過剰と蕩尽 12

 生物はそもそも飽食という条件下に、過剰な生産能力をもってこの世界に出現した。この過剰生産能力こそが、生長と生殖と進化を支える基本的な能力であると考えるわけである。まず、この過剰生産力を可能とする環境、物質的基盤とエネルギー的基盤があったかどうかについて少し述べてみたい。

 最初に現れた原初の生物、この生物はどのような性質を持っていたか。まず偏性嫌気性で高い耐熱性を持ち、飽食に耐えることのできる微生物であったはずである。飽食に耐えると云っても大した問題ではなかったと思う。彼らはまだ微小な単細胞生物であり、多細胞化していたわけではない。もしある代謝物が過剰に生産されたとしても、いまだ未完成であった彼等の細胞膜は、過剰な代謝物を濃度勾配にしたがって細胞外へ排出したに違いない。同時に、代謝に伴って生成する熱は、彼等が微細生物であったが故にすぐに外部へと放散されたことは間違いないであろう。

 なんだか当たり前のことをしつこく繰り返しているような気がする。本人がそう感じるのであれば、他の人はもっと強く感じているかも知れない。そろそろ、過去30年余りの時間をかけて、何をどう考えてきたかを述べるべきであろう。

 まず原初の生物が、独立栄養的(autotrophic)な生物であったのか従属栄養的(heterotrophic)な生物であったのかを考えなければならない。 しばらく前までは、前生物的に集積した糖やアミノ酸や核酸塩基に依存した独立栄養生物であったと考えられていた、そして、この前提を基礎として代謝系構築の仮説が提出されていた。つまり、前生物的に合成され(地球上でなくてもよい)、蓄積されていた物質を用いて、従属栄養的に生きる生物群が、多様な可能性を求めて試行錯誤を繰り返す日々であったと考えたわけである。この間、明言されてはいないが、生物は潤沢な栄養条件にあったと考えられてはいないようだ。

 Horowitz が、1945年に提唱した代謝系の進化仮説もこの流れに乗っている。この仮説は、「地球化学的に合成され、蓄積されていた生体構成分子の原料が消費されていくに従って最初の飢餓が起こったと考える。その時、本来の基質の前駆体となりうる化合物を基質へと変換できる酵素を持ちえた生物が、淘汰的に有利であったであろう。前駆体も枯渇してきたとき、その前駆体へ他の化合物を変換できる酵素を持った生物が現れたに違いない。ここで前駆体は1種類とは限らないことから、多種の基質間で相互変換を触媒する酵素群が生まれ、代謝の net work が成立した。従って代謝経路は、最終産物から中心代謝へと、代謝の流れとは逆方向に伸長していった。」これが Horowitz の代謝起源説である。生物の出現などについて余り真剣に考えていなかった私も、20年程前まではこの代謝系進化についての仮説を概ね正しいと考えていた。つまり、生物が光合成という手段を獲得するまでは、周辺にある前生物的資源を何とかして利用しようと藻掻気ながら進化していた期間と考えるわけである。

 しかし、どうもそうではなさそうである。1977年、深海調査艇アルビン号がガラパゴス諸島近海で熱水噴出口を発見し、その周辺に光合成産物に依存しない豊穣な生物圏が存在することを発見したのだが、この発見を契機に、生物の出現が熱水噴出口周辺に、あるいはかなり深い地殻中にあったのではないかという仮説が議論に上るようになってきた。先に述べたように、現在の私は後者の説を支持している。炭素源を二酸化炭素に求めるか、それともマントルから湧出する炭化水素に求めるかが問題だとは思うが、いずれにしても栄養源は十分にある条件下に生物の発生は起こったと考える。

 この飽食条件下における過剰な生産力こそが、生物の生長と生殖を支えるだけでなく、累々たる死を踏み台にした進化を担保していたわけだ。同時に、彼等が周辺に放散していく過程で飢餓に対する適応能力を獲得していったに違いない。つまり、膨大に生み出された少しずつ異なる性質を持つ子孫たちが、彼等の先祖が住んでいたエデンの園を出て、苦難に満ちた多様な環境へと進出していったのであろう。もっとも、私はこうした場合に採用される適者生存という概念が、無条件に正しいと思っているわけではない。そういう場合があった事を否定はしないが、多くの場合においては偶然がより優先したと考えている。

 ただ、飢餓に対する耐性の獲得は、さほど難しくはなかったように感じている。地殻の内部で発生した原初の生物が、熱水噴出口を通って周辺に拡散していく場合を想定すれば良いだろう。周辺から取り込める栄養分が少なくなったとき、どうすればよいか。代謝回転率すなわち生物を構成している細胞や組織が生体分子を合成し、一方で分解することで起こる新旧の分子の入れ替わりの速度、を落とせばよい。現生の生物においてもこの能力は維持されている。哺乳動物のような進化の進んだ生物においても冬眠という現象は珍しくない。緩歩動物に属するクマムシは、代謝をほぼ止めることで、クリプトビオシスと呼ばれる代謝活動を止めた休眠状態に入ることが知られているし、一部の細菌は芽胞と呼ばれる耐久性の胞子を形成する。

 当時の細菌が休眠に相応する生理的メカニズムを完成していたとは思わないが、熱水噴出口から噴き出された微生物は、すぐに周辺の冷たい海水で冷やされるだけでなく環境水のpHも変化するだろう。彼等の持つ酵素は、我々の持つ酵素と違い最適温度は高温側にあったに違いなく、低温においては反応速度が劇的に落ちるだろう。もちろんpHも変化する。それは休眠とよく似た状態に陥ることを意味する。もちろん、そのまま死亡する細菌が大多数であったことは容易に推定できるが、熱水域と冷水域の中間に位置する領域で、ごく一部の細菌が彼等にとっての低温域に適応したとしても不思議ではない。低温域に最適温度を持つ堕落した酵素群を発明したのであろう。我々はその末裔である。そうして低温域に適応した細菌の中から、生き残りに失敗した先祖の死骸を利用する従属栄養的生き方を選ぶグループが発生したと考えている。

 生物は過剰な生産力を持って出現したなどという話をすると、エネルギー源は何であるかとの疑問を抱く方が多い。現代文明におけるエネルギーの重要さを考えれば当然の質問である。ATPだよなどと答えると、ATPがそんなに都合よくあるものかと怒られそうだが、あった可能性は否定できない。原初の生物が持っていた遺伝子がDNAあるいはRNAであったとすれば、これら核酸生合成系においてアデノシンやグアノシンがすでに存在していたことを意味する。アデノシンやグアノシンの核酸塩基であるアデニンとグアニンは青酸の5量体であり、シアン化水素からかなり容易に生成する。アデノシンやグアノシンの糖部分に、何故デオキシリボースとリボースが選ばれたのかという疑問ついては、なかなか説明がつかない。しかし、一旦アデノシンやグアノシンが作られた場合、これらはアビオティック生成するポリリン酸によってリン酸化されることが知られている。広島大学の黒田教授の受け売りだが、ポリリン酸をマグネシウムイオン存在下で加熱すると、環状の3リン酸であるトリメタリン酸が優先的に生成する。このトリメタリン酸はアデノシンによる求核攻撃を受けて、無生物的にATPがワンステップで生成するそうだ。

スクリーンショット(2015-11-25 12.39.48)
マグネシウムイオン存在かでのポリリン酸からのトリメタリンサンの生成と、アデノシンとトリメタリンサンからのATPの生成

 それ以上に面白いのは、ポリリン酸を生体内に蓄積する細菌が多数存在するだけでなく、ポリリン酸を基質として用い、グルコースからグリコーゲンを生合成する菌がいることである。別にこの反応が太古の昔から動いていたと云うつもりはない。そうではなくて、ポリリン酸を基質とする酵素があるという事実が面白い。そして、その酵素群の中に、ポリリン酸からATPを生産する酵素もあるというわけだ。海底火山の噴出物中にポリリン酸が発見されている。熱水噴出口からポリリン酸が噴出していると考えても間違いはないだろう。地殻中でポリリン酸がアビオティックに生産されているとすれば、これをエネルギー源とした生態系の存在も否定できないだろう。

 近年ポリリン酸については、非常に面白い知見の報告が続いている。いつか項を改めて書いてみたい。

 過剰と蕩尽 13 に続く

カテゴリー: 未分類 | 過剰と蕩尽 12 はコメントを受け付けていません

勤労感謝の日と北帰行

 私学に勤めていた頃、この日は推薦入試の日と決まっていた。二十年以上、勤労感謝の日に休んだことはなかった。そんなものだと思っていたので、別に不満も感じなかったが、ここ数年勤労感謝の日に休んでいる。今年など、ほとんど稼いでいないので、勤労感謝の日として休むことにそこはかとない違和感を感じている。

 この日、9時過ぎに栗畑へいったのだが、途中で事故を起こした。対蝶事故である。ほとんど羽の傷んでいないアサギマダラが相手である。こちらは軽トラ、狭い山道でありスピードは出していなかったが、フロントガラスに衝突した蝶は、後ろの道路に落ちた。落ちた蝶を拾って怪我はないかと見ていたら一時的脳震盪?だったらしく、少し身繕いをしたあと元気に飛び去っていった。アサギマダラは渡りをする蝶である。この蝶も台湾へ向かう旅の途中であったのかも知れない。写真が撮れなかったのが残念である。

 我が家の庭はひょっとすると蝶道に当たるのかも知れない。色々な蝶が毎日訪れる。23日は小春日和であったため、その数も多かった。まず、先日も現れたタテハモドキが今回は千日紅の花に上手く止まってくれた。アカタテハ、ヒメアカタテハ、キタテハ、ちょっとお疲れ気味のベニシジミ、コミスジ、それにウラナミシジミを撮影した。キチョウとイシガケチョウは通過しただけ、せせり蝶の仲間にはすぐに逃げられた。もちろん、シロチョウの仲間やヒョウモンチョウの仲間も見かけたが、撮影には至らなかった。

タテハモドキ
タテハモドキ
アカタテハ
アカタテハ
ヒメアカタテハ
ヒメアカタテハ
キタテハ
キタテハ
ベニシジミ
ベニシジミ
コミスジ
コミスジ
ウラナミシジミ
ウラナミシジミ

 そういえばこのウラナミシジミも、渡りとまではいかないにしろ北へ向かう性質を内包した蝶であると云う。この蝶、越冬地は温暖な太平洋側、つまり九州南部、四国の南部、紀伊半島の南部、伊豆半島南部、そして房総半島の南部である。ここで越冬した親から生まれた個体群が、夏にかけて北帰行を試みるのである。だが、南方系の蝶であるため、決まった越冬形態を持たず、北へ行った個体群は越冬できずに死滅するという。北へ行きたい遺伝子を持った個体は毎年北へ行って死滅する。つまり北へ向かう遺伝子は毎年淘汰され続けているのに、何故この蝶は北帰行を続けることができるのか。

 詳細は記憶していないが、池田博士が楽しませてくれる話を書いていた。「Aと云う遺伝子がある。AAの個体は地元にとどまる性質を示す。Bと云う遺伝子がある。BBの個体も地元にとどまる性質を示す。AAの個体とBBの個体が交配してできるAB型の遺伝子を持つ個体は北へ向かう性質を示すと仮定すればよい」という内容であったと記憶している。もっともこれは、社会生物学を揶揄した話であって彼の本意ではない。(これが書いてあった本をいま捜索中です。誤りであったら修正します)彼の本意は「ウラナミシジミの北上行動は、自然選択の結果獲得されたものではなく、ウラナミシジミという種に内在する構造として無根拠に定立したに違いない」と云う部分にあるのだが、単純な私は全く別の意見を持っている。

 ウラナミシジミの北上行動は、我々がそう見ているだけにすぎないのではないだろうか。彼等はエサと生育に適した気温の土地があれば、西に向かっても東に向かっても分布を広げる性質を持っているだけだろう。(もちろん南へも向かうのだが、南は海です)彼等の越冬できる場所が、日本の温暖な太平洋沿岸であるために、北向きのベクトルだけが強く見えているにすぎないと考える。特に、南東からの季節風が優勢になってくる季節には、そうした北向きの印章が強まるのだろう。そうでないと、浜松のあたりに、それも春の早い時期にこの蝶が出現する現象の説明が難しくなる。紀伊半島を北上した個体群が東に向かって、あるいは伊豆半島を北上した個体群が西に向かって拡がったと考えた方が無理のない解釈であると思う。

カテゴリー: 未分類 | 勤労感謝の日と北帰行 はコメントを受け付けていません

紅葉良媒

 柿の話が続いているが、未だもって柿の重荷を背負っている。昨日も9コンテナほど採ったが、まだ未収穫の4本の木が残っている。あと数日もすれば、鳥のエサになるだろう。渋柿の処理もまだである。今年は暖かいせいかコバエが異常に多い。前回つくったつるし柿に群れをなして止まっている。数匹のハエなら我慢もするが、ここまで群れられるとさすがに食べる気がしない。もちろん売るなんて事はしません。穴を掘って埋めました。

 現物としての柿の圧力は横に置くとして、夕日に映える柿は本当に美しい。有田の陶工、初代酒井田柿右衛門が、夕日に輝く柿の実の色に魅せられ、この色を出すために努力を重ねたと云う物語は、私より少し上の世代であれば皆知っているだろう。国定教科書に載っていた陶工柿右衛門の物語である。

スクリーンショット(2015-11-22 14.16.34)

 とはいえ、余り知られていないのが柿紅葉である。柿の実よりももっと赤い。場合によっては、ハゼよりも赤いのではないかと思える程である。

スクリーンショット(2015-11-22 14.18.35)

 品種によって赤さに差があるため、すべてのカキ畑が紅葉色に染まるわけではないのが少し残念だが、観るに値する場所が何カ所も存在する。

     柿紅葉 山ふところを 染めなせり・・・・・虚子

     柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺・・・・・子規

 アララギ派の歌人たちは柿が好きだったのかな?

 うきは市の商工・観光課の方が見ておられればと思うが、1つの提案である。奈良では紅葉した柿の葉を名物として売り出している。こんな商品開発に手を貸せと云われれば、すぐにでもお手伝いするのだが。

     (http://www.otakaki.co.jp/topics/mahoroba.html)

 さて、

  いかにして 柿の紅葉を ながしけん

           その水ぐきの かくれなきよに

                 ・・・・・・ (六華和歌集、室町)

 紅葉良媒、すなわち紅葉に想いを綴って流せば恋が成就するという室町時代の風習を基に、観光の振興を図ってはいかがでしょう。水神社など最高の舞台と思いますが。

スクリーンショット(2015-11-22 14.22.11)
スクリーンショット(2015-11-22 14.23.22)
カテゴリー: 未分類 | 紅葉良媒 はコメントを受け付けていません

快適環境

 カキの話の続きである。朝9時頃から収穫して、夜の10時頃まで選別、袋詰めをしていると、「過剰と蕩尽」のブログ書きが疎かになってしまう。これは、少しばかりの余裕がないと思考が中断して書くのが難しい。この連休には12をアップする予定である。

 4日前、九大のY君が手伝いに来てくれた。3日前には、研究室で同期だったやはりY君が手伝ってくれた。二人の援助で、ノルマであった31コンテナの出荷が終わったと安心していたら、昨日追加の注文があったという。身体不良老人にはちょっと過重なノルマを果たすため、折からの雨を無視して収穫を続けていたのだが、まだ不足と云うことで今日も朝から柿ちぎりである。天気は最悪の土砂降りである。レインコートに長靴、ゴム手袋にゴーグルをはめるという完全装備での収穫、ゴーグルにワイパーが必要であると痛感した。Sさん曰く、「こげな日に柿を採ったのは初めて」。なんだ、ワイパーは不要か。

 Sさんとは別人のSさんが(S’さんとしておく)、雨の日には柿は採ったらいかんと教えてくれた。雨の日に収穫したカキは、濡れたヘタがすぐに黒くなってしまうと云う。下手をするとすぐに商品価値がなくなるという。とはいっても、採ったものはどうしようもない。S’さんにどうしたら良いかと聞いたら、拭いて水分を除けばいいという。試しにタオルで拭いてみると2、3個なら問題ないが、数が増えるとタオルが濡れてしまう。つまり水分を拭き取っているのか濡らしているのか分からなくなる。

 仕方なく贅沢な方法を採った。薪ストーブを点け、除湿設定でエアコンをつけ、扇風機で風を送った。

スクリーンショット(2015-11-18 13.09.29)
柿に占領される居間 後ろのコンテナも柿

 柿にとっては快適な環境かも知れないが、折角の居間を占領された人間はいくぶん納得がいかない。さらに、柿のヘタの下には蜘蛛が潜んでいる。今年はカメムシが少なく9月の殺虫剤の散布をパスしたため、イラガと蜘蛛の数は例年よりはるかに多い。この蜘蛛たちが作業の段階で逃げ出し、部屋の中に散って行く。作業場を持たない新米の農家は、蜘蛛の巣の下で明日の朝を迎えるしかない。

カテゴリー: 未分類 | 快適環境 はコメントを受け付けていません

喜ぶべきか?

 突然来客があった。近所でちょっとだけ変わった商売をしているSさんである。変わった商売といっても立派な農家で、出荷先が他の方とはちょっと違うようだと云うだけである。(これも正しいかどうかまだ不明・感想にすぎない)そのSさんが朝7時過ぎに現れて、私のカキ畑の柿を出荷して欲しいという。何となく分からない。周りのカキ畑には3L、4L サイズの立派な柿がいくらでもなっている。皆、市場に出しているのだから、それを分けてもらえば済むことだと思った。3月までは仕事をしていたと云えば言い訳になるが、摘果不十分でいくぶん小振りである。いや、いくぶん小振りであるというのは誉めすぎで、貧弱であると云った方がいいかもしれない。世の中、3L、2L、L、M、Sと云うサイズがあるが、我が柿園の柿はMが殆どである。余所ではまず見られないS、SSサイズの柿もたくさんある。すくなくとも、世の中には大きすぎる柿ではなくMまたは大きめのSサイズの柿が欲しいと指定してくる業者さんがいるらしい。

 SM指定(?)で来た注文だと云われても、何処か引っかかる。この柿ね、あんたの畑で採ってきた柿やけど、このサイズがいいんですとニコニコされても、お前の栽培は下手だと云われているような、・・・??と云うニヤニヤしながらの交渉で、4個で750~850グラムの柿を出荷することになった。

 そう云うわけで、午後から1本の木に実っている果実を全部ちぎった。コンテナ6個が満杯になった。これを分別し、出荷用の袋に詰め、シール作業が終わったのは午後8時を過ぎていた。

 出荷できないサイズの柿がコンテナで2個分以上残った。明日の作業を考えると勿体ないとは思うが、中身は捨てるしかない。これを捨てたらイノシシにエサをやるようなものだと思うのだが、師匠の意見は違っていた。この季節、イノシシにとって柿は食べ放題である。そげな質の悪い柿は食わん。私、出荷できない、イノシシも食わない柿を毎日食べているらしい。

カテゴリー: 未分類 | 喜ぶべきか? はコメントを受け付けていません