誤変換・問題ないは問題あり

 昨夜、安倍首相吐血という情報があったのだが、ネタ元が不明だったので書かなかった。元より政治ブログではないし、特ダネを狙うつもりもない。今朝、色々な新聞の見出しを注意してみたのだがそれらしい記事はなかったので、ガセネタだったかなと思っていたら、週刊誌フラッシュの8月18・25合併号の記事だった。要するに、官邸で7月6日に吐血したという話である。確かに、日本中が洪水で困っていた頃のメディアへの露出は少なかったし、コロナウイルス感染症の蔓延に対してもほとんど発信がなかったが、この首相はそんな人だと思っていた。とはいえ、たまに見る顔に生気はなかったな。

 さっき草刈から帰ってきたのだが、時事通信社が配信したヤフーニュースに菅義偉官房長官の記者会見の記事があった。記事によると、《菅義偉官房長官は4日の記者会見で、安倍晋三首相の健康不安説について「私は連日お会いしているが、淡々と職務に専念しており、全く問題ないと思っている」と否定した。》と書いてある。この言葉をそのまま受け取るのはナイーブすぎるだろう。政治家が病気の場合、とりわけ国のトップの健康状態が良くない場合、本当のことは云わないと考えるのが常識である。スポークスマン、近頃スポークスパーソンと云わなければならないのかな、が嘘をついても許される案件である。

 従って、管官房長官がこの件で嘘をついても全く問題ではない。逆に嘘を言うべきである。但し、問題は残る。管さんは、我々を長期に渡って教育してきた。常識的に考えて、問題があると思える森友問題、加計学園問題、桜を見る会、検察庁人事問題、安倍のマスク問題、などなどなどなどについて、問題ない、問題ない,問題ないと切り捨ててきた。この教育を受けた私は、管長官が問題ないと素っ気なく云うときは、後ろに大きな問題があると誤変換して受け取るようになっているのである。

 オオカミ少年の逆バージョンである。問題ない、問題ない、問題ない、とやって来たオオカミ長官は、問題ないは問題ありであると刷り込んできたわけだ。その付けで、これから一寸以上にやりにくいだろうな。裏側では後任を誰にするかで議員団が走り始めるだろう。内閣府はその他の問題を含めて死に体となるだろう。そこにコロナである。地方自治体の長達が、しっかりしないと切り抜けるのは難しいかなと思っていたら、ポピドンヨード騒動である。やっぱり駄目か。

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もうモズが来た

  一昨日、早朝からモズの高鳴きで目が覚めた。梅雨明け宣言から二日目、立秋までまだ一週間以上あるのに、もうモズかよと思ってしまう。一部の人達の意見であった温度と湿度が高くなれば自然消滅するはずだったコロナは、元気そのものである。毎日、直射日光の下で草刈りしかしていない老中の周りでは、大した変化はない。例年通りに耐えがたい速さで草が生え、いつものようにイノシシが掘り返し、例年通りに果樹の収獲が始まった。例年と違うのは、列をなしてやって来ていた、フルーツ観光用の大型バスをほとんど見なくなったことでる。観光農園を営んでいた人に取っては死活問題だろう。

 今朝は(昨日)、4日目の雨の降っていない朝である。山の草刈りにかまけて放っておいた畑に、草刈りに出かけた。5月の半ばから6月半ばにかけて切っていたはずだが、所によっては腰近くまで伸びている。梅雨明けまで気温があまり上がらなかったので、ゴーヤは雄花ばかりである。ここ数日はは暑い、数日後には雌花の割合が増えるだろう。2時間ほどかけてゴーヤ畑の草をを切り、次に植えたばかりのクリ畑に行った。このクリ畑は広い。まずどんなコースで草刈りをしようかと考える。暑さに慣れていない身体には熱さが身に沁みる。もちろん、マスクは付けていない。気温は36℃近くあったようで、マスクなしでも熱中症状態である。草刈り機のエンジンを止めればニイニイゼミの声以外に音はない。と思ったら、耳鳴りだったかもしれない。

 梅雨が明けて急に暑くなったとは云え、東北では冷夏ではないかという予想が流れている。梅雨末期の大雨でかなりな面積の水田が被害を受けた。せめて生き残った田んぼが豊作になるように願っている。

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トンボは学習するか?

 今日は暑い。強烈な日射と高い湿度、イヌを真似て口を開け呼気による廃熱を行うしか方法がなさそうだ。朝から、もう一つの田んぼ周りの草刈りに行った。刈り払い機は、スロットルの開け具合によるが、混合油満タンでおおよそ90分動く。1満タンが終わったところで後60mほど草が残った。暑くてもう刈れない。覚束ない足取りで帰ってきた。昨日も、草刈りで熱中症になりかけた。暑さに慣れていないなか、無理は効かなさそうだ。

 面白い現象がある。トラクターで田を起こすと、白鷺やカラスが集まってくる。トラクターに驚いて逃げる蛙を食べるためである。刈り払い機で草を刈るとナツアカネかアキアカネか区別はついていないが、多数のトンボが集まってくる。草から追い出された小さな虫を捕食するためのように見える。

 そこで考えた。鳥類学者はこれらサギやカラスの行動が何に由来すると説明するだろう。推測するに、学習と答えるだろう。鳥は目が良い。耳も良い。好奇心と呼ばれそうなものもある。記憶力もある。うるさい大きなトラクターが土を返していくと、カエルが飛び出す。これを経験として数度繰り返せば学習が成立する可能性は認めざるを得ないだろう。では、トンボの場合はどうだろう。複眼であるとは云え目は良さそうだ。虫を追尾する速さと飛翔能力は素晴らしい。耳はどうなんだろう。止まっているトンボの後ろで大声を出してみたが、知らん顔をしていた。いや、知らん顔をしていたように感じただけで、そもそもトンボの知らん顔がどんなものか知るはずもない。でも聞こえていないと決めることはできないだろう。食い物ではない動物の出す音には反応しなくても、食い物である小さな虫の羽音には反応する可能性が残っている。

 ガソリンエンジンを積んだ刈り払い機、これを使って草を切れば虫が飛び出す。この虫を食べにトンボが集まる。このエンジン音で虫が飛び出すという因果関係を、トンボが記憶して集まるというのであれば学習である。昆虫行動に学習を認めた研究例はいくつもあるのだが、野生のたくさんのトンボが学習を済ませていると考えて良いのだろうか。餌があるぞと興奮した個体が放出する集合フェロモンが原因であるという考えも成立するかもしれない。遠くで聞くエンジン音を虫の羽音として聞いてしまう可能性も捨てがたい。スロットルを開けたり閉めたりしながらトンボの動きを観察していたら、無茶苦茶暑くなってきた。夕立も来そうである。一時、撤退だ。

 ただ経験として云えることは、アブは三菱の軽トラのエンジン音に反応して寄ってくる。スバルのエンジン音にはさほどひかれていないようだ。ブヨも寄ってくるのだが、これはエンジンの廃熱を感じて集まっているように思える。エンジンを止めてしばらくすると、三々五々散っていく。もっとも高濃度の二酸化炭素に反応している可能性も残るだろう。ああ、草刈が進まない。お前は学習しないのか?自嘲の言葉である。

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3 アブシジン酸とルヌラリン酸

  そこで話をアブシジン酸に戻すことにする。当時すでに、アブシジン酸は器官脱離を促進し、気孔の開閉を制御することによって蒸散を制御し、発芽と生長を抑制し、植物に耐寒性を付与し、光合成を抑制し、休眠を誘導・維持するなど、何とも多くの機能を合目的的に発揮する抗(環境)ストレスホルモンとして認められていたが、このセクションでは、アブシジン酸はホルモンであるという“枷”を少しゆるめた観点から再検討してみたい。

  当時の植物生理学の教科書や、植物生理学に関する論文において、植物ホルモンであるアブシジン酸は、「蘚類〔スギゴケの仲間〕以上の高等植物分布する」と書いてあった。では、苔類〔ゼニゴケの仲間〕以下の下等植物にはアブシジン酸に対応する制御物質は存在するのだろうか。上に述べたアブシジン酸の活性の中で、器官脱離とか気孔の開閉は考えにくいにしても、その他の生理作用は下等植物においても必要に思える。では、そのような活性を下等植物で担保している物質はあるのか。いろいろな文献を読んでいた時に出会ったのがルヌラリン酸である。

  この化合物は、Valio等が1969年に報告していた化合物で、ミカズキゼニゴケ(Lunularia cruciata)の生長を抑制し、光周性を制御する物質として単離した物質である。さらにルヌラリン酸は基本的には苔類以下の下等植物に分布し、1971年にはR. J. Pryceが下等植物においてアブシジン酸と同じ作用を示す物質であるのではないかとする報告を出していた。似たようなことを考える人がいるものだと思いながらPryceの報告を読んだわけだが、生理活性が似ているということからの推測だけで、実験的な証明は全くされていなかった。そこでアブシジン酸とルヌラリン酸との比較を行ってみることから研究を開始した。

分布について

  先に書いたように、基本的にアブシジン酸は蘚類以上の高等植物に分布し、ルヌラリン酸は苔類以下の下等植物に分布すると書いてある。(図3-1)

  しかし、どんな規則にも例外はある。当時においても、ルヌラリン酸が高等植物であるアジサイの根の抽出物中にhydrangeic acid とともに含まれることが知られていたし、1976年には藻類中にアブシジン酸が存在することも明らかにされていた。1980年代から1990年代にはいると、アブシジン酸は苔類、緑藻、シアノバクテリア、ツノゴケ、地衣など植物に含まれるだけでなく、植物病原性糸状菌であるCercospora属細菌が多量のアブシジン酸生合成能力を持つこと、哺乳動物である豚とラットの脳、ブタの心臓・肝臓・腎臓にも存在することが報告された。2,000年代になってからの話は、もう少し進んだ段階で議論することにする。

  一方、ルヌラリン酸の高等植物での分布例はあまり増えることはなかったが、ヤムノイモにムカゴの休眠を誘導するルヌラリンやバタタシンあるいはルヌラリン酸と非常に似たヒドランゲ酸がアジサイの仲間に分布するなど、高等植物にルヌラリン酸と構造的に類縁性をもつジヒドロスチルベンやスチルベン類が分布することから、当初の分布の話などどこかに行ってしまった様な状況になってしまった。(2009年には、セロリ中にルヌラリン酸とルヌラリンが存在する報告も出された)

  しかし、一旦アブシジン酸が植物ホルモンと決まった以上、アブシジン酸とルヌラリン酸の生物界での位置付けや分布に関して、改めて議論するという風潮にはないようだ。しかし、こうした状況だからこそ、これらの現象を整合的に説明できる仮説が必要なのではないか。ある意味で、私は生物界における幻の大統一理論を夢見ているのかもしれない。

アブシジン酸とルヌラリン酸は化学的に似ているか?

  アブシジン酸とルヌラリン酸の構造式をもう一度図3-2に示す。ルヌラリン酸をどう描くかで、この化合物は全く異なった印象を与える。

  ルヌラリン酸2は、天然物活性物質〔東京大学出版会〕に準じて描いているし、ルヌラリン酸3は科学技術振興機構の日本化学物質辞書Webに準拠している。こんなブログを読むヒトには釈迦に説法かもしれないが、描き方が違うだけで同じ化合物を示している。この2つを見てアブシジン酸と似ている可能性があると判断できる人は、2つの化合物に興味を持ち且つ有機化学をある程度以上に理解している人に絞られるだろう。だが、似ている可能性はあるのである。ルヌラリン酸をルヌラリン酸1のように描き直してアブシジン酸の構造式に重ねると、似ているかもしれないということが理解できるのではないだろうか。私の発想も、そうした重ね合わせが可能ではないかと気づいたところから出発している。

  もちろん、平面構造式が重なるからそれで良いという話にはならない。全ての分子は平面構造を持っているのではなくでは立体構造を持つ。そこで、この2つの化合物について立体構造を求めてみた。当時は、大型の計算機でないとできなかったコンピュータによる構造計算が、ようやくPC上でできるようになったころである。乏しい研究費のなかで化学計算ソフト(CAChe)を購入し、当時としては最新型のマシンであったPowerMac 8100/80は妻の目を盗んで貯めた小遣いで購入した。そしてアブシジン酸とルヌラリン酸の安定構造の計算を行った。

アブシジン酸とルヌラリン酸の構造計算

  購入したCACheには、MM2力場を使って安定構造を求めるプログラムと、MOPACと呼ばれる半経験的量子力学計算を行うプログラムが入っていた。当時は、MOPACよりMM2力場を使った分子力場計算の方が、計算も速かったし構造計算の精度も高かったため、この方法を利用した。連続した4個の原子が作る二面画をほんの少しずつ変えていられる構造を初期構造とし、その初期構造から周辺にあるローカルミニマムと呼ばれる安定構造を求めていくという方法である。多数得られてくるローカルミニマムの中で、もっともエネルギーの低いものが、最安定構造ということになる。

  しかし、こうして求めた最安定構造は初期構造に依存する。適切な初期構造を使用できていない場合には、最安定構造を見落とす可能性がある。この可能性をできるだけなくすためには二面角の変化率を小さくすればいいのだが、そうすると膨大なメモリーと計算時間が必要となる。そこで、上記の方法とは別にMD法により、3次元のエネルギー平面をもとめ、ここで得られた初期構造からMM2力場を用いて最適化を行う方法で再計算を行ったが、得られた結果はほとんど同じものであった。

  さて、アブシジン酸にはエネルギーレベルがほとんど違わない2つの安定な構造《擬似エクアトリアル型と擬似アキシャル型(右)》があることが分かったのだが、当時はこのどちらの構造がレセプターとの結合に適切であるかは分からなかった。後に活性型コンフォメーションは擬似アキシャル型であることが明らかになっている。一方、ルヌラリン酸は非常にフレキシブルな分子で、エネルギー的にほとんど差のない多数のローカルミニマム構造が存在するが、これらのローカルミニマム構造は2つのグループに分類できる。1つはベンゼン環の間に距離のある伸展型コンフォーマー群であり、いまひとつは2つのベンゼン環が近接して存在する折れ曲がり型コンフォーマー群である。

  これら2つのコンフォーマー群からもっとも安定なコンフォーマーをそれぞれ1つ選び、アブシジン酸のもっとも安定で活性型である擬似アキシャルコンフォーマーと重ね合わせを行った結果を図3-3に示す。重ね合わせはアブシジン酸の活性発現に必要とされる炭素原子を含むC1, C2, C3, C6, C9, C10とそれらの炭素原子に対応するルヌラリン酸のC1, C2, C7, C10, C12, C13の原子間距離が最少になるようにした。(このナンバリングは分かり易くするために、IUPACの規則には準拠していない) 図の中の炭素間距離は、両化合物を重ね合わせたときの対応する対応する炭素原子間の距離を示しているが、得られた炭素原子間距離は1オングストローム以下に収まることが明らかとなった。この結果はアブシジン酸とルヌラリン酸が同一のレセプターに十分結合できる立体構造を持ちうることを示している。つまり、この2つの化合物は平面構造だけではなく、立体構造も酷似した化合物であったのである。

ルヌラリン酸の高等植物に対する作用

  さてルヌラリン酸は、計算化学的にはアブシジン酸に酷似している。そうすると、高等植物は計算化学的には酷似しているルヌラリン酸をアブシジン酸として認識するかというのが次の問題となる。この問題は、ルヌラリン酸を高等植物に与えた場合にアブシジン酸を与えたときと同じ反応が起こるかどうかをみれば解決できる。そこで、ルヌラリン酸を高等植物に投与したときに起こる現象を、個体レベルでの反応から遺伝子レベルでの反応へと順次解析していくことにした。

1. レタス、クレスを用いた発芽生長試験とダイズ葉を用いた蒸散試験

  レタスとクレスの種子を使って発芽試験を行ってみた。これはいわゆる「ぶっかけ試験」と呼ばれるラフな試験で、それぞれの種子に水を与えて発芽させるとき、その水の中にテストしたい化合物を溶かして与えるだけの簡単な試験である。ルヌラリン酸はなかなか水に溶けないため、ペトリ皿に敷いたろ紙に必要な量を含ませる方法で実施した。表3-1に示しているように、ルヌラリン酸は10-3M (258 ppm)の濃度で、これらの植物の発芽をある程度押さえると同時に、発芽した植物の根の伸長生長を阻害していた。アブシジン酸は10-5Mにおいても両植物の発芽と生長を強く阻害しており、ルヌラリン酸の活性はアブシジン酸に比較すると非常に低いものである。ルヌラリン酸の水溶性はアブシジン酸よりかなり低いため、活性が低くでるのはある程度予想していたとおりである。

  さらに、前節で述べたように、レセプター側との結合部位の形が似ているとしても、それ以外の部分の形が似ているかどうかは別の話である。従って、余り効かないからとここでめげる必要はない。弱い活性でもあると言うことを希望の種として先に進まないと、今まで考えてきた時間が無駄になってしまう。とはいうものの、ツユクサの葉を用いた蒸散試験での活性の低さは、いくぶん挫けそうになる結果である。確認のために、ルヌラリン酸とアブシジン酸でそれぞれ処理したツユクサの気孔を顕微鏡で観察すると、アブシジン酸で処理したツユクサの気孔はほぼ完全に閉じていたがルヌラリン酸で処理したものは、対照実験とほとんど変わらなかった。要するに、ルヌラリン酸は気孔を閉めさせる活性はほとんど持たないという結果である。

  この結果には頭を抱えてしまったが、よく考えてみれば植物が気孔という器官を持ったのは、陸上に上がった後である。ルヌラリン酸からアブシジン酸へのリガンドの切り替えの後であると考えれば、こんな結果もあり得るかなと落胆した心を無理に励ましながら先に進むことにした。とはいっても、世の中にはこの程度の強さで植物の発芽と生長を阻害する物質は掃いて捨てるほど存在するため、この試験の結果から何か確定的なことはいえない。そこで、その頃アブシジン酸に特異的な活性といわれていたα-アミラーゼの誘導阻害試験を行うことにした。

2. α-アミラーゼの誘導阻害試験

  アブシジン酸はいろいろな種類の植物の発芽を阻害するのだが、イネ科植物であるオオムギについては、その阻害のメカニズムが明らかになっていた。図3-4に示すように、オオムギの種子では発芽に際して胚におけるジベレリンの生合成が先行する。

 生合成されたジベレリンはアリューロン層へ移行し、α-amylase mRNAへの転写とその翻訳が行われα-アミラーゼの生合成がおこる。生合成され胚乳へと移行したα-アミラーゼ によって、胚乳に貯蔵されているデンプンの加水分解が起こりブドウ糖が生産されると、このブドウ糖が発芽時に必要とされるエネルギー源として使われるというわけである。そこで、発芽中のオオムギ種子にルヌラリン酸を投与して α-アミラーゼの生合成が起こらないことを確かめようというのがこの実験である。実際の実験の流れは、図3-5に示した。

  実験にはヒマラヤ種のオオムギと日本でつくられているハダカムギ(九州 hadaka 3rd)を使用した。滅菌したオオムギ種子を半分に切断する。胚が含まれるとそこで生合成されるジベレリンによる影響が出るため、胚を含まないように半分に切断した種子を使用する。この半切無胚種子では、胚が存在しないためにα-アミラーゼの誘導は起こらない。この無胚種子にたいして、外から10-7 Mのジベレリン(GA3)を与えα−アミラーゼの生合成を誘導するわけだが、このとき、アブシジン酸またはルヌラリン酸を共存させて一定時間培養し、培養液中に存在するα−アミラーゼの量を測ることでアミラーゼの誘導阻害を調べる方法をとった。初めの頃は、α−アミラーゼが生合成されていれば培養液中に還元糖(グルコースや麦芽糖など)が生成していると考え、培養液中の還元糖量をソモジネルソン法で測定した。還元糖量をグルコース量に換算した結果を、表3—2 に示した。

  アブシジン酸が還元糖の生成を阻害するのは当然の話として、ルヌラリン酸もまた培地中の還元糖の生成を阻害していた。これは期待していたとおりの結果で、ルヌラリン酸の活性の低さも前述した「ぶっかけ試験」の結果から納得できる結果である。しかし、この試験には問題がないわけではない。もし、ルヌラリン酸がα−アミラーゼの阻害剤であった場合、α−アミラーゼは生合成されていても還元糖生成量は増えないのである。つまり、還元糖が生成しなかったことがα−アミラーゼが生合成されなかったことを一義的に意味するわけではない。ではどうするか?もちろん、ルヌラリン酸がα−アミラーゼの阻害剤ではないことを実験的に証明してもいいのだが、それは先に何の展望もないつぶしの実験である。たとえ、卒業研究のテーマだとしても、それでは担当する学生があまりにも可哀想である。そこで、もう少し考えた。培養液中のα−アミラーゼを測るのであるから、デンプン懸濁液をこの培養液を加えて生成する還元糖の量を見ればよいのだが、培養液にはすでに異なった量の還元糖が存在しているのである。透析をして還元糖を除くことも考えたが、これもスマートな方法ではない。

  研究の進め方が、研究者の学問的バックグラウンドと利用できる研究機器に依存するのは当然だが、同時に彼の能力と個性にも大きく関係する。あまりにも稚拙な研究の進め方は、いくら結果が出ると分かっていてもやりたくないのである。報告を読んだ後で、「成る程」と思わずほほえんでしまうようなスマートなものにしたいという願望は、実現できたかどうかは別として常に持っていた。

  ちょうどこの頃、次に述べるイムノアッセイ用にマイクロプレートリーダーを購入していた。この機器は、マイクロプレート上にある96個の穴に入っている溶液の吸光度を高速で測定できる。デンプンは水には溶けないが生成してくる麦芽糖やグルコースは水に溶ける。では、デンプンの懸濁液をつくっておいて、この液にα−アミラーゼを加えれば、時間とともに透明度が増し吸光度が減少することが期待できる。しかし、やってみるとデンプン粒子が沈殿してしまうため、データのバラツキが大きくて使い物にならなかった。振り混ぜながら測れば良さそうだったが、残念ながら私が購入したマイクロプレートリーダーには振とう装置はついていなかった。手で振って測定してみたが、やはりデータがばらついてしまう。いろいろと試行錯誤した結果、ゲランガムという植物の組織培養に使われる透明度の高い凝固剤を使うとデンプン粒子の懸濁状態を維持することができるようになった。このゲル上にアミラーゼ試験で得られた培養液を加え経時的に濁度を測定することで、α−アミラーゼの活性を測定する系をつくった。この方法で得られた結果も表3-2に示している。ルヌラリン酸の活性はアブシジン酸の活性にはるかに及ばないとはいえ、ここまでは思惑通りの結果である。

  当時、このアミラーゼ試験はアブシジン酸に特異的な試験として認められていたので、ルヌラリン酸はアブシジン酸と同じ作用を持つ(同じレセプターに作用する可能性が高い)として偉そうに報告はしたのだが、 いくぶん以上に靴の上からかゆい部分を掻いている感がしないでもない。さらに、この2つの実験を通して、実験データのバラツキがかなり大きい。この実験は、非常に丁寧な女子学生(Oさん)がやってくれたもので、実験を行うヒトに問題があるとは思えない。実験を行う季節に伴う種子の生理的条件の相違、種子を半分に切るときの位置に伴う半切種子の体積など、変動をもたらす要因が多すぎるのである。報告を書くときは、複数回、かつ3連あるいは5連の並行実験を行い正しいと思われる結果を選んだのだが、時々異常なデータが得られると、仮説全体を否定したくなる場合もあり精神的によろしくない。確実に自信を持って判断するためには、もう少し発現系の上流で調べる必要があると考えた。

  では次に何をすれば、両者が同じレセプターに作用していることを証明できるか。考えてみれば簡単である。高等植物からアブシジン酸レセプターを、下等植物からルヌラリン酸レセプターをとり、バインディングアッセイ(レセプターと化合物が結合するかどうかを調べる試験)をすればよい。とはいえ、これでは議論が逆転している。レセプターがとれているのであれば、バインディングアッセイさえ行えば今まで述べた試験はいらないのである。レセプターがとれないから苦労しているのである。(アブシジン酸の真のレセプターらしきものが2009年になってようやく報告された。もちろんルヌラリン酸レセプターについての報告は未だない。)では、レセプターアッセイのモデルとなるような研究はできないのか。生物側からみたときアブシジン酸とルヌラリン酸はどのように見えるかという問題である。あれこれと考えた末に、まずこの2つの化合物を、動物の免疫系はどのように認識するのかをみることにした。

3. エンザイムイムノアッセイによるアブシジン酸とルヌラリン酸の交差性の検討

  この方法は免疫学と酵素化学の知識を組み合わせたもので、感度、特異性とも非常に高い方法であり、説明はいくぶん複雑になってしまう。面倒だし興味がないと思われる方は操作の部分を読み飛ばして結論に行って頂いても結構である。

 図3-6に示すように、アブシジン酸に存在するカルボキシル基を水溶性カルボジイミドである1-エチル-3-(3-ジメチルアミノプロピル)カルボジイミド塩酸塩で活性化した後、ウシ血清アルブミン(BSA:Bovine serum albumin)に存在する遊離のアミノ基と反応させた。アルブミン分子中には607個のアミノ酸残基を含んでいるが、その中には塩基性アミノ酸残基であるリジン残基が59個、アルギニン残基が26個存在する。塩基性アミノ酸残基中のアミノ基がアブシジン酸の活性化されたカルボキシル基と結合するわけだが、このアミド結合したアブシジン酸部分をエピトープ(抗体が認識して結合する抗原の特定の構造単位)として利用しようと考えたわけである。

  このやり方では、反応するのはどのアミノ基であるかを正確に制御することも知ることもできないが、とにかく、アブシジン酸で修飾されたアルブミンが生成する。(この場合の修飾とは元のタンパク質分子が脂肪酸や糖など他の分子と結合することを意味する。さらに、本当に結合したかどうかは、次の実験で、ブシジン酸の部分をエピトープとして認識する抗体ができたかどうかで判断せざるを得なかった。有機合成の分野では、NMR、MS、IR、UVなどの機器分析で完全な構造を決めなければ先に進めない。その分野で研究してきた私にとって、このあやふやさはかなりな心理的ストレスになった事を記憶している。)

  つぎに、アブシジン酸をウシ血清アルブミンと結合させた同じ方法を用いて、西洋ワサビペルオキシダーゼの修飾を行った。アブシジン酸のカルボキシル基を活性化した後、西洋ワサビペルオキシダーゼと反応させ、アブシジン酸が結合した西洋ワサビのペルオキシダーゼを得た。(この実験においても、得たと言っても得たという十分な証拠があるわけではない。分子量が40,200のタンパク質にアブシジン酸がいくつか結合しても電気泳動で、明確に確認することは難しい。この時期、MALDI-TOF MSでもあれば、結合したアブシジン酸残基数まで分かったかもしれないが、次の実験に使ってみていい結果が得られたら、得られたことの証明になるといういくぶん不明確な結果である。)このペルオキシダーゼは353個のアミノ酸残基を含む酸化酵素で、分子内に6個のリジン残基と15個のアルギニン残基を含んでいるので、これらのアミノ基の1~数個がアブシジン酸と結合していることになる。 

  ルヌラリン酸は水に対する溶解性が低いため、ちょっとだけ極性溶媒を加えるなどやり方を工夫して、アブシジン酸の場合と同じようにルヌラリン酸が結合した西洋ワサビペルオキシダーゼを合成した。

  先の実験で作成した修飾アルブミンをアジュバント(抗原性補強剤)とともにマウスの腹腔と皮内に同時投与した。さらに、2週間おきに2回の皮下注射により免疫の増強を図った後、哀れなマウスを一日絶食させ、その血液を抜いたのである。血液から遠心分離によって血球部分を除いて得られた抗血清を以下の実験に使用した。(この部分の実験は宮崎大学のS教授に依頼して行った)

  マウスの免疫系が修飾されたアルブミンを異物(タンパク性の高分子)として認識した場合、この異物に対する抗体が血清中に出現する。但し、ここで作られる抗体は1種類ではなく、異物である修飾アルブミンのいろいろな部分を認識する能力を持つ多種類の抗体混合物(ポリクローナル抗体)と呼ばれるものである。(図3-7参照)そしてこのポリクローナル抗体の中には、アブシジン酸の部分をエピトープ(抗原決定基)とする抗体が含まれている。このアブシジン酸を認識する抗体がルヌラリン酸をアブシジン酸として誤認識するかどうかを調べるのがこの実験の目的である。

  イムノアッセイ用マイクロプレート表面は、タンパク質と非特異的に結合する性質を持つ。先に得られたポリクローナル抗体を含む抗血清を、イムノアッセイ用マイクロプレート上のウエルに入れると、抗血清中に含まれる種々のタンパク質をウエルの表面に吸着されるが、このときアブシジン酸の部分をエピトープとして認識する抗体分子も吸着されることになる。抗血清を除去した後、何度もバッファーでウエルを洗浄した後、スキムミルク溶液を加えて残っている非特異的なタンパク質吸着点を被覆してタンパク質との結合能を殺してしまう。その後、このウエルにアブシジン酸またはルヌラリン酸で修飾した西洋ワサビペルオキシダーゼ溶液を分注した。ウエルに吸着された抗体中には、アブシジン酸の構造を認識する抗体が存在するため、アブシジン酸で修飾された西洋ワサビペルオキシダーゼは当然強く結合するのは当たり前である。ここで、アブシジン酸の構造を認識する抗体がルヌラリン酸をアブシジン酸とよく似た形(構造)であると認識すれば強く結合するし、似ていないと認識すれば結合は起こらないことになる。余分な修飾された西洋ワサビペルオキシダーゼを緩衝液でよく洗浄して除いた後、次にABTS (2,2′-Azinobis(3-ethylbenzothiazoline- 6-sulfonic acid ammonium salt)を発色剤として含む過酸化水素溶液をウエルに加えて37℃で30分反応させる。西洋ワサビペルオキシダーゼは過酸化水素の存在下にABTSを酸化して青い色素を生成するため、抗体と修飾された西洋ワサビペルオキシダーゼの結合が起こってればウエル内の溶液が青くなるはずである。(図3-7参照) 反応終了後に、シュウ酸溶液でHRPを不活性化させた後、各ウエル内の溶液の吸光度を405 nmで測定し、図3-8に示す結果を得た。

  得られた結果は、図3-8に示すようにルヌラリン酸をエピトープとして持つHRPがABAをエピトープとして持つHRPの約2分の1の結合能を持つことを示している。この実験で採用した方法は、ELISA (Enzyme-Linked ImmunoSorbent Assay)の直接吸着法と呼ばれる方法である。確認のために、サンドウィッチ法を使用してみたが、この場合も高い交差性が検出された。これらの結果は、多様な異物に対してきわめて高い識別能を持つマウスの免疫系が、アブシジン酸とルヌラリン酸をよく似た構造を持つ物質であると認識したことを意味している。生物側からみた両化合物の類似性を支持するデータとしてとても有意義なデータと考えて良いだろう。がしかし、いまひとつ隔靴掻痒の感は免れない。もう少し直接的な証明はないのだろうか?

4. α−アミラーゼmRNA誘導試験

  少し詳しくα−アミラーゼ誘導試験のメカニズムを説明する。無胚半切種子にジベレリンを与えると、まずアリューロン層でα−アミラーゼmRNAへの転写が誘導される。生成したα−アミラーゼmRNAに対する翻訳が起こって α−アミラーゼが生合成されるのだが、アブシジン酸はこの反応の最初の段階であるα−アミラーゼmRNA誘導を阻害する。つまりDNAからRNAへの転写が阻害される。先の実験でルヌラリン酸が 最終産物であるα−アミラーゼの作用を阻害するという可能性は否定したとはいうものの、α−アミラーゼmRNAからの翻訳を阻害しても同じ結果を与えると思われる。つまりα−アミラーゼ誘導阻害試験だけでは、ルヌラリン酸がアブシジン酸と同じメカニズムで発芽を阻害しているかどうかは未だわからないことになる。ルヌラリン酸がアブシジン酸と同じメカニズムで働いていることを証明するには、ルヌラリン酸によってα−アミラーゼmRNAの誘導が阻害されていることを示せばよい。そこで、遺伝子レベルでの実証実験を試みることにした。

  この実験においては先に述べた α−アミラーゼ誘導阻害試験と同じ実験系を用いた。つまり、胚を含まない半切種子に、ジベレリンを与えてα−アミラーゼmRNAを誘導させるとき、アブシジン酸またはルヌラリン酸を共存させて誘導されるα−アミラーゼmRNAの量を比較すればよいことになる。実際は培養済みの無胚種子からアリューロン層をとり、このアリューロン層からtotal RNAを抽出する。得られた total RNA から逆転写を行いcDNAとした後、リアルタイムPCR法を用いて α−アミラーゼmRNAの発現量をみればいいのだが、当時私の研究室にはリアルタイムPCR装置がなかった。そこで学生に負担をかけることではあったが、増幅回数をみながら手作業でPCRチューブを抜き取り電気泳動にかけるという手間のかかる実験をさせたことを記憶している。結果は図3-8 に示しているが、PCRで25回増幅した結果を示している。

  図に示したプライマーを用いるとアミラーゼ遺伝子に由来する470 bpのフラグメントが増幅される。10-7MのGA3で誘導をかけたオオムギにおいては、図に示すように大きな470 bpのバンドが見られる。このとき10-5Mのアブシジン酸を共存させると、470 bpのバンドは全く検出されない。一方、10-4Mのルヌラリン酸を共存させた場合は予想通り薄いバンドが検出できた。この結果は、ルヌラリン酸が、mRNAへの転写段階で働くアブシジン酸と同一のメカニズムでオオムギの発芽を阻害していることを示す明確な証明であり、私にとってはとても重要な結果であった。

5. PKABA誘導試験

  近年、オオムギの発芽で働いているジベレリンとアブシジン酸の関連が、もう少し詳しくわかってきた。(図3-9参照)ちょっと面倒だが、付き合ってほしい。

  発芽に際して、オオムギではSLN1と呼ばれるタンパク質がジベレリンによって誘導される。アブシジン酸が存在しないときは、このタンパク質は何の作用も持たず(現在わかっている範囲での話)、自然に分解され発芽が進行する。一方、アブシジン酸が存在すると、アブシジン酸に特異的なリン酸化酵素(PKABA)の生合成が起こる。このPKABAはジベレリンで誘導されたSLN1タンパク質をリン酸化する能力を持つのだが、SLN1タンパク質はリン酸化を受けることで α−アミラーゼの遺伝情報があるDNAの上流に存在するリプレッサーに結合する能力を獲得する。その結果、リン酸化SLN1タンパク質はリプレッサー結合部位に結合し、 α-アミラーゼmRNAへの転写を阻害する。そうするとα−アミラーゼが生合成されないために、発芽が止まるというメカニズムである。

  この筋書きに従えば、ルヌラリン酸もPKABAを誘導する可能性をもつ。方法は先に述べた逆転写に続くPCR法を用いればよい。結果を図3-10に示したが、やはりアブシジン酸よりは弱いもののルヌラリン酸がPKABAを誘導することが証明できた。

   ここまでの実験全体を通しての結論は、ルヌラリン酸はα-アミラーゼ誘導阻害を通してオオムギの発芽を阻害する。その阻害はアブシジン酸と同じように、PKABA遺伝子の誘導を通して αアミラーゼの生合成を阻害し、オオムギ種子の発芽を制御するメカニズムにより起こるということになる。これは、ルヌラリン酸とアブシジン酸の分子構造が、計算科学的によく似ているだけでなく、マウスの免疫系も両分子をよく似た分子として認識するという結果と相補的な関係にあると考えられる。

  今までの話は、ルヌラリン酸の高等植物に対する作用についての話であった。「では、アブシジン酸は下等植物に対してルヌラリン酸と同様な活性を持つのか?」という問いが等価な問いとして存在する。しかしながら、1990年代中頃まではアブシジン酸が下等植物に含まれるかどうかが議論されていたころで、藻類や苔類の内生量もわからない状況であった。当然のことであるが、下等植物でのアブシジン酸の作用についてもまだ未知の部分が多く、適切な生物試験法もなかった。しかし、何か一つでもデータが欲しいと考え、困ったときの「ぶっかけ試験」を行ってみた。

6.  ゼニゴケのカルスの生長阻害試験

  実験対象にしたのはゼニゴケのカルスである。アブシジン酸とルヌラリン酸を、それぞれ10 ppm、30 ppm を含むMurashige & Skoog 培地をつくり、これにゼニゴケのカルスを移植してみた。25℃、12時間明の条件下で15日間培養を続けたときの写真を図− に示した。ルヌラリン酸はセニゴケから単離された生長阻害物質でありゼニゴケカルスの生長を阻害するのは当然であるが、図に示すようにアブシジン酸もルヌラリン酸と同程度の生長阻害活性を持つことが明らかになった。この結果を基に、もう少し遺伝子側からの研究をすべきであったが、当時の研究環境では進めることができなかった。とはいえ、アブシジン酸とルヌラリン酸の生物活性の間に交差性があることは多分確実と思われる結果である。

  アブシジン酸とルヌラリン酸がどうやらよく似ているらしいことは、今までの実験である程度証明?されたわけだが、ここまでは序章にすぎない。この二つの化合物はいかなる関係にあるのかという新しい疑問が出てきたわけである。その問いに答えるには歴史的視座からの考察が必要となる。どのような物語が可能になるのか、次の章から考えていくことにする。

2019/01/15

カテゴリー: アブシジン酸の総合的理解に向けて, 歴史生物学 | タグ: , , , , , , , | 3 アブシジン酸とルヌラリン酸 はコメントを受け付けていません

2「アブシシン酸」?でもやはり「アブシジン酸」

  アブシジン酸について、最初に一般的な歴史を書いておくことにする。分析機器の著しい進歩に伴い、1950年頃から植物の休眠や生長を制御する微量物質についての研究が急速に進みはじめた。アブシジン酸について言えば、1961年にLiuとCarnsがワタの果皮から葉柄での離層形成を促進する物質を単離し、この物質に脱離という意味を持つabscissionに因んでabscisinと命名したとされている。1963年には、大熊が参加していたAdicottらのグループが、ワタ未熟果実から同様の活性を持つ物質を単離しabscisin Ⅱと命名した。同年、EaglesとWareing は、ヨーロッパダケカンバ (Betula pubescens) に含まれる休眠を制御する物質を単離し、休眠 dormancy に因んでdorminと命名した。一つの化合物に二つの名前がつけられたため、1967年の第6回国際植物生長物質会議 (IPGSA) において摺り合わせが行われ、abscisin Ⅱ、dorminの名称を「Abscisic acid」、略称を「ABA」と統一することが決定され現在に至っている。

  アブシジン酸はいろんな意味で幾分以上にややこしい化合物である。名称からして錯綜している。我々はアブシジン酸で教えられたが、近頃正式名称がアブシシン酸に決まったと聞く。しかし、世の中にはアブサイジン酸、アブスシン酸という表記もあればアブサイシン酸という表現もある。外国語を日本語にして表記する場合、いくつかの書き方が出てくることに不思議はない。

  例えば、ゲーテにギョエテ、ゲエテ、ゲョエテなど多数の表記があったことは知っているし、ローマ字表記法で有名なヘボン式のヘボンの部分が Hepburn であり、オードリー ヘップバーンのヘップバーンと同じであることも知ってはいる。オードリー ヘップバーンをオードリー ヘボンと表記していたとすれば、日本での彼女の人気は少し落ちたのではないだろうか。さて、ゲーテとヘップバーンの場合は、原語における一つの発音を、異なった発音様式を持つ日本人がどのように聞き、表記したかの問題である。しかし、アブシジン酸の場合はこの範疇を越える問題である。ネイティブがアブシジック アシッドと発音しているのを、アブサイシック アシッドと聞き取ることはないだろう。では、錯綜した名称はどれが正しいのか。

  以下、私見である。アブシジン酸の名称は、殆どの場合脱離を意味するabscissionに由来すると書いてある。そうであれば、abscisic のabの部分は「離脱」「分離」を意味する接頭語であり、[æb-, əb-]という音を持つ。アブまでの発音は共通しているので、問題はscisicをどう読むかという問題になる。つたない英語力しかない私の感覚では、長年使われてきたアブシジン酸という読み方は英語としてあまりみかけない発音だと考えて、scienceから連想されるサイという発音、つまりアブサイシン酸でも良いのかななどと安易に考えていたのである。

  ところが近年、化合物名字訳基準でアブシシン酸が採用されたと聞き、改めてscisicについて考え直してみた。1961年にLiuとCarnsが、Scienceに投稿した論文で使用したabscisinという名称が、1963年大熊等によるabscisin Ⅱの命名に引き継がれたのであろうことは容易に推測できる。そこでscisinというフレーズをあれこれしらべてみたが、この部分の語源となりそうなものは存在しないし、scisicを語尾に持つ適切な例も存在しない。この名称が脱離を意味するabscissionに因んで命名されたとされているため、あらためてabscissionについて辞書を引いてみると、なんとabscissionの発音は[æbsíʒən] となっている。アブシッションではなく後ろのssionの部分はアブシジャンと濁るのである。さらにabを除いたscissionも、分割、分離の意味を持つ名詞であり、その発音は[síʒən]と濁っていたのである。そういえば、高校の頃に覚えたscissorsもシザースであった。いやいや、アブシジン酸という和名をつけられた先達に、あらためて敬意を表したい。納得!!

  ではそれ以外の発音は、何に由来するのか? 脱離するという意味を持つabsciseという自動詞がある。同じく切り離すという意味を持つabscindという他動詞が存在する。前者の発音はəbˈsaɪzまたはæbˈsaɪzであり、後者の発音はəbˈsɪnd,  æbˈsɪndである。これらの場合、sciの部分はsaiあるいはsiと発音する。LiuとCarnsが、脱離するという意味を持つ自動詞 absciseを語源としてabscisinとしたのであれば、abcsicinの発音はアブサイシンが妥当であろう。abscindを語源とするのは一寸考えにくいが、もしそうならアブシシンも正当性を持つのかもしれない。

  彼らがabscissinと表記していたならば、間違いなくアブシジンであり、abscissic acid であれば間違いなくアブシジン酸となりこんな混乱は起こらなかったであろう。しかし、現実の化合物名はabscisinであり、sが1文字省いてある。abscisic acidという化合物名は、この1つのsを除いたabscisin、abscisinⅡを語源にすると同時に、この化合物がカルボン酸であることを考慮して作られたのであろう。ちなみに、abscisinの名付け親であるLiuとCarnsの二人は、abscisinをどう発音していたのだろう。アブシジン酸で教育を受けた私は、かすかな違和感を感じながらもアブシシン酸なる用語を使わないといけないのであろうか。

  さて、私が1970年頃に農薬化学という講義の中で植物ホルモンとして教えられたのは、オーキシン(インドール酢酸)、サイトカイニン(ゼアチン)、ジベレリン(ジベレリン酸)、アブシジン酸、そしてエチレンの5種類の化合物であった。

  この5種類の化合物、図2-1にその構造式を示しているが、構造式を眺めても生合成を考えても、どうにも収まりが悪い。収まりが悪いと云う感覚は有機化学と生合成を基盤に考えていた個人的な感覚であって、周りの人々がどう感じていたかについては分からない。動物で主要な働きをしているステロイドホルモンやペプチド性ホルモンなどに対応するものがないことも不可解だった。とにかく5種のホルモン分子について、それら分子が位置する生合成的カテゴリーとヒエラルキーのアンバランスさに納得がいかなかったわけである。

  生合成的カテゴリーとヒエラルキーのアンバランスに対する違和感といっても、それはおまえの感じ方に過ぎないといわれれば、確かにそうである。しかし、オーキシンいわゆるインドール酢酸は、どう見てもアミノ酸であるトリプトファンと関係を持った化合物である。サイトカイニンは核酸塩基と同じくプリン環を持つ化合物で、生合成的にみるとtRNA(運搬RNA)に由来する経路と、ATPまたはADPがイソペンテニル化された後、リン酸、リボースが脱離する経路で生合成されるという。ジベレリンとアブシジン酸はテルペンに属するが、前者は4個のイソプレンユニットが結合したゲラニルゲラニル-ジリン酸から誘導される3環性ジテルペン酸であるのに対し、後者にはC15のファルネシルピロリン酸から直接環化する経路と、C40のβ-カロテンを通り、環の酸化と炭素鎖の酸化解裂によってつくられる二つの経路が存在するという。エチレンについては気体の炭化水素で、最も簡単なアルケンである。エチレンに特異的なレセプターなど、何となく考えにくいと思っていた。なぜそんな分子がホルモンであるのかという問いに対しては、それらが微量で合目的的活性を持つではないかという答えが返ってきた。ほとんど何も分かっていなかった私としては、ホルモンの定義を適用すればそうなるけれどと、不満げに認めるしかなかった。

  このもやもやとした疑問は植物ホルモンに対してだけ感じていたわけではない。動物のホルモンに対しても同種の違和感があった。いわゆる低分子の化合物(ステロイド、チロキシン、アドレナリンなど)とペプチド性化合物を、どうしてホルモンという単一の概念で括る事ができるのだろうか。いわゆるホルモンという古典的な定義を適用すればそうなるのだが、個々の化合物のあまりの違いが納得を阻害した。喉をこするようなこの違和感が、以下の話の下敷きになっていることは間違いない。

  オーキシンの発見以後、植物にはオーキシンの活性を抑制するだけでなく、休眠や脱離を誘導する物質があることが知られていた。カリフォルニア大学のLiuとCarnsが、1961年にワタ葉柄の離層形成促進物質を単離しabscicinと命名した。だが、ここにも問題がある。Wikipedia には「ワタの葉柄から単離した落葉促進物質をabscission(葉などの離脱)にちなみ「アブシシン (abscisin)」と命名した」と書いてある。植物ホルモンについて言及している多くの書籍においてもほぼ同じ説明がなされている場合が多い。Wikipedia の記事はそれらからの引用であろう事は容易に推察できる。しかし、Scienceに載った原報は“A crystalline substance, which accelerates abscission of excised debladed petioles at 10-2 microgram per abscission zone, has been isolated from cotton burs. “となっている。burについていくら英和辞典を引いてみても、「いが、とげ、種や果実の外皮」という訳しかない。従って、彼らが単離したabscisinはワタの種皮からであり、切断したワタ葉柄への0.01 mgの投与によって、葉柄の離層形成を促進する効果を持つ物質だったのである。ちょっとした勘違いであろう。

  繰り返しになるが、この物質を追いかけていたのは彼らだけではなく、ヨーロッパダケカンバの休眠物質を追いかけていたWareingのグループ、キバナルピナスの花の脱離物質を追いかけていたvan Steveninckのグループ、ワタ幼果の落果促進物質を追いかけていたAddicottのグループなどである。この中で構造決定に至ったのは、日本人を含むOhkuma, K.,  Lyon, J. L.,  Addicott, F. T., Smith, O. E. のグループと、サイカモアカエデから単離したDorminの構造を決めたCornforth, J. W. Milborrow, B. V. Ryback, G.and Wareing, P. F. のグループであった。

  前者は、構造を決めた物質にLiuとCarnsのabscisinを考慮してAbscicin Ⅱと命名している。後者は、休眠を意味するdormancyに因んだDorminという名称を与えている。1965年に両グループが同じ構造式を提出したため、当然先陣争いが起こったのであろう。この間の事情についてはよく分からないし、首を突っ込む必要はないが、 アブシジン酸構造の prior claim(先取特権)について、何らかの争いめいたことがあったようだ。http://plantphys.info/plant_physiology/dormin.shtmlのサイトには、かなり厳しい書き込みがされている。ともあれ、1968年の国際植物生長物質会議において名称のすりあわせが行われ、この化合物をAbscisic acid (ABA) と呼ぶことが決定されたわけである。

  その後、この化合物については精力的な研究が行われ、蘚類(スギゴケの仲間)以上の高等植物に普遍的に含まれること、植物にストレスがかかったとき生合成され、生長の一時停止のシグナルであること、植物の休眠を制御し、水ストレスがかかったとき気孔を閉め蒸散を抑制するなど、微量で多くの合目的的作用を持つことから、5番目の植物ホルモンとして認知された。しかしながら、ABA単離の際の指標となりかつ命名の基礎となった脱離誘導が、後にABAではなく主としてエチレンによって制御されていることを考えれば、Dorminの方が好ましい命名であったような気がしないでもない。

  こうして社会的に認知されたアブシジン酸については、ケモタクソノミー(含有される化学成分に基づく分類)を意識した植物界での分布、生合成のルートと制御、生分解のメカニズム、他の植物生長ホルモンとの拮抗作用を含む生理作用、農業への利用などを念頭に置いた類似物質の合成と構造活性相関など、多くの研究が進行中であった。私の考えるべき問題は、この競争に私が参加する場合どのような立場から関与すれば意義のある仕事になるかという点にあった。

  当時、私が勤めていた大学には大学院はまだ設置されておらず、女性の助手1人と毎年研究室に入ってくる4〜5人の4年生だけが戦力である。微量分析を行うには、機器はもとより私の経験がなさ過ぎて、間違うリスクが大きすぎた。4年生の卒業研究としては、多段階の合成はちょっと厳しい。グレードの低いIRとUV、そして理事長を半分だまして購入した60 MHzのNMR装置では、何をすべきか考え込まざるを得ない状況だった。

  「ちょっと待てというシグナルとしてのホルモン」という点に親近感を感じただけで、安易に研究課題を決めたことをほんの少し後悔した。しかし、別のテーマを立てたにしても状況が変わるわけではない。当たり前の結論であるが、結論は一つ、他のグループと同じ土俵に立ってはいけない。人と違う切り口切り口を見つけ研究を行う、それが自明の結論である。そうする以外に道がないとすれば、そうする以外に仕方がない。腰を据えて報告を読みあさった。

  そして気づいたのは、すべての研究者が何の疑いもなくアブシジン酸を植物ホルモンとして認め、より精密な分析と有効利用を志向しているということである。なんと馬鹿なことに気付くのかと自嘲に近い気分になったことを記憶している。しかし、十数年前はただの脱離促進物質であり、休眠誘導物質でしかなかったアブシジン酸が、今では植物ホルモンとして認知され、合目的的活性以外は持つはずがないという前提のもとに研究されている。誰か、「この前提を疑う人はいないのだろうか?」と思ったが、そんな馬鹿なことを考える人は私しかいなかったらしい。

  ここで持ち前の悪い癖が出てしまった。「なぜ、アブシジン酸は植物ホルモンであるのか?」と、改めて考えてしまったのである。なぜ、すべての研究者は、アブシジン酸が植物のホルモンであることに同意したのか? これは植物ホルモンとは何であるかという定義の問題をも含んでいる。そこで改めて植物ホルモンの定義を見直したのだが、植物ホルモンには明確な定義がされておらず、動物ホルモンの定義を少し改変して準用した形になっていた。(いまでも状況はほとんど変わっていない)

  さて、動物生理学におけるホルモンは、「特定の分泌線で生合成され、血液やリンパ液で標的臓器に運ばれ、標的臓器で特異的な生理過程に影響を与える微量物質」と定義されている。ところが植物では臓器の分化が明確でないため、生合成部位・作用部位ともに特定できないことが多い。さらに内分泌という項目も血液やリンパ液による輸送という項目も成立しない。従って、このあたりの条件を緩和して、「植物に広く分布し、植物体内で生合成され、植物の特異的な生理過程を調節する微量物質」ということで大方の合意が得られているようである。アブシジン酸は、広く植物に分布し、植物体内で生合成され、低濃度で合目的的かつ特異的に働く。先の合意に従えば、確かにアブシジン酸は植物ホルモンであると判断して良いのかもしれない。

  周りの研究者に「何故アブシジン酸はなぜ植物ホルモンか」と尋ねると、一瞬怪訝な顔をした後「広く植物に分布し、植物体内で生合成され、低濃度で合目的的かつ特異的に働く」ではないかという定型的な答えが返ってきた。その合意を無邪気に認めて研究を始めればいいのだが、この厄介な性格ではそれはなかなか難しい。すぐに話を大きく広げるくせに、やけに細かいところにこだわってしまう。本人が納得するまで放っておくしかないと、当の本人が考えているのである。

  さて、物事を論理的に考える場合、まず考える基礎を確かなものにしておく必要がある。この場合、動物ホルモンを基礎にして植物ホルモンを定義をしているため、動物ホルモンの定義は確実なものでなければならない。ところが、当時の動物ホルモン関連分野においては、サイトカイン、オータコイド、神経伝達物質など数多くのホルモン様物質の発見が続いており、動物ホルモンの位置づけ自体が揺らぎ始めていたのである。その揺らいでいる動物ホルモンの定義から、産生臓器と輸送と標的臓器の縛りをなくしたとき、何が残るか。分布の項を除けば、植物体内で生合成され合目的的に働く微量生理活性物質といっているに過ぎない。

  さらに、問題は残る。「植物に広く分布し」というフレーズの中には、異なった植物でも共通の作用を示すという暗黙の合意があるように思えるが、事はそう簡単ではない。一般的な理解において、ホルモンの持つ特異的な作用は生物間で共通であるという思い込みがあるようだ。しかし、この認識は動物ホルモンにおいてすでに崩れてしまっている。例えばチロキシン、カエルでは変態を促し、サケ科の魚においては海水への適応に働き、鳥類では換羽を誘導し、ヒトにおいては甲状腺ホルモンとして全身の細胞の代謝率を制御する。また例えばプロラクチン、淡水魚類・両生類においては浸透圧調節に働き、ハトでは素嚢上皮の増殖肥大を起こしクロップミルク(素嚢乳)分泌に働く。哺乳類では他のいくつかのホルモンと協調して、乳腺の発育を促し乳汁の分泌を引き起こす。さらにプロラクチンは爬虫類で食欲を増大させ、脂肪の蓄積を促す。そしてさらに、 プロラクチンは鳥類の渡りをも引き起こすという。動物の範囲を広げると、話はもっと変になる。昆虫の変態ホルモン(脱皮ホルモン)であるエクダイソンは、近縁である甲殻類であるエビやカニでは脱皮を促すにしても、これをヒトに与えたらどうなるか。脱皮を起こすはずはないし、変態になるのだろうか??

  我々は、アプリオリにホルモンという化合物群があり、これらが動物に、植物に、あるいは微生物において同種の特異的作用を持つと無意識に錯覚してきたようだ。しかしながら、動物ホルモン、植物ホルモンに限らず、ある種の化合物群がアプリオリにホルモンとしてあるのではない。ある生物が、ある化合物を特異的生理活性物質として選択し利用しているのである。主体は生物側にあるのである。

  植物ホルモンに関する研究を始めようと植物ホルモンについて考え始めたら、まずホルモンとは何かという段階でつまずいてしまった。これでは研究など進むはずはないし、この種の疑問はなかなか人に相談することもできない。仕方なく、代謝マップをただ睨めながらあれこれと考える日が続いた。「下手の考え休むに似たり」とは言うものの、やはり考えるものである。ちょっと興味深い事実に気が付いた。話を進めるために、植物ホルモン、動物ホルモンという用語にはいろいろな問題があると私は思うが、しばらくの間はこれらの用語を一般的に使われている形で使用する。

  まず、動物のホルモンはステロイド類、チロキシン類、アドレナリン(エピネフリン)及びメラトニンのグループを除けば、大部分がペプチドあるいはタンパク質であるのに対し、植物のホルモンではオーキシン、ジベレリン、サイトカイニン、アブシジン酸、エチレンのすべてが低分子の有機化合物である。その頃、植物ホルモン候補に挙がっていたブラシノステロイドあるいは植物ホルモン候補と言われている、ジャスモン酸、サリチル酸、ストリゴラクトン、ポリアミンあるいは一酸化窒素も例外ではない。

  例外はRNAであるフロリゲンである。また、1999年にC. A. Gehringがナトリウム利尿ペプチドの一種が植物のホルモンではないかという報告を書いているし、その後20種近いペプチドが植物ホルモン候補として報告されているが、現在のところまだ認知されてはいないようである。では動物ホルモン群と植物ホルモンの物質群の大きな違いは何に起因するのか?答えは、まだない。

  もう一つの疑問は『何故アブシジン酸は植物ホルモンであるのか?』という疑問である。振り出しに戻っただけではないかと言われそうだが、そうではない。「アブシジン酸の分子構造は、何故アブシジン酸の作用をもたらすのか」という疑問に進化しているのである。ホルモンの定義は「特定の分泌腺で生合成され、血液やリンパ液で標的臓器に運ばれ、そこで特異的な生理過程に影響を与える微量物質」である。この定義は生理学的側面からの定義であって、その中にはホルモン分子の構造に関する概念が全く含まれていないと思っていた。だが、この定義を現代風に書き換えるとすれば、「特定の分泌腺で生合成され、血液やリンパ液で標的臓器に運ばれ、標的臓器において当該ホルモン作用を発現するカスケード系の始点にあるレセプタータンパク質に特異的に結合する物質をいう」とでもなるだろう。とすれば、レセプタータンパク質に特異的に結合できる物質は、特異的な構造を持たねばならない。我田引水・牽強付会的な無理のある解釈だが、古典的な定義の中に構造を指定する概念があったともいえる。

  この前提に立てば、アブシジン酸はアブシジン酸レセプターに結合できる構造を持つ。従ってアブシジン酸はアブシジン酸の活性を示すというのが結論となる。当たり前すぎる結論で馬鹿馬鹿しくなってきた。あれ、アブシジン酸と結合するレセプターをアブシジン酸レセプターという。いやいや、私の単純な頭ではわからなくなってきた。抗原と抗体の場合と同じく、相互に依存した循環定義になってしまったようだ。それにしても、レセプターを介してホルモンを定義しようとすると、さらに厄介な問題が起こってくる。レセプターは進化するのである。

  さて、酵素タンパク質、構造タンパク質あるいはレセプターと呼ばれるタンパク質が、ある原始的なタンパク質に由来し、種々の変異を繰り返しながら、いわゆるファミリーという概念で分類されるタンパク質群を形成してきたことはよく知られている。荒っぽい議論だが、機能を獲得したタンパク質分子は、遺伝子の変異・重複、サイズの拡大・縮小、あるいは転移などを通して進化する。ではこの進化するレセプタータンパク質と相互作用するリガンド分子が進化することはないのであろうか。

  ペプチド性リガンド(タンパク質リガンドを含む)が進化することは、レセプター分子の場合と同様自明のことであろう。ヒトのインシュリンとチンパンジー、イヌ、ネコのインスリンは、110個のアミノ酸配列の中でそれぞれ2カ所、13カ所、21カ所のアミノ酸残基が異なっている。この事実に対して違和感を感じている研究者に出会ったことはない。彼らの意識の中で、ペプチド性リガンド分子は進化(変化)しても当たり前なのである。

  では低分子リガンドの場合は、どう考えればいいのだろうか。例えば、ステロイドレセプターはアロステリックタンパクである。このタンパク質は、ホルモン分子との結合部位とDNA との結合部位を持ち、ホルモン分子が結合すると、DNAとの結合部位の形が変化する。この変化を通して、レセプター分子とDNAとの結合能力が制御されている。このレセプター分子において、変異がホルモン分子との結合部位に起こればホルモン分子との親和性あるいはホルモン分子に対する選択制に変化が起こるであろうし、 DNA との結合部位に起こればDNA との結合能あるいは結合場所に変化が起こることになる。

  こうした変異すなわち進化が重なって、ステロイドホルモンレセプターは、ファミリーあるいはスーパーファミリーと呼ばれるレセプター群を形成している。そしてこのスーパーファミリーには、いわゆるステロイド骨格を持つ性ホルモン(エストラジオール、テストステロン、エストロンなど)、副腎皮質ホルモンレセプター(コルチゾール、アルドステロンなど)、昆虫の脱皮ホルモン(エクダイソン、エクジステロン)のレセプター群だけでなく、ステロイド骨格を持たない、レチノイン酸、チロキシン、ビタミンD、あるいはプロスタグランジンのレセプター群も含まれている。ということは、こうした異なった生合成系を持つ全くまとまりのないリガンド群について、それらの化合物の間に何らかの類似性の存在を担保しなければならない。では何が類似性を担保するかといえば、それは構造である。レセプターの進化に伴いリガンドとの結合部位が変化することを考慮すれば、リガンドも変化(進化)することを認めざるを得ないと考えるのだが、低分子リガンドの進化という表現をすると、何故か頭から否定される場合が多い。どうやら、進化という概念は化学物質には適用できないと考えている方が多いようだ。

  ところで、近年は分子生物学全盛の時代である。若者に危険・臭い・汚い・きついというイメージを持たれてしまった、4K有機化学の人気は低迷を続けている。しかしながら、生物体内で起こっている代謝は、すべて有機化学反応である。例えば、分子生物学的研究を進めるに際して汎用される○○キットと呼ばれる製品群は非常に便利で結果を簡便に与えるように作ってあり、一寸した遺伝子組み換え程度なら高校生にもできるようになった。こうしたキットにおいては、プロトコル(使用に際してのマニュアル)は充実しているが、キットで起こっている現象の作動原理を明示していないものが多い。そしてかなり多くの研究者と呼ばれる人々が、このブラックボックスを内包したキットに依存して研究をおこなう、キット依存症候群を発症している。

  例えば、DNAの複製、転写、逆転写、つまりPCR法で使われている反応群は、2分子求核置換反応(SN2反応)に分類される壮大なリン酸エステルの合成である。タンパク質合成においては、アミノ酸をtRNAに結合させる反応が混合酸無水物法に分類されるエステル化反応であり、リボソームおける翻訳段階が、これまた活性エステル化法に基ずく膨大なアミド結合の合成であることに気づいていない研究者が、世の中には多数生息しているのである。

  なぜこんな話をするかといえば、有機化学を思考の基盤とする人間からみると、理解に苦しむような場面に良く出会うからである。例えば、ステロイドホルモンレセプター群と称される一群のレセプタータンパク質がある。このレセプター群の個々のレセプターは、それぞれが対応するリガンドを持っているのだが、有機化学者の目から見るとリガンド群の化合物としての構成におおきな違和感が存在する。

  遺伝子を通して生物を見ている研究者たちは、生物の理解において非常に有益な情報を提供してくれる。これは間違いのない事実である。彼らはしかし、扱う対象が構成要素は単純であるにしても巨大な分子であるため、対象を分子式・構造式としてみるのではなく、単なる名称あるいは簡素化した記号としてみる習性を身につけてしまったようだ。有機化学者の立場からみると、ステロイド(ビタミンD3?)、レチノイン酸、チロキシン、プロスタグランジンは、それぞれ大きく異なった化合物群に属しているからである。(図2-3)

  生合成から見ても化合物の形から見ても、これらが同じファミリーに属するレセプター群に結合するとは考えにくい。しかし、現実にはこれらの異質な化合物群が一連のレセプター群のリガンドとして機能している。なぜか?

   レセプターは進化に伴って変化する。それは当然のことだとしても、変化の程度には大きな差があるに違いない。レセプターをコードするDNA塩基配列の1カ所に突然変異が起こり、この変異に伴いアミノ酸1残基が変化したとする。これは最も小さな変異であると考えてよい。しかし、たった1アミノ酸残基の変化であっても、変化の起こる位置と変化した後のアミノ酸の種類によっては、レセプターの変異の性質は大きく異なって来る。レセプターの小さな変化は、同じ生合成系に属し少しずつ構造が異なっているリガンド群、例えばプレグネノロンを中間体として生合成されるステロイドホルモン類-プロゲステロン、コルチゾン、コルチゾール、アルドステロン、テストステロン、エストラジオールなどに対応するだろう。

  一方、リガンドの結合部位の大きな変化は、構造上大きな違いを持つリガンド群であるステロイド(イソプレノイド:C30のスクアレンからC9~C12を含む炭素鎖を切り捨てたもの)、レチノイン酸(イソプレノイド:C40のヨノン環を一つ切り捨て、さらにC10単位の炭素鎖を切り捨てたもの)、チロキシン(シキミ酸系化合物:アミノ酸であるチロシンの3,5位がヨウ素化された後、酸化的にカップリングしたもの)、プロスタグランジン(ポリケチド:脂肪酸合成系を通りアラキドン酸まで不飽和化が進行した後、プロスタグランジンエンドペルオキシドシンターゼによる1,2-ジオキサシクロペンタンとシクロペンタンの縮合環形成に続くプロスタグランジン類とトロンボキサン生合成系で生合成されたもの)など、構造だけではなく生合成から見て違うカテゴリーに属する化合物が、リガンドとして機能しはじめたこと対応すると考えられるのではないか。

  こうした大きな変異がレセプターで起こった場合には、いままでリガンドではなかった全く異質な分子であっても、その一部の構造がレセプターに結合できる程度に似てさえいれば、リガンドとして機能し始める可能性を持つに違いない。だが、こんなことを言うと、その化合物が働くのに適切な濃度の制御、つまり生合成速度と分解速度の調節などがそんなにうまくいくのかという問題をすぐに提起される。しかしながら、この問題は、最初のリガンドが働き始めた場合であっても当然存在した問題であり、生理学的有効濃度をうまく維持するメカニズムを持っていた生物が生き延びたと考えるしかない。この話の最後の部分は、前適応という考え方を借りた形になっている。前適応という概念は、本音のところではあまり好きではない。生物の形質レベルでこの概念を使うことには、いくぶん以上の違和感を持っている。しかし、リガンドの乗換、言い換えると新規なリガンドによるレセプターの乗っ取りに関しては、十分な蓋然性があると考えている。理由については、後で述べる「Oxygenic burst仮説」において詳述することにする。

  話がアブシジン酸から離れてしまったように見えるかもしれないが、実はアブシジン酸の由来の話をしているのである。アブシジン酸も、生物の長い歴史の中でいわゆるホルモン活性を獲得した分子であると考えなければならない。歴史上のある時点で、植物がたまたま作り出したレセプタータンパク質に対し、構造的親和性を持つ分子であるアブシジン酸が出現し、ある機能をはたし始めたのである。たまたま作り出されたレセプタータンパク質とアブシジン酸の歴史はどちらが長いのか?それはまだ分からないが、アブシジン酸の方が古ければ、アブシジン酸分子が前適応という形で存在していたと言う話になるであろうし、レセプタータンパク質の方が古ければ、レセプタータンパク質が前適応で説明されるオーファンレセプターであったということになる。私はレセプターの歴史の方が長いと考えている。理由は後述する。

  議論が錯綜してきたが、要するにアブシジン酸に限らず植物ホルモンと呼ばれる化合物群(或いはホルモンと呼ばれる全ての化合物群)については、解決されていない多くの疑問が残っているのである。この部分をブラックボックスとして研究を進めることは可能だが、私はそれらの疑問に拘泥しており、なかなか応用的研究には進む気にはなれない。では私は何をすればよいのか。多くの論文を読んでわかったことは、有機化学を指向する研究者は高活性の化合物を求めて精密かつ効率的なな有機合成の道を走り、生理学を指向する研究者はアブシジン酸の生合成系の解明や生理現象の解析に走り、分析化学を指向する研究者は植物中の内生量の検討やケモタクソノミー(化学分類学)などを目指して進んでいる。しかし、アブシジン酸とは本来何者であるかという発想で研究している人はいない。

  ここに私の居場所があると感じた。私は、一応有機化学に片足を乗せた研究者である。有機化学を基礎とする研究者としてアブシジン酸に向き合うに際し、アブシジン酸を自明のホルモンとして認めるのではなく、アブシジン酸の分子構造をアンカーとし、そこから分布、生合成、生理活性などについて総合的に考えようと思ったのである。このタイプの発想は、ある分野の大家が退官を前にして持つものであり、おまえみたいな若造がという批判はあった。そんな発想では「実験ができないだけでなく報告も書けないよ」とする親切かつ正しいアドバイスもあった。思い上がりであったかも知れないが、そうした反応があることはわかった上でのテーマ設定であり、本人としては科学哲学分野への転身かもしれないと考えていた。

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