続・バヌアツの法則

 先日の地震、被災者の方にはお見舞いを言うしかないのだが、まだ終わっていないのかもしれない。熊本の地震で懲りた気象庁は余震という表現を使わなくなっただけでなく、続いて起きる地震の強さを先に起こった地震と同じ程度、あるいはもっと強い地震が起きても誤報といわれないように、単に強い地震に注意という表現に変更したようだ。

 それは良いとして、困ったことに今日の午前中にトンガでM6.7、バヌアツでM6.7の地震が起こっている。中央構造線の真上の和歌山で群発地震というニュースがあったし、三宅島で大量の魚の漂着が報道されていた。バヌアツの法則が本当であれば、日本での地震はまだ続くかもしれないということだ。場所や時間までは特定できないにしても、少しだけ注意をしておいたほうが良いのかもしれない。歴史的に見ると、三陸沖の巨大地震と関東の直下型地震、そして東南海あるいは南海の巨大地震はセットになって起きているように見える。何月何日に起こるとか、何時何分に起こるという予言めいたものは信じないにしても、国が備蓄の必要性を語り、TVが地震特集番組を放送するようであれば、何か発表できない予兆があるのかもしれないと解釈して良いだろう。

 さらに恐怖心をあおるつもりはないが、火山の噴火(富士、箱根など)も連動する可能性を頭においていたほうが良いだろう。私の住んでいる中九州であっても、中央構造線の活動に影響される久住山や阿蘇山からさほど遠くはない。かなり大きな水縄断層はすぐ近くを走っている。日本中、安全なところはないという自覚を持って用意するしかないでしょう。株価は能天気に上がっています。大地震の前には土木建設関連の株価が上がるという都市伝説がありますが、スピリチュアルな予言より、こちらの方が良く当たるかもしれないな。私は株に手を出していないので関係ありません。今から切り株を掘りに行ってきます。

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バヌアツの法則

 妄想論である。陰謀論も好きなのだが、妄想も大好きである。いや、だからといって私だって信じているわけではない。ただ、経験則としてよく連鎖する傾向を持つ事象があるとすれば、少しだけ用心して気を引き締めて生活する。それだけである。

 過去にさかのぼってみると、バヌアツ付近でM6以上の地震が起きると、2週間以内に同等もしくはそれ以上強さの地震が、日本でも高い頻度で発生しているため、“業界”では「バヌアツの法則」と呼ばれている。太平洋プレートが関与しているようで、統計的には、バヌアツと日本には、6~7割の確率で、地震が連動するという。

 日本時間の10日、午後10時すぎに南太平洋でマグニチュード7.7の大きな地震が起こり、バヌアツで最大78センチの津波を観測した。アメリカ海洋大気局は、日本時間の11日までに周辺の島への津波のおそれはなくなったと発表した。これはバヌアツの法則が発動しそうな地震であることから、一寸怖いなと思っていた。さらにだが、山梨県で強くはないがM3程度の地震が今日の午後8時頃起こっていた。この地方で地震が起こると関東地方で地震が続くような気がしていた。

 福島県の沖でかなり大きな地震が起こった。当たったとはいえ単に予感が当たっただけで、私に学問的な基盤があるわけではない。いつも言うようだが、予感があれば数日間は一寸だけ気を引き締めて生活するというに過ぎない。今日は、そんな予感があったがゆえに、備蓄という意味で、醤油と味噌を少々買い足してきたところだった。

 多くの人がコロナ感染症だけにとらわれているが、我が国には原子力緊急事態宣言が継続して発令中である。原子炉は冷温停止状態になっただけで、冷温停止したという報道はなかったと思う。今回の地震、場所が場所で最もいやな場所で起こったことを考えれば、福島原子力発電所1〜4号機に大きな被害がないことを願っている。

 

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予感と予想

 結局、アメリカの大統領選は完全に終わったわけではなさそうですね。確認しようのないニュース擬が流れ放題です。でもその中に真実があるかもしれないところが悩ましい。いつまで荒れるのか、報道によるデータの不足と信頼性のなさが重なって予想不能というのが正しい予想でしょう。事実が報道されたにしても、アメリカ憲法と連邦政府の決める法律、そして州法についての知識がないのだから、分かるはずはない。予想できるのは、まだまだ荒れるでしょうということだけ。ここ10日ほど溜まっていた熔岩が噴き出すような混乱が起きそうな気がする。これは予想ではなく単なる予感です。BLMがノーベル平和賞候補、驚いた。でもオバマ氏もノーベル平和賞だったな。

 一月の19日だったかな、WHOがPCRのct値に関して、減らせと明言してはいないものの適切な値をつかうようにとの発表を行った。これで、患者数は激減するだろう。バイデン政権とワクチン接種推進勢力への援護射撃かと邪推した。間違いなく、感染者数は半減いやもっと減少すると予想する。バイデン政権のコロナ対策とワクチンのおかげで功を奏したというマスコミの報道が目に見える気がする。ただし、死者数は増えるかもしれない。もっとも、死亡原因を他の病気に付け替えれば、コロナ原因での死者数は操作できると思うので、全体での死者数を見ていかなければならないだろう。予想です。

 ワクチンの接種が始まっているようだが、どうしてファイザーはワクチン事業から撤退するんだろう?ワクチン接種で死亡あるいは強度の副作用(理由は不明だが近ごろ副反応という言葉に変更された)を引き起こす人の数は倍増すると予想する。さらにこのワクチン、開発時間から見てAde(抗体依存性免疫増強)に関する試験をスルーしているに違いない。そうだという報道もある。とすれば、ワクチンに起因する死亡者も増えてくるだろう。もう少しだけ、様子見をする方が賢いと予想する。それにしても、ワクチンの効果の持続時間はどれくらいだろう。3ヶ月なら年4回、半年なら年2回、1年であっても毎年、この接種騒ぎを続けるつもりだろうか。さらに暗い予測だが、接種回数が増えるに伴い、アナフィラキシーショックの可能性も増えると予想する。

 アビガン、イベルメクチン、ヒドロキシクロロキンはなぜ認可されないのか。相当強い力が働いているように感じている。それが何処から来ているのかは、推測は出来るが確証はない。ヒドロキシクロロキン、トランプ氏が効果があるといった後、そんなものは効かないという報道があふれ、いつの間にかお蔵入りになった。近ごろ、やはり効くのではないかという報告が出始め、ワクチンの接種が始まったタイミングで、アジアで第2位の生産量をもつ台湾のヒドロキシクロロキン製造工場が火事で焼失した。予想していいのかな。陰謀論といわれそうだ。

 バチカンがイタリアのレオナルディ軍事衛星を使ってアメリカの大統領選挙に関与していた(事実かどうかいまひとつ続報がでない)という報道があったのだが、1月10日以降イタリアのコンテ首相が辞任、レンツィ氏も連立離脱、ガセネタかもしれないと思うが、上記の出来事にローマ法王逮捕説やバイデン氏の未就任説、ワシントンホワイトハウスでの大量逮捕説、エストニアのラタス首相は辞意表明、オランダのルッテ首相が辞任、ミャンマーで軍事クーデターなどなど、政変が絡んでくる。ロスチャイルド家の当主であるベンジャミン・ド・ロスチャイルドも57歳の若さでなくなった。バチカン銀行の元頭取の有罪判決もあった。閣僚の辞任を加えれば、覚えきれないほどだ。表向きの理由はいろいろあるのだが、これらはどこかで繋がるのかそれとも繋がらないのか。さらに何故、ガセネタが流布するのか。考えていると訳が分からなくなってくる。なんの関係もないと思われているアブシジン酸とルヌラリン酸とフラボノイドを関係づけようとするような人間だから、それなりのストーリーを作ってはいるが、とても書けるような内容ではない。

 とにかく世界が予想するのも難しい状況にあるということを自覚して、それなりの対策をとっておく必要を少しばかり感じている。それは予想かと聞かれればそうではない。空気の騒めきを感じているというだけ。何だか大きな変化が起こりそうだという予想ではなく、頼りない予感である。今回の雨は危なそうだとか、身なりは立派だけどこの人危なそうだとか、今日は何となく怪我をしそうだなど、明確な証拠はないのにそう感じるという程度のものである。何もなければそれでよし、暫くの間少しだけ緊張して暮らす、表向きは生活にメリハリをつける程度のものである。でもね・・・。

 

 

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食費がかからない生活

 柑橘類が好きである。とは言っても、非常に甘い「せとか」とか「ポンカン」とかではなく、甘夏あるいは八朔の方が好みである。毎日4~5個くらい食べている。自宅の庭にあるスイートスプリングやスイートレモネードもなかなか美味い。幾度となく高級ホテル(泊まった訳ではなく、講演会などが開かれたので参加しただけの話)のラウンジでオレンジジュースを飲んだことがあるが、霜が降りてキンキンに冷えたスイートスプリングを搾ったジュースの方がはるかに美味しい。剪定をしたり草を取ったり、時には肥料をやったりと、少しだけ手間がかかるとは云え、植えるだけの土地があるという余裕がもたらす贅沢だろう。

 甘夏の話だが、山の栗畑の近くのYさんは、甘夏の木を10本以上植えている。多分だが、10年程度の樹齢の木だと思う。土地にあっていると思うのだが、毎年果実がブドウのように鈴生りになる。グレープフルーツと同じである。昨年から彼は、友人や近所の人達に自由にちぎらせていたのだが、まだまだたくさん残っていた。先日、私が八朔好きであることを伝え聞いたYさんが、私に自由に採ってくださいという。よく知っている人なので、遠慮なく収穫させてもらった。コンテナ6個が満杯になった。さすがにそれ以上は気が引けたので遠慮したのだが、まだたくさんなっている。お礼として、別の方からもらっていた広島の牡蠣の半分を進呈した。一昨日、まだお礼の方が少ないと思い、秋に収穫して土の中に囲っていたタケノコ芋を持っていった。彼は猟師である。400mくらい離れたところにいる鹿を撃てる腕と高価なライフル、そして散弾銃も持っている。先日はどうもとタケノコ芋を手渡したら、ちょうどよかったと、数日前にとれたという鹿の肩ロースをもらった。借りが増えたかな?

 家に帰ると、土地を借りている地主さんからイチゴが届いていた。ただ甘いだけの「あまおう」ではなく、適切な酸味のある豊の香」である。近所で作られていない品種の野菜を作り、売るのは売るのだが残りは自家消費と近所へのお裾分け、できが良いわけではないが珍しければ喜ばれる。そこから藁しべ長者への連鎖が始まるのである。こうした人間関係を鬱陶しいと感じる人がいることは知っている。彼らはそれが苦痛で、都会の壁の中で暮らす。私は、全く苦にならない。格好をつけずにすべてを見せておけば、困ったときに助けてもらえるのだからこんな良いことはない。車が溝に落ちても、すぐに何人か集まって上げてくれる。トラクターが泥濘に埋まっても、大型のユンボが救出に来る。米は自給、ジャガイモとサツマイモは保存中、味噌は半手作り、菜っ葉は自給、大根、ビート、コールラビは生育中ということで、ほとんど食費がかからない。さらにだが、世の風潮に従って、遠くへの外出はしていない。家にいれば薪ストーブがあるので、灯油代はかからない。さらに、共同井戸に加入しているので、年に二回の掃除に参加すれば水代は年に2万円を超すことはない。

 悪いことは、日が暮れると急に暗くなり慣れるまでは都落ちした気分になる、夕方から急に寒くなる、夜遊びする場所が少ない、夜道にシカとイノシシがでる、ちょっとだけ若者が少ない、それくらいかな。先日の夜タクシーの運転手さんが、道にいた大きなイノシシをはねた。意識的だったそうなのだが、とにかくジビエとして4万円で売れたそうだ。とはいえ、修理代で8万円かかったという。イノシシには対物保険はついていなかったようだ。

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ABA生合成系に見る時間の残滓 2

 さて、何度も書いたが原則としてルヌラリン酸は苔類以下の下等植物に分布し、生育抑制型の生長調節物質として機能しているらしい。そのルヌラリン酸はスチルベノイドに含まれる。高等植物への道を歩き始めた植物において、スチルベノイドの生合成系が同じ根っこを持つフラボノイドの生合成系へと切り替わったと考えれば、ABAとルヌラリン酸、フラボノイドとスチルベノイドの分布実態をある程度体系的に的に説明できる。天然物化学といわれる分野においては、こんな化合物がある、あんな化合物がある、こんな生理活性があるという情報は数えきれないほどある。

 そして、それらをある生合成系で生産される化合物群の中に分類することで、満足していたようにだ。一つ一つの化合物の存在意義については、代謝系中にある生理活性の高い化合物を選び、それ以前の経路に属する化合物群を○○生合成系の前躯体、それ以降の化合物群を○○の生分解系に属する生分解産物として済ましてきたのではないか。私はこうした体系的ではない説明に満足できなかった。この部分に関しては、ケシが作るモルヒネを例にあげ、「ケシはなぜモルヒネを作るのか? その1~6」で議論しているので、再確認して欲しい。

 少し脱線したようだが、とにかく高等植物、即ち陸生植物への道を辿り始めた植物はルヌラリン酸の生合成系を、陸上へ進出した頃ー言い換えれば苔類から蘚類へ進化した時期に喪失したことを意味する。構造やUV吸収を見るとスチルベノイドも太陽光に含まれる紫外線への防御能を持っていることは間違いない。この紫外線への防御という部分に関しては新たに生合成が始まったフラボノイドが十分にカバーできたに違いない。あれ、よく考えてみればこの現象も、生物の紫外線防御という分野における低分子防御物質の進化(乗り換え)という概念で捉えることができる。この点についてはもう少し考察を深める必要がありそうだ。

 元の文脈に戻る。いわゆる下等植物はスチルベノイドという物質群を失ったわけだが、その際ルヌラリン酸という生育抑制型の生長調節物質なしで、その生を全うできるのだろうか。高等植物におけるルヌラリン酸のエクイバレントと考えられているアブシジン酸の果たすいくつもの大事な役割を考えれば、それはないだろう。私の考えに乗った話だが、スチルベン生合成系がフラボノイド生合成系に切り替わった時、ルヌラリン酸の役割はアブシジン酸へ継承されたと考えるのが合理的判断ではないか。こんなことをいうと仮設の上に仮説を重ねるなと非難されそうだが、この二つの仮説はシークエンシャルな構造ではない。スチルベン生合成系の喪失に伴い、スチルベンが担ってきた機能をどのような化合物群が継承したのかという形の仮説群であり、片方が否定されたからといってもう一つの仮説が崩壊するというわけではない。さて、それではこのスチルベノイド生合成系からフラボノイド生合成系への切り替えはいつ起こったのか?

 この仮説を思いついたのはいまから40年ほど前であった。どうすれば、この仮説を証明できるのかと考え続けてきたのだが、なかなか解決の糸口が見つからず20年を超す年月を過ごした。当たり前の話である。少なくとも数億年前に起こった生合成系の進化に伴う生理活性物質の乗り替えを証明するなど、常識的に考えれば愚の骨頂といわざるを得ない。ただし、当初は単なる思いつきに過ぎなかったとはいえ、本人としては何となくいけそうなと予感はあった。丁度その頃、名古屋大学のM先生と一週間ばかり旅をしたことがあったのだが、彼は笑いながらも私の話を丁寧に聞いて下さった。考えをまとめる上で、適切な質問と助言を頂き、非常に有り難かったのだが、最後にこう言われた。発想は日本人離れしたもので非常に面白い。君の仮説が成立する可能性は十分あるだろう。だが、どうやってその話を証明する。証明するに値する確としたデータを提出できなければ、君はピエロに過ぎない。反論はできなかった。そして近年、ようやく糸口を見つけたと思っている。

 では、乗り換えの時期を絞るにはどうすればよいか? 現在ではアブシジン酸とルヌラリン酸の分布に関してかなり混乱して理解しがたくなってきたが、これには分析技術の進歩も一役買っている。アブシジン酸がシアノバクテリアに分布するといった場合、この事実はアブシジン酸がシアノバクテリア中で制御物質として働いていることを無条件に意味するわけではない。同様に、ルヌラリン酸がアジサイの仲間に含まれるからといって、これがホルモン的に働いているわけでもなさそうだ。この両化合物の分布と生物体内での役割は、当初の考え方で大きく間違ってはいないと思われる。

 とすれば、藻類・苔類から蘚類・維管束植物への進化時期がルヌラリン酸からアブシジン酸への乗り換え時期と重なると推測できることになる。そしてこの時期はまた、植物の上陸とほぼ同時期であることを意味する。植物が陸上にあがったのは5億年ほど前だといわれているのだが、この時代は地球の歴史の中で非常に大きな変化のあった時代である。この時代の少し前、とはいっても約7億3000万年前~約6億3500万年前という長い時間ではあるものの、この間にスターチアンおよびマリノニアン氷河期と呼ばれる全球凍結〔地球全体が凍結した時代〕があったことが知られている。きわめて興味深いのはこの氷期の終結に際して、大気中の酸素濃度の急上昇がみられることである。二度目の氷期の終わりの酸素濃度は、以前の1%から現在とほぼ同じレベルまで急上昇したのである。(私見です。非常に面白いのは動物は酸素濃度の上昇とともに大発展を遂げ、酸素濃度の急減に伴い絶滅を繰り返してきたのに対し、植物は酸素の急減ではほとんど影響を受けず酸素濃度の急上昇に伴い種の減少を繰り返してきたようだ。当たり前だといえば当たり前、容易に推測できることである、)

 太陽からは生物にとってきわめて危険な波長の紫外線が照射されている。我々が、太陽光を浴びても日焼け程度のやけどですんでいるのは、オゾン層のおかげである。二度の氷期を通して、酸素レベルの急上昇が起こったため、地球にオゾン層が成立した。フラボノイドとカロテノイドが紫外線防御において大きな役割を果たしたなどと言ってはいるが、それ以前に起こったオゾン層の成立こそが、生物の陸上への進出の基本的条件だったのである。オゾン層で吸収された残りの紫外線に対して、カロテノイドやフラボノイドなどが有効に働いたのである。

 ここで、興味深いデータが存在する。それはカルコンシンターゼとスチルベンシンターゼのアミノ酸配列間にかなり高い相同性が存在するという事実である。これは、先に述べた陸上植物の出現の話と合わせると、植物の上陸に際してスチルベン生合成系に関与するスチルベンシンターゼに突然変異が起こり、フラボノイド生合成の初発酵素であるカルコンシンターゼに変わったことを意味する。そして生成してきたフラボノイド類も、太陽からの紫外線防御に有効であったことが、その後の植物の進化を可能にしたという物語が描けるのではないだろうか。では、この物語を科学にするにはどうすればいいか。カルコンシンターゼとスチルベンシンターゼが分岐した時間を決めればよい。その時期が植物の上陸の時期と一致するなら、それは先の物語を支えるデータとなるであろう。

 陸上植物は維管束植物とコケ植物に大別される。維管束植物は、ヒカゲノカズラ類、シダ植物と種子植物からなり、陸上植物の中で最も原始的なグループであるコケ植物には、苔類、蘚類、ツノゴケ類からなっている。この3系統のコケ植物と、維管束植物の間の系統関係についてはよく分かっていなかったが、Qiu et al. (2006)は、陸上植物のなかで苔類が最初に分岐し、次いで蘚類そしてツノゴケ類が分岐したという結論を導いている。蘚類とツノゴケ類の分岐の順序についてはまだ異論がありそうであるが、苔類すなわちゼニゴケの仲間が現存する最も古い陸上植物であることは、間違いなさそうである。

 ではどうすればカルコンシンターゼとスチルベンシンターゼの分かれた時期を推定できるか。分子進化学の教えるところによると、いろいろなタンパク質の進化における、アミノ酸1残基・1年あたりの進化速度(アミノ酸残基の置換速度)はタンパクごとに異なるという。最も速いのはフィブリノペプチドで、最も遅いのはヒストンH4である。これは両タンパクの、構造における制約の強さを表わしており、両者の進化速度の間には1,000倍に近い開きがある。とはいうものの、生物種が変わっても、同一種のタンパク質の進化速度はほとんど同じであるという。つまり、表現型レベルで急速に変化している生物群でも、何億年もの間ほとんど表現系が変わっていない生物群であっても、「分子レベルでの進化の速度はほとんど同じである」という驚くべき結論が得られている。

 つまり、多くの植物のカルコンシンターゼとスチルベンシンターゼのアミノ酸配列を求めた後、地質学的に知られている各植物の分岐時期を組み合わせると、各酵素の進化速度が求められる。進化速度が分かれば、分岐時期の分からない生物の分岐時間がアミノ酸配列の比較から推測できるわけである。タンパク質分子を分子時計として使うというこのアイデアは、かなり前から持ってはいたのだが、多数の植物についてカルコンシンターゼとスチルベンシンターゼのアミノ酸配列を決めるなどという実験を自分ではできなかったため、お蔵入りしていたものである。

 10年前にちょっとした事で意地を張り大学を辞めてしまった。大学を辞めたら、少し時間に余裕ができた。必要とする酵素のアミノ酸配列に関するデータベースも充実していたことから、昔の夢に再挑戦することにした。幸運なことに、ゼニゴケについてはスチルベンシンターゼ、それもルヌラリン酸の生合成に関与するスチルベンカルボン酸シンターゼのアミノ酸配列データが存在していた。そこで、水中から陸上に上がった原始植物に最も近いと思われる植物、つまりゼニゴケの持つこの酵素を基礎に思考実験を続けることにする。いやいや、何か大事なことを始めるためには、何かを止めなければならないようだ。この場合、収入の道を大学から年金へと変更したことを意味するのだが、収入は激減した。しかし、自由に使える時間は増えた。これが常識的な判断でないことは十二分に理解している。まあ正常な判断力が幾分かは残っているのだろう。・・・?

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