生物はそもそも飽食という条件下に、過剰な生産能力をもってこの世界に出現した。この過剰生産能力こそが、生長と生殖と進化を支える基本的な能力であると考えるわけである。まず、この過剰生産力を可能とする環境、物質的基盤とエネルギー的基盤があったかどうかについて少し述べてみたい。
最初に現れた原初の生物、この生物はどのような性質を持っていたか。まず偏性嫌気性で高い耐熱性を持ち、飽食に耐えることのできる微生物であったはずである。飽食に耐えると云っても大した問題ではなかったと思う。彼らはまだ微小な単細胞生物であり、多細胞化していたわけではない。もしある代謝物が過剰に生産されたとしても、いまだ未完成であった彼等の細胞膜は、過剰な代謝物を濃度勾配にしたがって細胞外へ排出したに違いない。同時に、代謝に伴って生成する熱は、彼等が微細生物であったが故にすぐに外部へと放散されたことは間違いないであろう。
なんだか当たり前のことをしつこく繰り返しているような気がする。本人がそう感じるのであれば、他の人はもっと強く感じているかも知れない。そろそろ、過去30年余りの時間をかけて、何をどう考えてきたかを述べるべきであろう。
まず原初の生物が、独立栄養的(autotrophic)な生物であったのか従属栄養的(heterotrophic)な生物であったのかを考えなければならない。 しばらく前までは、前生物的に集積した糖やアミノ酸や核酸塩基に依存した独立栄養生物であったと考えられていた、そして、この前提を基礎として代謝系構築の仮説が提出されていた。つまり、前生物的に合成され(地球上でなくてもよい)、蓄積されていた物質を用いて、従属栄養的に生きる生物群が、多様な可能性を求めて試行錯誤を繰り返す日々であったと考えたわけである。この間、明言されてはいないが、生物は潤沢な栄養条件にあったと考えられてはいないようだ。
Horowitz が、1945年に提唱した代謝系の進化仮説もこの流れに乗っている。この仮説は、「地球化学的に合成され、蓄積されていた生体構成分子の原料が消費されていくに従って最初の飢餓が起こったと考える。その時、本来の基質の前駆体となりうる化合物を基質へと変換できる酵素を持ちえた生物が、淘汰的に有利であったであろう。前駆体も枯渇してきたとき、その前駆体へ他の化合物を変換できる酵素を持った生物が現れたに違いない。ここで前駆体は1種類とは限らないことから、多種の基質間で相互変換を触媒する酵素群が生まれ、代謝の net work が成立した。従って代謝経路は、最終産物から中心代謝へと、代謝の流れとは逆方向に伸長していった。」これが Horowitz の代謝起源説である。生物の出現などについて余り真剣に考えていなかった私も、20年程前まではこの代謝系進化についての仮説を概ね正しいと考えていた。つまり、生物が光合成という手段を獲得するまでは、周辺にある前生物的資源を何とかして利用しようと藻掻気ながら進化していた期間と考えるわけである。
しかし、どうもそうではなさそうである。1977年、深海調査艇アルビン号がガラパゴス諸島近海で熱水噴出口を発見し、その周辺に光合成産物に依存しない豊穣な生物圏が存在することを発見したのだが、この発見を契機に、生物の出現が熱水噴出口周辺に、あるいはかなり深い地殻中にあったのではないかという仮説が議論に上るようになってきた。先に述べたように、現在の私は後者の説を支持している。炭素源を二酸化炭素に求めるか、それともマントルから湧出する炭化水素に求めるかが問題だとは思うが、いずれにしても栄養源は十分にある条件下に生物の発生は起こったと考える。
この飽食条件下における過剰な生産力こそが、生物の生長と生殖を支えるだけでなく、累々たる死を踏み台にした進化を担保していたわけだ。同時に、彼等が周辺に放散していく過程で飢餓に対する適応能力を獲得していったに違いない。つまり、膨大に生み出された少しずつ異なる性質を持つ子孫たちが、彼等の先祖が住んでいたエデンの園を出て、苦難に満ちた多様な環境へと進出していったのであろう。もっとも、私はこうした場合に採用される適者生存という概念が、無条件に正しいと思っているわけではない。そういう場合があった事を否定はしないが、多くの場合においては偶然がより優先したと考えている。
ただ、飢餓に対する耐性の獲得は、さほど難しくはなかったように感じている。地殻の内部で発生した原初の生物が、熱水噴出口を通って周辺に拡散していく場合を想定すれば良いだろう。周辺から取り込める栄養分が少なくなったとき、どうすればよいか。代謝回転率すなわち生物を構成している細胞や組織が生体分子を合成し、一方で分解することで起こる新旧の分子の入れ替わりの速度、を落とせばよい。現生の生物においてもこの能力は維持されている。哺乳動物のような進化の進んだ生物においても冬眠という現象は珍しくない。緩歩動物に属するクマムシは、代謝をほぼ止めることで、クリプトビオシスと呼ばれる代謝活動を止めた休眠状態に入ることが知られているし、一部の細菌は芽胞と呼ばれる耐久性の胞子を形成する。
当時の細菌が休眠に相応する生理的メカニズムを完成していたとは思わないが、熱水噴出口から噴き出された微生物は、すぐに周辺の冷たい海水で冷やされるだけでなく環境水のpHも変化するだろう。彼等の持つ酵素は、我々の持つ酵素と違い最適温度は高温側にあったに違いなく、低温においては反応速度が劇的に落ちるだろう。もちろんpHも変化する。それは休眠とよく似た状態に陥ることを意味する。もちろん、そのまま死亡する細菌が大多数であったことは容易に推定できるが、熱水域と冷水域の中間に位置する領域で、ごく一部の細菌が彼等にとっての低温域に適応したとしても不思議ではない。低温域に最適温度を持つ堕落した酵素群を発明したのであろう。我々はその末裔である。そうして低温域に適応した細菌の中から、生き残りに失敗した先祖の死骸を利用する従属栄養的生き方を選ぶグループが発生したと考えている。
生物は過剰な生産力を持って出現したなどという話をすると、エネルギー源は何であるかとの疑問を抱く方が多い。現代文明におけるエネルギーの重要さを考えれば当然の質問である。ATPだよなどと答えると、ATPがそんなに都合よくあるものかと怒られそうだが、あった可能性は否定できない。原初の生物が持っていた遺伝子がDNAあるいはRNAであったとすれば、これら核酸生合成系においてアデノシンやグアノシンがすでに存在していたことを意味する。アデノシンやグアノシンの核酸塩基であるアデニンとグアニンは青酸の5量体であり、シアン化水素からかなり容易に生成する。アデノシンやグアノシンの糖部分に、何故デオキシリボースとリボースが選ばれたのかという疑問ついては、なかなか説明がつかない。しかし、一旦アデノシンやグアノシンが作られた場合、これらはアビオティック生成するポリリン酸によってリン酸化されることが知られている。広島大学の黒田教授の受け売りだが、ポリリン酸をマグネシウムイオン存在下で加熱すると、環状の3リン酸であるトリメタリン酸が優先的に生成する。このトリメタリン酸はアデノシンによる求核攻撃を受けて、無生物的にATPがワンステップで生成するそうだ。
それ以上に面白いのは、ポリリン酸を生体内に蓄積する細菌が多数存在するだけでなく、ポリリン酸を基質として用い、グルコースからグリコーゲンを生合成する菌がいることである。別にこの反応が太古の昔から動いていたと云うつもりはない。そうではなくて、ポリリン酸を基質とする酵素があるという事実が面白い。そして、その酵素群の中に、ポリリン酸からATPを生産する酵素もあるというわけだ。海底火山の噴出物中にポリリン酸が発見されている。熱水噴出口からポリリン酸が噴出していると考えても間違いはないだろう。地殻中でポリリン酸がアビオティックに生産されているとすれば、これをエネルギー源とした生態系の存在も否定できないだろう。
近年ポリリン酸については、非常に面白い知見の報告が続いている。いつか項を改めて書いてみたい。
過剰と蕩尽 13 に続く