ABA 沈思黙考 3

 この酸素添加酵素群に属するβ-ring hydroxylaseは、β-カロテンをその水酸化反応の酸素ではない基質として選んでしまった。β-カロテンは励起されたクロロフィルや酸素分子からエネルギーを受け取って熱として捨てる消去物質であったのだが、この時点でβ-カロテンは、自らが酸素分子と反応して酸素そのものを消去する役割まで持たせられることになったのであろう。但し、この推論は私が言っているだけであって、世間一般に認められたものではない。その点は割り引いて考えて欲しい。まず、次の図を見て欲しい。

アブシジン酸に関わる代謝経路

 上に示すようにβ-カロテンの4位と4’位への水酸化により生成したZeaxanthinは、2つの6員環上に存在する二重結合がエポキシ化を受けてall-trans-Violaxanthinへと変換される。この4段階の酸化(実質は分子の対象な位置での酸化なので2段階と捉えて良いかもしれない)プロセスの獲得にはどれくらいの時間がかかったのだろう。

 その後、all-trans-Violaxanthinは9-cis-Violaxanthinへと異性化された後、11位の二重結合が9-cis-epoxycarotenoid dioxygenase と呼ばれる酸化酵素によって解裂を受けXanthoxinを生成する。このXanthoxinがAbscisic aldehydeを経由する系、あるいはXanthoxic acidを経由する系を通ってアブシジン酸が生合成される。KEGGに従えば、Abscisic aldehydeからAbscisic alcoholを通ってアブシジン酸となる系も描いてある。最後の2段階の反応も酸化反応である。

 この図おいて実線で書いてある段階は、そこで働く酵素が明らかになっているが、破線の矢印部分は酵素が明らかになっていない段階である。さらに、赤の矢印で示してある段階は反応はオキシゲナーゼが触媒する反応で分子状酸素その物を消去している。アブシジン酸の歴史の長さを正確に決めることができないのは当然だが、二十数億年前にシアノバクテリアの体内でβ-カロテンの酸化が始まったとして、アブシジン酸には何時到達するのか。勿論、正確には分からないがある程度の推測は可能である。

 先に述べたように、紅藻、褐藻、緑藻にアブシジン酸の存在が知られているだけでなく、その生産の場が色素体であることを虚慮すれば、ミトコンドリアを獲得していた真核細胞が、シアノバクテリアとの共生をはじめた10億年程前までには、アブシジン酸の生合成が起こっていたと考えて大きく間違うことはないだろう。ここで注意して欲しいのは「アブシジン酸が生合成されることが、アブシジン酸が抗ストレスホルモンとなったことを意味しない」ということである。アブシジン酸はルヌラリン酸レセプターと親和性を持ついくつか、あるいは多くの canditateとともに、ルヌラリン酸の活性を引き継ぐ候補化合物になったにすぎない。シアノバクテリアとの共生が起こった後、上陸を試みていた植物の体内で、スチルベンシンターゼがカルコンシンターゼへと変化した4億7千万年前までの5億年余りの期間が、植物体内でアブシジン酸とルヌラリン酸が共存した時間であることを意味する。我々にとっては無限とも思える時の流れの中で、アブシジン酸はルヌラリン酸に代わりうる地位をすこしづつ獲得していったのではないだろうか。

 アブシジン酸の分布、CYPに対する捉え方など、私の提言は世に広く通用しているものではない。いわゆる「極々少数派の仮説」である。きちんとした論拠を基にこの仮設は間違っているとして否定されるのであれば、納得するにやぶさかではない。その程度の理性と謙虚さはは持ち合わせていると思っている。ただ、地球の歴史、酸素濃度の変遷、オキシゲナーゼの出現と進化、カロチノイド代謝系の歴史などなど、総合的に加味したアブシジン酸論を見たことはない。非常に残念なのだが、アブシジン酸は植物ホルモンであるという決めつけの下での応用研究と、アブシジン酸が人の健康にいかなる作用があるかという幾分専門的知識を欠いたような論説がまかり通っているのが現状だろう。もう一度、アブシジン酸は5番目の植物ホルモンであるという合意が成立する前に戻って、アブシジン酸とは植物にとってなんであるのかという議論が必要だと考えている。

 不思議なことだが、私が事実に即して真摯に考えると、高頻度で世の正論から外れてしまう。私がおかしいのか、世間がおかしいのか、当事者である私には判断が難しい。少し勿体を付けて言えば、歴史に判断を委ねるしかない。

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ABA 沈思黙考 2

 さて、地球の歴史を見たとき、大気中の酸素濃度は22±2億年ほど前に1度目の急激な上昇を起こしたという。それまで現在の酸素濃度の10万分の1以下だった酸素が、現在の100分の1程度まで急上昇した。酸素を基質とする酸化酵素、酸素添加酵素の出現は、この「大酸化イベント」と呼ばれる大気中の酸素濃度の上昇に対応する生物側の反応であった考えて良い。

  アブシジン酸の生合成に部分で書いたが、ステロイドの生合成は27億年程前まで遡るようだ。ステロイドの生合成がスクアレンモノオキシゲナーゼによるスクアレン分子のエポキシ化反応であることを考慮すれば、オキシゲナーゼ即ち酸素添加酵素の歴史は、少なくとも酸素濃度のジャンプ時期に5億年ほど先行することになる。思うに、ストロマトライトつまりシアノバクテリアが作るマットの中で、活性酸素だけでなく酸素自身の消去を含め、酸素に由来する毒性を軽減するために、種々の反応群が試されていたのであろう。アブシジン酸の生合成では、β-カロテンからクリプトキサンチンへの反応が、酸素添加酵素によって起こる最初の反応である。従って、シアノバクテリアにおけるこの反応の開始を25億年程度昔であると措定しても、大きくは間違わないであろう。このβ-カロテンからアブシジン酸までの6段階に及ぶオキシゲナーゼが関与する酸化反応と1段階の基質レベルでの酸化反応が完成するのにどれくらいの時間がかかったのかについて、正しく推定することは難しい。とはいえ、アブシジン酸が緑藻だけではなく紅藻類にも褐藻類にも存在することから、これら藻類が分岐する前の段階で生合成系が成立していたと考えてよいだろう。

 ここで雑談、以前一度書いたような気もするが、現在ではCYPすなわち酸素添加酵素は薬物代謝酵素として考えられるようだ。しかし、この考え方は間違っていると思う。なぜか?

 またもや薬学会のホームページから「薬物代謝」の第一相反応の部分を引用する。そこには次のように書いてある。

【薬物、毒物などの生体外物質(Xenobiotics、異物)の代謝反応の総称であり、対象物質の親水性を高め分解・排出しやすくすることが多い。これらを行う酵素を薬物代謝酵素といい、主に肝細胞内にあるミクロソームで行われる。医薬品の効き目や副作用の個人差、複数の薬の間での相互作用などに大きく関わる過程である。不要となった生体内活性物質(ステロイドホルモン、甲状腺ホルモン、胆汁酸、ビリルビンなど)の分解も含まれる。生体に対する作用を軽減することが多いが、代謝によって薬理活性を発揮する場合(プロドラッグ)や、生体にとって毒性の高い化合物に変換される場合もある。多くの発がん物質は、それ自体ではなく代謝された生成物が発がん性を示している。薬物代謝は、第1相および第2相の反応に分類される。 第1相反応では、対象物質の分子量は大きく変化しないか、あるいは分解により低減化する。エステルなどの加水分解、シトクロムP450(CYP)による酸化反応、還元反応などがある。CYPによる酸化反応は特に重要で、CYP酵素は生物種ごとに数十種あり、それぞれ基質特異性が異なる。CYPのことを限定して薬物代謝酵素と呼ぶ場合もある。CYP酵素は薬物などの投与により発現誘導されたり、薬物に阻害されたりすることがあり、薬物相互作用の原因となる事が多い。】

 さて、少し内容をまとめてみよう。「薬物代謝酵素が反応することで、薬物の毒性は増えたり減ったりする。多くの発がん物質は、薬物代謝酵素により代謝されて生じた代謝物に発がん性がある。代謝によって、薬物の分子量は大きく変化しないか、低減化する。薬物代謝酵素の代表とも言えるCYPは、薬物によって発現が誘導されたり阻害されたりする。」

 定義ではなく用語解説であるから、これで良いのかもしれないが、何を言っているのか皆目分からない。知識のあるヒトは、それぞれの項に対応する個別の事象を思い浮かべながら何とかごまかして読むことができるのかもしれない。しかし、一般の人向けの用語解説としては分かりにくいという以上に、支離滅裂であると言わざるを得ない。

 我々が服用する薬物のみならず、食物に由来する毒物や食物と共に摂取する残留農薬、呼吸時に取り込む環境汚染物質などは、薬物代謝酵素と呼ばれる酵素群によって代謝を受ける。そこで起こる反応には加水分解反応、還元反応、酸化反応、酸素添加反応などいくつかの種類が存在する。ここまでの議論の進め方に厳しく反論することはないが、我々が食べる毒物はきわめて多岐にわたる。その一つ一つに○○分解毒酵素などというものがあるという前提あるいは決めつけは間違いだと考える。例えば、加水分解酵素、これには多くの基質の異なる酵素群が存在するだけではなく、その酵素の一つ一つに複数のアイソザイムが存在する。中には何を基質にしているのかいまだに知られていないものも存在し、それらは non-specific esterase と呼ばれている。つまり、体内に存在する加水分解酵素のなかで、ある植物の毒成分を加水分解できる酵素を解毒酵素として読んでいるだけに過ぎない。こうした薬物代謝は既存の酵素の基質特異性の甘さに依存しているわけである。

 もう少し、世の中で云われていないことを指摘するとすれば、加水分解酵素の反応を考えるに当たって、どんな酵素においても共通して働いているにもかかわらず、意識されない基質は水である。水分子が水分子が形成するクラスターの末端で水素イオンと水酸化物イオンとして働き、一般的に基質といわれている物質と反応しているのである。加水分解酵素、すなわち水によって基質を分解する機能を持つ酵素であると命名されているにもかかわらず、反応の中で主体的に動いている水をほとんど無視する形で説明していると思う。こう書くと屁理屈だといわれる場合が多いのだが、次の例を見れば少しばかり納得してもらえるかもしれない。

 酸素添加反応を行うオキシゲナーゼについても、もう少し違った視点から考えるべきだと思う。以前はP450と呼ばれていた酵素だが、現在はCYP(Cytochromes P450 )と呼ばれることが多いこの酵素は、酸素添加を受ける基質群に基づいて分類されている。亜群で7群、分子種レベルでは11種があり、個別の酵素の総数などとても数えきれない。しかし、この分類法は間違っているとまでは云わないが、この酵素の本質を見間違えた分類だと思う。何故そう考えるのか。私見だが、CYPの役割は、酸素濃度の上昇に伴う活性酸素量の増加に対して、活性酸素の原料である酸素分子そのものを消去するのが本来の役割である考える。酸素分子を引き受ける分子としては、酸素と結合する能力を持っていれば何でも良かった、とにかく急激な酸素濃度の上昇期を生きのびるためには酸素分子そのものをクエンチする必要があったのである。私から見ればCYPの本来の基質は酸素分子であり、一般的に基質といわれている物質群は、薬物代謝酵素によって活性化された酸素分子と結合して、酸素分子そのものを消去するための分子に過ぎない、こう考えると一般的に認められているCYPの酸素ではない基質に対する特異性の広さ・甘さと酸素という基質に対する厳しい特異性が矛盾なく説明できると思うのだが?

 と、ある会合で発言したことがある。無駄だった。

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ABA 沈思黙考 1

 「上陸を果たし、維管束植物への歩みを始めた原始陸生植物は、持っていたスチルベンシンターゼをカルコンシンターゼへと進化させた。」と書いた。これもよく考えてみればリスキーな表現である。一般に植物という生き物は、それほど軽薄な生き物ではない。彼らのゲノムを見ると、同義遺伝子が極めて多数存在している。ルヌラリン酸が生育抑制型の生長調整物質であり、この調節機構が必須であるならば、遺伝子の重複、あるいはゲノムの倍加を通して複数の遺伝子を獲得し、いくつも存在するSTSの一部をCHSへと進化させれば良いではないか。何故に、スチルベノイドが消失するような変異が、一挙に全ての遺伝子群に起こったのか、それは有り得ないだろうとする反論があっても良い。いや、あってしかるべきであろう。私だってそう考える。

 ところが、面白い事実がある。ゼニゴケのゲノムサイズは約280Mbと特別小さいわけではないが、遺伝子数が少なく遺伝子の冗長性が少ない特徴があるとの報告がなされている。確かに調べてみるとCHS/STSに対しては2種の配列があるだけである。アラビドプシス(シロイヌナズナ)であれば24種の配列が、ヨーロッパブドウ(Vitis vinifera)であれば34本の配列が、予想配列まで加えると71本の配列が存在する。

 上記の結果を加味して考えれば、どうやら、遺伝子数の少ないゼニゴケ様の原始陸生植物の段階で、CHS からSTSへの変化が起こったと考えられる。これが、いくつかの例外を除くと、高等植物はスチルベンシンターゼを持っていないことの説明になるのだろう。マツ科、ブドウ科、マメ科植物の一部など、例外的にSTSを持つ植物においては、CHS遺伝子が何回かの重複やゲノムの倍加を行ったあと、一部のCHS遺伝子に復帰変異あるいは機能の先祖返りを起こす進化が起こり、STSが再度出現したようだ。

 さて、繰り返しになるようだが、後に高等植物へと進化する原始植物はSTSからCHSへの進化に伴ってフラボノイド類の合成能力を獲得した。これは太陽光に含まれる紫外線への抵抗性を増強し陸上へ進出するために必要な防御能力を獲得したことと同義である。しかし、この進化は、内生の生長調整物質であるルヌラリン酸の生合成能を失うことを意味する。水中にいたときに比べ、重力、乾燥、高酸素分圧、さらに高強度の可視光線と紫外線など、ストレスの高い新たな生態域に進出した植物が、ストレス耐性に関与する内生生長調整物質の生合成系を失うとは考えにくい。

 つまり、スチルベン合成系を失った原始植物は、ルヌラリン酸に替わる内生生長調整物質を前もって用意しておかねばならなかっただろう。現代の高等植物がアブシジン酸を抗ストレス性生長調節物質として使っているならば、まさにこの時点でルヌラリン酸からアブシジン酸へのリガンドの変更があったと考えるのが妥当であろう。ただ、そう考えるためには、きちんとしたアブシジン酸生合成と生分解のメカニズムが成立している必要がある。ルヌラリン酸からアブシジン酸への移行が円滑に進んだ理由を少し真面目に考えてみよう。ふう、ようやくアブシジン酸に話が戻ってきた気がする。

「アブシジン酸代謝に関して、そんな制御メカニズムが初めから用意されているはずはない」と考えれば、この乗り換え仮説は否定するしかない。確かに、何人かの研究者に断定的に否定されたことがある。否定されてもかまわないが、否定するのであれば、その理由とこの考え方を超える包括的解釈を示すべきであろう。

 何人かの人に、「面白いね、でも証明が難しいね」と、まあお話として認められたこともある。この評価は最悪、否定されるよりもっと悪い。科学は証拠に立脚した正しいものでなければならないというドグマに染まってしまい、科学とは想像力を駆使するものであることを忘れ去った所からの評価である。間違った仮説であっても、時として正しい理論構築の礎となるのである。量子論や宇宙論を一寸でもかじれば、最先端の仮説の殆ど全てが、こういう仮定を導入すれば、この現象の説明ができるという話ばかりではないか。ダークマターしかり、タキオンしかり、超弦理論しかり、大統一理論だってそんなものであろう。(こんなことを書いて、お前は理解しているのかと聞かれると、それは辛い。理解するどころか、学問の入り口にさえ立っていない。お話レベルで概念を知っているだけである。)そのレベルでの発言ではあるが、陽子であっても崩壊するのかしないのか分かっていない。崩壊しないとすれば標準理論が、崩壊するのであれば大統一理論が成立すると聞く。

 つまり「我々が観測できる世界から推測すると、その根源にはこんな世界があるはずだ」という言明は、科学である。そこにエビデンス、エビデンスと原理主義的実証主義を持ち込むことは、科学における楽しさを否定し、創造性を毀損してしまうことにつながってしまうのではないか。

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ABA 偽装隠蔽 3

 依然として気になっているのはCHS/STSが形成している大きなクラスターの外側にいる2つの配列F6GV80F6I151である。シロイヌナズナの場合と同様に、偽遺伝子化して進化速度が上がったもう一つの例であり、この配列を除外して解析したのは合理的判断であるとして話を閉じるのが賢いことは分かっている。そうしておけば、植物体内にはCHSあるいはSTSとしての機能を維持しながら、着実に進化を続けてきた配列群と、途中で偽遺伝子化して高い速度で進化してきた配列群が存在すると結論づけることができるだろう。

  だがその結論にそこはかとない違和感を感じるのである。私の感覚に従えば、アラビドプシスについての解析結果とブドウについての解析結果が余りにも似すぎている。ゼニゴケのスチルベンシンターゼQ516Y1と一応正常と判断している上部の配列群が4.7億年前に分岐したとすれば、クラスターの外側にいる2つの配列F6GV80F6I151との分岐時期は10億近い値となる。この10億年程度という値がアラビドプシスの場合とほぼ同じになるのが違和感の原因である。ブドウの異常配列とアラビドプシスの異常配列には何か関連があるのだろうか。

  そこで、両者を一緒にして解析て得られた樹形図を下に示したのだが、なんとブドウのはみだしものであったF6GV80F6I151はシロイヌナズナの異常なCHSと類縁関係にあったのである。いわゆる正常と思われる(現在機能している)グループとは別に、十億年ほど前に分岐した(?)と思われる別グループ−偽遺伝子化に伴う進化速度の昂進で発生した偶発的な配列と考えていたもの−が意外な広がりを持っている可能性が出てきたのである。

ブドウとシロイヌナズナの類似配列の一括解析

  若い頃だけではなく研究者としての晩年になってからも、論文を書くのが嫌いだった。研究とは最終目的は動かさないにしても、1段階ごとに得られる結果を基に、次のステップの実験予定を立てるものである。ところが、学術論文と呼ばれるものにおいては、Materials and Methodsという段落において、実験方法と実験材料を先立って書かなければならない。その後 Results and Discussion において結果と考察を書くのだが、どうしても実験の流れと考察の流れにギャップができるのである。ある実験をした。こんな結果が得られた。その結果を基礎として次の実験を行うとこんな結果が得られたと書きたいのである。つまり、“そこで”という接続詞を用いたいのだが、科学論文においてはそうした書き方は認められない。私にとって論文を書くという行為は、自粛、我慢、自己規制と同じだった。正直に言えば書きたくなかった。未熟だった頃一度だけ、こう考えて実験を行ったらこうなった、そこでこういうことが原因だと考え、それを確かめるために次の実験を行った。と言う書き方で投稿したことがある。もちろん没、門前払いであった。その後、何人かの知人たちが論文の書き方をさり気なくレクチャーしてくれた。あいつに論文の書き方を教えてやれという編集委員からの暖かいサジェストがあったと聞いている。気にかけていただき有り難かったのだが、それでも少しだけ反抗したかったのです。

  さて、十億年ほど前に分岐した(?)と思われる異常グループ−偽遺伝子化に伴う進化速度の昂進で発生した偶発的な配列群と考えていたもの−が意外な広がりを持っている可能性があると書いたのだが、それはブドウとシロイヌナズナについてだけの暫定的結論に過ぎない。この別グループの配列群は、植物の中でどの程度の広がりを持っているのだろうか。そこで(この「そこで」が自然に使える喜びはなにものにも変えがたい)、CHSの進化速度の解析を行った時に削除した異常と思える配列群を含めて、少しまとめて解析してみたい。定性的な表現で科学論文としては成立しないかもしれないが、各植物の中で異常な配列をもつとして解析から除いた配列の中には、当然非常に大きく異なっているものと、さほどでもないものが存在した。こうした配列群を選び、先に解析したシロイヌナズナの6本、ブドウの7本、さらにゼニゴケのSTSを加えて描いた樹形図を下に示している。

正常な配列群に異常なCHS/STSを加えて描いた樹形図

  この図において、タンパク質として発現している正常な配列をもつと考えられるQ5I6Y1P13114およびP28343が属するクラスターに布置される配列群と、これらと全く異なった配列群(ゼニゴケとの分岐より遙かに遠い時期に分岐したグループ)は二つのクラスターにきれいに分かれるのである。そしてこの異常クラスターにはシロイヌナズナとブドウの異常配列群だけでなく、ハクサンハタザオ(Q460X0Q460X6)、モントレーマツ(O24484)、イネ(Q43595)、パンコムギ(C3RTM5)のもつ配列群が含まれ、植物の中で予想を超える広がりを持つことが明らかになった。

 結論というほどのものではないが、私が行った解析が有効なのは、どうやら前の正常としたクラスター内に限られるようである。この正常と思われる配列群からなるクラスターは、植物内でCHS/STSとして機能する配列として進化してきた。もちろん、このクラスターの中にも幾分異常と思われる配列群が存在するが、それらについては偽遺伝子化して急速に進化し、復帰変異によって再度酵素活性を獲得したと考えてよいだろう。

 一方、10億年ほど前に分岐した(?)今ひとつ異常のクラスターは、いかなる意味を持つのか? いや、本当に10億年ほど前に分岐したかどうかも分からない。これらの配列群が転写も翻訳もされない、単なる類似シーケンスを持つだけならまだ疑問は小さいのだが、これらの中には転写段階で確認されている配列もかなりな数存在する。さて、それらは植物の体内でどのような意義を持っているのだろうか。10億年ほど前と言えば、真核生物が多細胞化した時代に近い。だからといって、何か説明できるかと言えば何も出来ない。この部分はしばらくの間、謎として残し、時々思い出しては考え続けていくしかないだろう。知的忍耐力が試される訳である。異常が解析において使わなかったデータについての論証です。これを隠蔽と見るかどうかは読者の判断にお任せするしかないだろう。都合が良いか悪いかは別にして、現時点で隠蔽しているデータはなくなった。次へ行こう。

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ABA 偽装隠蔽 2

 分子進化学が明らかにしたちょっと奇妙な結果は、生物種が変わっても、同一種のタンパク質の進化速度はほとんど同じ、つまり、表現型レベルで急速に変化している生物群でも、何億年間もほとんど変わらない種のものであっても、「同じタンパク質の分子レベルでの進化速度はほとんど同じである」というものである。この知見に従うと、1植物のもつ2種のカルコンシンターゼの進化速度がそれぞれ違うとなどいう安易な解釈はできない。当然の話であろう。では何が起こったか?

  先に何度か述べたが、植物においては、遺伝子の重複だけではなくゲノム全体の重複も珍しいことではない。こうして生成した同一機能を持つ遺伝子群のなかでは、少数の遺伝子が機能を失ったとしても生命の維持に支障がないため、いわゆる偽遺伝子と呼ばれる機能を失った遺伝子として保持され続けることが知られている。こうした偽遺伝子では、生物にとって不利な進化が起こっても淘汰が働かないため進化速度が非常に高くなる。通常、偽遺伝子とは、遺伝子として働いていたものが機能を失った場合を指すことが多いが、転写レベルでの発現が確認されている例においては、翻訳産物が機能を維持しているか維持していないかにかかわらず、タンパク質として発現している可能性は存在する。この場合偽遺伝子として捉えるより、むしろアイソザイムグループとして見た方が良いのかもしれない。

  では、異常なカルコンシンターゼの進化速度は、タンパク質が持ちうる進化速度の範囲内に収まるのだろうか。異常さが際立っているシロイヌナズナのカルコンシンターゼと、モクマオウの正常なカルコンシンターゼを選んで解析を行うと、

     naa=375、 daa=218

という値が得られる。つまり375アミノ酸座位に対して218カ所で変異が起こっているというわけである。この値から進化速度を計算すると kaa = 2.6×10-9という値が得られるのだが、この値は正常なカルコンシンターゼの0.54×10-9より5倍ほど速い。他のタンパク質と比べてみると、リボヌクレアーゼのkaa = 2.1×10-9よりいくぶん早く、もっとも進化の早いフィブリノペプチドのkaa = 8.3×10-9に比べるとかなり遅い。この値から言えるのは、分岐した時間の4分の1程度の間偽遺伝子化し、フィブリノペプチド並みの速度で進化をしたとすれば、シロイヌナズナカルコンシンターゼの異常な進化速度は説明可能となるし、これらの配列を除外したことの合理性が一応は説明できることになる。

 次にブドウについて見てみよう。西洋ブドウにおいては、CHS/STSに属する72本のアミノ酸配列がUniPlotでの検索で得られる。これらについてUPGMA法で樹形図を描くと下に示す図が得られる。

ブドウの全CHS・STSの樹形図

 これは一応示しただけの図であり、小さすぎて何も分からない。ただ、全体としてこんな形になるよというだけである。だが、気になる特徴がないわけでもない。ブドウは高等植物でありながらSTSをもつ少数派に属するのだが、この植物に存在するCHS/STSグループの中72本のでCHSと比定されるアミノ酸配列は上から8本のみであり、残りの62本はSTSと比定されている。何故ブドウにはこんなにたくさんのSTS の仲間が存在するのか。分からない。しかし、ブドウにSTSが存在するが故にレスベラトロールが生合成され、ワインはとても健康に良いというお伽話が成立している訳である。ここで、アラビドプシスの場合と同様に、これら72本の集合の中からタンパク質として発現している配列を含めて、CHS群から3本、STS群から3本、そして遠縁に当たるらしいF6I151F6CV80の計8本を選び、UPGMA法で樹形図を描くと下の図が得られるのだが、この図は上の図の簡略版であり当たり前でどうということはない。

ブドウの全CHS・STSの樹形図の簡略図

 この8本にアラビドプシスの場合と同じく、タンパク質レベルでの発現が知られている4本のCHS(アルファルファ、アサ、オトギリソウ、クズ)と5本のSTS(ブドウ、ピーナッツ、ストローブマツ、ヨーロッパアカマツ、およびミカズキゼニゴケ)を加えて解析し、UPGMA法で描くと樹形図は次のようになる。

ブドウのCHS、STSにタンパク質レベルでの発現が知られている4本のCHS(アルファルファ、アサ、オトギリソウ、クズ)と5本のSTS(ブドウ、ピーナッツ、ストローブマツ、ヨーロッパアカマツ、およびミカズキゼニゴケ)を加えて解析し、UPGMA法で描いた樹形図

 この系統樹はかなり面白い。常識的にこの図を解読するとすれば、高等植物のSTSも、ミカヅキゼニゴケのCHSであるQ5I6Y1から4.7億年ほど前に分岐した後、ゲノム重複によって出現した複数のCHSの一部が、復帰突然変異を起こしながら形成されていったと読み解いてよいだろう。ただ、遠縁に当たるらしいF6I151F6CV80 については、余りにも分岐した時代が遠過ぎて、現在の知識では説明がつかない。ここまでの議論、CHSとSTSを時には同じに扱い、時には分けて扱うという批判はあり得ると思うが、彼らがそういう関係にあるということもまた事実であろう。

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