勤労感謝の日と北帰行

 私学に勤めていた頃、この日は推薦入試の日と決まっていた。二十年以上、勤労感謝の日に休んだことはなかった。そんなものだと思っていたので、別に不満も感じなかったが、ここ数年勤労感謝の日に休んでいる。今年など、ほとんど稼いでいないので、勤労感謝の日として休むことにそこはかとない違和感を感じている。

 この日、9時過ぎに栗畑へいったのだが、途中で事故を起こした。対蝶事故である。ほとんど羽の傷んでいないアサギマダラが相手である。こちらは軽トラ、狭い山道でありスピードは出していなかったが、フロントガラスに衝突した蝶は、後ろの道路に落ちた。落ちた蝶を拾って怪我はないかと見ていたら一時的脳震盪?だったらしく、少し身繕いをしたあと元気に飛び去っていった。アサギマダラは渡りをする蝶である。この蝶も台湾へ向かう旅の途中であったのかも知れない。写真が撮れなかったのが残念である。

 我が家の庭はひょっとすると蝶道に当たるのかも知れない。色々な蝶が毎日訪れる。23日は小春日和であったため、その数も多かった。まず、先日も現れたタテハモドキが今回は千日紅の花に上手く止まってくれた。アカタテハ、ヒメアカタテハ、キタテハ、ちょっとお疲れ気味のベニシジミ、コミスジ、それにウラナミシジミを撮影した。キチョウとイシガケチョウは通過しただけ、せせり蝶の仲間にはすぐに逃げられた。もちろん、シロチョウの仲間やヒョウモンチョウの仲間も見かけたが、撮影には至らなかった。

タテハモドキ
タテハモドキ
アカタテハ
アカタテハ
ヒメアカタテハ
ヒメアカタテハ
キタテハ
キタテハ
ベニシジミ
ベニシジミ
コミスジ
コミスジ
ウラナミシジミ
ウラナミシジミ

 そういえばこのウラナミシジミも、渡りとまではいかないにしろ北へ向かう性質を内包した蝶であると云う。この蝶、越冬地は温暖な太平洋側、つまり九州南部、四国の南部、紀伊半島の南部、伊豆半島南部、そして房総半島の南部である。ここで越冬した親から生まれた個体群が、夏にかけて北帰行を試みるのである。だが、南方系の蝶であるため、決まった越冬形態を持たず、北へ行った個体群は越冬できずに死滅するという。北へ行きたい遺伝子を持った個体は毎年北へ行って死滅する。つまり北へ向かう遺伝子は毎年淘汰され続けているのに、何故この蝶は北帰行を続けることができるのか。

 詳細は記憶していないが、池田博士が楽しませてくれる話を書いていた。「Aと云う遺伝子がある。AAの個体は地元にとどまる性質を示す。Bと云う遺伝子がある。BBの個体も地元にとどまる性質を示す。AAの個体とBBの個体が交配してできるAB型の遺伝子を持つ個体は北へ向かう性質を示すと仮定すればよい」という内容であったと記憶している。もっともこれは、社会生物学を揶揄した話であって彼の本意ではない。(これが書いてあった本をいま捜索中です。誤りであったら修正します)彼の本意は「ウラナミシジミの北上行動は、自然選択の結果獲得されたものではなく、ウラナミシジミという種に内在する構造として無根拠に定立したに違いない」と云う部分にあるのだが、単純な私は全く別の意見を持っている。

 ウラナミシジミの北上行動は、我々がそう見ているだけにすぎないのではないだろうか。彼等はエサと生育に適した気温の土地があれば、西に向かっても東に向かっても分布を広げる性質を持っているだけだろう。(もちろん南へも向かうのだが、南は海です)彼等の越冬できる場所が、日本の温暖な太平洋沿岸であるために、北向きのベクトルだけが強く見えているにすぎないと考える。特に、南東からの季節風が優勢になってくる季節には、そうした北向きの印章が強まるのだろう。そうでないと、浜松のあたりに、それも春の早い時期にこの蝶が出現する現象の説明が難しくなる。紀伊半島を北上した個体群が東に向かって、あるいは伊豆半島を北上した個体群が西に向かって拡がったと考えた方が無理のない解釈であると思う。

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