過剰と蕩尽 31

 先ず、原核生物と真核生物でほぼ共通なDNA生合成系の前半部分を、構造式抜きの物質名羅列の形で示しておく。ここまでの各段階は、既に反応機構付きで述べたものである。

DNA biosynthetic pathway without chemical constitution formula

 何度も言うようだが、この図を見て各段階で起こっているであろう森羅万象をイメージできる人がいるだろうか。化合物の名称からその構造を描ける人でさえごく稀であると思う。とは言いながら、この命名自体の正しさ、使っている命名法の統一性について、書いている本人が不安を感じている。ともあれ、生物は化学反応によって生き、化学反応によって次世代を生産しているのである。生物の持つ機能・情報は、(ほぼ)すべてが化学反応に還元されるだろう。

 それはそうと、次にInosine 5′-monophosphateから先の概念図を提示した後で、各反応についての説明に入ることにする。前回述べたように、高等と評される真核生物の系は複雑すぎるので、もう少しシンプルな系を構築している原初的生物を例に進めることにする。下に、真正細菌であるThermotoga maritima MSB8と古細菌である Pyrodictium delaneyiの持つプリン代謝系から本質的と思われる系を抜き出した図を示す。

The schematic chart from Inosine 5′- monophosphate to RNA and DNA

  この図の前半部分は既にのべた。ここで議論すべきはGMPからGTP/dDTPへの変換、並びにAMPからATP/dATPへの変換過程であろう。其処でだが、この図から読みとれることはいくつかある。

1. GDPからGTPへと変換する酵素とdGDPからdGTPへと変換する酵素 EC 2.7.1.40 は同種の酵素である。ADPからATPへと変換する酵素とdADPからdATPへと変換する酵素もまた同種である。こう書くとXDPからXTP生産酵素のように聞こえてしまうが、XDPとXTPの相互変換酵素といった方が良いだろう。ちなみに、ここで働く酵素群 EC 2.7.1.40は よく知られた phosphoenolpyruvate kinase である。いわゆる解糖系がXDPからXTP生産する段階に関与するだけでなく、その解糖系から分岐したペントースリン酸経路がプリン塩基生合成の出発物質であるD-Ribose 5-phosphateを供給するという2つの接点を持つというわけである。私も酵素ナンバーは酵素の機能様式からの表示であり、一つのナンバーの下に多数の酵素群が存在する程度のことは知っている。しかし、生物によっては1種のphosphoenolpyruvate kinaseしか持たない場合が多々存在するようだ。とすれば、そうした生物において、生産物である4種のXTPの量の制御はどうなっているのだろう。さらにいま少し見方を変えれば、この酵素の反応生産物はピルビン酸である。ピルビン酸はこれまた極めて重要なピルビン酸代謝系の出発物質である。色々と妄想が膨らみそうな気配が濃厚・・・。

2. デオキシリボ核酸の原料であるdATP・dGTPの生合成において、ADPからdADP、ATPからdATPへと変換する経路、およびGDPからdGDP、GTPからdGTPへと変換する系路はあるが、GMPとAMPをそれぞれdAMPとdGMPへ変換する系は存在しない。これは存在していないのだからそうですかと云うしかない。ADP をdADPにする酵素と GDP をdGDPに変換する酵素群 EC 1.17.4.1とATP をdATPにする酵素と GTP をdGTPに変換する素 EC 1.17.4.2 は、要するにリボース残基をデオキシリボース残基へ変換する酵素である。きっと似ているだろうと思って、両グループの酵素間でBLAST解析を行ってみたところ、反応様式が同じでありかつ基質もよく似ているにもかかわらず、殆ど相同性は存在しない。これらの酵素群は、基質のリン酸化の程度に極めて高い特異性を持つようだ。

3. 先に示したヒトやアラビドプシスなど真核生物の持つ系と比較すれば、進化に伴って多くの系が付加されてきたことが明らかである。

 余りに小さな所ばかりつついても仕方ないので、反応を進めることにする。まずADPとATPそしてそこからのdADPとdATPの生合成についてである。

AMPからのATP生合成

 余りすっきりしない話だが、ATPを作るためにATPから1つのリン酸基をAMPに移し、生成した2分子のADPをPEP(Phosphoenol pyrvate) を基質とするキナーゼの作用により2分子のATPまで変換するというプロセスである。すっきりしない点はATPを生合成するためにATPを消費する点にある。つまり、元々のATP はどこから来たのかが問題になるだろう。もっとも、ここに至るプロセスの中でATPは何カ所も働いている。上図では、最終生産物であるATPと消費されるATPが余りにも近くにあるため、この矛盾が露骨に見えただけである。この問題も、記憶に残しておこう。

 次は、GTPの生合成である。

GMPからのGTP生合成

 またもやすっきりしない話だが、GTPを作るためにATPから1つのリン酸基をGMPに移し、生成したGDPをPEP(Phosphoenol pyrvate) を基質とするキナーゼの作用によりGTPへ変換するというプロセスである。副生物であるADPはPEP kinaseによりATPに再生されて再度この系で働くと言い切ってしまえば、最初に消費されるATPは触媒だと定義して良いのだろうか。何とも錯綜する話だが、この論理はATP生合成においても使えるかも知れない。

 屁理屈はそこそこにして先に進もう。次はヌクレオチドの糖残基であるリボースの2位の水酸基を除去してデオキシリボースに変換する反応である。この反応は糖残基上で起こるのだけでなく、そこで働く還元剤がチオレドキシンであることから、リボースからデオキシリボースへの変換は同じメカニズムで起こっていると考えて良い。ということで、デオキシリボースへの変換に入ろう。

リボヌクレオチドからデオキシヌクレオチドへの変換

 この段階で働く酵素は2種類存在する。両者の関係については後で述べるとして、この段階の反応は少々分かりづらい。リボースの2位の水酸基を、どうすれば除去できるのか、私を含めて大多数のヒトが考え込むと予想する。無学なヒトであれば、水酸基を除いて水素をつければ良いと 簡単に答えてしまうかも知れないが、そんなに簡単な話ではない。以前、ポルフィリンの生合成において、ラジカル SAM 酵素に分類されるanaerobic magnesium-protoporphyrin IX monomethyl ester cyclase [EC:4.-.-.-]について少し言及した。その中で「これらは[4Fe-4S]クラスターをもつ酸素感受性酵素群で、S-アデノシル-L-メチオニン(SAM)を還元的に開裂して生成するラジカル(通常は5′-デオキシアデノシルラジカル)を中間体として用い、種々のラジカル反応を触媒する。要するに、イオン反応では起こりえないような反応を触媒する酵素と考えて良い。さらに、これらラジカル SAM酵素が働いている位置は、生命現象の根幹の部分に近いように感じている。」と書いたのだが、リボースからデオキシリボースへの変換を触媒するレダクターゼもまたラジカル反応を触媒する酵素である。

 図に示すように、レダクターゼのシステイン残基上にあるイオウ上に発生したラジカルが、リボースの3位の炭素上に存在する水素原子を攻撃することから反応が開始される。図において赤色の片矢印は電子1個の移動を示す。水素原子を引き抜かれたリボース残基では、3位の炭素上にラジカルが発生する。この中間体の3位の水酸基の水素を酵素中の塩基性の部分が攻撃してカルボニル基が生成するのだが、炭素の軌道上にはオクテット、即ち8個の電子しか存在できないため不対電子は追い出されて2位の炭素上に移動するのだが、2位の炭素は同じ理由でこの不対電子をそのまま取り込むことはできない。つまり、不対電子の移動と協奏して2位の水酸基がアニオンとして離脱する。このアニオンは補酵素とでもいうべき補タンパク質であるチオレドキシンのスルフヒドリル基の水素を引き抜いて水を生成する。この時、2位の炭素上には不対電子が存在している。

 リボース残基の2位の炭素上の不対電子は、チオレドキシンのもう一つのスルフヒドリル基の水素をラジカル反応により引き抜くことで、2位の水酸基の除去が起こったことになる。しかし、この段階ではリボース残基の3位はカルボニル基になっているし、チオレドキシン側はラジカル反応によるSーS結合の形成に伴い、図に示すようにイオウ原子がアニオンラジカルになっている訳だが、この不対電子が3位の炭素を攻撃するとカルボニル基の立ち上がりを伴う酵素中の酸性部分のプロトンを引き抜き水酸化が生成する。但し、生成した水酸基の根元にはラジカルが存在する。このラジカルが、最初に働いた酵素のSH部分から水素原子をラジカル反応により引き抜いて、デオキシリボヌクレオチドがめでたく生合成されると同時に、最初のイオウラジカルを持つレダクターゼが再成することになる。

 通常の有機化学において、ラジカル即ち遊離基は非常に反応性が高いのが通例であり、それらの反応を制御するのはなかなか難しい。我々にとって馴染み深いポリエチレンやポリスチレンなどの合成高分子はラジカル重合で作られたポリマーであるが、これらの反応においては立体選択性、位置選択性が期待できないだけでなく、鎖長の制御もまた難しい。そうした性質を持つラジカル反応が、生物現象の根幹ともいうべき核酸生合成の最終段階に織り込まれているだけでなく、生産される化合物が立体選択的に作られていることに対して、言いようのない畏怖さえ感じてしまいそうである。

過剰と蕩尽32に続く

 ここまで書いて、生合成の図を5時間ほどかけて完成と思った瞬間、原因不明のChemDrawフリーズ、中間段階で保存していなかったため、何も残っていない・・・。気分は最悪。

 取り敢えず、ここまでをアップすることにした。気を取り直して再度書き直し、近日中に追加します。まだ若かった頃、全く洗車しないクルマに乗り続けていた。友人たちのクルマは雨が降ると汚れるのに、私の車は雨が降るときれいになった。2年以上洗わずに乗っていたらさすがに汚くなった。そこで後部ガラスの汚れの中に、指で「近日洗車予定」と書いて乗っていたら、後ろで信号停車したクルマのドライバーが爆笑していた。いや、近日中という言葉に端を発したちょっとした思い出です。

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我々は同じ世界を見ているのか?

 幼かった頃の記憶が乏しい私だが、変なことに疑問を持った瞬間だけは覚えている。中学校に進級したばかりの頃である。世の中では三井三池争議がもっとも激しかった時期に当たる。そんなことになっているとは露知らず、大牟田市の市役所の近くに住んでいたのであった。当時は何も感じなかったが、私の家あたりから上っていく道沿いには三井三池関連の社宅が並び、上に行くほどお偉方が住んでいたそうである。当然、下っていく道沿いにも住宅があり、それら低地の住宅は鉱員さん達の社宅であったらしい。こうした棲み分けは、日本の企業城下町では珍しくない。ボリビアのラパスでは、空気の濃い低地が高級住宅街であり、高所には貧民街が分布するという。全く逆の棲み分けである。

 そんな話は横に置いて、隣の家に私より3歳年上の息子がいた。まだ内気だった私は、顔は知っていたとはいえ話をしたこともなかったのだが、彼が「子供の科学」を片手に真空管式のラジオを作っていることは知っていた。後にその彼が、赤緑色盲であったため希望する工業高校に進めなかったと聞いた。確かに電線として、赤・白・青・緑・黄・黒の6色のコードが使い分けられており、赤と緑の識別に問題があればちょっと苦しいのかなと思わないでもない。いくぶん緩やかになってきたとはいえ、現在でもこうした色覚異常者に対する制限は残っている。気の毒に感じるが、安全を考えると仕方ない部分もあるだろう。

 この時、赤と緑の区別がつかない状態とはどんな状態なのだろうと懸命に考えた。しかし、風景がどういう風に見えるのかについては全く想像がつかなかった。赤と緑が単に逆転するわけでもなさそうなのである。木の葉が赤く見えるのだろうかとか、夕焼けの空が緑に見えるのだろうかとか、リンゴがなっているとき果実と葉っぱとの区別はどうなるのだろうなどと、なんとかイメージしようと思うのだが分からない。分からないことは、分からないものとして残しておき、時々考えるというのが私の生き方である。そういうわけで、この疑問をずっと残していたのだが、その後しばらくして変な考えに取り憑かれた。

 赤とは何だろうという疑問である。例えば、私一人が赤と緑を逆に感じている可能性はないのか、そうであった場合これを証明する方法はあるのかということである。分光学的に見れば、700ナノメーター前後の波長を持つ電磁波を赤色光といい、この光が目に入ると通常は赤く感じるわけだが、私がこれを緑色に感じるとする。成長する過程において、この緑色を赤色と教えられるのであるから、緑に感じていても答えは赤になる。森林の緑色を見た場合も同じである。この緑色を赤く感じていても、それが緑だと教育されてきたとすれば、森林の赤い色を緑色と答えるに違いない。

 ちなみに、赤外線温風コタツの赤色光は暖かさに関係はない。ランプだけでなく金網のコーティングの色も、我々が赤い色に暖かさを連想するから我々の感覚に合わせているだけである。赤外線は赤色光の外側(長波長域)の電磁波で、我々は暖かくは感じるにしても視覚的に見ることはできない。我々にとって、赤外線は無色である。しかしながら、コタツ内部が青い色で統一してあったら、それはそれで奇妙に感じるだろう。

 成長するに従って、共感覚や絶対音感という自らは体験することのできない感覚を持つ人々の存在を知った。同じモノ、同じ風景に対し、異なったヒトは、異なったモノを、異なった風景を見ているのではないかという思いが強くなった。発生学的に言えば、赤色光に反応する錐体細胞から出る神経繊維と緑色光に反応する錐体細胞から出る神経繊維が、ちょっとした間違いで交差してしまえば、赤緑逆転という色覚は可能なのかもしれない。

 考えてみると、ヒトや霊長類は赤、緑、青を3原色とする3色型色覚を持つ。一方、爬虫類や両生類は4色型色覚を持つという。爬虫類と共通の祖先から進化した哺乳類も、分岐した当初は4色型色覚をもっていた。爬虫類が覇権を握っていた中生代では、哺乳類は夜間に活動する生活様式を強いられたため4種類あった錐体細胞のうち2種類を失い2色型色覚となったらしい。現在のイヌ、ネコ、ウシ、ウマなどの多くの哺乳類は、2色型色覚を持ち、これらの生物は波長420~470ナノメートルの青い光を吸収する青錐体細胞と、緑から赤にかけての波長の光に対応した赤錐体細胞しか持っていない。ところが3,000万年ほど前に、旧世界の霊長類(狭鼻下目)の祖先において、X染色体に新たな長波長タイプの錐体視物質の遺伝子が出現し3色型色覚を有するようになったという。一方、いわゆる恐竜の子孫である鳥類は、現在も4色型色覚を維持している。つまり、鳥の見る世界、ヒトの見る世界、犬の見る世界は相互に異なっているわけである。例外的だがヒトにおいても4色型色覚を持つヒトがいるという。

 ヒトにおける3色型色覚と4色型色覚を持つ個体の識別であれば、遺伝子解析で区別できると思うが、神経繊維の配線ミスはどうしたら検出できるのだろう。50年近く悩んでいるのだが、未だに霧の中にいる。

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ゆっくり冷静に判断

2/26

 世の中、森友学園の件で大騒ぎなのだが、何度となく役人と交渉した経験からすればあのスムースな認可はまずあり得ない。役人側に何らかの圧力があったとしか思えない状況である。とはいえ、状況証拠では政治家は捕捉できない。現権力者であればなおさらである。最初にこの事件を聞いた時、森元総理が関わっているのかと思ってしまったが、森元ではなく森友だった。失礼しました。この話については、今しばらく情報のチェックを続けるとして、チョットだけ他の件で書いてみたい。

 世の中、不可解な事件がいくつもある。解決していないというか、事件があったことさえ消えかけている事件である。私は色々な事件が起こった時、あまり拙速な判断はしないことにしている。森友事件の報道は今の所まだ少なく、マレーシアでの金正男殺人事件がTVだけでなく新聞を騒がせているが、殺人の方法、VX、ドッキリTVの真似などと騒ぐ前に、被害者が本人かどうかの確認が先決であろう。タイの新国王が派手な入れ墨をしているが、金正男氏もそうではなかったか?倒れている被害者の腹には入れ墨はなさそうである。まあ、こんなことはネットにも書いてあるだろう。それからVX、引きのいいドラフトと防護用の装備は必要でしょうが、純度の問題を抜きにすれば、さほどの腕がなくても合成できるのでは。原料は某試薬会社で売っています。国家的バックアップがないと作れないと決めつける方が、推論の自由度を損なうでしょうね。

 キアッソ米国債事件、こう言われてああそうかとわかる人はあまりいないが、2009年6月3日イタリアとスイス国境にあるキアッソ駅を経由して、スイスへ入境しようとしていたスーツ姿の日本人2人組(財務省職員2人という説と財務省職員1人と宮内庁職員1人であったという説が流れていた)が、額面5億ドル249枚および10億ドル10枚など、総額1,345億ドル相当の巨額の米国債を隠し持っていたため、イタリアの警察に逮捕された事件である。日本円にして約13兆円の米国債である。2人のうち1人は、武藤敏郎氏の義弟である山内恒夫氏である。武藤氏と言えば、大臣官房総務審議官、主計局長を経て、大蔵事務次官、そして、2003年3月から日本銀行副総裁となった人物である。これには武藤氏の関係者ではないとする説もある。私にはわからない。ただ当時の中川財務大臣が、アメリカの意向に逆らって動いていた形跡があり、これがその後の酩酊会見(某新聞社の女性社員がワインにハルシオン盛ったという説も)、さらには心筋梗塞といわれる急死事件に繋がっているとの説もある。マスコミはこれら米国債を偽物であるとして報道を打ち切ったが、どこか腑に落ちないため時々ネットをさまよっている。

 10年経たないと見えてこない事件の背景なんて、よくあることです。ケネディ暗殺事件なんて、事件が起こったのが1963年11月22日、でも事件の最終報告書が公開されるのは2039年です。日航機123便の墜落事故も、いまひとつ腑に落ちない。墜落地点の確定が何故あんなに遅れたのか、客室乗務員の話と事故調の話がどうも噛み合わない、ボーイング社が何故あんなに早く過失を認めたのかなど、腑に落ちないことは山ほどある。別に自ら真相解明に向かって活動していないのだから、わからなくて仕方がない。あの事故の数日前にあの飛行機に乗った人間としては、どうしても気になるのです。日々、納得できない事件に関してはノートに書き出して、時々眺めながらその時点からの考察をする。ボケ防止の頭の体操です。

 そんなことは横に置いて、安倍首相に関して納得のいかないことを少しだけ。昨年末にプーチン大統領が来日、山口での首脳会談は成功裏に終わったと報道された。しかし、北方領土はそのまま、経済協力として3,000億円を日本が拠出し4島における日露両国の特別な制度のもとでの共同経済活動を行うとの合意をしたという内容だったと。それから2ヶ月程度しか経っていないのに、ロシアのショイグ国防相は北方領土を含む島々に、軍の新しい師団を配置すると発表した。ロシアは対日対話が活発化する中においても、北方4島を自国の領土だとして、この地域の防衛力を強化する姿勢を鮮明にしているわけだ。あれ、首脳会談は成功したのじゃなかったの? 3,000億円、まさかロシア軍の配備費用になったのでは?? どうもわからん!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170302-00000577-san-eurp

 トランプ大統領が就任後、安倍首相が嬉々として会いに行ったのだが、皆目会談の中身が見えてこない。エアーフォース1に乗っただの、フロリダの別荘でゴルフをしただの、見つめあって握手をしただの、下らない報道ばかりである。その直前には50兆円あるいは70兆円の(GPIFの資金)をアメリカ労働者の雇用改善に使うなどなどというニュースが流れていたのに、まったく報道がない。トランプ大統領の笑顔が不審に思えるのは仕方ない。

1日経ったらニュースが出ていた。100兆円だって!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170301-00000566-san-bus_all

 とはいえ、マスコミはトランプー安倍の蜜月関係を賛美する報道であふれていた。大成功であるという。TPPの件、トランプを説得したの?強行採決までしたのに。マスコミも、一言も問わない。さて、トランプ大統領はやりたいようにやっているように見える。政策自体には疑問を感じる場合はあるが、公約通りだから仕方のない面もあるだろう。批判は批判としてすれば良い。選挙中、TPP絶対反対と言っておきながら、TPP絶対推進といわれるよりまだマシだと思ってしまう。それはそうと、2月24日アメリカのホワイトハウスは、ショーン・スパイサー報道官による非公開の報道ブリーフィングから、大統領の政策を批判している複数の報道機関を閉め出したそうだ。あれ蜜月関係にあるはずの日本の報道機関、それも安倍首相を支持している報道機関も排除された。なぜ?

 日本でエンゲル係数が上昇している。アベノミクスの成功で、景気は良くなっているそうなのだが? 当初はトリクルダウンによって、一般人にも景気回復の余禄が回ってくると言われたが、そうでもないらしい。そんなことは起こらないと竹中君が言ってしまった。トリクルダウン、もう死語です。世の中デフレではない状況まで来たが、デフレ脱却を目指すなんて不可解な発言が出るほどだ。通常、貧困化が進むとエンゲル係数が上がる。お金は日本人のために使ってくれよ思うのだが、今の政権は外国のために大盤振る舞いを繰り返している。政府関係者が言ったのかマスコミが作ったのか不明だが、日本におけるエンゲル係数の上昇は、国民がグルメになっただけでなく外食が増えたことが原因だそうだ。でも、外食産業も不況だという。グルメとは縁のない粗食の私にとっては、全くもって不可解である。

 政治には関わりたくないが、時として腹ふくるる思いが嵩じてこんな文章を書いてしまう。ほっこりほっこりした、温和な社会を願っています。

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春の兆し

 今日、庭に植えてあるスウィートスプリングにウグイスがやって来た。かなり強めに剪定をしておいたため、見つけやすい。まだ囀りはしなかったが、もうすぐだろう。クリの畑に来るウグイスは下手な囀りを始めている。家の周りではコカワラヒワの群れがキリキリとかわいい声を上げている。この群れは、昨年植えていたヒマワリの種を食べ尽くしたグループであろう。

 数日前にはイカルがやって来た。私のお気に入りの小鳥である。まだ囀りには早い季節だと思うのだが、澄んだ声で「蓑笠着いー・・・みのかさきいー」と一声鳴いて飛び去った。そのせいかどうかはわからないが、今日は午後から雨である。そういえば、日本人とポリネシアの人々は鳥のさえずり、虫の声を言語脳である左脳で聞き、その他の民族は音楽脳である右脳で聞くという。東京医科歯科大学の角田忠信教授であったと記憶しているが、この方が書かれた「日本人の脳」の中に書いてあった。そのため、日本人は鳥の囀りを「聞きなし」という方法で把握できるという。

 いまの日本野鳥の会は少しならず金儲けに走っているようで好きになれないが、1970年台までのこの会は、唯々鳥が好きという風情の中西悟堂氏が会長をされていた。悟堂氏が書かれた定本野鳥記 (全8巻別巻1 春秋社 )は、小児喘息で外に出られない時期のわたしにとってはバイブルにも比すべきものであった。この本を通していくつもの聞きなしを知ったのだが、今となってはどの聞きなしがこの本由来の記憶であるかは分からなくなっている。

 例えばツバメ、電線に止まってグチュグチュと囀るのだが、これを「土食って虫食って渋〜い」と聞きなせば、彼らの行動と相まってそう言っているような気になってくる。確かに言語脳で受け取っているのだろう。あまりに単純な囀りであれば聞きなしは擬音語にならざるを得ないが、適当な長さの囀りには色々な聞き方がある。これから囀り始めるホオジロ、「一筆啓上つかまつり候」、「源平つつじ白つつじ」と聞くのがオーソドックスだが、近年は「札幌ラーメン味噌ラーメン」とも聞くらしい。ウグイスに対しては、「ほう法華経」というそのままの聞きなしをする。メジロに対しては「鳥兵衛,忠兵衛,長忠兵衛」、「チルチルミチル青い鳥」などという言葉を当てている。

 友人たちにこうした聞きなしを教えたのだが、なかなかうまく覚えてはもらえない。生活に必要ではないからであろう。覚える必然性がないのである。ところが面白いことに、我々の生活に関連のある聞きなしにすると、記憶率が向上する。例えばヒバリ、多くの人がヒバリの声を聞いても鳥が鳴いているとしか表現しない。しかし、ヒバリの鳴き声を「日一分,日一分,利取る,利取る」と教えると、覚えてくれる人の割合は間違いなく上昇する。ローンを抱えている人にとっては切ない囀りかもしれない。センダイムシクイ、この鳥はチヨチヨ・ビーと鳴くのだが、昔は「鶴千代君ー」と聞いていたという。歌舞伎「伽羅先代萩」由来の聞きなしだが、現代では幾分通りが悪い。世のおじさんたちに対しては「焼酎一杯グーイ」というのが好評である。我が家にも5月の始め頃に時々やってきて、早朝から「爺や爺や起きー」と鳴く。

 もっと面白いのは、この鳴き声の聞きなしに少しエロチックな色合いを与えると、記憶率が劇的に上昇することである。例えばアカハラ、「キョロン・キョロン・チー」と鳴くのだが、これを「カモン・カモン・チュー」と教えると、アカハラは覚えないにしてもカモン・チューだけは覚えてくれる。サシバを知っている人はあまりいないと思うが、一部の人には渡りをするタカとして人気が高い。近頃は見かけることが少なくなったが、別名を「キンミー鷹」というようにキンミー、キンミーと鳴く。しかしキンミーではインパクトがない。そこでこれを「キス・ミー」教えればやはり覚えてくれる。間違いなく覚えてもらえる鳥はコジュケイである。ちょっとした藪の中で「ちょっと来い ちょっと来い」と大声でしつこく鳴き続ける。もちろん「ちょっと来い」で十分に印象的なので、それ以外の聞きなしが必要とは思わないが、これを「ペチャパイ・ペチャパイ」と教えれば、記憶の定着率は100%になる。されど、覚えるのはペチャパイであってコジュケイではない。ただ教える相手を選ばないと恨まれる恐れがあるため、教育には注意が必要だ。

 別に、こんなことを書く予定ではなかった。ただ、聞きなしという現象が日本人に特徴的という議論があるということを書きたかっただけである。しかし、例外のない規則はないという言説があるように、やはり例外はあるようだ。先に述べたコジュケイ、英国においては「Peaple’s qeen, Peaple’s qeen」と鳴くという話を聞いている。

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クスの木搬出

2月14日

  前日の夜、N耕作舎さんから電話があった。明日10時にクスノキを搬出するという。では、役には立たないが立ち会いましょうという話になり、14日は7時前に起きた。別に強調するほど早起きしたわけではないが、通常よりいくぶん早い。起きて、薪ストーブの灰を片付け、ようやく薪に火をつけた時に、今から行きますと舎長がやってきた。計画より2時間以上早い。いくぶん怠惰な私に較べ、このあたりのヒトは朝が早いし仕事の開始も早い。

伐採した2本のクスノキ(2年前)

 画面で見ると大した大きさには見えない。周りにもっと大きな木があるではないかと思われるかもしれないが、その通りである。ただ、この2本の木が、ワラビ畑の日照時間を著しく短くしていることに問題があったのである。もっとも、周りの木も、時期を見て切らねばならないことは間違いない。

     そういうわけで、私も朝食抜きで山まで駆けつけた訳だが、すでに二人の人がいらない枝を落としユンボでの搬出にかかっていた。

1本目のクスノキ搬出

 どう頑張っても4人で持てるようなものではない。足元は霜が降り、地面は凍りついている。これが溶けると地面がゆるゆるになり、ユンボもトラックも動けなくなる。それ故に、時間を前倒ししたのだろう。

2本目のクスノキ搬出

 上の写真が2本目のクスノキを吊り下げたところである。見りゃ分かるって。それはそうだが、この木は1本目の木より1割方小さい。それでも、バケットを伸ばした状態で釣り上げようとすると、ユンボの方が浮きそうである。四苦八苦しながらも搬出は終わった。木を積んだトラックもなんとか道路に出ることができた。時刻は9時30分である。10時に会う約束の仕事が、9時半に終了した。さて、この後何をしようか?

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