学力詐称

 学歴詐称、近頃はやりなのかもしれない。もっと一般的に言えば、経歴詐称とすればよいだろう。ちょっとネットで検索すれば、話題には事欠かないほどの事例が挙がってくる。昨日は神戸市で、大学を卒業しているのに、高卒限定の採用試験に合格して約18年間勤務した技術職員を懲戒免職処分にしたとの報道があった。確かに、経歴の詐称ではあるが、神戸市としては高学歴の人間を低給与で雇用していたわけで、さほどの被害を受けたわけではないだろう。(本人の勤務ぶりを知らないのでここは推測、勤務状況が悪ければそれは別の話)就職氷河期と言われた時代、この手の話はいくつも聞いた。確かに嘘と言えば嘘に間違いはないが、低学歴を高学歴と詐称する場合より、実害は少なそうだ。

 そういえば、医師の免許を持たない偽医者には、患者からの評判のよい場合が多いと聞く。問題を起こして資格のないことが発覚しないように、患者に対する対応が丁寧であることが原因らしい。さらに言えば、医師の仕事が、標準治療すなわち治療ガイドラインに沿って行えばよい場合が多く、ある程度の医学的知識があれば勤まると考えていいのだろう。

 いや、経歴詐称したヒトを擁護しているつもりはない。それは望ましくないことであり、法的に罰されることがあって当然である。この結論を前提にした上での話だが、世の中には学歴詐称よりももっとたちの悪い合法的詐称がある。それは、学歴詐称ではなく学力詐称である。大学という教育機関においても、教授、准教授などという地位に明らかに適さない程度の学力しかないと思われるヒトが、それなりの頻度で存在する。これは大学だけの問題ではない。高校にも中学校にも小学校にも同じことがいえるようだ。

 もっともこの現象は教育者に限った話ではない。学生にも多数の学力詐称者が存在する。高校卒業の経歴であるのに、割り算ができない、比例計算ができない学生の存在は、かなりの数の私立大学においてはさほど珍しくない。学力詐称の教員と同罪の学生が、なあなあの関係で動いている大学なんて掃いて捨てるほど存在するようだ。

 いろんな大学の真面な先生方と、どうしたら良いのだろうと言う話をよくしたものだ。解決策、そんなものがあるわけはない。絶望的な現状認識があるだけだ。よく考えなくても分かることだが、人口の半分は平均学力以下である。教員の半数も、教員の平均学力以下なのである。教員の平均学力が一般人の平均学力よりも高いという調査結果を見たことはない。せめて彼らが、人格者であることを期待しよう。私?、いまも人格者であるべく努力中です。

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水量調節

6/22

 強い雨が降っている。我がうきは市にも大雨・洪水警報と雷注意報が発令中である。昨日は山の畑添いの道路の法面が崩れた。今朝は植えた稲が水没していそうなので、朝から止水板を外しにいった。冬期に何もつくっていない水田は、排水口の水位を調節すればそれなりの水位になるのだが、二毛作で麦を作っていた場合はそう簡単ではない。コンバインで麦を刈り、葉と茎は細断して畑に戻しているのだが、強い雨がするとこの細断され水に浮いた麦わらが大挙して排水口に流れ込み目詰まりを起こしてしまう。そうなると水位は一挙に上がり、植えた稲はすべて水没という事態を招いてしまう。雨の中であっても、排水口に詰まった麦わらを取り除く必要があるのである。

 ニュースで田んぼを見に行った老人が水路に落ちて死亡という記事をよく見る。こんな雨の中、年甲斐もなく何をしに行っているのと批判的に見る人もおられるとは思うが、実際には行かざるを得ない場合も少なくない。イネは比較的水没に強いとは言え、長期の水没は好ましくない。早く活着してくれないと、除草剤を撒くタイミングを逸してしまう。植えた苗が、早く健康に育って欲しいと思えば、思わず体が動いてしまう。とはいえ、轟々と流れる用水路の横を歩くのは怖いものである。

 スケールの小さな化学反応において、溶媒量の変更など何の問題にもならなかった。スケールアップしたとき、反応熱の除去の問題で悩むことはあったにしろ、溶媒量の問題は反応物の溶解度と反応様式を考慮しておけばさほど本質的な問題にはならなかった。(もちろん、proticな溶媒であるかaproticな溶媒であるかとか、溶媒の極性が高いか低いかなどと言う原則的なことを考えておくのは当然である )

 ところが、水田における水量調節は思った以上に難しい。さほど広いわけではない3反の水田でも、1 cmの水位の変化は約30 トンの水量に対応する。豪雨で麦藁が詰まり10 cmも水位が上がった場合、これを元に戻すには300トンの水を流さねばならないのである。一般的な家庭の風呂の水量が250リットル、これを10秒間で排水する早さで流したとしても、300トンを流すには200分、つまり3時間と20分かかることを意味する。同時に、この水量は100ミリメターの雨に対応する。水口の止水版の調節は、雨の降り方と排水速度を、3時間後とか5時間後の水田の状態をイメージしながら調節する作業である。近頃少しは慣れてきたが、なかなか難しいものである。

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路肩崩落

6/21

 平成24年に起こった九州北部豪雨で、私の栗畑の横を通る市道の路肩が崩落した。道路から溢れた雨水が滝のように私の栗畑(この部分はサツマイモを植えている)へ流れ込み、表土を30cm近く流してしまったのである。この豪雨では市内の棚田の被害が大きく復旧もそちらを優先してなされたため、この崩落部分の復旧は遅れ今年の5月にようやく土嚢を積み上げる暫定的な処置がなされたのである。

 昨夜の10時過ぎ、緊急の豪雨に関する情報が流れた。激しい雨と雷がかなりの時間続いた。先の補修箇所が気になって朝から出かけたのだが、何と土嚢はほとんど流されイモ畑の中に落ちていた。植えていたサツマイモ「薩摩金時苗」の半分は流され、畑の表土も流れ去っている。苗を植え付け、枯れないようにと水をやりようやく元気になっていたのに・・・。

 私のイモの問題は横に置くとして、道路の路盤が見えるまでになっている。この道路は一応幹線として機能しているため、崩落してしまうと影響が大きい。写真を撮って、市役所に連絡に行った。損壊場所と被害状況の説明をして帰ってきたのは11時半、今日は欠け苗の植え付けするつもりだったのだが、この時間からでは暑すぎてやる気がしない。水をかぶった方がまだましだと思い、2時間ほどかけて泥にまみれたトラクターを洗った。乾いたらグリーシングをしようと思っているが、明日はまた雨らしい。本当に何をしているのやら、自然相手の仕事は思い通りには進まない。

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路肩まで崩落した法面
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無惨にも流れ落ちた土嚢群
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崩落した路肩を下から撮影
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ポルフィリン停滞

 ポルフィリンの話が滞っている。話を進めようという気はあるのだが、ここまで忙しいと落ち着いて机の前に座る時間が取れない。夜があるだろうと云われるかもしれないが、夜になると書く体力も気力も視力さえも激減している。この繁忙期を抜けるまで、まとまった話は無理かもしれない。

 山下惣一さんという農民作家と呼ばれる方がいる。私より一回りほど年長の方だが、農民作家というより農業哲学を提唱している方であると見た方が正しいだろう。まあ、お金至上主義・新自由主義が蔓延している現代においては、異端の人として見られるかもしれない。年長の方に向かって失礼な書き方かもしれないが、彼の著書を読む限りにおいて、私の持つ価値観に非常に近い人であると極めて好意的に評価している。この方は、農作業や講演活動をやりながら1960年代から執筆を続けてこられた。彼の持つ農業哲学に共感するとともに、執筆活動の継続を支えてきた気力と体力にも敬服するほかない。

 気力・体力・視力の落ちた私のいま一つの言い訳だが、使用していた大画面のiMacが半月ほど前にダウンした。本人同様、このマシンも弱っていたらしい。何とも困ったことだが、ChemDrawで作っていた図が昇天したのである。これは痛手である。現在はサブマシンであるMac Airを使って更新している。

 もちろん、Time Machineを使ってのバックアップはとっていたのだが、疲れた老眼を痛めつけるようなMac Airの小さな画面を使っての再構築はやりたくない。さらに、Wordでつくった文書、ChemDrawとPowerPointで作成した図、KEGGのいくつかの図、何ページかのWeb上のページを行き来しながらの作業は、13インチ程度の画面ではあまりにも能率が悪い。iMacの復活を待つ日々である。

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多忙です

 6/19 農民としては尤も忙しい季節である。持っている土地に生える雑草と一括して呼ばれる草を切るだけでも大変なのに、果樹の摘果・収穫・袋掛け・消毒と呼ばれる病害虫の防除・施肥は欠かせない。さらにこの時期は田植えの季節でもある。草刈り・耕起1・肥料散布・耕起2・代かき、そして田植えと続くのだが、平行して田植機用苗の育成も欠かせない。私はズルをして、苗は農協から購入した。さらに、各作業で使用する機械・器具のメンテナンスも必要である。

 要するに、天気と気温と使える時間を考えながら、これらの作業をこなさなければならない。長年やってきた人たちは黙々と手際よく捌いていくのだが、此方人等新米はそんなに上手くできるはずもない。迷路から出ようとする頭の悪いマウスのように、無駄な動きを重ねるばかりである。

 昨日、3反の田んぼの代掻きをし、今日田植えが終わった。残り3反の代掻きをするつもりだったが、水が意外に広がらず明日に延期した。今日済ましておけば後が楽になるとは思うのだが、できないことはできない。それにしても、6反も米を作ってどうなるのか不安である。反当たり8俵取れるとすれば、10月には48俵、30Kg袋で100袋近くとれるのである。これをどうやって売るか、頭の痛い話である。

 6/20 5時少し前に起床、天気予報を見ると極めて強い雨が降るような予報である。幾分あたる確率の高い雨雲レーダーによれば強雨域の北の辺縁なので、外れる可能性もあると判断し6時頃から代掻きを始めた。この判断は正しかったようで、さほど強い雨には遭わずに10時過ぎには終了。縣濁した土壌粒子が沈殿するのをまって田植えを強行、8割程終わっていやいや正しい気象判断であったとにんまりしていたら突然の強雨、全身ずぶ濡れである。早く終わろうと焦ったのが間違いで、最後の周回時に5条植と3条植の選択を間違ってしまった。こうなるとなかなかやり直しが難しい。3条分の苗を犠牲にして再度周回したのだが、所々に前回分の苗が残ってしまった。

 こうなると、田んぼのある場所が少し問題である。「道の駅うきは」のすぐ下で、基盤整備の済んだ田んぼ銀座の真ん中である。観光客のみならず多くの地元の人も通る。どうにかしたいが植え付けの失敗は隠しようがない。明日以降、新米がまた下手なことをしてという話題を提供したようだ。まあ1月もすれば稲も生長して、この失敗は目立たなくなるのだが。

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