白ゴーヤーについての追記

  • 2020.08.26 Wednesday
  • 00:52

 昨日書いた記事だが、白ゴーヤーの販売単位がKgとなっています。チャンプルにしてもそんなに食べるものかと思われそうだが、洗ってワタを出してスライスしておけば、冷凍可能です。さらに、スムージーにして生食するという方法があります。販促を狙って、レシピを書いておきます。

 白ゴーヤー        100g

 バナナ          中程度のもの1本

 ヨーグルト        大さじ2杯程度(増量可)できれば、一寸とろとろの地中海ヨーグルトをお勧めします。

 豆乳もしくは牛乳     200ml~以上 (お好みで)

 砂糖           大さじ2杯~  (お好みで)

 ゴーヤーはたねとワタを抜いて、厚さ5mm位にスライス、できるなら凍結させておく。全部をまとめてミキサーに入れ、滑らかになるまで撹拌、これだけです。殆ど苦みは感じません。知らない人に飲ませると、ゴーヤーがは入っていることに気付く人は殆どいません。

https://shop.yamasatoagr.com/からのお知らせです。

 これ、古希を過ぎた爺が書くことかね?まあ、それは良いとして畑の風景です。

こんな感じでなっています
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ゴーヤーが正しいそうだ、白いゴーヤー、一応通販開始

 白ニガウリ最盛期になってきた。道の駅では売りきれない。Amazonや楽天に搾取されることなくネット上で売ろうと、ネットショップを作ってもらっていたのだが、何とか動くようになった。何も分からず始めたもので、思ったようなものが作れているわけではない。とにかく何とか動くという段階である。これから少しずつ改善していきます。何しろ、フリーのホームページ作成ソフトであるワードプレスにウーコマースを組み合わせ、さらにストリップではなかったストライプというオンラインの決済システムが乗っかっているというシステムになっているのだが、つながりがよく分かっていない。とにかく動かすので精一杯、ページのデザインや色使いなど完全に後回しです。理由にはならない理由だが、この企みの師匠が現在帯状疱疹で安静中、弟子は五里霧中の状態、早期の回復を願っている。

 それにしても、通販のネックは送料です。商品代金より高くなってしまいます。沢山送れば割引があったり集荷してもらったりと、いくらかの便宜を図ってもらえるそうなのだが、その辺りもまだ手つかずである。箱代、送料、集荷場までのガソリン代など必要経費を上げていくと、近所の皆さんが苦労しているのがよく分かる。送付用の箱、送るのはゴーヤーだがお米送付用の箱を転用している。こんなつぎはぎの状態で立ち上げるのはいくぶん気が引ける。でも、とにかく始めないと何も始まらない。ましてや、ゴーヤーは待ってくれない。熟れて黄色くなってしまう。歩きながら考えよう。

 ということで、気が向かれたら  https://shop.yamasatoagr.com/ にアクセスしてみて下さい。

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半分で済んじゃった?

 世の中、コロナ狂想曲の真っただ中で、多くの人がどうして良いのか分からない状況である。私もここまでミスリードが多いと、どのニュースが、どの意見が正しいのか判断に迷うことが多い。どう考えれば良いのかについては書きかけの記事があるのでそちらに回すことにして、コロナ騒ぎによる大学教育の崩壊の可能性について書いておく。

 大学教育と書いたが、小・中学校における不規則な休校、それに伴う夏休みの短縮、オリンピックに伴う祝祭日の恣意的な移動などは、子供たちの規則的日常を破壊している。子供たちには少なくとも規則正しい日常が必要だと考える。そうした落ち着いた規則正しい日常の上に、入学式、各学年で恒例の年中行事、夏休み、冬休み、修学旅行、そして卒業式などが一里塚のように配置してあるわけだ。基盤にあるのは規則正しい日常生活である。ところが、それが壊されてしまい、彼等はいつ何があるのか全く予測できない世界に放り込まれてしまった。学校での学習内容より、不規則な日常に対応する事で精一杯の状況になってはいないだろうか。

 大学で教鞭を執っている何人かの人と話したのだが、オンライン講義に関する話が興味深かった。新型コロナウイルス感染症の蔓延に伴いオンライン講義が導入されたわけだが、この導入自体についてはかなりスムーズにいったという人が多かった。近年、講義のデータベース化が進んでいたことが基盤となったようである。ただ、問題がなかったわけではなさそうだ。殆どの人が云うには、今まで90分で行っていた授業をベースにパワーポイントを作り、このパワーポイントについて説明を入れると、45分つまり半分の時間にしかならない。彼等は言う、講義にこんなに無駄が多かったとは思わなかった。

 講義には確かに無駄と思える時間が存在する。出席を取る時間などはその典型と言えなくもない。近頃、この時間をなくすためにICカード方式を採用するところが増えてきたようだ。マスプロの授業であれば致し方ないと思わないでもないが、50~60人程度までの講義であれば、出席を取ることのメリットもある。名前を呼んで顔を見る、返事の声の大きさとか座っている位置、どのグループに属しているのか、今日はこいつ元気がないななど、その後の指導に有益な情報が得られるからである。講義が終わった後、おい○○君、今日は元気がなかったけどどうかしたの、とか今日は座る位置が変わってたね、などと声をかけておくと、その後の反応が劇的に変わることが多かった。オンライン講義ではこうした人間関係の構築はまずできないだろう。教育というのは講義の内容だけで行うものではない。人対人の人間関係が基礎にあって成立するものである。そうした意味において、現在の大学生は非常に可哀想な状況にあるのではないか。

 いま一つの大きな問題は、実験・実習科目をどうするかという問題である。実験は実験することを通してしか教育できないだろう。一つ一つの操作を動画で見せられて、それで終わりとはならない。実際に操作を行うとき、その記憶は脳だけに残るのではない。筋肉が覚える操作がある、その意識化できない筋肉の記憶を植え付けるのが実験である。カーブを投げる、シュートを投げる、プロのピッチャーの動画を見て同じように投げられるかという問題と同じである。マイクロピペットを用いたピペッティング、金属の切削など、今では機械任せにできる場合が増えたとは言え、実際にものを持たせて訓練しないと絶対に上手くならない。今の教育においてこの筋肉が覚える記憶についての理解と配慮が余りにもなさ過ぎる。

 実習科目についても同じである。実験と実習とどこが違うかあまり考えたことはないのだが、例えば、解剖学実習を経験していない医者なんて想像もできない。メスの切れ味や組織に入るメスの感覚など、映像化も数値化もできないクオリア(質感)を経験させるだけでなく、献体となった人の尊厳を意識し、さらに感謝と敬意を実感してもらう実習であると考えている。世の中には絶対にオンラインでは教育できないものがあるのである。

 半分で済んじゃった講義の残りの半分は、講義をする人の姿と声のトーン、板書する時間、板書のされた文字、途中で入る雑談や叱責、隣の学生の呼吸音や寝息など、それら全てが講義内容に対するタグであり講義の持つクオリアである。この半分は価値がないどころか、ひょっとすると講義内容以上の重さを持つのかもしれない。こんなことを考える人間は時代遅れである、文科省の教育指導方針に合わない人間である、きっとそう言われると思う。しかし、恩師を思い出すとき、講義内容ではなく黒板の前に立つ先生の姿と声そして生き方が浮かんでくる。

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百姓きついか楽しいか? 1

 このブログを書き始めたとき、さほど明確であったわけではないが、二つの目的があった。一つは硬直しきった植物生理学、生化学、天然物化学などの学問的基礎の部分を批判してみようという企みである。現在もその路線で書き続けている。

 それはしばらく続けるとして、30年ほど前から現在の形で進む社会に未来はないと感じていた。もちろん種々手を尽くしてこの社会システムを維持する努力が続けられることは間違いないにしても、資本主義という枠組みで経済成長を続けるには、地球の環境容量に限界が見えてきたという実感である。遠くない未来に、大きな社会崩壊(変動)が起こるだろうなと感じていた。今までにも、大きな変動を予想したことが何度もある。かなりな確率で予想したような変動が起こったが、その変動は予想したものとはかなり違った形になっていた。また、予想した時期については予想よりかなり遅れる場合がほとんどであった。

 そうした予想が外れるのは当然の話で、変動によって影響を受ける人達は必死にこれを回避しようとする。従って、変動の形と時期がずれてもおかしくはない。今回の経済の混乱も、コロナウイルス感染症が劇的に引き金を引いたとは云え、比較的近い未来に起こると考えていた。従って、予想していた変動がとうとう来たのかもしれないと冷静に見ている。世間はGDPが下がったと騒いでいるが、もっと大きな混乱は医療と福祉と食糧供給において起こるだろう。将来に尾を引く、より深刻かもしれない混乱は教育の世界で起こると思う。この辺りのことは、少しばかりネットを深掘りすればいくらでも書いてあるだろう。但し、サーチエンジンを検閲のないものに変える必要はありそうだ。

 食糧が不足する時代が来る、その時は年金も危ないだろう。但し時期は分からない。還暦を過ぎた頃から、退職後に何をすればいいかを真剣に考え始めてはいたのである。とはいえ仕事がいやだったわけではない。研究自体は結構うまくいっていたし、学生達にも恵まれていた。嫌だったのは長の付く学内政治に関する仕事と研究グループ内部での理不尽な調整役ばかりをさせられたことにある。本音では、還暦も過ぎたし実験的分野から一歩下がって大学の広報的なブログ書きでも担当しながら、歴史生物学という生物学の一分野を立ち上げたいと思っていた。当たり前の話だが、大学側は新たな研究グループを立ち上げ、研究資金を獲得せよと要請してきた。こうした意見の齟齬はどんな組織にいてもあることだし、それを我慢することで給料をもらっている事も理解している。私が主張しているのは青臭い書生論にすぎない。

 こんな時、緻密に色々と考えないのが私の常である。じゃあ辞めるか。田舎で百姓をしながら、晴耕雨読、雨の日に物書きをしよう。働き始めが遅かったとはいえ,一応まだ年金はもらえそうである。辞めて5年位を目途に、農業で食えるようになれば良い。(10年近く経ったが未だ専業では食えない。)そして辞めてしまった。

 辞める前の1年ほど、日田市町、玖珠町、湯布院町、九重町、庄内町、産山村など、空き家と農地を求めて走り回った。11月頃に良さそうなログハウスを見つけた。ゲストハウスさらに別棟の岩風呂付きの物件である。九重山の近く山あいにある。交渉を始めた。でも、1月に行ってみたら雪に閉ざされて道路は通行止めであった。まあ、色々と面白い経験をした。そして得られた結論は、

1. あまりに山奥では生活を維持できない。今後の人口減を考えれば、活気のある山里が良い。

2. 冬場に交通の途絶が起こらないこと。

3. 農業で少しでも販売を考えるのであれば、消費地から近い方が好ましい。

4. 気候はできるだけ温暖な方が良い。

5. これは最も大事なことだが、その地域で受け入れて貰えるかどうかの判断。わずかでも良い

  から地縁あるいは血縁で関係づけられる所であれば望ましい。

6.移住先にメンター(農業の師匠)を見つけることができるか。このメンターは農業技術を教

  える人という意味以上に、その地での生き方を伝授してくれる人を意味する。

7. 移住地《住居や農地)に関してだが、地震、台風の風害は仕方ないとして、水害、地滑り、

  崖崩れの起こりやすい場所は避けること。

 などである。これらの条件を組み合わせて考えながら、現在のうきはの地を選んだ。続けて2を、百姓の現実について書く予定だ。コロナ騒ぎで田舎に移住しようかなと考えている人にとって、少しだけ役に立てばいいなと思っている。

追伸

 フェイクニュースかどうか分からないが、プーチン大統領の娘がコロナワクチン接種後にサイトカインストームを起こしてなくなったという話が流れています。このニュースは追いかける価値がありそう。

 三峡ダムへの流入水量が未だに減ることなくピークはまだ後だとする報道が続いています。一寸以上に心配です。これはフェイクではない。

 今日の早朝に関東で地震という話が流れています。時間まで予言されていますが、そこまで当たるとはとても思えない。多分以上にガセネタだと判断しますが、昨日・フィリピンでM7、今朝インドネシアでM7の地震が起こっていますし、三浦半島の2回の異臭事件、あまりな酷暑、温泉の泉源干上がりなど嫌な現象もある事から、気持ちだけ、靴の用意をする程度のかすかな警戒かな。

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持病悪化?

 昨日、持病の薬が切れていたので博多の病院をハシゴした。近くの病院に転院すれば楽だろうとは思うものの、2ヶ月に一回くらいは都会の空気に触れるのも良いだろう思い、まだ通い続けている。その内の一件は、昔のソフトボール仲間の病院であるため、気楽にいつも通りお願いしますで,診察は終わる。ただ、問題はあった。私ではなく車にである。昨日も暑かったのだが、途中でエアコンが効かなくなった。送風口から熱風が吹き出してくる。エンジン温が上がりすぎていたわけではない、エアコン用のコンプレッサーの固着かと疑ったがそうでもなかった。冷媒用ガス抜けが可能性が高いのだが、その時点では確認できなかった。外気温は35℃位あったのだが、開けた窓から吹き込む35℃の風を涼しく感じた。

 この日、実は親戚に不幸があってそのまま荒尾市まで行く予定だった。エアコンなしで走るのかと、一寸だけ頭を抱えたが、郊外に出てスムーズに流れるようになれば、まあどうにかなるだろうと都市高速に乗った。判断は正しかった。都市高速を70Km 程の速さで10分くらい走ったらエアコン復活、何が原因だ?とにかく何とかお通夜に間に合って参列したのだが、お参りした方が多すぎて遅れた方は会場に入れなかったそうだ。例の3密回避令のせいっである。入場制限をかけたにも拘わらず、会場内はかなり混み合っていた。あれほど人が集まると言うことは、故人の人徳のなせるわざだろう。ただ、荒尾市と言えば直ぐ横が長洲である。100人以上のコロナ感染者が出ている熊本県長洲町のジャパンマリンユナイテッド有明事業所の所在地である。一週間ばかり、畑以外には出かけるのは控えよう。

 本題だが、今朝出かけるときにはいた靴下がいくぶん小さかった。その上、合成樹脂の滑り止めが内側に付いているタイプのものだった。これが敗因である。2時間ほど経つと、締め付けられた部分が痒くなってきた。そこで脱げば良かったのだが、そのままさらに6時間ほど我慢した。帰宅後、見てみると真っ赤な輪っかが足を取り巻いていた。痒いのなんの、切って捨てたいほどである。遅発性圧迫アレルギーという持病を持っていることを軽く見たのが間違いである。昨夜は痒くて眠れなかった。今日もまだ痒い。抗ヒスタミン剤を飲めばいくらか楽になるのだが、そうすると薬効が次の日まで残り一日中気分が悪くなる。多分、死にはしないが、持病悪化である。

 唐辛子の辛さを計る単位として、スコヴィル値( Scoville scale)という指標が設定されている。決め方は横に置くとして、日本で一般的な品種である「鷹の爪」のスコヴィル値は、約40,000~50,000SHU、世界的に有名なハバネロのスコヴィル値は約100,000~350,000SHU、激辛かつ致命的なトウガラシとして知られるキャロライナ・リーパーのスコヴィル値は約3,000,000SHUといわれている。トウガラシの辛みは、順次薄めたものを何人かで味見をすることができるため、ある程度の客観性らしきものが担保される。痒みについて同じようなインデックスがないかと調べてみたが見当たらない。アカイエカに指された痒みを1モスキート-ユニット(MSU)として、普通の蕁麻疹であれば5MSU、ブヨであれば35MSU、アブであれば50MSU・・・。考えてみれは、公平な比較ができない。痛みであれ痒みであれ、極めて個人的なものであって、他人との共有は不可能だ。ああ、今宵もまた痒い。アトピーの子供たち、頑張れ!

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