過剰と蕩尽 4

 何故、酵母はエタノールを作り、乳酸菌は乳酸をつくるのか。この答えは多くの学部生でもご存知である。「解糖系について知見を述べよ」などと云う試験問題に対して、ちょっと気の利いた学生であれば次の答えを書くであろう。では、その程度の問題がなぜ意味を持つのか。

 先にも述べたが、教科書的解糖系はグルコースに始まりピルビン酸を終点とする嫌気的条件下で起こる代謝系である。つまり、グルコースが解糖系を通って分解を受けると、2分子のATPと1分子のNADH2(NADH+H+)が生産されることを意味する。ATPは彼等が生きるためのエネルギー源として必要であるにしても、還元剤であるNADH2は作りすぎるということになる。大学レベルの生化学の授業に於いては、作りすぎたNADH2がそのままでは、解糖系がスムースに機能しない。従って、ピルビン酸を脱炭酸して生成するアセトアルデヒドをエタノールに還元する際の還元剤としてNADH2を使い、この問題を回避していると教わるわけである。そしてグルコースからエタノールまでの糖分解系をアルコール発酵(エタノール発酵)と称するのである。(下図参照)

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解糖系に続くアルコール発酵と乳酸発酵

 乳酸発酵についても、全く同じ話が成立する。最後の段階を乳酸の生産に変えただけである。乳酸だけを生産するホモ乳酸発酵に於いて、グルコースは解糖系を通ってピルビン酸まで代謝される。2分子のATPと1分子のNADH2が生産されることも同じである。当然1分子のNADH2が余るわけだから、これをピルビン酸の還元に使って、解糖系におけるNAD(NAD+)の要求に応えることができると教えられる。そして、このグルコース1分子から乳酸2分子だけを生産する糖分解系をホモ乳酸発酵と称するのである。ストレプトコッカスやラクトコッカスあるいはラクトバチルスの一部などがこの系を駆動している。とはいえ、培地の栄養状態や存在する酸素量などに影響を受け、完全に2分子の乳酸が生成するわけではないようだ。

 少しレベルが上がって、乳酸発酵そのものを研究対象にするレベルに達すれば、ヘテロ乳酸発酵という系路の存在が視野に入ってくる。ヘテロの乳酸発酵を行う細菌はL. delbrueckiiL. acidophilusL. caseiなどのラクトバチルス属細菌やLeuconostoc属細菌などで、1分子のグルコースから1分子の乳酸と1分子の2酸化炭素、そして酢酸やエタノールを生産する。(知らなかったのだが、L. acidophilusL. caseiはホモの乳酸発酵を行う菌ではなかった。)Lactobacillus casei ATCC334が行うヘテロの乳酸発酵は、一応、下に示すようにペントースリン酸経路の一部を通って進行することになっている。

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 そうすると、ATPの消費はグルコースからグルコース-6-リン酸の段階で起こり、ATPの生産は1,3-ジホスホグリセリン酸から3-ホスホグリセリン酸とホスホエノールピルビン酸ピルビン酸の段階で起こる。従って、正味のATP生産は1分子となると書いてあるようだ。

 しかし、生成物が酢酸となる場合であれば、もう1分子のATPが作られるという記述も可能かも知れない。なぜならばこの菌はD-キシルロース-5-リン酸のレトロアルドール縮合産物であるアセチルリン酸からATPを生産しながら酢酸を生成する系を持つからである。但し、加水分解でリン酸を作りながら酢酸を作る系も持っている。通常は、アセチルリン酸からエタノールを作る系を乳産生成系と組み合わした場合に対して、ヘテロ乳酸発酵という概念が成立すると考えるべきなのだろう。代謝系とは興味を持った出発物質と生産物を恣意的につなぐモノであるから、それはそれで認めても良い。ただ、少し困ることがある。NADの問題である。乳酸とエタノールを生成物とするヘテロ乳酸発酵に於いて、1分子のNADH2とNADPH2が生産されるのだが、2分子のNADH2と1分子のNADPH2またはNADH2が消費される。そうすると、差し引き1分子のNADPH2またはNADH2が不足してしまうのである。ヘテロ乳酸発酵に於いては、先に述べたホモ乳酸発酵の起こる理由が否定されてしまうではないか。

 ヘテロの乳酸発酵を一旦無視すれば、エタノール発酵とホモ乳酸発酵においては、ATP生産を続けるために解糖系の最終産物であるピルビン酸をエタノールあるいは乳酸へと還元にNADH2を使いNADの再生を行っていると云う説明が成立しそうに見える。多くのヒトがこれで納得というか満足というか、とにかく説明がついたと考えているようだ。私が会った大多数の人々がそうであった。教科書にもそう書いてある。いつも少数派の私だってそう考える。あれ、いつの間に私は多数派になったのだろう?

 しかしながら、気付かれることはほとんどないのだが、きわめて重大な問題が残っている。上記の説明について、私がそう考えても矛盾は生じない。しかし、他の人々がこの説明をするとすれば、論理的に破綻してしまうからである。私は、ある物質が作られる理由は作られるプロセスの中にあると言い続けてきた。多くの人は、作られた物質の機能を基に作られる理由を説明してきたではないか。抗生物質は他の菌の生育を押さえるためにつくられると云う説明の時間論理を踏襲するとすれば、エタノールも乳酸もそれらの持つ機能から説明すべきであろう。つまり、「エタノールも乳酸も、他の菌の生育を阻害し、周囲の栄養分を確保するために生合成される」とすべきではないか。そうでないと、事前と事後の事象を恣意的に採用するアドホックな解釈であるとする批判に耐えられないと考えるのだがどうだろう?

 どなたかが、明確で整合性のある反論をして私を納得させていただければ、こんなことで悩む必要はないのだが、いまに至るまでこんな鬱陶しい議論にまともに対応してくれる人には出会えなかった。こんな意識を持ちながら、常識的な生化学の講義をシラバス通りに行ってきた日々は、次第に記憶の深みへと遠ざかっている。

過剰と蕩尽 5 に続く

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