過剰と蕩尽 30

AMP生合成

まず、AMP生合成の図を示す。但し、この図が本当に妥当かどうかの検証は後回しにする。

Inosine 5′-monophosphateからAdenosine 5′-monophosphate(AMP)までは、ほんの 2ステップの反応である。Inosine 5′-monophosphateの1位と6位の間で起こるエノール化で生成するエノール性水酸基がGTPによってリン酸化されて、反応性の高いエノールリン酸エステルが生成する。活性化された6位の炭素をアスパラギン酸のアミノ基が求核敵に攻撃してAdenylosuccinic acidが生成する。Adenylosuccinic acidはフマル酸を脱離しながら6-アミノプリン、即ちAMPへと変換される。エノールリン酸エステルが直接アンモニア−例えばグルタミンの加水分解産物−と反応すれば、簡単に作れるのではないかと思わないでもないが、実際がこうなっているのであればこれが正しい。更に、アスパラギン酸の炭素鎖はフマル酸へ変化することなく受け継がれているので、炭素原子を失ったわけではない。フマル酸からリンゴ酸、オギザロ酢酸を通って、容易にアスパラギン酸の再構成が起こることを考えれば、この系はそれなりに合理的なのであろう。

とは言っても納得したかといわれれば、どこか納得はしていない。気にくわないのは、AMP生合成においてGTPを消費する段階が存在することにある。生物にとって、GTPとATPはエクイバレント即ち等価なエネルギー媒体として考えられている。よりエネルギーの低い段階にあるAMPの生合成にGTPが必要であるとすれば、そのGTPの由来は何処にあるかなどと考えてしまうのである。とはいえ、Inosine 5′-monophosphateまでの合成系においてもATPは何分子も使われていることを考えれば、この時点での懐疑には殆ど意味がないことには気付いている。

現在の生物のエネルギー代謝においてはATPがその大部分を担っている。何故ATPがそれほど重要な役目を担うようになったのかという疑問とともに、ADPではだめなのかとか、Adenosine 5′-tetraphosphateやAdenosine 5′-hexaphosphateなどという可能性はなかったのかと、あれこれ夢想してしまう。この疑問の根源にはATPがいかなる理由で生物に選ばれたのかという問いが存在するようだ。私の直感は、ATPの方がGTPより生命活動の根元にあるとしているが、ここでこの話に深入りしても長くなるばかりなので、ひとまず次に進めよう。

GMP生合成

次は当然GMPの生合成の話となる。この図の正当性も後で考えることにしよう。

Inosine 5′-monophosphateからGuanosine 5′-monophosphate(GMP)の生合成も2段階で起こっている。イノシン-5-リン酸の2位の炭素にIMP dehydrogenaseのシステイン残基のSH基が求核的に付加する。この付加に伴って生成したエノール性水酸基がケト形に戻るとき、図に示すような電子の移動が起こり、2位の水素が水素アニオンとしてNADP+のピリジン環4位に付加すると、酸化された形で基質酵素複合体が形成される。このES complexの2位の炭素上に水の付加が起こったあと酵素残基が脱離すると2-3位でエノール化したキサンチンが生成するが、すぐにケト形へ異性化してXanthosine 5′-phosphateへと異性化する。次にまたもやグルタミンの出番だが、グルタミンを給源とするアンモニアがプリン環2位の炭素に付加、脱水、エノール化というとおかしい−エナミン化という言葉は余り聞いたことがないにしろ、とにかく3位にアミノ基が結合したGuanosine 5′-monophosphateとなるわけである。

核酸の生合成へ流入するためには、上記で得られた二つの化合物のそれぞれに、あと2分子のリン酸を結合させる必要があるのだが、その結果得られる化合物であるATP、GTPは高エネルギーリン酸結合を持つ。ATPを例に取れば、

  •  ATP + H2O → ADP+ Pi    ΔG = −30.5 kJ/mol (−7.3 kcal/mol)
  •  ATP + H2O → AMP+ PPi   ΔG = −45.6 kJ/mol (−10.9 kcal/mol)

従って、このエネルギーをどこから持ってくるのかというのが問題になるだろう。先にちょっと述べたがAMPからATPの生合成のエネルギーをGTPに頼るわけにはいかないだと思う。万一それが事実だとしても、GMPからGTP生合成に必要なエネルギーはなにに依存するかという問題に転化するだけであり、これはこれで悩ましい問題である。これは、高エネルギー結合を持つ核酸生合成の原料分子と生物活動のエネルギー通貨といっても良いATP生合成の問題と直結する問題であることから、後でまとめて考えることにする。

さて、先に示した図は二つともに、AMPとGMPの生合成を生物有機化学が好きなオタク視座から見たものにすぎない。従って、生合成全体を見る総合的視点を甚だしく欠いているわけだ。そこでだが、AMP生合成とGMP生合成について、少しばかり全体像を眺めてみることにする。まだATPにもGTPにもたどり着いていないのに、全体像を見るというのは尚早と思われるかも知れないが、そうしないと話を続けるのが余りにも錯綜してしまうという現実があるからである。

まず、プリン代謝に関して3枚の図を示すことにする。出典はKEGGであることはいうまでもない。

プリン代謝系の Reference chart http://www.genome.jp/kegg-bin/show_pathway?org_name=map&mapno=00230&mapscale=&show_description=show

この図は、通常の代謝マップに記載してあるものであり(勿論代謝マップを描いた人もそのことは承知の上である。そのため、この図を動物、植物、微生物と分割して掲載している場合もある)、この図を見てあれこれと軽率に語るのは余りにも危険である。前にも述べたが、この図は、調べられた生物の代謝系を重ね合わせて反映させた TIC (Total ion chromatogram)と同質ものである。従って、ある生物がこれらの代謝系のすべてを持つわけではない。では、ヒトやシロイヌナズナはこの中でどの代謝系を持つのか?

Homo sapiens のプリン代謝系 http://www.genome.jp/kegg-bin/show_pathway?org_name=hsa&mapno=00230&mapscale=&show_description=show
Arqbidopsis tharlana (シロイヌナズナ)のプリン代謝系 http://www.genome.jp/kegg-bin/show_pathway?org_name=ath&mapno=00230&mapscale=&show_description=show

原図を参照してほしいが、この二つの生物においては一つの反応にいくつもの酵素が重複して関与している場合が多い。それらのすべてを包含した説明をせよと望まれても、それは人間業ではできない相談になりそうだ。ただ、ADP riboseからAMP或いはGMPまでの代謝には、然程の複雑さはない。これが、AMP或いはGMPで一端話を止めた理由であるとともに、そこまでの化学反応の図の正当性を担保すると考えたわけである。その後の代謝をいま少し分かり易く述べるためには、代謝が放散する前の原初的生物の系を参照するのが一つの方法となると考えた。そこで原核生物である真正細菌と古細菌のそれぞれの系統樹において、根元に近い位置にある2種の原核生物のプリン代謝系を見てみることにする。1つは真正細菌であるThermotoga maritima MSB8の持つプリン代謝系であり、いま一つは古細菌である Pyrodictium delaneyiの持つプリン代謝系である。

Thermotoga maritima MSB8P の持つ Purine metabolism    http://www.genome.jp/kegg-bin/show_pathway?tma00230
Pyrodictium delaneyi の持つ Purine metabolism  http://www.genome.jp/kegg-bin/show_pathway?pdl00230

この2種の細菌の代謝系はかなりよく似ているだけでなく、真核生物の代謝系に比して非常にシンプルな系となっている。これら原初的原核生物の系が、進化の伴って複雑化したのであろう。Pyrodictium delaneyiの系において、GMPとGDPをつなぐ酵素が欠けている点で解釈に困る所はあるが、この2種の原核生物の系を敲き台として話を続けることにする。

過剰と蕩尽 31 に続く

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2月6-7日

 朝、電話をもらった。山の隣の果樹園の持ち主Nさんからである。今日は風も弱いし暖かいから、「例のクスノキを切りましょうよ」というお誘いである。我々が手入れしている果樹園は昭和30年代に開墾されたものである。 従って開墾から60年近い時間が経っている。私の畑にある「例のクスノキ」も、大きさから見て樹齢は60年を超しているらしい。このクスノキに全く恨みはないけれど、大きくなりすぎて周りの日当たりが悪くなっていた。数年前から切らざるを得ないなと思いつつも、一人では手に負えないためそのままになっていたものである。

 Nさんはハンターでもある。散弾銃ではなくライフルの所有者であり、山仕事で私などとは隔絶した知識と技術を持っている。更にNさんの友人であるYさんも援軍として現れた。この方もハンターで、毎年北海道までエゾシカを撃ちに行くという強者である。まず木に登って片側の枝を落とし、重心を倒す方向にかけてやる。倒す側の根元に受け口と呼ばれる切り込みを入れる。勿論、チェーンソーを使う。受け口の中央より少し高い位置を決め、反対側から追口と呼ばれる切れ目を入れていく。この時、木のできるだけ高い位置にロープを架けてトラックで引っ張りながら、倒れる方向がずれないように制御するのだが、地形上トラックを倒す側に配置できない。仕方なく別の木に固定した滑車で方向を変えて引っ張ることにした。二人とも撃った鹿を藪や林の中から引っ張り出すために、多種多様なロープ・滑車・車載クレーンなどの機材を持っている。その機材をフルに使っての作業である。最初の1本を切るのに2時間ほどかかった。

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1本目のクスノキ 直径は85cm位である
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1本目の切り株 株本は直径1mを越える

 次の1本も同じ手順で切った。かかった時間はやはり2時間ほどで午後4時を過ぎていた。その後、倒れた木から枝を落とし1m程度の長さに切っていったのだが、最後までは終わらず日没となった。疲れて無理をしても危険なので、残りは明日に持ち越すことにした。と書けば、私も働いたように聞こえるが、実質の作業は殆ど2人の援軍が行ったことである。その割にはとても疲れた。こんなことばかりしているため、ブログの更新が遅れ気味になっている。気にはなっているが、薪の収集などこの季節にしかできないことが山積している。

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2本目のクスノキ 大きそうに見えるが1本目殆ど同じサイズである
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大きさの比較のため飼い犬をいっしょに撮影 この犬の体重は、約 15Kg である

 翌日早朝に、N耕作舎から「今日、堆肥をお持ちします」との電話があった。まず2トンを柿畑に降ろしてもらい、次の2トンを山の畑に運んでもらった。殆ど臭いのない熟成の進んだ堆肥である。ホームセンターなどで売っているものの中には、発酵が足りずべっとりしたものがあったりする。それに較べるとこの堆肥は良さそうで気に入った。その後、この舎長と少し世間話をしていたのだが、昨日我々が切ったクスノキの幹がほしいという話になった。楠は腐りにくいので、いま建てようとしている四阿の柱としてそのまま使いたいという。こちらとしても、そんな形で利用してもらえるのであればその方がありがたい。解体するにはもっと刃の長いチェーンソーを買わねばならないという現実的な問題もあるが、せっかく大きくなっていた木である。そのままの形で生かす方法はないかと思っていたところなので、一も二もなく譲ることで話がついた。

 我が家のウッドデッキから見ると、正面の山の山頂付近に立派な農舎(人が住めそうな)見えるのだが、会話の中でこれがN耕作舎さんの所有であることが判明した。その農舎の横に170mの井戸を掘ったので、風呂場も作るそうだ。あなたは堆肥を購入した客だから、この農舎を使って良いというところまで話が広がった。東の空に登ってくる月を見るにはこの上ない場所、仲秋の名月が楽しみになってきた。しかし、一献傾けた後どうやって家に帰れば良いかは問題である。まあその時はイノシシと鹿を見ながら泊まることにしよう。

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望遠で撮った農舎(我が家のウッドデッキより)

 明日からはしばらく寒いそうだが、農業機械・器具類の展示会が宮地嶽神社の駐車場で行われる。余りに寒いようであれば農作業を控え、展示会に出かける予定である。寒さがもう少し長引けば、ブログの続きがアップできるかも知れない。

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寒冷化 or 温暖化

2/6

   一昨日、所用があって福岡市まで出かけたのだが、なんだか疲れてしまったようだ。その日は早めに寝ただけでなく、翌朝も久しぶりのまとまった雨の音を聞きながら9時過ぎまでゴロゴロしていた。結構疲れている。理由は明白で、法面を切った雑木の処理と再来年用の薪の収集によるチェーンソーの使いすぎである。ここ20日余り、毎日ほぼ5〜6時間はチェーンソーを振り回していた。右手にかなりな張りが来ていることは気付いていたが、雨が降る前になんとか片をつけたいと無理をしていたわけだ。そうした状況で、チェーンソーの方が気を遣ってくれたらしく、チェーンオイルを供給するオイルポンプの作動が不安定になった。そのお陰で、私が休息できている訳である。

 1月後半の寒気が緩み少し暖かくなっているが、今週はまた寒くなりそうな予報である。当地は、福岡県とはいえ大分県沿いの内陸部にあるため、福岡県の天気予報はあまり役に立たず大分県日田市の予報の方が余程現実に近い。

 話は変わるが、世界的な天候を見ていると今年の冬は異常に寒いように思える。昨年の秋頃から北アメリカがとても寒い時期があり、ロシアの強烈な寒さがそれに続いた。その後、サハラ砂漠に1m近い降雪がありセルビアではドナウ川が氷結した。氷の厚さは4m以上という。ヨーロッパ北部が異常に寒いのは当然として、ブルガリアでは黒海が凍結している。その後、ブルガリア沿岸に続いてウクライナ沿岸の黒海も凍結し、1954年以来の寒さという報道があった。ヨーロッパは全般的に氷河期的状況で、60人以上が凍死したと聞く。イスラエル、シリア、パレスチナ自治区なども80年ぶりの大雪となっているし、2月3日には、クウェート、アラブ首長国連邦などで大雪が降った。勿論12月にオーストラリアで40℃を越える猛暑があったことは知っているが、どう見ても寒い話の方が多そうに思える。

 私は、地球温暖化を完全には信じてはいない。何しろ、根本純吉氏の「氷河期へ向う地球」で育った世代である。さらに天気予報の精度が少し上がったとはいえ、現在の気象庁に対する信頼感は極めて低い。何となく政府の意向の下で動いている気がするからである。まあそれは横に置いて、こうした異常な寒波についての報道が余りにも少ないのは何故だろう。凍りついたローマとか凍結したドナウ川、黒海などといえば、ニュースとしての価値はありそうに思えるのだが?民放連にしてもNHKにしても、地球温暖化を連呼しているのだるから、これらの事実は報道しにくい、いや意図的に自己規制をしているのかなと思ってしまうのである。世界はもう少しずる賢いというか人が悪い。温暖化を叫びながらも国際会議の名称は「気候変動枠組条約」として、温暖化という言葉を前面に出すことを控えている。もし寒冷化が起こっても、対応できるという目論見だろう。

 さて、週末から日本もまた寒くなるという。太陽の活動も低く、その黒点数は0を続けているようだ。太陽黒点数の推移から見て、マウンダー極小期(1645 〜1715年)と類似しているとの指摘もある。少し注意してみていく必要がありそうに思える。何しろ、温暖化に比して寒冷化の方が人類に対する影響ははるかに大きい。

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咳と発熱

 一昨日、皆がセンター試験で大変な作業をされている頃、私は山で切った藪の解体と焼却をしていた。世間からある意味で卒業すると、世の喧噪とは全く縁のない世界で過ごせるようだ。聞こえてくる人為的な音は、遠くで働いている人のチェーンソーの音と、真上を通過してゆく東京行きのジェット機、山の向こう側を走っている久大線の列車の音だけである。自然界では確実に季節が進んでいるらしく、混群を作っている山雀と四十雀の囀りが聞こえる。近くにある大きな椿にはメジロが群れているし、遠くからは多分アカゲラと思われるドラミングも聞こえる。カラスとヒヨドリは言うに及ばず、意外に人懐っこいジョウビタキが何度も様子を見にやってくる。

 それはどうでも良いとして、葛と荊の焼却でだいぶ煙を吸い込んだ。このせいで、魅力的なバリトンになっていると思っていた。昨日は朝の最低気温が-5℃近くまで下がり、葉菜は凍り付きパリパリの状態、ダイコンも凍ってしまっていたため出荷中止。のどの調子が思わしくないと思いながらも、ナフコに行って単管と直行ジョイントを買い込み新しい薪棚を作った。これが5つめであるため結構手早く作ることができたのだが、夕方寒くて寒くてたまらなくなった。熱を測ると38.7℃、この体温を見た瞬間に、手と足と肩が急激に痛くなった。

 そういうわけで、今日は働いていない。いまの体温も38.6℃、寝ていた方が良いだろうとは思うが、寝過ぎてだんだん腰が痛くなってきている。ちょっと起きて休んでいる状態だ。現役の頃、発熱は土曜日の夜、或いは大晦日で、月曜日或いは3日には起きて仕事に行っていた。少し時間に余裕ができたため、発熱のタイミングが狂い始めているらしい。皆様、風邪にはご用心!

  なんだか知らないが、咳も酷い。3日ほどゴホンゴホンとやっていると、腹筋の運動をやらされたときよりも痛くなってしまった。息をしても腹筋の存在がわかる。過去の経験から、私と咳の親和性は高いらしく、一度出始めると最低一月、長いときは半年ほど出続ける。面白いことに、咳が出ている期間は、胃腸の調子が良いような気がする。咳をすると言うことは、かなりなエネルギーを使っているということだろう。昨夜、余り眠れずに午前2時過ぎに起き出した。かといって、ChemDrawを起動してピリミジン塩基の生合成を入力する気にもならない。どうしようかと考えていたら、猛烈に空腹であることに気付いた。台所に行き昨夜のポトフの残りからキャベツの芯を拾い出して食べ、賞味期限ぎりぎりの豆乳を飲んで諦めてまた寝た。最後の晩餐がもしこれであったら何となく淋しいなと考えながら。

 いくつか予定が立て込んでいるので、何時までも寝ているわけにはいかないのだが、いまもまだ熱がある。あと2〜3日は、すべてをないことにして静養しよう。

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農業を始めて5年たった

 新米の農民として、イネを5年ほど、野菜類を2年ほど、そして果樹を5年ほど育ててきた。イネに関してはそれなりの手順が確立しているため、農協の栽培歴と師匠のアドバイスに従っていれば、反当たり7俵程度はとれるようだ。機械としては田植機とコンバインがない(高すぎて買えない)、苗の育成は農協任せという状態で、一人でやれるかと言われれば否と言うほかない。5年経っても師匠頼りの状況が続いている。

 野菜に関しては、何を中心に栽培すれば良いかが、なんとなく分かってきたところである。各野菜の最盛期に他の人と同じ野菜を作っても、殆ど収入にはならない。作る野菜を変えるか、品種を変えるか、収穫時期を変えるか、或いは売り方を変えるかどこかで工夫する必要がある。去年は色々な野菜を試したが、うまくいったのがヒユナとワケギである。植え方を一寸工夫すると、他の野菜がなくなる端境期に出荷できる。だめだったのが、ミニダイコン、山東菜、一部のベビーリーフ、最悪だったのは種を播いても発芽さえしなかったアイスプラントであった。

 果樹については、クリ、カキ、スモモとクワを試している。クリに関しては、カミキリムシの被害が大きいだけでなく、8月後半に台風が来ると幼果が落ちてしまう。成熟して落ちた実の収穫が、イノシシとの競争になる。プロの農家はこうした問題をどうしているのだろう。現在は、カミキリに寄生され息絶え絶えになった株を切り、苗から植え直すかどうか思案している。

 カキ、浮羽のカキは結構有名でかなりな面積で栽培がされているとはいえ、近年栽培面積は減少傾向にあるし、品種の置換も行われている。市場では少しでも早く出荷されたものに高い値がつくため、早生の品種が好まれているようだ。しかし、正直なところ早生に品種は余り美味しくないように感じている。11月後半に熟れる富有ガキがやはり美味しい。さほど美味しくないものを早く出荷してしまうと、その後美味しいものが出されても消費が伸びない。同じような現象がキウイで起こっている。キウイは収穫してしばらく追熟させないと旨くならないのだが、必ずフライングして旨くないものを出荷する業者がいる。こうした業者が全体の消費の伸びを邪魔しているのだが、彼らは高い値段での売り抜けを実現しているわけだ。

 そこで美味しい晩生の富有柿の話に戻るが、12月の後半から剪定が始まる。3〜4年ごとに樹皮を剥がす作業もある。芽が出始める前に石灰硫黄合剤やマシン油を撒き、根元に少量ではあるが堆肥を施用する。4月からはまあ通常の薬剤散布、摘蕾、摘果作業が9月頃まで続いた後、収穫が11月から始まり12月の半ば頃まで継続する。つまり年中休む暇がない。天候による災害を受ける可能性も大きい。とすれば、おいしさはいま一つでも、高価で早く収穫の終わってしまう品種にシフトして行くのも仕方ないことだろう。非難はできない。

 私も7本を残して残りの柿は切ってしまった。世話を仕切れないというのが本音である。この年になると、脚立に登っての作業はあまりしたくない。剪定、摘蕾、摘果、収穫の時に、空を飛んでしまう可能性を無視できないからだ。そして、切った柿の後にクワを植えた。桑の実で商売をしようと考えたわけだ。ところが、まあ思いがけない障害に出会っている。現在のクワは極めてマイナーな作物である。そのクワ栽培で葉っぱではなく実を取ろうとする農業者はさらに極めて少ない。いつも少数派にとっては似たもの同士の作物かもしれない。問題は、農薬会社がマイナーな作物に対して薬剤を適用申請をしていない点にある。勿論、それは合理的な判断で、申請にかかる費用と売れ行きを考慮すれば当然だといえる。

 しかし、マイナーな作物であっても病気は発生するし害虫も寄生する。こうした場合の対応策として、作物のグループ化が行われクワに関してはブルーベリーおよびその他の小粒果実類に適用を持つ農薬が使用できることになってはいる。だが、こうしたグループ化がなされたが際に、使える薬は各植物に使える農薬の重なり集合と限りなく近いものとなった。つまり、毒性は低いが効果に関してはちょっと疑問という農薬が多数を占める。これは効かないといっているわけではなく、撒く時期や散布方法などにかなり篤農家的知識や予知能力が必要であると言う意味である。私はまだそのようなものを持ち合わせていない。菌核病が出たらどうしよう、紋羽病が出たらどうしようと日々悩んでいる。

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