田植えふたたび

  今年は約6反の水田に苗を植えた。とはいっても苗はJAに育ててもらったし、代かきの仕上げはやはり師匠がやってくれた。余りに下手な仕上がりでは、師匠の沽券にかかわるのかもしれない。昨年までは、3反弱の人目につかない山あいの水田だけだったが、今年からは、ほぼ同じ広さのもう一枚の田んぼを耕作することになった。

  前にも書いたが、田んぼ銀座とよばれる場所である。下手な代かきをしていると、耕耘機の回転速度が速すぎる、耕耘深度が深すぎるとか、排水管のふたが閉まっていないとか、コース取りが不適切であるとか、周りの人達がわざわざ自分の作業を止めてアドバイスをしてくれるのである。実に有り難い。

  水路整備などで顔を合わせているとはいえ、町中では有り得ない風景であろう。こちらはまだ相手の名前も、どの田んぼの所有者であるかも全く知らない。しかし、相手は全てをご存じの様子で、もう一枚の田のやり方まで教えてくれる。情報戦で完全に敗北しているようだ。

  人によっては、ここでは稲を作るより、野菜を作った方が収益が上がると、経営指導までしてくれる。もちろん、全部の意見を無定見に受け入れるつもりはない。私には私の考えがあり、私の計画がある。しかし、私の目論見は現場を知らないが故に、机上の空論的な部分があることも否めない。近所の人々の意見は、そこを的確に指摘し、補ってくれるのである。知識と知恵の違いを感じながらの生活は適度に刺激的である。さらに、無知に起因するあほらしい作業をやってしまったとしても、飯はうまいしビールもうまい。

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飛翔というには?

  田舎の家は取り壊された。色々と取り込み中で、いま住んでいる家の庭は藪に近い。日曜の早朝、脚立に乗って剪定を始めた。柿の木は折れやすい。実に簡単にポキッといく。従って、柿の木に重心をかけることは決してしない。その点、杏の木は堅くて丈夫である。剪定用のはさみでも、ちょっと大きな枝は切れない場合がある。去年の剪定にミスがあって今年の杏は余り成っていない。内向枝を切り、徒長枝をつめて何とか剪定が終わった。あと1本枝を落として終わりだなと思い、横の枝に手をかけた瞬間、枝が消えた。見事に脚立から飛び立ったらしく、気が付いたら脚立と一緒に地面に横たわっていた。羽ばたく暇もなかった。脚立から落ちて死亡などという新聞記事を散見するが、こういうことかと実感した。

  落ちた枝を見てみると、丁度枝分かれした部分が腐っていたようだ。大した怪我はしていなかったのが幸いである。DIYの店で買ってきた4脚の脚立は安定が悪い。プロ用の3本足の脚立を使うべきであった。ちなみに、高さ2 m のところから落ちたときの落下速度を計算すると、秒速約6 m、時速に換算すると20 Km程度で、落下時間は0.64秒程になる。

  1日経った。落ちた直後は左脇腹と頭部の擦り傷以外何ともなかったが、今朝起きると少々首が痛い。どうやら右側の胸骨頭筋と鎖骨頭筋を痛めたらしい。両方の筋肉が少しだけ怒っている。まあ数日、余り動かさずに様子を見てみることにしよう。

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設計士泣かせ

  何故だか分からないが、ともかく家を建て始めた。よくもまあその歳でというのが、多くの人の感想らしい。確かにそうだと私も思わないでもない。バカバカしい出費である。先日、設計士の人と話したのだが、どうもこの家は設計がやりにくかったといわれた。理由を聞くと、希望・要望がないという点にあるという。依頼する方が、ああしたい、こうしたいと云われれば色々とアイデアが出るのだが、あなたは適当にしてとしか云わない。そこがやりにくかったという。

   私にしてみれば、設計については全くのど素人、あれこれ云ってもきっと的外れだろうなと思っていた。壁板は杉にしますかヒノキにしますかと聞かれても、スギ板の色もヒノキの板の堅さも色合いもイメージできない。どっちでも良いというわけではなく、設計士さんの良いと思う方にしてくださいと答えるしかない。彼に云わせると、それでは彼の好みの家にしかならないではないかと云うのである。

  しかし、世の中で家を買う人のかなりの部分は建て売り住宅を買う、マンションであっても同様であろう。間取りなんて、初めから決まっている。とすれば、信頼した設計士と建築業者にまかせるという判断で良いのではないか。建った家に住み、「ああ、ここはうまく考えたな、なるほどこんな意図を持ってこの部分の設計はされているな」などと、家を介在にして建てた人々との会話が長くできるではないかと思っている。

  もう一つ理由がある。定年間際になって、楽しんで入れ込んで家を建て、建ったところで力尽きた方々を何人も知っている。家を建てるのは目的ではなく、建てた後の生活のなかに本来の目的がある。残り少なくなってきた気力と体力を、温存しておかねばなるまい。

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またもや草刈の季節

  24・25日と晴天に恵まれ農作業が進んだと云いたいところだが、25日、日照は残っているのに体力が尽きてしまった。2日間、何をしたかといえば草刈りである。2,500坪ほどは、乗用草刈り機で刈る。段差がある場合、草刈り機と一緒に落ちて死亡することもある。従って、端から50 cm以上空けて走行するため、周囲については刈払い機のお世話になる。最もきついのは法面の草刈りである。法面に向かって、右側から左側へ切り落とすように進めるのが良さそうだが、地形によってはなかなかうまくいかない。2日目の4時過ぎ、体力の限界で撤収した。結局、法面部分は殆ど残ってしまった。

  理由は2つある。一つは、まだ夏向きの身体になりきっていないことである。追々慣らしていくほかないだろう。もう一つは、ベースキャンプを失ったことである。23日から家を建てるために、農舎の取り壊しが始まった。疲れたら、ここでしばらく休んでいたのだが、それができないのである。これは思った以上に厳しい。もうすぐ田植え、ベースキャンプなしでの田植えはかなり大変なことになりそうだ。

  私が所有している草刈り機は、輸出仕様のものである。なんと後にオイルクーラーが付いている。中古で購入したものだが、アイドリング時にちょっと咳をする程度で後は快調である。背の高さほどまで茂ったジュズダマの群落を、真夏の炎天下でも快調に切り捌いていく。

  問題は人である、4月頃までは後にヒーターが乗っているようで快適であるが、5月となるともういけない。後に、ガソリンストーブを乗っけて作業しているようなものだ。追い風で作業をすると、普通では感じないほどの微風でも、熱波と排気ガスが襲ってくる。しばらく続けると、人が先にオーバーヒートしてしまう。作業は朝と夕方、風見鶏のように風上に向かっての作業となる。では風上から風下にはどうやって戻るのか。ギヤをハイに入れ、作業ではなく通常走行で風のごとく走るしかないのだが、風のように走れるかどうかは別問題である。

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油断大敵

  今年は栽培についての知識のなさを痛感している。昨年秋から、ジャンボニンニクを200本あまり植えていたのだが、冬の寒さに負けて、追肥の時期が3月の半ば過ぎになってしまった。当初は問題なさそうに見えたのだが、4月後半から葉枯病の兆候が出はじめ、いまとなってはかなりな株がやられている。暖かくなる時期に窒素過多の状態になったと思われる。病気にかかった株は焼却するしか方法はないだろう。数年かかって増やしてきた株数が後戻りするが、仕方あるまい。

  今ひとつ、山の畑でマルベリーを5本ほど栽培していた。植えて4年目の木だが、家族4人が1年間で食べきれない程の実が採れていた。昨年、1本の木に白化して腐乱気味の実がついていたのには気付いてはいたのだが、あまり気にせずに放置していた。先日、様子を見に行ってきたところ、大部分の果実が白化しているではないか。今年の収穫はゼロに近い。

  調べてみると菌核病という、キノコが寄生して起こる病気である。よく見るとキツネノワンタケ、キツネノヤリタケの両方が感染しているようである。土の中で、胞子が5年ほどは生き続けるという。落果した果実の処理が必要なのは当然の話だが、数年間は農薬のお世話になるしかない。少しばかりきつめの剪定をして、薬液にドブ漬け後に植え替えるという方法も試してみるつもりである。3月後半に、20本ばかり全く別の場所に植え付けたものが、来年から収穫できるようになるだろう。

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