過剰と蕩尽 27

 なんとなく曖昧な形でキサントフィルサイクルを終わってしまった。思いつくままに書いているため、どうも全体の纏まりに欠けるように感じるが、あれ以上の議論をするともっと錯綜しそうである。現在行われている説明にちょっとばかり石を投げ波紋の広がるのを楽しみにすると同時に、私の立ち位置からの一つの仮説を提示したものとして受け取ってほしい。

 それはそうとして、ここで書いておかねば書く機会をなくしてしまいそうな話題がまだひとつ残っている。それはポルフィリンについてのものである。ポルフィリンは前々回までで終わったのではないかと思われるかもしれないが、酸素分子とポルフィリンを絡ました形での議論は手つかずで残っている。キサントフィルサイクルの議論の最終部分で述べた「Oxygenative Burst Hypothesis」に、ポルフィルンが適合しているかどうかの検証は、今ここで行うのが適切であろうという判断である。

 ポルフィリンと酸素の関連は、思った以上に複雑である。さらに、酸化的生物としての人の生き様が、この関蓮を語る時に大きな誤解のパラダイムを形成しているようだ。この、誤謬の体系を打破した上で新たな認識体系を構築するのは、一人でできるほど簡単なことではないと理解した上で、なんとか揺すぶる努力をしてみよう。

 ポルフィリン環を持つ物質群を、細かな分類は横に置いてランダムに羅列してみる。まず、クロロフィル、プロトポルフィリン、ヘモグロビン、ミオグロビン、ペルオキシダーゼ、シトクロム、カタラーゼ、シアノコバラミンなどをすぐに思いつくだろう。プロトポルフィリンをどう扱うかが問題になると思うが、いわゆる光合成に関与するクロロフィル、酸素に直接関与するタンパク質がヘモグロビン、ミオグロビン、ペルオキシダーゼ、シトクロム、カタラーゼ、そしてDNAの生合成やビタミンである葉酸の再生、葉酸の再生を通した奇数鎖脂肪酸の代謝などに関与するシアノコバラミン類と分類するのが妥当であろう。従って、この分類を基礎として幾つかの議論をすることにする。以下にKEGGのPorphyrin and chlorophyll metabolism – Reference pathwayのマップを示すが、このままでは小さすぎると思うので本来のサイトから大きめにプリントアウトして議論をフォローしてほしい。

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Porphyrin and chlorophyll metabolism – Reference pathway

 まず初めの問題だがポルフィリン環を含む化合物群において、どの段階でオキシゲナーゼが関与する酸化反応が出現するのか。ポルフィリン環を持つクロロフィルが酸素発生型光合成を行うようになった。しかし、クロロフィルの生合成には分子状酸素が必要であるというのでは、時系列的な話がおかしくなってしまう。

 つぎに、このポルフィリン環を持つ3つの化合物群を地球化学的歴史観の下で古い順に並べるとすればどうなるのだろう。どの化合物群が古く、どの化合物群が新しいのか。3つの化合物群の間に時間的関係を持ち込めれば、生合成系の生物における進化の道筋に新たな視点の導入が可能となるかもしれない。

 いま一つ、昔から疑問に思っていたことだが、ヘモグロビンを単にヘモグロビン単独で見るのではなくその他の酸素結合タンパク質の一員として見たとき、どのように見えるかという問いかけである。巷間に流布しているヘモグロビンを酸素運搬タンパク質として捉える考え方では、レグヘモグロビンは説明が難しい。勿論、この分野の研究者が、それなりの答えを出していることは承知しているが、呼吸をしてエネルギーを得ている酸化的生物としての人の生き様が、ヘモグロビンを酸素運搬タンパク質として捉える常識を形成する基盤になっているという視座構造について触れたいと思う。

 ということで、まず5-アミノレブリン酸からクロロフィルaまでの経路を見ることにする。先に示したポルフィリン生合成の図に、各段階で働く酵素を追加して再度示すことにする。

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5-アミノレブリン酸からクロロフィルaまでの経路

 最初の図は5-アミノレブリン酸からプロトポルフィリンIXまでの各段階で働く酵素を示している。この図においてはCoproporphyrinogen IIIからProtoporphyrinogen IXへの変換において働くEC3.3.3(coproporphyrinogen III oxidase)とProtoporphyrinogen IXからProtoporphyrin IXで働くEC1.3.3.4(protoporphyrinogen IX oxidase)が酸素分子を利用する酵素であるが、前段の反応にはoxygen-independent coproporphyrinogen III oxidase [EC:1.3.98.3]、後段の反応にはmenaquinone-dependent protoporphyrinogen oxidase [EC:1.3.5.3]という酸素を必要としない酵素が同じ反応を触媒する。つまり、酸素の関与なしにプロトポルフィリンIXまで進める系存在する。

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Protoporphyrin IXからChlorophyll aまでの経路

 同じく、Protoporphyrin IXからChlorophyll aまでの系においても、Mg-Protoporphyrin IX 13-monomethyl esterと2,4-Divinylprotochlorophyllideをつなぐ3段階のを触媒するMg-protoporphyrin IX monomethyl ester (oxidative) cyclase(EC14.13.81)は酸素分子を基質とするオキシゲナーゼであるが、ここに於いても酸素を使わないbchE(anaerobic magnesium-protoporphyrin IX monomethyl ester cyclase [EC:4.-.-.-])が同じ反応を触媒し、2,4-Divinylprotochlorophyllideまでの変換が可能となっている。蛇足かもしれないがChlorophyll bまでの経路にはchlorophyllide a oxygenase [EC:1.14.13.122]で触媒される酸素を必要とする酸化段階が存在し、この系を還元的に進める酵素は存在しない。これが、本来のChlorophyll bがChlorophyllide aの酸化分解物であり、例えchlorophyll aへ向かう系が存在するにしてもchlorophyll a生合成の本来の前駆体ではないと述べた理由である。

 多分ここまでの話に対し、さほどの異見があるとは思わない。私自身、このまま論を進めようとしたのだが、よく考えてみると「まとめサイト」の罠に嵌っていたことに気づいた。それが、更新が遅れた一つの理由である。ここまでの議論はKEGGの“Porphyrin and chlorophyll metabolism – Reference pathway”のページを参照しながらの話である。ここに問題が存在する。ガスクロマトグラフィー分析で得られるクロマトグラムが単にretention timeに由来する二次元のデータであるのに対し、GCMSやLCMSで得られるトータルイオンクロマトグラムは、あるretention timeを持つピークの後ろにマススペクトルが隠れている三次元のデータであるように、“Porphyrin and chlorophyll metabolism – Reference pathway”のページは、真核生物346種、バクテリア3,900種、古細菌231種のデータが重層して投影された構造になっている。とすれば、その生物一つ一つの持つ代謝系は異なっているが故に、「この図においてはCoproporphyrinogen IIIからProtoporphyrinogen IXへの変換において働くEC3.3.3(coproporphyrinogen III oxidase)とProtoporphyrinogen IXからProtoporphyrin IXで働くEC 1.3.3.4(protoporphyrinogen IX oxidase)が酸素分子を利用する酵素であるが、前段の反応にはoxygen-independent coproporphyrinogen III oxidase [EC:1.3.98.3]、後段の反応にはmenaquinone-dependent protoporphyrinogen oxidase [EC:1.3.5.3]という酸素を必要としない酵素が同じ反応を触媒する。つまり、酸素の関与なしにプロトポルフィリンIXまで進行する系があるいうわけである。」などという牧歌的な解釈で良いはずがない。

 つまり、どの生物が上記の結論を支持する代謝系を持ち、かつその生物が系統樹においてこの結論に相応する場所に位置するのかという問題に遭遇するわけである。そうすると、この時点で先述したヘムタンパク質、クロロフィル、シアノコバラミンへ向かう代謝系発達の順序問題が起こってくるのである。

 1986年にウォルター・ギルバートによって提唱されたRNAワールド仮説と呼ばれる説がある。いわゆる原初の地球上に遺伝情報と酵素活性を併せ持つRNAからなる自己複製系があったとする仮説である。いまここで、この説をどうにかしようなどと考えているわけではない。ただRNAとDNAはどちらが古いのだろうかと思っただけだ。

 結論は簡単で、RNAの方が古いと考えて間違いはないだろう。理由はDNAを構成するチミンとデオキシリボースが、それぞれウラシルとリボースに由来することを考えれば済む話である。ポルフィリンの話をしているのに何か関係でもあるのかと訝しむ人もいるかと思うが、実はほとんど見えないとは言え深い関係が存在するのである。まず、ウラシルからチミンへの変換、正しく言えばdUMP(デオキシウラシルモノリン酸)からdTMP(デオキシチミジルモノリン酸)への変換において、5,10-Methylenetetrahydrofolate:dUMP C-methyltransferaseの存在化に補酵素である5,10-Methylenetetrahydrofolateから1炭素がdUMPへと転移してdTMPが生合成されていることを見れば、ウラシルを核酸塩基として含むRNAが先行すると考えて間違いないであろう。この結果はリボースとでオキシリボースの間で得られる推論と矛盾しない。

過剰と蕩尽28に続く

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炭化米 そして「発掘お握り」

 久しぶりの更新である。ここ一月あまり、余りにも忙しくて更新どころではない状況だった。漸く、何か書ける余裕ができたというところである。本筋のブログは数日中に更新する予定であるが、それに先だって一寸だけ気付いた別の話を書くことにする。

 稲刈りが終わった。今年は6反弱の水田で作っていたため、収穫は41俵−言い換えれば2.5トン程度の玄米が得られたわけだ。当然、家族で食べ切れ得る量ではない。売らなければならないのだが、すべてを売り切れるほどの販売ルートを持っているわけもなく、少なからず困っている。仲買業者が買い取りますといってくるが、30Kgで6,000円が今年の買い取り価格と聞く。

 さすがにその価格では売る気にならない。30Kg/6,000円で単純に計算すると、粗収入が約50万になる。ここから、苗代5,6000円、籾摺り・乾燥代110,000円、機械の借り賃(これは書かない、レンタカー料金を例に考えて下さい)、農薬代金50,000円、その他にガソリン代、軽油代、土地にかかわる経費、・・・等と考えていくと、実収入は20万円程度まで落ち込んでくる。米で生活するには少なくとも1,000俵以上の収穫がないと難しいそうだ。

 購入してくれる人には新米を渡し、作っている本人は古古米や古米を食べるばあいが多いのだが、昨年から保管していた玄米にネズミが食いついた。いくつかの袋に穴が開き、コクゾウムシとノシメマダラメイガが発生していた。こうなると新米の収穫前になんとかしなければならない。いろいろ考えて、無傷の玄米360Kgを子供食堂に寄付した。

 残ったネズミ米?(100Kg程度)、飢餓状態であれば勿論食べると思うが、現状では食べる気にならない。鶏でもいれば飼料にと思うのだが、トリインフルエンザ以来家庭で飼っている人は殆どいない。仕方なく焼却することにした。

 思うに、世の中で米をある程度まとめて燃やした経験を持つ人は殆どいないのではなかろうか。驚いたことに玄米はなかなか燃えないのである。仕方なく直径30cm程もある梨の枝を助燃剤として使って無理やり燃やした。このとき面白いことに気がついた。玄米は燃える前にまず焦げるのである。さらに焦げるに際し、発泡気味に膨れ周囲の米粒とくっついて黒い塊になってしまう。

 黒い塊とはいうものの、本当のブロックにはならない。隣の米と相互にくっつくと空気の流れが遮断されるらしく、ある程度の厚さ以上にはならないのである。黒い米板といった方が良いだろう。もちろん、長時間高温で加熱すればこの塊も燃え尽きるが、そこまで燃やすのはかなり難しい。生成した炭化米板を割って火の中に入れれば、練炭或いは豆炭のように燃えていく。(若い人は練炭も豆炭も分からないかもしれない。)

 100Kg近い玄米からできる炭化米板を壊して燃やしながら、つらつらと考えた。時として、炭化した米板がお握りに見えるような形に割れるのである。さて、弥生時代以降のいろいろな遺跡から、お握りの形をした炭化米が発掘されている。そしてそれらは「発掘お握り」という名称をつけられ、お握り由来であると考えられているようだ。この発掘お握りを基に、お握りの歴史を語る場合もあるようだが、私の玄米炭化実験の結果から考えるとそれはいささか危うい推論であると思う。玄米を貯蔵した倉庫が火事になり、貯蔵していた玄米がごげて厚みのある炭化した米板となる。この炭化した米板は焼け落ちた衝撃でいろんな形に割れるに違いない。そうした破片のいくつかに、お握りのイデアが宿ったと思われる。そう考えた方が、誰かが作っておいたお握りが、都合良く焼けて炭化お握りになったと考えるより考えやすいのではないだろうか。

 すべての炭化お握りがそうであると言い切る自信はない。お握り由来の「発掘お握り」の存在をここで完全に否定はできないが、少なくとも、かなりの割合の「発掘お握り」は、炭化した米板が割れたときにできた破片にお握りのイデアが宿ったものと考えて大きく間違うことはないだろう。少しもったいないが実際にお握りを焼いた場合、「発掘お握り」になるかどうか検証してみるつもりである。

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君子、危うきに近寄らず

 秋晴れとはほど遠い日々が続いている。一昨日は凄まじい雷雨、夕べはかなり強い雨だけでなく、山向こうの八女市では竜巻が発生した。植物たちの営みを見ていると、今年は季節の進みが早いようだ。本来なら10月初旬まで続くクリの収穫がもう終わった。まあ、ゴマダラカミキリとシロスジカミキリに寄生されて樹勢が落ちているのが原因かもしれないが、他の人もそんな風に感じているらしい。今年のイネの作柄、8月の半ば過ぎまでは順調だったが、その後の開花期にかけての猛暑で高温障害を起こしたらしく、実の入っていない白穂が目立っている。反当たり6〜7俵くらいではないかというのがもっぱらの噂ではあるが、まあ採ってみないと分からない。草丈は例年に比して1割程度大きいような気がする。稲刈り、普通であれば10月の20日頃なのだが、今年は10日ほど早くなりそうだ。

 昨日の朝、そろそろ水田の水を落とそうと田んぼに出かけた。田んぼには2種類の排水口がある。畦に作ってある排水口と直接横の用水路に続いている暗渠排水口である。まず、水口を閉じる。畦に作ってある排水口から止水板を外して排水開始、次に暗渠排水口を開けようとしたのだが、田んぼの横の用水路は前夜の雨でゴウゴウと水が流れている。、幅・深さともに1m程度のものだが、足場は極めて悪い。もしはまったら立ち上がることができるかどうか分からない。一瞬、新聞記事が頭をよぎる。「高齢者、田んぼの水路で水死」、イヤイヤそんなことになっては本人も大変だが、周りにかける迷惑はそれ以上になるだろう。尻尾を巻いて退散した。君子、危うきに近寄らず。

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義務教育不要論

 あいつらに勉強を教えたらいかん。義務教育なんか絶対しちゃいかん。特に電気関連の知識を教えるとスイッチを切って悪さをするごとなる。知り合いのGさんの声である。私の知るGさんは温和な常識人である。どう考えても、義務教育を否定するような人ではない。

 まあ私も、一応教育者という分類に入る職業についていた。義務教育に関しても、良い点と悪い点があることは認めた上で、一定レベルの教育の有効性は認めている。その義務教育が不要であると力説するGさんの話は、興味をそそられるテーマではあるが、古希を過ぎた農家の人が、力を込めて議論する話題ではなさそうにも思える。何があったのだろうかと聞き耳を立てていると、事の顛末が分かってきた。

 いまは栗の収穫期である。私の栗園は手入れが悪く、大した収穫はなかったのだが、Gさんは本職である。その栗だが、本当によく成熟した大きな栗は、落ちた瞬間に裂開した殻斗(毬・イガ)から飛び出すことが多い。Gさん、雨の合間を縫って栗の収穫にいったのだが、このこぼれた立派な栗の殆どをイノシシに食べられてしまったのである。雨続きで電気柵の充電が十分でなかったことと、伸びてきた濡れた草で漏電を引き起こしたことが原因らしい。それにしても、イノシシは実に器用に鬼皮だけを残して栗を食べる。

 彼はイノシシに教育機関があったら大変だ。彼らが義務教育を受けて、電気柵のスイッチを切れるようになったら、もはや対応策がないと力説していたのであった。人間も、教育を受けて悪知恵だけ付けて帰ってくる奴がおろうが。あれと同じこつたい。

 自らの知恵のなさを少々反省をしながら、そういうことかと納得した。

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過剰と蕩尽 26

 最初に宣言しておくが、キサントフィルサイクルはどうにもわからない。このわからなさが実に魅力的であるため、この系について考え続けていたら20年近い時間が過ぎ去っていた。下手の考え休むに似たりとは言え、長い間愚直に考え続けると、関連するいろんな知識が積み上がってくることは間違いない。この場を借りて、少し整理をすることにする。

 そこでキサントフィルサイクル、またもやKEGGサイトから一部を切り取り、一寸だけ細工した図を載せることにする。

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KEGGサイトCAROTENOID BIOSYNTHESIS のページからβ-カロテン以降の部分を借用

 この図において黄色い四角で囲った部分がキサントフィルサイクルと呼ばれている部分である。図を見ると、ゼアキサンチン-アンテラキサンチン-ビオラキサンチンの間で、光強度に依存して系が回っているように見えるのだが、さてこの系をわざわざキサントフィルサイクルとして切り取り、その意義を問う行為の原点は何処にあるのだろう。多分だが注釈抜きにこの図をみせれば、多くの研究者はアブシジン酸生合成経路の一部としてみるのではないだろうか。私のような変人には β-カロテンの分解経路の一部であるようにも見える。この現象は、我々がある既知の枠組みの中で物事を位置づけようとする無意識の傾向を示しているようだ。

 アブシジン酸に関するブログを書いていた時、このサイクルに触れようかと思ったのだが、余りにも論旨が錯綜してしまうと思い素知らぬ顔で通り過ぎてきた。この系をアブシジン酸の生合成系の一部とする認識の下で理解しようとした場合、どこかに矛盾がありそうで嘘っぽい説明にならざるを得ないからである。次の図を見てほしい。

キサントフィルサイクルを中心としたβカロテンの酸化代謝系

 キサントフィルサイクルの前後を構造式まで含めて描いたものである。先ほど述べたように、緑の枠内だけを独立させて考える枠組みがどういうものであるのか、私にはさっぱり分からない。同じく、これをアブシジン酸生合成系の一部とみた場合、強光下においてアブシジン酸生合成が逆行しているように見えるのである。通常の理解では強光は高温とセットである。そのような状況においては、アブシジン酸生合成は促進されるべきであろう。ところが、強光下においては、ビオラキサンチンからゼアキサンチンへと向かう代謝が促進されゼアキサンチンからビオラキサンチンへの代謝は低下するのである。(勿論強光下においては、光合成が昂進するので酸素分子の生産が高まると同時に二酸化炭素の需要が増えるため、気孔を開けるべきであるとする考え方も十分にロジカルではあるが、植物は水を失うわけにはいかない。アブシジン酸生合成系を欠く植物は萎凋しやすく、水不足の状況ではすぐに枯死することを考えると、植物は水分保持を優先するベクトルの下で動いている。)

 さて、これらの一見すると矛盾しそうな状況をなんとか整理できる考え方はあるのだろうか。もっとも一般的な説明は、ゼアキサンチンとビオラキサンチンの性質の違いに依拠するものである。ビオラキサンチンはアンテナ色素として機能するのだが、ゼアキサンチンは、クロロフィルへエネルギーを渡すアンテナ色素としてはほとんど機能せず、励起状態にある三重項クロロフィルからエネルギーを受け取りそれを熱として捨てる役割を持つ。アンテラキサンチンは両者の中間的な性質を持つという。つまり、光が強すぎてエネルギーが過剰な場合にはゼアキサンチンを作る方向に、光が弱くてエネルギーが欲しい状況ではビオラキサンチンを作る方向に反応を進めることで、エネルギーが余る時にはそれを熱に変え、エネルギーが不足する時には、光合成を促進するという非常に合理的な反応系であるとする考え方である。この説明はとてもわかりやすく、二種の変換酵素の活性変化は光合成に伴ってチラコイド膜の内外に生じるpH勾配によると言われれば、一瞬どころか10年くらい納得してしまいそうだ。但し、ABAの生合成に必要なビオラキサンチンが十分に備蓄されていることが条件になるだろう。

 上記の説明は、ある程度成立するかもしれないと思えないこともないのだが、少し違った解釈ができるかもしれない。我々がこうした代謝系を眺めて何らかの解釈をなそうとするとき、思わず落ち込んでしまう陥穽がある。それは酵素の基質特異性を過大評価してしまうことである。酵素化学の初期に成立した酵素の基質特異性の概念は、有機化学における触媒と比較して考えられた故に、余りにも過大評価され続けてきたように思う。いま一つは、記述式の試験問題として出題しやすい概念であったが故に、大多数の学生が「酵素は基質特異性が高い」、「酵素には反応特異性がある」という思い込みで回答を書き、単位を取得し続けてきたことも原因だろう。

 これは批判ではなく歴史的事実である。私もそう教わり、一時はそう信じ、そういう解答を書いた。私の中でこの概念が壊れたのは、農薬の中でアセチルコリンエステラーゼ阻害剤の一覧を見たときである。有機リン系の化合物と、フィゾスチグミンをモデルとしたカーバメート系の化合物をあわせて百種類を越える構造式が羅列してある書籍を見て、その呪縛から解放された。酵素の基質特異性は大したことはない。酵素なんて容易に騙すことができるとする視座から見れば、農薬だけではなく医薬であっても、代謝阻害剤の多くが本来の基質のミミックである。酵素を似て有らざるもので騙しているのである。要するに基質の反応する部位が酵素の活性部位になんとかはまるものであれば、そこからある程度離れたところの構造には大きな自由度が存在する。(勿論、例外の存在を否定するわけではない)

 そこで先ほどの図をもう一度見てほしいのだが、ゼアキサンチンからアンテラキサンチンを通ってビオラキサンチンへ向かう系で働く酵素はあまりよくわかっていないzeaxanthin epoxidase [EC:1.14.13.90]であり、ビオラキサンチンからアンテラキサンチンを通ってゼアキサンチンになる系で働く酵素はviolaxanthin de-epoxidase [EC:1.23.5.1]である。アンテラキサンチンをわざわざ書くから大層なサイクル(回路)に見えるが、ビオラキサンチンとゼアキサンチンが行ったり来たりしていると考えて良い。アンテラキサンチンは単なる反応中間体として捉えることが可能だろう。つまり同じ酵素が2つの段階を触媒しているのである。少々長めの炭素鎖の両端に同じものがついているのだから、そうであってもさほど不思議ではない。さてこの二つの酵素だが、キサントフィルサイクルを構成している化合物以外のものを基質として認識することはないのだろうか。

 余り知られていないが、次に示すような良く似たいくつかの系が存在する。ルテインエポキシドサイクルと呼ばれるlutein とlutein-5,6-epoxide の間起こる相互変換系、β-クリプトキサンチンサイクルという名があるかどうか知らないがβ-cryptoxanthinとβ-cryptoxanthin-5,6-epoxide間で起こる相互変換系、Phaeodactylum tricornutumと呼ばれる珪藻に存在するdiadinoxanthin cycle、そしてβ-carotenとbeta-caroten-5,6-opoxide間に存在する相互変換系もあるらしい。下に図を示す。

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β-ヨノン環を持つカロテノイドで起こるエポキシ化と脱エポキシ化反応

  ひょっとすると、β-ヨノン環を持つ他のテルペンにおいても、このような変換系があるかもしれない。これらの系でエポキシ化で働く酵素がゼアチンエポキシ化酵素であるかどうかはわかっていない例が多いが、脱エポキシ化酵素はゼアチン脱エポキシ化酵素である場合が多い。その時、いわゆるキサントフィルサイクルで行われた説明ーエポキシ化物とでエポキシ化物の補助色素としての合理的機能変化—は、これらの系においても成立するのだろうか?この説明が成立するためには、それぞれのサイクルらしきものにおいて、通常はエポキシ体が沢山存在し光照射に伴い脱エポキシ体が形成されるという現象が見られなければならないだろう。しかしながら、植物中のカロテノイド含量を測った Delia B. Rodriguez-Amaya, A GUIDE TO CAROTENOID ANALYSIS IN FOODS(http://www.beauty-review.nl/wp-content/uploads/2014/11/A-guide-to-carotenoid-analysis-in-foods.pdf pp 6-9)の結果を見てみると、エポキシ体の方が量が多く脱エポキシ体の方が量が少ないのはゼアチン-ビオラキサンチンの場合だけである。その他の場合においては、脱エポキシ体である β-カロテン、β-クリプトキサンチン、ルテインの存在は検出されているが、対応する5,6-エポキシドは検出されていないようだ。この事実をいかに説明するか、更にエポキシ体と脱エポキシ体の持つ補助色素としての性質は先の仮説に適合するのか、これは問題提起である。

 いま一つの疑問は、ゼアチンエポキシ化酵素についてのものである。ゼアチン脱エポキシ化酵素についての研究がたくさん行われているのに比して、このエポキシ化酵素についての研究例は余り多くない。Clemens Reinholdらの研究によれば、シロイヌナズナのこの酵素活性は光照射によって10分の1程度まで低下するという。(Biochimica et Biophysica Acta (BBA) – Bioenergetics, 1777, 462–469, 2008)どうも分からないのだが、そうするとこのキサントフィルサイクルは二つの酵素が同時に駆動する、サイクル《回路)と呼ばれるに値するような循環反応を行っているのではなさそうである。更にだが、この酵素反応で消費される補酵素はNADPH+H+、いま一つの基質は分子状酸素である。とすればこれらは光照射を受けた葉緑体内部で増えてくる成分である。高照射によって基質と補酵素の濃度が増えるにもかかわらず酵素反応速度が落ちる、pHという反応速度を制御する別の要因があるとは言え、この速度低下もなかなか腑に落ちない。(https://library.naist.jp/mylimedio/dllimedio/showpdf2.cgi/DLPDFR006609_P1-104)この酵素の活性が落ちると、ABAの生合成に連なるビオラキサンチンの生合成が低下するではないか。もっとも、先述したようにビオラキサンチンの備蓄量が十二分にあればこの疑問はいらない。

 脱エポキシ酵素についても、同じようなもやもやがある。この酵素はアスコルビン酸をいま一つの基質として使用する。脱エポキシ化に伴ってこのアスコルビン酸はデヒドロアスコルビン酸へと酸化されるのだが、光照射時に発生する活性酸素類の消去にアスコルビン酸は大きな役割を果たしている。ということは、活性酸素発生を抑制する系と発生した活性酸素を処理する系が、アスコルビン酸を奪い合う現象が起きていることになる。

 ずっと理解できなかったことをグダグダと書いて、一寸疲れたようだ。上記の議論で欠けているのは、各成分の定量的な把握をせずに進めている点にあるだろう。とはいえ、そこまで突き詰めるのは研究から手を引いた私にとっていささか以上難しいことである。誰か、快刀乱麻を断つがごとき説明をしてくれないかなあ。期待はするが、余程のこじつけをしない限り、これはお金にならない研究にしかなり得ない。時代の価値観が変わるまで待たざるを得ないだろう。

 さて物事を見るときに、より近くからより正確に見ようとする立場と、一旦距離を取ることで全貌を把握しようとする立場がある。大きな川が流れているとき、水全体のベクトルは下流に向かっているにしても、必ず逆流している極小部分が存在する。そこに意味を求めることに意味があるのか。私の視座に立てば、植物という光合成生物の中では、過去のある時点で活性酸素だけでなく酸素分子の消去が行われ始めたようにみえる。ほとんどの代謝系が、ある時点から一斉に酸化を中心にした代謝に切り替わっているからである。一例だが、このブログのアブシジン酸生合成 11に書いたように、19段階に及ぶアブシジン酸の生合成において、前半 β-carotenまでの11段階の反応は酸素が関与しない反応であるのに、後半の8段階の中で6段階はオキシゲナーゼが関与する酸化反応である。私はこの現象を「酸素添加による代謝物の爆発的多様化(Oxygenative Burst of Metabolites)」と定義している。活性酸素の原料となる酸素分子を消去するこの「Oxygenative Burst」はほとんどすべての二次代謝においてみられるものであり、植物体内で代謝の本流を形成している。この「Oxygenative Burst」が、植物という生物が膨大な二次代謝物と呼ばれるライブラリーを形成する理由であるとする仮説 (Oxygenative Burst Hypothesis)を提案しているわけだ。

 上記の理解の下で考えると、酸素分子の消去を目的とする代謝の大河の中に、時としてこの流れに逆抗する小さな代謝が発生する。水や空気の流れに伴って発生する渦のようなものであろう。いわゆるキサントフィルサイクルを流れる物質量は、テルペンやリグニンに向かって流れている本流の流量とは比較にならないほど微量であることから、キサントフィルサイクルを流れの中に発生する小さな渦の一つとして軽く流しておく捉え方も一つの答えではないだろうか。

 北朝鮮が核実験をした。地下核実験であるから放射性物質はほとんど漏れないとは言うが、ニュースでは漏れた場合の拡散のシミュレーション結果が報道されていた。この拡散のシミュレーションをしたソフトは何だったのだろう。まさか、国内での使用は止めることにしたSPEEDIでは。いらないことでした。

過剰と蕩尽 27 に続く

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