旗立てと旗下ろし

 昨年の終わり頃、地区の集まりの中で近所にある賀茂神社の世話当番が私たちの集落になるという話を聞いた。近隣の地区で回り持ちになっているらしい。日にちは忘れたが、集会のあった数日後に旗下ろしがあるという。話の内容がつかめずに、会が終わった後で近所の人に聞いてみた。要するにお祭りのときに境内に立てる旗を立てたり下ろしたりするのだという。それは理解するとして、私は氏子ですかと尋ねたら、氏子になるのを拒否するといわない限り、山北に住んだだけで自動的に氏子になるのだそうだ。要するに私は、仏教徒でありながらいつの間にか晴れて賀茂神社の氏子、それも正式な氏子ということになっていた訳である。そういうわけで、日時は忘れたが旗下ろし、12月28日の旗立て、そして今日その立てた旗を下ろしてきた。

 この歳になるまで、神社の参道に大きな旗が立っているのを何気なく見てきたが、氏子の人たちがあれを立てたり下ろしたりと、見えないところで活動されていたことに思いが及んでいなかった。都市の中にいてサラリーマン的な生活を送っていると、山間部の道路整備やこうした文化の継承などについて殆ど気付かない。

 それはそうとして、旗を立てたり下ろしたりする作業は結構大変である。今日の参加者は20人ほどで6本の旗を下ろしたのだが、そこは慣れと経験が優先する世界である。

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賀茂神社 左右の4本の旗を降ろして収納
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写真としては電信柱と電線がうるさいが、この2本の旗は結構大きい。でも作業は楽である。

  旗の大きさは後の写真の方が大きいのだが、この場合はアルミのポールに沿って掲揚する形になっているので左程大変ではない。前の写真の旗は旗立石と呼ばれる石にボルトや藁縄で固定して立てられている。小さそうに見えるが、旗を立てている支柱が思いのほか重たいため、これを立てたり下ろしたりするのは6〜7人の共同作業となる。いやいや新年から楽しい経験をすることができた。

  ここで話を止めても良いのだが、一寸だけ補足する。この賀茂神社は余り知られていないにもかかわらず、歴史的には興味深い。この神社、祭神は神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと:神武天皇)、賀茂下上大神《賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)そして懐良親王(かねながしんのう)》なのだが、この賀茂下上大神が最初に天降り鎮座されたのは、京都の上賀茂神社や下賀茂神社ではなくこの浮羽の地なのである。その後、初代天皇である神武天皇が日向から大和へ東征される際に、宇佐からうきは市の山北へ来られた。伝承によればそのとき賀茂大神は八咫烏(やたがらす)となって東征の道案内をしたという。詳細は賀茂神社 (うきは市)と入れてウィキペディア、或いは「神功皇后伝承を歩く」の著者である「綾杉るな氏」が書かれているブログ「ひもろぎ逍遙 」 http://lunabura.exblog.jp/19243019/ などを参照されるのが良いだろう。我が家からクルマで4〜5分のところにこんな由緒を持つ神社があるだけでなく、いつの間にかその正式な氏子になっていたとは、人生面白い。色々楽しんでいるばかりで、本来のブログが滞っている。反省!

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