過剰と蕩尽 14

これから書き続けていくに際して、一言だけ言い訳をしておきたい。以前に解糖系とTCA回路について、幾分詳しく書いた。今後の話において、繰り返し、重複が頻発する可能性が高い。惚けているわけではなく、これからの内容を書きたいが故に、一部を先行させたと理解して欲しい。とはいうものの、惚けている可能性も否定できない。
解糖系(グリコリシス)についての説明を読むと、ヒトの立場からの認識だなと感じる。何しろ、グルコースが出発物質でありピルビン酸が生成物と定義してある。ヒトがヒトの立場から考えて何が悪いと問われるかもしれない。この捉え方を否定はしないが、ヒトの立場で見た解糖系があるのであれば、バクテリアの立場で見た解糖系、古細菌の立場から見た解糖系などが、同じヒエラルキー上にあってもおかしくはない。私の立場は、ヒトの視座を絶対化せずに、相対化した視座から解糖系を眺めたらいかなる風景が見えるか考えましょうと云う立場である。
いきなり熱水噴出口周辺に生きる微生物の話に戻ることにする。前々回に私は、「炭素源を二酸化炭素に求めるか、それともマントルから湧出する炭化水素に求めるかが問題だとは思うが、いずれにしても栄養源は十分にある条件下に生物の発生は起こったと考える」と書いた。個人的には二酸化炭素が炭素源であると思っている。何故ならば、分子系統樹の根本付近にいる真正細菌であるAquifex、Thermotoga、及び古細菌であるThermoproteus、Thermococcusに属する細菌類の中で、独立栄養を営むThermotogaとThermoproteus、そして化学合成独立栄養を営むThermococcusの仲間が、酢酸からつくられるアセチルCoAを用いて二酸化炭素を固定する系路とともに、得られるピルビン酸にもう1分子の二酸化炭素を固定してリンゴ酸を生合成する系路を持つからである。要するに、これらの菌は炭素化合物の代謝を酢酸から出発させていると云ってよい。とすれば、これらの菌体内で先に動くのは糖新生系であることは自明のことだろう。糖新生系で多糖類が、あるいはグルコースが合成された後で、その逆反応としての解糖系が機能し始めたと考えるべきであろう。こうした視座からKEGGの説明文を読むと、2つの系の関係が逆転しているとしか思えない。独立栄養細菌はアセチルCoAとして、いやグリコリシスであればピルビン酸として初発物質を投入するのである。その結果、ピルビン酸の一部は糖新生系を通って多糖類へと流れ、また一部はさらに1分子の二酸化炭素を固定しリンゴ酸へと変換されるのである。こうした理解から私が2つの系を説明するとすれば、
「グルコネオジェネシスはピルビン酸を多糖に変換するプロセスであり、少量のATP(エネルギー)とNADH(還元力)を消費する。それは重要な代謝前駆体群:6炭素化合物であるグルコース-6-リン酸とフルクトース-6-リン酸、及び3-炭素化合物であるグリセロン-リン酸、グリセルアルデヒド-3-リン酸、3-ホスホグリセリン酸、そしてホスホエノールピルビン酸を生産する中心系路である。反応の出発物質であるピルビン酸は、もう一つの重要な代謝前駆体であるアセチルCoAからフェレドキシンを補酵素とする炭素固定反応により供給される。グリコリシスは従属栄養生物に分布するグルコースをピルビン酸まで分解する系路で、主に従属栄誉生物で機能する系路である。この系路は、いくつかの別反応を含むにしろ、本質的にはグリコネオジェネシスの逆反応である。」となる。
要するに、エネルギーは熱水中に含まれるポリリン酸、あるいは硫化水素、メタン、鉄イオンなどに依存し、二酸化炭素を固定することで生きている嫌気的細菌がいまでもいるわけである。彼等の持つ代謝系は、間違いなく好気性の生物が持つ系より古い起源を持つ。グリコリシスとグルコネオジェネシス、ほとんど同じだが逆のベクトルを持つ2つの系路だが、歴史的にはグリコネオジェネシスが先行する。グルコネオジェネシスが成立した後で、グリコリシスが機能しはじめた。この解釈に間違いはないだろう。
先日、何処で読んだか記憶を失ったのだが、一種類の動物しか診断できない獣医を「医者」と呼ぶと書いてあった。思わず笑ったのだが、ヒトしか相手にしない医学教育でよく使われる生化学の教科書、レーニンジャー新生化学、リッピンコット生化学、ハーパー生化学などの書籍において、現状のグリコリシスの概念を記述するのは構わない。しかし、植物あるいは微生物を対象とする書籍においては、グルコネオジェネシスに対する記述をもっと増やすべきではないだろうか。植物であっても、グリコリシスの位置づけは我々とは違うのだから。
次回は、少しだけ詳しくグルコネオジェネシスを追いかけてみたい。

過剰と蕩尽 14 に続く

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過剰と蕩尽 13

 いつものことだが、話が何処へ向かっているのか、書いている本人も制馭しきれていない。書いている本人が、書き足すときに先立つ数回分の内容を読み直すほどだ。ある意味、筆の向くままに走らせている。とはいえ、大枠は「過剰と蕩尽」である。今日まで省みられることのなかった「過剰と蕩尽」というフィールドで見られる生物現象を、全てを説明し尽くす程の才があると思ってはいない。骨格だけでも示す事ができればいい。

 前回までで、原初の生物に過剰生産能を支える物質的・エネルギー的基盤があったこと、生産された物質と熱を捨てることが容易であったことを論証したつもりである。では、そうした能力を持って地球上に現れた原初生物は、どのようにして生きていたのか。彼等の住む環境はどう変化したのか、その変化に彼等がどう対応したのかについて、少し述べてみたい。

 実を言えば、前回の投稿の中に本来なら2つの大きな問題を提起するに違いない一文を潜ませている。だが、この危険な文章はまず気付かれる可能性はないだろう。当たり前の内容であるからである。科学と云う体系は、我々の魂を宗教的な非常識から解放したと思われているようだが、同時に科学と云う体系が持ってしまった偏見の枠組みに取り込まれたと考えても良いだろう。科学の中で常識となってしまった事項について根幹から考え直すと言うことは、多くの場合時間の浪費にしかつながらない。そんなことをする暇は、いまの研究者には無い。科学の研究という魂の自由を謳歌すべき分野に、業績主義という世間の風が吹き込んできたからである。

 役に立つ、世界をリードする。お金儲けに繋がることを前提に、ああすればこうなる、こうすればああなると云うような、帰納と演繹の線上に乗るような研究が面白いとは思えない。勿論やっていれば、その線上から外れるデータが得られ、それが次のブレイクスルーの端緒となる可能性があるとはいうものの、金儲け思考の枠組みは変わらない。こんな事ばかり考えているから貧しい研究室しか維持できなかったのだろう。

 ああまた「書けん費」ではなかった「科研費」を批判してしまった。書いている本人が科研費に恨みでも持っているのかなと思われそうだが、そうではない。そうした研究がある事も否定はしない。ただ若い研究者達に、そうした枠に縛られない自由な研究を味わって欲しいという時代錯誤の願いを持っているだけである。

 それはそうとして、生化学の世界にはいくつかのかなり硬いドグマがある。よく知られているのは、フランシス・クリックが1958年に提唱したセントラルドグマと呼ばれるもので、遺伝情報はDNA‥‥>RNA‥‥>タンパク質へと流れるというものである。例外のない規則はないという言葉の通り、このドグマはRNA‥‥>DNAと云う逆転写と呼ばれる例外の存在の発見によって半分崩壊した。タンパク質からRNAへという逆翻訳は現在のところまだ見つかっていない。見つかっていないという表現はあることを前提にしたような書き方になるので、あるかどうか分からないとするのが妥当かな。スクレイピーやクロイツフェルト・ヤコブ病の感染因子であるプリオンが、大きな関心を持って研究されたのも、ここに原因があった。

 いまひとつのドグマ−ドグマには教義 ・ 教理 ・ 教条 ・ 主義 ・ 信条 ・ イデオロギーなどの訳が存在するが、ここではドグマをそのまま使った方が良いだろう−は、解糖系とTCA回路を、エネルギー獲得を中心にして規定する見方である。解糖系とTCA回路のいくつかの化合物が代謝中間体として重要であることは、考慮されてるにしてもだ。現代生化学の標準的解釈をまず提示したい。いつも通りKEGGから少し引用しよう。

Glycolysis / Gluconeogenesis

 Glycolysis is the process of converting glucose into pyruvate and generating small amounts of ATP (energy) and NADH (reducing power). It is a central pathway that produces important precursor metabolites: six-carbon compounds of glucose-6P and fructose-6P and three-carbon compounds of glycerone-P, glyceraldehyde-3P, glycerate-3P, phosphoenolpyruvate, and pyruvate. Acetyl-CoA, another important precursor metabolite, is produced by oxidative decarboxylation of pyruvate. When the enzyme genes of this pathway are examined in completely sequenced genomes, the reaction steps of three-carbon compounds from glycerone-P to pyruvate form a conserved core module, which is found in almost all organisms and which sometimes contains operon structures in bacterial genomes. Gluconeogenesis is a synthesis pathway of glucose from noncarbohydrate precursors. It is essentially a reversal of glycolysis with minor variations of alternative paths.

 和訳: グリコリシスはグルコースをピルビン酸に変換するプロセスであり、少量のATP(エネルギー)とNADH(還元力)を生成する。それは重要な代謝前駆体群:6炭素化合物であるグルコース-6-リン酸とフルクトース-6-リン酸、及び3-炭素化合物であるグリセロン-リン酸、グリセルアルデヒド-3-リン酸、3-ホスホグリセリン酸、ホスホエノールピルビン酸、そしてピルビン酸を生産する中心系路である。もう一つの重要な代謝前駆体であるアセチルCoAは、ピルビン酸の酸化的脱炭酸反応により生産される。完全に解読されたゲノムにおいて、この系路の酵素遺伝子群が検討すると、3炭素化合物であるグリセロンリン酸からピルビン酸への反応段階が、ほぼ全ての生物において見いだされ、バクテリアゲノム中でオペロン構造を含んでいる場合もある保存されたコアモジュールを形成している。グリコジェネシスは糖ではない前駆体からグルコースを合成する系路である。それは本質的には、一寸した変異を含む代替え系路を持つグリコリシスの逆反応である。

Citrate cycle (TCA cycle)

 The citrate cycle (TCA cycle, Krebs cycle) is an important aerobic pathway for the final steps of the oxidation of carbohydrates and fatty acids. The cycle starts with acetyl-CoA, the activated form of acetate, derived from glycolysis and pyruvate oxidation for carbohydrates and from beta oxidation of fatty acids. The two-carbon acetyl group in acetyl-CoA is transferred to the four-carbon compound of oxaloacetate to form the six-carbon compound of citrate. In a series of reactions two carbons in citrate are oxidized to CO2 and the reaction pathway supplies NADH for use in the oxidative phosphorylation and other metabolic processes. The pathway also supplies important precursor metabolites including 2-oxoglutarate. At the end of the cycle the remaining four-carbon part is transformed back to oxaloacetate. According to the genome sequence data, many organisms seem to lack genes for the full cycle, but contain genes for specific segments.

 和訳:クエン酸サイクル(TCA回路、クレブス回路)は、炭水化物と脂肪酸の酸化の最終的なステップで使われる重要な好気的経路である。 この回路は、酢酸の活性化された形であり、炭水化物の解糖とその産物であるピルビン酸の酸化、そして脂肪酸のβ酸化で得られるアセチルCoAから出発する。アセチルCoAに含まれる2炭素のアセチル基は4炭素化合物であるオギザロ酢酸ヘ移され、6炭素化合物であるクエン酸を形成する。一連の反応において、クエン酸中の2つの炭素はCO2に酸化される、そして、その反応経路は酸化的リン酸化及びその他の代謝プロセスで使用されるNADHを供給する。その経路はまた、2-オキソグルタル酸を含む重要な代謝前駆体を供給する。この回路の最後では、残った4炭素部分は再度オギザロ酢酸へと変換される。ゲノム配列データによれば、多くの生物が完全な回路のための遺伝子を欠いているように思えるが、特定のセグメントに対する遺伝子を含んでいるようだ。

 たどたどしい訳だが、できるだけ原文に即して逐語訳をしてみた。これらの文章を読んで、何を感じるかが今後の問題となる。それが、「2つの大きな問題を提起するに違いない一文」に繋がるわけである。

過剰と蕩尽 14 に続く

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日本ミツバチ

 転倒事故から六日目、幾分痛みは引いた。体重をかけることはできないが、ビッコを引きながら歩くことは何とか可能になった。この時期、椎茸の原木や法面の雑木の伐採、果樹の剪定など、仕事は目白押しの状態にあるので気分は焦っているのだが、いまの状態で急斜面に踏み込むのは自殺行為である。自重している。

 午後から回復の遅さが気になって整形外科に行った。さすがはプロである。ここでしょうなどと言いながら、痛いポイントを押さえてくる。まあとにかくレントゲンをということでX線写真を撮った。現在のX線写真の撮影装置はすごく進歩した。即座に解像度の良い画像が現れる。その画像を見ながら、折れてはいないようですね、でも靱帯は傷ついていると思われるのでまあ最低で3ヶ月くらいはかかるでしょう。いや、冗談ではない。3月かかったらすぐ4月ではないか。農作業は待ってくれない。そこを何とかとお願いしたら、足首用のサポーターを処方してくれた。確かに、装着すると楽である。これはいいやと思ったら、無理はしないようにと釘を刺された。素直なもので、すぐに顔に出るらしい。今年もまた剪定は控えめになってしまいそうである。

 先日、日々観察などと偉そうななことを書いたが、観察が不足していた。作業をするには足の回復が不十分である。仕方なく覚束ない足取りで畑を見回ったのだが、そこで気がついた。菜の花に集まるミツバチの半数くらいが、何となく黒いのである。

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中央の飛翔中のハチが西洋ミツバチ
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日本ミツバチではなく多分ハナアブの仲間?

 日焼けしているわけでもあるまいにと、近づいてみるといわゆる西洋ミツバチとは違う。ちょっと小振りで黒みが強く、黄色の縞模様がシッポの方までクッキリしている。これは日本ミツバチではないか。いやいや楽しみが増えた。分蜂の季節までには、是非巣箱を用意しよう。金陵辺を買って植えよう。

追記

 今日、改めて見ていたのだが、何処か雰囲気が違う気がする。飛び方も違うし飛翔音も違う。吸蜜するときの口器も違う。ハチと言うよりハエっぽいのである。どうも日本ミツバチではなくハナアブの仲間のようだ。危ない危ない、早とちりでした。

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命名は難しい 1

 Papilionidaeはアゲハチョウ科のことである。この科に属する日本産のチョウは21種が存在するが、この科の命名には咎めるには値しない混乱と、首を捻らざるを得ない混乱がある。殆どのチョウは‥‥アゲハと命名されており、‥‥の部分に形、色、分布などについての情報を含む形容詞がついているわけだ。

 ギフチョウ、ヒメギフチョウについては、岐阜で採集されたチョウの標本を基に、両者の区別なしにイギリス人の博物学者プライヤーが命名したらしい。岐阜に地名を採った命名であるが、アゲハチョウに属すことを明示せずギフチョウとしてしまったため、名前からアゲハチョウであることは判断できない。とはいえ、ギフチョウの古名である錦蝶、あるいはダンダラチョウを採用していたとしても、分類群が明示されない同じ欠点が存在することを考えれば、咎める必要を感じない程度の例外としても良いかと思う。ホソオチョウについても、外来種であるかどうかの問題はあるにしろ、ギフチョウと同じ条件であろう。問題は次の3種である。

 まずウスバシロチョウとヒメウスバシロチョウ、この命名ではシロチョウ科に属するとしか思えない。漢字で書けば薄羽白蝶であり姫薄羽白蝶であろう。しかしこの2種、アゲハチョウ科のチョウである。ウスバキチョウはもっとややこしい。漢字で表記すると薄羽黄蝶であろう。命名の基となったであろうキチョウと呼ばれる蝶がいる。可愛い黄色い蝶だが、困ったことにこのチョウはシロチョウ科に属する。キチョウ科という分類は存在しないのである。そして、このウスバキチョウはキチョウ科でもシロチョウ科でもなくアゲハチョウ科に属するチョウである。これでは首を捻らざるを得ない。

 命名の統一性から考えれば、ウスバシロチョウ、ヒメウスバシロチョウ、ウスバキチョウに対して使われるもう一つの呼び方、つまりウスバアゲハ ヒメウスバアゲハ、キイロウスバアゲハを使うほうが混乱を招かない。

 何故、突然にこんな事を書くのか。幼かった頃、モンシロチョウの命名に不満だった。紋は黒いではないかという疑問である。モンキチョウの雄にも雌にも不鮮明ではあるが黄色い紋がある。だからモンキチョウは理解できる。モンキアゲハもカラスアゲハもシロオビアゲハも理解できる。モンシロチョウではなくモンクロチョウが正当な名前ではないかと思っていたのである。

 だが、これは誤りであった。モンシロチョウは紋が白いチョウではなく、紋のあるシロチョウ科のチョウだったのである。つまり、名前はモン・シロチョウという構造であった。クロモンシロチョウにしてくれれば悩むことはなかったのに。ではモンキチョウはどうなるか。モンシロチョウの例を踏襲すれば、モン・キチョウとなり、モンのあるキチョウと考えるべきだ。ところが、キチョウと云う分類はないのである。モンキチョウもシロチョウ科に属する。従って、モンキチョウはモン・キチョウではなくモン・キ・チョウとなる。モンキシロチョウとすれば合理的な命名になるが、この命名からシロを省略したのだろうか。

 されど、クッキリとした黒紋をモンとして黒を省略し、薄ぼんやりとした黄色い紋はモン・キと明確に示すやり方は何となく分かり難い。慣用名を採用するときによく見かける混乱である。さらにであるが、ヤマキチョウ、ツマキチョウ、ツマグロキチョウなどのようにキチョウと云う語尾を持つ一群のチョウがいる。これらのチョウも全てシロチョウ科に属する。命名は難しい。

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やはりケチ?

 老後用にと考えて建てた家は、お世辞にも広くない。その中心には薪ストーブを設置した広めの居間(当世風にいえばリビング)がある。そこに収穫した富有柿8コンテナと愛宕柿(干し柿用渋柿)1コンテナがのさばっている。今日は朝から段々と冷えてきたため、ストーブを焚こうかと思うのだが、ここで暖めると柿が一気に柔らかくなってしまいそうで不安である。あと1件だけ注文が来ているが、この注文にはまだ木になっているもので対応できる。では8コンテナを自家消費できるか。血糖降下剤を飲んでいる身としては、それはちょっと危険である。

 食べきれないほどあるのだから熟したものはさっさと捨てたらと思わないでもないのだが、勿体なくてなかなか踏ん切りがつかない。あきらめるのは、柿が柔らかくなってショウジョウバエがたかり始めた時である。今朝は2コンテナを捨てた。明日も同じくらい捨てざるを得ない。

 噂では、今年はいつまでも暖かかったため柿の熟すのが非常に早く、収穫が間に合わないという。一部の柿農家は穴を掘って埋めているという話も聞こえてくる。この見切りの良さ、ここがプロと新米の違いとは思うものの、やはり捨てがたい。自分で育てたものは可愛いからななどと言い訳をしているが、本当は小ゲチいだけの爺かも知れない。

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