議員は餌のためにしか動かない

 ある程度の期間、社会人としてそれなりに働き暮らしてきた。色々なカテゴリーの色々なヒエラルキーに属する人々と接する機会を持ったのだが、極々一部の例外的な人を除いて、人は自分の利益のためにしか動かない。極々一部の人の例外的な人の中には、いわゆる筋を通す立派な人がいるのだが、その多くは偏屈なという形容詞が当てはまる人であった。極々一部の人の中のごく一部の人の特徴は、その多くの人がある程度の資産を持つということにある。「貧すれば鈍す」という言葉があるが、貧する可能性がないが故に、自己の良心に従った行動が取れると言うことだろう。「恒産無くして恒心無し」、つまり多くの人が貧すれば鈍すわけである。

 恒産とは何かといえば、安定した職業や財産を意味する。現代の社会のやり切れなさは、派遣という就業様式にあると思っている。さて、どんなレベルの議員であれ、落選すればただの猿以下といわれるように、次の選挙での当選は欠くことの出来ない生活費の源である。政権を取っている政党の議員は政策の決定権を持つが故に、色々なお金が集まってくる。非合法のものがあるかもしれない。とにかく、議員を動かすことができるお金を用意できる人達のために、政治が動くのである。制度がそうなっているのだから、それは違法ではない。野党議員は与党議員に較べ、正論を言っている場合が多いように見える。でも、ぎりぎりの場面になると決まって腰が砕ける。ああ、そうかと思う。どこからか潤滑油が入ったなと納得するのである。

 歳費があるじゃないかと思われるかも知れないが、歳費は議員になることが前提である。議員になるためには票がいる。ここに問題がある。生活が苦しい、コロナで先の生活がどうなるか分からないと悩んでいる階層の人々は、選挙に行っているのだろうか。議員を動かすのにはカネか票、カネと票の方がもっと効果的かもしれないが、無党派とか支持政党なしでくくられる部分の人達は、自分たちのために動いてくれる可能性を持つ議員に対して、カネは別としても票を与えているのだろうか。議員は聖人君子ではない。カネと票とに惹かれる少しだけ自己顕示欲の強い凡人が大半を占めていると思う。この、少し薄汚い議員を正しく働かせようと思うなら、カネと票、少なくとも票を与えなければならない。この部分を正論で美化しすぎているところに、現在の政治の停滞があると思っている。議員にとって、票こそがこそが餌であり、彼等の力の源泉である。

 私、選挙には必ず行きます。正論を言うため、筋を通すために、派手な生活を控えて少しずつですが貯金をしていました。何度か数百万のお金で誘われたことはありますが、お断りをしました。でもあのお金、喉から手が出るほど欲しかったな。学生から尋ねられたことがある。先生、幾ら賄賂を出したら籠絡されますか? うむ、2,000兆円くらいかな。何に使うんですか?まず、日本に1,000兆円やる。借金を払って綺麗になって出直しなさい。次に国内で真面な教育をしている大学に、運営基金として1兆円ずつ配る。そして、と続けていたら、やってられないという顔をして,彼は去って行った。

 議員はカネか票でしか動かない。(名誉も少しあるかな)現実の政治において、これは90%以上正しいでしょう。皆さん、議員に餌を与えていますかという切り口から選挙を考えないと、現実は動かないでしょう。イヌだって訓練するときは餌で釣ります。理想論だけではただ上滑りするだけになります。

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ABA生合成のまとめ 5・・・しつこく考える人だね!

  さて、以前に次のように書いた。【そうした立場(β-カロテンの生合成に酸素は必要か?)から眺めるとすれば、poly-cis-carotenoid pathwayとかall-trans-carotenoid pathwayとかいう経路の中で、cisであるtransであるというような小さな差異で議論するのは適当ではなく、プラストキノンをはじめとするキノン類を酸化剤として用いる酵素群[EC 1.3.5.5 and 1.3.5.6]と酸素を酸化剤として用いる酵素群[EC 1.3.99.26, 1.3.99.28, 1.3.99.29, 1.3.99.30, 1.3.99.31]に分けて捉えればよいようだ。】 つまり、phytoene desaturaseを始めとして、連続した脱水素により共役二重結合を生成していく酵素群が、酸化型のプラストキノンを水素受容体として利用して酸素分子の関与なくβ-カロテンの生合成が可能だと述べたわけである。

  しかし、よく考えて見るとそれだけでは不十分である。水素を受容した還元型プラストキノン即ちプラストキノールの再酸化はどのように起こるのかを抑えておく必要があるだろう。この問題を詳らかにしておかないとβ-Caroteneが還元的に生合成されるという言明は成立しないことになる。

  そこで考えるべきは、現生の高等植物についての話ではない。シアノバクテリアの出現までに成立していたβ-カロテンの生合成系についての話である。勿論、表8-1-1~3に示したように、光合成細菌にβ-カロテンを生合成する種が存在することを傍証とすればよい。ではβ-カロテンを生合成するこれらの光合成細菌は、プラストキノールの再酸化をどのように行っているのだろうか。


図 8-10 カロテノイドの不飽和化によって生じたプラストキノールは
       どのように再生されるか?

  調べてみると、図8-10に示すようにカロテノイドの不飽和化で生成したプラストキノールやユビキノンは、細胞中の酸化還元反応で広く使われるNAD+(酸化型ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)をNADH+H+(還元型ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)に変換されるようだ。こうなれば、多くの細胞中の酸化還元反応に共役できることになり、プラストキノンの再生に酸素を必要とすることはない。phytoene desaturaseやzeta-carotene desaturaseによるプラストキノールやユビキノールの生産は、大きなNADH+H+プールの小さな波紋として受容されていくのであろう。この問題は片づいたと考えて良い。

        次に問題になるのは、β-caroteneからabscisic acidまでの酸化反応の連続に関する部分である。植物細胞においてアブシジン酸の生合成は色素体つまり葉緑体で起こっている。葉緑体においては非メバロン酸経路が動いていることを考慮すれば、恣意的ではあるがアブシジン酸生合成の出発物質はピルビン酸とグリセルアルデヒド-3-リン酸と考えても大きな異議はでないだろう。そうすると、この2つの物質からアブシジン酸までに約26段階の反応が存在する。なぜ約という接頭語がつくかといえば、段階数の違うバイパスの存在、或いはIPPとDMAPPの異性化をどう数えるかなど厳密に数えにくい段階が存在するからである。


図8-11 アブシジン酸の生合成系で酸素分子が関与する酸化反応

  先にも述べたが、この26段階の反応中に酸素が関与する反応は6段階でみられるが、これらは全て、βカロテン以降の反応段階に偏在している。図8-11に示すように、βカロテンからアブシジン酸までの8段階の反応においてall-trans-Violaxanthinから9-cis-Violaxanthinへの酵素さえ分かっていない異性化反応とXanthoxinからabscisic aldehydeへの反応以外、全て段階が酸化反応である。反応の性質上、βカロテンからβ-cryptoxanthin、β-cryptoxanthinからZeaxanthinへの2つの酸素添加反応反応とZeaxanthinからAntheraxanthin 、Antheraxanthin からViolaxanthinへの2つのエポキシ化反応は、それぞれ時を違えず出現したと考えるとしても、4段階の酸化反応の伸長にはどれくらいの時間がかかるのだろうか。

  アブシジン酸の分布を思い出してみると、基本的には蘚類以上ということになっているが、緑藻類、シアノバクテリアにおいても微量の存在が明らかにされている。コケ類と緑藻類では、生育抑制的に働くようだが、シアノバクテリアには目立った活性はないようだ。(スピルリナに与えてみたことがあるが、殆ど影響はなかった)植物が上陸したのは約5億年前、シダ植物と高等植物に向かう枝が分岐したのが4億年ほど前である。コケ類については、シダ類からの退行進化によって生じた可能性が指摘されているとはいえ、化石による証拠からみても分子進化学的データからみてもシダ植物より原始的である。コケ植物から高等植物へと伸びる系統樹において、苔類までは生長調節物質としてルヌラリン酸が機能し、蘚類からはアブシジン酸が機能する。そうすると、アブシジン酸が生理活性物質としてニッチを獲得したのは5億年から4億年前の間であると推定できる。

 7章で述べたように、カロテノイドの歴史はステロイドより長いと推定出来る。Brocks らの報告によれば、27億年前にステロイドの生合成が始まっていた。β-カロテンまでの生合成はスクワレンまで生合成に先行するとはいえ、分子状酸素を用いた酸素添加反応の開始段階で、ある程度揃うのではないだろうか。こう考えると、β-カロテンの酸化は27億年頃に始まり、5億年頃までにはアブシジン酸に到達していたことになる。この数字の妥当性については、もう少し後で議論することにしよう。

  いま一つ、私が感じていた疑問は、「なぜ植物は、C15のアブシジン酸を生合成するのにC40のカロテノイドを経由し、これを分解してC25部分を捨て残ったC15部分の片方を使うというまどろっこしい経路を使うのか。」という疑問である。植物病原菌であるCercosporaBotrytis の仲間は、C15のファルネシルピロリン酸から直接アブシジン酸をつくると報告されている。しかし、植物は実際にカロテノイド経由でつくる。なぜそんな迂回経路を使うのかという疑問は、学会では成立しにくい問いである。近頃、朧気に答えが見えてきたような気がしているが、誰かクリアーな答えをお持ちの方はいないのだろうか。

  さて、ルヌラリン酸は下等植物に、アブシジン酸は高等植物に分布する。多くの人がこの記述で納得するらしい。しかし、私は高等とはなんぞや、下等とはなんぞや、との疑問を捨てきれていない。生物を高等、下等という形容詞でくくることは不可能であろう。どちらも40億年程前に発生した原初の生物の子孫であり、地球上で同じ年月を生き続けてきた生き物ではないかと思ってしまう。

  とはいえ、古い時代の形質をより多く残しているのは、いわゆる下等植物であることは間違いないであろう。彼らは、環境変化の少ない状況で大きく変わることなく生きのびてきた生物である。この条件に、生合成における酸素の関与を加味して考えれば、古い生長調節物質がルヌラリン酸であり、新しい生長調節物質がアブシジン酸であると推論してよいだろう。今後の議論においては、古い生長調節物質がルヌラリン酸であり、新しい生長調節物質がアブシジン酸であるとして話を進めることにする。

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お盆興行 2

 北九州にある私が籍を置いていた大学での話である。さて、大学における学科長とは、学科内の教員のスケジュールの把握と誰もしない雑用と雑務のとりまとめを行う便利屋みたいなもので、権限は全くない。命令権のない中間管理職と思って頂ければ良い。これから先の話、事情を知っている人が何人かはいると思うが、具体的な人名等については公にしないで欲しい。私に何が起こったかという個人的な事実を述べるだけにする。

 姓ではなく名前の頭文字を使ってH教授とするが、私が6年間続けてきた学科長から退き、この方に引き継いで3週目のことだった。彼は、北九州を流れるある河川に鮎を戻そうという活動を続けていた。ある強い雨の降った次の朝、彼は学生を伴ってアユの遡上調査に行ったのだが、増えた河の水に流され、本人は溺死、一緒に川に入った学生が人事不省の重体となってしまったのである。これから起こってくるだろう種々の問題に対応するためには、学科の内情が分かっている人が適任だという理由で、私がまた学科長に戻されてしまった。

 H教授だけでなくその奥さんも完全な無神・無仏論者であったため、葬儀、お別れ会、その他の行事のやり方について、多くの摩擦と軋轢があった。それだけでなく、警察、後には裁判所に呼び出されて、事情聴取や証言を求められた。それは、職務上仕方がないことである。この時期までに学生さんの意識は戻っていたものの、最終的にどこまで回復するかは全く見通せないため、当然だが親御さん達に対しては頭を下げるほか何もできない状況であった。

 個人的な話に戻ろう。葬儀が終わって数日ほど経ってからのことである。夜間に我々が入っている建物を巡回する警備員さんが2人で巡回するようになった。さらに数日経つと、2人で、そしてイヌを伴うようになった。建物の外ならまだしも、建物内をイヌ連れで回るのである。どうかしたのですかと尋ねると、いやちょっととか口を濁していたのだが、実は5Fに出るんですと小声で教えてくれた。H教授の研究室は5Fにあったのである。その頃には、H教授が5Fの廊下を歩いているという噂が、学生の間にも広がり始めていた。この手の噂は止めようがない。事務室にも話が流れたらしく、どうしますかと相談されたが、学科長には出るなという権限はないのである。事務側で塩でも盛って下さいと半分冗談で答えていた。ところが事態は冗談では済まなくなってきた。彼の行動範囲が広がってきたのである。

 5Fの廊下を歩いていた彼が、4Fの廊下を彷徨うようになり、さらに3Fでの目撃談まで出はじめたのである。疑心暗鬼に駆られた学生達の錯覚として済ませることができれば良かったのだが、そんなある日、H教授が3Fにある私の部屋に入っていったという目撃談が流れてきた。この話が私に伝わる数日前から、私の体調は急降下、咳、頭痛、倦怠感に悩まされ始めていた。話を聞くと、私が発症した日と彼が部屋に入っていった日が一致するようだった。そして、この日から彼の目撃談は消えた。

 命令権のない学科長は、突発的事象への対応だけでなく、ありとあらゆる会議に出席を求められ、あずかり知らぬ事に説明を求められ、時にはあるはずのない責任を問われた。さらに彼が引き受けていた他大学夜間部の非常勤講師までやらざるを得なくなり、次第に身体がボロボロになっていった。帰宅しようとして、椅子から立ち上がるのさえ、億劫になっていたのである。こうなれば見栄も恥も外聞もないと判断し、あるお寺の霊感があるという住職に救いを求めたわけだ。ただし、彼が本物であるかどうかは分からない。自然科学の研究者として闇雲に信じるわけにはいかない。今までの経緯は全く話さず、ただ咳が出て胸が痛い、強い疲労感があるということだけを伝えた。あまり感じの良くない相談者である。

 本尊の前で真言を唱えながら目を瞑っていた住職は私の方に向き直ると、おもむろに語り始めた。近頃、あなたの周りでお亡くなりになった方がいますね。この方は、無神論者です。現世しかないと思っていた人で、自分が死んだことを理解できずにおられます。なくなった後しばらく職場をウロウロしていたようですが、何とかしてくれそうなあなたに頼っておられます。ただ、この方だけの問題ではないですね。あなた方がいる建物の地下に空洞があります。炭鉱跡でしょう。そこの出水事故で亡くなった別の方々が影響しています。

 ちょっと待ってくれ、確かにグラウンドの向こう側はボタ山である。まさかと思って調べてみたら、確かにそこは炭鉱の跡地だった。しかし何で、そんなことまで分かるのか?でも、聞いても無駄である。アルカイックスマイルがあるだけ。まあ、迷った人を救うのもあなたの功徳、一週間の間、般若心経を3回仏壇の前で唱えなさい。後はこちらで供養しておきます。それで終わった。10日ほどで咳も疲労感も消えた。あれは何だったのだろう。このご住職とは今でも仲良く付き合っている。云い方は悪いが、まさかの時に頼れる心強い友人といえる。でも、科学者としての意地もあって、入り浸ることはしていない。この距離感を保つのは結構難しい。まあ、これらの件については、私が科学者ではなく、使えるものは原理が分からなくても使うという技術者的立場にいるということだろう。

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お盆興行1

 経験した怪奇談である。信じて貰えなくて良い、否定されても良い。常識的に考えれば否定されて当然である。これが他人の経験談であり私が聞く方であったら、きっと眉に唾を付けると思う。

 具体的な市名や町名を出すのは憚られるので、福岡県の西鉄大牟田線の沿線にあるA市ということにしておく。昭和42年のことである。父親がA市に土地を買って家を建てた。初めてその土地を見に行ったとき、何とも言えない違和感を感じた。理由は判らない。斜め前の土地には、半分まで建てながら放棄された家があった。その辺り一帯は昔のお寺の跡で、直ぐ先にはいくぶん傾いた七重の塔が在った。これは後で知ったことである。両隣は空き地で、ススキが密生していたのを覚えている。

 形通りに地鎮祭を行い家を建て始めたのだが、最初の事件は棟上げの日に起こった。棟上げに合わせて必要なものを買い集め現場に到着すると、大工の頭領が血だらけの左手を抱えて現れた。その日の朝に最後の切り込みをしていて怪我をしたという。親父は、桁くそが悪い《縁起が悪くて忌々しい》と、私に当たりながらも、その日の棟上げは終わった。後日談だが、働いていた大工さんの怪我が多かったそうだ。

 という、気にすればちょっと気になる事件を抱えて建てた家なのだが、それから3ヶ月あまり経って我々は入居した。ここから3人の家族が様々な何かを経験することになる。引っ越した翌朝、母親が不審そうな顔をして、夜中に鐘の音がずっと聞こえる。近くにお寺があるのかな。だが、大晦日ではあるまいし、夜中に鐘をつく寺など在るものか。私にも親父にも聞こえなかった。とはいえ、私に違和感がなかったわけではない。私は、窓の外から屋内を覗き込む強い視線を感じていたし、親父は夜に天井辺りで動き回る光が見えると言い始めた。

 特別な実害が在るわけではないし、気にしないでおけばそのうち慣れるだろうと放っておいたのだが、それから直ぐ母親が盲腸で入院した。私は、覗き込む強い視線だけでなく、毎日夜の1時ころに、私の部屋の横から隣の空き地を通って、向こう側にある家の方に歩いて行く足音がすることに気付いた。どうにも気になったので、外壁に投光用ライトを付け、足音が始まるのと同時にライトを付け、竹刀を持って何度も飛び出したのだが、誰も何もいなかった。外から覗き込む視線はいよいよ強くなったように感じたが、神経質になっているからだろうと、諦めていた。母が退院して3ヶ月ほど経った頃、私が盲腸になった。

 まあ色々とあるのだが、その後母親が心臓病で長期入院、父親も胃がんという診断で胃の全摘、家族が皆どこか不調という状況に陥ってしまった。さすがに耐えきれなくなった両親が、親戚が知っていた或る霊能者を呼んでお祓いをし、敷地内に地蔵菩薩をお祀りして、この不運の連鎖から抜け出した。そこまでは良くある話である。信じない人に言わせれば、家族内で不安感が増幅していった神経症的なもので、たまたま連続した病気を霊的なものと結びつけただけということになるだろう。そういう判断が正常で常識的なものであることに異存はない。だが、この問題が空き地の向こう側の家で起こっていた事件と奇妙に連鎖するとなれば、ちょっと判断に迷ってしまう。

 空き地の向こう側にある隣家は、貸家であった。その頃新婚間もない若夫婦が住んでいたのだが、その奥さんが私の母親に、「毎晩、お宅の方から空き地を通って誰かがやって来るんですよ」。母親曰く、はじめは「お前が覗きに来ているので注意して欲しい」というような調子だったという。ここで話がつながった。私は、部屋の直ぐ横からサワサワと草をかき分けて歩いて行く足音を聞き、空き地の向こう側の人は、毎夜空き地を通って近寄ってくる多分同じ足音を聞いていたことが判明した。去って行く足音より近づいてくる足音の方が何倍も怖いと思う。彼女は直ぐにイヌを飼い始め、早々に引っ越していった。私も大学周辺での下宿生活を始めたのだが、たまに家に帰ると、夜中のサワサワという足音は続いていた。いまあの土地はどうなっているのだろう。 

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旧型コロナ

  • 2020.08.12 Wednesday
  • 00:19

 生まれつき呼吸器が弱い。春先に風邪をひくと花粉症も一緒になって6月頃まで咳が続くのは当たり前であったし、盆明けに夏風邪をひくと、やはり10月頃まで咳をするのが常だった。一時はマイコプラズマ肺炎を疑ったこともある。新型コロナ感染症にかかれば、重症化率の高いグループに含まれるなと思っていた。そういう意味においては今年は本当に暮らしにくい。外に出てコホンというと睨まれそうである。マスクが嫌いで花粉症がでていても付けることはなかったのだが、いまは状況に応じて仕方なく付けている。

 コロナといえば、現在は新型コロナ感染症を指すが、我々が若かった頃はトヨタのコロナであった。この車種はトヨタ自動車が

    https://driver-web.jp/articles/detail/27207より引用

1957年から2001年まで生産・販売していた伝統的なセダンであり、高度経済成長期には日本のマイカー代表車種として、広く親しまれたクルマである。日産が販売していたブルーバードとの熾烈な販売競争はいまでも記憶に残っている。右にその初代コロナを示しているが、排気量は1.000ccで最高出力33馬力の非力なエンジンを積んだ車だった。最高速度は90Km/hである。現在の軽自動車、排気量は660ccながらノーマルで50馬力台、ターボがつくと60馬力を超える。1957年といえば私はまだ9歳、島原市の田舎に住んでいた。

 トヨタの宣伝をする気はない。上に示したのは旧型のコロナがあるというだけだ。現在では後継車がプレミオの名前で売られている。コロナのままであったら、コロナホテルやコロナビールと同じ運命を辿ったかもしれない。さて、旧型コロナはそれだけではない。ヒトが日常的に感染する風邪のウイルスである4種類のコロナウイルス(Human Coronavirus:HCoV)は、HCoV-229E、HCoV-OC43、HCoV-NL63、HCoV-HKU1が存在するのだが、これらは旧型のコロナウイルスということになるだろう。さらに重症急性呼吸器症候群コロナウイルス(SARS-CoV)、中東呼吸器症候群コロナウイルス(MERS-CoV)も同じく旧型のコロナウイルスになってしまう。とすれば、日本における新型コロナウイルスという呼び方は、適切ではないような気がする。次に新しいコロナウイルスが現れたら新新型コロナウイルスとでもするつもりだろうか。こうした場合、やはり発生地あるいは大流行地の名称を入れた命名の方が、分かりやすい。

 そこで困るのは、症状の軽い旧型コロナウイルス、あるいは一般的な風邪のウイルスであるヒトライノウイルス (human Rhinovirus) に感染して、咳と鼻水とクシャミが出る場合である。新型コロナ感染症との区別は、PCR検査ではできないかもしれない。マスクはするにしても、現在の風潮の中ではスーパーに行くのもためらわれる。新型コロナウイルスに感染するかどうかは分からないが、軽症の旧型のコロナウイルスヘの感染を考えれば、食糧を幾らか備蓄し、漢方薬でも仕入れておくのが良いかもしれない。

 それにしてもこの新型コロナ感染症問題、ショックドクトリン的な匂いが強くなってきましたね。病気が怖くないと云うことではない。だがこの感染症をを政治的に利用しようとする動きを強く感じるということです。

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