVを捨てた。誇張と煽り、TV局の持つ偏見のフィルターによる事実の歪曲などに嫌気が差したのが原因である。ではTVを本当にまったく見なかったのかと聞かれると、少し違う。同居していた両親はTVを見続けていた。耳が遠くなっていた父親は、道路からでも聞こえるような音量で見ていた為、TVの音声だけは聞くことができた。そこで気付いたのだが、アナウンサーの声・トーン・響きが、ニュースによって明らかに違うのである。TV番組の内容は極めてつまらない。でもTVはとても面白い。昔、画面を消して色々な番組を見たわけだ。古典落語はそれなりに聞けた。漫才ではいわゆる地下鉄漫才はそれなりに聞けたが、当時流行っていた新作の漫才は全く面白くなかった。ドタバタのど付き合いの画面に、笑い声がかぶせてあるだけだと云うのが良く見えた。音声を消した TVはかなり悲惨だった記憶がある。一度やって見られたらどうだろう。画面の後でここは拍手、ここでは笑い声、ここでは感動の声などとブロックサインを出して盛り上げているディレクターの姿が目に浮かぶだろう。

 そんなことはどうでも良いとして、昨日の千葉テレビ報道である。

『千葉県9月12日 2881人感染 ワクチン未接種の40代男性など12人死亡』というのがテロップに出ていた。『ニュース内では、死亡した人のうち40代男性は、9月下旬に感染が確認され、その後免疫系の基礎疾患が悪化し、死亡しました。ワクチンは未接種でした。』

 近頃、ニュースの解釈は異常に難しくて、使われている言葉の定義にまで遡らないと真意が分からない事が多い。上の報道をみると、この40代の人がワクチンを打っていれば死なずに済んだだろうにと判断しそうになる。しかしである、先月半ば頃、厚生省は1回目や2回目の接種日がわからない人を未接種者として扱って感染者数のデータを出していたこと、接種歴不明者を接種者と改めたところ、感染者の85%が接種者であることが判明するやいなや、今度は感染者の接種歴を非公表にするという隠蔽を行った経緯がある。https://news.yahoo.co.jp/articles/302956e09ab38e2d48292a38a03cbbacf24b7340?page=1

 さらに、2回目の接種までしかしていない人においては、もう効果が落ちているため未接種者として扱うというのであれば、この40代の男性は2回目の接種までは終えている可能性は十分にある。さらに免疫系の基礎疾患の原因がワクチンであった可能性も捨てきれない。とすれば、亡くなった方々は全て接種者と云うことになる。考えすぎだと云う批判もあると思うが、コロナ感染症についてはマスコミの報道内容を盲信することはできない。コロナ感染症については、近日中に新しい知見を含めて書く予定である。

 いま一つ、エリザベス女王が亡くなった。チャールズ皇太子が即位し、チャールズ3世になった。安倍前首相の国葬と彼女の国葬を比較するつもりはない。多くの人がやっていることの後追いをするつもりはない。ただ、チャールズ3世について気になったことがある。一般的にはチャールズの名を持つ英国国王はあまり幸福な国王ではなかったが故に、彼の治世に対して少しばかり不安を感じている人がいるようだ。私も、彼の治世は短いのではないかと危惧している。理由は以下の記事にある。

https://www.miyamatakeru.com/charles-ninnki/

 画像をコピペで使えればいいのだが、権利の問題があるので上記のブログを見て欲しい。問題は2枚目の写真である。チャールズ新国王とともにカミラ夫人が歩いているものだが、彼の手に注意して欲しい。赤黒く浮腫んでいるように見えないだろうか。その他にも書類にサインをしている画像が出回っているが、手は同じように浮腫んで見える。インクで手を汚し、不機嫌になったという報道もある。これを常識的に判断すれば、公式の場所に現れる場合においても、手の浮腫みを隠しきれない状態になっていると考えられる。とすれば、心臓、腎臓、甲状腺などがかなり弱っている可能性が高い。リンパ浮腫の可能性も捨てきれないか。飲みすぎかな。

 勿論、深読みがすぎるとする批判があるだろう。ただ、今の時代はニュースをそのまま信じられるほど社会正義が機能しているとは思えないし、皇族や王族の写真となればそれなりの検閲が入っていない筈がない。そうした状況にあることを加味して、ニュースを見ようと云う提案である。皇族や王族にとっては写真の一枚一枚が政治のカードである。すねたりひねたりして、全てを疑い、斜めに受け取るべきだと云っているのではない。一応、ニュースはニュースとして受け止める。その後、行間を読み、写真を読み、言葉遣いをそして使われている言葉を吟味し、ニュースを提供している会社の背景を考える。そしてそのニュースについて意識の窓口を広くしておく。それだけである。

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