ABA 偽装隠蔽 2

 分子進化学が明らかにしたちょっと奇妙な結果は、生物種が変わっても、同一種のタンパク質の進化速度はほとんど同じ、つまり、表現型レベルで急速に変化している生物群でも、何億年間もほとんど変わらない種のものであっても、「同じタンパク質の分子レベルでの進化速度はほとんど同じである」というものである。この知見に従うと、1植物のもつ2種のカルコンシンターゼの進化速度がそれぞれ違うとなどいう安易な解釈はできない。当然の話であろう。では何が起こったか?

  先に何度か述べたが、植物においては、遺伝子の重複だけではなくゲノム全体の重複も珍しいことではない。こうして生成した同一機能を持つ遺伝子群のなかでは、少数の遺伝子が機能を失ったとしても生命の維持に支障がないため、いわゆる偽遺伝子と呼ばれる機能を失った遺伝子として保持され続けることが知られている。こうした偽遺伝子では、生物にとって不利な進化が起こっても淘汰が働かないため進化速度が非常に高くなる。通常、偽遺伝子とは、遺伝子として働いていたものが機能を失った場合を指すことが多いが、転写レベルでの発現が確認されている例においては、翻訳産物が機能を維持しているか維持していないかにかかわらず、タンパク質として発現している可能性は存在する。この場合偽遺伝子として捉えるより、むしろアイソザイムグループとして見た方が良いのかもしれない。

  では、異常なカルコンシンターゼの進化速度は、タンパク質が持ちうる進化速度の範囲内に収まるのだろうか。異常さが際立っているシロイヌナズナのカルコンシンターゼと、モクマオウの正常なカルコンシンターゼを選んで解析を行うと、

     naa=375、 daa=218

という値が得られる。つまり375アミノ酸座位に対して218カ所で変異が起こっているというわけである。この値から進化速度を計算すると kaa = 2.6×10-9という値が得られるのだが、この値は正常なカルコンシンターゼの0.54×10-9より5倍ほど速い。他のタンパク質と比べてみると、リボヌクレアーゼのkaa = 2.1×10-9よりいくぶん早く、もっとも進化の早いフィブリノペプチドのkaa = 8.3×10-9に比べるとかなり遅い。この値から言えるのは、分岐した時間の4分の1程度の間偽遺伝子化し、フィブリノペプチド並みの速度で進化をしたとすれば、シロイヌナズナカルコンシンターゼの異常な進化速度は説明可能となるし、これらの配列を除外したことの合理性が一応は説明できることになる。

 次にブドウについて見てみよう。西洋ブドウにおいては、CHS/STSに属する72本のアミノ酸配列がUniPlotでの検索で得られる。これらについてUPGMA法で樹形図を描くと下に示す図が得られる。

ブドウの全CHS・STSの樹形図

 これは一応示しただけの図であり、小さすぎて何も分からない。ただ、全体としてこんな形になるよというだけである。だが、気になる特徴がないわけでもない。ブドウは高等植物でありながらSTSをもつ少数派に属するのだが、この植物に存在するCHS/STSグループの中72本のでCHSと比定されるアミノ酸配列は上から8本のみであり、残りの62本はSTSと比定されている。何故ブドウにはこんなにたくさんのSTS の仲間が存在するのか。分からない。しかし、ブドウにSTSが存在するが故にレスベラトロールが生合成され、ワインはとても健康に良いというお伽話が成立している訳である。ここで、アラビドプシスの場合と同様に、これら72本の集合の中からタンパク質として発現している配列を含めて、CHS群から3本、STS群から3本、そして遠縁に当たるらしいF6I151F6CV80の計8本を選び、UPGMA法で樹形図を描くと下の図が得られるのだが、この図は上の図の簡略版であり当たり前でどうということはない。

ブドウの全CHS・STSの樹形図の簡略図

 この8本にアラビドプシスの場合と同じく、タンパク質レベルでの発現が知られている4本のCHS(アルファルファ、アサ、オトギリソウ、クズ)と5本のSTS(ブドウ、ピーナッツ、ストローブマツ、ヨーロッパアカマツ、およびミカズキゼニゴケ)を加えて解析し、UPGMA法で描くと樹形図は次のようになる。

ブドウのCHS、STSにタンパク質レベルでの発現が知られている4本のCHS(アルファルファ、アサ、オトギリソウ、クズ)と5本のSTS(ブドウ、ピーナッツ、ストローブマツ、ヨーロッパアカマツ、およびミカズキゼニゴケ)を加えて解析し、UPGMA法で描いた樹形図

 この系統樹はかなり面白い。常識的にこの図を解読するとすれば、高等植物のSTSも、ミカヅキゼニゴケのCHSであるQ5I6Y1から4.7億年ほど前に分岐した後、ゲノム重複によって出現した複数のCHSの一部が、復帰突然変異を起こしながら形成されていったと読み解いてよいだろう。ただ、遠縁に当たるらしいF6I151F6CV80 については、余りにも分岐した時代が遠過ぎて、現在の知識では説明がつかない。ここまでの議論、CHSとSTSを時には同じに扱い、時には分けて扱うという批判はあり得ると思うが、彼らがそういう関係にあるということもまた事実であろう。

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アブシジン酸 偽装隠蔽 1

 以下の文章を書いたのは2013年の12月の頃である。Wordファイルの日付がそうなっているので間違いないだろう。私が大学を辞めたのが2010年3月であったので、退職後1年半ほど経った頃の文章である。この時代のブログがグチャグチャになっているため今書き直しているわけだ。まあ、この時代も今の世の中と同じく混乱しきっているところだけは共通している。

 この部分を書いているいま、世の中はまだ偽装偽装と騒がしい。食品偽装なんてローマ時代から当たり前に起こってきたことである。先ず何を以て偽装と定義するかが難しい。我々の世代が幼なかった頃、バターといえばマーガリンのことであった。牛乳といわれて脱脂粉乳を飲まされていた。つい先頃までは、外国育ちのウシが生きたまま輸入され、3ヶ月以上国内で飼育されれば国産牛であったではないか。農水省によれば、鶏卵の自給率は約95%、鶏肉の自給率は約70%だそうだが、飼料の自給率は10%程度だという。さて鶏卵と鶏肉は国産と言えるのだろうか。発泡酒よりビールから遠いアルコール飲料を第三のビールと称するのは偽装ではないかなどと言い始めると、いよいよ何がなにやら分からなくなる。

  では、どうでも良いかとえば、そういうわけにはいかない。やはり、やってはいけない限度があるだろう。問題は、その限度を何処に置くかということであろうが、この部分を過不足なく法に記述することは恐らく不可能である。さらに、いくら法で縛っても、ばれなければ良しとする人達が多数存在するのは間違いない。つまり、この部分は関与する人達の良心、正義感、品格に依存するのである。いつの時代になっても、取り締まりをする人と法の穴を潜る人のいたちごっこが続くだろう。ただし、高級感を唱って高い金をふんだくっているところがやってはいけない。それは高級感をウリにしている一見一見高級そうな企業の上層部の人達が、良心を亡くし、正義感をなくし、品格さえも持たない下劣な人間であるという証明になる。いまなら目立たないとばかりにアワを食らって公表し、詐欺罪での告発を恐れて、知らなかった、誤表示であったと逃げ回る社長様方の姿は、実にみっともない。さらに可哀想なのは、そんなところに出没していたグルメを自認する人々の味覚が、実に浅薄なものであったことが暴露されてしまったことである。もっと書きたいが、余りに辛辣になるので止めることにする。品格あるブログであるために!

  新米農民である私にも関係ありそうなTPPに関して言えば、特定秘密保護法ががすでに機能しているらしく、何をどう交渉しているのか全く見えない。とはいえ、漏れ伝わる報道をトレースすると余り嬉しくないことばかり決まっていくようである。賛成派は時代遅れの市場原理主義、新自由主義とグローバリズムから借りてきた総論だけで事を進めようとしているようだ。一方反対派は、農業だ、医療だ、自動車だと各論に偏して(これらが大事であることは認める)、全体を見渡した理念に基づく総論がない様に感じる。次の時代を、どのような理念の下で運営するのかという議論が先に来るのではないか。

  ただし、無慈悲な自由競争と自己責任を第一原理とするグローバリゼーションが、落ち着いた気品ある社会をもたらすとは思えない。セクショナリズムという言葉は良い響きを持たないが、世界の各地域が、それぞれの地域の文化と宗教と社会体制を相互に尊重しながら、緩やかな交流を目指す新たなローカリズムを提唱すべきではなかろうか。20世紀という時代は、自由主義・民主主義という強烈な光を放つ理念をもって世界を画一化しようとした時代であった。〔と思う〕 しかし、光は影を伴うことに気づかねばならない。光が明るければ明るいほど、影もまたその暗さを増すのである。21世紀になってから、世界はこの影にたじろぐ国々が増えてきたのだが、皮肉にも自由主義・民主主義を標榜する国々で自由主義と民主主義を制限する動きが甚だしい。

  何で、そんな状況になったのか。考えて見れば、マスコミが身の安全と既得権の保持を報道の原点に置いたため、どうしようもないモラルの破綻と質問能力の劣化を起してしまったことが原因だと思われる。政府の偽装と隠蔽が限度を越えた感がある今日この頃だが、実はここまでの議論の中で私も隠蔽しているデータがある。

  隠蔽したとはいっても、一応は「進化速度解析の段階で、これらを解析から除くと断って隠蔽している。しかし、そうしたデータを解析から除くことに関して、それなりの合理的理由を示しておくことは必要だろう。

  カルコンシンターゼ・スチルベンシンターゼ(CHS/STS)についてだが、ホップ、ペチュニア、シロイヌナズナ、ブドウだけでなく、かなり多くの植物に異常と思える配列が存在する。この異常な配列を除くという操作を正当化しないと、CHS/SSの進化速度に関する考察の正当性が失われてしまう。ではどうするか。ゲノム解析の終わっているシロイヌナズナと西洋ブドウを例にして、それらの配列を排除した妥当性を示すことにしよう。

  シロイヌナズナにしても西洋ブドウ(Vitis vinifera)にしても、彼らのゲノムの中にはかなりな数のCHS/STSと分類される配列が存在する。シロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)であれば、CHSあるいはPupative CHSとして36本の配列データが存在するし、西洋ブドウ(Vitis vinifera)であれば、CHS, SS, Resveratrol synthaseあるいは Putative uncharacterized proteinという名称で73本のアミノ酸配列が存在する。先にCHSの進化速度を求めた際に、シロイヌナズナにおいては3分の2の配列を恣意的に捨てていた。少なくとも転写レベルでの確認がされているアラビドプシスのカルコンシンターゼ類は19種存在するが解析に使ったのはタンパク質としての発現が認められているP13114を含む12種で、残りの24種については捨ててしまっている。西洋ブドウにおいては、73本のアミノ酸配列の中で少なくとも転写レベルで発現していること、かつタンパク質レベルで発現している配列と同じクラスターに属していることを条件に68本の配列を捨て5本のみを解析に用いている。

 この捨てた処置が妥当であるという論証をしておかないと、データの恣意的隠蔽に基づいて算出した偽の結果であると、後で糾弾されることになりかねない。品格ある仮説の提示と節度ある定説の批判を心がけている筆者としては、偽装・隠蔽・暴露・糾弾という連鎖に陥ることはあってはなるまい。

   まずアラビドプシスについてだが、これら36種のアミノ酸配列からフラグメントと表示してある15本を除いた21本について系統樹を描くと、下に示す系統樹が得られる。

 系統樹は、それぞれ12本からなるA群と8本の配列を含むB群のクラスターに分かれる。タンパク質レベルでの発現が確認されている P13114は正常群に含まれる。解析に用いた配列は全てこのAのクラスターに属している。ここで、A群から3本の配列(P13114を含む3本)、B群から4本(trの023674を含む)配列を選び、再度系統樹を作成した。

 上にこの段階での樹形図を示す。上図から6本の配列を抽出しただけの下図は上の図の簡略版みたいなもので、なんの問題もないように見える。だが、ここには大きな問題が潜んでいるようだ。この問題を顕在化させるためには、アウトグループを入れた解析をすればよい。この7本の集合の中に、タンパク質レベルで発現し機能していることが知られている4本のCHS(アルファルファ、アサ、オトギリソウ、クズ)と5本のSTS(ブドウ、ピーナッツ、ストローブマツ、ヨーロッパアカマツ、およびミカズキゼニゴケ)を加えて解析し、UPGMA法で描いた樹形図を下に示したが、ここにおいてその問題が現出している。まず、何度も云うようだがP13114はアラビドプシス体内での発現が確認されているCHSである。

シロイヌナズナの6本の配列に4本のCHS(アルファルファ、アサ、オトギリソウ、クズ)と5本のSTS(ブドウ、ピーナッツ、ストローブマツ、ヨーロッパアカマツ、およびミカズキゼニゴケ)を加えて、UPGMA法で描いた樹形図

 正常なと言い切るのは幾分気がひけるが、正常と思われるA群の隣にオトギリソウとアサの作るグループとマメ科植物であるアルファルファとクズからなるグループがカルコンシンターゼのクラスターを形成している。その外側にピーナッツ、ブドウ、そしてマツ科のストローブマツとヨーロッパアカマツからなるスチルベンシンターゼの配列が存在し、その外側にミカズキゼニゴケのスチルベンシンターゼQ51Y1 MARPOが位置する。ここまでは問題はないが、それから先がいけない。いわゆる正常と思われるCHS/STSからなる大きなクラスターの外側に、アラビドプシスの4本のCHSグループが位置しているのである。

   先に述べたが、少なくともスチルベンシンターゼQ51Y1 MARPOと4本のCHS(アルファルファ、アサ、オトギリソウ、クズ)の分岐は4.7億年ほど前に起こった事件である。枝の長さから判断すると、一番外側に位置しているアラビドプシスの4本のCHSグループは、その他の配列群に対して4.7億年の2倍近い昔に分岐したことになる。論証の現時点でこれら4本のCHSについて合理的説明を加えようとすれば、偽遺伝子の概念を取り入れるしかないだろう。

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内乱というべきか

 数日ほど前から原因不明の体調不良が続いていた。何処が悪いということではないのだが、そこはかとない倦怠感、左胸の違和感、左目の違和感、耳鳴り、その他いろいろと変な感覚を覚えていた。一昨日、山で草刈りをしていたとき左目の上部から耳の後ろにかけてピリピリチクチクする感じが強まってきた。虫刺されかなと思いながらも仕事を終え、家に帰ったらいよいよ酷くなってきた。虫刺されの痕はなく疲労感が強かったし、頭痛も強くなった。耳の中で蝉も鳴いていた。

 まだ水泡ができる段階ではなかったものの、知り合いの皮膚科の友人のところに行ったのだが、多分間違いなく帯状疱疹でしょうとという診断である。私もそう思った。意見が一致したところで、投薬治療を始めた。要するに生意気な患者である。こんな症状が数日続いています。今日はこんな状況なので、多分病名はこれだと思います。間違いないですかね、と医者に確認を求める。友人だから笑って許してくれるが、他の医者であればいらんことを言うな、診断するのは私だと怒るに違いない。まあ私だって、相手を見て話をしているわけで、見ず知らずの医者にそんな失礼なことはしない。それにしてもパラシクロビル錠剤の大きいこと、一回の投与量も1グラムである。

 帯状疱疹、子供の頃にかかった水痘つまり水疱瘡の病原体である水痘ウイルス(二本鎖DNAウイルスのアルファヘルペスウイルス亜科ワリセロウイルス属)が、神経節中に潜伏を続け、ホストが弱ったときに神経細胞を取り囲んでいるサテライト細胞の中で再度増殖することで発症する。特に疲れるようなことをした記憶はないので、私の体力が落ちたというのが実態だろう。ひょっとすると春先の太陽光を受け過ぎたのが原因かもしれない。

 まあ、ということで、パラシクロビルの服用を始めた。ところがこの薬、昔私が作った化合物と結構よく似ている。パラシクロビルは下に示したような構造を持ち、体内でアミノ酸であるバリンとのエステル部分が加水分解されて生成するアシクロビルが抗ウイルス性を発揮する。同じく、帯状疱疹治療薬として用いられるファムシクロビルも末端の2つのアセチルエステル部分が加水分解され、活性化された後に抗ウイルス活性を示すのである。私が作った化合物は右側に示したような構造を持つもので、核酸塩基部分としてはアデニンとグアニンを使っていた。記憶をたどればだが、アデニン残基を付けたものよりグアニン残基を付けたものの方が活性が高かった。

 これらが何故効くのか、化学には馴染みのない初心者が居られるかもしれないので少しだけ付け加えておく。次の図を見て欲しい。左側は一本鎖DNAの一部である。(2’位にOH基があればRNAの一部となる。)2’位に水酸基を持たないデオキシリボースの5’位と次のデオキシリボースの3’位の水酸基がリン酸エステルとして繋がって長い鎖を構成し、それぞれのリボースの1’位にアデニン、グアニン、シトシン、あるいはチミン(RNAの場合はウラシル)の核酸塩基が結合した形となっている。

 そこでだが、中央に示した2-デオキシグアノシンは5’位の水酸基(青色)がリン酸化され、2-デオキシグアノシン-3-リン酸となってDNAの生合成系に取り込まれる。同じく、アシクロビルの末端の水酸基も3-リン酸に変換された後DNAの生合成系に取り込まれることが知られていいる。つまり、アシクロビルの末端の水酸基は右側の形を通ってリン酸化されDNA生合成系に取り込まれるのだが、3’位に対応する水酸基がないため複製がそこで止まってしまう。つまり、ウイルスの増殖が止まるわけだ。ファムシクロビルの場合は、アシクロビルと同じく5’位に相当する水酸基が3-リン酸化されるのだが、DNA生合成系に組込まれるのではなく、このリン酸化物がDNA複製で働くDNAポリメラーゼの基質であるデオキシグアノシン三リン酸(dGTP)に競合的に拮抗することでDNA生合成を阻害する。さて、私が作った化合物の作用メカニズムはどうなのだろうか。

 ということで書き始めて数日経った。完全とは言えないが、前頭部のかすかな痒みと目の少々の違和感を残して何とか回復したようだ。一番気になっていた左胸の違和感が消え、よく眠れるようになったのが有り難い。多分60年以上共棲というか併存してきた水痘ウイルスが、ホストが弱体化したのを感じて内乱を起こしたのだろう。ホストは自らの力ではこのウイルスに抵抗できず、パラシクロビルという化学兵器を使って内乱を鎮圧したと考えて良い。昔、私が博士号を頂いたM先生がインフルエンザにかかったのだが、インフルエンザウイルスが心筋に感染したため少なからず危ない状況になった。お見舞いに行ったら、分厚い海賊版ではないメルクインデックスを開いて、今使っている薬はこれだよと、多分アマンタジンのページを見せられたことを覚えている。私もよく似たことをしているなと、苦笑いするしかない。

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バヌアツの法則 2

 日本時間の3月5日(金)4時28分頃、南太平洋(ケルマデック諸島)で、M8.1の地震があったそうだ。この地震の前にM7.3とM7.4の地震が連続して起こっている。ニュージーランドのケルマデック諸島では3m、ニューカレドニア、バヌアツで1〜3mだけでなく、かなり広範囲で津波の可能性があるという。時間的にみれば、もうあったのだろう。バヌアツの法則が正しいとすれば、近いうちに日本周辺でかなり強い地震が起こると予想できる。少々気になる今日この頃である。食料と水と長靴、それに防寒着くらいは手元に持っていても良いのかな。近ごろというか3.11以降だが、地震が起こった後の被害に関する報道が余りにも少ない気がしている。被災した人々はかなり苦労していると思うのだが、いわゆる連続した記事が書かれることはほとんどない。確かに、いろいろと災害が増えたので国としても大変だろうとは思うのだが、復興をボランティアに丸投げするのは正しくない。お金がないという理由で激甚災害指定を避けたい政府の意向を、報道関係者が忖度しているのではと少しだけ邪推している。

 昨夜は天気予報とは違ってかなりな量の雨が降った。雨はありがたいのだがタイミングが悪い。桑が開花を始めている。桑に菌核病という病気があるのだが、この時期にキツネノワンタケやキツネノヤリタケというキノコの胞子が桑の花を通して感染し、果実を真っ白に腐らせてしまう。もちろん商品価値はゼロになる。したがって、食用桑に許された唯一の殺菌剤であるロブラール水和剤を使って防除する。昨日、300Lの水に300gのロブラール水和剤を入れて1000倍希釈液を作った。桑に対しては200L位で十分である。100L程残るので、この100Lにジマンダイセンを加えて、それを柑橘類に散布するつもりだった。

 300Lのタンクと満タンにした動噴を積んで出かけようとしたとき、何故だかわからないがジマンダイセンをタンクに入れてしまった。ジマンダイセンは食用桑には適用がない。つまり桑には散布できないのである。だからといって300Lもの薬液を捨てるわけにはいかない。捨てる場所もない。仕方なく、この二つの薬剤に適用のあるスイートスプリング、スイートレモネード、ダイダイ、紅八朔、レモン(ビアフランカ、マイヤー、璃の香)、晩白柚、土佐文旦、ユズ、アンズ(新潟大実、ニコニコット)、梅(光陽小梅、多分白加賀)など、自家消費用に植えている果樹にかけて回った。これらは平坦地ではなく傾斜地に植えているものが多く、ホースを引っ張って歩き回るため結構以上に疲れる。

 散布が終わって家に帰り、タンクと動噴とホースの内部を洗った後、再度作ったロブラール水和剤200Lを乗せて桑畑へ行き、桑への散布を行った。風が少々強かっただけでなく、風向も不安定だったので、いやいや大変でした。全部で6時間くらいかかりました。これでしばらく薬撒きはOKと思っていたら、天気予報では降るはずのない雨が降り始め、段々強い雨になっていった。散布した薬が流れてしまうのではとヤキモキしたのだが、なんともするすべはない。菌核病には治療薬がないので、枝先に実る桑の実にどれくらい病気が発生するか。さて残されたもう1回の散布をいつするか、それが問題だ。

 閑話休題、古希を過ぎた爺が高校生の歌う歌を評ずるなんておこがましいとは思うものの、実は「うっせーわ」と歌うこの人に同意している。若い人たちにとって、今の世は「うっせーわ」と言いたくなることばかりだろうなと思う。この「うっせーわ」という曲、すごく流行っているそうだ。当然のことだが、歌い方とか言葉遣いとか気になる部分がないかといえば、ないはずはない。それは世代間のギャップというもので仕方ないだろう。しかし、こういう歌が流行る世相をどう捉えれば良いのかと考えている。ただただ私見に過ぎないのだが、聞いていたらお伊勢参りの「ええじゃないか、ええじゃないか」のフレーズを思い出してしまった。世の中が閉塞しきっていて、やり場のない憤りの感情がそこに出ているような気がしているのだが、この批評も「うっせーわ」と切り捨てられる可能性が高いだろうな。この「うっせーわ」、原曲は別として帰国子女の歌う「うっせーわ」も面白い。年齢や好き嫌いに拘らず一度お聞きになったらどうだろう。いつまでも「うっせー うっせー うっせーわ」の部分が、脳内で動き回ることは間違いない。

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雨の降る日は天気が悪い

 雨の降る日は天気が悪い。犬が西向きゃ尾は東、猫がワンワン鳴くものか。などと続けて、庶民感覚での当たり前のことを云う成句がある。もっともわが家の犬はニャーニャーとは鳴かないものの、頭を北に向け尾を西に向けて寝ていることが多い。幾分曲がっているところが飼い主に似ているといわれれば、苦笑いして認めるしかない。

 今日はけっこう寒い。雨も降っている。やる気ゼロである。昨日、少しきつかったが次のジャガイモ植え付け用の畝を立て、ワケギとジャンボニンニクの畑の草を取り、別の畑の耕耘を終わらせておいて正解だった。朝から薪ストーブに火を入れ暖かくなった室内ででれっとしている。問題はこんなときに起こるものである。このサイトを何気なく開いたら、昨日のカルコンシンターゼ、アミノ酸配列の行処理がおかしいらしく、改行が上手くいっていないではないか。天気が悪いしもう一度やる気が起きない、何でこんなことになったのだろうなどと思いながら、ウツラウツラしていた。やはりやり直す気にならない。必要な方はhttp://noisyminority.jugem.jpの方にまともに表示されているようなので、今回はそちらを参照して下さい。

 しかしながら、こんな鬱陶しいものを見ていただいた方には感謝しかない。少しだが、肩の力を抜いてリラックスして下さい。以下の動画はNicki Parrott. ニッキ・パロットというオーストラリア出身のジャズベーシスト・ボーカリストの演奏です。日本では余り知られていませんが、楽しそうな演奏と歌が良いですね。

 現在という時代は、明らかに存在する現実を見ずにマスコミの報道を鵜呑みにする人たちで溢れている。疑うということの大切さを若いうちから教えておく必要がありそうだ。昔、私が講義の中で「俺の喋ることの80%は嘘だ」と言ったら、凄い反響があった。80%は控えめな値を云ったつもりだったが、学生たちにとってみればそれはとんでもないことで、本当のことを教えろと云うわけである。他の先生方は90%くらいは嘘を言っていると思うけどな、俺はましなほうだよ。そういって、一つの事実であっても見る方向が違えば全く違った結論が導かれる。真実などというものがあると思うな。事実しかない。但し、事実であっても、俺の事実と君たちの事実は当然違う。君らが書いた答案、君らにとっては合格するに値するものであっても、こちらにとっては評価しようもないものであることがよくある。事実は真実の敵であり、その事実には幾通りもの見方に基づく事実がある。

 でもなかなか理解してもらえない。近ごろの若者はという言説は使うべきではない、大人も年よりも同じだと思う。社会全体が知的な包容力を失い、思考の発酵過程を評価しないのである。誰もがすぐに結論を求め、解決法を求める。何が正しいかを即決しようとするのである。我々は生きていく上で多くの問題を抱え込む。ほとんどの問題は、放っておくといつの間にか解決する。解決するのに必要なのは時間だけである。この辺りに問題があると記憶しておけばそれで良い。時間をかけても解決しない問題こそが考えるに値する問題であろう。この問題は考えても解決しないのだから、いったん飲み込むしか方法はない。もちろん消化できないから、ときどき咀嚼し直して、また飲み込む。これを20年も続けると、何か見えてくるに違いない。そこで、諦めるかまだ続けるかを決めれば良い。

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