田の形

  新米農民の日々のブログ更新が全く止まっている。だからといって作業をサボっているわけではない。延々と続く柿の剪定は何とか終わった。一週間ほど前から、柿若葉と言われる若緑色の新芽がではじめていたが、ここ数日の寒さで足踏み状態である。昨日は午後から半日かけて、椎茸の駒打ちをした。昨年11月に切ったクヌギには先々週に駒を打った。昨日は一昨年駒打ちしたにもかかわらず椎茸が生えてこなかった原木に、再度駒打ちをしたわけである。いわゆるダメもとの作業である。数日間にわたって水をかけ、かなり入念に湿らせたつもりだったが、ドリルで穴を開けたときにでる木屑は乾いた状態にあった。残念だが、この作業は多分無駄になったと思う。

  1週間ほど前から、ワラビ畑のワラビも芽を出し始めた。一雨降ったことだし、暖かくなる今週末は一気に芽吹くと思われる。友人達よ、時間を見計らってご来園下さい。

  それはそうと、水田を2反7畝程買うことが決まった。いま持っている田んぼは山裾の過疎地にある田んぼだが、今度買う田んぼは田んぼ銀座の一等地である。そんな場所で、私の田んぼだけ出来が悪かったら恥ずかしいではないかと少し躊躇したが、これも縁であろう。身体が動く間はきちんと維持するつもりである。

  以前から、この田んぼ銀座を歩きながら考えていたことがある。田の形が、えらく細長いのである。もう少し、黄金比に近い形に区切れば落ち着きが良いのにと思っていた。しかし、自ら耕作をするようになって、その細長い形の機能性に気付いた。まず、トラクターを回す回数が少なくてすむ、これはコンバインについても言える。田の中の作業をする場合、短い距離で作業部分にアクセスできる。泥濘の中を歩く距離が少なくなるため、疲れずにすむのである。さらに、薬剤を散布する作業が楽になるし、投げ込み式の薬剤の正確な投げ込みができるようになる。

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GM作物

  4月13日の西日本は、春の嵐が吹き荒れた。昼になっても気温は15℃に達せず、横なぐりの雨とあって体感温度は10℃以下であったようだ。こんな日には、たまの休みを楽しむべきかもしれないが、別の用事があり結局出かけていくことになった。

  別の用事、ある人からGM作物について話をしてくれと頼まれていた。「物事の判断は良く知った上で行うべきだ」というのが、私の持論である。従って、賛成・反対と言う立場ではなく、GM作物とはいかなるものかという立場からの話をした。グリフォサートを始めとして、遺伝書操作による耐性化の対象になっている化合物群、GM作物として開発されつつある作物群、化合物の毒性と製剤の毒性の違い、ADIを算出する時の基本的考え方、毒性試験の方法、食品の安全性審査、作物への遺伝子導入の方法と導入に伴って起こりうる問題、アレルギーをどう考えるか、種子産業と食糧の安全保障などについて説明したのだが、感動的であったのは、居眠りするヒトが居なかったことである。眠気に襲われたヒトがいたのは間違いないが、それでも眠らないようにと努力されていた。大学の講義とは大違いである。

  話が終わった後も、TPPとの関連、情報入手の方法と情報の質の見分け方、ネオニコチノイドとミツバチの関係などなど、2時間近い密度の濃いディスカッションとなった。聴衆となった人達が非常に意識の高い人達であったのだろう。

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遠くから見たSTAP細胞

  「STAP細胞に関する論文の問題」が燃え上がっている。1月の終り頃だったと記憶しているが、Natureにこの論文が掲載されたというニュースで世の中は沸き立っていた。職場だけでなくいろんなところでこの論文の凄いところはどこにあるのかという質問を受けた。未分化の細胞で特異的に発現するOct4遺伝子のプロモーターに緑色蛍光蛋白を発現する遺伝子配列をつないだ遺伝子をもつマウスを作り、その脾臓から取ったリンパ球を弱い酸で処理するという単純な方法で、リンパ球が初期化された未分化な細胞が得られることを、緑色蛍光タンパク質の発現によって確認したことだ。などと云ったところで、一般の方には理解してもらえない。結局は、マスコミと同じレベルでの説明をし、今からどんな細胞にでもなれる幹細胞と似た細胞を、簡単に作る方法を見つけたのが凄いと言わざるを得なかった。

  ただ、この説明をするとき、私の発言に熱気が感じられなかったらしく、何か問題でもあるのかと尋ねた勘の鋭い人もいた。iPS細胞の研究にしろ、STAP細胞の研究にしろ、研究の方向はガンの治療であり、損傷した臓器・器官の製作と移植であり、老化した臓器、器官の入れ替えであるようだ。

  云うまでもないことだが、これらの研究に於いては、命をどう捉え、何時、いかに、そして尊厳を保たせて死なせるかという観点は希薄なように思える。死は医学の敗北であるようだ。しかし、私にとって死は敗北ではない。役割を終えた個体が次の世代にニッチを譲るだけことであろう。臓器移植というとても新しいとは思えない、免疫抑制剤に頼り切った医療技術を褒めそやしていた人達が、褒める対象を変えただけではないだろうか。

  私は臓器移植に対して今も反対である。免許証の裏には「臓器は提供しない」の部分にチェックを入れている。もちろん、私が危ない状況になってもヒトからもらう気もない。仏教徒として、時が来れば死ぬのが当然と考えている。死ぬのが当然と考えている私にとって、臓器と器官を入れ替えてまで生かそうとする医療は、はなはだグロテスクな医療としか思えない。とはいえ、他の人がどうしても生きたいと考え行動することを頭から否定できるかと考えると、そこはちょっと考えてしまう。

  ただ、脳死がどのような状態かを全く知らない人に、安易に移植を誘導するコマーシャルは実に嫌だ。過去、多くの学生や社会人に脳死とはどんな状態なのかと聞いたことがあるが、正しく答えられた人は殆どいなかった。全脳死と植物状態の区別がつかず、脳幹死や深昏睡に至っては聞いたこともない、ましてやそれらの判定基準も判定方法も知らない人が、何故脳死という概念について賛成したり反対したりできるのだろう。

  臓器移植を認めないと世界から遅れてしまうという雰囲気の中で、平成9年に臓器移植法が成立した。この法律が臓器移植を可能にすることを目的にした立法であったがために、死をどう捉えるかという点での議論は不十分だったと思う。それが脳死臨調の答申が両論併記となった原因であったのだろう。私はここにおいても少数派、少数意見の方にシンパシーを感じている。

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内緒は不可能

3/8 3/9

   三月の声を聞いたというのに、昼間の温度が10℃前後と真冬に近い。にもかかわらず、季節を読んだスギの木は大量の花粉を飛ばす。山の畑の側に40年程の樹齢を持つスギの木があるのだが、この木からもろに花粉が飛んでくる。風媒花は受粉率が低いなどと書いてある本が多いが、風媒花は花粉の量を増やして受粉の確率を確保していると書くのが正しそうだ。

  ここしばらく送別会を初めとして種々の会合が重なり、ブログの更新が遅れ気味である。とはいえ、畑へは律儀に出没している。この時期はさすがに収穫するものが少ないとはいえ、ワケギと早生のタマネギが食べ頃である。いまならタマネギの葉っぱもまだ柔らかい。

  先日から、今度建てる家には薪ストーブを入れるといっていたら、薪が集まってきた。師匠の家から薪割り器も届いた。田舎では隠し事はできない。わが農舎の棚になにがあるかまで皆ご存じのようで、地区全体が1つの家族のようなものである。物心ついた頃から、地域社会の異邦人として暮らしてきた私にとっては、異次元の世界である。こうした人間関係を鬱陶しいと思うか、何でも知られているのだから気楽だと思うか、それは人によるだろう。私にとっては気楽に生きられる世界だと感じている。

  師匠からよばれた。「近くの田を売るという話がある、買わんか」という。いま持っている田んぼには、側道を広げる計画がありかなり狭くなってしまう。もう少し欲しいなと思っていたところである。話に乗ったら、すぐ売り主のところに連れて行かれた。なんと、師匠の親戚である。前置きも駆け引きもない、すぐ決まった。次の日、農業委員会へ提出する書類を受け取りに再訪したら、見慣れた車が止まっている。家に入ると、わが家のお向かいのおばさんがお茶を飲んでいる。あはは、親戚です。あの田んぼの横は私の田、水の駆け引きはしとってやるよ。あと1年は、働くっちゃろ。全てお見通し!!

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Necydalis

2/15

  解糖系ブログの更新が止まっている。理由は幾つかあるのだが、読みたい文献があって少し考え込んでいるというのが本音である。大学の図書館に行きたい気分だが、ウイークデイは仕事があって動きにくい。

  今日は敷地の横の市有地に生えている、真竹を切った。敷地の東側に昔の道らしき幅60 cm程の土地があって、ここに真竹が生えている。栄養状態は良いらしく、直径10 cmを超える大きな竹が乱立しているのだが、そのせいで日当たりが余り良くない。目の細かい鋸を使っての作業だった。この廃道と隣の家との間に2 m程度の段差があるため、この竹を全部からしてしまうという判断は、実際的ではない。毎年、少しずつ間引きながら共存するのがいいと思っているのだが、5月から生えてくるタケノコは我が家の敷地で100本を軽く超える。初めの数回は喜んで食べるのだが、その後は切り倒して、竹の侵略から畑を守るので精一杯、何しろ1日で1 m近く伸びる。タケノコの中には生長促進物質があるに違いないと考えた田村三郎博士に、実感を伴って同意する。

2/16

  今日は柿の木の2本と栗の木1本を切った。すべて樹齢40年ほどの木である。カキの2本は、収穫の時期をずらすための樹種の変更であり、栗の木は庭の日当たりをよくするためである。とはいえこれらの木は、前所有者の生活とその家の子供達の成長を支えてきた木である。鋸を入れようとして、ちょっと躊躇してしまった。特別信心深いわけではないが、気持ちが引っかかったままでは仕事がはかどらない。酒を買ってきて木に注ぎ、手を合わせた。

  それで気持ちが吹っ切れた。40年かかって生長してきた木を30分もかけずに倒した。チェーンソーの力は偉大である。数億年の時間をかけて蓄積してきた石油や石炭を、2〜300年で使い切ろうとしている人類の行動に似ている。とはいえ、これらの木の後には、桑—それも大きな実のなる桑を植えるつもりである。

  数十年後、大きくなった桑の木にNecydalis gigantea (オニホソコバネカミキリ)が住み着いてくれれば、とても嬉しい

  倒した木は、ストーブの燃料として再来年に燃やす予定である。

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