設計士泣かせ

  何故だか分からないが、ともかく家を建て始めた。よくもまあその歳でというのが、多くの人の感想らしい。確かにそうだと私も思わないでもない。バカバカしい出費である。先日、設計士の人と話したのだが、どうもこの家は設計がやりにくかったといわれた。理由を聞くと、希望・要望がないという点にあるという。依頼する方が、ああしたい、こうしたいと云われれば色々とアイデアが出るのだが、あなたは適当にしてとしか云わない。そこがやりにくかったという。

   私にしてみれば、設計については全くのど素人、あれこれ云ってもきっと的外れだろうなと思っていた。壁板は杉にしますかヒノキにしますかと聞かれても、スギ板の色もヒノキの板の堅さも色合いもイメージできない。どっちでも良いというわけではなく、設計士さんの良いと思う方にしてくださいと答えるしかない。彼に云わせると、それでは彼の好みの家にしかならないではないかと云うのである。

  しかし、世の中で家を買う人のかなりの部分は建て売り住宅を買う、マンションであっても同様であろう。間取りなんて、初めから決まっている。とすれば、信頼した設計士と建築業者にまかせるという判断で良いのではないか。建った家に住み、「ああ、ここはうまく考えたな、なるほどこんな意図を持ってこの部分の設計はされているな」などと、家を介在にして建てた人々との会話が長くできるではないかと思っている。

  もう一つ理由がある。定年間際になって、楽しんで入れ込んで家を建て、建ったところで力尽きた方々を何人も知っている。家を建てるのは目的ではなく、建てた後の生活のなかに本来の目的がある。残り少なくなってきた気力と体力を、温存しておかねばなるまい。

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