予感と予想

 結局、アメリカの大統領選は完全に終わったわけではなさそうですね。確認しようのないニュース擬が流れ放題です。でもその中に真実があるかもしれないところが悩ましい。いつまで荒れるのか、報道によるデータの不足と信頼性のなさが重なって予想不能というのが正しい予想でしょう。事実が報道されたにしても、アメリカ憲法と連邦政府の決める法律、そして州法についての知識がないのだから、分かるはずはない。予想できるのは、まだまだ荒れるでしょうということだけ。ここ10日ほど溜まっていた熔岩が噴き出すような混乱が起きそうな気がする。これは予想ではなく単なる予感です。BLMがノーベル平和賞候補、驚いた。でもオバマ氏もノーベル平和賞だったな。

 一月の19日だったかな、WHOがPCRのct値に関して、減らせと明言してはいないものの適切な値をつかうようにとの発表を行った。これで、患者数は激減するだろう。バイデン政権とワクチン接種推進勢力への援護射撃かと邪推した。間違いなく、感染者数は半減いやもっと減少すると予想する。バイデン政権のコロナ対策とワクチンのおかげで功を奏したというマスコミの報道が目に見える気がする。ただし、死者数は増えるかもしれない。もっとも、死亡原因を他の病気に付け替えれば、コロナ原因での死者数は操作できると思うので、全体での死者数を見ていかなければならないだろう。予想です。

 ワクチンの接種が始まっているようだが、どうしてファイザーはワクチン事業から撤退するんだろう?ワクチン接種で死亡あるいは強度の副作用(理由は不明だが近ごろ副反応という言葉に変更された)を引き起こす人の数は倍増すると予想する。さらにこのワクチン、開発時間から見てAde(抗体依存性免疫増強)に関する試験をスルーしているに違いない。そうだという報道もある。とすれば、ワクチンに起因する死亡者も増えてくるだろう。もう少しだけ、様子見をする方が賢いと予想する。それにしても、ワクチンの効果の持続時間はどれくらいだろう。3ヶ月なら年4回、半年なら年2回、1年であっても毎年、この接種騒ぎを続けるつもりだろうか。さらに暗い予測だが、接種回数が増えるに伴い、アナフィラキシーショックの可能性も増えると予想する。

 アビガン、イベルメクチン、ヒドロキシクロロキンはなぜ認可されないのか。相当強い力が働いているように感じている。それが何処から来ているのかは、推測は出来るが確証はない。ヒドロキシクロロキン、トランプ氏が効果があるといった後、そんなものは効かないという報道があふれ、いつの間にかお蔵入りになった。近ごろ、やはり効くのではないかという報告が出始め、ワクチンの接種が始まったタイミングで、アジアで第2位の生産量をもつ台湾のヒドロキシクロロキン製造工場が火事で焼失した。予想していいのかな。陰謀論といわれそうだ。

 バチカンがイタリアのレオナルディ軍事衛星を使ってアメリカの大統領選挙に関与していた(事実かどうかいまひとつ続報がでない)という報道があったのだが、1月10日以降イタリアのコンテ首相が辞任、レンツィ氏も連立離脱、ガセネタかもしれないと思うが、上記の出来事にローマ法王逮捕説やバイデン氏の未就任説、ワシントンホワイトハウスでの大量逮捕説、エストニアのラタス首相は辞意表明、オランダのルッテ首相が辞任、ミャンマーで軍事クーデターなどなど、政変が絡んでくる。ロスチャイルド家の当主であるベンジャミン・ド・ロスチャイルドも57歳の若さでなくなった。バチカン銀行の元頭取の有罪判決もあった。閣僚の辞任を加えれば、覚えきれないほどだ。表向きの理由はいろいろあるのだが、これらはどこかで繋がるのかそれとも繋がらないのか。さらに何故、ガセネタが流布するのか。考えていると訳が分からなくなってくる。なんの関係もないと思われているアブシジン酸とルヌラリン酸とフラボノイドを関係づけようとするような人間だから、それなりのストーリーを作ってはいるが、とても書けるような内容ではない。

 とにかく世界が予想するのも難しい状況にあるということを自覚して、それなりの対策をとっておく必要を少しばかり感じている。それは予想かと聞かれればそうではない。空気の騒めきを感じているというだけ。何だか大きな変化が起こりそうだという予想ではなく、頼りない予感である。今回の雨は危なそうだとか、身なりは立派だけどこの人危なそうだとか、今日は何となく怪我をしそうだなど、明確な証拠はないのにそう感じるという程度のものである。何もなければそれでよし、暫くの間少しだけ緊張して暮らす、表向きは生活にメリハリをつける程度のものである。でもね・・・。

 

 

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食費がかからない生活

 柑橘類が好きである。とは言っても、非常に甘い「せとか」とか「ポンカン」とかではなく、甘夏あるいは八朔の方が好みである。毎日4~5個くらい食べている。自宅の庭にあるスイートスプリングやスイートレモネードもなかなか美味い。幾度となく高級ホテル(泊まった訳ではなく、講演会などが開かれたので参加しただけの話)のラウンジでオレンジジュースを飲んだことがあるが、霜が降りてキンキンに冷えたスイートスプリングを搾ったジュースの方がはるかに美味しい。剪定をしたり草を取ったり、時には肥料をやったりと、少しだけ手間がかかるとは云え、植えるだけの土地があるという余裕がもたらす贅沢だろう。

 甘夏の話だが、山の栗畑の近くのYさんは、甘夏の木を10本以上植えている。多分だが、10年程度の樹齢の木だと思う。土地にあっていると思うのだが、毎年果実がブドウのように鈴生りになる。グレープフルーツと同じである。昨年から彼は、友人や近所の人達に自由にちぎらせていたのだが、まだまだたくさん残っていた。先日、私が八朔好きであることを伝え聞いたYさんが、私に自由に採ってくださいという。よく知っている人なので、遠慮なく収穫させてもらった。コンテナ6個が満杯になった。さすがにそれ以上は気が引けたので遠慮したのだが、まだたくさんなっている。お礼として、別の方からもらっていた広島の牡蠣の半分を進呈した。一昨日、まだお礼の方が少ないと思い、秋に収穫して土の中に囲っていたタケノコ芋を持っていった。彼は猟師である。400mくらい離れたところにいる鹿を撃てる腕と高価なライフル、そして散弾銃も持っている。先日はどうもとタケノコ芋を手渡したら、ちょうどよかったと、数日前にとれたという鹿の肩ロースをもらった。借りが増えたかな?

 家に帰ると、土地を借りている地主さんからイチゴが届いていた。ただ甘いだけの「あまおう」ではなく、適切な酸味のある豊の香」である。近所で作られていない品種の野菜を作り、売るのは売るのだが残りは自家消費と近所へのお裾分け、できが良いわけではないが珍しければ喜ばれる。そこから藁しべ長者への連鎖が始まるのである。こうした人間関係を鬱陶しいと感じる人がいることは知っている。彼らはそれが苦痛で、都会の壁の中で暮らす。私は、全く苦にならない。格好をつけずにすべてを見せておけば、困ったときに助けてもらえるのだからこんな良いことはない。車が溝に落ちても、すぐに何人か集まって上げてくれる。トラクターが泥濘に埋まっても、大型のユンボが救出に来る。米は自給、ジャガイモとサツマイモは保存中、味噌は半手作り、菜っ葉は自給、大根、ビート、コールラビは生育中ということで、ほとんど食費がかからない。さらにだが、世の風潮に従って、遠くへの外出はしていない。家にいれば薪ストーブがあるので、灯油代はかからない。さらに、共同井戸に加入しているので、年に二回の掃除に参加すれば水代は年に2万円を超すことはない。

 悪いことは、日が暮れると急に暗くなり慣れるまでは都落ちした気分になる、夕方から急に寒くなる、夜遊びする場所が少ない、夜道にシカとイノシシがでる、ちょっとだけ若者が少ない、それくらいかな。先日の夜タクシーの運転手さんが、道にいた大きなイノシシをはねた。意識的だったそうなのだが、とにかくジビエとして4万円で売れたそうだ。とはいえ、修理代で8万円かかったという。イノシシには対物保険はついていなかったようだ。

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ABA生合成系に見る時間の残滓 2

 さて、何度も書いたが原則としてルヌラリン酸は苔類以下の下等植物に分布し、生育抑制型の生長調節物質として機能しているらしい。そのルヌラリン酸はスチルベノイドに含まれる。高等植物への道を歩き始めた植物において、スチルベノイドの生合成系が同じ根っこを持つフラボノイドの生合成系へと切り替わったと考えれば、ABAとルヌラリン酸、フラボノイドとスチルベノイドの分布実態をある程度体系的に的に説明できる。天然物化学といわれる分野においては、こんな化合物がある、あんな化合物がある、こんな生理活性があるという情報は数えきれないほどある。

 そして、それらをある生合成系で生産される化合物群の中に分類することで、満足していたようにだ。一つ一つの化合物の存在意義については、代謝系中にある生理活性の高い化合物を選び、それ以前の経路に属する化合物群を○○生合成系の前躯体、それ以降の化合物群を○○の生分解系に属する生分解産物として済ましてきたのではないか。私はこうした体系的ではない説明に満足できなかった。この部分に関しては、ケシが作るモルヒネを例にあげ、「ケシはなぜモルヒネを作るのか? その1~6」で議論しているので、再確認して欲しい。

 少し脱線したようだが、とにかく高等植物、即ち陸生植物への道を辿り始めた植物はルヌラリン酸の生合成系を、陸上へ進出した頃ー言い換えれば苔類から蘚類へ進化した時期に喪失したことを意味する。構造やUV吸収を見るとスチルベノイドも太陽光に含まれる紫外線への防御能を持っていることは間違いない。この紫外線への防御という部分に関しては新たに生合成が始まったフラボノイドが十分にカバーできたに違いない。あれ、よく考えてみればこの現象も、生物の紫外線防御という分野における低分子防御物質の進化(乗り換え)という概念で捉えることができる。この点についてはもう少し考察を深める必要がありそうだ。

 元の文脈に戻る。いわゆる下等植物はスチルベノイドという物質群を失ったわけだが、その際ルヌラリン酸という生育抑制型の生長調節物質なしで、その生を全うできるのだろうか。高等植物におけるルヌラリン酸のエクイバレントと考えられているアブシジン酸の果たすいくつもの大事な役割を考えれば、それはないだろう。私の考えに乗った話だが、スチルベン生合成系がフラボノイド生合成系に切り替わった時、ルヌラリン酸の役割はアブシジン酸へ継承されたと考えるのが合理的判断ではないか。こんなことをいうと仮設の上に仮説を重ねるなと非難されそうだが、この二つの仮説はシークエンシャルな構造ではない。スチルベン生合成系の喪失に伴い、スチルベンが担ってきた機能をどのような化合物群が継承したのかという形の仮説群であり、片方が否定されたからといってもう一つの仮説が崩壊するというわけではない。さて、それではこのスチルベノイド生合成系からフラボノイド生合成系への切り替えはいつ起こったのか?

 この仮説を思いついたのはいまから40年ほど前であった。どうすれば、この仮説を証明できるのかと考え続けてきたのだが、なかなか解決の糸口が見つからず20年を超す年月を過ごした。当たり前の話である。少なくとも数億年前に起こった生合成系の進化に伴う生理活性物質の乗り替えを証明するなど、常識的に考えれば愚の骨頂といわざるを得ない。ただし、当初は単なる思いつきに過ぎなかったとはいえ、本人としては何となくいけそうなと予感はあった。丁度その頃、名古屋大学のM先生と一週間ばかり旅をしたことがあったのだが、彼は笑いながらも私の話を丁寧に聞いて下さった。考えをまとめる上で、適切な質問と助言を頂き、非常に有り難かったのだが、最後にこう言われた。発想は日本人離れしたもので非常に面白い。君の仮説が成立する可能性は十分あるだろう。だが、どうやってその話を証明する。証明するに値する確としたデータを提出できなければ、君はピエロに過ぎない。反論はできなかった。そして近年、ようやく糸口を見つけたと思っている。

 では、乗り換えの時期を絞るにはどうすればよいか? 現在ではアブシジン酸とルヌラリン酸の分布に関してかなり混乱して理解しがたくなってきたが、これには分析技術の進歩も一役買っている。アブシジン酸がシアノバクテリアに分布するといった場合、この事実はアブシジン酸がシアノバクテリア中で制御物質として働いていることを無条件に意味するわけではない。同様に、ルヌラリン酸がアジサイの仲間に含まれるからといって、これがホルモン的に働いているわけでもなさそうだ。この両化合物の分布と生物体内での役割は、当初の考え方で大きく間違ってはいないと思われる。

 とすれば、藻類・苔類から蘚類・維管束植物への進化時期がルヌラリン酸からアブシジン酸への乗り換え時期と重なると推測できることになる。そしてこの時期はまた、植物の上陸とほぼ同時期であることを意味する。植物が陸上にあがったのは5億年ほど前だといわれているのだが、この時代は地球の歴史の中で非常に大きな変化のあった時代である。この時代の少し前、とはいっても約7億3000万年前~約6億3500万年前という長い時間ではあるものの、この間にスターチアンおよびマリノニアン氷河期と呼ばれる全球凍結〔地球全体が凍結した時代〕があったことが知られている。きわめて興味深いのはこの氷期の終結に際して、大気中の酸素濃度の急上昇がみられることである。二度目の氷期の終わりの酸素濃度は、以前の1%から現在とほぼ同じレベルまで急上昇したのである。(私見です。非常に面白いのは動物は酸素濃度の上昇とともに大発展を遂げ、酸素濃度の急減に伴い絶滅を繰り返してきたのに対し、植物は酸素の急減ではほとんど影響を受けず酸素濃度の急上昇に伴い種の減少を繰り返してきたようだ。当たり前だといえば当たり前、容易に推測できることである、)

 太陽からは生物にとってきわめて危険な波長の紫外線が照射されている。我々が、太陽光を浴びても日焼け程度のやけどですんでいるのは、オゾン層のおかげである。二度の氷期を通して、酸素レベルの急上昇が起こったため、地球にオゾン層が成立した。フラボノイドとカロテノイドが紫外線防御において大きな役割を果たしたなどと言ってはいるが、それ以前に起こったオゾン層の成立こそが、生物の陸上への進出の基本的条件だったのである。オゾン層で吸収された残りの紫外線に対して、カロテノイドやフラボノイドなどが有効に働いたのである。

 ここで、興味深いデータが存在する。それはカルコンシンターゼとスチルベンシンターゼのアミノ酸配列間にかなり高い相同性が存在するという事実である。これは、先に述べた陸上植物の出現の話と合わせると、植物の上陸に際してスチルベン生合成系に関与するスチルベンシンターゼに突然変異が起こり、フラボノイド生合成の初発酵素であるカルコンシンターゼに変わったことを意味する。そして生成してきたフラボノイド類も、太陽からの紫外線防御に有効であったことが、その後の植物の進化を可能にしたという物語が描けるのではないだろうか。では、この物語を科学にするにはどうすればいいか。カルコンシンターゼとスチルベンシンターゼが分岐した時間を決めればよい。その時期が植物の上陸の時期と一致するなら、それは先の物語を支えるデータとなるであろう。

 陸上植物は維管束植物とコケ植物に大別される。維管束植物は、ヒカゲノカズラ類、シダ植物と種子植物からなり、陸上植物の中で最も原始的なグループであるコケ植物には、苔類、蘚類、ツノゴケ類からなっている。この3系統のコケ植物と、維管束植物の間の系統関係についてはよく分かっていなかったが、Qiu et al. (2006)は、陸上植物のなかで苔類が最初に分岐し、次いで蘚類そしてツノゴケ類が分岐したという結論を導いている。蘚類とツノゴケ類の分岐の順序についてはまだ異論がありそうであるが、苔類すなわちゼニゴケの仲間が現存する最も古い陸上植物であることは、間違いなさそうである。

 ではどうすればカルコンシンターゼとスチルベンシンターゼの分かれた時期を推定できるか。分子進化学の教えるところによると、いろいろなタンパク質の進化における、アミノ酸1残基・1年あたりの進化速度(アミノ酸残基の置換速度)はタンパクごとに異なるという。最も速いのはフィブリノペプチドで、最も遅いのはヒストンH4である。これは両タンパクの、構造における制約の強さを表わしており、両者の進化速度の間には1,000倍に近い開きがある。とはいうものの、生物種が変わっても、同一種のタンパク質の進化速度はほとんど同じであるという。つまり、表現型レベルで急速に変化している生物群でも、何億年もの間ほとんど表現系が変わっていない生物群であっても、「分子レベルでの進化の速度はほとんど同じである」という驚くべき結論が得られている。

 つまり、多くの植物のカルコンシンターゼとスチルベンシンターゼのアミノ酸配列を求めた後、地質学的に知られている各植物の分岐時期を組み合わせると、各酵素の進化速度が求められる。進化速度が分かれば、分岐時期の分からない生物の分岐時間がアミノ酸配列の比較から推測できるわけである。タンパク質分子を分子時計として使うというこのアイデアは、かなり前から持ってはいたのだが、多数の植物についてカルコンシンターゼとスチルベンシンターゼのアミノ酸配列を決めるなどという実験を自分ではできなかったため、お蔵入りしていたものである。

 10年前にちょっとした事で意地を張り大学を辞めてしまった。大学を辞めたら、少し時間に余裕ができた。必要とする酵素のアミノ酸配列に関するデータベースも充実していたことから、昔の夢に再挑戦することにした。幸運なことに、ゼニゴケについてはスチルベンシンターゼ、それもルヌラリン酸の生合成に関与するスチルベンカルボン酸シンターゼのアミノ酸配列データが存在していた。そこで、水中から陸上に上がった原始植物に最も近いと思われる植物、つまりゼニゴケの持つこの酵素を基礎に思考実験を続けることにする。いやいや、何か大事なことを始めるためには、何かを止めなければならないようだ。この場合、収入の道を大学から年金へと変更したことを意味するのだが、収入は激減した。しかし、自由に使える時間は増えた。これが常識的な判断でないことは十二分に理解している。まあ正常な判断力が幾分かは残っているのだろう。・・・?

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ABA生合成系に見る時間の残滓 1

 ここで植物の持つ色素、つまり「花の色についての試論1~7」が入る予定でした。とはいうものの、あの部分だけである程度まとまった話であるだけでなく書き終わっていたと云う理由で先にアップしていた訳である。一寸だけ読み返していただければありがたい。そこでだが、「花の色についての試論1~7」においては植物の色素についてはまあ一応の議論がなされているとして、それが「本題のアブシジン酸とルヌラリン酸にどこでつながるのか」というのが、読んでおられる方々の感想かもしれない。だが、つながっていないわけではない。その話をしよう。

 花の色素として重要な役割を果たしているカロテノイドは、現生生物だけでなく太古の生物においても.活性酸素の消去に働いてきた物質である。リコペンなど、嫌気的に作られるβ-カロテンまでの化合物群にも同様な生物活性があることはすでに述べた通りである。さてβ-カロテンは、大気中の酸素濃度の上昇に伴い出現したオキシゲナーゼの基質となり自らが酸化を受けることで、活性酸素だけではなく活性酸素の原料である「酸素分子そのものの消去」にも係わることになったと捉えている。この酸化反応はカロテノイド分子の色々な位置で起こるだけでなく、共役した二重結合をもつ炭素鎖の解裂まで起こすのだが、その連鎖した酸化反応の結果としてアブシジン酸の生合成が起こるわけである。つまり、カロテノイドやキサントフィルについての議論は、いわゆるアブシジン酸生合成の中間体についての議論なのである。アブシジン酸がアポカロテノイドに分類される理由である考えられるこの部分は、分かり易い議論であると思う。

 もう一つの通底する話は、フラボノイドに関する議論である。花の色としてのフラボノイド、植物のフラボノイドがポリフェノールの一種であり健康に良いなどと云う視点でからは決して見えないある関係が存在しているのである。見えない関係をどのように掘り起こすか。それはやはり生合成系をじっくりと観るところから始めるしかないのだが、いくぶん複雑な議論になる。

 一寸だけ回り道、二十代の終わりの頃、体力は無尽蔵にあると錯覚していた。徹夜明けなど何となく熱っぽくて、快調だと感じていた。だが、この感覚を人に強要するのは間違いである。それは理解していた。少し年を取って、少しばかり責任ある立場に立った時、改めて感じたことは、人は人それぞれのキャパシティを持つという当たり前のことである。これは動かしがたい事実であろう。さて、大学と呼ばれる職場に勤めていたのだが、第二次ベビーブームが去って18歳人口が120万人台に落ち込んでからの話ある。私立大学間の受験生獲得競争が激しくなり、高校生に媚びを売る競争が起こっていた。いまもである。オープンキャンパスの回数を増やそう、提示物を魅力的なものにしよう、演示実験を面白くしよう、お土産を持たせよう、接客態度?を良くしよう、学内をきれいにしよう、トイレを改修しよう、オープンキャンパス以外の日にも見学を可能にしよう、出前講義に行こう、入学前教育をしようと、デパート顔負けの集客策は止めどなく増え実行されていった。短期間であれば少々無理をすれば済むのだが、上記の施策のほとんどは年中行事である。そこでつけはどこに回ったか。在学生教育である。

 入学している学生は、途中退学さえしない程度に単位を出しておけば、4年の間学費は取れるという悪意ある判断を大学側が持っていたかどうかは不明だが、結果としてそのようなことが起こったことは否めない。いくつかの会議で、これらの策を実施する場合、いままで行ってきた何を止めるのかと質問したが、お前は大学のために頑張る気持ちはないのかと、私よりはるかに働いていない人達に非難された。空気に迎合して、正論らしき意見を声高に吐く人は嫌いである。当然の話だが、しわ寄せは在学生教育で起こっていた。分かりやすい授業を、試験における不合格の学生を減らせという施策も、その一環だったのかもしれない。しかしながら、人のキャパシティは決まっている。新しく大事なことを始めるのであれば、いままで行ってきた何かを捨てる必要があると考えている。

 さて、フラボノイド類はいわゆる高等植物と呼ばれる維管束植物にしか存在しない。そして、太陽光に含まれる有害な紫外線を吸収する能力が優れている。従って、上陸を果たした原初の植物が、後の陸上植物へ向かう進化の道を辿るに際して、大きく寄与したと考えられていることはすでに述べた。この意見はおそらく正しいであろうし、取り立てて異論はない。植物がまだ花という生殖器官を持っていなかったこの時期に、すでに花を彩る二種類の色素を獲得していたのである。

  では、そこに何も問題はないかと問われれば、そう簡単に頷くわけには行かない。問題とは、無いはずのところにあるのが常である。フラボノイドの分布を考慮すれば、原初の植物が陸上植物になろうとしていた時間の中でその生合成系を獲得したと考えて間違いはない。では、彼らは、フラボノイド生合成系の獲得と引き替えに、何を失ったのだろう。

  余談ばかり続けている気がする。大学にいた頃、学生による授業評価アンケートという制度ができた。習う側が教える側を評価するというもので、学生の評価をどう生かすかという点で侃々諤々の議論を巻き起こした制度である。文科省の方針を押しつけるのが仕事と思っていたらしい学長の説明では、分かりやすい授業、良い授業をするための方策であり、大学の将来に不可欠なものであるとのことであった。ただし、当然の話だが分かりやすい授業、良い授業とはどんなものかという説明はなされなかった。学生が教員を評価するなど失礼だ、教授の沽券に関わると激怒される方もいたし、時代でしょうと淡々とされていた方もいた。私は、卒業して5年あるいは10年を経過した卒業生の意見を聞いたらどうですかという提案をしたが、全く無視された。

 結局は授業評価アンケート委員会なる場所で、小骨ではなく椎骨を抜いたような質問項目を並べたアンケート用紙ができた。さらに、その授業評価アンケートの結果をどう評価するかという話が始まったときには、大学人もお役人だなと妙に感動したものである。一寸やけになっていたので、授業評価アンケートの結果評価委員会でもつくったらどうですかなどと言って、顰蹙を買ったものである。

  振り返ってみると、私が本当の意味での学問を始めたのは、全く理解できない講義に出会ってからである。大学に入学したとき、ラザフォード・ボーアの原子論くらいはなんとか理解していると思っていた。しかし、それは幻想であって、私にできたのは公式に従ってバルマー系列やライマン系列の軌道半径を求める程度のことであり、その物理学的・量子論的な意味について、全く無知な状態にあることにさえ気付いていなかった。そして、4月の第3週、その講義は

 「時間に依存しないシュレーディンガー方程式」は、HΨ=Eψで与えられる。水素原子のハミルトニアンは・・・極座標におけるラプラシアンは・・・。と始まった。

 いやはや主語と述語は聞き取れても、内容が皆目分からないという不思議な感覚を、生まれて初めて味わった。これが大学だと妙に感動した。帰りに量子論の本を4冊買った。そして、4月の小遣いはこれでなくなった。全く理解できない世界の存在を端的に示された、実に不親切だった先生にいまでも心から感謝している。もちろん、丁寧なプリントを用意して分かりやすい講義をされた先生もおられた。その努力は十分評価した、が?、授業中に分かったと思ったので、後は何もしなかった。まあ、これは錯覚だったのだが。では量子論はわかったのか。それ以降、本だけは沢山買った。鉛筆をなめながら読むのは読んだ。数学的に途中まで追っかけたのだが、それ以上は無理だった。概念的には分かったと思った瞬間があったが、近年これもまた錯覚だったように感じている。

 さて、私に対する授業評価の結果であるが、声の大きさ、板書のきれいさ、進む早さなどなどいろんな評価項目は、良くもなく悪くもなくという程度であった。この評価表には自由記述欄があったのだが、通常この欄に何かを書き込む学生は殆どいない。ところが、私の評価表の自由記述欄には、余談、雑談と書いた学生が半数を超した。雑談が面白かったと書いた学生が数人いただけで、残りの学生は良かったとも悪かったとも書いてない。しかし、講義がなにがしか記憶に残ったのであろうと納得している。とはいえ、講義とは落語に似ている。如何にして枕で学生を捕まえるか、ここに講義の成否がかかっている。数分の枕のために、今日的話題を新聞・週刊誌・学会誌・科学雑誌から探しまわるのに使った時間は、半端ではない。若い頃に、この時間を論文書きに当てていたらと思わないでもないが、うまくはまった講義後の満足感は捨てがたいものである。

 言葉の意味というよりある言葉が含む概念の範囲を正しく理解するには、語源まで戻ることが必要な場合が多い。英単語の意味をラテン語やギリシャ語まで戻って考えるなど、当たり前のことである。同じく、フラボノイドと呼ばれる分子群についても、その包括的な理解には生合成まで戻る必要がある。またもや、あの構造式の羅列に戻るのかと、気を重くするヒトもあるやに思うが、今回は割と楽である。ストーリーが大事なので、途中のごちゃごちゃしたところは書かないからである。


 フラボノイドの生合成経路ようやく本論

 上にフラボノイドの生合成系の系路図を再度示す。ただし、この図が全てを網羅してないことに注意して欲しい。桂皮酸からシンナモイルCoAを通ってクマロイルCoAになる経路を省いているし、コーヒー酸からの流れも省いている。マメ科植物に含まれ健康にいいとか悪いとかよく話題に上る有名な植物エストロゲンであるダイゼイン生合成系も省いている。何故そんなに省くのかって?一寸ばかり面倒に感じたのと、話の大筋に影響がないと考えたからである。

 フラボノイドはフェニルアラニンとチロシンに由来するが、この2つのアミノ酸はシキミ酸経路に由来する物質である。フェニルアラニンはPAL(フェニルアラニンアンモニアリアーゼ)によって脱アミノされ桂皮酸となる.桂皮酸はオキシゲナーゼによって4位に水酸化が起こりクマル酸となる。チロシンはTAL(チロシンアンモニアリアーゼ)の働きで4-クマル酸となってフェニルアラニンからの代謝系と合流した後、4-coumarate:CoA ligaseの触媒下にATPを消費しながらCoAと結合し4-クマロイルCoAとなる。ここまではリグナンあるいはリグニンに代表されるフェニルプロパノイド生合成系と同じ流れの上にある。(ただし、原初の植物がリグニン生合成系を持っていたわけではない)4-クマロイルCoAは、カルコンシンターゼ(CHS)と呼ばれる酵素の働きで3分子のマロニルCoAと連続的に縮合した後、芳香化反応を起こしてナリンゲニンカルコンを与える。このナリンゲニンカルコンがカルコンイソメラーゼによって分子内閉環したナリンゲニンがフラボノイド生合成におけるハブ中間体である。

 ナリンゲニンからはアピゲニンのようなフラボン類、ケンフェロールのようなフラボノール類、ジヒドロケンフェロールを含むフラバノール類が分岐していく。このように描いてあれば、どこに問題があるかと問われても、問題はないと応えざるを得ないだろうう。では、どこに問題があるのか?次の図を見て欲しい。


フラボノイドとスチルベンは同じ根っこを持っていた

 ややこしい名前で抵抗があるかもしれないが、クマロイルCoAに3分子のアセチルCoAが結合した9-(4’-ヒドロキシフェニル)-3, 5, 7-トリオキソ-8-ノネノイルCoAはカルコンになる直前の化合物である。前躯体といったほうがいいか、このポリケチド鎖は、クネクネしていて取り得る構造の自由度が高い。カルコンシンターゼと呼ばれる酵素の中に取り込まれたこの分子は、左側の構造を中間体として、ナリンゲニンカルコンを与える。ところが、スチルベンシンターゼという酵素の中に取り込まれた同じ分子は、右側の構造を中間体としてスチルベン類を与えるのである。さらにだが、フラボノイドとスチルベノイドは、植物における分布が原則として重ならない。高等植物は例外なくフラボノイドをもつが、スチルベノイドはごく一部の高等植物しか持たない。一方、下等植物はスチルベノイドを持っているが、フラボノイドは持たない。これらの事実を矛盾なく説明するとすれば、下等植物におけるスチルベノイド生合成系は、フラボノイド生合成系へと置き換えられたと考えざるをえない。言い方を変えよう、フラボノイドとスチルベノイドは生合成において、全く同じ根っこを持っていたのである。そして、我々が今問題にしているルヌラリン酸はスチルベノイドの一員なのである。

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いよいよ分からん、アメリカ大統領選

 明日の午前2時頃からアメリカに大きな動きがありそうなのだが、どうにも予想がつかない。こう言うと売田さんが勝ったではないかと軽く切り捨てられる。だが、ワシントンDCに集まった軍隊の数を見れば、言い方は悪いが殺すか殺されるかの争いのように見える。去年の8月頃から、この選挙は何であるのかといろいろな資料を読み漁ってきた。今の日本で、ロスチャイルドとかロックフェラーとかいうと、即座に陰謀論者とレッテルを貼られる。そうなると、何を言っても全く聞いてもらえなくなるので、私もできるだけ口にしないようにしてきた。しかし、ロスチャイルドがとかロックフェラーがと言った時点で陰謀論として議論を封じるのは無知蒙昧なリテラシーの低い人である。何故なら、ロスチャイルド系企業、ロックフェラー系企業と入れて検索をかけてみれば良い。世界の大企業がずらりと並んでいる。これらの企業から、アメリカの政界にどれだけの人間が登用されていたか。さらにだが、日本銀行はロスチャイルド系の私企業である。FRB(アメリカ中央銀行)もイギリス中央銀行もフランス中央銀行もロスチャイルド系の私企業である。日本の旧民主党、アメリカの民主党もロスチャイルド系に分類される政治団体である。一方、アメリカの共和党、日本の自民党はロックフェラー系の政治団体である。

 さらにだが、ニューヨークタイムズ、ザ・サン、ワシントンポスト、ロイター通信、ABC、NBC、CBSなどはロスチャイルド系企業であり、NBCテレビ、AP通信、USNEWSなどはロックフェラー系企業に分類されている。とすれば、一つのニュースが流されるとき、そのニュースがどのような価値観、立ち位置の報道機関から流されているのかを考慮するのは当然であると思うし、考慮しないに人の方がリテラシーに欠けると考える。もっといえば、第二次世界大戦前の日本人は、これらのことをよく知っていたし、関連する書籍もかなりあった。敗戦と同時にGHQの支配下に置かれた際、これらの書籍は廃棄させられたらしい。

 但し、ロスチャイルド系、ロックフェラー系と言っても、その内部は一枚岩ではないようだ。今回の大統領選、売田さんはごりごりのロスチャイルド系政治家に分類されそうだ。戸灯さんはロックフェラー系の政治家に分類されそうだが、ロックフェラー系企業がすべて応援しているわけではない。田舎の爺がこれ以上深堀しても、判断する材料がネット上にある情報とあっては、信頼性に欠けると思っている。ただ、ほぼすべてのSNSとメジャーなマスコミが戸灯氏の発言を封じ込めたことについては、強烈な違和感を感じている。日本においても、報道しない自由が大手を振って歩いている状況にあったことは認識していたが、国家の元首である大統領の発言を、私企業が封じるという信じられないことが起こったわけだ。

 おまえは戸灯応援団かと聞かれる場合が多い。応援するほどではないが、売田さんのバックについている人たちよりも、戸灯

の後ろにいる人たちの方がまだましだと云う判断であるに過ぎない。個人的な予想だが、売田さんが当選するとコロナが酷くなり、皆はワクチンを打たれ、戦争が起こり、中国経済への依存が加速すると判断している。他にもいろいろあるのだが、それらは大したことではない。ああそうだ、戸灯さんが19代大統領にと言う噂が流れているが、この19代の意味を理解している人がどれほどいるのだろう。もっとも、いくら言ってもごまめの歯ぎしり、なんの役にも立たないことは十二分に分かっている。そこを間違うほど耄碌はしていない。

 ずっとウェッブ上を彷徨って、メラニア夫人の最終演説を見つけこれを聞いた。

 思わず、安倍首相夫人と比べてしまった。

 さらにだが、

 も聞いてしまった。この中で「アメリカ」を「日本」に変え、プロンプターを使わず語ってくれる日本の政治家はいないものかと、無い物ねだりをしてしまった。このビデオを作ったのは一般社団法人 JCUというところである。さて、なぜ一般社団法人 JCUは戸灯さんを支援するのだろう。思うに、対中国政策の部分を評価しているのかもしれないな。よく分からない。

 あと数時間後に何が起こるか?それは分からない。場合によっては、寝不足がまだ続くかもしれない。時差があると、ニュースを追うにも体力が必要だ。寝るのが3時から4時、朝9時に起きると午前中の仕事が全くはかどらない。昼飯は抜きになる。体重が3Kg落ちた。健康的な減少ではなく、不健康な生活による体重減である。でも、ある意味で革命的な変化が起こるかもしれないと考えれば、これに立ち会える機会を得たことはすごく嬉しい。

 いまひとつ、ラピ・バトラの書いた「貿易は国を滅ぼす」という本の中で、未来を予測をするにあたり「軍人の時代」→「知者の時代」→「商人の時代」→「軍人の時代」→「知者の時代」→「商人の時代」という形で世の中は循環するという基本的考え方を述べていたのが記憶に残っている。さて、この考えを今のアメリカの適用したらどうなるのだろう・・・?

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