心を読まれてる

新規投稿が遅れに遅れているせいでいくつかの連絡が来ていたのだが、その中の一人の指摘が図星だった。図星だった人の二つの指摘、一つは「ペントースリン酸経路に拘わり過ぎているのではないか、このままバクテリアと古細菌について、従来の形で話を進めるのは労多く話は繰り返しになりなかなか先に進まないだろう。特徴的な何種かの生物についての議論で矛を収めろ。あんたの言いたい事は色々な経路を見直して代謝系を観る新たな視点を提唱したいのだろう。時間潰しはやめなさい。」

もう一つはブログの提示の方法についてだった。「あのね、40歳前から考え続けて来た事を書いているのだろう。もう35年以上考え続けた物だよな。考え続けた結果は本人には自明のロジックであっても読者にとっては初めてのものだろう。読者は常識を外れた仮説を突然突きつけられるわけだ。とすれば、過去に投稿したものを、適切な間隔で再表示すべきではないか。」さらに、「もう少し分かり易い形で書いたほうが理解を得られやすい、言い方を変えれば学問的正確さを必要以上に追わないほうが良い場合もあるだろう。」

いやいやそういう視点はなかったな。書きながら肩が凝っていたのは、力み過ぎていたのかもしれない。さらに、「最後に一言、今の水準を維持しながら週一回とかいう頻度でこのブログを続ける才能はお前にはもうないよ。原報へのアクセスもなかなかし難くなっているだろう。」その通りである。図星である。脱帽である。素直に反省して指摘に従おうと思った。

まあそれはそうとして、今年は荒れてますね。何でも荒れています。最も気になっているのは地震かな。能登での地震がまだ混乱の最中にあるのに、次の地震が起きそうな気がしています。巷間ささやかれているのは、首都直下型、南海トラフ、相模トラフ、千葉から仙台に連なる東北の東岸、北海道から千島列島沿いで起こるであろう巨大地震なのだが、私は別の地震も有り得ると考えている。と書いて三日が経つのだが、嫌な所で地震が起こった。小笠原での大きなヤツではない。京都での地震である。この地震を単なる内陸部で起こった地震と考えるか、それとも別の要因によるものと考えるか。ここで判断が分かれるだろう。

 1986年、三原山の噴火が起こった時にその噴火の経緯を冷静に説明していた木村政昭博士をよく覚えている。この木村氏についてはその後も注目していたのだが、彼が提唱していた日本列島断層(線)が今でも記憶に残っている。(下記参照)

 http://kimuramasaaki.sakura.ne.jp/site2/2016/05/22/1389/

 彼の学説は現在の社会で力を持つ人々にとって好ましくないらしく、常に世間から無視され続けている。日本列島を貫く大断層である中央構造線は定義によって異なるが、鹿児島県の川内原発の沖合いあたりから熊本地震を起こした布田川・日奈久断層帯を西端とし、大分付近から四国、紀伊半島を横断した後、長野県の諏訪湖までの部分と、フォッサマグナで地表トレースが難しいとはいえ埼玉県岩槻辺りを通り鹿島灘に抜ける大断層である。この定義に関しては異論はない。ただ木村博士は上記の中央構造線が京都南部付近で分岐して琵琶湖の東岸を経由し、福井県・岐阜県から能登半島の根本付近から日本海に抜け東北と北海道の西岸に沿って利尻島の西海上まで繋がる大断層があると提唱したわけだ。この仮説は先に書いたように、社会的には完全に黙殺された状況にある。とはいえこの仮説、過去に起こった地震の震源を調べてみると、捨て去るには惜しい仮説である気がしているというわけである。

 能登半島で起きた地震の余震分布を見た時、新潟沖あるいは若狭湾沿いでの地震発生の可能性は捨てきれない。歴史的にもかなり大きな地震が起こっている。先日発生した京都での地震をもってその前兆とするなどという短絡的な事を言うつもりはないが、頭の隅に一寸だけ入れておく必要はあると感じている。奥歯に物が挟まっているような書き方をしたが、そういう訳です、ハイ。

 

 

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