内乱というべきか

 数日ほど前から原因不明の体調不良が続いていた。何処が悪いということではないのだが、そこはかとない倦怠感、左胸の違和感、左目の違和感、耳鳴り、その他いろいろと変な感覚を覚えていた。一昨日、山で草刈りをしていたとき左目の上部から耳の後ろにかけてピリピリチクチクする感じが強まってきた。虫刺されかなと思いながらも仕事を終え、家に帰ったらいよいよ酷くなってきた。虫刺されの痕はなく疲労感が強かったし、頭痛も強くなった。耳の中で蝉も鳴いていた。

 まだ水泡ができる段階ではなかったものの、知り合いの皮膚科の友人のところに行ったのだが、多分間違いなく帯状疱疹でしょうとという診断である。私もそう思った。意見が一致したところで、投薬治療を始めた。要するに生意気な患者である。こんな症状が数日続いています。今日はこんな状況なので、多分病名はこれだと思います。間違いないですかね、と医者に確認を求める。友人だから笑って許してくれるが、他の医者であればいらんことを言うな、診断するのは私だと怒るに違いない。まあ私だって、相手を見て話をしているわけで、見ず知らずの医者にそんな失礼なことはしない。それにしてもパラシクロビル錠剤の大きいこと、一回の投与量も1グラムである。

 帯状疱疹、子供の頃にかかった水痘つまり水疱瘡の病原体である水痘ウイルス(二本鎖DNAウイルスのアルファヘルペスウイルス亜科ワリセロウイルス属)が、神経節中に潜伏を続け、ホストが弱ったときに神経細胞を取り囲んでいるサテライト細胞の中で再度増殖することで発症する。特に疲れるようなことをした記憶はないので、私の体力が落ちたというのが実態だろう。ひょっとすると春先の太陽光を受け過ぎたのが原因かもしれない。

 まあ、ということで、パラシクロビルの服用を始めた。ところがこの薬、昔私が作った化合物と結構よく似ている。パラシクロビルは下に示したような構造を持ち、体内でアミノ酸であるバリンとのエステル部分が加水分解されて生成するアシクロビルが抗ウイルス性を発揮する。同じく、帯状疱疹治療薬として用いられるファムシクロビルも末端の2つのアセチルエステル部分が加水分解され、活性化された後に抗ウイルス活性を示すのである。私が作った化合物は右側に示したような構造を持つもので、核酸塩基部分としてはアデニンとグアニンを使っていた。記憶をたどればだが、アデニン残基を付けたものよりグアニン残基を付けたものの方が活性が高かった。

 これらが何故効くのか、化学には馴染みのない初心者が居られるかもしれないので少しだけ付け加えておく。次の図を見て欲しい。左側は一本鎖DNAの一部である。(2’位にOH基があればRNAの一部となる。)2’位に水酸基を持たないデオキシリボースの5’位と次のデオキシリボースの3’位の水酸基がリン酸エステルとして繋がって長い鎖を構成し、それぞれのリボースの1’位にアデニン、グアニン、シトシン、あるいはチミン(RNAの場合はウラシル)の核酸塩基が結合した形となっている。

 そこでだが、中央に示した2-デオキシグアノシンは5’位の水酸基(青色)がリン酸化され、2-デオキシグアノシン-3-リン酸となってDNAの生合成系に取り込まれる。同じく、アシクロビルの末端の水酸基も3-リン酸に変換された後DNAの生合成系に取り込まれることが知られていいる。つまり、アシクロビルの末端の水酸基は右側の形を通ってリン酸化されDNA生合成系に取り込まれるのだが、3’位に対応する水酸基がないため複製がそこで止まってしまう。つまり、ウイルスの増殖が止まるわけだ。ファムシクロビルの場合は、アシクロビルと同じく5’位に相当する水酸基が3-リン酸化されるのだが、DNA生合成系に組込まれるのではなく、このリン酸化物がDNA複製で働くDNAポリメラーゼの基質であるデオキシグアノシン三リン酸(dGTP)に競合的に拮抗することでDNA生合成を阻害する。さて、私が作った化合物の作用メカニズムはどうなのだろうか。

 ということで書き始めて数日経った。完全とは言えないが、前頭部のかすかな痒みと目の少々の違和感を残して何とか回復したようだ。一番気になっていた左胸の違和感が消え、よく眠れるようになったのが有り難い。多分60年以上共棲というか併存してきた水痘ウイルスが、ホストが弱体化したのを感じて内乱を起こしたのだろう。ホストは自らの力ではこのウイルスに抵抗できず、パラシクロビルという化学兵器を使って内乱を鎮圧したと考えて良い。昔、私が博士号を頂いたM先生がインフルエンザにかかったのだが、インフルエンザウイルスが心筋に感染したため少なからず危ない状況になった。お見舞いに行ったら、分厚い海賊版ではないメルクインデックスを開いて、今使っている薬はこれだよと、多分アマンタジンのページを見せられたことを覚えている。私もよく似たことをしているなと、苦笑いするしかない。

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