旗立てと旗下ろし

 昨年の終わり頃、地区の集まりの中で近所にある賀茂神社の世話当番が私たちの集落になるという話を聞いた。近隣の地区で回り持ちになっているらしい。日にちは忘れたが、集会のあった数日後に旗下ろしがあるという。話の内容がつかめずに、会が終わった後で近所の人に聞いてみた。要するにお祭りのときに境内に立てる旗を立てたり下ろしたりするのだという。それは理解するとして、私は氏子ですかと尋ねたら、氏子になるのを拒否するといわない限り、山北に住んだだけで自動的に氏子になるのだそうだ。要するに私は、仏教徒でありながらいつの間にか晴れて賀茂神社の氏子、それも正式な氏子ということになっていた訳である。そういうわけで、日時は忘れたが旗下ろし、12月28日の旗立て、そして今日その立てた旗を下ろしてきた。

 この歳になるまで、神社の参道に大きな旗が立っているのを何気なく見てきたが、氏子の人たちがあれを立てたり下ろしたりと、見えないところで活動されていたことに思いが及んでいなかった。都市の中にいてサラリーマン的な生活を送っていると、山間部の道路整備やこうした文化の継承などについて殆ど気付かない。

 それはそうとして、旗を立てたり下ろしたりする作業は結構大変である。今日の参加者は20人ほどで6本の旗を下ろしたのだが、そこは慣れと経験が優先する世界である。

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賀茂神社 左右の4本の旗を降ろして収納
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写真としては電信柱と電線がうるさいが、この2本の旗は結構大きい。でも作業は楽である。

  旗の大きさは後の写真の方が大きいのだが、この場合はアルミのポールに沿って掲揚する形になっているので左程大変ではない。前の写真の旗は旗立石と呼ばれる石にボルトや藁縄で固定して立てられている。小さそうに見えるが、旗を立てている支柱が思いのほか重たいため、これを立てたり下ろしたりするのは6〜7人の共同作業となる。いやいや新年から楽しい経験をすることができた。

  ここで話を止めても良いのだが、一寸だけ補足する。この賀茂神社は余り知られていないにもかかわらず、歴史的には興味深い。この神社、祭神は神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと:神武天皇)、賀茂下上大神《賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)そして懐良親王(かねながしんのう)》なのだが、この賀茂下上大神が最初に天降り鎮座されたのは、京都の上賀茂神社や下賀茂神社ではなくこの浮羽の地なのである。その後、初代天皇である神武天皇が日向から大和へ東征される際に、宇佐からうきは市の山北へ来られた。伝承によればそのとき賀茂大神は八咫烏(やたがらす)となって東征の道案内をしたという。詳細は賀茂神社 (うきは市)と入れてウィキペディア、或いは「神功皇后伝承を歩く」の著者である「綾杉るな氏」が書かれているブログ「ひもろぎ逍遙 」 http://lunabura.exblog.jp/19243019/ などを参照されるのが良いだろう。我が家からクルマで4〜5分のところにこんな由緒を持つ神社があるだけでなく、いつの間にかその正式な氏子になっていたとは、人生面白い。色々楽しんでいるばかりで、本来のブログが滞っている。反省!

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1月3日

 朝から快晴である。あまりの天気の良さに農作業を始めたくてウズウズしていた。とは言っても、地方の慣習には従わないといけない。周囲の人たちが今日までは完全休養しているのであれば、あまり表立って働くわけにもいくまいと様子をうかがっていた。すると嬉しいことに軽トラが走り始め梨畑での剪定が始まった。私も喜んで軽トラに乗りクリ畑の様子を見に行った。この時期にはクリオオアブラムシが幹の日陰側に集団を作り産卵をする。大ぶりな真っ黒いアブラムシが大集団になっているのは幾分気持ちが悪い。さらにこの集団の中に、ヒラタアブの幼虫が何匹もいてオオアブラムシを捕食している。この寒い時期であっても、昆虫界での生存競争は続いている。写真は気持ち悪いと思うのでここには載せないが、興味のある人はhttp://www.town.oi.kanagawa.jp/sizenen/now/h25_12a.htmlでも参照してください。殺虫剤は使わずに火で焼き殺すのだが、ちょっとばかり残酷で心が痛む。

 天気のいい日は放射冷却で霧が出やすい。クリ畑から数百米も行けば大分県日田市である。日田市は底霧が出る町として有名なところだが、日田市で発生した底霧が筑後川に沿って流れ出してくる。今日は夜明けダムの上を通った霧が、川沿いに杷木町の上空へと流れ込んでいた。

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 帰りに、原鶴温泉の上空でこの霧が消えてゆく景色が見えたので、もう一枚写真を撮った。

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 その後、柿畑で夕方まで剪定をしたのだが、まだ満足のいく剪定ができない。プロの方が作っている剪定後の柿園の姿に比べ、剪定後の私の柿はどこか弱々しいのである。肥料を幾分抑えているので、枝の大きさがちょっと小さいのである。まあしかし、経験年数が違うのだから、仕方ないことと諦めよう。このサイズの柿の木1本を剪定するのに、2時間半から3時間が必要である。パートの人の応援を仰いでいるとはいえ100本とか200本とか植えている本職の人は大変だ。

 以下、剪定前と剪定後の写真である。

剪定前
剪定前 1
剪定後
剪定後 2
剪定前 2
剪定前 2
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剪定後 2

  写真に写っているが、脚立の上り下りが膝にくる。剪定ばさみを持つ右手が疲れて、指がつり始める、上ばかり見るので首と腰が痛くなる。剪定すべき柿の木が7本で本当によかった。

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近況

 2ヶ月余り、山仕事にはまっている。耳納山系の東の端近くに2,000坪程度の栗畑を持っているのだが、いわゆる法面の手入れが15年以上滞っている(私が買って7年目)。道路脇の斜面に生えた木が、台風時に土を抱えて倒れるようになってきた。放置すれば、道路の損壊を引き起こしかねない。数年前から、大きな木だけでも切っておこうと考えていた。この作業、昨年の冬に終わらせるつもりだったのだが、年末に右足を捻挫したのが原因で今年に持ち越していたものである。

 10月の終わり頃から、1日1 m前進を目途に木を切り竹を切りしているのだが、まだ終わらない。放置していた間に生長した雑木は、直径が20㎝を越えるものもある。その木に葛や蔓草そして荊が巻き付き樹冠の部分で数本以上の木が連結されているのである。1本の木を倒すのでも、風向き、枝振りと幹の伸びた方向だけではなく、足場の確保や電線の位置などを考えながらのかなり危険な作業なのに、10 m 以上に連なったジャングルを処理するのは、手に余るというのが本音である。しかし、やるしかない。我々がホームセンターなどで通常手にする材木はさほど重たいものではないように感じるが、山に生えている生木は多量の水を含んでおり思った以上に重たい。時には命の危険を感じざるを得ない。

 要するに、急な法面自体がすべてそで群落とマント群落の様相を示している。言い換えれば温帯ジャングル状態である。そしてその中にイノシシが移動に使っている獣道が何本も通っている。これらの木や草を全部切り払うのは、法面の土壌保護の観点からは望ましくないとは思いながらも、とにかく一旦切り払わない限り大きな木の根元にも行けない。山林用チップソーをつけた刈り払い機で下草を刈った後、金曜日のジェイソンのようにチェーンソーを振り回し、荊と葛のジャングルを切り開いていくのである。

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どこからどう手をつけて良いか?
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下側から2メートルほどソデ群落を切り払った後

 足場は悪いし、荊は痛い、刈り払い機でソデ群落を切っても、チェーンソーを振り回して樹冠?をなしている蔓を切っても、耐えられないほどのゴミと切りくずが飛んでくる。ゴーグルと、時にはマスクを掛けるているとはいえ、1時間もすればゴミだらけになる。疲れると注意力が落ちて危険なので、この作業2時間以上は続けない。

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道路側のソデ群落を切り払った後
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切った木を含めツタや葛を引き下ろしたところ、とは言ってもヒトが引っ張ってもビクともしない.ロープを掛けて軽トラで引きずり下ろしたところ

 作業が終わり、一気に視界が開ける時の爽快感は格別なのだが、この季節でも虫刺されは発生する。マダニは冬でも活動するというし、ブヨもまだ油断できない。デスクワークは楽だったなと思う反面、毎日汗をかく生活もなかなか捨てがたい。

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あと一歩、もうすぐ視界がクリアーになります
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過剰と蕩尽 28

 すべての生体物質を酸素と絡めて見直すべきだとする私の考え方を採用するならば、面倒な話になりかねないとはいえ核酸の生合成にまで言及せざるを得ないことになる。いわゆる二次代謝産物の話が出発点にありながら核酸の生合成にまでコメントするのは風呂敷の広げすぎだろうと思わなくもないが、これが思いがけなく重要な意味を持ってくる。核酸、すなわちDNAとRNAの生合成を考える当たって、現在行われている教育においては、両化合物を遺伝情報を保持・伝達すると言う立場からの説明が主流である。物質としてのレベルでDNA・RNA生合成に割かれているページ数はあまりに少なく貧弱に感じている。勿論、この言い方に反論をお持ちの方がいることは容易に予想できる。DNAを鋳型として、娘DNAへの複製、或いはmRNAへの転写は、遺伝情報を移すという側面を持つにしても、新たな巨大分子であるDNA或いはRNAの生合成を示しているではないかというものである。確かに、DNA或いはRNAの生合成を、ATP、GTP、TTP、CTP或いはUTP或いはそのデオキシ体の存在を前提としたレベルでの議論であればその反論は間違っているわけではない。(有機化学反応として捉えるという観点からは不十分だが)しかし、これら原料となるヌクレオチドの生合成はどうなっているのか。それらは、本当に酸素の関与なしに生合成されたのか?

 以前私は、アブシジン酸の生合成について、生合成の開始点をアセチルCoAまで遡行して議論した。(生合成から見たアブシジン酸を参照)見落としがちであるが、この議論をした時に採用した全く同じ論理がDNA・RNAの生合成においても成立するのである。少なくとも大気中に分子状酸素がほとんど存在しない時代に生まれた偏性嫌気性微生物が原初の生物であったなら、DNAとRNAの生合成の過程に分子状酸素が関与する酸化反応があってはならないだろう。つまり、アプリオリに生合成の原料として使われているATP、GTP、TTP、CTP或いはUTPなどの生合成過程に、酸素分子が関与する酸化反応が存在しない事を検証する必要があると考えているのである。では出発物質をどこまで遡るべきなのか。実はこの場合も、出発物質としてアセチルCoAまで遡行するべきであると考えている。

 そこでこの独断に従って、アセチルCoAを出発物質とし分子状酸素の関与しない核酸生合成系を述べる事にする。原料であるアセチルCoAは、まずTCA回路に流入し2-オクソグルタル酸まで回路を流れた後、グルタミン酸に変換される。 からグルタミンへ変換された後、アミド基のアミノ残基が 5-Phospho-α-D-ribose -1-diphosphate の1位に導入され、5-Phosphoribosylamineとなった後いわゆるプリン代謝系につながっていく。ピリミジン代謝系もグルタミンから分岐する。反応については後述するとして、グルタミンのアミド基のアミノ残基を含む Carbamoyl phosphate がアスパラギン酸と反応してN-Carbamoyl-L-aspartateとなりピリミジン代謝系へと流れていく。この代謝で生合成されるのはリボース残基を含むATP、GTP、CTP、UTPであり、デオキシリボース残基をもつdATP、dGTP、dCTP、dTTPは対応するリボヌクレオチドから生合成される。この順序から見て、生物界でRNAがDNAに先行するのは自明の話となる。

 さて、これから幾分以上に面倒な核酸の生合成系をじっくりと見ていくわけだが、実はこの系の前部に関しては議論は終わっている。つまり、「TCA回路の解釈は間違っている」の中でアセチルCoAから2-オクソグルタル酸までの変換についてはすでに述べているからだ。興味のある方はそちらを参照してほしい。従って実際の反応に関する説明は2-オクソグルタル酸から始まる事になる。

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2-オクソグルタル酸からグルタミン酸の生合成

 生物にとって、極めて大事な反応である2-オクソグルタル酸からのL-グルタミン酸の生合成は、有機化学的に見ればさほど難しい反応ではない。2-オクソグルタル酸の2位のカルボニル基とアンモニアが脱水反応を起こしてシッフ塩基となった後、NADHあるいはNADPHを給源とするハイドライドイオンが2位の炭素を攻撃してグルタミン酸となる。この時、2位の炭素のre面側から攻撃が起こればD-Gluがsi面側から攻撃が起こればL-Gluが生成することになる。もちろん、ほぼ全ての生物においてはsi面側から攻撃が優先的に起こることは諸氏もご存知の通りである。そして、我々の体を構成する多くのアミノ酸生合成はこの反応から始まるのである。

 ここで問題になるのは反応で使われるアンモニアの起源である。2-オクソグルタル酸からのL-グルタミン酸の生合成を触媒する酵素は、glutamate dehydrogenaseと呼ばれる細胞内に存在する窒素代謝系に由来するアンモニアを基質とする酵素群と、glutamate synthaseと呼ばれるL-グルタミンのアミドに由来するアンモニアを基質とする酵素群である。後者の系においては L-グルタミンは L-グルタミン酸に由来するため、この系を初発のグルタミン酸生合成系として捉えることは少し無理があるかなと思うのだが、原初の生物がヘテロトロフ即ち従属栄養生物であったとすれば、この可能性も強ち否定できるわけでもないがその可能性は限りなく小さいであろう。さて、16S rRNAを基にした系統樹において、好熱性バクテリア Aquifex、Thermotoga、Green filament bacteria、古細菌である Pyrodicticum、Thermoproteus の仲間は、根元に近いところに根っこを持つ好熱性の微生物群である。 ここで問題にしているグルタミン酸生合成に関する2種の酵素について、これらの微生物での分布を見てみると以下に示した表のようになる。

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(緑に塗った部分の酵素が存在する)

好熱性細菌である”Aquifex aeolicus“を含むAquificae科に属する14種の好熱菌性細菌の中で、以下に示すように12種はL-グルタミンのアミドに由来するアンモニアを基質とするglutamate synthaseのみを持つ。残りの2種類の微生物、Sulfurihydrogenibium azorenseとThermosulfidibacter takaiiは上記のglutamate synthase とともに、グルタミンを必要としないglutamate dehydrogenaseを併せ持っている

Thermotogae科27種の内訳をみるとThermotoga属の13種は全てを含む24種の細菌はglutamate dehydrogenaseとともにglutamate synthaseを持っている。このグループの中で気になるのはDefluviitoga tunisiensisThermodesulfobacterium communeであろう。前者はglutamine synthetaseを欠いている点でユニークであり、後者はグルタミン酸合成酵素群を欠いているにもかかわらずグルタミン酸からグルタミンを合成する酵素は持つ。

もう一つ、系統樹の深い位置に分岐点を持つグループであるGreen filament bacteriaは、緑色非イオウ細菌とも呼ばれるグループで 、10属 25種の細菌を含むが、このグループの中にも変わり者はいる。

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(緑に塗った部分の酵素が存在する)

 Dehalococcoides、Dehalogenimonas、SphaerobacterineaeそしてCaldilineaに属する細菌群はグルタミン酸生合成酵素を欠いているにもかかわらず、グルタミン酸からグルタミンを合成する酵素は持つ。Anaerolineaceae bacterium oral taxon 439はグルタミン酸生合成酵素は持つがグルタミン生合成酵素を欠いている。ただこの表で注意すべきことは、種の数がそのまま自然界の存在比を示しているのではないことであろう。人の注意を引いた菌群が集中的に研究されたため、多くの種が存在するように見える場合があるからである。例えば、Chloroflexi科においてDehalococcoides属が優先種であるように見える。しかし、このグループはtetrachloroethaneやtrichloroethyleneのようなハロゲン化炭化水素に対する分解能を持つだけでなく、これらを混合培養するとpolychlorinated biphenyls(PCBs)をも分解できるが故に、生物修復の期待を込めた研究が集中的に行われたことが原因だと思われる。

 それがどうしたと言われそうだが、もう少し付き合ってほしい。次の表は、やはり系統樹の深い位置に分岐点を持つ。のグループについて、グルタミン酸関連酵素群の存在を抜き出したものである。ここにおいても10種の菌がグルタミン酸生合成酵素を持たないにもかかわらず、グルタミン酸からグルタミンを作る酵素を持つ。

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(緑に塗った部分の酵素が存在する)

 二つの表に示した菌群は少数の好気性細菌は含むものの、大多数が嫌気性の好熱細菌である。そして地球上に最初に現れた生物にとても近いグループと考えられている。とはいえ、Aquificae科については、最も古い真正細菌と見なされているいるとはいえ、プロテオバクテリアから派生した系統であるとするデータもないわけではない。表の最後に載せているCandidatus Korarchaeum cryptofilumは、まだ単離はされていないにしてもゲノム解析が終わっている古細菌で、一般的にはAquifex aeolicusとともに、系統樹の最も深い位置にで分岐したとされている。この菌のグルタミン関連代謝系は、glutamate dehydrogenaseとともに2種類のglutamate synthaseだけでなくグルタミン生合成系も持ち、さほど違和感のあるものではない。ただ、この菌の培養の経緯を見ると従属栄養生物であるように思える。この古細菌で異常に特徴的なのは、グルタミンから5-Phospho-D-ribosylamineを通って始まるプリンヌクレオチド代謝系の初発酵素であるamidophosphoribosyltransferaseとCarbamoyl phosphateから始まるピリミジンヌクレオチド生合成系の初発酵素であるcarbamoyl-phosphate synthaseの両方を欠いていることである。最もCarbamoyl phosphateについてはcarbamate kinaseの存在下にアンモニアと二酸化炭素とATPから生合成する系が存在するので、この系を代用しているのかもしれない。プリンヌクレオチドとピリミジンヌクレオチドの生合成系を見てみると、前者が代謝酵素に欠損の多いスカスカの系であるのに比して、後者はかなり充実した経路を構成しており、先の結果を反映しているのかもしれない。この辺りの酵素群については、脊椎動物はglutamine synthaseを持たない、節足動物や軟体動物はglutamine synthaseとともにglutamine dehydrogenase両系統の酵素を持つ、植物も両系統の酵素を持つなどと色々と考えさせる分布を示し結構面白い。

 ここまで読まれて、こいつは何が言いたいのだろうという疑問が読者の中に湧いてきたのではないかと思う。まとめてみよう。言いたいことは二つある。一つは一見生命維持に不可欠な代謝系に欠損部分があったとしても(この部分の代謝酵素がないという意味)、生物はこれを苦にすることなく生き延びているという事実である。つまり、同じ反応特異性を持つ別の酵素がこの部分を補っているのであろう。何度もいうようだが、酵素の基質特異性は我々が思うほど高くはない。しつこいと思われるかもしれないが、教育の中で酵素の厳密な基質特異性という概念を刷り込まれ、且つ私自身が厳密な基質特異性は誤りであると思いながらも意に反した講義を行ってきた人間として、これは声を大にして言っておきたい。

 いま一つは2-oxoglutaric acidを含むTCA回路の意義についての解釈である。この場合も、TCA回路を解糖系に続く糖の好気的分解経路でありATP生産のための経路であるとする常識がヒトを含む一部の生物において成立するにすぎないという事実である。ブログのこの部分だけを読まれた方々は、唐突になんという非常識なことを書くのかと眉に唾をつけられるかもしれない。しかし、残念ながら常識的解釈は間違っている。詳しい理由については拙ブログのTCA回路への異論に書いているが、ここでも少しだけその根拠となる例を示しておく。下図を見てほしい。

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 この図は今議論している細菌のグループの中で、Euryarchaeota に属する古細菌Methanococcus maripaludis S2 のTCA回路を示している。この図において、緑に塗られた枠内の酵素が存在する酵素である。この古細菌の回路になっていないTCA回路は、通常のTCA回路と反対方向のベクトルを持っているようだ。フマル酸とコハク酸の間が切れているように見えるが、この反応は二重結合に対する水素添加反応であるため、脂質代謝で働くreductaseのような基質特異性の低い酵素が代わりに働いているのであろう。オギザロ酢酸から2-オクソグルタル酸までの間で、2分子のNADPH2と1分子のATPそして1分子の還元型フェレドキシンを消費している。この回路になっていない、逆向きのベクトルを持ちエネルギーを消費する系をTCA回路として分類する根拠は何処にあるのだろうか。Methanococcus maripaludisにおいて、もし、万一この系が逆向きに動いたとしても、困ったことにこの菌はNADPH2からATP生産を行う酸化的リン酸化を行うことはできないたのである。

Methanococcus maripaludis S2の酸化的リン酸化を実行できない酸化的リン酸化経路        (緑の枠内に書いてある酵素3.6.1.1と3.6.3.14のみが存在する)

 上の図に示すように、この古細菌はATPを生産する酸化的リン酸化経路を構成する要素のほぼすべてを欠失している。TCA回路に対する矛盾に満ちた説明は、何処かで正す必要があるのではないか。

 核酸の生合成を語るつもりが、入り口で手間取ってしまった。次回はスムースに進める予定である。

 最後に、毎回同じことを言うようだがKEGGを作成・運営している方々に感謝します。

過剰と蕩尽 29 に続く

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過剰と蕩尽 27

 なんとなく曖昧な形でキサントフィルサイクルを終わってしまった。思いつくままに書いているため、どうも全体の纏まりに欠けるように感じるが、あれ以上の議論をするともっと錯綜しそうである。現在行われている説明にちょっとばかり石を投げ波紋の広がるのを楽しみにすると同時に、私の立ち位置からの一つの仮説を提示したものとして受け取ってほしい。

 それはそうとして、ここで書いておかねば書く機会をなくしてしまいそうな話題がまだひとつ残っている。それはポルフィリンについてのものである。ポルフィリンは前々回までで終わったのではないかと思われるかもしれないが、酸素分子とポルフィリンを絡ました形での議論は手つかずで残っている。キサントフィルサイクルの議論の最終部分で述べた「Oxygenative Burst Hypothesis」に、ポルフィルンが適合しているかどうかの検証は、今ここで行うのが適切であろうという判断である。

 ポルフィリンと酸素の関連は、思った以上に複雑である。さらに、酸化的生物としての人の生き様が、この関蓮を語る時に大きな誤解のパラダイムを形成しているようだ。この、誤謬の体系を打破した上で新たな認識体系を構築するのは、一人でできるほど簡単なことではないと理解した上で、なんとか揺すぶる努力をしてみよう。

 ポルフィリン環を持つ物質群を、細かな分類は横に置いてランダムに羅列してみる。まず、クロロフィル、プロトポルフィリン、ヘモグロビン、ミオグロビン、ペルオキシダーゼ、シトクロム、カタラーゼ、シアノコバラミンなどをすぐに思いつくだろう。プロトポルフィリンをどう扱うかが問題になると思うが、いわゆる光合成に関与するクロロフィル、酸素に直接関与するタンパク質がヘモグロビン、ミオグロビン、ペルオキシダーゼ、シトクロム、カタラーゼ、そしてDNAの生合成やビタミンである葉酸の再生、葉酸の再生を通した奇数鎖脂肪酸の代謝などに関与するシアノコバラミン類と分類するのが妥当であろう。従って、この分類を基礎として幾つかの議論をすることにする。以下にKEGGのPorphyrin and chlorophyll metabolism – Reference pathwayのマップを示すが、このままでは小さすぎると思うので本来のサイトから大きめにプリントアウトして議論をフォローしてほしい。

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Porphyrin and chlorophyll metabolism – Reference pathway

 まず初めの問題だがポルフィリン環を含む化合物群において、どの段階でオキシゲナーゼが関与する酸化反応が出現するのか。ポルフィリン環を持つクロロフィルが酸素発生型光合成を行うようになった。しかし、クロロフィルの生合成には分子状酸素が必要であるというのでは、時系列的な話がおかしくなってしまう。

 つぎに、このポルフィリン環を持つ3つの化合物群を地球化学的歴史観の下で古い順に並べるとすればどうなるのだろう。どの化合物群が古く、どの化合物群が新しいのか。3つの化合物群の間に時間的関係を持ち込めれば、生合成系の生物における進化の道筋に新たな視点の導入が可能となるかもしれない。

 いま一つ、昔から疑問に思っていたことだが、ヘモグロビンを単にヘモグロビン単独で見るのではなくその他の酸素結合タンパク質の一員として見たとき、どのように見えるかという問いかけである。巷間に流布しているヘモグロビンを酸素運搬タンパク質として捉える考え方では、レグヘモグロビンは説明が難しい。勿論、この分野の研究者が、それなりの答えを出していることは承知しているが、呼吸をしてエネルギーを得ている酸化的生物としての人の生き様が、ヘモグロビンを酸素運搬タンパク質として捉える常識を形成する基盤になっているという視座構造について触れたいと思う。

 ということで、まず5-アミノレブリン酸からクロロフィルaまでの経路を見ることにする。先に示したポルフィリン生合成の図に、各段階で働く酵素を追加して再度示すことにする。

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5-アミノレブリン酸からクロロフィルaまでの経路

 最初の図は5-アミノレブリン酸からプロトポルフィリンIXまでの各段階で働く酵素を示している。この図においてはCoproporphyrinogen IIIからProtoporphyrinogen IXへの変換において働くEC3.3.3(coproporphyrinogen III oxidase)とProtoporphyrinogen IXからProtoporphyrin IXで働くEC1.3.3.4(protoporphyrinogen IX oxidase)が酸素分子を利用する酵素であるが、前段の反応にはoxygen-independent coproporphyrinogen III oxidase [EC:1.3.98.3]、後段の反応にはmenaquinone-dependent protoporphyrinogen oxidase [EC:1.3.5.3]という酸素を必要としない酵素が同じ反応を触媒する。つまり、酸素の関与なしにプロトポルフィリンIXまで進める系存在する。

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Protoporphyrin IXからChlorophyll aまでの経路

 同じく、Protoporphyrin IXからChlorophyll aまでの系においても、Mg-Protoporphyrin IX 13-monomethyl esterと2,4-Divinylprotochlorophyllideをつなぐ3段階のを触媒するMg-protoporphyrin IX monomethyl ester (oxidative) cyclase(EC14.13.81)は酸素分子を基質とするオキシゲナーゼであるが、ここに於いても酸素を使わないbchE(anaerobic magnesium-protoporphyrin IX monomethyl ester cyclase [EC:4.-.-.-])が同じ反応を触媒し、2,4-Divinylprotochlorophyllideまでの変換が可能となっている。蛇足かもしれないがChlorophyll bまでの経路にはchlorophyllide a oxygenase [EC:1.14.13.122]で触媒される酸素を必要とする酸化段階が存在し、この系を還元的に進める酵素は存在しない。これが、本来のChlorophyll bがChlorophyllide aの酸化分解物であり、例えchlorophyll aへ向かう系が存在するにしてもchlorophyll a生合成の本来の前駆体ではないと述べた理由である。

 多分ここまでの話に対し、さほどの異見があるとは思わない。私自身、このまま論を進めようとしたのだが、よく考えてみると「まとめサイト」の罠に嵌っていたことに気づいた。それが、更新が遅れた一つの理由である。ここまでの議論はKEGGの“Porphyrin and chlorophyll metabolism – Reference pathway”のページを参照しながらの話である。ここに問題が存在する。ガスクロマトグラフィー分析で得られるクロマトグラムが単にretention timeに由来する二次元のデータであるのに対し、GCMSやLCMSで得られるトータルイオンクロマトグラムは、あるretention timeを持つピークの後ろにマススペクトルが隠れている三次元のデータであるように、“Porphyrin and chlorophyll metabolism – Reference pathway”のページは、真核生物346種、バクテリア3,900種、古細菌231種のデータが重層して投影された構造になっている。とすれば、その生物一つ一つの持つ代謝系は異なっているが故に、「この図においてはCoproporphyrinogen IIIからProtoporphyrinogen IXへの変換において働くEC3.3.3(coproporphyrinogen III oxidase)とProtoporphyrinogen IXからProtoporphyrin IXで働くEC 1.3.3.4(protoporphyrinogen IX oxidase)が酸素分子を利用する酵素であるが、前段の反応にはoxygen-independent coproporphyrinogen III oxidase [EC:1.3.98.3]、後段の反応にはmenaquinone-dependent protoporphyrinogen oxidase [EC:1.3.5.3]という酸素を必要としない酵素が同じ反応を触媒する。つまり、酸素の関与なしにプロトポルフィリンIXまで進行する系があるいうわけである。」などという牧歌的な解釈で良いはずがない。

 つまり、どの生物が上記の結論を支持する代謝系を持ち、かつその生物が系統樹においてこの結論に相応する場所に位置するのかという問題に遭遇するわけである。そうすると、この時点で先述したヘムタンパク質、クロロフィル、シアノコバラミンへ向かう代謝系発達の順序問題が起こってくるのである。

 1986年にウォルター・ギルバートによって提唱されたRNAワールド仮説と呼ばれる説がある。いわゆる原初の地球上に遺伝情報と酵素活性を併せ持つRNAからなる自己複製系があったとする仮説である。いまここで、この説をどうにかしようなどと考えているわけではない。ただRNAとDNAはどちらが古いのだろうかと思っただけだ。

 結論は簡単で、RNAの方が古いと考えて間違いはないだろう。理由はDNAを構成するチミンとデオキシリボースが、それぞれウラシルとリボースに由来することを考えれば済む話である。ポルフィリンの話をしているのに何か関係でもあるのかと訝しむ人もいるかと思うが、実はほとんど見えないとは言え深い関係が存在するのである。まず、ウラシルからチミンへの変換、正しく言えばdUMP(デオキシウラシルモノリン酸)からdTMP(デオキシチミジルモノリン酸)への変換において、5,10-Methylenetetrahydrofolate:dUMP C-methyltransferaseの存在化に補酵素である5,10-Methylenetetrahydrofolateから1炭素がdUMPへと転移してdTMPが生合成されていることを見れば、ウラシルを核酸塩基として含むRNAが先行すると考えて間違いないであろう。この結果はリボースとでオキシリボースの間で得られる推論と矛盾しない。

過剰と蕩尽28に続く

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