解糖系 蛇足のページ 

 この経験を若い学生さん達に共有してもらいたいと願っている。そこで蛇足と分かってはいるが、解糖系を生物有機化学的見地から少しばかり丁寧に描いておきたい。一般の方々は読み飛ばされて、いや読み捨てられて結構であるが、少し詳しく理解したいと考えている真摯な学生さん達には有益だと考える。大学を中途退職して10年程経ったのにまだこんなことを言い続ける、つくづく教えることがというより、伸びていく若者を見るのが好きだったのだなと思う。

 まずグルコースについてである。グルコースは水に溶かすと、図2に示すよう3種の混合物として存在する。(量的に少ないのでフラノース型は無視する)そして下図におけるⅠ、Ⅲ、Ⅳの式で書いてある場合が多い。有機化学を十分にわからない段階でこういわれると、解らんと壁を作ってしまう学生が多い。少しかみ砕いて書いてみよう。

図2 鎖状構造を介したグルコース異性体間の相互変換と変換反応時のプロトンの処理

 この図においてⅠとⅡ、ⅣとⅤは同じものである。とにかく水に溶かすと、グルコースは Ⅰ、Ⅲ、Ⅴ の構造間で相互に変換しながら存在している。色んな書籍の中でよく見かけるのはHaworthの投影法にしたがって描かれたIIとVの式、及び Fisher 投影法に従って描かれた III の式である。I と IV は、立体化学を意識して描かれたものである。では II と III と V は相互に違うのか、それとも同じものかという疑問を持たれると思うのだが、答えは難しい。こうして形を固定して描いてしまえば違うものである。しかし、次の瞬間には Ⅲ を経由して相互に変換しているという立場に立てば、同じものであり得るという禅問答のような答えが正しい答えとなるだろう。

 グルコースは還元糖でありフェーリング反応を起こすし銀鏡反応も起こすことが知られている。この D-Glucoseの還元性は、III式の1位にあるアルデヒド基が原因になっている。では、II、V で示す α-D-グルコース や β-D-グルコース にはアルデヒド基がないため還元性は持たないかといえばそんなことはない。それらを水に溶かすと、I(α-D-Glucose 約 37 %)、III (D-Glucose ごく微量)、V (β-D-Glucose約 63 %)の平衡混合物となってしまう。そして、ごく微量存在するD-グルコースが、還元性を示す原因となるのである 。その異性化のプロセスを、下段に分かり易く描いてみた。

 そこで中央のD-グルコースをHaworthの式をイメージしながら描くと、下段に示した左右二つの式(VIとVII)を描くことができる。一見、1位の形が違うのではと思われるかもしれないが、1-2位の炭素間はsp3混成軌道間の結合であるため、自由回転(Free rotation)が可能であり、これらの2つの式は同じ物質を示している。ここで、5位の水酸基の酸素分子が1位のカルボニル炭素を求核攻撃するとヘミアセタールが生成し、環状構造が出現する。この時、アルデヒド基のカルボニル基が向いていた方向によって、環の1位に出現する水酸基の方向が確率的に決まってくる。

 初学者が迷うのが水素イオンの処理である。5位の水酸基の酸素分子が1位のカルボニル炭素を求核攻撃するに際して、水酸基の水素は水素イオンとして外れなければならない。その水素イオンは、攻撃を受け立ち上がったカルボニル基のマイナスに荷電した酸素に移動しなければならない。慣れれば何でもなく脳内で処理できるのだが慣れない間は何となくこの水素イオンがこっちの酸素に移動しなければならない。結構遠いな、などと考え込んでしまうらしい。グルコースは水に溶けている。その時、水素結合で連なった水分子のクラスターみたいなものが、水素イオンの見かけの移動を担っていると考えれば良い。図1の下部に書いた概念図を参照して欲しい。左側の図がα-D-グルコース、右側がβ−D-グルコースの場合の図である。これらの図が正しいというわけではなく、挟まってくる水分子はいくつでも良い。

 さてそこで、解糖系にはいることにする。図3に解糖系の最初の部分、グルコースからフルクトース-1、6-ジリン酸までの反応を示す。中段の列が通常描かれているもので、上下に各反応のメカニズムを示している。ここで、Enzyme-B: は酵素の活性部位に存在する塩基性部位を示し、Enzyme –A-Hは酵素の活性部位に存在する酸性部位を示す。これもまた初学者が惑うことなのだが、Enzyme –A-Hから水素イオンが外れるとEnzyme –A:−イオンとなり(−記号は上付き文字)これは塩基として働くし、水素イオンを受け取ったEnzyme-B: H+(+記号は上付き文字)は酸として働くことになる。


図3 α-D-グルコースからフルクトース-1,6-ビスリン酸まで

 グルコースからグルコース-6-リン酸(G-6-P)への反応は、グルコースの6位の水酸基とATPの γ 位のリン原子との間に起こる2分子求核置換反応《SN2反応》により進行する。この反応において酵素は反応の進行を促進すると同時に、二つの基質を補足してグルコース6位の水酸基とATPの γ 位のリン原子間で反応が起こるように配置するわけだ。

 生成したG-6-Pは、まずヘミアセタール環が解列してできたαヒドロキシアルデヒドがケト-エノール互変異性体であるcis-エンジオール中間体を経由して鎖状のフルクトース-6-リン酸に異性化した後、生成したカルボニル基と5位の水酸基の間でヘミアセタール環(フラノース環)が形成されることで完成する。この反応においては描きにくかったので省略したが、ホスホヘキソースイソメラーゼの活性部位内の塩基性部分が、反応において脱離するプロトンを攻撃し、そのプロトンを生成した酸素アニオンに供与していると考えて良い。この際、グルコースの環化と同じように4位と5位の炭素間の結合が自由回転であるため、生成するF-6-Pはα体とβ体の混合物になるらしい。従って中段のF-6-Pには結合を波線で示した。F-6-PからF-1,6-PPヘの変換は、α体を例にしたように描いているが、やはりF-6-Pの1位の水酸基がATPのγ位のリン原子を攻撃して起こる起こる2分子求核置換反応《SN2反応》である。生成したF-1,6-PPは多分α体とβ体の混合物になるのだろう。書籍によりα体で描いてある場合とβ体で描いてある場合が存在する。生体内の話であるため、水中にあると考えて良いだろう。とすれば、この両異性体間においても相互変換が起こっているため、簡単にこちらだと決めることは難しそうだ。今後は、そうしたことも頭に入れた上でα体の形で描いていくことにする。

 これくらい丁寧に描いてある教科書があったら、私ももう少し早い時期に理解が進んだかもしれない。それはお前の理解力の低さに由来するものだと言われればそうかと言う以外に言葉はないが、話を聞いていると多くの人も解っていないことが言葉の端々から感じられる。多くの人の中に生化学教育を担っている方々が散見されるのが残念である。

 ただし、以上の描き方では、酵素の反応に対する関与については殆ど述べていない。糖分子にはいくつもの水酸基があるのに、何故特定の水酸基のみが反応に関与するのか、反応の促進はいかに起こるのか、などという問題に踏み込まなければならないのだが、そこまでやると何が問題であったのかさえ霞んでしまうだろう。生物における酵素反応の奥はもっと深いということで、ここは納めておくことにしよう。では次の段階、すなわち、フルクトース-1,6-ジリン酸から3-ホスホグリセルアルデヒドと1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸への反応に進むことにする。

 解糖系における反応の中で、この段階がもっとも解りにくいのではないかと思う。ここで起こっている反応はレトロアルドール縮合と呼ばれるものだが、レトロアルドール縮合はよく知られたアルドール縮合の逆反応である。まず図4にアルドール縮合の説明から描いておくことにする。上段にはアルドール縮合の端緒と言うべき反応を描いている。アルドール縮合に分類される反応は無数といっても良い程存在し、アルドール縮合に分類される反応をまとめたAldol condensationというタイトルを含む書籍は、数十種を優に超えるだろう。そのアルドール縮合の原型とされている反応が、図に示したアセトアルデヒドからアルドールを生成する反応である。有機化学の入門書においては「α-水素をもつケトンまたはアルデヒドが縮合して,β-ヒドロキシケトン,もしくはβ-ヒドロキシアルデヒドを生成する反応」などとごく簡単に説明して、2分子のアセトアルデヒドからアルドールが出来る反応と、それに続くアルドールから脱水によってクロトンアルデヒドが副生する図が示されている場合が多い。

図4 アルドール縮合の説明図

 だがこの反応はそんな説明で済むようなものではなく、炭素−炭素結合を作る極めて重要かつ応用範囲の広い反応である。とはいえ、ここは有機化学の話をする場ではない。少しだけ有機電子論の立場からアルドール縮合について説明し、目的のレトロアルドール縮合へと話を続けたい。アセトアルデヒドはカルボニル基の隣の炭素上に水素原子が存在する。従ってケト-エノール互変異性体が存在するわけだ。中段に描いた反応式において左側がアセトアルデヒドのエノール体、右側がケト体である。エノール体がケト体に異性化しようとするとき、瞬間的に2位の炭素がアニオンに変わると考えて良いだろう。そのアニオンが、隣のケト形のカルボニル炭素を攻撃して炭素−炭素結合が生成すると同時に、腑に荷電した酸素にプロトンが結合してアルドールとなるわけである。

 この反応は塩基性触媒、あるいは酸性触媒の存在下に加速されるのだが、塩基性の触媒は右に示したA即ち炭素アニオンの生成を加速し、酸性触媒はB即ちカルボカチオンの生成を加速することで反応速度を上げている。蛇足だが、仮想的アルドラーゼは下段に示すように、活性部位に存在する塩基性部位と酸性部位が協奏的に働き驚くほどの反応速度を達成していると考えられる。但し、これは模式図にすぎない。反応メカニズムがそうなっているという意味での話であって、実際に生物中にアルドールそのものを形成する酵素が存在するかどうかは分からない。(電気陰性度の差によるカルボニル基の立ち上がりとか、ルイス式による構造式の表示と形式電荷などについては理解しているという前提で描いている)

 とりあえずアルドール縮合は分かったとして、先に進むとすれば、この反応の逆反応がレトロアルドール縮合である。この開裂反応はまだ未熟だった私を最も悩ませた変換反応の一つである。この反応において、フルクトース-1,6-ジリン酸はレトロアルドール縮合を起こし、1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸と3-ホスホグリセルアルデヒドへと解列するのだが、当時は何が起こっているのか皆目分からなかった記憶がある。

図5 レトロアルドール縮合によるフルクトース-1,6-ビスリン酸から3-ホスホグリセルアルデヒドと1,3-ジヒドロキシ-アセトンリン酸ヘの開裂

 図5の上段に示すように、アルドールのβ位の水酸基からカルボニル基が再生するとき2位のC−C結合が切れ、左側の部分からアセトアルデヒドが生成するのと同時に、右半分はアセトアルデヒドの2位の炭素原子上にアニオンが発生する。このアニオンが最初に外れたプロトンと結合して、もう一分子のアセトアルデヒドが生成すると考えて良い。その次の段に、上の反応の形に合わせてフルクトース-1,6-ビスリン酸のフラン環が開いた後、3位と4位の間で開列が起こるレトロアルドール縮合を示した。上下を見比べてもらえば分かりやすいだろう。

 1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸には不斉中心が存在しないためそのまま下段のように描いて不都合はない。一方、3-ホスホグリセルアルデヒドは2位の炭素が不斉炭素であるため、これをフィッシャー投影法で描き直してやると見慣れた投影式が得られる。この辺りの表記法については、分子模型を使って慣れるしか方法はない。不思議な物で、慣れれば脳内に浮かんだ分子が回転したり反転したりするようになるので、そこまで頑張って下さい。

 最後に、1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸はトリオースリン酸イソメラーゼによって3-ホスホグリセルアルデヒドへと異性化され解糖系の中に取り込まれていく。従って、ここから先は2分子が流れていくことになるのだが、この異性化はエノール性互変異性体を介して起こる異性化反応でありフルクトースとグルコースの相互変換とメカニズム同一である。一言付け加えるとすれば、この段階も立体選択的な反応で、生成物はD体のつまりフィシャー投影において水酸基が右側に描かれる3-ホスホグリセルアルデヒドであることは注意しておくべきである。(1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸は上下を入れ替えて描いたほうが親切だったと思わないでもないが、上の段とのつながりもありこの形となりました。)

 レトロアルドール縮合はアルドール縮合の逆反応である。またもや脱線するが、縮合反応の一般的な定義は、2つの分子が水、アンモニアなどの小さな分子の脱離を伴って新しい共有結合を生成する反応をいう。そうであるのにフルクトース-1,6-ジリン酸から3-ホスホグリセルアルデヒドと1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸ヘの反応は、レトロアルドール縮合という縮合反応に分類されているにもかかわらず、実際はフルクトース-1,6-ジリン酸が3-ホスホグリセルアルデヒドと1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸ヘ開裂しているのである。これは上記の定義に合わないのではないか。

 「君は人の悩まないところで悩む才能を持っているね」とある人に褒められた(けなされた?)ことがあるのだが、まさにその通りである。こんなことで悩んでいると学習が進まない。でも、世の中には私のような若者がいるかも知れないと考えて以下の説明を付け加えておくことにする。

 アルドール縮合の逆反応であるレトロアルドール縮合は、縮合反応ではなく開裂反応である。勘違いしないように書くとすれば、レトロアルドール反応として縮合という言葉を抜くべきであろう。要するに、人の悩まないところで悩む才能を持つ阿呆な著者がレトロ・(アルドール縮合)と切るべき所を、(レトロアルドール)・縮合と切ってしまい、この反応を縮合反応であると思い込んだのが迷走の原因であった。つまりレトロアルドール縮合とはアルドール縮合の逆反応であり、C-C結合の開裂反応である。

 つづいて、3-ホスホグリセルアルデヒドから1,3-ビスホスホグリセリン酸への基質レベルでの酸化を伴うリン酸化反応である。

図6 3-ホスホグリセルアルデヒドから1,3-ビスホスホグリセリン酸ヘの変換反応

 図6に示すように、この反応の初発段階は、3-ホスホグリセルアルデヒドデヒドロゲナーゼのシステイン残基にあるSH基が3-ホスホグリセルアルデヒドのアルデヒド基に付加する反応である。酵素内の塩基性部位がチオール残基を活性化し、カルボニル基への付加を加速する。この際、酵素内の酸性残基がカルボニル基の立ち上がりを促しているため、この付加反応は速やかに進行する。この付加反応で、酵素内の酸性残基と塩基性残基が入れ替わっている。−A:で表示された塩基が1位に発生していた水酸基のプロトンを攻撃してカルボニル基の再生が起こるのだが、この時1位の水素がアニオンとなってNAD+のピリジン環の4位に求核的に付加する。この反応は、水に対して極めて不安定なヒドリドイオンが生体内で移動するという興味深い反応である。よく見ていただければ分かると思うが、−A:でプロトン(H+)が抜かれ、ヒドリドイオンの移動でHが抜かれている。両者を合わせると脱水素が起こっているため、この段階が酸化反応ということになる。次の段階では正リン酸イオンが反応性の高いチオールエステルのカルボニル基を攻撃した結果、切れていく硫黄アニオンが酵素分子内の−B:を再生して酵素が元に戻ると同時に、目的物である1,3-ビスホスホグリセリン酸が生成することになる。

図7 1、3-ジホスホグリセリン酸からピルビン酸までの変換反応

 さて図7に示すように、ここで得られた1、3-ジホスホグリセリン酸のカルボン酸とリン酸の混合酸無水物は化学的に非常に反応性が高く、キナーゼの存在下にADP末端のリン酸基ををリン酸化してATPを生成すると同時に、3-ホスホグリセリン酸を与える。このステップがグリコリシスにおける最初のATP生産段階である。

 次のステップは幾分ややこしい。ここでは脊椎動物、昆虫、藻類、そしてグラム陰性菌に主に分布している反応について描いておく。働く酵素はホスホグリセリン酸ムターゼなのだが、この酵素は分子内にリン酸化されたヒスチジン残基を持っている。反応のはじめの段階で、この酵素のリン酸基は3-ホスホグリセリン酸の2位のリン酸化に使われる。つまり2,3-ジホスホグリセリン酸が中間体になるのであるが、この中間体が生成すると直ぐに酵素の活性部位の形が変わり、酵素のヒスチジン残基は2,3-ジホスホグリセリン酸の3位のリン酸基を攻撃してリン酸化され元に戻ると同時に、2-ホスホグリセリン酸が生成する。従って、この2位のリン酸基は酵素のヒスチジン残基と結合していたものであり、初めに3位に存在していたリン酸基が転移したものではない。

 次のステップはエノラーゼに触媒される脱水反応である。図7に示すように協奏的に脱水が起こり、極めて反応性の高い重要な代謝中間体であるホスホエノールピルビン酸が生成する。このホスホエノールピルビン酸はピルビン酸のエノール体に存在するエノール性水酸基がリン酸化された形の化合物で、ピルビン酸キナーゼの存在下にADPをリン酸化してATPを生産しながら解糖系の最終産物であるピルビン酸が生産されることになる。

 できるだけ丁寧に記載しているので、興味のある方は全体を通してトレースして下さい。有機化学系の学生さんは、生化学反応が有機電子論的に描けることに納得して頂けると思うし、生化学系の学生さんは、生化学反応の基礎にある有機化学という学問に今少し目を向ける切掛けにして欲しい。老婆心からの発言です。とは言っても各図には不十分、場合によっては不正確な点があることは十二分に分かっている。気付いていないミスもあるだろうし、私が誤解している部分もあるかもしれない。しかし、お釈迦様が説くところの方便として受け取っていただければ幸いである。後は各自で補って欲しい。とにかく、2分子が流れる後半のプロセスで4分子のATPが生産される。この4分子のATPから前半で消費された2分子のATPを差し引いて、系全体のATP生産は2分子であると説明されているわけだ。
 こうした形で理解した上で考える解糖系と、図1をとにかく丸暗記して答える解糖系には認識の上で隔絶した差があることを自覚していただければそれで良い。

 次回は、蛇足から本論に戻り、この解糖系の理解の仕方が妥当であるかどうかについての議論を始めたい。蛇足の蛇足みたいだが、2分子のATPを投資すると、4分子のATPが収益として得られるという認識、まるで資本主義的理解だな。善し悪しの問題ではなくこうした説明に納得する感性を、我々は現代社会の枠組みの中で身に付けて来たのかもしれない。さらにだが、一番初めに投資するATPは何処にあったのだろう。

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まあ仕方の無い面があるとは言え鬱陶しいな!!

 先日、知り合いの家族に不幸があった。ただ哀悼の意を表すしかなく、私が何もすることができないのは当たり前だ。問題はそこにはない。御霊前を持参しようと袋を購入しお金を入れて再度熨斗をつけようとしたのだが、そこで困ってしまった。裏側の折り返しの部分で、上から折り返した部分としたから折り返した部分、どちらを上にすれば良いかが分からなくなった。何気なくグーグルで調べると、上からの部分が上になると書いてあった。解決である。慣習といえば慣習で、どちらが上でも良いではないかと思わないこともないのだが、こういうことは社会通念に従っておくのが良い。

 問題はその後である。PCを開くと坊さんの写真が必ず現れる。葬儀の案内サイトがずらっと並ぶ。坊さんの派遣と料金案内が表示される。いやはや、この状況が10日近く続いた。結局、検索結果を次回をもとに表示を決めているーつまりこちらの情報が完全に漏れているということである。坊さんの広告が出るからといって、無視するだけだから何ということはないが、そこまでしなくてもいいだろうと強く思う。アマゾンで定期的に買い物を続けていると、頼まなくて物が届くようになるとか、宅配業者の車が注文するタイミングで家の前に待っているなどという笑い話があったが、あり得そうな状況である。

 以前に不幸が幸せに先行すると書いた記憶がある。怪我をした。痛い状況から次第に直っていく幸せ、貧乏な状態から少しずつ裕福になっていく幸せ、蚊に刺されてかゆい時そこを適度にひっかく気持ちよさ、全部良くないことが先に起こっている。欲しい物を注文してもなかなか来ない不幸と届いた時の喜び、余りにも苦労せずに物事が処理されていくということは幸福感を減殺しているのではないか。現代文明は我々から待つ喜びを奪っていきつつあるようだ。

 私は北九州、いや中九州かな、に住んでいるのだが、北部九州では現在進行形を「〜しよる」と表現する。大阪弁の「〜しよる」には一寸ばかり非難するニュアンスが含まれる場合が多いのだが、我々の「〜しよる」にはそうした意味は含まれない。通常は現在進行形を意味する。標準語に直せば「〜しつつある」となる。何でこんなことを書き始めたかといえば、「待つ喜びを奪っていきつつあるようだ」と書いてしまったからである。この部分を私の方言に翻訳すれば「奪っていきよるごたる」となるだろう。この「しよる」が「しつつある」より優れているのは、否定形を持つことだ。「食べよる」の否定形は「食べよらん」、「いま書きよる」の否定形は「いまは書きよらん」となる。「〜しつつある」の否定形は「〜しつつない」ではない、どうなるのだろう。これは知りたいな。

 ネットで調べれば答えがあるかもしれないが、突然アマゾンの国語辞典のサイトが現れるかもしれない。日本人としては残念だが、紀伊國屋書店のサイトは出ないような気がする。まあ、葬儀の案内サイトよりましかな。

 

 

 

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歴史生物学 解糖系についての考察 2

解糖系についての序章

 大学で生物系の学科を卒業した人だけではなく、高校で生物学を履修した人であれば、少なくとも解糖系という名前だけは聞いた記憶があるだろう。しかしながらこの解糖系、知名度は抜群であるにもかかわらず、きちんと説明できる人は少ない。この経路は生物の基本的代謝系である、絶対に覚えろと言われたから試験前に覚え、試験が終わったら直ぐに忘却したと言う人が大部分だろう。現実の問題として、我々にとって生活にさほど役立つ知識ではないし、覚えていたからと言って飲み屋で披露できる知識でもない。

 初めから脱線するようだが、系と経との使い分けで悩んでいる。代謝系と使う場合は系、代謝経路と使う場合は経を使う。系を英訳するとsystem、経はpathwayとなるのだろうが、系路という使い方もある。さらに、径路という言葉もある。径路と経路は同義であると考えて良いと思うのだが、この径路は生化学分野では使われないようだ。今までの経験からすると、解糖に関する用語においては系が使われる。ところがペントースリン酸経路の場合は系ではなく経を使うようだ。どうもいま一つ分からない。多分、使われ続けてきた歴史が反映しているのであろう。軽々に決められない系路と経路、とりあえず著者の感性で使い分けることにする。

 そこで解糖系、実生活で役に立たないからといってどうでも良い系であるかと云えばそうでもない。生化学という学問において、この系はとても、いや最も重要かつ基本的な系として扱われている。日本薬学会という薬学の研究者が構成している学会があるのだが、その薬学会には用語解説のページがある。薬学会自体を批判するつもりはないが、このページには常識的な解説が書いてあるので、少し引用することにする。このサイトにおいては解糖系を以下のように説明している。

解糖系

glycolytic pathway, エムデン-マイヤーホフ経路

グルコースを分解して、ピルビン酸や乳酸を生成する代謝経路。大腸菌からヒトまで多くの生物種に保存されている。解糖系に関与する酵素は、哺乳動物ではすべて細胞質ゾルに存在する。反応全体の収支は、グルコース+2NAD+2ADP+2リン酸→2ピルビン+2NADH+H+2ATP+2H2O、もしくは、グルコース+2ADP+2リン酸→2乳酸+2ATP+2H2O、となる。解糖系は、酸素がまったくない状態でもATPを供給できる特徴をもち、激しい運動時など酸素欠乏時の骨格筋(主として白筋)では必須となるほか、赤血球や神経細胞では唯一のエネルギー供給経路となっている。好気的条件下にある多くの組織では、ピルビン酸からアセチル-CoAが生成し、解糖系クエン酸回路へ基質を供給する経路としての役割を果たす。解糖系の反応の大部分は可逆的であり、糖新生でも同じ酵素が逆方向の反応を触媒するが、ヘキソキナーゼ(グルコキナーゼ)、ホスホフルクトキナーゼ、ピルビン酸キナーゼの反応は、生理的に不可逆であるため、糖新生では別の酵素が触媒する。グルコース以外にフルクトース、ガラクトース、マンノースやグリセロールも解糖系に回収されて代謝される。また、グルコース6-リン酸はグリコーゲン代謝やペントースリン酸回路などの分肢点となるとともに、ピルビン酸からはアラニンが生合成される。(2005.10.25 掲載)(2009.1.16 改訂)(2014.7.更新)

 もう一つ、私がよくお世話になっているバイオインフォマティクス研究用のデータベースから引用しよう。KEGG(Kyoto Encyclopedia of Genes and Genomes:京都遺伝子ゲノム百科事典)と言うサイトで、京都大学の金久實教授達のプロジェクトとして構築され、ウェブ上に公開されているものである。そのグリコリシスのページの説明文を引用する。

  Glycolysis is the process of converting glucose into pyruvate and generating small amounts of ATP (energy) and NADH (reducing power). It is a central pathway that produces important precursor metabolites: six-carbon compounds of glucose-6-phosphate and fructose-6-phosphate and three-carbon compounds of glycerone- phosphate, glyceraldehyde-3-phosphate, glycerate-3-phosphate, phosphoenolpyruvate, and pyruvate.

 つたない訳文

 グリコリシス(解糖系)はサイトゾルに存在し、ブドウ糖をピルビン酸に変換し、少量のATP(エネルギー)とNADH(還元力)を生成するプロセスである。グリコリシスは重要な代謝前駆物質である6炭素化合物:ブドウ糖6リン酸、果糖-6-リン酸、そして3炭素化合物:グリセロンリン酸(1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸)、グリセルアルデヒド-3-リン酸、3-ホスホグリセリン酸、ホスホエノールピルビン酸とピルビン酸を生産する中心系路(Central pathway)である。

注:このKEGG(Kyoto Encyclopedia of Genes and Genomes:”京都遺伝子ゲノム百科事典” )というサイトは、1995年に京都大学化学研究所の金久實氏らによるプロジェクトとして発足したあと、現在も整備が続けられている膨大なデータベースである。極めて有用なサイトである。その中のグリコリシスの説明文に異論があるからといって、その存在価値は些かも揺るがないことを付け加えておこう。こんな文章が書けるのもKEGGのお陰である。

 上記の説明を読んで即座に「うむ」と納得できる人は極々少数であるとと思う。大多数の人が、科学者と呼ばれる集団が使う専門用語にたじろいでしまうのではないだろうか。もう少しわかりやすくならないかと思わないでもないが、これはこれで仕方ない。専門用語を一応理解した上で記憶し、論理的に使いこなせるようになることは、専門分野を修得するに際して避けて通ることは出来ない。さらに、これらの内容が判りにくいからと言って、その記述が間違っているわけではない。これらの説明文を書いた筆者たちの住むパラダイムの中にあっては、これらの説明は間違いではないのである。

 では、先の二つの説明の何処に異論があるのかと問われるのだろうが、一言で答えるのは甚だ難しい。詳しい話は後ろに回すとして、一つだけ疑問をを投げ掛けておこう。確かに、解糖系は大腸菌からヒトまでどころではなく、原核生物(古細菌を含む)から真核生物にわたるほとんどの生物に広く分布する普遍的な代謝系である。その点に疑問はないのだが、出発物質がブドウ糖であることに納得が行かない。この系を持つすべての生物は、エネルギー源として使うブドウ糖の給源を何処に求めているのだろうか。さらにだが、解糖系らしき系は持つものの、その系の中にブドウ糖を含まない生物も散見される。それらをどのように説明すればいいのか?

 本格的な批判をする前に、解糖系について常識的な説明しよう。現在認められている解糖系についての知識がなければ、批判が批判ではなくなってしまうからである。さらにだが、この批判は次に述べる「TCAサイクルに関する異論」と続けて読んでもらったほうが理解しやすいだろう。現在、原稿に手を入れているので請うご期待というところである。そこで解糖系、解糖系は図1のように描かれるのが通常である。まあ縦に化合物を並べる場合もあるが、内容は同じである。そこで、この図に沿って説明をする。

  解糖系の出発物質であるα-D-グルコースは、ヘキソキナーゼの触媒下にATPを消費してα-D-グルコース-6-リン酸となる。生成したα-D-グルコース-6-リン酸はホスホフルクトキナーゼによってD-フルクトース-6-リン酸へと異性化される。D-フルクトース-6-リン酸はホスホフルクトキナーゼによってATPを消費しながら、D-フルクトース-1,6-ビスリン酸へと変えられた後、アルドラーゼの触媒下に3位と4位の炭素官の結合が開裂し、3単糖であるグリセルアルデヒド-3-リン酸とジヒドロキシアセトンリン酸が生成する。ジヒドロキシアセトンリン酸はホスホトリオースリン酸イソメラーゼによりグリセルアルデヒド-3-リン酸へと異性化されるため、ここから先は2分子のグリセルアルデヒド-3-リン酸が系を流れることになる。

 グリセルアルデヒド-3-リン酸はグリセルアルデヒド-3-リン酸デヒドロゲナーゼによって基質レベルでの酸化を受けた後、リン酸を取り込んで1,3-ビスホスホグリセリン酸となる。混合酸無水物である1,3-ビスホスホグリセリン酸は高エネルギー化合物であるため、ホスホグリセリン酸キナーゼの存在下にADPをリン酸化してATPを生成しながら3-ホスホグリセリン酸に変化する。後で議論することになるが、この3-ホスホグリセリン酸は解糖系を考える上で重要な役割を果たす化合物である。記憶に残しておいて欲しい。

 3-ホスホグリセリン酸から2-ホスホグリセリン酸ヘの変換はホスホグリセリン酸ムターゼで触媒されるのだが、この酵素には2種類が存在する。一つは植物、古細菌そしてグラム陽性菌を中心に分布する酵素で、分子内でリン酸基の転移を触媒する酵素である。いま一つは、脊椎動物、昆虫、藻類、そしてグラム陰性菌に主に分布する酵素で、2,3-ビスホスホグリセリン酸をコファクターとして3-ホスホグリセリン酸の2位の水酸基のリン酸化に続く3位のリン酸残基の脱離を通して2-ホスホグリセリン酸を生成する。図1には、後者のタイプの反応をイメージして、2,3-ビスホスホグリセリン酸を中間体とする形で示している。

 こうして生成した2-ホスホグリセリン酸はエノラーゼによって脱水反応を起こし、極めて重要な代謝中間体であるホスホエノールピルビン酸に変換される。ホスホエノールピルビン酸はエノール型になったピルビン酸の水酸基がリン酸化された化合物で、ピルビン酸キナーゼの存在下にADPをリン酸化してATPを生産しながらエノール型のピルビン酸にとなるのだが、エノール型のピルビン酸は極めて不安定で触媒の存在を必要とせず速やかにケト形のピルビン酸へと異性化する。

 解糖系においては、青の矢印で示した2つの段階でATPが消費され、赤の矢印で示した2つの段階でATPが生産される。グリセルアルデヒド-3-リン酸以降は系を2分子が流れることより、解糖系を通ってα-D-グルコースが2分子のピルビン酸に分解されると差し引き2分子のATPが生産されることとなる。また、緑の矢印で示した段階で、NAD+が還元を受け重要な補酵素NADH2分子が生成する。

 つまり、「ほとんどの生物が持つ嫌気的でもっとも普遍的かつ根源的な代謝系」である解糖系は、6炭糖であるブドウ糖を出発物質とし、酸素を使わずに2分子のピルビン酸まで分解することにより、2分子のATPと2分子のNADHを生成する反応である」となる。

 学生の立場からすれば、「解糖系について知見を述べよ」という問題は、図1を記憶して、解糖系が「ほとんどの生物が持つ嫌気的でもっとも普遍的かつ根源的な代謝系」であること、2分子のATPと2分子のNADHを生成する反応であることを書けば、間違いなく80点は貰える楽勝な問題である。系を乳酸まで伸ばせば、NADHの収支もゼロとなり、細胞内の酸化状態も変えずにATPの生産ができると書けば、今少しの加点が期待できる。私だって学生の時はそう答えた。現役教員の頃もそういう基準で評価をしていた。失礼ではあるが、分かっていないのにこの図を丸暗記する集中力と努力は認めるべきだと考えたからである。こいつ何にも分かっていないくせにと思っていたにせよである。

 本論から逸脱することは承知の上で、少しだけ補足しておきたい。代謝系を構成している反応群は、少なくとも有機化学的に理解されるべきだという立場にいる私から見ると、図1をとにかく丸暗記するという時点で理解することを放棄したと言える。これは学生達だけを揶揄しているのではなく、学生時代の私自身に対する批判でもある。

 私も図1のような概念図を絵として暗記し、それを答案に書いた。単位は取れたのだが、何も分かっていないことには気付いていた。有機化学に片足を乗せて研究生活を始めようとしていた学生であるにもかかわらず、この系を構成する素反応群を有機化学的に記述できなかったのである。D-フルクトース-1,6-ビスリン酸とグリセルアルデヒド-3-リン酸・ジヒドロキシアセトンリン酸の間で起こる可逆反応なんて、とても刃が立たなかったし、グリセルアルデヒド-3-リン酸から1,3-ジホスホグリセリン酸への変換はさらに理解不能な反応であった。

 つまり、当時の私にとって図1は単なる絵に過ぎなかった。生物有機化学という分野自体がまだ一般的ではなかった時代、多くの先生方さえもが有機化学と生化学は別の学問であるという考えであったようだ。何とか代謝系の素反応を有機化学的に理解したいと、ドナルド・J・クラムが有機電子論的立場から書いた有機化学の教科書を、練習問題まで全て解きながら5回ほど読み通した。進歩は遅く、解糖系の素反応を有機電子論的に描けるようになるのに5年ほどかかったのだが、そうなってみると新しい世界が広がっていたのである。この頃、1年後輩ではあったが、適切な指摘と助言をくれたK君がいなかったとすれば、今の私は無いだろう。できる後輩を持つというのは半分有り難く、半分怖いものである。感謝!!

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歴史生物学 解糖系についての考察 1

少しだけ格調が高過ぎる序論

 生化学におけるもっとも基本的でかつ重要とされる解糖系、TCA回路、ペントースリン酸経路などに対して、世の常識とは全く異なった解釈をしてみたい。山里に隠遁してしまった時代遅れの老爺の解釈であるため、誤謬である可能性を否定はできないが、これらの代謝系の意義づけに対して、長い間持ち続けてきた私の違和感を世に問うことにした。この私論が、これらの代謝系に関する独断と偏見に満ちた認識にすぎないのか、それとも今まで続いてきた認識の誤謬を正すものとなるのか、それはまだ分からない。判断は歴史に任せるしかない。

 もっとも、今までにも私と似た感想を持っていた人がいたかもしれない。でも、なかなか言い出せない雰囲気が学会に漲っている。そんな自分の足下を掘るような議論はするな、先に進めというのが主流にいる人々の考え方である。しかしながら、自らの依って立つ学問の足場を常に検証する営為は学者として不可欠なものであろう。だがそんなことを考えているのはきっと少数だろうな。序文としてはいくぶん長くなりそうであるが、現在認められている各系の常識的解釈を批判しようとするのであるから、どのような視座からこれを行うのか、何故そんなことを考えるようになったのか個人的な経験を含め書き留めておくことにする。

 40年以上前だったのだが、親父が倒れたという切迫した母からの電話が、下宿していた大家さんの家にかかってきた。午前2時過ぎだったと記憶している。下宿を出て小走りに国道まで出てタクシーを拾った。タクシー代の手持ちはなく家に着いたら払うという約束で乗った車の中で、これで私の黄金時代は終わるのかも知れないと考えでいた。この頃、研究活動を含む研究室での生活が楽しくて、この生活をあと数年は続けたいと願っていたのである。親父が倒れたというのに、自分の将来のことを考えているなんて、親不孝者だなと何処かで感じていた。タクシーから降りて家に戻ろうとした時、見上げた異様に澄み切った夜空に、オリオン座、おおいぬ座、そしてこいぬ座が絢爛と輝いていた。この星空に、伝承してきた神話を貼り付けた古代の人々の想像力(創造力)に畏怖を感じた。

    別に意図はありません。関係がありそうななさそうな写真です。懐かしいと思われる人がいるとすれば、同じ時代を生きた人でしょう

 4ヶ月の入院生活の後、奇跡的に親父が生還した。だが最も幸運だったのは、学生生活を中断せずに済んだ私だったに違いない。それはそうとして、絢爛たる星座を見た日から星を見る目が変わってしまったのである。誠文堂新光社から出版される天文ガイドや野尻抱影氏の著書を楽しむ程度の単なる天文ファンであった私が、星座とは何であるのかと改めて考え始めたのであった。当時、それが自らの専門分野である農薬化学、そしてその基礎をなしている生化学という学問を、根底から批判する営為に繋がってくるなどとは夢にも思わなかった。

オリオン座 https://www.civillink.net/sozai/kakudai/sozai2157.htmlより借用

 夜空を眺めていたら、生化学の論理が間違っているかもしれないと気付いたなどという話は、常識的にはありそうにない。こんなことは書かずに本論に入ったほうが良いと、私の常識も判断するのだが、人という生き物は全く関係のないものを見てとんでもないことを思いつくものである。何度も何度もそんな経験をしてきた。以前に、わからないものを分からないものとして考え続ける知的持久力について書いた記憶があるが、いわゆるセレンディピティとは、そういう知的持久力によって具現化されるものであろう。

 さて、蛇足かも知れないが、少しだけ先走った議論をしておくことにする。現代においても、いまだ多くの人々を魅了する占星術という体系が、星々の恣意的な分類に依存していることは間違いない。私としては、こうした分類に基づく占いの体系を、盲信することはないが、頭から否定するつもりはない。各自の人生の中で賢く向かい合えば良いと考えている。しかしながら、古代の人々が星座という形で星空の分節(星空に切れ目を入れる行為)を行うに際して、失われた情報についてはいま少しの注意を払う必要があるだろう。

 古代の人々が創った星座は、地球を中心に置いた仮想の天球面へ星々を貼り付けた、いわゆる投影図を基礎としているのだが、この投影図を作るに際して2つの情報の欠失が発生する。一つは、地球から恒星までの距離情報、もう一つは星本来の明るさ(絶対光度)の情報である。もちろん、古代の人々にそれを求めるのは酷であるし、求めるつもりもない。だが、結果として、彼らは距離という3次元の情報(これは時間情報でもある)と、個々の星の本来の明るさと(絶対光度)いう2つの重要な情報を欠いた投影図を基礎として、星座の切り抜きを行ったことは否定できない。さて、生化学という学問の精華である代謝マップが作られるに際して、同様な情報の欠失が起こってはいないだろうか。

 このような疑いを持って代謝マップを眺めると、幾つかの疑問が浮かんでくる。第一の疑問は、歴史的産物である代謝のネットワークの中から、「何」に従って化合物群を選び、これらを連ねて代謝系と定義したのかという疑問である。換言すれば、星座の成立における「神話・伝承・器械のイデア」に対応する「概念」は何かという疑問である。研究者達は、代謝物の集団の中から、「神話・伝承・器械のイデア」に対応するある「概念」に従って、恣意的に化合物群を選択・配置し、一連の系として記述したのではないか。もしそうであれば、その「概念」とはどのようなものであろうか。

 第二の疑問は、量の問題である。これは星座を構成している星の絶対光度に対応する。生物界において、年間にギガトンオーダーで流れている代謝物と微量なオーダーでしか流れていない代謝物が、代謝マップの上では同じ大きさで記載されているのである。付け加えれば、量的に少ない代謝物であっても生物活性が高ければ「大きく」あるいは「boldface」で描いてもらえる場合もある。代謝マップにおける生物活性は、天球図における実視等級と等価な判断基準になっているのであろう。この量に関する問題を前面に出した認識体系はまだ構築されていないような気がしている。

 さらに第三の疑問は、代謝系内の流れの方向についてのものである。代謝系が歴史的産物である以上、その理解のためには、系がいつ成立したかという時間軸さえも包含すべきであると考える。代謝の流れにおいては、原則として代謝系の上流に位置する物質が歴史的に古い化合物であり、代謝系の下流に位置する物質は新しい物質でなければならない。これは自明のことのように思えるが、多くの代謝過程で働く酵素が可逆的に働くことを考えると、ある代謝物を上流におくという判断は、第一の概念に依存することになる。さらに、代謝系の進化の過程に於いては、一般的に描かれている代謝物の新旧関係が逆転しているとする仮説も存在する。

 考えてみると、代謝マップは時系列を意識して作られた物ではないようである。こうした時間的要件を重視した立場から時間生物学という名称で持論を纏めようと考えたことがあったが、時間生物学という用語はすでに生物時計を対象とする学問で使われていた。従って、生物現象の歴史性を組み込んだ生物学という視座から歴史生物学という用語を作りこれを使用することにした。

 独断だが、我々が作り上げてきた代謝マップは、進化を続けている代謝のネットワークを現代という時間で切断し、その断面図をもとに構築されている。従って、切断する時間を変えると、代謝の流れる方向が変わるだけでなく、構成要素である代謝物の種類や意義付けも変化する可能性を否定できない。現代の代謝マップは、ある方向付け(概念)の下で、系を流れる代謝物の量の情報と、系の成立に関する時間的な情報をも失った形で投影された物ではないか。このような懐疑を通底する基盤としておき、各代謝系を吟味していった時、どのような世界が現れるのか、それを信じるか信じないかは読者の良識に任せよう。

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良い雨だった 明日も頑張ろう

 いつだったかな、とにかく少し前にジャガイモの植え付けをした。品種はダンシャク、名前は明治41年(1908)に函館ドッグ取締役になった川田龍吉男爵が、外国の苗業者から種イモを購入し、自家農園である「清香園」で栽培したことに由来するという。粉質でホクホクとしているため熱に弱く煮崩れしやすいが、マッシュポテト、ポテトサラダ、コロッケなどにすると美味しいイモである。もう1品種植えたのがシンシア、肌がきれいでメークインに近い食感を持つ品種、休眠が深いため貯蔵性に優れた品種である。すぐそばに道の駅があるとはいえ、そんなに大量に売れるわけではない。客は名の通った品種を求める傾向が強い。従って、休眠が浅くよく知られた品種であるダンシャクを6~7月にかけて売り、その後は休眠が深く、見かけの良いシンシアを売ろうとする販売戦略なのだが、上手くいくかどうかはわからない。シンシアの休眠の深さはアブシジン酸と関係があるのかななどと考えている。

 確かに芽立ちはダンシャクの方が早いし、多くの芽が生えてくる。ジャガイモ栽培では芽かきという、生えてきた芽の数を2~3本に減らす作業が必要である。多数の芽が込み合っていると小さなイモしか入らないためである。シンシアでは芽かき作業は余り必要なさそうだ。ではシンシアの方が良いかといえばそうでもない。ダンシャクで芽かきを行った芽の部分を、挿し木ならぬさし苗してやると、ちゃんと活着してイモができるのである。この場合は芽かき作業もいらない。去年やってみたら上手くいった。つまり、少量の種イモを霜でやられないように注意して植え付け、たくさん出てきた芽の部分を植え付けてゆけば、種イモの購入量がかなり少なくて済むのである。もっとも、人件費を考えればペイするかどうかは別の話である。

 昨日はタケノコイモを植え付けた。畝立て機を畝立て用ではなく植え溝を掘るために使うという反則技でつくり、この溝の中に貯蔵していたイモを植えていった。このイモは土寄せすることが大事なのだが、土寄せは重労働である。真夏の太陽の下でするような体力はない。つまり、畝間を広くとった深めの植え溝にうえつけ、畝立て機で土寄せをしようという魂胆である。どうなるかは分からないが、歳なりのやり方を工夫するのはそれなりに楽しいものである。

 今日の雨で時間がとれたため「アブシジン酸の総合的理解に向けて」とする総説?的書き物が終わった。一段落である。書きたいことはまだいくらでもあるのだが、まあ少しづつ付け足していくことにする。そこで次に何について書くか、考えている。世の常識に反抗するのが好きであるため、無知蒙昧の状態で書くわけにはいかない。今用意しているタイトルは、「TCA回路は回らない」、「ブドウ糖は逆解糖系の盲腸である」、「植物は海からは上陸しなかった」などである。古希を過ぎた爺でさえ一所懸命畑を作り、学問的なことを考え続けているのだから、若者もいろんなことを学んで欲しいな。SNSに取り込まれて常識的判断を失っていないか、常識的判断といわれるものが時としていかに危険なものであるか、理系とか文系かいう壁の中に閉じこめられた囚人になってはいないか、などなど、常に考え続けることがいよいよ必要とされる時代になっているようだ。

 明日はワラビの収穫とダンシャクの芽かきと芽の植え付け、時間があればタマネギ周囲の草取りと茎倒しかな。全部やると一寸きつそうなので途中でやめるかもしれないな。いつも通り、体力と相談しながらの判断になりそうだ。

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