ABA 沈思黙考 4

 言わずもがなの議論だが、ついでにもう一つ、はなはだ危険な爆弾を投げてみよう。若者は、この仮説を決して鵜呑みにしないで欲しい。この「極々少数派の仮説」を試験の解答として書いた場合、試験に通るかどうか保証はできない。近頃、自分が教えたことから外れた解答を書くと、内容を吟味することなく怒って単位を出さない小物教授がいるからである。いや、昔もいたか!しばらくは正統派の理論に従っていた方が無難である。では、危険な「極々少数派の仮説」とはどんなものであるか。

 さて、まずアブシジン酸の定義から話を始めたい。ちょっとだけ日本語のサイトを回ってみたが、どこも「アブシジン酸は植物ホルモンである」ということを前提にして、その生理活性を説明するという形になっている。いくつかの、植物生理学分野における代表的書籍においても、これは変わらない。「アブシジン酸は植物ホルモンである」と書いてあると我々はどう受け取るのだろう。

  素直な私は、「うむ、アブシジン酸はホルモンか。ホルモンは非常に生理活性の高い化合物である。きっと、生体内での濃度は厳密に制御されているに違いない。つまり、生合成系と生分解(不活性化を含む代謝系)が、完全に構築され精緻に制御されているだろう。ストレスがかかれば速やかに生合成が行われ、ストレスが解除されると速やかに代謝され活性を失うに違いない」と考える。ここまでの考えは、多くの方々と大きく乖離することはないと思う。

 話は少し変わるようだが、植物の中でゲノムの解析がすすめられ、シロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)をはじめとして30種弱の植物の全塩基配列が得られている。(ドラフト配列を含む)ここでは、KEGGにおいて利用可能な形になっている以下の26種の植物を使って議論しよう。

  Plants (26)

     Eudicots (11) 真正双子葉植物

       Mustard family (2) アブラナ科

         ath  Arabidopsis thaliana (thale cress)  シロイヌナズナ

         aly  Arabidopsis lyrata (lyrate rockcress) ミヤマハタザオ

       Pea family (3) マメ科

         gmx  Glycine max (soybean) ダイズ

         mtr  Medicago truncatula (barrel medic) タルウマゴヤシ

         cam  Cicer arietinum (chickpea) ヒヨコマメ

       Rose family (1) バラ科

         fve  Fragaria vesca (woodland strawberry) エゾノヘビイチゴ

       Cucumber family (1) ウリ科

         csv  Cucumis sativus (cucumber) キュウリ

       Spurge family (1) トウダイグサ科

         rcu  Ricinus communis (castor bean) トウゴマ

       Willow family (1) ヤナギ科

         pop  Populus trichocarpa  black cottonwood

       Grape family (1) ブドウ科

         vvi  Vitis vinifera (wine grape) ヨーロッパブドウ

       Nightshade family (1) ナス科

         sly  Solanum lycopersicum (tomato) トマト

     Monocots (6) 単子葉植物

       Grass family (6) イネ科

         osa  Oryza sativa japonica (Japanese rice)  イネ ジャポニカ

         bdi  Brachypodium distachyon セイヨウヤマカモジ

         sbi  Sorghum bicolor (sorghum) ソルガム

         zma  Zea mays (maize) トウモロコシ

         sita  Setaria italica (foxtail millet) アワ

     Ferns (1) シダ植物

       smo  Selaginella moellendorffii イヌカタヒバ

     Mosses (1) 蘚類

       ppp  Physcomitrella patens subsp. patens ヒメツリガネゴケ

     Green algae (6) 緑藻類

       cre  Chlamydomonas reinhardtii クラミドモナス

       vcn  Volvox carteri f. nagariensis ボルボックス

       olu  Ostreococcus lucimarinus オステロコッカス

       ota  Ostreococcus tauri オステロコッカス タウリ

       mis  Micromonas sp. RCC299 ミクロモナス

       mpp  Micromonas pusilla ミクロモナス プシラ

     Red algae (1) 紅藻類

       cme  Cyanidioschyzon merolae シアニディオシゾン

 http://www.genome.jp/kegg-bin/get_htext?htext=br08601_map00906.keg&hier=5 から引用 (分類名と和名は筆者の責任で追加している。)

 以下の議論で使う図は、すべてKEEGのカロチノイド代謝系からの引用である。こうした議論をする上で、KEEGにはいくら感謝してもし過ぎることはない。このデータベースがなければ、私は何もできなかったに違いない。そこで、まず紅藻類のシアニディオシゾン、すなわちイタリアの温泉に生育する単細胞性の藻類についての議論である。先に、紅藻にもアブシジン酸は分布すると書いた。さらに、紅藻に属するアマノリやオゴノリなどはアブシジン酸を含み、このアブシジン酸が生育阻害活性を持つ、そして紅藻に由来するアピコプラストをもつトキソプラズマにおいては、アピコプラストにおいてアブシジン酸が生産されるとも書いた。ところが下図を見て欲しい。

紅藻類であるシアニディオシゾンのアブシジン酸生合成系?

 紅藻類であるシアニディオシゾンの代謝系を見ると、アブシジン酸どころかゼアキサンチンまでで生合成は止まっている。(枠内が緑色にぬってある酵素が、この生物に存在する酵素である。以下の図においても同じ)困ったことだが、2021年段階のKEGGにおいてはβ-カロテンで生合成系は止まっているようになっているのである。まあ、シアニディオシゾンは原始的紅藻であって、もう少し進化した紅藻はアブシジン酸を生合成できるのではないかと考えたいところだが、どうもそういうことにはならなさそうな気がする。理由は以下に述べる。

 緑藻類を見てみよう。緑藻類であるHaematococcus pluvialisにおいては、酸化ストレスで誘導されるアブシジン酸が耐乾燥性をもつシストへの形態変化を誘導したり、クラミドモナス(Chlamydomonas reinhardtii)においてカタラーゼやアスコルビン酸ペルオキシダーゼを誘導して酸化ストレス抵抗性を向上させるという報告がある。では、ゲノム解析の終わった6種の緑藻について、生合成系がどこまで伸びているか、順に示していく。

ミクロモナス(緑藻類)のアブシジン酸生合成系?

 Micromonasにおいては上に示すように、ビオラキサンチンまでの生合成酵素はあるが、それ以降の反応を触媒する酵素は存在しない。原始的な緑藻と言われているOstreococcusにおいても同様である。この2種においては、リコペンからγ-カロテンを通ってβ-カロテンへ導く酵素もないことになっている。では、クラミドモナスにおいてはどうなっているのか?下に、クラミドモナスとボルボックスの持つ経路を示す。

クラミドモナス(緑藻類)のアブシジン酸生合成系

 困ったことなのだが、クラミドモナスとボルボックスもアブシジン酸まで達する経路は持たず、ビオラキサンチンでアブシジン酸生合成系は途絶えている。つまりここにおいても、アブシジン酸の生合成系も分解系であるファゼイン酸生合成系も存在しないにもかかわらず、アブシジン酸が働いているということになる。

 蘚類においてはヒメツリガネゴケのゲノム解析が終わっている。「アブシジン酸は蘚類以上の高等植物に分布し・・・」と書かれているので、ここでは合理的な結果が得られることを期待して、KEGGにアクセスすると、次の図が得られた。

ヒメツリガネゴケ(蘚類)のアブシジン酸生合成系

 アブシジン酸へ向かう生合成系は、緑藻類ではビオラキサンチンまでしか伸びていなかったが、ヒメツリガネゴケでは一歩進んでXanthoxinまで伸びている。しかし、Xanthoxinから先の生合成を担う酵素は未だ知られていない。いやいや、ヒメツリガネゴケはコケコケ、下等なコケだよ。研究の進んでいないそんな下等なコケではなく、シダ類以上であれば、調った生合成と生分解系の姿が見られるに違いない。

イヌカタヒバ(シダ類)のアブシジン酸へ向かう生合成系

 シダ類においてゲノム解析の終わっている植物はイヌカタヒバ(Selaginella moellendorffii)、ヒカゲノカズラ植物門イワヒバ科に属するシダ植物で、日本にも広く分布する。この植物においては、問題なく調った生合成と生分解系の姿が見られるのか。上図をみて欲しいのだが、生合成酵素についてヒメツリガネゴケと同じくXanthoxinまでの酵素を持つのだが、XanthoxinからAbscisic aldehyde をつなぐ酵素は持たない。にもかかわらず、2021年段階のKEEGに置いてはAbscisic aldehyde を酸化してアブシジン酸を作る酵素(1.2.3.14)は存在するし、アブシジン酸を不活性化して8’-ヒドロキシアブシジン酸に導く酸素添加酵素も存在する。いやいやいや、アブシジン酸を作る酵素がないのに酸化して不活性化する酵素はある、ちょっと矛盾するような気もしないではないが、たった1種のシダ、知識の蓄積が足りない。アブシジン酸は植物ホルモン、シダ植物を含む高等植物の植物ホルモン。研究の進んだ高等植物においてはきっと完璧だよ。完璧!!

 さて、高等植物なら研究の進んでいるアラビドプシス(シロイヌナズナ)、これを見るべきであろう。現代の植物学において、アラビドプシスを語らずして何をか況んや。というわけで、シロイヌナズナについてKEGGのデータをみてみると、下図のようになっている。

シロイヌナズナ(カラシナ科)のアブシジン酸の生合成経路

 確かに完璧である。生合成系がきちんとアブシジン酸まで伸長しているだけでなく、濃度調節に働くかもしれない8’-ヒドロキシアブシジン酸への代謝系も揃っているではないか。ファゼイン酸への代謝とアブシジン酸のグルコースエステルを作る酵素がないのに、その分解酵素がある点は少し気になるが、ここは目を瞑って、完璧完璧!同じカラシナ科でゲノム解析の終わっているミヤマハタザオ、トウダイグサ科のトウゴマ、ブドウ科でワインの原料であるヨーロッパブドウ、何れもアラビドプシスと同じ代謝系を持っているではないか。高等と言われる植物は、こうでなくてはいけない。

 とは言うものの、ここまでの代謝系が完成していない植物群のアブシジン酸生合成と生分解をどう理解すればいいのか。ある段階の反応を触媒するとされる酵素が無いにもかかわらず、生成物は生産されているという現象こそが、酵素の甘い基質特異性に由来していると考えていいのではないか。(もちろんその段階を担う酵素として特定されていない、現に2021年段階で空欄が埋まった酵素があるではないかという考えもありうる。しかし、2021年段階で以前に特定されていた酵素が外される例も存在する。困ったことである。)触媒活性自体はさほど高くないが故に、ある段階を触媒する酵素と特定できないが、その甘い基質特異性ゆえに、その段階を進めることができるいくつかの酵素群が、酵素が特定されていない反応を担保していると考えざるを得ないだろう。

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ABA 沈思黙考 3

 この酸素添加酵素群に属するβ-ring hydroxylaseは、β-カロテンをその水酸化反応の酸素ではない基質として選んでしまった。β-カロテンは励起されたクロロフィルや酸素分子からエネルギーを受け取って熱として捨てる消去物質であったのだが、この時点でβ-カロテンは、自らが酸素分子と反応して酸素そのものを消去する役割まで持たせられることになったのであろう。但し、この推論は私が言っているだけであって、世間一般に認められたものではない。その点は割り引いて考えて欲しい。まず、次の図を見て欲しい。

アブシジン酸に関わる代謝経路

 上に示すようにβ-カロテンの4位と4’位への水酸化により生成したZeaxanthinは、2つの6員環上に存在する二重結合がエポキシ化を受けてall-trans-Violaxanthinへと変換される。この4段階の酸化(実質は分子の対象な位置での酸化なので2段階と捉えて良いかもしれない)プロセスの獲得にはどれくらいの時間がかかったのだろう。

 その後、all-trans-Violaxanthinは9-cis-Violaxanthinへと異性化された後、11位の二重結合が9-cis-epoxycarotenoid dioxygenase と呼ばれる酸化酵素によって解裂を受けXanthoxinを生成する。このXanthoxinがAbscisic aldehydeを経由する系、あるいはXanthoxic acidを経由する系を通ってアブシジン酸が生合成される。KEGGに従えば、Abscisic aldehydeからAbscisic alcoholを通ってアブシジン酸となる系も描いてある。最後の2段階の反応も酸化反応である。

 この図おいて実線で書いてある段階は、そこで働く酵素が明らかになっているが、破線の矢印部分は酵素が明らかになっていない段階である。さらに、赤の矢印で示してある段階は反応はオキシゲナーゼが触媒する反応で分子状酸素その物を消去している。アブシジン酸の歴史の長さを正確に決めることができないのは当然だが、二十数億年前にシアノバクテリアの体内でβ-カロテンの酸化が始まったとして、アブシジン酸には何時到達するのか。勿論、正確には分からないがある程度の推測は可能である。

 先に述べたように、紅藻、褐藻、緑藻にアブシジン酸の存在が知られているだけでなく、その生産の場が色素体であることを虚慮すれば、ミトコンドリアを獲得していた真核細胞が、シアノバクテリアとの共生をはじめた10億年程前までには、アブシジン酸の生合成が起こっていたと考えて大きく間違うことはないだろう。ここで注意して欲しいのは「アブシジン酸が生合成されることが、アブシジン酸が抗ストレスホルモンとなったことを意味しない」ということである。アブシジン酸はルヌラリン酸レセプターと親和性を持ついくつか、あるいは多くの canditateとともに、ルヌラリン酸の活性を引き継ぐ候補化合物になったにすぎない。シアノバクテリアとの共生が起こった後、上陸を試みていた植物の体内で、スチルベンシンターゼがカルコンシンターゼへと変化した4億7千万年前までの5億年余りの期間が、植物体内でアブシジン酸とルヌラリン酸が共存した時間であることを意味する。我々にとっては無限とも思える時の流れの中で、アブシジン酸はルヌラリン酸に代わりうる地位をすこしづつ獲得していったのではないだろうか。

 アブシジン酸の分布、CYPに対する捉え方など、私の提言は世に広く通用しているものではない。いわゆる「極々少数派の仮説」である。きちんとした論拠を基にこの仮設は間違っているとして否定されるのであれば、納得するにやぶさかではない。その程度の理性と謙虚さはは持ち合わせていると思っている。ただ、地球の歴史、酸素濃度の変遷、オキシゲナーゼの出現と進化、カロチノイド代謝系の歴史などなど、総合的に加味したアブシジン酸論を見たことはない。非常に残念なのだが、アブシジン酸は植物ホルモンであるという決めつけの下での応用研究と、アブシジン酸が人の健康にいかなる作用があるかという幾分専門的知識を欠いたような論説がまかり通っているのが現状だろう。もう一度、アブシジン酸は5番目の植物ホルモンであるという合意が成立する前に戻って、アブシジン酸とは植物にとってなんであるのかという議論が必要だと考えている。

 不思議なことだが、私が事実に即して真摯に考えると、高頻度で世の正論から外れてしまう。私がおかしいのか、世間がおかしいのか、当事者である私には判断が難しい。少し勿体を付けて言えば、歴史に判断を委ねるしかない。

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ABA 沈思黙考 2

 さて、地球の歴史を見たとき、大気中の酸素濃度は22±2億年ほど前に1度目の急激な上昇を起こしたという。それまで現在の酸素濃度の10万分の1以下だった酸素が、現在の100分の1程度まで急上昇した。酸素を基質とする酸化酵素、酸素添加酵素の出現は、この「大酸化イベント」と呼ばれる大気中の酸素濃度の上昇に対応する生物側の反応であった考えて良い。

  アブシジン酸の生合成に部分で書いたが、ステロイドの生合成は27億年程前まで遡るようだ。ステロイドの生合成がスクアレンモノオキシゲナーゼによるスクアレン分子のエポキシ化反応であることを考慮すれば、オキシゲナーゼ即ち酸素添加酵素の歴史は、少なくとも酸素濃度のジャンプ時期に5億年ほど先行することになる。思うに、ストロマトライトつまりシアノバクテリアが作るマットの中で、活性酸素だけでなく酸素自身の消去を含め、酸素に由来する毒性を軽減するために、種々の反応群が試されていたのであろう。アブシジン酸の生合成では、β-カロテンからクリプトキサンチンへの反応が、酸素添加酵素によって起こる最初の反応である。従って、シアノバクテリアにおけるこの反応の開始を25億年程度昔であると措定しても、大きくは間違わないであろう。このβ-カロテンからアブシジン酸までの6段階に及ぶオキシゲナーゼが関与する酸化反応と1段階の基質レベルでの酸化反応が完成するのにどれくらいの時間がかかったのかについて、正しく推定することは難しい。とはいえ、アブシジン酸が緑藻だけではなく紅藻類にも褐藻類にも存在することから、これら藻類が分岐する前の段階で生合成系が成立していたと考えてよいだろう。

 ここで雑談、以前一度書いたような気もするが、現在ではCYPすなわち酸素添加酵素は薬物代謝酵素として考えられるようだ。しかし、この考え方は間違っていると思う。なぜか?

 またもや薬学会のホームページから「薬物代謝」の第一相反応の部分を引用する。そこには次のように書いてある。

【薬物、毒物などの生体外物質(Xenobiotics、異物)の代謝反応の総称であり、対象物質の親水性を高め分解・排出しやすくすることが多い。これらを行う酵素を薬物代謝酵素といい、主に肝細胞内にあるミクロソームで行われる。医薬品の効き目や副作用の個人差、複数の薬の間での相互作用などに大きく関わる過程である。不要となった生体内活性物質(ステロイドホルモン、甲状腺ホルモン、胆汁酸、ビリルビンなど)の分解も含まれる。生体に対する作用を軽減することが多いが、代謝によって薬理活性を発揮する場合(プロドラッグ)や、生体にとって毒性の高い化合物に変換される場合もある。多くの発がん物質は、それ自体ではなく代謝された生成物が発がん性を示している。薬物代謝は、第1相および第2相の反応に分類される。 第1相反応では、対象物質の分子量は大きく変化しないか、あるいは分解により低減化する。エステルなどの加水分解、シトクロムP450(CYP)による酸化反応、還元反応などがある。CYPによる酸化反応は特に重要で、CYP酵素は生物種ごとに数十種あり、それぞれ基質特異性が異なる。CYPのことを限定して薬物代謝酵素と呼ぶ場合もある。CYP酵素は薬物などの投与により発現誘導されたり、薬物に阻害されたりすることがあり、薬物相互作用の原因となる事が多い。】

 さて、少し内容をまとめてみよう。「薬物代謝酵素が反応することで、薬物の毒性は増えたり減ったりする。多くの発がん物質は、薬物代謝酵素により代謝されて生じた代謝物に発がん性がある。代謝によって、薬物の分子量は大きく変化しないか、低減化する。薬物代謝酵素の代表とも言えるCYPは、薬物によって発現が誘導されたり阻害されたりする。」

 定義ではなく用語解説であるから、これで良いのかもしれないが、何を言っているのか皆目分からない。知識のあるヒトは、それぞれの項に対応する個別の事象を思い浮かべながら何とかごまかして読むことができるのかもしれない。しかし、一般の人向けの用語解説としては分かりにくいという以上に、支離滅裂であると言わざるを得ない。

 我々が服用する薬物のみならず、食物に由来する毒物や食物と共に摂取する残留農薬、呼吸時に取り込む環境汚染物質などは、薬物代謝酵素と呼ばれる酵素群によって代謝を受ける。そこで起こる反応には加水分解反応、還元反応、酸化反応、酸素添加反応などいくつかの種類が存在する。ここまでの議論の進め方に厳しく反論することはないが、我々が食べる毒物はきわめて多岐にわたる。その一つ一つに○○分解毒酵素などというものがあるという前提あるいは決めつけは間違いだと考える。例えば、加水分解酵素、これには多くの基質の異なる酵素群が存在するだけではなく、その酵素の一つ一つに複数のアイソザイムが存在する。中には何を基質にしているのかいまだに知られていないものも存在し、それらは non-specific esterase と呼ばれている。つまり、体内に存在する加水分解酵素のなかで、ある植物の毒成分を加水分解できる酵素を解毒酵素として読んでいるだけに過ぎない。こうした薬物代謝は既存の酵素の基質特異性の甘さに依存しているわけである。

 もう少し、世の中で云われていないことを指摘するとすれば、加水分解酵素の反応を考えるに当たって、どんな酵素においても共通して働いているにもかかわらず、意識されない基質は水である。水分子が水分子が形成するクラスターの末端で水素イオンと水酸化物イオンとして働き、一般的に基質といわれている物質と反応しているのである。加水分解酵素、すなわち水によって基質を分解する機能を持つ酵素であると命名されているにもかかわらず、反応の中で主体的に動いている水をほとんど無視する形で説明していると思う。こう書くと屁理屈だといわれる場合が多いのだが、次の例を見れば少しばかり納得してもらえるかもしれない。

 酸素添加反応を行うオキシゲナーゼについても、もう少し違った視点から考えるべきだと思う。以前はP450と呼ばれていた酵素だが、現在はCYP(Cytochromes P450 )と呼ばれることが多いこの酵素は、酸素添加を受ける基質群に基づいて分類されている。亜群で7群、分子種レベルでは11種があり、個別の酵素の総数などとても数えきれない。しかし、この分類法は間違っているとまでは云わないが、この酵素の本質を見間違えた分類だと思う。何故そう考えるのか。私見だが、CYPの役割は、酸素濃度の上昇に伴う活性酸素量の増加に対して、活性酸素の原料である酸素分子そのものを消去するのが本来の役割である考える。酸素分子を引き受ける分子としては、酸素と結合する能力を持っていれば何でも良かった、とにかく急激な酸素濃度の上昇期を生きのびるためには酸素分子そのものをクエンチする必要があったのである。私から見ればCYPの本来の基質は酸素分子であり、一般的に基質といわれている物質群は、薬物代謝酵素によって活性化された酸素分子と結合して、酸素分子そのものを消去するための分子に過ぎない、こう考えると一般的に認められているCYPの酸素ではない基質に対する特異性の広さ・甘さと酸素という基質に対する厳しい特異性が矛盾なく説明できると思うのだが?

 と、ある会合で発言したことがある。無駄だった。

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ABA 沈思黙考 1

 「上陸を果たし、維管束植物への歩みを始めた原始陸生植物は、持っていたスチルベンシンターゼをカルコンシンターゼへと進化させた。」と書いた。これもよく考えてみればリスキーな表現である。一般に植物という生き物は、それほど軽薄な生き物ではない。彼らのゲノムを見ると、同義遺伝子が極めて多数存在している。ルヌラリン酸が生育抑制型の生長調整物質であり、この調節機構が必須であるならば、遺伝子の重複、あるいはゲノムの倍加を通して複数の遺伝子を獲得し、いくつも存在するSTSの一部をCHSへと進化させれば良いではないか。何故に、スチルベノイドが消失するような変異が、一挙に全ての遺伝子群に起こったのか、それは有り得ないだろうとする反論があっても良い。いや、あってしかるべきであろう。私だってそう考える。

 ところが、面白い事実がある。ゼニゴケのゲノムサイズは約280Mbと特別小さいわけではないが、遺伝子数が少なく遺伝子の冗長性が少ない特徴があるとの報告がなされている。確かに調べてみるとCHS/STSに対しては2種の配列があるだけである。アラビドプシス(シロイヌナズナ)であれば24種の配列が、ヨーロッパブドウ(Vitis vinifera)であれば34本の配列が、予想配列まで加えると71本の配列が存在する。

 上記の結果を加味して考えれば、どうやら、遺伝子数の少ないゼニゴケ様の原始陸生植物の段階で、CHS からSTSへの変化が起こったと考えられる。これが、いくつかの例外を除くと、高等植物はスチルベンシンターゼを持っていないことの説明になるのだろう。マツ科、ブドウ科、マメ科植物の一部など、例外的にSTSを持つ植物においては、CHS遺伝子が何回かの重複やゲノムの倍加を行ったあと、一部のCHS遺伝子に復帰変異あるいは機能の先祖返りを起こす進化が起こり、STSが再度出現したようだ。

 さて、繰り返しになるようだが、後に高等植物へと進化する原始植物はSTSからCHSへの進化に伴ってフラボノイド類の合成能力を獲得した。これは太陽光に含まれる紫外線への抵抗性を増強し陸上へ進出するために必要な防御能力を獲得したことと同義である。しかし、この進化は、内生の生長調整物質であるルヌラリン酸の生合成能を失うことを意味する。水中にいたときに比べ、重力、乾燥、高酸素分圧、さらに高強度の可視光線と紫外線など、ストレスの高い新たな生態域に進出した植物が、ストレス耐性に関与する内生生長調整物質の生合成系を失うとは考えにくい。

 つまり、スチルベン合成系を失った原始植物は、ルヌラリン酸に替わる内生生長調整物質を前もって用意しておかねばならなかっただろう。現代の高等植物がアブシジン酸を抗ストレス性生長調節物質として使っているならば、まさにこの時点でルヌラリン酸からアブシジン酸へのリガンドの変更があったと考えるのが妥当であろう。ただ、そう考えるためには、きちんとしたアブシジン酸生合成と生分解のメカニズムが成立している必要がある。ルヌラリン酸からアブシジン酸への移行が円滑に進んだ理由を少し真面目に考えてみよう。ふう、ようやくアブシジン酸に話が戻ってきた気がする。

「アブシジン酸代謝に関して、そんな制御メカニズムが初めから用意されているはずはない」と考えれば、この乗り換え仮説は否定するしかない。確かに、何人かの研究者に断定的に否定されたことがある。否定されてもかまわないが、否定するのであれば、その理由とこの考え方を超える包括的解釈を示すべきであろう。

 何人かの人に、「面白いね、でも証明が難しいね」と、まあお話として認められたこともある。この評価は最悪、否定されるよりもっと悪い。科学は証拠に立脚した正しいものでなければならないというドグマに染まってしまい、科学とは想像力を駆使するものであることを忘れ去った所からの評価である。間違った仮説であっても、時として正しい理論構築の礎となるのである。量子論や宇宙論を一寸でもかじれば、最先端の仮説の殆ど全てが、こういう仮定を導入すれば、この現象の説明ができるという話ばかりではないか。ダークマターしかり、タキオンしかり、超弦理論しかり、大統一理論だってそんなものであろう。(こんなことを書いて、お前は理解しているのかと聞かれると、それは辛い。理解するどころか、学問の入り口にさえ立っていない。お話レベルで概念を知っているだけである。)そのレベルでの発言ではあるが、陽子であっても崩壊するのかしないのか分かっていない。崩壊しないとすれば標準理論が、崩壊するのであれば大統一理論が成立すると聞く。

 つまり「我々が観測できる世界から推測すると、その根源にはこんな世界があるはずだ」という言明は、科学である。そこにエビデンス、エビデンスと原理主義的実証主義を持ち込むことは、科学における楽しさを否定し、創造性を毀損してしまうことにつながってしまうのではないか。

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ABA 偽装隠蔽 3

 依然として気になっているのはCHS/STSが形成している大きなクラスターの外側にいる2つの配列F6GV80F6I151である。シロイヌナズナの場合と同様に、偽遺伝子化して進化速度が上がったもう一つの例であり、この配列を除外して解析したのは合理的判断であるとして話を閉じるのが賢いことは分かっている。そうしておけば、植物体内にはCHSあるいはSTSとしての機能を維持しながら、着実に進化を続けてきた配列群と、途中で偽遺伝子化して高い速度で進化してきた配列群が存在すると結論づけることができるだろう。

  だがその結論にそこはかとない違和感を感じるのである。私の感覚に従えば、アラビドプシスについての解析結果とブドウについての解析結果が余りにも似すぎている。ゼニゴケのスチルベンシンターゼQ516Y1と一応正常と判断している上部の配列群が4.7億年前に分岐したとすれば、クラスターの外側にいる2つの配列F6GV80F6I151との分岐時期は10億近い値となる。この10億年程度という値がアラビドプシスの場合とほぼ同じになるのが違和感の原因である。ブドウの異常配列とアラビドプシスの異常配列には何か関連があるのだろうか。

  そこで、両者を一緒にして解析て得られた樹形図を下に示したのだが、なんとブドウのはみだしものであったF6GV80F6I151はシロイヌナズナの異常なCHSと類縁関係にあったのである。いわゆる正常と思われる(現在機能している)グループとは別に、十億年ほど前に分岐した(?)と思われる別グループ−偽遺伝子化に伴う進化速度の昂進で発生した偶発的な配列と考えていたもの−が意外な広がりを持っている可能性が出てきたのである。

ブドウとシロイヌナズナの類似配列の一括解析

  若い頃だけではなく研究者としての晩年になってからも、論文を書くのが嫌いだった。研究とは最終目的は動かさないにしても、1段階ごとに得られる結果を基に、次のステップの実験予定を立てるものである。ところが、学術論文と呼ばれるものにおいては、Materials and Methodsという段落において、実験方法と実験材料を先立って書かなければならない。その後 Results and Discussion において結果と考察を書くのだが、どうしても実験の流れと考察の流れにギャップができるのである。ある実験をした。こんな結果が得られた。その結果を基礎として次の実験を行うとこんな結果が得られたと書きたいのである。つまり、“そこで”という接続詞を用いたいのだが、科学論文においてはそうした書き方は認められない。私にとって論文を書くという行為は、自粛、我慢、自己規制と同じだった。正直に言えば書きたくなかった。未熟だった頃一度だけ、こう考えて実験を行ったらこうなった、そこでこういうことが原因だと考え、それを確かめるために次の実験を行った。と言う書き方で投稿したことがある。もちろん没、門前払いであった。その後、何人かの知人たちが論文の書き方をさり気なくレクチャーしてくれた。あいつに論文の書き方を教えてやれという編集委員からの暖かいサジェストがあったと聞いている。気にかけていただき有り難かったのだが、それでも少しだけ反抗したかったのです。

  さて、十億年ほど前に分岐した(?)と思われる異常グループ−偽遺伝子化に伴う進化速度の昂進で発生した偶発的な配列群と考えていたもの−が意外な広がりを持っている可能性があると書いたのだが、それはブドウとシロイヌナズナについてだけの暫定的結論に過ぎない。この別グループの配列群は、植物の中でどの程度の広がりを持っているのだろうか。そこで(この「そこで」が自然に使える喜びはなにものにも変えがたい)、CHSの進化速度の解析を行った時に削除した異常と思える配列群を含めて、少しまとめて解析してみたい。定性的な表現で科学論文としては成立しないかもしれないが、各植物の中で異常な配列をもつとして解析から除いた配列の中には、当然非常に大きく異なっているものと、さほどでもないものが存在した。こうした配列群を選び、先に解析したシロイヌナズナの6本、ブドウの7本、さらにゼニゴケのSTSを加えて描いた樹形図を下に示している。

正常な配列群に異常なCHS/STSを加えて描いた樹形図

  この図において、タンパク質として発現している正常な配列をもつと考えられるQ5I6Y1P13114およびP28343が属するクラスターに布置される配列群と、これらと全く異なった配列群(ゼニゴケとの分岐より遙かに遠い時期に分岐したグループ)は二つのクラスターにきれいに分かれるのである。そしてこの異常クラスターにはシロイヌナズナとブドウの異常配列群だけでなく、ハクサンハタザオ(Q460X0Q460X6)、モントレーマツ(O24484)、イネ(Q43595)、パンコムギ(C3RTM5)のもつ配列群が含まれ、植物の中で予想を超える広がりを持つことが明らかになった。

 結論というほどのものではないが、私が行った解析が有効なのは、どうやら前の正常としたクラスター内に限られるようである。この正常と思われる配列群からなるクラスターは、植物内でCHS/STSとして機能する配列として進化してきた。もちろん、このクラスターの中にも幾分異常と思われる配列群が存在するが、それらについては偽遺伝子化して急速に進化し、復帰変異によって再度酵素活性を獲得したと考えてよいだろう。

 一方、10億年ほど前に分岐した(?)今ひとつ異常のクラスターは、いかなる意味を持つのか? いや、本当に10億年ほど前に分岐したかどうかも分からない。これらの配列群が転写も翻訳もされない、単なる類似シーケンスを持つだけならまだ疑問は小さいのだが、これらの中には転写段階で確認されている配列もかなりな数存在する。さて、それらは植物の体内でどのような意義を持っているのだろうか。10億年ほど前と言えば、真核生物が多細胞化した時代に近い。だからといって、何か説明できるかと言えば何も出来ない。この部分はしばらくの間、謎として残し、時々思い出しては考え続けていくしかないだろう。知的忍耐力が試される訳である。異常が解析において使わなかったデータについての論証です。これを隠蔽と見るかどうかは読者の判断にお任せするしかないだろう。都合が良いか悪いかは別にして、現時点で隠蔽しているデータはなくなった。次へ行こう。

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