ABA 思えば遠くへきたもんだ!

最終章 思えば遠くにきたもんだ!!

 考えてみれば四半世紀ほど昔のことであった。バブルに踊り前のめりにお金を追い求める風潮に反発を覚えて、生長にブレーキをかけるホルモン−アブシジン酸—を研究の対象とした。ところがアブシジン酸研究のフィールドにおいても、アブシジン酸の有効利用、高活性なアナログの合成、安価なアブシジン酸の製造などと、現代文明の流れに沿った研究が主流であり、落ち着いた科学としての研究を行うような雰囲気はすくなかったような気がする。多くの研究者にとって、「アブシジン酸の生合成が、何故C40のカロテノイド、キサントフィルを経由するという迂遠な経路を通るのか」などと言う疑問は、路端にうち捨てるべき雑音にすぎなかったようだ。まして「アブシジン酸はどうして植物ホルモンなのか」などという懐疑は、学会において存在するはずもなかった。

 現代においてこの傾向はいっそう強まり、すぐにあるいは近い将来に金銭的利益を生み出す研究だけが評価されるようになってきている。グーグルあるいはヤフーでアブシジン酸を検索してみられたらよい。まず、物質としてのアブシジン酸はどんなものかというサイト群がある。次に、アブシジン酸は植物ホルモンであることを前提とした研究についての発信が並んでいる。これをどう使えばあるいはどう制御すれば有益であるかという話に連なる発信群である。今ひとつは、アブシジン酸が動物における抗炎症性サイトカインとして働くという報告が基になったのかどうかは知らないが、アブシジン酸は健康に悪いと声高に述べ立てるサイト群が並んでいる。私のサイトはウイルスの進入で破壊され、しばらく行方不明が続いていた。

 科学から技術へと、時代の要請が変化してしまったようだ。「しかし、それでよいのか?」などという疑問は、時代遅れの人間がもつ述懐に過ぎないのだろう。さりとて、持ってしまった懐疑は、無かったものにするわけにはいかない。本来、アブシジン酸は何であったのかと考え続けていたとき、3つの大きな転機があったように思っている。

 一つは生理活性天然物化学・高橋 信孝、丸茂 晋吾、大岳 望 (1973)の中にルヌラリン酸を見つけ、Pryceらの論文に出会ったことにある。ルヌラリン酸の構造式をあれこれといじっていたとき、平面構造ではあるにしても両化合物の官能基の配置が似ていることに気が付いた。ここから、両化合物の類似性についての研究をはじめた。

 しかし、構造の類似性と両化合物の植物界での分布だけでは、「アブシジン酸によるルヌラリン酸のニッチの乗っ取り」に必然性を感じさせる説明をすることができない。両化合物の類似性について、色々な方向からデータを取りながら考えていたのは、高等植物においてルヌラリン酸はなぜ消えたのかと言う疑問である。高等植物においてルヌラリン酸が消えてしまった理由は何か?この疑問を追いかけていった結果、ルヌラリン酸(スチルベノイド)とフラボノイドとの進化的な関係に気付いた。同じく、アブシジン酸とルヌラリン酸の問題を理解し解決するには、時間軸の導入が不可欠であると思い至った。これが第二の転機であろう。

 いま一つの大きな転機は、「活性酸素―生物での生成・消去・作用の分子機構 」edited by中野 稔・浅田浩二・大柳 善彦 (1989)との出会いである。この中にアブシジン酸やルヌラリン酸について記述があるわけではない。しかし、活性酸素の物性、P450に代表されるオキシゲナーゼによる活性酸素の消去、カロテノイドを含む低分子物質による活性酸素の消去などの項目を何度も読みながら、オキシゲナーゼと呼ばれる一群の酵素といわゆる二次代謝物質の関連などについて考え続けた。その結果が、ルヌラリン酸とアブシジン酸の歴史の長さに関する考察、酸素添加による代謝爆発:Oxygenative Burst仮説となったわけである。

 さらに、全体を大きな矛盾なく考えるに当たって重要な意味を持ったのが、オーファンレセプターのミラーイメージとなるオーファンリガンドの概念である。Oxygenative Burst仮説から導かれるオーファンリガンドとオーファンレセプターの概念を組み合わせて考えていたとき、ある生理活性をもつ化合物の「化合物としての歴史」と「生理活性物質としての歴史」の長さが一致しないことに気付いた。これが種々の物質や生物現象の出現の歴史を重視する仮説群を基礎とする歴史生物学という分野を提唱する原因となった。

 こうしたいくつかの新しい仮説の組み合わせで、アブシジン酸によるルヌラリン酸レセプターの乗っ取り仮説を大きな矛盾なく論証できるようになったし、高等植物におけるルヌラリン酸の消失が、フラボノイドの分布とも重なる非常に大きな広がりをもつ事象群であることも明らかになった。ルヌラリン酸、アブシジン酸、これらに係わるカロテノイド、フラボノイド、スチルベノイドなどについて、いままでにない総合的な視座からの説明ができたのではないかと考えている。勿論、これは自己評価にすぎず、他の方々がどう評価するかは全くわからない。とはいえ、私が25年ほど前に何気なく持った疑問—高等植物になるときに植物はその抗ストレスホルモンをルヌラリン酸からアブシジン酸へと変更したのではないか−という些細な疑問は、当初思いがけないほどの広がりと深みを持った問いであったようだ。

 考えてみれば、アブシジン酸とルヌラリン酸という2つの化合物を通して、私は植物の進化を追いかけていたことになる。この間、お金に溺れることなく愛知者(フィロソフォス)としての道を踏み外さなかったことだけは誇って良いのかもしれない。

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ABA 沈思黙考 6

 KEGGに改訂に伴い、双子葉並びに単子葉植物はすべて完成したアブシジン酸生合成系を持つようになったようだ。しかしながら、アブシジン酸は「スギゴケ以上の高等植物に分布し・・・」という考え方に従うとすれば、困ったことになる。スギゴケの仲間に分類だれるヒメツリガネゴケはXanthoxinからAbscisic aldehyde、Abscisic aldehyde からアブシジン酸への二つの段階の酵素を欠き、シダ植物であるイヌカタヒバはAbscisic aldehyde からアブシジン酸をつなぐ酵素を欠く。では代謝系がアブシジン酸まで伸びていない植物はアブシジン酸を生合成できないのか。そんなことはない、アブシジン酸はそれなりに生合成され、色々なストレスに応じて増減しているようだ。この矛盾をどう説明すればいいのだろう。

 柿本人麻呂といえば、日本語という言語の黎明期に極めて大きな役割を果たした智の巨人である。彼の作歌は、彼の年齢とともに表記法が変わっていくのだが、その表記法が日本語の成立と同期しているようだ。勿論、私が言っているのではない。梅原猛氏が「歌の復籍」という本の中で述べていることである。ところが、柿本人麻呂歌集を、その表記法の違いを基に、彼が作った歌ではなく柿本人麻呂が集め編集した歌集として理解しようとする立場を取る人がいるらしい。日本版ホメーロス問題であろう。私は、私より遙かに優れた【天才】の存在を認め、歌の基底に流れる人麻呂独特の構想の大きさ・特有な調べから、柿本人麻呂歌集は柿本人麻呂一人の作品であるとする説に同意する。また関係のないことを書き始めたと、眉をひそめる読者がおられるかもしれないが、アブシジン酸の活性とは何であるか、アブシジン酸の生合成はどのように起こっているのかという2つの問に答えるには、ホメーロス問題が1つの指針になると考えている。

 かなり昔の話だが、ジベレリンの活性について考えていた頃、なぜこんなに多種類のジベレリンが存在するのかという疑問とともに、ジベレリンの活性とは植物体内に存在している活性型ジベレリンの活性の和として捉えるべきではないのかと考えていたのだが、そう言っても余り相手にされなかった。

 もう一つ、ジベレリンについては言葉の使い方に大きな矛盾が存在すると思っている。いままでに知られているジベレリンの仲間は100種を軽く越える。その中にはGA1、GA3、GA4など少数の活性の高い化合物群とともに、活性がないとされる多数の化合物群が存在する。微量で高い活性を持つ植物ホルモンという集合の中にジベレリンという物質群があるのだが、その中に生理活性を持たないジベレリン類を含ませることにはかなりな違和感を感じてしまう。つまり、生理活性のないホルモンという言明、これは自己撞着以外の何者でもない。ただ、ジベレリン研究の歴史的経緯から見れば、そんな言葉尻を捉えるような批判はするなとたしなめられる可能性が高い。

 それはそうとして、アブシジン酸の話である。先に述べたように、いくつかの植物がアブシジン酸に達する生合成系を持っていない。しかし、それら植物の体内にもアブシジン酸は存在する。存在するだけでなく、ストレスに応じて量が増減するらしい。この現象をどのように理解すればいいのか。

 答えは何度も書いてきた。賢明な読者には何を今更と思われるかもしれない。本ブログでは、酵素の基質特異性を意識的に否定するような発言を繰り返してきた。酵素の特異性なんて、酵素発見の初期においては驚くような特性であったことは理解できるが、大したものではない。酵素の中で多くのものは大した基質特異性は持たない。消化酵素を考えれば、それは明らかなことである。アミラーゼやペプチダーゼなどが高い基質特異性を持っていたら、食物中に含まれる雑多な鎖長をもつデンプンや種々のタンパク質に対応できないではないか。甘い基質特異性こそが必要なのである。

 さらに、かなり高い基質特異性が求められる酵素群、例えばシナプスでの正常な神経伝達に不可欠なアセチルコリンエステラーゼという酵素、本来の基質であるアセチルコリンと間違えて有機リン剤、カーバメート剤、そしてネオニコチノイド剤と呼ばれる極めて多数の化合物群を取り込んで本来の機能を失うではないか。酵素は容易に騙されるのである。さらに何度か強調したように、いわゆる解毒という代謝系の中で働くオキシゲナーゼ(シトクロームP450)の、酸素ではない基質に対する特異性は甘くないと、本来の機能は果たせない。

 アブシジン酸生合成系を見たとき、β-カロテンから後は殆どがオキシゲナーゼによる酸化反応の連続である。植物におけるオキシゲナーゼ分子種の多さを考えれば、ある段階が1種の酵素で触媒されていると考える必然性はないのではないか。もちろん、何種かの植物には萎凋性を示すミュータントが知られており、原因となっている遺伝子まで特定されていることは周知の事実である。だが、そうした代謝系のブロックが起こっているミュータントにおいても、アブシジン酸濃度が完全にゼロになってはいないのである。つまり、ある段階を触媒しているのは複数の酵素であり、その中で主要なものを○○代謝酵素として認識し、他のものを無視するということが起こっているのである。ひょっとしたら我々は、幾つかの種類の植物がアブシジン酸を抗ストレス性の生長調節物質として使用するようになる最終段階に立ち会っているのかもしれない。

 さて、先の考察を読んだ多くの人が、現在認められている定説の瑕疵部分をつなぎ合わせて構築したような考察だとの感想を持たれるかもしれない。その感想は分からないでもない。定説を信じる立場から見ればそう見えるだろう。しかし、私の立場は違う。定説というものは、物質にしろ酵素にしろ活性の高い、目立つものをだけ集めて紡いだ Noisy minority のための物語である。私が提出しているのは、量的には多くあっても活性の低い。あるいはない代謝物質と基質特異性の低い酵素を基礎にして構築した Silent majority を重視した仮説である。Silent majorityを説明するための仮説を、学会ではNoisy minorityであったかもしれない私が提唱する、人の世とは面白いものである。

 これから先は仮説というより単なる想像に過ぎないが、蓋然性のある想像として述べておく。β-カロテンからアブシジン酸に至る生合成経路において、酵素の関与しないtrans体からcis体へ異性化反応がある。9-cis-Violaxanthinと9-cis-Neoxanthin生成段階である。この異性化は光によって起こる異性化反応である。さらに、アブシジン酸の生合成の5つのステップが、モノオキシゲナーゼによる酸素分子の消去を伴う水酸化であり、いま1つもやはり酸素分子の消去を伴うジオキシゲナーゼによる二重結合の開裂反応である。これは何を意味するか。

 太陽光の照射が始まり光合成が起こると、先に述べた9位の2重結合のcis体への異性化とともに植物体内の酸素濃度は必然的に上昇する。酸素分子をこれらオキシゲナーゼの本来の基質であると考えれば、アブシジン酸の生合成が加速するのは必然の結果となる。つまりアブシジン酸は、光合成が起こる環境下において生合成量が増加するという基本的な動態を持つことが予想できる。さらに、太陽光が当たると当然気温が上がる、気温が上がると蒸散量が増える、従って、水の不足が起こりやすい。そんな条件下に、アブシジン酸の生合成が加速するのである。

 アブシジン酸が基本的にもつこの濃度変動特性は、植物で抗ストレス的に働く化合物として極めて望ましい特性であったに違いない。そしてこの望ましい特性を持つアブシジン酸の構造が、“原ホルモン”として働いていたルヌラリン酸とよく似ていた。二つの化合物が共存したと思われる5億年余りの時間の中で、アブシジン酸はルヌラリン酸の役割を補完する化合物としてのニッチを獲得していったのであろう。

 ところが、4.7億年ほど前に、陸上への進出を試みていた原始植物の中で、偶然にもスチルベンシンターゼがカルコンシンターゼへと変化を起こし、ルヌラリン酸の生合成系が消失した。この偶然と先述した二つの特性が、アブシジン酸によるルヌラリン酸に代わる次代の抗ストレスホルモンとして地位獲得を可能にしたのではないだろうか。さらにだが、スチルベンの喪失に伴って生合成が始まったフラボノイドと呼ばれる物質群が高い紫外線防御能を持っていたことも、原始植物の陸上への進出を助けたであろう。

 などなど、屁理屈かもしれないがよくも考えたと自ら呆れている。

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ABA 沈思黙考 5

 沈思黙考の5、データが古い以前の分をアップしてしまいました。新しいKEGGのデータを基に書き直したのですが、間違って消してしまいました。明日にでも新規なものに入れ替えますので、以下の分は読まないで下さい。

《 だが、生き物というものは一筋縄で理解できるものではない。進化的に見ると、単子葉植物は双子葉植物から分岐して進化してきたようである。進化していることが良いとか悪いとか言う判断はすべきではない。単に単子葉植物の方が進化が進んでいるというにすぎない。そこでだが、ゲノム解析の終わった植物群の中にも、単子葉植物が存在する。イネ(japonica)、ソルガム(モロコシ:年のヒトはコーリャンといった方が分かり易いかも)、トウモロコシ、セイヨウヤマカモジとアワの解析が終わっている。これらの植物についてアブシジン酸生合成系を眺めてみると、困った事実が判明する。下にジャポニカ種のイネの代謝系を占めそう。

イネ(ジャポニカ種)のアブシジン酸生合成系

 図13-7にイネのデータを示しているが、XanthoxinからABA-アルデヒドまでの代謝系はあるのだが、ABA-アルデヒドをアブシジン酸に導くaldehyde oxidaseが存在しない。アブシジン酸生合成の最終段階にあるはずのaldehyde oxidaseが存在しない?この酵素がないのにアブシジン酸生合成系と言えるのだろうか。

  ところが、この段階の酵素を欠いた植物はめずらしくないのである。マメ科のダイズ、タルウマゴヤシ、バラ科のエゾノヘビイチゴ、ウリ科のキューリ、ヤナギ科のポプラ(black cottonwood)そしてナス科のトマトもこの酵素を欠いている。ゲノム解析の終わった蘚類以上の植物18種の中で、この酵素を持つのはシロイヌナズナ、ミヤマハタザオ、トウゴマ、そしてヨーロッパブドウの4種に過ぎない。いろいろな植物でABA生合成系が何処まで機能しているのかをまとめると、以下のようになる。

各種の植物においてアブシジン酸生合成系はどの段階まで機能しているか

  結論だが、β-カロテンを通ってアブシジン酸に達する生合成経路と、これを消去して8-ヒドロキシアブシジン酸にする酵素を併せ持つ植物は、カラシナ科、トウダイグサ科そしてブドウ科にしかみいだせない。この事実を基に、アブシジン酸はストレス存在下に急速に生合成されるとか、ストレスが解除されると速やかに代謝されるなどという一般化した言明は、本当に可能なのであろうか。我々が見ていたのは、色々な植物の持つ代謝系を重ね書きして、一見完成したように見える「苟且の代謝マップ」ではなかったか。》

 以下の分は読まないで下さいと書いてはみたものの、読まないはずはないでしょうね。こんな場合、人は読むなといわれれば読むし、見るなといわれれば見る生き物です。鶴の恩返しであっても伊邪那岐命の神話であっても、見るなといわれれば見るものです。従って、上の部分がどう変わったかをこの下に書き加えることにした。書き換えていた原稿の保存を忘れ、編集ページを閉じたのが原因であるため、書き換えた原稿は消えてしまっているので、再度新たに書くことになってしまった。

 だが、生き物というものは一筋縄で理解できるものではない。進化的に見ると、単子葉植物は双子葉植物から分岐して進化してきたようである。進化していることが良いとか悪いとか言う判断はすべきではない。単に単子葉植物の方が進化が進んでいるというにすぎない。そこでだが、ゲノム解析の終わった植物群の中にも、単子葉植物が存在する。イネ(japonica)、ソルガム(モロコシ:年のヒトはコーリャンといった方が分かり易いかも)、トウモロコシ、セイヨウヤマカモジとアワの解析が終わっている。これらの植物についてアブシジン酸生合成系を眺めてみると、困った事実が判明する。下にジャポニカ種のイネの代謝系(2013年)を示そう。

イネ(ジャポニカ種)のアブシジン酸生合成系(2013年)

 ジャポニカ種のイネのデータを示しているが、β-カロテンからXanthoxinを通ってABA-アルデヒドまでの代謝系はあるのだが、ABA-アルデヒドをアブシジン酸に導くaldehyde oxidaseが存在しない。つまり、アブシジン酸生合成の最終段階にあるはずのaldehyde oxidaseが存在しないのである?イネだけでなくソルガム、トウモロコシ、セイヨウヤマカモジ、アワのすべてがこの酵素を欠いている。この酵素がないのにアブシジン酸生合成系と言えるのだろうか。ところがKEGGも生き物であり、常に新しいデータを基に改訂が続けられている。そこでどうなったか。以下に示す。

イネ(ジャポニカ種)のアブシジン酸生合成系(2021年)

 なんと、1.2.3.14(Abscisic aldehyde oxidase)が存在している。つまり、先の議論は成立せず、イネを含むすべての植物は完全なアブシジン酸生合成を持つということになった。まあ、進化学的にもっとも進んでいるという単子葉植物であるので、そうかと思うだけである。だが、2013年時の代謝マップでこの段階の酵素を欠いた植物はめずらしくないのである。(マメ科のダイズ、タルウマゴヤシ、バラ科のエゾノヘビイチゴ、ウリ科のキューリ、ヤナギ科のポプラ(black cottonwood)そしてナス科のトマトもこの酵素を欠いている。ゲノム解析の終わった蘚類以上の植物18種の中で、この酵素を持つのはシロイヌナズナ、ミヤマハタザオ、トウゴマ、そしてヨーロッパブドウの4種に過ぎない。)と書いたのだが、2021年段階においては、これらすべての種に完全なアブシジン酸生合成系が認められていた。

ダイズのアブシジン酸生合成系(2021現在)

 話としてはこの方が合理的であり納得しやすいのだが、少しだけ疑問が残らないでもない。最終段階で働くAbscisic aldehyde oxidaseなのだが、イネにおいては3種の酵素が存在すると書いてある。植物において複数のイソ酵素があること自体は不思議ではない。だが、これらの酵素についてコメント欄を見ると次のように書いている。 While abscisic aldehyde is the best substrate, the enzyme also acts with indole-3-aldehyde, 1-naphthaldehyde and benzaldehyde as substrates, but more slowly. Abscisic aldehydeが最適の基質であるのだが、これらの酵素はインドール酢酸生合成におけるindole-3-aldehyde に対してもゆっくりではあるが働く。生育を抑制するホルモンとされるアブシジン酸の生合成、その最終段階を担う酵素が、成長を促進するインド−ル酢酸(オーキシン)の生合成、その最終段階で働く。いやいやどっちやねんといいたくなる。

 少し調べてみると、オーキシン生合成酵素としては別の酵素が比定してあり、その酵素がAbscisic aldehydeに作用するとは書いてないので、Abscisic aldehyde oxidase のインドール酢酸生合成への寄与は少ないのかもしれない。しかしながら、Abscisic aldehyde oxidaseを欠いたままにしておくことへの不安感があったとも考えられる。誤解して欲しくないのだが、これはKEGGがデータを変えたなどという批判ではない。自然界とはそういうものである。もっといえば、こうした議論ができるテーブルを用意していただいたことに、感謝している。

 残っている疑問はシダ植物であるイヌカタヒバと蘚類に属するヒメツリガネゴケがアブシジン酸に到達しないABA生合成系しか持たないことかな。それらに対し、アブシジン酸はストレス存在下に急速に生合成されるとか、ストレスが解除されると速やかに代謝されるなどという一般化した言明は成り立つのであろうか。さらに、紅総類と緑藻類においてはアブシジン酸だけでなくルヌラリン酸の生合成も欠いているように見える。緑藻類は陸上植物の直系の祖先とされているとはいえ、水性の藻類だから、水ストレスはないだろうなどという一言で片づけるのは少し難しい。現状では分からないというしかないだろう。結論としていえることは、我々は、色々な植物の持つ代謝系を重ね書きして、一見完成したように見える Reference pathway に基づいて議論をしていただけではなかったか。神は細部に宿る、自戒である。

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ABA 沈思黙考 4

 言わずもがなの議論だが、ついでにもう一つ、はなはだ危険な爆弾を投げてみよう。若者は、この仮説を決して鵜呑みにしないで欲しい。この「極々少数派の仮説」を試験の解答として書いた場合、試験に通るかどうか保証はできない。近頃、自分が教えたことから外れた解答を書くと、内容を吟味することなく怒って単位を出さない小物教授がいるからである。いや、昔もいたか!しばらくは正統派の理論に従っていた方が無難である。では、危険な「極々少数派の仮説」とはどんなものであるか。

 さて、まずアブシジン酸の定義から話を始めたい。ちょっとだけ日本語のサイトを回ってみたが、どこも「アブシジン酸は植物ホルモンである」ということを前提にして、その生理活性を説明するという形になっている。いくつかの、植物生理学分野における代表的書籍においても、これは変わらない。「アブシジン酸は植物ホルモンである」と書いてあると我々はどう受け取るのだろう。

  素直な私は、「うむ、アブシジン酸はホルモンか。ホルモンは非常に生理活性の高い化合物である。きっと、生体内での濃度は厳密に制御されているに違いない。つまり、生合成系と生分解(不活性化を含む代謝系)が、完全に構築され精緻に制御されているだろう。ストレスがかかれば速やかに生合成が行われ、ストレスが解除されると速やかに代謝され活性を失うに違いない」と考える。ここまでの考えは、多くの方々と大きく乖離することはないと思う。

 話は少し変わるようだが、植物の中でゲノムの解析がすすめられ、シロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)をはじめとして30種弱の植物の全塩基配列が得られている。(ドラフト配列を含む)ここでは、KEGGにおいて利用可能な形になっている以下の26種の植物を使って議論しよう。

  Plants (26)

     Eudicots (11) 真正双子葉植物

       Mustard family (2) アブラナ科

         ath  Arabidopsis thaliana (thale cress)  シロイヌナズナ

         aly  Arabidopsis lyrata (lyrate rockcress) ミヤマハタザオ

       Pea family (3) マメ科

         gmx  Glycine max (soybean) ダイズ

         mtr  Medicago truncatula (barrel medic) タルウマゴヤシ

         cam  Cicer arietinum (chickpea) ヒヨコマメ

       Rose family (1) バラ科

         fve  Fragaria vesca (woodland strawberry) エゾノヘビイチゴ

       Cucumber family (1) ウリ科

         csv  Cucumis sativus (cucumber) キュウリ

       Spurge family (1) トウダイグサ科

         rcu  Ricinus communis (castor bean) トウゴマ

       Willow family (1) ヤナギ科

         pop  Populus trichocarpa  black cottonwood

       Grape family (1) ブドウ科

         vvi  Vitis vinifera (wine grape) ヨーロッパブドウ

       Nightshade family (1) ナス科

         sly  Solanum lycopersicum (tomato) トマト

     Monocots (6) 単子葉植物

       Grass family (6) イネ科

         osa  Oryza sativa japonica (Japanese rice)  イネ ジャポニカ

         bdi  Brachypodium distachyon セイヨウヤマカモジ

         sbi  Sorghum bicolor (sorghum) ソルガム

         zma  Zea mays (maize) トウモロコシ

         sita  Setaria italica (foxtail millet) アワ

     Ferns (1) シダ植物

       smo  Selaginella moellendorffii イヌカタヒバ

     Mosses (1) 蘚類

       ppp  Physcomitrella patens subsp. patens ヒメツリガネゴケ

     Green algae (6) 緑藻類

       cre  Chlamydomonas reinhardtii クラミドモナス

       vcn  Volvox carteri f. nagariensis ボルボックス

       olu  Ostreococcus lucimarinus オステロコッカス

       ota  Ostreococcus tauri オステロコッカス タウリ

       mis  Micromonas sp. RCC299 ミクロモナス

       mpp  Micromonas pusilla ミクロモナス プシラ

     Red algae (1) 紅藻類

       cme  Cyanidioschyzon merolae シアニディオシゾン

 http://www.genome.jp/kegg-bin/get_htext?htext=br08601_map00906.keg&hier=5 から引用 (分類名と和名は筆者の責任で追加している。)

 以下の議論で使う図は、すべてKEEGのカロチノイド代謝系からの引用である。こうした議論をする上で、KEEGにはいくら感謝してもし過ぎることはない。このデータベースがなければ、私は何もできなかったに違いない。そこで、まず紅藻類のシアニディオシゾン、すなわちイタリアの温泉に生育する単細胞性の藻類についての議論である。先に、紅藻にもアブシジン酸は分布すると書いた。さらに、紅藻に属するアマノリやオゴノリなどはアブシジン酸を含み、このアブシジン酸が生育阻害活性を持つ、そして紅藻に由来するアピコプラストをもつトキソプラズマにおいては、アピコプラストにおいてアブシジン酸が生産されるとも書いた。ところが下図を見て欲しい。

紅藻類であるシアニディオシゾンのアブシジン酸生合成系?

 紅藻類であるシアニディオシゾンの代謝系を見ると、アブシジン酸どころかゼアキサンチンまでで生合成は止まっている。(枠内が緑色にぬってある酵素が、この生物に存在する酵素である。以下の図においても同じ)困ったことだが、2021年段階のKEGGにおいてはβ-カロテンで生合成系は止まっているようになっているのである。まあ、シアニディオシゾンは原始的紅藻であって、もう少し進化した紅藻はアブシジン酸を生合成できるのではないかと考えたいところだが、どうもそういうことにはならなさそうな気がする。理由は以下に述べる。

 緑藻類を見てみよう。緑藻類であるHaematococcus pluvialisにおいては、酸化ストレスで誘導されるアブシジン酸が耐乾燥性をもつシストへの形態変化を誘導したり、クラミドモナス(Chlamydomonas reinhardtii)においてカタラーゼやアスコルビン酸ペルオキシダーゼを誘導して酸化ストレス抵抗性を向上させるという報告がある。では、ゲノム解析の終わった6種の緑藻について、生合成系がどこまで伸びているか、順に示していく。

ミクロモナス(緑藻類)のアブシジン酸生合成系?

 Micromonasにおいては上に示すように、ビオラキサンチンまでの生合成酵素はあるが、それ以降の反応を触媒する酵素は存在しない。原始的な緑藻と言われているOstreococcusにおいても同様である。この2種においては、リコペンからγ-カロテンを通ってβ-カロテンへ導く酵素もないことになっている。では、クラミドモナスにおいてはどうなっているのか?下に、クラミドモナスとボルボックスの持つ経路を示す。

クラミドモナス(緑藻類)のアブシジン酸生合成系

 困ったことなのだが、クラミドモナスとボルボックスもアブシジン酸まで達する経路は持たず、ビオラキサンチンでアブシジン酸生合成系は途絶えている。つまりここにおいても、アブシジン酸の生合成系も分解系であるファゼイン酸生合成系も存在しないにもかかわらず、アブシジン酸が働いているということになる。

 蘚類においてはヒメツリガネゴケのゲノム解析が終わっている。「アブシジン酸は蘚類以上の高等植物に分布し・・・」と書かれているので、ここでは合理的な結果が得られることを期待して、KEGGにアクセスすると、次の図が得られた。

ヒメツリガネゴケ(蘚類)のアブシジン酸生合成系

 アブシジン酸へ向かう生合成系は、緑藻類ではビオラキサンチンまでしか伸びていなかったが、ヒメツリガネゴケでは一歩進んでXanthoxinまで伸びている。しかし、Xanthoxinから先の生合成を担う酵素は未だ知られていない。いやいや、ヒメツリガネゴケはコケコケ、下等なコケだよ。研究の進んでいないそんな下等なコケではなく、シダ類以上であれば、調った生合成と生分解系の姿が見られるに違いない。

イヌカタヒバ(シダ類)のアブシジン酸へ向かう生合成系

 シダ類においてゲノム解析の終わっている植物はイヌカタヒバ(Selaginella moellendorffii)、ヒカゲノカズラ植物門イワヒバ科に属するシダ植物で、日本にも広く分布する。この植物においては、問題なく調った生合成と生分解系の姿が見られるのか。上図をみて欲しいのだが、生合成酵素についてヒメツリガネゴケと同じくXanthoxinまでの酵素を持つのだが、XanthoxinからAbscisic aldehyde をつなぐ酵素は持たない。にもかかわらず、2021年段階のKEEGに置いてはAbscisic aldehyde を酸化してアブシジン酸を作る酵素(1.2.3.14)は存在するし、アブシジン酸を不活性化して8’-ヒドロキシアブシジン酸に導く酸素添加酵素も存在する。いやいやいや、アブシジン酸を作る酵素がないのに酸化して不活性化する酵素はある、ちょっと矛盾するような気もしないではないが、たった1種のシダ、知識の蓄積が足りない。アブシジン酸は植物ホルモン、シダ植物を含む高等植物の植物ホルモン。研究の進んだ高等植物においてはきっと完璧だよ。完璧!!

 さて、高等植物なら研究の進んでいるアラビドプシス(シロイヌナズナ)、これを見るべきであろう。現代の植物学において、アラビドプシスを語らずして何をか況んや。というわけで、シロイヌナズナについてKEGGのデータをみてみると、下図のようになっている。

シロイヌナズナ(カラシナ科)のアブシジン酸の生合成経路

 確かに完璧である。生合成系がきちんとアブシジン酸まで伸長しているだけでなく、濃度調節に働くかもしれない8’-ヒドロキシアブシジン酸への代謝系も揃っているではないか。ファゼイン酸への代謝とアブシジン酸のグルコースエステルを作る酵素がないのに、その分解酵素がある点は少し気になるが、ここは目を瞑って、完璧完璧!同じカラシナ科でゲノム解析の終わっているミヤマハタザオ、トウダイグサ科のトウゴマ、ブドウ科でワインの原料であるヨーロッパブドウ、何れもアラビドプシスと同じ代謝系を持っているではないか。高等と言われる植物は、こうでなくてはいけない。

 とは言うものの、ここまでの代謝系が完成していない植物群のアブシジン酸生合成と生分解をどう理解すればいいのか。ある段階の反応を触媒するとされる酵素が無いにもかかわらず、生成物は生産されているという現象こそが、酵素の甘い基質特異性に由来していると考えていいのではないか。(もちろんその段階を担う酵素として特定されていない、現に2021年段階で空欄が埋まった酵素があるではないかという考えもありうる。しかし、2021年段階で以前に特定されていた酵素が外される例も存在する。困ったことである。)触媒活性自体はさほど高くないが故に、ある段階を触媒する酵素と特定できないが、その甘い基質特異性ゆえに、その段階を進めることができるいくつかの酵素群が、酵素が特定されていない反応を担保していると考えざるを得ないだろう。

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ABA 沈思黙考 3

 この酸素添加酵素群に属するβ-ring hydroxylaseは、β-カロテンをその水酸化反応の酸素ではない基質として選んでしまった。β-カロテンは励起されたクロロフィルや酸素分子からエネルギーを受け取って熱として捨てる消去物質であったのだが、この時点でβ-カロテンは、自らが酸素分子と反応して酸素そのものを消去する役割まで持たせられることになったのであろう。但し、この推論は私が言っているだけであって、世間一般に認められたものではない。その点は割り引いて考えて欲しい。まず、次の図を見て欲しい。

アブシジン酸に関わる代謝経路

 上に示すようにβ-カロテンの4位と4’位への水酸化により生成したZeaxanthinは、2つの6員環上に存在する二重結合がエポキシ化を受けてall-trans-Violaxanthinへと変換される。この4段階の酸化(実質は分子の対象な位置での酸化なので2段階と捉えて良いかもしれない)プロセスの獲得にはどれくらいの時間がかかったのだろう。

 その後、all-trans-Violaxanthinは9-cis-Violaxanthinへと異性化された後、11位の二重結合が9-cis-epoxycarotenoid dioxygenase と呼ばれる酸化酵素によって解裂を受けXanthoxinを生成する。このXanthoxinがAbscisic aldehydeを経由する系、あるいはXanthoxic acidを経由する系を通ってアブシジン酸が生合成される。KEGGに従えば、Abscisic aldehydeからAbscisic alcoholを通ってアブシジン酸となる系も描いてある。最後の2段階の反応も酸化反応である。

 この図おいて実線で書いてある段階は、そこで働く酵素が明らかになっているが、破線の矢印部分は酵素が明らかになっていない段階である。さらに、赤の矢印で示してある段階は反応はオキシゲナーゼが触媒する反応で分子状酸素その物を消去している。アブシジン酸の歴史の長さを正確に決めることができないのは当然だが、二十数億年前にシアノバクテリアの体内でβ-カロテンの酸化が始まったとして、アブシジン酸には何時到達するのか。勿論、正確には分からないがある程度の推測は可能である。

 先に述べたように、紅藻、褐藻、緑藻にアブシジン酸の存在が知られているだけでなく、その生産の場が色素体であることを虚慮すれば、ミトコンドリアを獲得していた真核細胞が、シアノバクテリアとの共生をはじめた10億年程前までには、アブシジン酸の生合成が起こっていたと考えて大きく間違うことはないだろう。ここで注意して欲しいのは「アブシジン酸が生合成されることが、アブシジン酸が抗ストレスホルモンとなったことを意味しない」ということである。アブシジン酸はルヌラリン酸レセプターと親和性を持ついくつか、あるいは多くの canditateとともに、ルヌラリン酸の活性を引き継ぐ候補化合物になったにすぎない。シアノバクテリアとの共生が起こった後、上陸を試みていた植物の体内で、スチルベンシンターゼがカルコンシンターゼへと変化した4億7千万年前までの5億年余りの期間が、植物体内でアブシジン酸とルヌラリン酸が共存した時間であることを意味する。我々にとっては無限とも思える時の流れの中で、アブシジン酸はルヌラリン酸に代わりうる地位をすこしづつ獲得していったのではないだろうか。

 アブシジン酸の分布、CYPに対する捉え方など、私の提言は世に広く通用しているものではない。いわゆる「極々少数派の仮説」である。きちんとした論拠を基にこの仮設は間違っているとして否定されるのであれば、納得するにやぶさかではない。その程度の理性と謙虚さはは持ち合わせていると思っている。ただ、地球の歴史、酸素濃度の変遷、オキシゲナーゼの出現と進化、カロチノイド代謝系の歴史などなど、総合的に加味したアブシジン酸論を見たことはない。非常に残念なのだが、アブシジン酸は植物ホルモンであるという決めつけの下での応用研究と、アブシジン酸が人の健康にいかなる作用があるかという幾分専門的知識を欠いたような論説がまかり通っているのが現状だろう。もう一度、アブシジン酸は5番目の植物ホルモンであるという合意が成立する前に戻って、アブシジン酸とは植物にとってなんであるのかという議論が必要だと考えている。

 不思議なことだが、私が事実に即して真摯に考えると、高頻度で世の正論から外れてしまう。私がおかしいのか、世間がおかしいのか、当事者である私には判断が難しい。少し勿体を付けて言えば、歴史に判断を委ねるしかない。

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