飛んだのか落ちたのか

  空を飛んでからもう一月にもなるだろうか。飛んだのか落ちたのか,私は飛んだと思っているのだが、落ちたというのが多数派の意見である。人生と同じで、飛ぶ時間は短い。

  それはそうとして、首が痛い。4〜5日たった頃から、首の周りの筋肉が盛り上がるような状態が始まった。その後、痛みとともに首が回らなくなった。寝違えたときとよく似た痛みで、車に乗るのが辛い日が続いていたが、数日前からいくぶんよくなった。この時点で、首が回らないのは、お金が原因ではないことが明らかになった。お金のなさは、まだ続いているからである。

  これで快方に向かうかと期待したら、今度は左手が痺れ始めた。さすがに、整形外科に行こうか整骨院に行こうかと迷っている。行きつけの整形外科は家の近くにあるため、勤務が終わってからでは間に合わない。職場の近くで探さざるを得ないかと思いながらも、まだ決めかねている。要するに、何とか我慢できるが故に“医者に行きたくない症候群”が発症しているだけである。本当に、耐えられないほど痛ければ、間違いなく走ってでも行くだろう。

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怠け者の盆働き

  7月6日、対馬海峡の上に停滞している梅雨前線に、台風からの南風の吹き込みが続いているらしく、昨日から雷を伴った雨が断続的に降っている。一昨日は野暮用があり農作業は出来なかったのだが、水の管理もあってちょっとでかけた。そしたら、周りの田んぼの畦草が見事に刈ってある。草刈りが終わっていないのは私の田んぼだけ。そういうわけで、昨日は雨をついて田んぼに出勤、雨合羽を着ての畦草刈り。

  昔、お盆の暑い日、放っておいた自宅の庭で草取りをしていると、怠け者の盆働きとか極道の盆働きなどと親から揶揄されたものだが、昨日の草刈りも人から見ればそんな風にしか見えないだろう。誰も働いていない日曜日の野良に出て、降り続く雨の下で草刈りをする。きっとまた、からかわれるに違いないが、私のとれる時間は昨日しかない。

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田植えふたたび

  今年は約6反の水田に苗を植えた。とはいっても苗はJAに育ててもらったし、代かきの仕上げはやはり師匠がやってくれた。余りに下手な仕上がりでは、師匠の沽券にかかわるのかもしれない。昨年までは、3反弱の人目につかない山あいの水田だけだったが、今年からは、ほぼ同じ広さのもう一枚の田んぼを耕作することになった。

  前にも書いたが、田んぼ銀座とよばれる場所である。下手な代かきをしていると、耕耘機の回転速度が速すぎる、耕耘深度が深すぎるとか、排水管のふたが閉まっていないとか、コース取りが不適切であるとか、周りの人達がわざわざ自分の作業を止めてアドバイスをしてくれるのである。実に有り難い。

  水路整備などで顔を合わせているとはいえ、町中では有り得ない風景であろう。こちらはまだ相手の名前も、どの田んぼの所有者であるかも全く知らない。しかし、相手は全てをご存じの様子で、もう一枚の田のやり方まで教えてくれる。情報戦で完全に敗北しているようだ。

  人によっては、ここでは稲を作るより、野菜を作った方が収益が上がると、経営指導までしてくれる。もちろん、全部の意見を無定見に受け入れるつもりはない。私には私の考えがあり、私の計画がある。しかし、私の目論見は現場を知らないが故に、机上の空論的な部分があることも否めない。近所の人々の意見は、そこを的確に指摘し、補ってくれるのである。知識と知恵の違いを感じながらの生活は適度に刺激的である。さらに、無知に起因するあほらしい作業をやってしまったとしても、飯はうまいしビールもうまい。

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飛翔というには?

  田舎の家は取り壊された。色々と取り込み中で、いま住んでいる家の庭は藪に近い。日曜の早朝、脚立に乗って剪定を始めた。柿の木は折れやすい。実に簡単にポキッといく。従って、柿の木に重心をかけることは決してしない。その点、杏の木は堅くて丈夫である。剪定用のはさみでも、ちょっと大きな枝は切れない場合がある。去年の剪定にミスがあって今年の杏は余り成っていない。内向枝を切り、徒長枝をつめて何とか剪定が終わった。あと1本枝を落として終わりだなと思い、横の枝に手をかけた瞬間、枝が消えた。見事に脚立から飛び立ったらしく、気が付いたら脚立と一緒に地面に横たわっていた。羽ばたく暇もなかった。脚立から落ちて死亡などという新聞記事を散見するが、こういうことかと実感した。

  落ちた枝を見てみると、丁度枝分かれした部分が腐っていたようだ。大した怪我はしていなかったのが幸いである。DIYの店で買ってきた4脚の脚立は安定が悪い。プロ用の3本足の脚立を使うべきであった。ちなみに、高さ2 m のところから落ちたときの落下速度を計算すると、秒速約6 m、時速に換算すると20 Km程度で、落下時間は0.64秒程になる。

  1日経った。落ちた直後は左脇腹と頭部の擦り傷以外何ともなかったが、今朝起きると少々首が痛い。どうやら右側の胸骨頭筋と鎖骨頭筋を痛めたらしい。両方の筋肉が少しだけ怒っている。まあ数日、余り動かさずに様子を見てみることにしよう。

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設計士泣かせ

  何故だか分からないが、ともかく家を建て始めた。よくもまあその歳でというのが、多くの人の感想らしい。確かにそうだと私も思わないでもない。バカバカしい出費である。先日、設計士の人と話したのだが、どうもこの家は設計がやりにくかったといわれた。理由を聞くと、希望・要望がないという点にあるという。依頼する方が、ああしたい、こうしたいと云われれば色々とアイデアが出るのだが、あなたは適当にしてとしか云わない。そこがやりにくかったという。

   私にしてみれば、設計については全くのど素人、あれこれ云ってもきっと的外れだろうなと思っていた。壁板は杉にしますかヒノキにしますかと聞かれても、スギ板の色もヒノキの板の堅さも色合いもイメージできない。どっちでも良いというわけではなく、設計士さんの良いと思う方にしてくださいと答えるしかない。彼に云わせると、それでは彼の好みの家にしかならないではないかと云うのである。

  しかし、世の中で家を買う人のかなりの部分は建て売り住宅を買う、マンションであっても同様であろう。間取りなんて、初めから決まっている。とすれば、信頼した設計士と建築業者にまかせるという判断で良いのではないか。建った家に住み、「ああ、ここはうまく考えたな、なるほどこんな意図を持ってこの部分の設計はされているな」などと、家を介在にして建てた人々との会話が長くできるではないかと思っている。

  もう一つ理由がある。定年間際になって、楽しんで入れ込んで家を建て、建ったところで力尽きた方々を何人も知っている。家を建てるのは目的ではなく、建てた後の生活のなかに本来の目的がある。残り少なくなってきた気力と体力を、温存しておかねばなるまい。

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