炭化米 そして「発掘お握り」

 久しぶりの更新である。ここ一月あまり、余りにも忙しくて更新どころではない状況だった。漸く、何か書ける余裕ができたというところである。本筋のブログは数日中に更新する予定であるが、それに先だって一寸だけ気付いた別の話を書くことにする。

 稲刈りが終わった。今年は6反弱の水田で作っていたため、収穫は41俵−言い換えれば2.5トン程度の玄米が得られたわけだ。当然、家族で食べ切れ得る量ではない。売らなければならないのだが、すべてを売り切れるほどの販売ルートを持っているわけもなく、少なからず困っている。仲買業者が買い取りますといってくるが、30Kgで6,000円が今年の買い取り価格と聞く。

 さすがにその価格では売る気にならない。30Kg/6,000円で単純に計算すると、粗収入が約50万になる。ここから、苗代5,6000円、籾摺り・乾燥代110,000円、機械の借り賃(これは書かない、レンタカー料金を例に考えて下さい)、農薬代金50,000円、その他にガソリン代、軽油代、土地にかかわる経費、・・・等と考えていくと、実収入は20万円程度まで落ち込んでくる。米で生活するには少なくとも1,000俵以上の収穫がないと難しいそうだ。

 購入してくれる人には新米を渡し、作っている本人は古古米や古米を食べるばあいが多いのだが、昨年から保管していた玄米にネズミが食いついた。いくつかの袋に穴が開き、コクゾウムシとノシメマダラメイガが発生していた。こうなると新米の収穫前になんとかしなければならない。いろいろ考えて、無傷の玄米360Kgを子供食堂に寄付した。

 残ったネズミ米?(100Kg程度)、飢餓状態であれば勿論食べると思うが、現状では食べる気にならない。鶏でもいれば飼料にと思うのだが、トリインフルエンザ以来家庭で飼っている人は殆どいない。仕方なく焼却することにした。

 思うに、世の中で米をある程度まとめて燃やした経験を持つ人は殆どいないのではなかろうか。驚いたことに玄米はなかなか燃えないのである。仕方なく直径30cm程もある梨の枝を助燃剤として使って無理やり燃やした。このとき面白いことに気がついた。玄米は燃える前にまず焦げるのである。さらに焦げるに際し、発泡気味に膨れ周囲の米粒とくっついて黒い塊になってしまう。

 黒い塊とはいうものの、本当のブロックにはならない。隣の米と相互にくっつくと空気の流れが遮断されるらしく、ある程度の厚さ以上にはならないのである。黒い米板といった方が良いだろう。もちろん、長時間高温で加熱すればこの塊も燃え尽きるが、そこまで燃やすのはかなり難しい。生成した炭化米板を割って火の中に入れれば、練炭或いは豆炭のように燃えていく。(若い人は練炭も豆炭も分からないかもしれない。)

 100Kg近い玄米からできる炭化米板を壊して燃やしながら、つらつらと考えた。時として、炭化した米板がお握りに見えるような形に割れるのである。さて、弥生時代以降のいろいろな遺跡から、お握りの形をした炭化米が発掘されている。そしてそれらは「発掘お握り」という名称をつけられ、お握り由来であると考えられているようだ。この発掘お握りを基に、お握りの歴史を語る場合もあるようだが、私の玄米炭化実験の結果から考えるとそれはいささか危うい推論であると思う。玄米を貯蔵した倉庫が火事になり、貯蔵していた玄米がごげて厚みのある炭化した米板となる。この炭化した米板は焼け落ちた衝撃でいろんな形に割れるに違いない。そうした破片のいくつかに、お握りのイデアが宿ったと思われる。そう考えた方が、誰かが作っておいたお握りが、都合良く焼けて炭化お握りになったと考えるより考えやすいのではないだろうか。

 すべての炭化お握りがそうであると言い切る自信はない。お握り由来の「発掘お握り」の存在をここで完全に否定はできないが、少なくとも、かなりの割合の「発掘お握り」は、炭化した米板が割れたときにできた破片にお握りのイデアが宿ったものと考えて大きく間違うことはないだろう。少しもったいないが実際にお握りを焼いた場合、「発掘お握り」になるかどうか検証してみるつもりである。

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