食費がかからない生活

 柑橘類が好きである。とは言っても、非常に甘い「せとか」とか「ポンカン」とかではなく、甘夏あるいは八朔の方が好みである。毎日4~5個くらい食べている。自宅の庭にあるスイートスプリングやスイートレモネードもなかなか美味い。幾度となく高級ホテル(泊まった訳ではなく、講演会などが開かれたので参加しただけの話)のラウンジでオレンジジュースを飲んだことがあるが、霜が降りてキンキンに冷えたスイートスプリングを搾ったジュースの方がはるかに美味しい。剪定をしたり草を取ったり、時には肥料をやったりと、少しだけ手間がかかるとは云え、植えるだけの土地があるという余裕がもたらす贅沢だろう。

 甘夏の話だが、山の栗畑の近くのYさんは、甘夏の木を10本以上植えている。多分だが、10年程度の樹齢の木だと思う。土地にあっていると思うのだが、毎年果実がブドウのように鈴生りになる。グレープフルーツと同じである。昨年から彼は、友人や近所の人達に自由にちぎらせていたのだが、まだまだたくさん残っていた。先日、私が八朔好きであることを伝え聞いたYさんが、私に自由に採ってくださいという。よく知っている人なので、遠慮なく収穫させてもらった。コンテナ6個が満杯になった。さすがにそれ以上は気が引けたので遠慮したのだが、まだたくさんなっている。お礼として、別の方からもらっていた広島の牡蠣の半分を進呈した。一昨日、まだお礼の方が少ないと思い、秋に収穫して土の中に囲っていたタケノコ芋を持っていった。彼は猟師である。400mくらい離れたところにいる鹿を撃てる腕と高価なライフル、そして散弾銃も持っている。先日はどうもとタケノコ芋を手渡したら、ちょうどよかったと、数日前にとれたという鹿の肩ロースをもらった。借りが増えたかな?

 家に帰ると、土地を借りている地主さんからイチゴが届いていた。ただ甘いだけの「あまおう」ではなく、適切な酸味のある豊の香」である。近所で作られていない品種の野菜を作り、売るのは売るのだが残りは自家消費と近所へのお裾分け、できが良いわけではないが珍しければ喜ばれる。そこから藁しべ長者への連鎖が始まるのである。こうした人間関係を鬱陶しいと感じる人がいることは知っている。彼らはそれが苦痛で、都会の壁の中で暮らす。私は、全く苦にならない。格好をつけずにすべてを見せておけば、困ったときに助けてもらえるのだからこんな良いことはない。車が溝に落ちても、すぐに何人か集まって上げてくれる。トラクターが泥濘に埋まっても、大型のユンボが救出に来る。米は自給、ジャガイモとサツマイモは保存中、味噌は半手作り、菜っ葉は自給、大根、ビート、コールラビは生育中ということで、ほとんど食費がかからない。さらにだが、世の風潮に従って、遠くへの外出はしていない。家にいれば薪ストーブがあるので、灯油代はかからない。さらに、共同井戸に加入しているので、年に二回の掃除に参加すれば水代は年に2万円を超すことはない。

 悪いことは、日が暮れると急に暗くなり慣れるまでは都落ちした気分になる、夕方から急に寒くなる、夜遊びする場所が少ない、夜道にシカとイノシシがでる、ちょっとだけ若者が少ない、それくらいかな。先日の夜タクシーの運転手さんが、道にいた大きなイノシシをはねた。意識的だったそうなのだが、とにかくジビエとして4万円で売れたそうだ。とはいえ、修理代で8万円かかったという。イノシシには対物保険はついていなかったようだ。

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