お盆興行1

 経験した怪奇談である。信じて貰えなくて良い、否定されても良い。常識的に考えれば否定されて当然である。これが他人の経験談であり私が聞く方であったら、きっと眉に唾を付けると思う。

 具体的な市名や町名を出すのは憚られるので、福岡県の西鉄大牟田線の沿線にあるA市ということにしておく。昭和42年のことである。父親がA市に土地を買って家を建てた。初めてその土地を見に行ったとき、何とも言えない違和感を感じた。理由は判らない。斜め前の土地には、半分まで建てながら放棄された家があった。その辺り一帯は昔のお寺の跡で、直ぐ先にはいくぶん傾いた七重の塔が在った。これは後で知ったことである。両隣は空き地で、ススキが密生していたのを覚えている。

 形通りに地鎮祭を行い家を建て始めたのだが、最初の事件は棟上げの日に起こった。棟上げに合わせて必要なものを買い集め現場に到着すると、大工の頭領が血だらけの左手を抱えて現れた。その日の朝に最後の切り込みをしていて怪我をしたという。親父は、桁くそが悪い《縁起が悪くて忌々しい》と、私に当たりながらも、その日の棟上げは終わった。後日談だが、働いていた大工さんの怪我が多かったそうだ。

 という、気にすればちょっと気になる事件を抱えて建てた家なのだが、それから3ヶ月あまり経って我々は入居した。ここから3人の家族が様々な何かを経験することになる。引っ越した翌朝、母親が不審そうな顔をして、夜中に鐘の音がずっと聞こえる。近くにお寺があるのかな。だが、大晦日ではあるまいし、夜中に鐘をつく寺など在るものか。私にも親父にも聞こえなかった。とはいえ、私に違和感がなかったわけではない。私は、窓の外から屋内を覗き込む強い視線を感じていたし、親父は夜に天井辺りで動き回る光が見えると言い始めた。

 特別な実害が在るわけではないし、気にしないでおけばそのうち慣れるだろうと放っておいたのだが、それから直ぐ母親が盲腸で入院した。私は、覗き込む強い視線だけでなく、毎日夜の1時ころに、私の部屋の横から隣の空き地を通って、向こう側にある家の方に歩いて行く足音がすることに気付いた。どうにも気になったので、外壁に投光用ライトを付け、足音が始まるのと同時にライトを付け、竹刀を持って何度も飛び出したのだが、誰も何もいなかった。外から覗き込む視線はいよいよ強くなったように感じたが、神経質になっているからだろうと、諦めていた。母が退院して3ヶ月ほど経った頃、私が盲腸になった。

 まあ色々とあるのだが、その後母親が心臓病で長期入院、父親も胃がんという診断で胃の全摘、家族が皆どこか不調という状況に陥ってしまった。さすがに耐えきれなくなった両親が、親戚が知っていた或る霊能者を呼んでお祓いをし、敷地内に地蔵菩薩をお祀りして、この不運の連鎖から抜け出した。そこまでは良くある話である。信じない人に言わせれば、家族内で不安感が増幅していった神経症的なもので、たまたま連続した病気を霊的なものと結びつけただけということになるだろう。そういう判断が正常で常識的なものであることに異存はない。だが、この問題が空き地の向こう側の家で起こっていた事件と奇妙に連鎖するとなれば、ちょっと判断に迷ってしまう。

 空き地の向こう側にある隣家は、貸家であった。その頃新婚間もない若夫婦が住んでいたのだが、その奥さんが私の母親に、「毎晩、お宅の方から空き地を通って誰かがやって来るんですよ」。母親曰く、はじめは「お前が覗きに来ているので注意して欲しい」というような調子だったという。ここで話がつながった。私は、部屋の直ぐ横からサワサワと草をかき分けて歩いて行く足音を聞き、空き地の向こう側の人は、毎夜空き地を通って近寄ってくる多分同じ足音を聞いていたことが判明した。去って行く足音より近づいてくる足音の方が何倍も怖いと思う。彼女は直ぐにイヌを飼い始め、早々に引っ越していった。私も大学周辺での下宿生活を始めたのだが、たまに家に帰ると、夜中のサワサワという足音は続いていた。いまあの土地はどうなっているのだろう。 

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