寒冷化 or 温暖化

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   一昨日、所用があって福岡市まで出かけたのだが、なんだか疲れてしまったようだ。その日は早めに寝ただけでなく、翌朝も久しぶりのまとまった雨の音を聞きながら9時過ぎまでゴロゴロしていた。結構疲れている。理由は明白で、法面を切った雑木の処理と再来年用の薪の収集によるチェーンソーの使いすぎである。ここ20日余り、毎日ほぼ5〜6時間はチェーンソーを振り回していた。右手にかなりな張りが来ていることは気付いていたが、雨が降る前になんとか片をつけたいと無理をしていたわけだ。そうした状況で、チェーンソーの方が気を遣ってくれたらしく、チェーンオイルを供給するオイルポンプの作動が不安定になった。そのお陰で、私が休息できている訳である。

 1月後半の寒気が緩み少し暖かくなっているが、今週はまた寒くなりそうな予報である。当地は、福岡県とはいえ大分県沿いの内陸部にあるため、福岡県の天気予報はあまり役に立たず大分県日田市の予報の方が余程現実に近い。

 話は変わるが、世界的な天候を見ていると今年の冬は異常に寒いように思える。昨年の秋頃から北アメリカがとても寒い時期があり、ロシアの強烈な寒さがそれに続いた。その後、サハラ砂漠に1m近い降雪がありセルビアではドナウ川が氷結した。氷の厚さは4m以上という。ヨーロッパ北部が異常に寒いのは当然として、ブルガリアでは黒海が凍結している。その後、ブルガリア沿岸に続いてウクライナ沿岸の黒海も凍結し、1954年以来の寒さという報道があった。ヨーロッパは全般的に氷河期的状況で、60人以上が凍死したと聞く。イスラエル、シリア、パレスチナ自治区なども80年ぶりの大雪となっているし、2月3日には、クウェート、アラブ首長国連邦などで大雪が降った。勿論12月にオーストラリアで40℃を越える猛暑があったことは知っているが、どう見ても寒い話の方が多そうに思える。

 私は、地球温暖化を完全には信じてはいない。何しろ、根本純吉氏の「氷河期へ向う地球」で育った世代である。さらに天気予報の精度が少し上がったとはいえ、現在の気象庁に対する信頼感は極めて低い。何となく政府の意向の下で動いている気がするからである。まあそれは横に置いて、こうした異常な寒波についての報道が余りにも少ないのは何故だろう。凍りついたローマとか凍結したドナウ川、黒海などといえば、ニュースとしての価値はありそうに思えるのだが?民放連にしてもNHKにしても、地球温暖化を連呼しているのだるから、これらの事実は報道しにくい、いや意図的に自己規制をしているのかなと思ってしまうのである。世界はもう少しずる賢いというか人が悪い。温暖化を叫びながらも国際会議の名称は「気候変動枠組条約」として、温暖化という言葉を前面に出すことを控えている。もし寒冷化が起こっても、対応できるという目論見だろう。

 さて、週末から日本もまた寒くなるという。太陽の活動も低く、その黒点数は0を続けているようだ。太陽黒点数の推移から見て、マウンダー極小期(1645 〜1715年)と類似しているとの指摘もある。少し注意してみていく必要がありそうに思える。何しろ、温暖化に比して寒冷化の方が人類に対する影響ははるかに大きい。

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咳と発熱

 一昨日、皆がセンター試験で大変な作業をされている頃、私は山で切った藪の解体と焼却をしていた。世間からある意味で卒業すると、世の喧噪とは全く縁のない世界で過ごせるようだ。聞こえてくる人為的な音は、遠くで働いている人のチェーンソーの音と、真上を通過してゆく東京行きのジェット機、山の向こう側を走っている久大線の列車の音だけである。自然界では確実に季節が進んでいるらしく、混群を作っている山雀と四十雀の囀りが聞こえる。近くにある大きな椿にはメジロが群れているし、遠くからは多分アカゲラと思われるドラミングも聞こえる。カラスとヒヨドリは言うに及ばず、意外に人懐っこいジョウビタキが何度も様子を見にやってくる。

 それはどうでも良いとして、葛と荊の焼却でだいぶ煙を吸い込んだ。このせいで、魅力的なバリトンになっていると思っていた。昨日は朝の最低気温が-5℃近くまで下がり、葉菜は凍り付きパリパリの状態、ダイコンも凍ってしまっていたため出荷中止。のどの調子が思わしくないと思いながらも、ナフコに行って単管と直行ジョイントを買い込み新しい薪棚を作った。これが5つめであるため結構手早く作ることができたのだが、夕方寒くて寒くてたまらなくなった。熱を測ると38.7℃、この体温を見た瞬間に、手と足と肩が急激に痛くなった。

 そういうわけで、今日は働いていない。いまの体温も38.6℃、寝ていた方が良いだろうとは思うが、寝過ぎてだんだん腰が痛くなってきている。ちょっと起きて休んでいる状態だ。現役の頃、発熱は土曜日の夜、或いは大晦日で、月曜日或いは3日には起きて仕事に行っていた。少し時間に余裕ができたため、発熱のタイミングが狂い始めているらしい。皆様、風邪にはご用心!

  なんだか知らないが、咳も酷い。3日ほどゴホンゴホンとやっていると、腹筋の運動をやらされたときよりも痛くなってしまった。息をしても腹筋の存在がわかる。過去の経験から、私と咳の親和性は高いらしく、一度出始めると最低一月、長いときは半年ほど出続ける。面白いことに、咳が出ている期間は、胃腸の調子が良いような気がする。咳をすると言うことは、かなりなエネルギーを使っているということだろう。昨夜、余り眠れずに午前2時過ぎに起き出した。かといって、ChemDrawを起動してピリミジン塩基の生合成を入力する気にもならない。どうしようかと考えていたら、猛烈に空腹であることに気付いた。台所に行き昨夜のポトフの残りからキャベツの芯を拾い出して食べ、賞味期限ぎりぎりの豆乳を飲んで諦めてまた寝た。最後の晩餐がもしこれであったら何となく淋しいなと考えながら。

 いくつか予定が立て込んでいるので、何時までも寝ているわけにはいかないのだが、いまもまだ熱がある。あと2〜3日は、すべてをないことにして静養しよう。

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農業を始めて5年たった

 新米の農民として、イネを5年ほど、野菜類を2年ほど、そして果樹を5年ほど育ててきた。イネに関してはそれなりの手順が確立しているため、農協の栽培歴と師匠のアドバイスに従っていれば、反当たり7俵程度はとれるようだ。機械としては田植機とコンバインがない(高すぎて買えない)、苗の育成は農協任せという状態で、一人でやれるかと言われれば否と言うほかない。5年経っても師匠頼りの状況が続いている。

 野菜に関しては、何を中心に栽培すれば良いかが、なんとなく分かってきたところである。各野菜の最盛期に他の人と同じ野菜を作っても、殆ど収入にはならない。作る野菜を変えるか、品種を変えるか、収穫時期を変えるか、或いは売り方を変えるかどこかで工夫する必要がある。去年は色々な野菜を試したが、うまくいったのがヒユナとワケギである。植え方を一寸工夫すると、他の野菜がなくなる端境期に出荷できる。だめだったのが、ミニダイコン、山東菜、一部のベビーリーフ、最悪だったのは種を播いても発芽さえしなかったアイスプラントであった。

 果樹については、クリ、カキ、スモモとクワを試している。クリに関しては、カミキリムシの被害が大きいだけでなく、8月後半に台風が来ると幼果が落ちてしまう。成熟して落ちた実の収穫が、イノシシとの競争になる。プロの農家はこうした問題をどうしているのだろう。現在は、カミキリに寄生され息絶え絶えになった株を切り、苗から植え直すかどうか思案している。

 カキ、浮羽のカキは結構有名でかなりな面積で栽培がされているとはいえ、近年栽培面積は減少傾向にあるし、品種の置換も行われている。市場では少しでも早く出荷されたものに高い値がつくため、早生の品種が好まれているようだ。しかし、正直なところ早生に品種は余り美味しくないように感じている。11月後半に熟れる富有ガキがやはり美味しい。さほど美味しくないものを早く出荷してしまうと、その後美味しいものが出されても消費が伸びない。同じような現象がキウイで起こっている。キウイは収穫してしばらく追熟させないと旨くならないのだが、必ずフライングして旨くないものを出荷する業者がいる。こうした業者が全体の消費の伸びを邪魔しているのだが、彼らは高い値段での売り抜けを実現しているわけだ。

 そこで美味しい晩生の富有柿の話に戻るが、12月の後半から剪定が始まる。3〜4年ごとに樹皮を剥がす作業もある。芽が出始める前に石灰硫黄合剤やマシン油を撒き、根元に少量ではあるが堆肥を施用する。4月からはまあ通常の薬剤散布、摘蕾、摘果作業が9月頃まで続いた後、収穫が11月から始まり12月の半ば頃まで継続する。つまり年中休む暇がない。天候による災害を受ける可能性も大きい。とすれば、おいしさはいま一つでも、高価で早く収穫の終わってしまう品種にシフトして行くのも仕方ないことだろう。非難はできない。

 私も7本を残して残りの柿は切ってしまった。世話を仕切れないというのが本音である。この年になると、脚立に登っての作業はあまりしたくない。剪定、摘蕾、摘果、収穫の時に、空を飛んでしまう可能性を無視できないからだ。そして、切った柿の後にクワを植えた。桑の実で商売をしようと考えたわけだ。ところが、まあ思いがけない障害に出会っている。現在のクワは極めてマイナーな作物である。そのクワ栽培で葉っぱではなく実を取ろうとする農業者はさらに極めて少ない。いつも少数派にとっては似たもの同士の作物かもしれない。問題は、農薬会社がマイナーな作物に対して薬剤を適用申請をしていない点にある。勿論、それは合理的な判断で、申請にかかる費用と売れ行きを考慮すれば当然だといえる。

 しかし、マイナーな作物であっても病気は発生するし害虫も寄生する。こうした場合の対応策として、作物のグループ化が行われクワに関してはブルーベリーおよびその他の小粒果実類に適用を持つ農薬が使用できることになってはいる。だが、こうしたグループ化がなされたが際に、使える薬は各植物に使える農薬の重なり集合と限りなく近いものとなった。つまり、毒性は低いが効果に関してはちょっと疑問という農薬が多数を占める。これは効かないといっているわけではなく、撒く時期や散布方法などにかなり篤農家的知識や予知能力が必要であると言う意味である。私はまだそのようなものを持ち合わせていない。菌核病が出たらどうしよう、紋羽病が出たらどうしようと日々悩んでいる。

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センター試験

 文科省がつまらない試験を始めたため、大学教員の負担だけでなく大学職員の負担も増えてしまった。1大学の試験であれば、公共交通機関の遅れなど種々の問題に対して現場で対応できるのだが、全国一律公平を基本条件にしているセンター試験においては大きな問題になる。試験監督、特に大きな試験室の責任者などしたくないものだ。とはいえ、余り規模の大きくない私学にいた私は、5年に3回くらいは監督をさせられていた。この世の中に公平なんてないことに気付いている18歳にもなった学生に、全国一律公平な試験ですなどという嘘をついてはいけないだろう。

 一般的な議論においては試験現場の公平さのみを問題にしているようだが、都市部と地方の教育環境の格差は明らかだし、家庭の経済状況もより大きな影響を与えている。にもかかわらず、一部の未成熟な受験生は公平であることが天賦の権利であるかのごとく思い込んで、無理なことを要求する。受験会場の日の当たる窓側と反対側では当然のこととして温度差が発生する。窓側の子が暑いので室温を下げてくれと良い、廊下側の子は寒いので室温を上げてくれという。コートの着用でコントロールしてくれといっても、コートを脱いでも暑いんです、コートを着ても寒いんです、といわれると打つ手がない。寒いという学生に、監督者がコートを貸すわけにもいくまいし、暖めてやることもできない。コートを脱いでも暑いという学生に、もっと脱げというのも問題ありであろう。馬鹿馬鹿しい話である。しかし、受験室で問題を起こすと後が面倒になるため、なんとかして宥めるしかない。

 昔の経験を思い出した。試験が始まって20分くらい経ったとき監督者の一人が急ぎ足で寄ってきた。どうしましたと小声で聞いたら、「斜め前の受験生が貧乏揺すりをするのが気になって集中できない。あれを止めさせてくれ。」といってます。どうしましょう。そう、私はその試験室の責任者だったのである。現場に行ってみると、確かにある学生の足がリズミカルに動いている。こんなもの、気にするなよと言いたいところだが、試験中に説得するわけにはいかない。さりとて、貧乏揺すりをしている学生にこれを止めろと言っても、彼にとっては無意識の癖であろうしすぐに止められるものでもないと思った。貧乏揺すりを止めると、それが気になって今度は彼が試験に集中できなくなるだろう。

 その時点で席替えをするのは、他の学生への影響が気になった。仕方なく人間ブラインド、監督者に遮蔽物になってもらうことにしたのだが、立っていたのではまだ見えて気になるという。結局、休息用のいすを持ってきて座っていてもらうことにした。この騒動で、「試験監督が横に張り付いて集中できない」と周囲の学生からクレームが出たらとハラハラしたが、彼らは賢くかつ大人であった。クレームの学生を落として、大人であった学生を合格させたい気分である。間違いの根源は、いまから教育すべき学生の選抜を文科省の誤指導の下で行う”公平な”試験に委ねることにある。大学の個性を取り戻す意味でも、この方式は止めた方が良いと考える。

 などと言ったとしても、一旦握ってしまった利権を役人が手放すはずはない。多分行くところまで行くんでしょうね。でも理解できない。生物多様性が大事だといい、一部変更したとはいえゆとり教育による個性の尊重、多様な生き方の尊重などと言いながら、全国一斉に建前上公平な試験を行う。本音と建て前が少しくらい違うのは認めるにしても、余りにも違いすぎると不愉快である。賭け事は良くないと言う建前の下で、警察庁は自動球遊器業界いわゆるパチンコ、農水省は中央競馬会、経産省は競輪・オートレース、国交省は競艇、総務省は宝くじ、そして道徳教育を行わせている文科省は”教育的立場”からサッカーくじ、どう考えてもおかしい。結局のところ、利権を前にすると目が眩むらしい。カジノ利権は何処に行くのだろう。サッカー賭博をスポーツ振興くじと言い変えるいやらしさも嫌いだが、このくじを管轄する文科省の下部機関—独立行政法人日本スポーツ振興センターの理事長には、近年ラグビー界のOBの就任が続いているようだ。森(元)総理の意向が強いような気もするが、きっとラグビーくじを企画するだろう。その次は、野球界のOBを起用して野球くじだな。言い換えれば、野球賭博。いっそのこと入学試験も籤にしてしまえば公平の原則だけは守れるだろうと思ったのだが、そうも行かないだろう。なに、特定の人のデータをプラチナデータとすれば良い。

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過剰と蕩尽 29

 ではまず、プリン塩基の生合成から始めることにする。出発は前回まで議論してきたグルタミンということになるが、実際の反応を見るとそりゃないよと思ってしまう。まずは次の図を見てほしい。いつも通りのKEGGだより、KEGGのPURINE METABOLISMのページである。

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 原図を確認してほしいが、このページを見てすぐに全体を把握できる人がどれほどいるのか想像がつかないが、多分、大多数の人が必要な部分だけを参照するという使い方をしているに違いない。Encyclopedia 即ち百科事典であるから、そうした使い方が批判されるわけではない。しかしながら、地道に順を追って見ていくことで、何か見つかるかもしれないことを期待して進めることにする。

 TCA回路について書いたとき、核酸合成系の出発物質はグルタミンと述べたが、これは看板に偽りありと受け取られても仕方がない気がする。次の図を見てほしい。

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 私はペントースリン酸経路で作られるリボース-5-リン酸を起点にして描いてみた。この図において、青の二重線矢印が表に出てくる経路であり、この線の横に少し小さく示した構造式群が、そこで起こる化学反応を示している。また、各反応を触媒する酵素をECナンバーで示した。まず、リボース5-リン酸の1位の水酸基がATPと反応して5-Phosphoribosyl 1-pyrophosphateへと変換される。なじみ深いSN2反応である。この時点で1位の水酸基の脱離性が向上しこの位置での求核置換反応が起こりやすくなる。ここでグルタミンのアミドが加水分解を受けて生成したアンモニアが、5-Phosphoribosyl 1-pyrophosphateの1位を攻撃してピロリン酸の脱離を伴い5-Phospho-D-ribosylamineとなる。まあ、グルタミンに属するアミノ基が加わったのだからグルタミンが出発物質と言えないわけではない。次は5′-Phosphoribosylglycinamideへの変換だが、まずグリシンのカルボキシル基がATPと反応して混合酸無水物の中間体を作る。翻訳の段階で起こっているのと同じ反応である。この酸無水物の活性化されたカルボニル基を5-Phospho-D-ribosylamineのアミノ基が攻撃して、目的のアミドを形成する。この時フリーとなったグリシン残基のアミノ基が、10-Formyltetrahydrofolateからホルミル基を受け取って5′-Phosphoribosyl-N-formylglycinamideが形成される。

 リボース5-リン酸から5-Phospho-D-ribosylamineまでの2段階を一挙に進める反応もあるが、1968年に報告されてから後に続く報告がない。グルタミンのアミノ基ではなく直接アンモニアを使うという反応で面白いとは思うけれど殆ど情報がないのが残念である。

 次に5′-Phosphoribosyl-N-formylglycinamideのアミド部分がATPとの反応でエノールリン酸アミドとなることで活性化されたグリシン残基の1位の炭素を、再度グルタミンのアミドが加水分解を受けて生成したアンモニアが求核付加した後、正リン酸が脱離してこのページの最終産物となる5′-Phosphoribosyl-N-formylglycinamidineが生合成される。この図において、グルタミンは2つの反応を支えているわけだ。

 このページを見ていると、グルタミンのアミド残基の加水分解が、アンモニアを出すという単純な反応であるとは言え生物の遺伝物質である核酸の生合成を支えている事実を再確認せざるを得ない。更に、ATPが水酸基、或いはカルボキシル基の水酸基をリン酸化する反応の大事さである。5段階の反応のうち、3段階でこのやり方でATPが使われている。また、生物がDNAもしくはRNAを使い始めたとき、葉酸を補酵素とする1炭素転移反応が成立していたことも推測できる。

 次の図に移る。この図は前図の最終産物である 5′-Phosphoribosyl-N-formylglycinamidineから1-(5′-Phosphoribosyl)-5-amino-4-(N-succinocarboxamide)-imidazoleまでの反応を示している。

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 まず、1-(5′-Phosphoribosyl)-5-amino-4-(N-succinocarboxamide)-imidazoleのホルムアミド部分がエノールリン酸となってカルボニル炭素の活性化が起こった後、この炭素原子をフラン環についた2級アミンの窒素原子が攻撃し、脱リン酸を伴ってイミダゾール環が生成する。身近にヘテロ環を合成していた人が何人もいたので、そのうち余り気にならなくなったとはいえ、私の経験ではヘテロ環の反応はなんとなくわかりにくかった記憶がある。次の反応は単なるカルボキシルか反応だが、その経路は一寸面倒である。炭酸イオンがATPと反応して混合酸無水物であるcarbonic phosphoric anhydrideへと活性化された後、このカルボニル基をイミダゾール感情のアミノ基が攻撃してカルバミン酸を形成するが、カルバミン酸は不安定であるためすぐに脱炭酸が起こり、二酸化炭素が脱離すると同時にイミダゾール環の4位にアニオンが発生する。このアニオンがそばにあった二酸化炭素と反応した後、環の再芳香化が起こり1-(5′-Phosphoribosyl)-5-amino-4-imidazolecarboxylateが生成する。この反応におけるアミノ基の反応様式は、なんとなく迂遠な気がするが、ビオチンを補酵素とするカルボキシル化のメカニズムと同じである。初めから、イミダゾールの4位にアニオンを発生させる共鳴構造を描けないわけではないが、イミダゾール環は芳香族性を持つ。従って、このアニオンの寄与が非常に小さいが故に、こうした経路が選ばれたのだろう。

 次の反応もATPによるカルボキシル基の活性化から始まる。ここで生成した混合酸無水物が、TCAサイクルの構成成分であるオギザロ酢酸のアミノ基転移産物であるいま一つののアミノ基による攻撃を受けて、このページの最終産物である1-(5′-Phosphoribosyl)-5-amino-4-(N-succinocarboxamide)-imidazoleが生成する。官能基を活性化する役割でATPが縦横無尽に活躍しているのが印象的である。

 さて、今回は次の図までで一旦止めよう。

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 先の図における最終産物であった1-(5′-Phosphoribosyl)-5-amino-4-(N-succinocarboxamide)-imidazoleからフマル酸が脱離すると5′-Phosphoribosyl-5-amino-4-imidazolecarboxamideが作られる。4位のカルボキシル基をアミドとするためになんと遠回りな反応を使うのだろうと戸惑いを感じる。ここにも、グルタミンからのアミノ基を使えば良いのにと思うわけだ。しかしながら、実際がそうなっているのだから仕方がない。

 次の反応はイミダゾール環5位にあるアミノ基のホルミル化なのだが、メカニズムは10-Formyltetrahydrofolateをホルミル基の給源とする 5′-Phosphoribosylglycinamideの場合と同じである。図においては後で起こるピリミジン環の方向と合わせるために、イミダゾール環を180度回転させて表記している。1-(5′-Phosphoribosyl)-5-formamido-4-imidazolecarboxamideからInosine 5′-monophosphateへの閉環反応は、イミダゾール環形成反応と同じように進行しそうに思えるが、残念ながらそうではない。この反応ではATPによる活性化を経ずに脱水を伴う閉環が起こりInosine 5′-monophosphateが形成される。

 この2段階の反応は5-amino-4-imidazolecarboxamide ribonucleotide transformylase [EC:2.1.2.3] によって一挙に進行するのだが、この酵素は真核生物、バクテリアに分布し、古細菌での分布は狭い。最初のホルミル化を触媒するいま一つの酵素 5-formaminoimidazole-4-carboxamide-1-(beta)-D-ribofuranosyl 5′-monophosphate synthetase [EC:6.3.4.23]は古細菌において広く分布し、バクテリアの一部にも存在する。次の閉環反応を触媒するもう一つの酵素である  Inosine 5′-monophosphate cyclohydrolase [EC:3.5.4.10] は、原核生物・真核生物を問わず広く分布している。だからどうだという話にはならないが、何らかの真実が細部に宿っているのであろう。

 プリン塩基の生合成系は、ここでアデニン環を持つATP、dATPへと向かう流れと、グアニン環を持つGTP、dGTPへ向かう流れに分岐することになる。

過剰と蕩尽 30 に続く

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