コオロギ雑感

 今までに色んな人と会ってきた。名刺を貰って姓を読めなかった人、名を読めなかった人、様々である。近年、名に関してはキラキラネームなどの影響があり、読めない例が増えてきた。姓に関しては、キラキラした姓を作れるわけではないので、殆どの場合は読めたのだが、それでも読めない事があった。目さん、熊埜御堂さん、日名子さん、四童子さん、あと数人はいた筈だがもう忘れてしまった。

 私の知人に興梠さんという人がいる。この方の読み方は「こうろぎ」なのだが、世の中での「興梠」さんの読みは、こうろぎ、こうろき、こうろ、こおろぎ、こおろきなど多岐にわたるようだ。「興梠」、この言葉はコオロギとは縁もゆかりもない。九州では、 宮崎県の高千穂や五ヶ瀬、熊本県の阿蘇あたりに見られる姓だそうだが、件の「興梠」さんも高千穂の出身である。 蘊蓄を垂れるわけではないが、梠とは軒の意味であり、興梠は軒のあがった家(立派な家)を指すという。意味としては卯建に似ているようだ。さらに梠には、神霊の宿る木、神の依代となる木という意味もあるとのことで、これまた歴史を感じさせる格式の高い文字であるため、興梠という姓は高貴なもののようである。多分、平家の落人伝説に関係していると推測している。

 蟋蟀、これは昆虫類のこおろぎを示す漢字で、こほろぎとルビを振られる場合もある。我々が注意を払わないだけで厳寒の時期を除けば何らかの種類のコオロギが鳴いているようだ。寒い時期でも鳴いている種がいるのかもしれない、出している音の周波数が高く、私などには聞こえない可能性もある。以前どこかの学会で聞いた記憶があるが、ウンカの仲間の雄は稲の茎にとまって腹部を震わせその振動を使って雌を呼び寄せるという。この誘因は茎が接触している場合に有効で、雌が近くにいても接触していない茎にいる場合には効果がないという結果であった。振動の周波数は人の可聴域の外側(低周波)であったと記憶している。ツヅレサセコオロギでは、気温とリズムにも一定の関係があり、鳴き声のリズムで気温が推定できると聞く。確かに晩秋に聞くコオロギは、ツヅレサセコオロギに限らずゆったりとしたリズムで鳴いている

 巷間、コオロギを食べようというプロパガンダを進めている大臣がいると思っていた。河野太郎氏である。ところが、河野氏は4月29日、「以前にもツイートしましたが、私も政府もコオロギ食の推進などしておりません。すべて悪意のあるフェイクニュースです」と表明した。さらに、「陰謀論者がコオロギの話を拡散している。でっち上げの投稿が多数見られ、それを見た一部の消費者から不安の声が上がっているのでは」との現状認識を示したそうだ。しかしながら、昆虫食に対する補助金の拠出状況、コオロギ食に関する以下のニュースなど、素直に受け取るとすれば、政府も彼もコオロギ食を推進しているとしか思えない。

https://www.asahi.com/articles/ASQ2N6TSCQ2MPTLC00X.html

 何だか新型コロナワクチンの運び屋騒動と同じ構図だな。ある地位にいるにもかかわらず、発言の影響を予想できないのでは、その任に堪えない人物であると判断せざるを得ないと思うのだが、巷ではいまだに次期総理の候補に上がっている。この方は、原発反対であった。その持論を封印して内閣に入った。その後色々な役職を続けてはいるのだが、何をしたいのか分からない。何処かの誰かに云われたことを強引に進めるだけで、本人の意見、考え、良心、常識、良識などは何処かへ置きっ放しになっているようだ。今年の2月13日の国会質疑、余りの強烈さに呆れ果てた記憶が残っている。

〇国会中継 1:08:50~1:19:40辺りの答弁

https://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=54334&media_type=

 何でも都合の悪いことは所轄外で通すのかな。でもね、閣議において、それが例え持ち回りであっても合意して署名している筈なんだがな。

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周りが賑やかになった

 夏鳥と呼ばれる渡り鳥の声が、一気に増えてきた。早朝からというより一日中不如帰が鳴いている。夏鳥だけでなくカワラヒワ、キビタキ、ホオジロ、四十雀、ヒヨドリ、トビ、キジもいるしコジュケイもいる。スズメの声も艶めいてきた。畑の上で、ヒバリが鳴いている。ウグイスは依然として鳴き続けているし、コムクドリも騒々しい鳴き声を聴かせる。サンショウクイもいそうだ。河原に行くとオオヨシキリが来ているようだ。今年まだ聞いていないのはセンダイムシクイ、ツツドリ、アオバヅク、サンコウチョウ、ミソサザイなどなど、彦山にでも行けばもっと色々聞けるのだが何だか行く気になれない。

 昔は百種以上は楽に聞き分けていたように記憶しているが、今では百種類いくだろうか。それも典型的な囀りを聞いた場合で、地鳴きで聞き分けることができるのはその半分くらいだろう。姿が見えればもう少し可能だと思うが、野外でかつ老眼であるとすれば多くは望めない。社会で起こる事件を観ていると、双眼鏡を持ち歩くのも憚られる様な気がしている。

 水辺の鳥であるサギの仲間は余り声が良くない。でも姿を見ることができるのである程度の識別はできる。これから田植えの季節になるのだが、田んぼの周辺では、コサギ、アマサギ、チュウサギ、ダイサギ、アオサギを良く見る。夜間には空を飛ぶゴイサギの声をよく聴く。キセキレイとセグロセキレイは良く見る。マガモであるのに渡りをせずに住み着いている番いがいる。アヒルの原種であるからそんな事もあるのだろう。クイナとバンは声を聞くだけで、姿をみることはほとんどない。近くの原鶴温泉は観光鵜飼いで知られているが、昼間に野生の鵜が編隊を組んで飛んでいる姿を見ることがある。カワウだと思っていたら、あれはウミウであると教えられた。こんな内陸までウミウが来るのかと訝しくおもったのだが、筑後川沿いに久留米市までは分布しているらしい。それなら納得、でも養魚場にとっては天敵らしい。

 今日は朝から桑の収穫、出荷は家族に任せてその後はジャンボニンニクの収穫をした。普通のニンニクであれば収穫で苦労することはないのだがジャンボニンニクの収穫はサトイモ掘りと同じくらい重労働である。夕方までかかった。掌が遅発性圧迫性アレルギーで痒くてたまらない。世の中は日曜だというのに、何でこんな時間まで働かなければならないなどと愚痴った罰である。元気で働けて良かったと感謝しなければならなかったようだ。

 

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排水路整備

 5月6日に書いてアップするのを忘れていた。

 今日は排水路整備の日、昨日からの雨はまだ降り続いているが、少々の雨であれば無視して決行するのが常である。午前8時に集合場所に行くと誰もいない、しまった何か間違ったらしいと全てを知っているSさんに電話をすると10時半からだという。一旦家に帰り再度出動、びしょ濡れになりながらの草切り、排水路に入っての作業は増水しているため中止となった。買って10年ほどたつ作業用のレインコート、全く水をはじかない。皆さん、立派なレインコートを着ている。あんたのレインコートは濡れとるばい、スプレーを定期的にせにゃなどといじられながら作業は終了した。確かに私だけ、体調を崩したニワトリみたいに濡れそぼっている。

 周りの人々にとってレインコートはSSを使う農薬の散布時に必須である。年に数十回は使う必需品である。ところが散布する薬剤には展着剤(界面活性剤)が含まれているため、高級なレインコートであっても撥水性はすぐに低下する。使用後によく洗ったあと定期的に撥水スプレーを噴霧するのは、ルーチンの作業である。一方私は無精者なので、基本的に雨の日は働かない。レインコートを着るのは、こうした共同作業の時と、田植えの日くらいである。そして着用するレインコート自体の品質もかなり低い。まあ、あんたのレインコートはと、軽くいじられるのは、そう言える人間関係が出来たのだとポジティブに受け取って明るく作業をこなしてきた。

 私の作業能力は他の人に比べればかなり低い。それは自認している。地域の人達にとってはそんな事は織り込み済みであり、私の労働力に大きな期待をかけているわけではない。それよりも、地域の色々な行事に参加する参加する気持ちがあるかどうかが問題である。参加さえすれば、何でも教えてくれるし、有益な情報もくれる。10年以上経って、ようやくこの地に根付いてきたような気がしている。

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やはりいつも少数派

 世の中から新型コロナ感染症と云う重大な病気はなくなって、ただの風邪、いわゆる旧型コロナ感染症に戻ったわけだ。政府は最早この病気に注意を喚起するようなことをしないと思うが・・・。マスクについては極めて消極的な態度をとり続けるだろう。マスクは一応不要ということになったが、世の中のマスク信仰は今も健在である。先日、銀行に行った。郵便局にも市役所にも行った。私以外は全員マスクをしていた。ここまで来るといつ、彼らがマスクを外すのか予測できない。要するに、郵便局や市役所あるいは地域の代表的企業が先に立って、マスク不要キャンペーンでもしないかぎり、この流れは変わらないだろう。でも郵便局や市役所あるいは地域の代表的企業は、お客様がマスクをつけ続けるかぎり、先に立って職員に外せとは指示しないように感じている。

 そう、先日さほど乗り気ではなかったが老人会の宴会に参加してきた。近くの温泉ホテルで30人弱の宴会だった。自宅近くの公民館前までマイクロバスでの送迎があったのだがマスク解禁の後だったにもかかわらず、ここでもノーマスクは私だけ。ホテルで出迎えの職員も完全武装であった。しかし、宴会が始まると同時に全員がマスクをかなぐり捨てて、久しぶりの宴会は良いなと大いに盛り上がっていた。私は隅っこで黙って飲んでいたのだが、多くの人が徳利を持って歩き回り、合間にはカラオケ三昧である。二時間半の宴会が終わり帰りのマイクロバスに乗ると、私以外ほぼ全員がマスク着用である。理解できない。いわゆる新型コロナ感染症が流行っていた時、一人で車に乗っているのにマスクを付けている人を多数見てきた。理解できなかった。僕から私にコロナが移ったら大変なのかな。明らかに夫婦とみえる人達もマスクをしていた。濃厚接触を避ける為かなと思ったが、彼らは家に帰ってもマスク着用を続けていたのだろうか。

 ワクチンは打たない、健康診断には行かない、PCR検査もしない、旅行もしない、可能な限り国からの補助金を当てにしないで生活していたのに、初期の頃は非国民のように、そして病原菌のように扱われたことがある。「俺は国の金に集ることなく質素に生きているのに、何でそこまで云われなければならないのか」と怒っていた。だが、今となっては不条理だと思う怒りはない。何とか昔の日常に戻せないかと考えているだけの保守派である。

 ワクチンを打たない人、健康診断に行かない人、PCR検査をしない人、旅行に行かない人さらにマイナンバーカードを作らない人の重なり集合をとるとどれくらいの人が残るのだろう。正直な話、上記の5条件を満たす人に出会ったことはない。とすれば、やはり私は少数派、それも究極の少数派らしい。これは生き方として、正しい–間違っているという話ではない。各個人が、それなりに選択した結果であろう。それにしても「日本人はなんとガバナビリティの高い民族なんだろう」と思うこの頃である。

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梨原木の薪化がようやく終わった

 梨の栽培をしていた方が樹種の変更をするに伴い、切断した枝をあげると云われ約50本分の薪原木を入手した。1月の半ば頃の話である。50本分の原木と云っても、1本の幹から3本の枝が出ている。さらに1本の枝から3~4本の玉切りした枝が取れる。この枝の1本から少ない枝で4本、大きな枝であれば10本近い薪が取れる。考えただけでもゾッとするほどの量である。2月中に凍結した山道を走って山の畑に積み上げ、4月の初旬には作業を終わらせる予定で玉切りを始めていた。ところが3月の初めに畑に残っていた幹を根っこまで抜いたからこの幹も持って行っていいよと云われた。嬉しいと云うかなんというか、嬉しいけど誤算である。結局、他の作業を手抜きして時間をつくり薪棚への収納が終わったのが今日である。

 当然だが、春の作業は遅れに遅れ未だに畑には苗がない。水田の周囲は草だらけの状況である。今日から苗の植え付けと草刈りを始めるのだが、今週末から桑の収穫が始まるのだが、先に書いたように菌核病の防除に失敗したため、病気に罹った白い果実が半端ない割合で割合で混じっている。さらにだが、今年はクワキジラミの発生数が多いだけでなく、カメムシの数も多い気がしている。この二種の虫に対して適応のある農薬は存在しない。

 明日、いや今日から、カボチャ、トウガラシ、ナス、タケノコイモ、ソルゴー、ゴーヤ、さらに何種類かのハーブの植え付け始める。水田周りの草刈りも待ったなしだ。春先からみすぼらしい畑の目隠しにと道路際に植えていた菜の花を切った。ここにトラクターを入れて夏の目隠しであるソルゴーを蒔く予定だが、間に合うかどうか分からない。

 と書いて5日が過ぎた。今日は19日である。トウガラシ、ナス、ソルゴーは植えた。水田周りの草切りもした。周囲の長さが約500m、法面の高さが1.5m程あるので最低 2 回は回る必要がある。南側は耕作放棄された水田に面しているので、2m程越境して切って行く。結局1,5 往復せざるを得ない。マムシがいた。アオダイショウの幼蛇がマムシとよく似た模様を持つのだが、マムシの方がズングリしているだけでなく動きが遅い。近づいて見れば顎が張っていわゆる毒蛇顔をしている。蛇がいると素早く追いかけて苅払い機で首を刎ねる人がいる。農作業中に噛まれる可能性があるのだから間違った判断ではない。では私にできるかといえば、躊躇してしまう。蛇に対するこの感情は、何が原因なのだろう。いっそのこと、攻撃してくれれば反射的に行動できるのだが。

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