百姓きついか楽しいか? 1

 このブログを書き始めたとき、さほど明確であったわけではないが、二つの目的があった。一つは硬直しきった植物生理学、生化学、天然物化学などの学問的基礎の部分を批判してみようという企みである。現在もその路線で書き続けている。

 それはしばらく続けるとして、30年ほど前から現在の形で進む社会に未来はないと感じていた。もちろん種々手を尽くしてこの社会システムを維持する努力が続けられることは間違いないにしても、資本主義という枠組みで経済成長を続けるには、地球の環境容量に限界が見えてきたという実感である。遠くない未来に、大きな社会崩壊(変動)が起こるだろうなと感じていた。今までにも、大きな変動を予想したことが何度もある。かなりな確率で予想したような変動が起こったが、その変動は予想したものとはかなり違った形になっていた。また、予想した時期については予想よりかなり遅れる場合がほとんどであった。

 そうした予想が外れるのは当然の話で、変動によって影響を受ける人達は必死にこれを回避しようとする。従って、変動の形と時期がずれてもおかしくはない。今回の経済の混乱も、コロナウイルス感染症が劇的に引き金を引いたとは云え、比較的近い未来に起こると考えていた。従って、予想していた変動がとうとう来たのかもしれないと冷静に見ている。世間はGDPが下がったと騒いでいるが、もっと大きな混乱は医療と福祉と食糧供給において起こるだろう。将来に尾を引く、より深刻かもしれない混乱は教育の世界で起こると思う。この辺りのことは、少しばかりネットを深掘りすればいくらでも書いてあるだろう。但し、サーチエンジンを検閲のないものに変える必要はありそうだ。

 食糧が不足する時代が来る、その時は年金も危ないだろう。但し時期は分からない。還暦を過ぎた頃から、退職後に何をすればいいかを真剣に考え始めてはいたのである。とはいえ仕事がいやだったわけではない。研究自体は結構うまくいっていたし、学生達にも恵まれていた。嫌だったのは長の付く学内政治に関する仕事と研究グループ内部での理不尽な調整役ばかりをさせられたことにある。本音では、還暦も過ぎたし実験的分野から一歩下がって大学の広報的なブログ書きでも担当しながら、歴史生物学という生物学の一分野を立ち上げたいと思っていた。当たり前の話だが、大学側は新たな研究グループを立ち上げ、研究資金を獲得せよと要請してきた。こうした意見の齟齬はどんな組織にいてもあることだし、それを我慢することで給料をもらっている事も理解している。私が主張しているのは青臭い書生論にすぎない。

 こんな時、緻密に色々と考えないのが私の常である。じゃあ辞めるか。田舎で百姓をしながら、晴耕雨読、雨の日に物書きをしよう。働き始めが遅かったとはいえ,一応まだ年金はもらえそうである。辞めて5年位を目途に、農業で食えるようになれば良い。(10年近く経ったが未だ専業では食えない。)そして辞めてしまった。

 辞める前の1年ほど、日田市町、玖珠町、湯布院町、九重町、庄内町、産山村など、空き家と農地を求めて走り回った。11月頃に良さそうなログハウスを見つけた。ゲストハウスさらに別棟の岩風呂付きの物件である。九重山の近く山あいにある。交渉を始めた。でも、1月に行ってみたら雪に閉ざされて道路は通行止めであった。まあ、色々と面白い経験をした。そして得られた結論は、

1. あまりに山奥では生活を維持できない。今後の人口減を考えれば、活気のある山里が良い。

2. 冬場に交通の途絶が起こらないこと。

3. 農業で少しでも販売を考えるのであれば、消費地から近い方が好ましい。

4. 気候はできるだけ温暖な方が良い。

5. これは最も大事なことだが、その地域で受け入れて貰えるかどうかの判断。わずかでも良い

  から地縁あるいは血縁で関係づけられる所であれば望ましい。

6.移住先にメンター(農業の師匠)を見つけることができるか。このメンターは農業技術を教

  える人という意味以上に、その地での生き方を伝授してくれる人を意味する。

7. 移住地《住居や農地)に関してだが、地震、台風の風害は仕方ないとして、水害、地滑り、

  崖崩れの起こりやすい場所は避けること。

 などである。これらの条件を組み合わせて考えながら、現在のうきはの地を選んだ。続けて2を、百姓の現実について書く予定だ。コロナ騒ぎで田舎に移住しようかなと考えている人にとって、少しだけ役に立てばいいなと思っている。

追伸

 フェイクニュースかどうか分からないが、プーチン大統領の娘がコロナワクチン接種後にサイトカインストームを起こしてなくなったという話が流れています。このニュースは追いかける価値がありそう。

 三峡ダムへの流入水量が未だに減ることなくピークはまだ後だとする報道が続いています。一寸以上に心配です。これはフェイクではない。

 今日の早朝に関東で地震という話が流れています。時間まで予言されていますが、そこまで当たるとはとても思えない。多分以上にガセネタだと判断しますが、昨日・フィリピンでM7、今朝インドネシアでM7の地震が起こっていますし、三浦半島の2回の異臭事件、あまりな酷暑、温泉の泉源干上がりなど嫌な現象もある事から、気持ちだけ、靴の用意をする程度のかすかな警戒かな。

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持病悪化?

 昨日、持病の薬が切れていたので博多の病院をハシゴした。近くの病院に転院すれば楽だろうとは思うものの、2ヶ月に一回くらいは都会の空気に触れるのも良いだろう思い、まだ通い続けている。その内の一件は、昔のソフトボール仲間の病院であるため、気楽にいつも通りお願いしますで,診察は終わる。ただ、問題はあった。私ではなく車にである。昨日も暑かったのだが、途中でエアコンが効かなくなった。送風口から熱風が吹き出してくる。エンジン温が上がりすぎていたわけではない、エアコン用のコンプレッサーの固着かと疑ったがそうでもなかった。冷媒用ガス抜けが可能性が高いのだが、その時点では確認できなかった。外気温は35℃位あったのだが、開けた窓から吹き込む35℃の風を涼しく感じた。

 この日、実は親戚に不幸があってそのまま荒尾市まで行く予定だった。エアコンなしで走るのかと、一寸だけ頭を抱えたが、郊外に出てスムーズに流れるようになれば、まあどうにかなるだろうと都市高速に乗った。判断は正しかった。都市高速を70Km 程の速さで10分くらい走ったらエアコン復活、何が原因だ?とにかく何とかお通夜に間に合って参列したのだが、お参りした方が多すぎて遅れた方は会場に入れなかったそうだ。例の3密回避令のせいっである。入場制限をかけたにも拘わらず、会場内はかなり混み合っていた。あれほど人が集まると言うことは、故人の人徳のなせるわざだろう。ただ、荒尾市と言えば直ぐ横が長洲である。100人以上のコロナ感染者が出ている熊本県長洲町のジャパンマリンユナイテッド有明事業所の所在地である。一週間ばかり、畑以外には出かけるのは控えよう。

 本題だが、今朝出かけるときにはいた靴下がいくぶん小さかった。その上、合成樹脂の滑り止めが内側に付いているタイプのものだった。これが敗因である。2時間ほど経つと、締め付けられた部分が痒くなってきた。そこで脱げば良かったのだが、そのままさらに6時間ほど我慢した。帰宅後、見てみると真っ赤な輪っかが足を取り巻いていた。痒いのなんの、切って捨てたいほどである。遅発性圧迫アレルギーという持病を持っていることを軽く見たのが間違いである。昨夜は痒くて眠れなかった。今日もまだ痒い。抗ヒスタミン剤を飲めばいくらか楽になるのだが、そうすると薬効が次の日まで残り一日中気分が悪くなる。多分、死にはしないが、持病悪化である。

 唐辛子の辛さを計る単位として、スコヴィル値( Scoville scale)という指標が設定されている。決め方は横に置くとして、日本で一般的な品種である「鷹の爪」のスコヴィル値は、約40,000~50,000SHU、世界的に有名なハバネロのスコヴィル値は約100,000~350,000SHU、激辛かつ致命的なトウガラシとして知られるキャロライナ・リーパーのスコヴィル値は約3,000,000SHUといわれている。トウガラシの辛みは、順次薄めたものを何人かで味見をすることができるため、ある程度の客観性らしきものが担保される。痒みについて同じようなインデックスがないかと調べてみたが見当たらない。アカイエカに指された痒みを1モスキート-ユニット(MSU)として、普通の蕁麻疹であれば5MSU、ブヨであれば35MSU、アブであれば50MSU・・・。考えてみれは、公平な比較ができない。痛みであれ痒みであれ、極めて個人的なものであって、他人との共有は不可能だ。ああ、今宵もまた痒い。アトピーの子供たち、頑張れ!

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議員は餌のためにしか動かない

 ある程度の期間、社会人としてそれなりに働き暮らしてきた。色々なカテゴリーの色々なヒエラルキーに属する人々と接する機会を持ったのだが、極々一部の例外的な人を除いて、人は自分の利益のためにしか動かない。極々一部の人の例外的な人の中には、いわゆる筋を通す立派な人がいるのだが、その多くは偏屈なという形容詞が当てはまる人であった。極々一部の人の中のごく一部の人の特徴は、その多くの人がある程度の資産を持つということにある。「貧すれば鈍す」という言葉があるが、貧する可能性がないが故に、自己の良心に従った行動が取れると言うことだろう。「恒産無くして恒心無し」、つまり多くの人が貧すれば鈍すわけである。

 恒産とは何かといえば、安定した職業や財産を意味する。現代の社会のやり切れなさは、派遣という就業様式にあると思っている。さて、どんなレベルの議員であれ、落選すればただの猿以下といわれるように、次の選挙での当選は欠くことの出来ない生活費の源である。政権を取っている政党の議員は政策の決定権を持つが故に、色々なお金が集まってくる。非合法のものがあるかもしれない。とにかく、議員を動かすことができるお金を用意できる人達のために、政治が動くのである。制度がそうなっているのだから、それは違法ではない。野党議員は与党議員に較べ、正論を言っている場合が多いように見える。でも、ぎりぎりの場面になると決まって腰が砕ける。ああ、そうかと思う。どこからか潤滑油が入ったなと納得するのである。

 歳費があるじゃないかと思われるかも知れないが、歳費は議員になることが前提である。議員になるためには票がいる。ここに問題がある。生活が苦しい、コロナで先の生活がどうなるか分からないと悩んでいる階層の人々は、選挙に行っているのだろうか。議員を動かすのにはカネか票、カネと票の方がもっと効果的かもしれないが、無党派とか支持政党なしでくくられる部分の人達は、自分たちのために動いてくれる可能性を持つ議員に対して、カネは別としても票を与えているのだろうか。議員は聖人君子ではない。カネと票とに惹かれる少しだけ自己顕示欲の強い凡人が大半を占めていると思う。この、少し薄汚い議員を正しく働かせようと思うなら、カネと票、少なくとも票を与えなければならない。この部分を正論で美化しすぎているところに、現在の政治の停滞があると思っている。議員にとって、票こそがこそが餌であり、彼等の力の源泉である。

 私、選挙には必ず行きます。正論を言うため、筋を通すために、派手な生活を控えて少しずつですが貯金をしていました。何度か数百万のお金で誘われたことはありますが、お断りをしました。でもあのお金、喉から手が出るほど欲しかったな。学生から尋ねられたことがある。先生、幾ら賄賂を出したら籠絡されますか? うむ、2,000兆円くらいかな。何に使うんですか?まず、日本に1,000兆円やる。借金を払って綺麗になって出直しなさい。次に国内で真面な教育をしている大学に、運営基金として1兆円ずつ配る。そして、と続けていたら、やってられないという顔をして,彼は去って行った。

 議員はカネか票でしか動かない。(名誉も少しあるかな)現実の政治において、これは90%以上正しいでしょう。皆さん、議員に餌を与えていますかという切り口から選挙を考えないと、現実は動かないでしょう。イヌだって訓練するときは餌で釣ります。理想論だけではただ上滑りするだけになります。

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ABA生合成のまとめ 5・・・しつこく考える人だね!

  さて、以前に次のように書いた。【そうした立場(β-カロテンの生合成に酸素は必要か?)から眺めるとすれば、poly-cis-carotenoid pathwayとかall-trans-carotenoid pathwayとかいう経路の中で、cisであるtransであるというような小さな差異で議論するのは適当ではなく、プラストキノンをはじめとするキノン類を酸化剤として用いる酵素群[EC 1.3.5.5 and 1.3.5.6]と酸素を酸化剤として用いる酵素群[EC 1.3.99.26, 1.3.99.28, 1.3.99.29, 1.3.99.30, 1.3.99.31]に分けて捉えればよいようだ。】 つまり、phytoene desaturaseを始めとして、連続した脱水素により共役二重結合を生成していく酵素群が、酸化型のプラストキノンを水素受容体として利用して酸素分子の関与なくβ-カロテンの生合成が可能だと述べたわけである。

  しかし、よく考えて見るとそれだけでは不十分である。水素を受容した還元型プラストキノン即ちプラストキノールの再酸化はどのように起こるのかを抑えておく必要があるだろう。この問題を詳らかにしておかないとβ-Caroteneが還元的に生合成されるという言明は成立しないことになる。

  そこで考えるべきは、現生の高等植物についての話ではない。シアノバクテリアの出現までに成立していたβ-カロテンの生合成系についての話である。勿論、表8-1-1~3に示したように、光合成細菌にβ-カロテンを生合成する種が存在することを傍証とすればよい。ではβ-カロテンを生合成するこれらの光合成細菌は、プラストキノールの再酸化をどのように行っているのだろうか。


図 8-10 カロテノイドの不飽和化によって生じたプラストキノールは
       どのように再生されるか?

  調べてみると、図8-10に示すようにカロテノイドの不飽和化で生成したプラストキノールやユビキノンは、細胞中の酸化還元反応で広く使われるNAD+(酸化型ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)をNADH+H+(還元型ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)に変換されるようだ。こうなれば、多くの細胞中の酸化還元反応に共役できることになり、プラストキノンの再生に酸素を必要とすることはない。phytoene desaturaseやzeta-carotene desaturaseによるプラストキノールやユビキノールの生産は、大きなNADH+H+プールの小さな波紋として受容されていくのであろう。この問題は片づいたと考えて良い。

        次に問題になるのは、β-caroteneからabscisic acidまでの酸化反応の連続に関する部分である。植物細胞においてアブシジン酸の生合成は色素体つまり葉緑体で起こっている。葉緑体においては非メバロン酸経路が動いていることを考慮すれば、恣意的ではあるがアブシジン酸生合成の出発物質はピルビン酸とグリセルアルデヒド-3-リン酸と考えても大きな異議はでないだろう。そうすると、この2つの物質からアブシジン酸までに約26段階の反応が存在する。なぜ約という接頭語がつくかといえば、段階数の違うバイパスの存在、或いはIPPとDMAPPの異性化をどう数えるかなど厳密に数えにくい段階が存在するからである。


図8-11 アブシジン酸の生合成系で酸素分子が関与する酸化反応

  先にも述べたが、この26段階の反応中に酸素が関与する反応は6段階でみられるが、これらは全て、βカロテン以降の反応段階に偏在している。図8-11に示すように、βカロテンからアブシジン酸までの8段階の反応においてall-trans-Violaxanthinから9-cis-Violaxanthinへの酵素さえ分かっていない異性化反応とXanthoxinからabscisic aldehydeへの反応以外、全て段階が酸化反応である。反応の性質上、βカロテンからβ-cryptoxanthin、β-cryptoxanthinからZeaxanthinへの2つの酸素添加反応反応とZeaxanthinからAntheraxanthin 、Antheraxanthin からViolaxanthinへの2つのエポキシ化反応は、それぞれ時を違えず出現したと考えるとしても、4段階の酸化反応の伸長にはどれくらいの時間がかかるのだろうか。

  アブシジン酸の分布を思い出してみると、基本的には蘚類以上ということになっているが、緑藻類、シアノバクテリアにおいても微量の存在が明らかにされている。コケ類と緑藻類では、生育抑制的に働くようだが、シアノバクテリアには目立った活性はないようだ。(スピルリナに与えてみたことがあるが、殆ど影響はなかった)植物が上陸したのは約5億年前、シダ植物と高等植物に向かう枝が分岐したのが4億年ほど前である。コケ類については、シダ類からの退行進化によって生じた可能性が指摘されているとはいえ、化石による証拠からみても分子進化学的データからみてもシダ植物より原始的である。コケ植物から高等植物へと伸びる系統樹において、苔類までは生長調節物質としてルヌラリン酸が機能し、蘚類からはアブシジン酸が機能する。そうすると、アブシジン酸が生理活性物質としてニッチを獲得したのは5億年から4億年前の間であると推定できる。

 7章で述べたように、カロテノイドの歴史はステロイドより長いと推定出来る。Brocks らの報告によれば、27億年前にステロイドの生合成が始まっていた。β-カロテンまでの生合成はスクワレンまで生合成に先行するとはいえ、分子状酸素を用いた酸素添加反応の開始段階で、ある程度揃うのではないだろうか。こう考えると、β-カロテンの酸化は27億年頃に始まり、5億年頃までにはアブシジン酸に到達していたことになる。この数字の妥当性については、もう少し後で議論することにしよう。

  いま一つ、私が感じていた疑問は、「なぜ植物は、C15のアブシジン酸を生合成するのにC40のカロテノイドを経由し、これを分解してC25部分を捨て残ったC15部分の片方を使うというまどろっこしい経路を使うのか。」という疑問である。植物病原菌であるCercosporaBotrytis の仲間は、C15のファルネシルピロリン酸から直接アブシジン酸をつくると報告されている。しかし、植物は実際にカロテノイド経由でつくる。なぜそんな迂回経路を使うのかという疑問は、学会では成立しにくい問いである。近頃、朧気に答えが見えてきたような気がしているが、誰かクリアーな答えをお持ちの方はいないのだろうか。

  さて、ルヌラリン酸は下等植物に、アブシジン酸は高等植物に分布する。多くの人がこの記述で納得するらしい。しかし、私は高等とはなんぞや、下等とはなんぞや、との疑問を捨てきれていない。生物を高等、下等という形容詞でくくることは不可能であろう。どちらも40億年程前に発生した原初の生物の子孫であり、地球上で同じ年月を生き続けてきた生き物ではないかと思ってしまう。

  とはいえ、古い時代の形質をより多く残しているのは、いわゆる下等植物であることは間違いないであろう。彼らは、環境変化の少ない状況で大きく変わることなく生きのびてきた生物である。この条件に、生合成における酸素の関与を加味して考えれば、古い生長調節物質がルヌラリン酸であり、新しい生長調節物質がアブシジン酸であると推論してよいだろう。今後の議論においては、古い生長調節物質がルヌラリン酸であり、新しい生長調節物質がアブシジン酸であるとして話を進めることにする。

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お盆興行 2

 北九州にある私が籍を置いていた大学での話である。さて、大学における学科長とは、学科内の教員のスケジュールの把握と誰もしない雑用と雑務のとりまとめを行う便利屋みたいなもので、権限は全くない。命令権のない中間管理職と思って頂ければ良い。これから先の話、事情を知っている人が何人かはいると思うが、具体的な人名等については公にしないで欲しい。私に何が起こったかという個人的な事実を述べるだけにする。

 姓ではなく名前の頭文字を使ってH教授とするが、私が6年間続けてきた学科長から退き、この方に引き継いで3週目のことだった。彼は、北九州を流れるある河川に鮎を戻そうという活動を続けていた。ある強い雨の降った次の朝、彼は学生を伴ってアユの遡上調査に行ったのだが、増えた河の水に流され、本人は溺死、一緒に川に入った学生が人事不省の重体となってしまったのである。これから起こってくるだろう種々の問題に対応するためには、学科の内情が分かっている人が適任だという理由で、私がまた学科長に戻されてしまった。

 H教授だけでなくその奥さんも完全な無神・無仏論者であったため、葬儀、お別れ会、その他の行事のやり方について、多くの摩擦と軋轢があった。それだけでなく、警察、後には裁判所に呼び出されて、事情聴取や証言を求められた。それは、職務上仕方がないことである。この時期までに学生さんの意識は戻っていたものの、最終的にどこまで回復するかは全く見通せないため、当然だが親御さん達に対しては頭を下げるほか何もできない状況であった。

 個人的な話に戻ろう。葬儀が終わって数日ほど経ってからのことである。夜間に我々が入っている建物を巡回する警備員さんが2人で巡回するようになった。さらに数日経つと、2人で、そしてイヌを伴うようになった。建物の外ならまだしも、建物内をイヌ連れで回るのである。どうかしたのですかと尋ねると、いやちょっととか口を濁していたのだが、実は5Fに出るんですと小声で教えてくれた。H教授の研究室は5Fにあったのである。その頃には、H教授が5Fの廊下を歩いているという噂が、学生の間にも広がり始めていた。この手の噂は止めようがない。事務室にも話が流れたらしく、どうしますかと相談されたが、学科長には出るなという権限はないのである。事務側で塩でも盛って下さいと半分冗談で答えていた。ところが事態は冗談では済まなくなってきた。彼の行動範囲が広がってきたのである。

 5Fの廊下を歩いていた彼が、4Fの廊下を彷徨うようになり、さらに3Fでの目撃談まで出はじめたのである。疑心暗鬼に駆られた学生達の錯覚として済ませることができれば良かったのだが、そんなある日、H教授が3Fにある私の部屋に入っていったという目撃談が流れてきた。この話が私に伝わる数日前から、私の体調は急降下、咳、頭痛、倦怠感に悩まされ始めていた。話を聞くと、私が発症した日と彼が部屋に入っていった日が一致するようだった。そして、この日から彼の目撃談は消えた。

 命令権のない学科長は、突発的事象への対応だけでなく、ありとあらゆる会議に出席を求められ、あずかり知らぬ事に説明を求められ、時にはあるはずのない責任を問われた。さらに彼が引き受けていた他大学夜間部の非常勤講師までやらざるを得なくなり、次第に身体がボロボロになっていった。帰宅しようとして、椅子から立ち上がるのさえ、億劫になっていたのである。こうなれば見栄も恥も外聞もないと判断し、あるお寺の霊感があるという住職に救いを求めたわけだ。ただし、彼が本物であるかどうかは分からない。自然科学の研究者として闇雲に信じるわけにはいかない。今までの経緯は全く話さず、ただ咳が出て胸が痛い、強い疲労感があるということだけを伝えた。あまり感じの良くない相談者である。

 本尊の前で真言を唱えながら目を瞑っていた住職は私の方に向き直ると、おもむろに語り始めた。近頃、あなたの周りでお亡くなりになった方がいますね。この方は、無神論者です。現世しかないと思っていた人で、自分が死んだことを理解できずにおられます。なくなった後しばらく職場をウロウロしていたようですが、何とかしてくれそうなあなたに頼っておられます。ただ、この方だけの問題ではないですね。あなた方がいる建物の地下に空洞があります。炭鉱跡でしょう。そこの出水事故で亡くなった別の方々が影響しています。

 ちょっと待ってくれ、確かにグラウンドの向こう側はボタ山である。まさかと思って調べてみたら、確かにそこは炭鉱の跡地だった。しかし何で、そんなことまで分かるのか?でも、聞いても無駄である。アルカイックスマイルがあるだけ。まあ、迷った人を救うのもあなたの功徳、一週間の間、般若心経を3回仏壇の前で唱えなさい。後はこちらで供養しておきます。それで終わった。10日ほどで咳も疲労感も消えた。あれは何だったのだろう。このご住職とは今でも仲良く付き合っている。云い方は悪いが、まさかの時に頼れる心強い友人といえる。でも、科学者としての意地もあって、入り浸ることはしていない。この距離感を保つのは結構難しい。まあ、これらの件については、私が科学者ではなく、使えるものは原理が分からなくても使うという技術者的立場にいるということだろう。

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