センター試験

 文科省がつまらない試験を始めたため、大学教員の負担だけでなく大学職員の負担も増えてしまった。1大学の試験であれば、公共交通機関の遅れなど種々の問題に対して現場で対応できるのだが、全国一律公平を基本条件にしているセンター試験においては大きな問題になる。試験監督、特に大きな試験室の責任者などしたくないものだ。とはいえ、余り規模の大きくない私学にいた私は、5年に3回くらいは監督をさせられていた。この世の中に公平なんてないことに気付いている18歳にもなった学生に、全国一律公平な試験ですなどという嘘をついてはいけないだろう。

 一般的な議論においては試験現場の公平さのみを問題にしているようだが、都市部と地方の教育環境の格差は明らかだし、家庭の経済状況もより大きな影響を与えている。にもかかわらず、一部の未成熟な受験生は公平であることが天賦の権利であるかのごとく思い込んで、無理なことを要求する。受験会場の日の当たる窓側と反対側では当然のこととして温度差が発生する。窓側の子が暑いので室温を下げてくれと良い、廊下側の子は寒いので室温を上げてくれという。コートの着用でコントロールしてくれといっても、コートを脱いでも暑いんです、コートを着ても寒いんです、といわれると打つ手がない。寒いという学生に、監督者がコートを貸すわけにもいくまいし、暖めてやることもできない。コートを脱いでも暑いという学生に、もっと脱げというのも問題ありであろう。馬鹿馬鹿しい話である。しかし、受験室で問題を起こすと後が面倒になるため、なんとかして宥めるしかない。

 昔の経験を思い出した。試験が始まって20分くらい経ったとき監督者の一人が急ぎ足で寄ってきた。どうしましたと小声で聞いたら、「斜め前の受験生が貧乏揺すりをするのが気になって集中できない。あれを止めさせてくれ。」といってます。どうしましょう。そう、私はその試験室の責任者だったのである。現場に行ってみると、確かにある学生の足がリズミカルに動いている。こんなもの、気にするなよと言いたいところだが、試験中に説得するわけにはいかない。さりとて、貧乏揺すりをしている学生にこれを止めろと言っても、彼にとっては無意識の癖であろうしすぐに止められるものでもないと思った。貧乏揺すりを止めると、それが気になって今度は彼が試験に集中できなくなるだろう。

 その時点で席替えをするのは、他の学生への影響が気になった。仕方なく人間ブラインド、監督者に遮蔽物になってもらうことにしたのだが、立っていたのではまだ見えて気になるという。結局、休息用のいすを持ってきて座っていてもらうことにした。この騒動で、「試験監督が横に張り付いて集中できない」と周囲の学生からクレームが出たらとハラハラしたが、彼らは賢くかつ大人であった。クレームの学生を落として、大人であった学生を合格させたい気分である。間違いの根源は、いまから教育すべき学生の選抜を文科省の誤指導の下で行う”公平な”試験に委ねることにある。大学の個性を取り戻す意味でも、この方式は止めた方が良いと考える。

 などと言ったとしても、一旦握ってしまった利権を役人が手放すはずはない。多分行くところまで行くんでしょうね。でも理解できない。生物多様性が大事だといい、一部変更したとはいえゆとり教育による個性の尊重、多様な生き方の尊重などと言いながら、全国一斉に建前上公平な試験を行う。本音と建て前が少しくらい違うのは認めるにしても、余りにも違いすぎると不愉快である。賭け事は良くないと言う建前の下で、警察庁は自動球遊器業界いわゆるパチンコ、農水省は中央競馬会、経産省は競輪・オートレース、国交省は競艇、総務省は宝くじ、そして道徳教育を行わせている文科省は”教育的立場”からサッカーくじ、どう考えてもおかしい。結局のところ、利権を前にすると目が眩むらしい。カジノ利権は何処に行くのだろう。サッカー賭博をスポーツ振興くじと言い変えるいやらしさも嫌いだが、このくじを管轄する文科省の下部機関—独立行政法人日本スポーツ振興センターの理事長には、近年ラグビー界のOBの就任が続いているようだ。森(元)総理の意向が強いような気もするが、きっとラグビーくじを企画するだろう。その次は、野球界のOBを起用して野球くじだな。言い換えれば、野球賭博。いっそのこと入学試験も籤にしてしまえば公平の原則だけは守れるだろうと思ったのだが、そうも行かないだろう。なに、特定の人のデータをプラチナデータとすれば良い。

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過剰と蕩尽 29

 ではまず、プリン塩基の生合成から始めることにする。出発は前回まで議論してきたグルタミンということになるが、実際の反応を見るとそりゃないよと思ってしまう。まずは次の図を見てほしい。いつも通りのKEGGだより、KEGGのPURINE METABOLISMのページである。

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 原図を確認してほしいが、このページを見てすぐに全体を把握できる人がどれほどいるのか想像がつかないが、多分、大多数の人が必要な部分だけを参照するという使い方をしているに違いない。Encyclopedia 即ち百科事典であるから、そうした使い方が批判されるわけではない。しかしながら、地道に順を追って見ていくことで、何か見つかるかもしれないことを期待して進めることにする。

 TCA回路について書いたとき、核酸合成系の出発物質はグルタミンと述べたが、これは看板に偽りありと受け取られても仕方がない気がする。次の図を見てほしい。

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 私はペントースリン酸経路で作られるリボース-5-リン酸を起点にして描いてみた。この図において、青の二重線矢印が表に出てくる経路であり、この線の横に少し小さく示した構造式群が、そこで起こる化学反応を示している。また、各反応を触媒する酵素をECナンバーで示した。まず、リボース5-リン酸の1位の水酸基がATPと反応して5-Phosphoribosyl 1-pyrophosphateへと変換される。なじみ深いSN2反応である。この時点で1位の水酸基の脱離性が向上しこの位置での求核置換反応が起こりやすくなる。ここでグルタミンのアミドが加水分解を受けて生成したアンモニアが、5-Phosphoribosyl 1-pyrophosphateの1位を攻撃してピロリン酸の脱離を伴い5-Phospho-D-ribosylamineとなる。まあ、グルタミンに属するアミノ基が加わったのだからグルタミンが出発物質と言えないわけではない。次は5′-Phosphoribosylglycinamideへの変換だが、まずグリシンのカルボキシル基がATPと反応して混合酸無水物の中間体を作る。翻訳の段階で起こっているのと同じ反応である。この酸無水物の活性化されたカルボニル基を5-Phospho-D-ribosylamineのアミノ基が攻撃して、目的のアミドを形成する。この時フリーとなったグリシン残基のアミノ基が、10-Formyltetrahydrofolateからホルミル基を受け取って5′-Phosphoribosyl-N-formylglycinamideが形成される。

 リボース5-リン酸から5-Phospho-D-ribosylamineまでの2段階を一挙に進める反応もあるが、1968年に報告されてから後に続く報告がない。グルタミンのアミノ基ではなく直接アンモニアを使うという反応で面白いとは思うけれど殆ど情報がないのが残念である。

 次に5′-Phosphoribosyl-N-formylglycinamideのアミド部分がATPとの反応でエノールリン酸アミドとなることで活性化されたグリシン残基の1位の炭素を、再度グルタミンのアミドが加水分解を受けて生成したアンモニアが求核付加した後、正リン酸が脱離してこのページの最終産物となる5′-Phosphoribosyl-N-formylglycinamidineが生合成される。この図において、グルタミンは2つの反応を支えているわけだ。

 このページを見ていると、グルタミンのアミド残基の加水分解が、アンモニアを出すという単純な反応であるとは言え生物の遺伝物質である核酸の生合成を支えている事実を再確認せざるを得ない。更に、ATPが水酸基、或いはカルボキシル基の水酸基をリン酸化する反応の大事さである。5段階の反応のうち、3段階でこのやり方でATPが使われている。また、生物がDNAもしくはRNAを使い始めたとき、葉酸を補酵素とする1炭素転移反応が成立していたことも推測できる。

 次の図に移る。この図は前図の最終産物である 5′-Phosphoribosyl-N-formylglycinamidineから1-(5′-Phosphoribosyl)-5-amino-4-(N-succinocarboxamide)-imidazoleまでの反応を示している。

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 まず、1-(5′-Phosphoribosyl)-5-amino-4-(N-succinocarboxamide)-imidazoleのホルムアミド部分がエノールリン酸となってカルボニル炭素の活性化が起こった後、この炭素原子をフラン環についた2級アミンの窒素原子が攻撃し、脱リン酸を伴ってイミダゾール環が生成する。身近にヘテロ環を合成していた人が何人もいたので、そのうち余り気にならなくなったとはいえ、私の経験ではヘテロ環の反応はなんとなくわかりにくかった記憶がある。次の反応は単なるカルボキシルか反応だが、その経路は一寸面倒である。炭酸イオンがATPと反応して混合酸無水物であるcarbonic phosphoric anhydrideへと活性化された後、このカルボニル基をイミダゾール感情のアミノ基が攻撃してカルバミン酸を形成するが、カルバミン酸は不安定であるためすぐに脱炭酸が起こり、二酸化炭素が脱離すると同時にイミダゾール環の4位にアニオンが発生する。このアニオンがそばにあった二酸化炭素と反応した後、環の再芳香化が起こり1-(5′-Phosphoribosyl)-5-amino-4-imidazolecarboxylateが生成する。この反応におけるアミノ基の反応様式は、なんとなく迂遠な気がするが、ビオチンを補酵素とするカルボキシル化のメカニズムと同じである。初めから、イミダゾールの4位にアニオンを発生させる共鳴構造を描けないわけではないが、イミダゾール環は芳香族性を持つ。従って、このアニオンの寄与が非常に小さいが故に、こうした経路が選ばれたのだろう。

 次の反応もATPによるカルボキシル基の活性化から始まる。ここで生成した混合酸無水物が、TCAサイクルの構成成分であるオギザロ酢酸のアミノ基転移産物であるいま一つののアミノ基による攻撃を受けて、このページの最終産物である1-(5′-Phosphoribosyl)-5-amino-4-(N-succinocarboxamide)-imidazoleが生成する。官能基を活性化する役割でATPが縦横無尽に活躍しているのが印象的である。

 さて、今回は次の図までで一旦止めよう。

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 先の図における最終産物であった1-(5′-Phosphoribosyl)-5-amino-4-(N-succinocarboxamide)-imidazoleからフマル酸が脱離すると5′-Phosphoribosyl-5-amino-4-imidazolecarboxamideが作られる。4位のカルボキシル基をアミドとするためになんと遠回りな反応を使うのだろうと戸惑いを感じる。ここにも、グルタミンからのアミノ基を使えば良いのにと思うわけだ。しかしながら、実際がそうなっているのだから仕方がない。

 次の反応はイミダゾール環5位にあるアミノ基のホルミル化なのだが、メカニズムは10-Formyltetrahydrofolateをホルミル基の給源とする 5′-Phosphoribosylglycinamideの場合と同じである。図においては後で起こるピリミジン環の方向と合わせるために、イミダゾール環を180度回転させて表記している。1-(5′-Phosphoribosyl)-5-formamido-4-imidazolecarboxamideからInosine 5′-monophosphateへの閉環反応は、イミダゾール環形成反応と同じように進行しそうに思えるが、残念ながらそうではない。この反応ではATPによる活性化を経ずに脱水を伴う閉環が起こりInosine 5′-monophosphateが形成される。

 この2段階の反応は5-amino-4-imidazolecarboxamide ribonucleotide transformylase [EC:2.1.2.3] によって一挙に進行するのだが、この酵素は真核生物、バクテリアに分布し、古細菌での分布は狭い。最初のホルミル化を触媒するいま一つの酵素 5-formaminoimidazole-4-carboxamide-1-(beta)-D-ribofuranosyl 5′-monophosphate synthetase [EC:6.3.4.23]は古細菌において広く分布し、バクテリアの一部にも存在する。次の閉環反応を触媒するもう一つの酵素である  Inosine 5′-monophosphate cyclohydrolase [EC:3.5.4.10] は、原核生物・真核生物を問わず広く分布している。だからどうだという話にはならないが、何らかの真実が細部に宿っているのであろう。

 プリン塩基の生合成系は、ここでアデニン環を持つATP、dATPへと向かう流れと、グアニン環を持つGTP、dGTPへ向かう流れに分岐することになる。

過剰と蕩尽 30 に続く

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旗立てと旗下ろし

 昨年の終わり頃、地区の集まりの中で近所にある賀茂神社の世話当番が私たちの集落になるという話を聞いた。近隣の地区で回り持ちになっているらしい。日にちは忘れたが、集会のあった数日後に旗下ろしがあるという。話の内容がつかめずに、会が終わった後で近所の人に聞いてみた。要するにお祭りのときに境内に立てる旗を立てたり下ろしたりするのだという。それは理解するとして、私は氏子ですかと尋ねたら、氏子になるのを拒否するといわない限り、山北に住んだだけで自動的に氏子になるのだそうだ。要するに私は、仏教徒でありながらいつの間にか晴れて賀茂神社の氏子、それも正式な氏子ということになっていた訳である。そういうわけで、日時は忘れたが旗下ろし、12月28日の旗立て、そして今日その立てた旗を下ろしてきた。

 この歳になるまで、神社の参道に大きな旗が立っているのを何気なく見てきたが、氏子の人たちがあれを立てたり下ろしたりと、見えないところで活動されていたことに思いが及んでいなかった。都市の中にいてサラリーマン的な生活を送っていると、山間部の道路整備やこうした文化の継承などについて殆ど気付かない。

 それはそうとして、旗を立てたり下ろしたりする作業は結構大変である。今日の参加者は20人ほどで6本の旗を下ろしたのだが、そこは慣れと経験が優先する世界である。

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賀茂神社 左右の4本の旗を降ろして収納
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写真としては電信柱と電線がうるさいが、この2本の旗は結構大きい。でも作業は楽である。

  旗の大きさは後の写真の方が大きいのだが、この場合はアルミのポールに沿って掲揚する形になっているので左程大変ではない。前の写真の旗は旗立石と呼ばれる石にボルトや藁縄で固定して立てられている。小さそうに見えるが、旗を立てている支柱が思いのほか重たいため、これを立てたり下ろしたりするのは6〜7人の共同作業となる。いやいや新年から楽しい経験をすることができた。

  ここで話を止めても良いのだが、一寸だけ補足する。この賀茂神社は余り知られていないにもかかわらず、歴史的には興味深い。この神社、祭神は神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと:神武天皇)、賀茂下上大神《賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)そして懐良親王(かねながしんのう)》なのだが、この賀茂下上大神が最初に天降り鎮座されたのは、京都の上賀茂神社や下賀茂神社ではなくこの浮羽の地なのである。その後、初代天皇である神武天皇が日向から大和へ東征される際に、宇佐からうきは市の山北へ来られた。伝承によればそのとき賀茂大神は八咫烏(やたがらす)となって東征の道案内をしたという。詳細は賀茂神社 (うきは市)と入れてウィキペディア、或いは「神功皇后伝承を歩く」の著者である「綾杉るな氏」が書かれているブログ「ひもろぎ逍遙 」 http://lunabura.exblog.jp/19243019/ などを参照されるのが良いだろう。我が家からクルマで4〜5分のところにこんな由緒を持つ神社があるだけでなく、いつの間にかその正式な氏子になっていたとは、人生面白い。色々楽しんでいるばかりで、本来のブログが滞っている。反省!

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1月3日

 朝から快晴である。あまりの天気の良さに農作業を始めたくてウズウズしていた。とは言っても、地方の慣習には従わないといけない。周囲の人たちが今日までは完全休養しているのであれば、あまり表立って働くわけにもいくまいと様子をうかがっていた。すると嬉しいことに軽トラが走り始め梨畑での剪定が始まった。私も喜んで軽トラに乗りクリ畑の様子を見に行った。この時期にはクリオオアブラムシが幹の日陰側に集団を作り産卵をする。大ぶりな真っ黒いアブラムシが大集団になっているのは幾分気持ちが悪い。さらにこの集団の中に、ヒラタアブの幼虫が何匹もいてオオアブラムシを捕食している。この寒い時期であっても、昆虫界での生存競争は続いている。写真は気持ち悪いと思うのでここには載せないが、興味のある人はhttp://www.town.oi.kanagawa.jp/sizenen/now/h25_12a.htmlでも参照してください。殺虫剤は使わずに火で焼き殺すのだが、ちょっとばかり残酷で心が痛む。

 天気のいい日は放射冷却で霧が出やすい。クリ畑から数百米も行けば大分県日田市である。日田市は底霧が出る町として有名なところだが、日田市で発生した底霧が筑後川に沿って流れ出してくる。今日は夜明けダムの上を通った霧が、川沿いに杷木町の上空へと流れ込んでいた。

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 帰りに、原鶴温泉の上空でこの霧が消えてゆく景色が見えたので、もう一枚写真を撮った。

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 その後、柿畑で夕方まで剪定をしたのだが、まだ満足のいく剪定ができない。プロの方が作っている剪定後の柿園の姿に比べ、剪定後の私の柿はどこか弱々しいのである。肥料を幾分抑えているので、枝の大きさがちょっと小さいのである。まあしかし、経験年数が違うのだから、仕方ないことと諦めよう。このサイズの柿の木1本を剪定するのに、2時間半から3時間が必要である。パートの人の応援を仰いでいるとはいえ100本とか200本とか植えている本職の人は大変だ。

 以下、剪定前と剪定後の写真である。

剪定前
剪定前 1
剪定後
剪定後 2
剪定前 2
剪定前 2
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剪定後 2

  写真に写っているが、脚立の上り下りが膝にくる。剪定ばさみを持つ右手が疲れて、指がつり始める、上ばかり見るので首と腰が痛くなる。剪定すべき柿の木が7本で本当によかった。

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近況

 2ヶ月余り、山仕事にはまっている。耳納山系の東の端近くに2,000坪程度の栗畑を持っているのだが、いわゆる法面の手入れが15年以上滞っている(私が買って7年目)。道路脇の斜面に生えた木が、台風時に土を抱えて倒れるようになってきた。放置すれば、道路の損壊を引き起こしかねない。数年前から、大きな木だけでも切っておこうと考えていた。この作業、昨年の冬に終わらせるつもりだったのだが、年末に右足を捻挫したのが原因で今年に持ち越していたものである。

 10月の終わり頃から、1日1 m前進を目途に木を切り竹を切りしているのだが、まだ終わらない。放置していた間に生長した雑木は、直径が20㎝を越えるものもある。その木に葛や蔓草そして荊が巻き付き樹冠の部分で数本以上の木が連結されているのである。1本の木を倒すのでも、風向き、枝振りと幹の伸びた方向だけではなく、足場の確保や電線の位置などを考えながらのかなり危険な作業なのに、10 m 以上に連なったジャングルを処理するのは、手に余るというのが本音である。しかし、やるしかない。我々がホームセンターなどで通常手にする材木はさほど重たいものではないように感じるが、山に生えている生木は多量の水を含んでおり思った以上に重たい。時には命の危険を感じざるを得ない。

 要するに、急な法面自体がすべてそで群落とマント群落の様相を示している。言い換えれば温帯ジャングル状態である。そしてその中にイノシシが移動に使っている獣道が何本も通っている。これらの木や草を全部切り払うのは、法面の土壌保護の観点からは望ましくないとは思いながらも、とにかく一旦切り払わない限り大きな木の根元にも行けない。山林用チップソーをつけた刈り払い機で下草を刈った後、金曜日のジェイソンのようにチェーンソーを振り回し、荊と葛のジャングルを切り開いていくのである。

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どこからどう手をつけて良いか?
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下側から2メートルほどソデ群落を切り払った後

 足場は悪いし、荊は痛い、刈り払い機でソデ群落を切っても、チェーンソーを振り回して樹冠?をなしている蔓を切っても、耐えられないほどのゴミと切りくずが飛んでくる。ゴーグルと、時にはマスクを掛けるているとはいえ、1時間もすればゴミだらけになる。疲れると注意力が落ちて危険なので、この作業2時間以上は続けない。

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道路側のソデ群落を切り払った後
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切った木を含めツタや葛を引き下ろしたところ、とは言ってもヒトが引っ張ってもビクともしない.ロープを掛けて軽トラで引きずり下ろしたところ

 作業が終わり、一気に視界が開ける時の爽快感は格別なのだが、この季節でも虫刺されは発生する。マダニは冬でも活動するというし、ブヨもまだ油断できない。デスクワークは楽だったなと思う反面、毎日汗をかく生活もなかなか捨てがたい。

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あと一歩、もうすぐ視界がクリアーになります
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