過剰と蕩尽 7

 少し脱線気味だが、いま暫くは本道を外れた獣道を進むことにする。38億年前が本当であるか、それよりももっと遡った40億年前であるかは別にして、地球という惑星が生まれた後、思いがけないほど短期間に原初の生物が出現したことは間違いなさそうである。このシアノバクテリアが出現する以前に出現していた嫌気的原核生物群は、酸素の影響を殆ど受けていない。とはいえ、まだオゾン層が成立していないため太陽から放射される紫外線は地表にまで達していた。この紫外線による水の光分解が起こり、大気中には3x10-5 bar 程度の酸素が存在したと推定されている。従って、この時代に生息していた嫌気性細菌類にあっても、酸素傷害防御機構としてスーパーオキシドディスムターゼ(SOD)から連なる活性酸素防御機構を持っていたと考えられている。これは現存する嫌気性菌のうち最も古いと考えられる発酵性嫌気性菌でも、SOD、カタラーゼ、ペルオキシダーゼを持つ細菌が多いだけでなく、メタン細菌、嫌気性硫酸還元菌、光合成イオウ細菌においては好気性菌に近い量のSODをもっていることからも推測できる。しかしながら、彼らが耐えなければならなかった酸素分圧は現在の酸素分圧の一万分の一程度 にすぎず、シアノバクテリアが出現した後の生物が処理しなければならなかった酸素毒性とは量的にも質的にも全く違ったレベルにあったと考えて良い。

 さて、いままでの常識に従えば、原初の生物は前生物的に作られていたペプチドや糖に依存するheterotrophic な生物であったとされる場合が多い。しかし、ひょっとすると地殻内で地球内部から湧き上がってくる硫化水素や炭化水素などに依存するautotrophicな生物であった可能性も否定できない。私個人としては、後者の可能性の方により大きな魅力を感じている。

 先にも述べたが、heterotrophic な生物とautotrophicな生物、日本語にすると従属栄養生物と独立栄養生物は、全く違う生き方をする生物であるように受け取られがちだが、依存する物質やエネルギー源の複雑さの程度が違うだけである。生命維持に必要な物質・エネルギーを環境中から取り入れ、不要な物質を環境中へ捨てるという点において、両者の生きるロジックに違いは存在しない。

 もし、原初の生物が、前生物的に作られていたペプチドや糖に依存するheterotrophic な生物であった場合、この原初生物が栄養物として取り込む前生的物質群の濃度は一定であったはずはなく、場所によって、時期によってその濃度は一定ではなかったに違いない。現生生物と同じように、原初の生物もまた飢餓と飽食の間で生活していたはずである。従って、原初生物は飢餓に対する耐性とともに、飽食に対する耐性を獲得する必要があったと考える。ただし彼等がプレビオティックに作られていた糖やペプチド等に依存していたとすれば、飽食の期間がさほど長く続くような場面は考え難い。

 一方、生体構成成分の原料とエネルギー源を地球内部から湧き上がってくる物質群に依存するautotrophicな生物であったとすれば、飽食の期間が長く続いた可能性を否定できないだろう。熱水噴出口からわき出す熱水と周囲の海水中に含まれる無機物をエネルギー源として成立している生物群集の豊かさをみると、そこには飽食という言葉が当てはまるような状況があると考える。

 平成25年の12月、東北大学とコペンハーゲン大学の共同研究によりグリーンランド・イスア地域に産する38億年前の堆積岩中に、微生物が棲息していたことを示す証拠のあることが報告された。(Evidence for biogenic graphite in early Archaean Isua metasedimentary rocks.[Nature Geoscience,7,(2014),25-28] Yoko Ohtomo, Takeshi Kakegawa, Akizumi Ishida, Toshiro Nagase & Minik T. Rosing)つまり38億年前に形成された堆積岩を観察対象として選び、その中に生物由来の黒鉛(グラファイト)を見つけたという話である。報道機関に配られたレジュメには38億年前と書いてあり、原著論文にはat least 3.7 billion years ago(少なくとも37億年前)と書いてあるためどちらを選ぶべきか些か迷ったが、とにかく37億年以上前に生物がいたと云う結果が得られたというわけである。それはそうとして、露頭として現れた38億年前の堆積岩の、どこをどのように探したら生物由来のグラファイトが得られたのか。この報告に先行する多くの報告群に関しては、仲田崇志さんが作られた「きまぐれ生物学」というサイトに簡潔にまとめてあるので興味のある方はそちらを参照してください。(http://www2.tba.t-com.ne.jp/nakada/takashi/origlife/)

 まず、37億年も経ち、かつ変成を受けている岩石中から、原核生物自身の姿を探すのはなかなか困難なようである。そこで、研究者たちは岩石中に含まれているグラファイトに着目した。グラファイトには、地球化学的に形成されるものと、生物に由来して作られるものがあるが、両者は結晶構造の規則正しさや外形に差があり区別できるという。さらに、生物が質量数13の炭素 と質量数12の炭素からなる炭素化合物(二酸化炭素やメタンなど)を利用する際に、軽い同位体12Cを含む炭素化合物を優先的に取り込むことが知られている。そのため生物由来のグラファイトにおいては13C 含量が低くなる。(http://www.jrias.or.jp/books/pdf/201407_TRACER_KAKEGAWA.pdf)すなわち彼等は、西グリーンランドのIsua Supracrustal Beltと呼ばれる堆積岩中に生物由来と思われる形態を持つグラファイトを見つけ、このグラファイトの13C含量が、地球化学的に生成したと思われるグラファイトに比して低いという結果から、このグラファイトが生物由来であると判定したわけである。いわゆる一種の同位体化石に基ずく判断である。

 ここまでの推論に対して、いつも噛みついてばかりいる「いつも少数派」の私としても異論はない。この種のロマンにあふれた研究が大好きな私は、この研究グループに参加したかったと思うほどである。堆積岩中のミクロンサイズの黒鉛粒に、38億年前の生物の情報が眠っていたなどという話は実に楽しいではないか。ただし、一つだけ疑問を持っている。こうした研究をするヒトにとっては全く問題にならないとはいえ、この研究を含めこの種の論文の中で繰り返し使われる“生物由来のグラファイト”とは、生物の何に由来するのだろう。素直に読めば嫌気性微生物そのものを指すように思えるのだが?

過剰と蕩尽 8 に続く

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キアゲハの蛹化

 5月の初めにボリジと一緒にフェンネルの種をまいた。まずボリジが大きく育ち空色の花を付けた。一日中、マルハナバチがこの花を出入りしていた。梅雨になってしばらくすると、多分だが過湿が原因で急激に衰え枯れてしまった。ボリジが全盛期の頃、フェンネルはいまひとつ元気ではなかったが、7月に入って急速に大きくなり、花も咲き始めた。ボリジもだが、フェンネルも食べるつもりはない。フェンネルの花には多くの昆虫が集まるのである。それが楽しみで植えた。

 ところが、十日ほど前からフェンネルの葉っぱが減り始めた。原因は、キアゲハの幼虫である。最終令になった幼虫が十数匹、黙々と葉っぱを食べている。こいつらが全部さなぎになるには葉っぱが足りないのではないかと思ったが、成り行きに任せることにした。私が介入してどれかの幼虫を間引くのは自然界の摂理に合わないかもしれないと思った。

 そして昨日、あらためてフェンネルを眺めると、幼虫がいない。あそこまで育っていた幼虫を襲うとすれば、おそらくスズメバチであろう。(アシナガバチの可能性も否定はできないが)スズメバチは我が家の庭を、常に飛び回っている。先日は、飛んでいるツマグロヒョウモンを捕まえて、見る間に肉団子にしていった。それにしても、アゲハの幼虫は危機になると臭角を出し、イソ酪酸や2-メチル酪酸やそれらのエステルと数種の食草に由来するテルペン類を分泌して身を守るとされている。アリ類に対しては忌避効果があるという報告を読んだことがあるが、ハチ類に対してはどうなのだろう。その臭いによってハチが誘引される可能性がありそうな気がする。その場合、イソ酪酸は、アロモンであるのか、カイロモンであるのか。

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 そして今朝、よくよく眺めると1頭だけが蛹化に成功していた。自然界での生残率が極めて低いことは承知しているとはいえ、気分的にはいくぶん救われた気がする。但し、この蛹に寄生蜂が寄生している可能性はまだ充分に存在する。

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過剰と蕩尽 6

 団塊の世代は壊し屋である。奴らは日本の常識と伝統を壊し、社会通念を変え続けてきたと云われる。でもこれは正しくないだろう。1学年250万人を超えるほど人口があるが故に、この世代を消費ターゲットとしてきたファッション・音楽・旅行・マスコミ業界などが、必要以上に持ち上げ阿りながら、業界の利益に合うように誘導してきたことが原因であると思っている。もちろん、彼等の思うがままに誘導されてしまった責任を問われれば、ぐうの音も出ないのだけれど。

 そう、若かった頃、そうしたファッション誌にそそのかされて、友人たちとベルボトムジーンズを見に行ったことがある。スリムで足の長い外人が写ったポスターを横目に見ながら試着すると、裾が開く前に我々の足が尽きていた。なんと言うことはない、ジーンズ生地でできたもんぺである。短足胴長の日本人であることを身にしみて感じた。帰りの電車内、ジーンズとともにトールシューズを買った奴以外は、何となく口数が少なかった。

 さて、団塊の世代だからと云ってさほど他の世代と異なる人ばかりがいるわけではない。私が知る範囲に於いても、ごく少数の異常と思える人がいなかったわけではないが、大部分が小市民的穏健派である。穏和な私が、お前は過激派だと云われるほどに皆穏健である。

 とはいえ、その温和な私がこのブログに於いては、生化学の根幹に位置する解糖系を批判し、TCA回路を否定し、植物色素の考え方を否定し、いままたアルコール発酵、乳酸発酵の意義付けをも否定してしまった。

 可哀想なのはグルコースである。いままでこの分子はいろいろな代謝の出発物質として輝かしい中心的位置を占めてきた。しかし、私の解釈に於いてこの分子は、いわゆる解糖系からはみ出した盲腸のような扱いなっている。こうした否定の連続は、いくぶん過激な批判行動であると私自身も認めざるをえない。このままでは先行する概念を批判し崩壊させるだけの、過激な団塊の世代の行動と同じではないかと云う批判が当てはまりそうだ。この批判に答えるためには、批判し論破したと思っている概念群を超える包括的視座を提示する義務があるだろう。

 先に述べたが、生物の生産する物質の存在意義について、生産物から機能を抜き去ると時間的に後戻りとなる説明はできなくなる。従って、説明の根拠は生産物をつくり出す先行代謝の中に求めざるを得ない。簡単に言えば、いろいろな代謝の考察をする際に歴史的観点(時間軸)を導入することによって、否定した概念群に合理的解釈を与えようとする試みである。

 1965年、朝永振一郎博士は超多時間論と繰り込み理論による量子論への貢献が認められ、ノーベル賞を受賞した。高校生だった私は、いつかこの理論を理解したいと思ったものである。それから50年が経ち2015年になっているが、この理論はほとんど理解できない。悔しいが仕方がない。ただ、超多時間論とか繰り込み理論という言葉は、憧れとともにずっと記憶に残っていた。考えてみると、私の代謝理解は「時間繰り込み型代謝解釈論」と言えないこともない。名前が少し似ているだけではあるが、何となく嬉しい。一寸長くなりそうな前振りから始めることにする。

 我々が受ける生化学と云う学問に於いて、代謝と云われる物質変換系はいくつかのカテゴリーに分類されるが、これらの分類は余り体系的ではないように思われる。例えば、解糖系(ペント-スリン酸回路を含ませるかどうか)、TCA回路、酸化的リン酸化系路、アミノ酸代謝系、脂質代謝系、テルペン合成系、フェニルプロパノイド合成系、核酸代謝系などと命名されている系においては、現在の系の生産物、あるいは生産物が持つ意義らしきモノによって分類されているように見える。

 いま一つの分類は、一次代謝系、二次代謝系として、生命維持に対する系の重要さを基準に分類する方法である。(解毒代謝(系)はどちらに入るのだろう、独立させるのかな)。この際、生命維持にとって重要な系が、さほど重要とも思えない系とパッチ状に出現するため、説明に苦しむ状況に陥る場合が頻発する。

 最も理解に苦しむのがエネルギー代謝系と称せられるモノで、こう言ってしまえば何でもここに分類されるのではないかと危惧している。解糖系-TCA回路-酸化的リン酸化を全部含めてエネルギー生産系とし、ここでつくられるATPを使う系すべてをエネルギー消費系とすれば、何でも含まれてしまうような気がする。しかし、エネルギー生産系定義された系に含まれる素反応の中にはエネルギーを消費するモノが存在するし、エネルギー消費系と定義される系の素反応にはエネルギー生産反応が存在することになる。

 これは一つの提案に過ぎないのだが、代謝の分類において厳密な基準にはならないにしても時間的背景を組み込んだらどうだろう。非常に長いタイムスパンで考えた場合、生物で発達した代謝系は、生存環境に従って大きく2つに分けられるだろう。一つは生物誕生から酸素発生型光合成を行うシアノバクテリア出現に至るまでのほぼ絶対的嫌気条件下で発達した代謝系群であり、もう一つはシアノバクテリア出現後の好気的条件下で発達してきた代謝系群である。このように分けてやれば、いわゆる解糖系-私の云うTCA回路-TCA回路中のα-ケトグルタル酸グルタミン酸からプリン塩基・ピリミジン塩基-核酸代謝や、いわゆる解糖系-私の云うTCA回路-TCA回路中の2-ケトグルタミン酸からグルタミン酸-アミノ基転位を通してタンパク質代謝系、あるいはグルコース-6-リン酸からペントースリン酸系路を通るD-リボース、リボヌクレオシドジリン酸から2’-デオキシリボヌクレオシドを通って流れる核酸代謝などが前者に相当する。これらの代謝群は、絶対的嫌気条件下で発生し進化してきた微生物群の体内で創造された代謝群である。現生多細胞生物の細胞においても、酸素分圧の低い核やその周辺で機能している嫌気的な代謝系である。まだ完璧な照合をしたわけではないが、一般的に一次代謝と云われている代謝群がこれに当たると考えている。

 我々が、生存するために酸素を不可欠とする生物であることから、嫌気的条件下で生存する生物を下等で原始的な生物として捉える傾向があるようだが、彼等の方が我々よりもはるかに長い歴史を持つ。複製・転写・翻訳・解糖(ペントースリン酸経路を含む)・グルタミン酸合成(敢えてTCA回路とは云わない)・アミノ酸代謝・ピリミジン・プリン代謝など生物として生きていくのに不可欠な根源的代謝群は、彼等が作り上げたもので、真核生物を創った共生を通して我々の細胞にも引き継がれている。つまり酸素なしの状況下において、命を全うし次世代の再生産を行う嫌気的生物は完成の域に達していたわけであり、彼等の時代は38億年ほど前から絶えることなく現代へと続いている。

過剰と蕩尽 7 に続く

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農薬選択

 カキ畑の草取りも3回目が終わった。そろそろ、3度目の殺虫剤・殺菌剤の散布をしなければいけない時期である。対象はカメムシ類、カキノヘタムシ、フジコナカイガラムシそして炭疽病が対象となる。いつものS商店から殺虫剤としてはスプラサイド、殺菌剤としてはキノン銅フロアブルを購入していたのだが、梅雨末期に2つの台風が来たため散布のタイミングを失っていた。2つめの台風がごく近くを通って消滅した後、さあ散布と畑に出たら、となりの畑でナシの収穫が始まっていた。これは困った状況である。ちょっと手抜きをしようと考えて選んだスプラサイド、殺虫成分はメチダチオンと呼ばれる有機リン剤である。スプラサイドはナシに対しても使用可能だが、無袋栽培では散布後21日経たないと収穫できない。私がカキ畑にこの薬を撒いて、もし散布液が隣にドリフトした場合、ポジティブリスト制度の下では違反となる可能性がある。いつも風向きを考え、散布するときの位置を考えて、隣の畑に飛ばないように気をつけてはいるが、突然風向が変わればポジショニングは無意味になる。

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 カキの防除歴を見ながら、薬剤の選定のやり直しである。妥協の産物としてアルバリンを選んだ。この薬はカキとナシに農薬登録があり、散布後1日で収穫ができる。そう云う意味では都合が良い。 ただ、このアルバリンの成分であるジノテフランはネオニコチノイドに属する殺虫剤で、ミツバチに対してかなり高い毒性を示す。この化合物の殺虫スペクトルを考えれば4月頃に使いたいものだが、4月はカキの開花期、ミツバチの訪花が盛んな頃であるため使用を控えていたモノである。いまなら、カキ園に花はなく、ミツバチはほとんど飛来しない。

 こんなことを考えながらの農薬選択、撒かずに済めば最高なのだがカメムシとカイガラムシは間違いなくいる。カメムシが果実から吸汁すると果実の変形が起こり商品価値が激減する。カイガラムシも手を抜くと樹勢が落ちるほど増殖する。初期の処理剤として、バチラス スブチリスやバチラス チューリンギエンシス製剤を使い、可能な限り他の生物に影響が出ないようにしてきたが、真夏のこの暑さのもとで急激に数を増すカメムシをコントロールするためには、仕方がない。

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ああ、帝国ホテルマーガリン

 有機化合物の中には、分子式が同じであっても構造が異なる化合物群はいくらでも存在する。そうした関係にある化合物群を異性体という業界用語で表すのだが、この異性体にもいろいろな種類が存在する。高校の化学に於いて一応教えられてはいるのだが、幾何異性体、光学異性体といわれて、すぐに説明できる人はあまり多くはない。

 構造異性体を含めて、それぞれの説明は他に譲るとして、ここでは炭素-炭素間の二重結合に由来する幾何異性体、正式にはcis-trans異性体について少し述べてみたい。繰り返しのようだが、この異性は炭素炭素間の二重結合の性質に由来する。余りに初歩的な話をするのはこのブログの読者に対して失礼に当たるだろう。そこで、二つの炭素上にある混成に参加していないp軌道の間で成立しているπ結合の性質故に、炭素-炭素を軸とする回転ができないことを既知の知識として扱うことにする。高校に於いては、この幾何異性の例としてマレイン酸とフマル酸を採用する場合が多かった。

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シス-トランス異性体の例

 記憶が定かではないが、2-ブテンを例として採用した教科書があったような気もする。cis-trans異性体は、二重結合に対して主鎖となる炭素骨格が同じ側にある場合をcis体、反対側にある場合を trans体としている。IUPACで定められている置換基の順位則を用いて、この定義をもう少し拡大したEZ表示法が上位規則として存在するのでどこかで目を通しておいて下さい。

 そこでcis-trans異性体の話だが、構造が違うのだから当然それらの性質も異なる。マレイン酸のpKa 1、 pKa2は、それぞれ1.84 、5.83 フマル酸の pKa1、pKa2は、それぞれ3.07、4.58 であるし、マレイン酸は加熱すると容易に無水マレイン酸を形成するが、フマル酸は昇華してしまう。水に対する溶解度も違うし、融点も違う。従って、生物に対する作用も異なるわけである。アブシジン酸であっても2- cis体が植物ホルモンとして働くのであって、2- trans体はそうではない。生物にとってcis-体とtrans体は別のモノである。

 酵素の活性部位や情報伝達系で働く受容体の多くが、cis-trans異性体だけでなく、もっと似ているように見える光学異性体を識別するのだから、cis-trans異性体間で生理活性に差があっても何ら不思議ではない。とはいえ、いま騒がれているトランス脂肪酸問題は、どこに問題があるのかいまひとつ理解できない。ようやく来たかとニンマリしている読者もいると推察するが、誰が何の目的でこの騒ぎを煽っているのか理解に苦しんでいる。

 原因の1つはtrans 脂肪酸にある。trans 脂肪酸とは何であるかについて、何となく分かり難いのである。ヒトが摂取する不飽和脂肪酸には、多くの種類がある。例えば、ミリストレイン酸《(Z)-tetradec-9-enoic acid》、パルミトレイン酸《(Z)-hexadec-9-enoic acid》、オレイン酸《 (Z)-octadec-9-enoic acid》、バクセン酸《(Z)-octadec-11-enoic acid》、ガドレイン酸《(Z)-icos-9-enoic acid》、エイコセン酸《(Z)-icos-11-enoic acid》、エルカ酸《 (Z)-docos-13-enoic acid》など1つの二重結合を持つ不飽和脂肪酸類、リノール酸《(9Z,12Z)-octadeca-9,12-dienoic acid》、エイコサジエン酸《(11Z,14Z)-icosa-11,14-dienoic acid》、ドコサジエン酸《(13Z,16Z)-docosa-13,16-dienoic acid》など2つの二重結合を持つ不飽和脂肪酸類、α-リノレン酸《(9Z,12Z,15Z)-octadeca-9,12,15-trienoic acid》、γ-リノレン酸《(6Z,9Z,12Z)-octadeca-6,9,12-trienoic acid》など3つの二重結合を持つ不飽和脂肪酸類だけでなく、4つの二重結合を持つアラキドン酸やステアドリン酸、5つの二重結合を持つエイコサペンタエン酸やイワシ酸、6つの二重結合を持つドコサヘキサエン酸やニシン酸、等々である。

 一つの二重結合は一対のcis-trans異性体をもたらすことから、異性体の数はモノ不飽和脂肪酸では2、ジ不飽和脂肪酸では4、トリ不飽和脂肪酸では8、テトラ不飽和脂肪酸では16、5つの二重結合を持つペンタ不飽和脂肪酸では32、6つの二重結合を持つペンタ不飽和脂肪酸では64となる。的屋の云う1枚が2枚、2枚が4枚、4枚が8枚・・・・の世界である。さらに、1つの食物に1種の不飽和脂肪酸が含まれているわけではなく、何種も含まれている。さらにさらにだが、各不飽和脂肪酸の生物に対する効果も千差万別であろうことは容易に推定できる。トランス脂肪酸と云う括りは、どのようになっているのかが何とも分かり難い。

 もう一つの原因は、こうした把握が難しいトランス脂肪酸が、心筋梗塞、狭心症、気管支ぜんそく、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎、認知症やパーキンソン病、さらに高血圧、糖尿病をも引き起こすという障害側の多様さにある?一説では、LDL(悪玉)コレステロールを上昇させ、HDL(善玉)コレステロールを低下させる効果もあるそうだ??(この咄にとって都合の悪い話だが、動脈硬化学会は、今年の5月に生活習慣の改善(たとえば油を控える)では、コレステロール値の改善はできないと発表している。(http://www.j-athero.org/outline/cholesterol_150501.html 参照)

 まあ過剰に摂取した場合の問題という但し書きはあるにしても、トランス脂肪酸の種類が多すぎるだけでなく、引き起こす疾患の種類も多岐にわたる。疫学的な調査の結果であると云われるかもしれないが、ごく最近まで「植物性脂肪は体に良く動物性脂肪は良くない」とされきた“常識”を否定するものである。だが、この“常識”もまた、何らかの実験あるいは調査を基盤としていたのではないのか。この部分の検証・評価なしに、突然、ちゃぶ台をひっくり返すような説明をされても、「この裏には何があるのかな」などとつい邪推しまうのである。そう云えば近頃バターが不足している。TPP絡み? いえ、別に政治の話をしているのではありません。

 動物性の脂質は体に悪いと言われてきた頃、私はバターを食べ続けていた。大した量を食べるわけではない。人生も、先がそれほど長いわけではないだろう。旨い方を食べ過ぎない程度に楽しんで食べればよい。厚生労働省が、ささやかな個人的嗜好に口を挟みすぎることの方がおかしいと思っていた。もっと大事なことがあるでしょう。心を入れ替えて働きなさい。(更正労働省とはそんな意味?)そんな私が、トランス脂肪酸の問題が話題になり始めた頃に考えを変えた。マーガリンにしたのである。

    子供の頃、給食には半分溶けたマーガリンしか出なかった。家庭でもバターモドキのマーガリンを食べ続けてきた。高校時代の弁当には、マーガリンを引いて焼いたベビーハムがはいっていた。浪人中、天神3丁目の下宿先で食べた朝食、高校生だった下宿先のお嬢さんが出してくれた、マーガリンをタップリ塗ったトーストの味をまだ覚えている。団塊の世代の青春とともにあったマーガリン、憧れの「帝国ホテルマーガリン」、それをあやふやなデータを基に貶めるとは何事だと考えたにすぎない。そしていま、いつも少数派の冷蔵庫には、「バターのようなマーガリン」が鎮座している。(田舎のスーパーには、帝国ホテルマーガリンはおいてないのです)

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