すべての生体物質を酸素と絡めて見直すべきだとする私の考え方を採用するならば、面倒な話になりかねないとはいえ核酸の生合成にまで言及せざるを得ないことになる。いわゆる二次代謝産物の話が出発点にありながら核酸の生合成にまでコメントするのは風呂敷の広げすぎだろうと思わなくもないが、これが思いがけなく重要な意味を持ってくる。核酸、すなわちDNAとRNAの生合成を考える当たって、現在行われている教育においては、両化合物を遺伝情報を保持・伝達すると言う立場からの説明が主流である。物質としてのレベルでDNA・RNA生合成に割かれているページ数はあまりに少なく貧弱に感じている。勿論、この言い方に反論をお持ちの方がいることは容易に予想できる。DNAを鋳型として、娘DNAへの複製、或いはmRNAへの転写は、遺伝情報を移すという側面を持つにしても、新たな巨大分子であるDNA或いはRNAの生合成を示しているではないかというものである。確かに、DNA或いはRNAの生合成を、ATP、GTP、TTP、CTP或いはUTP或いはそのデオキシ体の存在を前提としたレベルでの議論であればその反論は間違っているわけではない。(有機化学反応として捉えるという観点からは不十分だが)しかし、これら原料となるヌクレオチドの生合成はどうなっているのか。それらは、本当に酸素の関与なしに生合成されたのか?
以前私は、アブシジン酸の生合成について、生合成の開始点をアセチルCoAまで遡行して議論した。(生合成から見たアブシジン酸を参照)見落としがちであるが、この議論をした時に採用した全く同じ論理がDNA・RNAの生合成においても成立するのである。少なくとも大気中に分子状酸素がほとんど存在しない時代に生まれた偏性嫌気性微生物が原初の生物であったなら、DNAとRNAの生合成の過程に分子状酸素が関与する酸化反応があってはならないだろう。つまり、アプリオリに生合成の原料として使われているATP、GTP、TTP、CTP或いはUTPなどの生合成過程に、酸素分子が関与する酸化反応が存在しない事を検証する必要があると考えているのである。では出発物質をどこまで遡るべきなのか。実はこの場合も、出発物質としてアセチルCoAまで遡行するべきであると考えている。
そこでこの独断に従って、アセチルCoAを出発物質とし分子状酸素の関与しない核酸生合成系を述べる事にする。原料であるアセチルCoAは、まずTCA回路に流入し2-オクソグルタル酸まで回路を流れた後、グルタミン酸に変換される。 からグルタミンへ変換された後、アミド基のアミノ残基が 5-Phospho-α-D-ribose -1-diphosphate の1位に導入され、5-Phosphoribosylamineとなった後いわゆるプリン代謝系につながっていく。ピリミジン代謝系もグルタミンから分岐する。反応については後述するとして、グルタミンのアミド基のアミノ残基を含む Carbamoyl phosphate がアスパラギン酸と反応してN-Carbamoyl-L-aspartateとなりピリミジン代謝系へと流れていく。この代謝で生合成されるのはリボース残基を含むATP、GTP、CTP、UTPであり、デオキシリボース残基をもつdATP、dGTP、dCTP、dTTPは対応するリボヌクレオチドから生合成される。この順序から見て、生物界でRNAがDNAに先行するのは自明の話となる。
さて、これから幾分以上に面倒な核酸の生合成系をじっくりと見ていくわけだが、実はこの系の前部に関しては議論は終わっている。つまり、「TCA回路の解釈は間違っている」の中でアセチルCoAから2-オクソグルタル酸までの変換についてはすでに述べているからだ。興味のある方はそちらを参照してほしい。従って実際の反応に関する説明は2-オクソグルタル酸から始まる事になる。
生物にとって、極めて大事な反応である2-オクソグルタル酸からのL-グルタミン酸の生合成は、有機化学的に見ればさほど難しい反応ではない。2-オクソグルタル酸の2位のカルボニル基とアンモニアが脱水反応を起こしてシッフ塩基となった後、NADHあるいはNADPHを給源とするハイドライドイオンが2位の炭素を攻撃してグルタミン酸となる。この時、2位の炭素のre面側から攻撃が起こればD-Gluがsi面側から攻撃が起こればL-Gluが生成することになる。もちろん、ほぼ全ての生物においてはsi面側から攻撃が優先的に起こることは諸氏もご存知の通りである。そして、我々の体を構成する多くのアミノ酸生合成はこの反応から始まるのである。
ここで問題になるのは反応で使われるアンモニアの起源である。2-オクソグルタル酸からのL-グルタミン酸の生合成を触媒する酵素は、glutamate dehydrogenaseと呼ばれる細胞内に存在する窒素代謝系に由来するアンモニアを基質とする酵素群と、glutamate synthaseと呼ばれるL-グルタミンのアミドに由来するアンモニアを基質とする酵素群である。後者の系においては L-グルタミンは L-グルタミン酸に由来するため、この系を初発のグルタミン酸生合成系として捉えることは少し無理があるかなと思うのだが、原初の生物がヘテロトロフ即ち従属栄養生物であったとすれば、この可能性も強ち否定できるわけでもないがその可能性は限りなく小さいであろう。さて、16S rRNAを基にした系統樹において、好熱性バクテリア Aquifex、Thermotoga、Green filament bacteria、古細菌である Pyrodicticum、Thermoproteus の仲間は、根元に近いところに根っこを持つ好熱性の微生物群である。 ここで問題にしているグルタミン酸生合成に関する2種の酵素について、これらの微生物での分布を見てみると以下に示した表のようになる。
好熱性細菌である”Aquifex aeolicus“を含むAquificae科に属する14種の好熱菌性細菌の中で、以下に示すように12種はL-グルタミンのアミドに由来するアンモニアを基質とするglutamate synthaseのみを持つ。残りの2種類の微生物、Sulfurihydrogenibium azorenseとThermosulfidibacter takaiiは上記のglutamate synthase とともに、グルタミンを必要としないglutamate dehydrogenaseを併せ持っている
Thermotogae科27種の内訳をみるとThermotoga属の13種は全てを含む24種の細菌はglutamate dehydrogenaseとともにglutamate synthaseを持っている。このグループの中で気になるのはDefluviitoga tunisiensisとThermodesulfobacterium communeであろう。前者はglutamine synthetaseを欠いている点でユニークであり、後者はグルタミン酸合成酵素群を欠いているにもかかわらずグルタミン酸からグルタミンを合成する酵素は持つ。
もう一つ、系統樹の深い位置に分岐点を持つグループであるGreen filament bacteriaは、緑色非イオウ細菌とも呼ばれるグループで 、10属 25種の細菌を含むが、このグループの中にも変わり者はいる。
Dehalococcoides、Dehalogenimonas、SphaerobacterineaeそしてCaldilineaに属する細菌群はグルタミン酸生合成酵素を欠いているにもかかわらず、グルタミン酸からグルタミンを合成する酵素は持つ。Anaerolineaceae bacterium oral taxon 439はグルタミン酸生合成酵素は持つがグルタミン生合成酵素を欠いている。ただこの表で注意すべきことは、種の数がそのまま自然界の存在比を示しているのではないことであろう。人の注意を引いた菌群が集中的に研究されたため、多くの種が存在するように見える場合があるからである。例えば、Chloroflexi科においてDehalococcoides属が優先種であるように見える。しかし、このグループはtetrachloroethaneやtrichloroethyleneのようなハロゲン化炭化水素に対する分解能を持つだけでなく、これらを混合培養するとpolychlorinated biphenyls(PCBs)をも分解できるが故に、生物修復の期待を込めた研究が集中的に行われたことが原因だと思われる。
それがどうしたと言われそうだが、もう少し付き合ってほしい。次の表は、やはり系統樹の深い位置に分岐点を持つ。のグループについて、グルタミン酸関連酵素群の存在を抜き出したものである。ここにおいても10種の菌がグルタミン酸生合成酵素を持たないにもかかわらず、グルタミン酸からグルタミンを作る酵素を持つ。
二つの表に示した菌群は少数の好気性細菌は含むものの、大多数が嫌気性の好熱細菌である。そして地球上に最初に現れた生物にとても近いグループと考えられている。とはいえ、Aquificae科については、最も古い真正細菌と見なされているいるとはいえ、プロテオバクテリアから派生した系統であるとするデータもないわけではない。表の最後に載せているCandidatus Korarchaeum cryptofilumは、まだ単離はされていないにしてもゲノム解析が終わっている古細菌で、一般的にはAquifex aeolicusとともに、系統樹の最も深い位置にで分岐したとされている。この菌のグルタミン関連代謝系は、glutamate dehydrogenaseとともに2種類のglutamate synthaseだけでなくグルタミン生合成系も持ち、さほど違和感のあるものではない。ただ、この菌の培養の経緯を見ると従属栄養生物であるように思える。この古細菌で異常に特徴的なのは、グルタミンから5-Phospho-D-ribosylamineを通って始まるプリンヌクレオチド代謝系の初発酵素であるamidophosphoribosyltransferaseとCarbamoyl phosphateから始まるピリミジンヌクレオチド生合成系の初発酵素であるcarbamoyl-phosphate synthaseの両方を欠いていることである。最もCarbamoyl phosphateについてはcarbamate kinaseの存在下にアンモニアと二酸化炭素とATPから生合成する系が存在するので、この系を代用しているのかもしれない。プリンヌクレオチドとピリミジンヌクレオチドの生合成系を見てみると、前者が代謝酵素に欠損の多いスカスカの系であるのに比して、後者はかなり充実した経路を構成しており、先の結果を反映しているのかもしれない。この辺りの酵素群については、脊椎動物はglutamine synthaseを持たない、節足動物や軟体動物はglutamine synthaseとともにglutamine dehydrogenase両系統の酵素を持つ、植物も両系統の酵素を持つなどと色々と考えさせる分布を示し結構面白い。
ここまで読まれて、こいつは何が言いたいのだろうという疑問が読者の中に湧いてきたのではないかと思う。まとめてみよう。言いたいことは二つある。一つは一見生命維持に不可欠な代謝系に欠損部分があったとしても(この部分の代謝酵素がないという意味)、生物はこれを苦にすることなく生き延びているという事実である。つまり、同じ反応特異性を持つ別の酵素がこの部分を補っているのであろう。何度もいうようだが、酵素の基質特異性は我々が思うほど高くはない。しつこいと思われるかもしれないが、教育の中で酵素の厳密な基質特異性という概念を刷り込まれ、且つ私自身が厳密な基質特異性は誤りであると思いながらも意に反した講義を行ってきた人間として、これは声を大にして言っておきたい。
いま一つは2-oxoglutaric acidを含むTCA回路の意義についての解釈である。この場合も、TCA回路を解糖系に続く糖の好気的分解経路でありATP生産のための経路であるとする常識がヒトを含む一部の生物において成立するにすぎないという事実である。ブログのこの部分だけを読まれた方々は、唐突になんという非常識なことを書くのかと眉に唾をつけられるかもしれない。しかし、残念ながら常識的解釈は間違っている。詳しい理由については拙ブログのTCA回路への異論に書いているが、ここでも少しだけその根拠となる例を示しておく。下図を見てほしい。
この図は今議論している細菌のグループの中で、Euryarchaeota に属する古細菌Methanococcus maripaludis S2 のTCA回路を示している。この図において、緑に塗られた枠内の酵素が存在する酵素である。この古細菌の回路になっていないTCA回路は、通常のTCA回路と反対方向のベクトルを持っているようだ。フマル酸とコハク酸の間が切れているように見えるが、この反応は二重結合に対する水素添加反応であるため、脂質代謝で働くreductaseのような基質特異性の低い酵素が代わりに働いているのであろう。オギザロ酢酸から2-オクソグルタル酸までの間で、2分子のNADPH2と1分子のATPそして1分子の還元型フェレドキシンを消費している。この回路になっていない、逆向きのベクトルを持ちエネルギーを消費する系をTCA回路として分類する根拠は何処にあるのだろうか。Methanococcus maripaludisにおいて、もし、万一この系が逆向きに動いたとしても、困ったことにこの菌はNADPH2からATP生産を行う酸化的リン酸化を行うことはできないたのである。
上の図に示すように、この古細菌はATPを生産する酸化的リン酸化経路を構成する要素のほぼすべてを欠失している。TCA回路に対する矛盾に満ちた説明は、何処かで正す必要があるのではないか。
核酸の生合成を語るつもりが、入り口で手間取ってしまった。次回はスムースに進める予定である。
最後に、毎回同じことを言うようだがKEGGを作成・運営している方々に感謝します。
過剰と蕩尽 29 に続く