台風15号被害

 台風15号がようやく去った。近頃、台風だけでなくいろいろな気象庁の予報があまりにもエキセントリックであったため、一昨日まではまたかという気分で聞いていた。昨日、改めて予想進路と強度を見て、今回は高を括るわけには行かないと判断した。分厚く育っていたニガウリの棚を分解し、風で飛ばされそうなものを片づけた。今朝、5時頃から急に風が強くなり、2時間ほど吹き続けた。隣地の竹林が揺れ、通常は風に強いという直径10cmを超える竹が折れた。竹の葉が千切れて庭に降り注いできた。いやはや、近年まれに見る暴風雨を経験した。

 住んでいる浮羽付近はフルーツの里として知られている。これからフルーツ観光の季節であったのだが、かなりの被害が出ている。下の写真は近くのナシ園の写真だ。ブドウ園もかなりな被害があるようだ。

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雨中の撮影で水滴がレンズについている。落ちたナシの商品価値は激減する。

 こうした被害を見ながら、私のクリ園に向かったのだが、折れた木で道が塞がれている。

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枝を片付けないと先に進めない
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枝を解体して片付けた後の写真だが、片付けた枝は今後処理しなければならない

 持ってきたチェーンソーで落ちた枝を解体しながらクリ園に到着した。何とも言いようのない程の被害である。昨年に続いて、今年もクリの収穫はナシに近いだろう。あと一月で収穫だったのに。

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幹の直径が20cm位のクリ、カミキリムシの寄生だけではなくクリ胴枯病にもかかっていたようだ。
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道路脇に植えていた栗の枝が道を塞ぐ

 ようやくなり始めていた渋柿も、無残な状況である。実どころではなく、枝が残っていない。さて、この株を残すべきか否か?

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 現金収入の道が、いよいよか細くなってきたようだ!! 今日は、別種の株を持っていたら、大変なダブルパンチになっていただろう。

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過剰と蕩尽 8

 以前にも書いたが、私はカール・マンハイムの影響をかなり受けているようだ。どんな思想も、考える人の立場や時代に拘束されているという「思想の存在被拘束性」が、科学的な発想の場面においても適用できると考えているのである。例えば、ある時代にヒトが生存していたことが化石から証明されたと云う場合、ヒトは何を考えるか。一昔前のヒトであれば、ああ人骨がでたのだなとか、明らかにヒトが作ったと思われる遺物あるいは遺跡が発掘されたと受け取るであろう。いまの分子生物学者であれば、材料は何であれヒトの遺伝子が確認されたと考えるかも知れない。(チンパンジ−ではないという証明は難しいかも知れないが)

 ここでヒトの糞に由来する化石(糞石)がでたと考える人がいるとすれば、かなり、いや相当以上に変わった「極少数派」に違いない。ヒトが、ティラノザウルスが、始祖鳥が、三葉虫が化石になったと云うとき、骨(外骨格も含む)を考えずに、どこにあるかさえ分からない彼等の糞石を考えるヒトはどんな人だろう。是非、会ってみたいものである。もちろん真面目に糞石の研究を行っている研究者がいることは知っている。ヒトの糞石に関しては、すでに人が住んでいたと確定している住居遺跡で発掘された糞石から、食性、健康状態、寄生虫の有無などを観察しており、その行動は充分に合理的である。

 では植物の化石はどうか?一部の石炭は、昔の植物が土に埋まって炭化したものであるというけれども、植物体と云われる部分の中で、生きた植物細胞が占める割合はどれくらいかと考えると、先の話を笑って切り捨てるわけにはいかなくなってくる。草本類の場合はさほど目立たないが、大きな木の化石を考えると困ったことになる。木本類において、生きているのは樹皮のすぐ下にある形成層の部分と、その外側にある内樹皮、そして形成層から内側に向かって形成されたばかりの導管部分にすぎない。樹木の大部分を占める辺材部分と心材部分では、死んだ細胞の内容物は抜け去ってリグニンが沈着し肥厚した細胞壁だけからできている。そうすると、植物由来の石炭の大部分は、植物細胞が生合成して細胞膜外にため込んだセルロースとヘミセルロースとリグニンが化石化(炭化)したものと言える。

 これをヒトに対応させると困ったことになる。生まれてから剥がれ落ちていった皮膚(垢)や消化管の粘膜上皮細胞、抜け落ちた体毛などが、化石化したことと同じであろう。消化管の粘膜上皮細胞であれば、ウンコの成分である。結局のところ、常に分裂を続けている細胞群が、働いた後に死んで行く細胞群を体の外側に形成するか内側に形成するかの差にすぎない。我々の祖先は、生きてきた歴史とも言える死細胞群を捨て去ることで身軽に動き回る動物という生き方を選んだ。しかし、それ故に捨てられた細胞群の残渣が化石化するという実感を持ちえない。まさに「思想の存在被拘束性」、いや「発想の存在被拘束性」を実証するものではないだろうか。

 何が言いたいのかと訝っている読者もいると思うが、微生物は裸で浮遊しながら生きているわけではない。何らかの場所に、コンディショニングフィルムと呼ばれる敷物を敷いてその上に定着する。定着した微生物が増殖していく場合、隣の微生物とべったり接触して増殖するかといえばそうではない。そんな満員電車みたいな接触を認めるのは、本能を喪失したヒトくらいである。彼等は、EPS(extracellular polysaccharide)と呼ばれる多糖を分泌して粘性のある膜を形成し、その膜の中で相互に品よく距離を取りながら次第に大きなコロニーを形成していく。熱水噴出口に存在するチムニー周辺の分厚い微生物マットをイメージすれば良く、ストロマトライトの嫌気条件版と考えてもいいだろう。このマットは、微生物が分泌する多糖類に由来する粘性のある膜で覆われるが故に、微細な泥などをくっつけながら生長するのだが、このマットの中で生きた微生物そのものが占める割合はさほど大きくはないと考える。ただ、このようなデータを記載した報告は読んだことがない。(微生物マットにおける生細胞の存在比をご存知の方がおられたら、是非教えて下さい)従って、以下の推論は独断であり、ストロマトライトや珊瑚礁からの連想にすぎないが、こう考えないと微生物そのものの集団から観測可能なグラファイトが生成されるとは思えないのである。つまり、数百年、あるいは数千年にわたって生長してきた微生物マットー多糖類の集積したものが、堆積する土砂に埋もれ、長期にわたる温度と圧力の下で炭化したものこそ、東北大の研究者がみたグラファイトであろう。

 それがどうした。だからどうだというのだ。回りくどい話ばかりしてというお叱りの声が聞こえそうである。私としては、上記の結論が、抗生物質・アルコール発酵・乳酸発酵といかなる接点持つのかを論じることで、この問いに答えようと考えている。

 次回のブログを公開する前に、少しだけ考えて欲しい。いわゆる抗生物質の発酵生産・アルコール発酵・乳酸発酵と云われるプロセスにおいて(グルタミン酸発酵でもいい、酢酸発酵でもメタン発酵でもよい)、すべての発酵に共通するものは何であるのか。

過剰と蕩尽 9 に続く

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過剰と蕩尽 7

 少し脱線気味だが、いま暫くは本道を外れた獣道を進むことにする。38億年前が本当であるか、それよりももっと遡った40億年前であるかは別にして、地球という惑星が生まれた後、思いがけないほど短期間に原初の生物が出現したことは間違いなさそうである。このシアノバクテリアが出現する以前に出現していた嫌気的原核生物群は、酸素の影響を殆ど受けていない。とはいえ、まだオゾン層が成立していないため太陽から放射される紫外線は地表にまで達していた。この紫外線による水の光分解が起こり、大気中には3x10-5 bar 程度の酸素が存在したと推定されている。従って、この時代に生息していた嫌気性細菌類にあっても、酸素傷害防御機構としてスーパーオキシドディスムターゼ(SOD)から連なる活性酸素防御機構を持っていたと考えられている。これは現存する嫌気性菌のうち最も古いと考えられる発酵性嫌気性菌でも、SOD、カタラーゼ、ペルオキシダーゼを持つ細菌が多いだけでなく、メタン細菌、嫌気性硫酸還元菌、光合成イオウ細菌においては好気性菌に近い量のSODをもっていることからも推測できる。しかしながら、彼らが耐えなければならなかった酸素分圧は現在の酸素分圧の一万分の一程度 にすぎず、シアノバクテリアが出現した後の生物が処理しなければならなかった酸素毒性とは量的にも質的にも全く違ったレベルにあったと考えて良い。

 さて、いままでの常識に従えば、原初の生物は前生物的に作られていたペプチドや糖に依存するheterotrophic な生物であったとされる場合が多い。しかし、ひょっとすると地殻内で地球内部から湧き上がってくる硫化水素や炭化水素などに依存するautotrophicな生物であった可能性も否定できない。私個人としては、後者の可能性の方により大きな魅力を感じている。

 先にも述べたが、heterotrophic な生物とautotrophicな生物、日本語にすると従属栄養生物と独立栄養生物は、全く違う生き方をする生物であるように受け取られがちだが、依存する物質やエネルギー源の複雑さの程度が違うだけである。生命維持に必要な物質・エネルギーを環境中から取り入れ、不要な物質を環境中へ捨てるという点において、両者の生きるロジックに違いは存在しない。

 もし、原初の生物が、前生物的に作られていたペプチドや糖に依存するheterotrophic な生物であった場合、この原初生物が栄養物として取り込む前生的物質群の濃度は一定であったはずはなく、場所によって、時期によってその濃度は一定ではなかったに違いない。現生生物と同じように、原初の生物もまた飢餓と飽食の間で生活していたはずである。従って、原初生物は飢餓に対する耐性とともに、飽食に対する耐性を獲得する必要があったと考える。ただし彼等がプレビオティックに作られていた糖やペプチド等に依存していたとすれば、飽食の期間がさほど長く続くような場面は考え難い。

 一方、生体構成成分の原料とエネルギー源を地球内部から湧き上がってくる物質群に依存するautotrophicな生物であったとすれば、飽食の期間が長く続いた可能性を否定できないだろう。熱水噴出口からわき出す熱水と周囲の海水中に含まれる無機物をエネルギー源として成立している生物群集の豊かさをみると、そこには飽食という言葉が当てはまるような状況があると考える。

 平成25年の12月、東北大学とコペンハーゲン大学の共同研究によりグリーンランド・イスア地域に産する38億年前の堆積岩中に、微生物が棲息していたことを示す証拠のあることが報告された。(Evidence for biogenic graphite in early Archaean Isua metasedimentary rocks.[Nature Geoscience,7,(2014),25-28] Yoko Ohtomo, Takeshi Kakegawa, Akizumi Ishida, Toshiro Nagase & Minik T. Rosing)つまり38億年前に形成された堆積岩を観察対象として選び、その中に生物由来の黒鉛(グラファイト)を見つけたという話である。報道機関に配られたレジュメには38億年前と書いてあり、原著論文にはat least 3.7 billion years ago(少なくとも37億年前)と書いてあるためどちらを選ぶべきか些か迷ったが、とにかく37億年以上前に生物がいたと云う結果が得られたというわけである。それはそうとして、露頭として現れた38億年前の堆積岩の、どこをどのように探したら生物由来のグラファイトが得られたのか。この報告に先行する多くの報告群に関しては、仲田崇志さんが作られた「きまぐれ生物学」というサイトに簡潔にまとめてあるので興味のある方はそちらを参照してください。(http://www2.tba.t-com.ne.jp/nakada/takashi/origlife/)

 まず、37億年も経ち、かつ変成を受けている岩石中から、原核生物自身の姿を探すのはなかなか困難なようである。そこで、研究者たちは岩石中に含まれているグラファイトに着目した。グラファイトには、地球化学的に形成されるものと、生物に由来して作られるものがあるが、両者は結晶構造の規則正しさや外形に差があり区別できるという。さらに、生物が質量数13の炭素 と質量数12の炭素からなる炭素化合物(二酸化炭素やメタンなど)を利用する際に、軽い同位体12Cを含む炭素化合物を優先的に取り込むことが知られている。そのため生物由来のグラファイトにおいては13C 含量が低くなる。(http://www.jrias.or.jp/books/pdf/201407_TRACER_KAKEGAWA.pdf)すなわち彼等は、西グリーンランドのIsua Supracrustal Beltと呼ばれる堆積岩中に生物由来と思われる形態を持つグラファイトを見つけ、このグラファイトの13C含量が、地球化学的に生成したと思われるグラファイトに比して低いという結果から、このグラファイトが生物由来であると判定したわけである。いわゆる一種の同位体化石に基ずく判断である。

 ここまでの推論に対して、いつも噛みついてばかりいる「いつも少数派」の私としても異論はない。この種のロマンにあふれた研究が大好きな私は、この研究グループに参加したかったと思うほどである。堆積岩中のミクロンサイズの黒鉛粒に、38億年前の生物の情報が眠っていたなどという話は実に楽しいではないか。ただし、一つだけ疑問を持っている。こうした研究をするヒトにとっては全く問題にならないとはいえ、この研究を含めこの種の論文の中で繰り返し使われる“生物由来のグラファイト”とは、生物の何に由来するのだろう。素直に読めば嫌気性微生物そのものを指すように思えるのだが?

過剰と蕩尽 8 に続く

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キアゲハの蛹化

 5月の初めにボリジと一緒にフェンネルの種をまいた。まずボリジが大きく育ち空色の花を付けた。一日中、マルハナバチがこの花を出入りしていた。梅雨になってしばらくすると、多分だが過湿が原因で急激に衰え枯れてしまった。ボリジが全盛期の頃、フェンネルはいまひとつ元気ではなかったが、7月に入って急速に大きくなり、花も咲き始めた。ボリジもだが、フェンネルも食べるつもりはない。フェンネルの花には多くの昆虫が集まるのである。それが楽しみで植えた。

 ところが、十日ほど前からフェンネルの葉っぱが減り始めた。原因は、キアゲハの幼虫である。最終令になった幼虫が十数匹、黙々と葉っぱを食べている。こいつらが全部さなぎになるには葉っぱが足りないのではないかと思ったが、成り行きに任せることにした。私が介入してどれかの幼虫を間引くのは自然界の摂理に合わないかもしれないと思った。

 そして昨日、あらためてフェンネルを眺めると、幼虫がいない。あそこまで育っていた幼虫を襲うとすれば、おそらくスズメバチであろう。(アシナガバチの可能性も否定はできないが)スズメバチは我が家の庭を、常に飛び回っている。先日は、飛んでいるツマグロヒョウモンを捕まえて、見る間に肉団子にしていった。それにしても、アゲハの幼虫は危機になると臭角を出し、イソ酪酸や2-メチル酪酸やそれらのエステルと数種の食草に由来するテルペン類を分泌して身を守るとされている。アリ類に対しては忌避効果があるという報告を読んだことがあるが、ハチ類に対してはどうなのだろう。その臭いによってハチが誘引される可能性がありそうな気がする。その場合、イソ酪酸は、アロモンであるのか、カイロモンであるのか。

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 そして今朝、よくよく眺めると1頭だけが蛹化に成功していた。自然界での生残率が極めて低いことは承知しているとはいえ、気分的にはいくぶん救われた気がする。但し、この蛹に寄生蜂が寄生している可能性はまだ充分に存在する。

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過剰と蕩尽 6

 団塊の世代は壊し屋である。奴らは日本の常識と伝統を壊し、社会通念を変え続けてきたと云われる。でもこれは正しくないだろう。1学年250万人を超えるほど人口があるが故に、この世代を消費ターゲットとしてきたファッション・音楽・旅行・マスコミ業界などが、必要以上に持ち上げ阿りながら、業界の利益に合うように誘導してきたことが原因であると思っている。もちろん、彼等の思うがままに誘導されてしまった責任を問われれば、ぐうの音も出ないのだけれど。

 そう、若かった頃、そうしたファッション誌にそそのかされて、友人たちとベルボトムジーンズを見に行ったことがある。スリムで足の長い外人が写ったポスターを横目に見ながら試着すると、裾が開く前に我々の足が尽きていた。なんと言うことはない、ジーンズ生地でできたもんぺである。短足胴長の日本人であることを身にしみて感じた。帰りの電車内、ジーンズとともにトールシューズを買った奴以外は、何となく口数が少なかった。

 さて、団塊の世代だからと云ってさほど他の世代と異なる人ばかりがいるわけではない。私が知る範囲に於いても、ごく少数の異常と思える人がいなかったわけではないが、大部分が小市民的穏健派である。穏和な私が、お前は過激派だと云われるほどに皆穏健である。

 とはいえ、その温和な私がこのブログに於いては、生化学の根幹に位置する解糖系を批判し、TCA回路を否定し、植物色素の考え方を否定し、いままたアルコール発酵、乳酸発酵の意義付けをも否定してしまった。

 可哀想なのはグルコースである。いままでこの分子はいろいろな代謝の出発物質として輝かしい中心的位置を占めてきた。しかし、私の解釈に於いてこの分子は、いわゆる解糖系からはみ出した盲腸のような扱いなっている。こうした否定の連続は、いくぶん過激な批判行動であると私自身も認めざるをえない。このままでは先行する概念を批判し崩壊させるだけの、過激な団塊の世代の行動と同じではないかと云う批判が当てはまりそうだ。この批判に答えるためには、批判し論破したと思っている概念群を超える包括的視座を提示する義務があるだろう。

 先に述べたが、生物の生産する物質の存在意義について、生産物から機能を抜き去ると時間的に後戻りとなる説明はできなくなる。従って、説明の根拠は生産物をつくり出す先行代謝の中に求めざるを得ない。簡単に言えば、いろいろな代謝の考察をする際に歴史的観点(時間軸)を導入することによって、否定した概念群に合理的解釈を与えようとする試みである。

 1965年、朝永振一郎博士は超多時間論と繰り込み理論による量子論への貢献が認められ、ノーベル賞を受賞した。高校生だった私は、いつかこの理論を理解したいと思ったものである。それから50年が経ち2015年になっているが、この理論はほとんど理解できない。悔しいが仕方がない。ただ、超多時間論とか繰り込み理論という言葉は、憧れとともにずっと記憶に残っていた。考えてみると、私の代謝理解は「時間繰り込み型代謝解釈論」と言えないこともない。名前が少し似ているだけではあるが、何となく嬉しい。一寸長くなりそうな前振りから始めることにする。

 我々が受ける生化学と云う学問に於いて、代謝と云われる物質変換系はいくつかのカテゴリーに分類されるが、これらの分類は余り体系的ではないように思われる。例えば、解糖系(ペント-スリン酸回路を含ませるかどうか)、TCA回路、酸化的リン酸化系路、アミノ酸代謝系、脂質代謝系、テルペン合成系、フェニルプロパノイド合成系、核酸代謝系などと命名されている系においては、現在の系の生産物、あるいは生産物が持つ意義らしきモノによって分類されているように見える。

 いま一つの分類は、一次代謝系、二次代謝系として、生命維持に対する系の重要さを基準に分類する方法である。(解毒代謝(系)はどちらに入るのだろう、独立させるのかな)。この際、生命維持にとって重要な系が、さほど重要とも思えない系とパッチ状に出現するため、説明に苦しむ状況に陥る場合が頻発する。

 最も理解に苦しむのがエネルギー代謝系と称せられるモノで、こう言ってしまえば何でもここに分類されるのではないかと危惧している。解糖系-TCA回路-酸化的リン酸化を全部含めてエネルギー生産系とし、ここでつくられるATPを使う系すべてをエネルギー消費系とすれば、何でも含まれてしまうような気がする。しかし、エネルギー生産系定義された系に含まれる素反応の中にはエネルギーを消費するモノが存在するし、エネルギー消費系と定義される系の素反応にはエネルギー生産反応が存在することになる。

 これは一つの提案に過ぎないのだが、代謝の分類において厳密な基準にはならないにしても時間的背景を組み込んだらどうだろう。非常に長いタイムスパンで考えた場合、生物で発達した代謝系は、生存環境に従って大きく2つに分けられるだろう。一つは生物誕生から酸素発生型光合成を行うシアノバクテリア出現に至るまでのほぼ絶対的嫌気条件下で発達した代謝系群であり、もう一つはシアノバクテリア出現後の好気的条件下で発達してきた代謝系群である。このように分けてやれば、いわゆる解糖系-私の云うTCA回路-TCA回路中のα-ケトグルタル酸グルタミン酸からプリン塩基・ピリミジン塩基-核酸代謝や、いわゆる解糖系-私の云うTCA回路-TCA回路中の2-ケトグルタミン酸からグルタミン酸-アミノ基転位を通してタンパク質代謝系、あるいはグルコース-6-リン酸からペントースリン酸系路を通るD-リボース、リボヌクレオシドジリン酸から2’-デオキシリボヌクレオシドを通って流れる核酸代謝などが前者に相当する。これらの代謝群は、絶対的嫌気条件下で発生し進化してきた微生物群の体内で創造された代謝群である。現生多細胞生物の細胞においても、酸素分圧の低い核やその周辺で機能している嫌気的な代謝系である。まだ完璧な照合をしたわけではないが、一般的に一次代謝と云われている代謝群がこれに当たると考えている。

 我々が、生存するために酸素を不可欠とする生物であることから、嫌気的条件下で生存する生物を下等で原始的な生物として捉える傾向があるようだが、彼等の方が我々よりもはるかに長い歴史を持つ。複製・転写・翻訳・解糖(ペントースリン酸経路を含む)・グルタミン酸合成(敢えてTCA回路とは云わない)・アミノ酸代謝・ピリミジン・プリン代謝など生物として生きていくのに不可欠な根源的代謝群は、彼等が作り上げたもので、真核生物を創った共生を通して我々の細胞にも引き継がれている。つまり酸素なしの状況下において、命を全うし次世代の再生産を行う嫌気的生物は完成の域に達していたわけであり、彼等の時代は38億年ほど前から絶えることなく現代へと続いている。

過剰と蕩尽 7 に続く

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