ペントースリン酸経路への異論・・・1

 いま一つ大きな影響を受ける系路がある。ペントースリン酸経路である。この系路には多くの別称があり、初学者にとっては難解きわまりない系路である。これは幾分飲み込みの悪い筆者の感想であるとはいえ、同時に、二十数年の間生化学という講義を行ってきた教育者としての感想でもあるため、多分正しいに違いない。このペントースリン酸回路は、光合成における還元的ペントースリン酸経路に対し、酸化的ペントースリン酸経路と呼ばれることもある。また、ヘキソースリン酸経路 、ホスホグルコン酸経路 、単純にペントース経路 あるいはワールブルク・ディケンズ経路とも呼ばれる。私は大学の4年になるまで、ペントースリン酸経路はヘキソースリン酸経路は別物だと思い込んでいた。

 さらにこの経路内で起こるトランスアルドラーゼとトランスケトラーゼに触媒される炭素–炭素結合の切断と形成は、なかなか理解が難しかった記憶がある。有機合成においてアルドール縮合を経験した後で、これらの反応を改めて見直した時にそうなのかと了解した。理解の遅さに感動した記憶がある。とにかく、7単糖、6単糖、5単糖、4単糖そして3単糖のリン酸エステル群が、トランスアルドラーゼとトランスケトラーゼと呼ばれる二つの酵素によって華麗に相互変換をするスキームは、私には美しすぎたようだ。当時の私は、トランスアルドラーゼとトランスケトラーゼの反応メカニズムを何とか理解しようとする事に注意が向け過ぎて、この系の持つ意義についての考察には頭が回らなかった記憶がある。読者の方々はどうなんだろう。スムーズに理解されたのだろうか。

 いま一つ理解が遅れた原因は、この系の意義を解糖系の側路であるとして説明されたからだ。この系を6回回ると結果的に1分子のグルコールが6分子とCO2と2分子のNADPH2へと変換されるという説明を受けた。まだ素直だった筆者が、グルコース–6–リン酸からの代謝系を何度も何度も辿って見たのだが、なかなかそういう計算にはならない。経路図を見ても出口がどこなのかがどうしても分からない。さらにだが、経路の出発物がグルコース–6–リン酸なのかグルコースなのかも分からない、ここがはっきりしないとATP収支も計算できない。それどころか、解糖系の側路と書かれている場合でも出発物質はグルコースではなくグルコース–6–リンとしている。出発物質をグルコースとすると、嫌気的条件下でのATP生合成という解糖系のドグマに反するのが原因なのだろうか?

 例えばだが、ウィキペディアでペントースリン酸経路の説明に付けられている図を引用する。

ウィキペディアのペントースリン酸経路の説明に付けられている経路図

 この図を見てグルコース−6ーリン酸が出発物質であろうことは読み取れるが、どの化合物がいわゆる出力であるかを読み取ることは難しい。以下に示す他のサイト等も参照してほしいのだが、分かり難さにおいては同様である。これはこれらの記事を誹謗しているのではない。現在の解糖系の側路としての存在意義を維持した上で説明しようとすれば、そうならざるを得ない現実が有ると考えている。

http://www2.huhs.ac.jp/~h990002t/resources/downloard/15/15biochem3/03sugarcatabolism_2_15.pdf

http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/hms.htm

 じつは話の都合で大事なことを端折って議論を続けている。この系の存在意義に関する議論である。話を始めに戻して、落ち着いて考えることにする。ペントースリン酸経路の意義について、まず一般的に認められていることを整理しよう。第一の意義は、先に書いた解糖系の側路として糖代謝の一翼を担っていること。第二の意義は、この径で脂肪酸合成、コレステロール合成、光合成などに必須な還元剤である補酵素NADPH2の生産を行うこと。第三の意義は、核酸合成の原料であるリボース-5-リン酸を供給すること。この三つの機能がペントースリン酸経路の存在意義であるとされている。思うに、これは少々目的を盛り込み過ぎではないだろうか。一つの経路に全くベクトルの違う3種の目的を持たせて、かつそれらの目的に対応する合理的な制御システムを構築するなど神業であるとしか思えない。とすれば、1から3のなかでどれが生存に不可欠なものであろうか。

 まず第一の意義について考えたい。エネルギー資源の獲得が世界の覇権を意味していた20世紀においては、この考え方が生物における代謝系の研究に対しても有効な枠組みとして機能していた。いわゆる ”Zeitgeist” (時代精神)であろう。この枠組みの中では、エネルギー生産を担うとされた解糖系とTCA回路を重視し、それ以外の糖代謝系を解糖系とTCA回路に関係づけようとする時代の意志が無理なこじつけを強いていたように感じる。筆者は一連の議論の中で、解糖系とTCA回路の持つエネルギー産生機能を、さほど重視しない視座からの眺望を表明してきた。つまり解糖系においては 動物と植物の間で代謝のベクトルを基礎に、糖新生系を重視した解釈を行い、TCA回路においては電子伝達系との連接を緩めてエネルギー生産の意義を薄めるだけでなく、系内に存在する α–ケトグルタル酸を原料とする核酸生産系を重視する解釈を提唱したきたわけだ。

 さて、ペントースリン酸経路を無理なく理解するには、やはりこの系をエネルギー獲得の為の糖代謝系であるとする頚木から解き放つ必要があると思う。つまり、このペントースリン酸経路が解糖系の側路であるという捉え方をしないことを意味する。エネルギー生産に関しては、この経路がなくてもEM経路、エントナードルドロフ経路、ピロ解糖系、TCA回路、そしてそれらに連なる酸化的リン酸化反応があるではないか。植物であれば光合成の–いわゆる明反応において、生存に必要なATPとNADPH2は充分に生産されている。嫌気性微生物においても酸素以外の物質を最終電子受容体として利用する嫌気呼吸によってATPが作られている。ペントースリン酸経路が働いた時に、ほんの少しだけ解糖系と共通する物質を解糖系に流入させるが故に解糖系のバイパス的な意味合いがあるとされていると思われるが、ここでの議論においてペントースリン酸経路がエネルギー生産を担う代謝系であるという系の存在意義に関しては否定しておくことにする。

 ということで、次回の投稿ではペントースリン酸経路の第一の意義と第二の意義を完全に否定するつもりである。それは一寸やり過ぎではないかと思われる人が多いと思う。でも、そうして宣言しておかないと、右顧左眄に満ちた文章しか書けない。常識を否定するにはかなりな精神的エネルギーが必要であるばかりでなく、真実は少数派から始まるという思い込みが欠かせないからである。

 

 

 

 

 

 

 

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