先日、知り合いの家族に不幸があった。ただ哀悼の意を表すしかなく、私が何もすることができないのは当たり前だ。問題はそこにはない。御霊前を持参しようと袋を購入しお金を入れて再度熨斗をつけようとしたのだが、そこで困ってしまった。裏側の折り返しの部分で、上から折り返した部分としたから折り返した部分、どちらを上にすれば良いかが分からなくなった。何気なくグーグルで調べると、上からの部分が上になると書いてあった。解決である。慣習といえば慣習で、どちらが上でも良いではないかと思わないこともないのだが、こういうことは社会通念に従っておくのが良い。
問題はその後である。PCを開くと坊さんの写真が必ず現れる。葬儀の案内サイトがずらっと並ぶ。坊さんの派遣と料金案内が表示される。いやはや、この状況が10日近く続いた。結局、検索結果を次回をもとに表示を決めているーつまりこちらの情報が完全に漏れているということである。坊さんの広告が出るからといって、無視するだけだから何ということはないが、そこまでしなくてもいいだろうと強く思う。アマゾンで定期的に買い物を続けていると、頼まなくて物が届くようになるとか、宅配業者の車が注文するタイミングで家の前に待っているなどという笑い話があったが、あり得そうな状況である。
以前に不幸が幸せに先行すると書いた記憶がある。怪我をした。痛い状況から次第に直っていく幸せ、貧乏な状態から少しずつ裕福になっていく幸せ、蚊に刺されてかゆい時そこを適度にひっかく気持ちよさ、全部良くないことが先に起こっている。欲しい物を注文してもなかなか来ない不幸と届いた時の喜び、余りにも苦労せずに物事が処理されていくということは幸福感を減殺しているのではないか。現代文明は我々から待つ喜びを奪っていきつつあるようだ。
私は北九州、いや中九州かな、に住んでいるのだが、北部九州では現在進行形を「〜しよる」と表現する。大阪弁の「〜しよる」には一寸ばかり非難するニュアンスが含まれる場合が多いのだが、我々の「〜しよる」にはそうした意味は含まれない。通常は現在進行形を意味する。標準語に直せば「〜しつつある」となる。何でこんなことを書き始めたかといえば、「待つ喜びを奪っていきつつあるようだ」と書いてしまったからである。この部分を私の方言に翻訳すれば「奪っていきよるごたる」となるだろう。この「しよる」が「しつつある」より優れているのは、否定形を持つことだ。「食べよる」の否定形は「食べよらん」、「いま書きよる」の否定形は「いまは書きよらん」となる。「〜しつつある」の否定形は「〜しつつない」ではない、どうなるのだろう。これは知りたいな。
ネットで調べれば答えがあるかもしれないが、突然アマゾンの国語辞典のサイトが現れるかもしれない。日本人としては残念だが、紀伊國屋書店のサイトは出ないような気がする。まあ、葬儀の案内サイトよりましかな。