雑念ですな

 雨が降っている。梅雨入りしたという報道があったが、ここから3週間余り田植えを意識しながら暮らさなければならない。当地の水田の多くが、裏作として麦が栽培されている。私は麦を作ったことがない。トラクターに付ける麦作用のアタッチメントも持たない。本音の所では麦作りもしてみたいと思っているのだが、一年中作業に追い回される生活は幾分辛い。さらに麦の収穫から田植えの間に時間的余裕がないのも幾分以上に厳しいと考え、半分の田んぼは近所の人の麦作用に貸している。残りの半分の田は地力の回復を図るという言い訳の下に休ませている。休ませるとは云っても、冬場に3回ほど耕起することは必要だし、周囲の草刈りも欠かせない。少しばかり湿田気味の田んぼゆえに、冬の間に畔や水口の補修とともに排水用の溝切りもしなければならない。今年は作業が遅れ気味で、まだすることが多い。体力が持つだろうか?

 昨日、それなりの用があって熊本県の荒尾市まで行ってきた。高速道路を使うと杷木インターから南関インターまでを使うことになり、片道で 92Km 、所要時間は1時間40分程である。料金は1960円である。往復で約4,000の円の出費は少々痛い。何しろ年金生活者である。そこで高速道路はできるだけ使わないことにした。三角形の二辺を走るのでなく一辺を走ろうと決めた。ちょっと面倒だが耳納山脈を越えてお茶の里星野へ出る。その後、坂本繁二郎がフランスのバルビゾン地方の雰囲気に似ているとして名付けたバルビゾンの道を通って八女市に出た後、1区間だけ九州道に乗り柳川インターで降りる。柳川市を抜けさらに西に進むと古賀誠道路とも呼ばれる有明海湾岸道路に出会う。徳益インターからこの有料道路に引けを取らない立派な道路に乗り最終の大牟田インターで降りれば目的地はすぐ、距離は 87Km 程で済む。

 三角形の二辺を走るのでなく一辺を走ろうと決めたのに距離はほとんど変わらない。マピオンのロードマップでは所要時間が2時間55分となっている。所要時間が1時間以上も伸びるかと思ったが、八女市と柳川市の中を抜ける時以外はほとんど信号がない道である。さらに、有明海湾岸道路では60~70 Km で流れることを考慮すれば、 30分くらいは短縮できると判断した。民主党の時代が良かったな。ということで実際に走ってきたのだが、実際の所要時間は2時間20分程度であった。まあ予想の範囲内である。運転時間と高速料金を考えれば、1時間20分ほどながく走らなければならないが3920円の節約になる。これは癖になりそうだ。

 TCAサイクルの話は終わったのか・・・5 に関して、ペントースリン酸経路の存在意義を問う議論については、テンポラリーメモリーの不足と眼精疲労のためもう少しだけ時間がかかりそうだ。少し予定より遅れている。

 さらに、関与したくない政治が集中力の邪魔をしている。マイナンバーカードの問題、LGBT法案の問題、SDGs の問題、熊本のTSMC工場建設問題、農業問題、ワクチン擬問題、ウクライナ問題等々とそれに対するマスコミの対応、冷静に考えると呆れ果てる状況だな。一部の良心的議員を除く堕落した議員様連中が、将来の日本社会のあり方など考えることなく、目先の金に釣られて脱法的に動き回っている。立候補の要件に社会的常識、倫理観、過去の犯罪歴、国籍条件などについての審査が必要な時代になってきたように感じている。これがなければ、私の生活はもっと静謐で創造的なものになると思っている。老中がここまで堕落した世界に暮らすことになるとは予想だにしなかった。近いうちに全てが崩壊するのかな。そんな気がしないでもない。そういえばこの「気」、敗戦前は「氣」を使っていた。GHQの指導というか命令で「気」に変えられた歴史がある。気と氣、含まれる意味の微妙な違いを考えると、氣を使いたくなる。

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ペントースリン酸経路への異論・・・1

 いま一つ大きな影響を受ける系路がある。ペントースリン酸経路である。この系路には多くの別称があり、初学者にとっては難解きわまりない系路である。これは幾分飲み込みの悪い筆者の感想であるとはいえ、同時に、二十数年の間生化学という講義を行ってきた教育者としての感想でもあるため、多分正しいに違いない。このペントースリン酸回路は、光合成における還元的ペントースリン酸経路に対し、酸化的ペントースリン酸経路と呼ばれることもある。また、ヘキソースリン酸経路 、ホスホグルコン酸経路 、単純にペントース経路 あるいはワールブルク・ディケンズ経路とも呼ばれる。私は大学の4年になるまで、ペントースリン酸経路はヘキソースリン酸経路は別物だと思い込んでいた。

 さらにこの経路内で起こるトランスアルドラーゼとトランスケトラーゼに触媒される炭素–炭素結合の切断と形成は、なかなか理解が難しかった記憶がある。有機合成においてアルドール縮合を経験した後で、これらの反応を改めて見直した時にそうなのかと了解した。理解の遅さに感動した記憶がある。とにかく、7単糖、6単糖、5単糖、4単糖そして3単糖のリン酸エステル群が、トランスアルドラーゼとトランスケトラーゼと呼ばれる二つの酵素によって華麗に相互変換をするスキームは、私には美しすぎたようだ。当時の私は、トランスアルドラーゼとトランスケトラーゼの反応メカニズムを何とか理解しようとする事に注意が向け過ぎて、この系の持つ意義についての考察には頭が回らなかった記憶がある。読者の方々はどうなんだろう。スムーズに理解されたのだろうか。

 いま一つ理解が遅れた原因は、この系の意義を解糖系の側路であるとして説明されたからだ。この系を6回回ると結果的に1分子のグルコールが6分子とCO2と2分子のNADPH2へと変換されるという説明を受けた。まだ素直だった筆者が、グルコース–6–リン酸からの代謝系を何度も何度も辿って見たのだが、なかなかそういう計算にはならない。経路図を見ても出口がどこなのかがどうしても分からない。さらにだが、経路の出発物がグルコース–6–リン酸なのかグルコースなのかも分からない、ここがはっきりしないとATP収支も計算できない。それどころか、解糖系の側路と書かれている場合でも出発物質はグルコースではなくグルコース–6–リンとしている。出発物質をグルコースとすると、嫌気的条件下でのATP生合成という解糖系のドグマに反するのが原因なのだろうか?

 例えばだが、ウィキペディアでペントースリン酸経路の説明に付けられている図を引用する。

ウィキペディアのペントースリン酸経路の説明に付けられている経路図

 この図を見てグルコース−6ーリン酸が出発物質であろうことは読み取れるが、どの化合物がいわゆる出力であるかを読み取ることは難しい。以下に示す他のサイト等も参照してほしいのだが、分かり難さにおいては同様である。これはこれらの記事を誹謗しているのではない。現在の解糖系の側路としての存在意義を維持した上で説明しようとすれば、そうならざるを得ない現実が有ると考えている。

http://www2.huhs.ac.jp/~h990002t/resources/downloard/15/15biochem3/03sugarcatabolism_2_15.pdf

http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/hms.htm

 じつは話の都合で大事なことを端折って議論を続けている。この系の存在意義に関する議論である。話を始めに戻して、落ち着いて考えることにする。ペントースリン酸経路の意義について、まず一般的に認められていることを整理しよう。第一の意義は、先に書いた解糖系の側路として糖代謝の一翼を担っていること。第二の意義は、この径で脂肪酸合成、コレステロール合成、光合成などに必須な還元剤である補酵素NADPH2の生産を行うこと。第三の意義は、核酸合成の原料であるリボース-5-リン酸を供給すること。この三つの機能がペントースリン酸経路の存在意義であるとされている。思うに、これは少々目的を盛り込み過ぎではないだろうか。一つの経路に全くベクトルの違う3種の目的を持たせて、かつそれらの目的に対応する合理的な制御システムを構築するなど神業であるとしか思えない。とすれば、1から3のなかでどれが生存に不可欠なものであろうか。

 まず第一の意義について考えたい。エネルギー資源の獲得が世界の覇権を意味していた20世紀においては、この考え方が生物における代謝系の研究に対しても有効な枠組みとして機能していた。いわゆる ”Zeitgeist” (時代精神)であろう。この枠組みの中では、エネルギー生産を担うとされた解糖系とTCA回路を重視し、それ以外の糖代謝系を解糖系とTCA回路に関係づけようとする時代の意志が無理なこじつけを強いていたように感じる。筆者は一連の議論の中で、解糖系とTCA回路の持つエネルギー産生機能を、さほど重視しない視座からの眺望を表明してきた。つまり解糖系においては 動物と植物の間で代謝のベクトルを基礎に、糖新生系を重視した解釈を行い、TCA回路においては電子伝達系との連接を緩めてエネルギー生産の意義を薄めるだけでなく、系内に存在する α–ケトグルタル酸を原料とする核酸生産系を重視する解釈を提唱したきたわけだ。

 さて、ペントースリン酸経路を無理なく理解するには、やはりこの系をエネルギー獲得の為の糖代謝系であるとする頚木から解き放つ必要があると思う。つまり、このペントースリン酸経路が解糖系の側路であるという捉え方をしないことを意味する。エネルギー生産に関しては、この経路がなくてもEM経路、エントナードルドロフ経路、ピロ解糖系、TCA回路、そしてそれらに連なる酸化的リン酸化反応があるではないか。植物であれば光合成の–いわゆる明反応において、生存に必要なATPとNADPH2は充分に生産されている。嫌気性微生物においても酸素以外の物質を最終電子受容体として利用する嫌気呼吸によってATPが作られている。ペントースリン酸経路が働いた時に、ほんの少しだけ解糖系と共通する物質を解糖系に流入させるが故に解糖系のバイパス的な意味合いがあるとされていると思われるが、ここでの議論においてペントースリン酸経路がエネルギー生産を担う代謝系であるという系の存在意義に関しては否定しておくことにする。

 ということで、次回の投稿ではペントースリン酸経路の第一の意義と第二の意義を完全に否定するつもりである。それは一寸やり過ぎではないかと思われる人が多いと思う。でも、そうして宣言しておかないと、右顧左眄に満ちた文章しか書けない。常識を否定するにはかなりな精神的エネルギーが必要であるばかりでなく、真実は少数派から始まるという思い込みが欠かせないからである。

 

 

 

 

 

 

 

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コオロギ雑感

 今までに色んな人と会ってきた。名刺を貰って姓を読めなかった人、名を読めなかった人、様々である。近年、名に関してはキラキラネームなどの影響があり、読めない例が増えてきた。姓に関しては、キラキラした姓を作れるわけではないので、殆どの場合は読めたのだが、それでも読めない事があった。目さん、熊埜御堂さん、日名子さん、四童子さん、あと数人はいた筈だがもう忘れてしまった。

 私の知人に興梠さんという人がいる。この方の読み方は「こうろぎ」なのだが、世の中での「興梠」さんの読みは、こうろぎ、こうろき、こうろ、こおろぎ、こおろきなど多岐にわたるようだ。「興梠」、この言葉はコオロギとは縁もゆかりもない。九州では、 宮崎県の高千穂や五ヶ瀬、熊本県の阿蘇あたりに見られる姓だそうだが、件の「興梠」さんも高千穂の出身である。 蘊蓄を垂れるわけではないが、梠とは軒の意味であり、興梠は軒のあがった家(立派な家)を指すという。意味としては卯建に似ているようだ。さらに梠には、神霊の宿る木、神の依代となる木という意味もあるとのことで、これまた歴史を感じさせる格式の高い文字であるため、興梠という姓は高貴なもののようである。多分、平家の落人伝説に関係していると推測している。

 蟋蟀、これは昆虫類のこおろぎを示す漢字で、こほろぎとルビを振られる場合もある。我々が注意を払わないだけで厳寒の時期を除けば何らかの種類のコオロギが鳴いているようだ。寒い時期でも鳴いている種がいるのかもしれない、出している音の周波数が高く、私などには聞こえない可能性もある。以前どこかの学会で聞いた記憶があるが、ウンカの仲間の雄は稲の茎にとまって腹部を震わせその振動を使って雌を呼び寄せるという。この誘因は茎が接触している場合に有効で、雌が近くにいても接触していない茎にいる場合には効果がないという結果であった。振動の周波数は人の可聴域の外側(低周波)であったと記憶している。ツヅレサセコオロギでは、気温とリズムにも一定の関係があり、鳴き声のリズムで気温が推定できると聞く。確かに晩秋に聞くコオロギは、ツヅレサセコオロギに限らずゆったりとしたリズムで鳴いている

 巷間、コオロギを食べようというプロパガンダを進めている大臣がいると思っていた。河野太郎氏である。ところが、河野氏は4月29日、「以前にもツイートしましたが、私も政府もコオロギ食の推進などしておりません。すべて悪意のあるフェイクニュースです」と表明した。さらに、「陰謀論者がコオロギの話を拡散している。でっち上げの投稿が多数見られ、それを見た一部の消費者から不安の声が上がっているのでは」との現状認識を示したそうだ。しかしながら、昆虫食に対する補助金の拠出状況、コオロギ食に関する以下のニュースなど、素直に受け取るとすれば、政府も彼もコオロギ食を推進しているとしか思えない。

https://www.asahi.com/articles/ASQ2N6TSCQ2MPTLC00X.html

 何だか新型コロナワクチンの運び屋騒動と同じ構図だな。ある地位にいるにもかかわらず、発言の影響を予想できないのでは、その任に堪えない人物であると判断せざるを得ないと思うのだが、巷ではいまだに次期総理の候補に上がっている。この方は、原発反対であった。その持論を封印して内閣に入った。その後色々な役職を続けてはいるのだが、何をしたいのか分からない。何処かの誰かに云われたことを強引に進めるだけで、本人の意見、考え、良心、常識、良識などは何処かへ置きっ放しになっているようだ。今年の2月13日の国会質疑、余りの強烈さに呆れ果てた記憶が残っている。

〇国会中継 1:08:50~1:19:40辺りの答弁

https://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=54334&media_type=

 何でも都合の悪いことは所轄外で通すのかな。でもね、閣議において、それが例え持ち回りであっても合意して署名している筈なんだがな。

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周りが賑やかになった

 夏鳥と呼ばれる渡り鳥の声が、一気に増えてきた。早朝からというより一日中不如帰が鳴いている。夏鳥だけでなくカワラヒワ、キビタキ、ホオジロ、四十雀、ヒヨドリ、トビ、キジもいるしコジュケイもいる。スズメの声も艶めいてきた。畑の上で、ヒバリが鳴いている。ウグイスは依然として鳴き続けているし、コムクドリも騒々しい鳴き声を聴かせる。サンショウクイもいそうだ。河原に行くとオオヨシキリが来ているようだ。今年まだ聞いていないのはセンダイムシクイ、ツツドリ、アオバヅク、サンコウチョウ、ミソサザイなどなど、彦山にでも行けばもっと色々聞けるのだが何だか行く気になれない。

 昔は百種以上は楽に聞き分けていたように記憶しているが、今では百種類いくだろうか。それも典型的な囀りを聞いた場合で、地鳴きで聞き分けることができるのはその半分くらいだろう。姿が見えればもう少し可能だと思うが、野外でかつ老眼であるとすれば多くは望めない。社会で起こる事件を観ていると、双眼鏡を持ち歩くのも憚られる様な気がしている。

 水辺の鳥であるサギの仲間は余り声が良くない。でも姿を見ることができるのである程度の識別はできる。これから田植えの季節になるのだが、田んぼの周辺では、コサギ、アマサギ、チュウサギ、ダイサギ、アオサギを良く見る。夜間には空を飛ぶゴイサギの声をよく聴く。キセキレイとセグロセキレイは良く見る。マガモであるのに渡りをせずに住み着いている番いがいる。アヒルの原種であるからそんな事もあるのだろう。クイナとバンは声を聞くだけで、姿をみることはほとんどない。近くの原鶴温泉は観光鵜飼いで知られているが、昼間に野生の鵜が編隊を組んで飛んでいる姿を見ることがある。カワウだと思っていたら、あれはウミウであると教えられた。こんな内陸までウミウが来るのかと訝しくおもったのだが、筑後川沿いに久留米市までは分布しているらしい。それなら納得、でも養魚場にとっては天敵らしい。

 今日は朝から桑の収穫、出荷は家族に任せてその後はジャンボニンニクの収穫をした。普通のニンニクであれば収穫で苦労することはないのだがジャンボニンニクの収穫はサトイモ掘りと同じくらい重労働である。夕方までかかった。掌が遅発性圧迫性アレルギーで痒くてたまらない。世の中は日曜だというのに、何でこんな時間まで働かなければならないなどと愚痴った罰である。元気で働けて良かったと感謝しなければならなかったようだ。

 

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排水路整備

 5月6日に書いてアップするのを忘れていた。

 今日は排水路整備の日、昨日からの雨はまだ降り続いているが、少々の雨であれば無視して決行するのが常である。午前8時に集合場所に行くと誰もいない、しまった何か間違ったらしいと全てを知っているSさんに電話をすると10時半からだという。一旦家に帰り再度出動、びしょ濡れになりながらの草切り、排水路に入っての作業は増水しているため中止となった。買って10年ほどたつ作業用のレインコート、全く水をはじかない。皆さん、立派なレインコートを着ている。あんたのレインコートは濡れとるばい、スプレーを定期的にせにゃなどといじられながら作業は終了した。確かに私だけ、体調を崩したニワトリみたいに濡れそぼっている。

 周りの人々にとってレインコートはSSを使う農薬の散布時に必須である。年に数十回は使う必需品である。ところが散布する薬剤には展着剤(界面活性剤)が含まれているため、高級なレインコートであっても撥水性はすぐに低下する。使用後によく洗ったあと定期的に撥水スプレーを噴霧するのは、ルーチンの作業である。一方私は無精者なので、基本的に雨の日は働かない。レインコートを着るのは、こうした共同作業の時と、田植えの日くらいである。そして着用するレインコート自体の品質もかなり低い。まあ、あんたのレインコートはと、軽くいじられるのは、そう言える人間関係が出来たのだとポジティブに受け取って明るく作業をこなしてきた。

 私の作業能力は他の人に比べればかなり低い。それは自認している。地域の人達にとってはそんな事は織り込み済みであり、私の労働力に大きな期待をかけているわけではない。それよりも、地域の色々な行事に参加する参加する気持ちがあるかどうかが問題である。参加さえすれば、何でも教えてくれるし、有益な情報もくれる。10年以上経って、ようやくこの地に根付いてきたような気がしている。

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