永遠の未成熟な少数派

 永遠のコロナである。コロナ感染症、いよいよ煮詰まってきたな。世界中がマスク中毒である。一昨日町内清掃ということで40人近く集まったのだが、私以外全員がマスクを着用していた。最初の説明の際、グループから離れて遠くに一人で立って聞いた。町内清掃と言っても町中のちょっとした草取りではない。元気な男性群は刈り払い機を使って、町内を流れる川の中に生えているヨシを切り倒すのである。雨期に備えて、水の流れを良くしておくためなのだが、一月のもするとまた伸びてくるのが難点である。それは良いとして、作業中も皆マスク着用であった。仕方なく、軽トラのグローブボックスから安物のマスクを取り出し、余り密着しないように装着した。かなり寒かったので鼻の頭が冷えなくて、少しだけ快適だった。やはり、いつになっても少数派であることは間違いないようだ。

 スペインではビーチに泳ぎに行ってもマスクを付けなければならないという話があったが、同じようなものだろう。数日前、広島だったかなー記憶ははっきりしないが吹き矢の大会が行われたそうだ。グラスファイバー製の筒先にマスクは付けないのかなと言ったら笑われた。コントラバス・チューバの開口部に付けるマスクは大きいよ。絶対値段が高いだろうとか、N95マスク付けたら吹くのはきついだろうなどと言うものだから、いつも顰蹙を買っている。

 近頃地震の多いのが気になっている。首都直下型、千島列島、東北沖、東南海、南海地震の可能性についてはマスコミが結構書いているので読者の方もご存知だと思う。私はそれらに加えてトカラ列島の群発地震が何となく気になっている。何が気になるのかと言えば、あそこで起こっている地震が、大きな地震の予兆であるのか、それとも海底火山の噴火の予兆であるのかと言う点にある。この群発地震を南海地震を初めとするたの巨大地震の予兆と見る解説はいくつもあり、それはそれで可能性があるとは思うものの、これが巨大噴火の前触れであったら大変だと思っている。九州中部から九州南方海上には巨大な噴火を起こしたいくつかのカルデラが存在する。阿蘇カルデラ、加久籐カルデラ、小林カルデラ、姶良カルデラ、阿多カルデラ、鬼界カルデラなどであり、これら以外にも傾カルデラ、祖母カルデラ、大崩カルデラなどが存在する。

 トカラ列島の群発地震の震源は、鬼界カルデラのすぐ南に位置している。こう書いてもああそうかと思われるだけかもしれないが、地震も怖いがこの辺りで起こった破局的噴火の怖さは、地震どころではない。今から7300年前に起こった鬼界カルデラでの破局的噴火では、火砕流が九州南部を焼き尽くし、そこに栄えていた縄文文化圏を壊滅させたそうだ。そう書くとああ九州は大変だったのねと東京辺りの人々は思うかもしれないが、噴出した火山灰は莫大な量で大阪・和歌山辺りで20cm、東京でも数センチは積もったようだ。現代文明は壊滅することになるだろう。神戸大学海洋底探査センターは、現時点では噴火予測はできないが、カルデラ直下のマグマが活動的であるとしている。ここで噴火が起こった場合、推定死者数を1億人としているのも不気味である。まあ、その数字は盛りすぎだと思うが、噴火に伴う火山灰による国土の荒廃、北半球の寒冷化、食料生産の激減、交通インフラの壊滅などの条件を組み込めば、起こる可能性がないとは言えないだろう。そういえば、札門さんは世界中の農地を買いあさっていると言う話を聞いたが、本当だろうか?近頃、フェイクニュースが多くて、判断がなかなか難しい。

 そんなことを考えながら生活するなんてできるはずはない。確かにその通りである。こうした巨大な災害を意識しながら毎日生活している人はいないと思う。しかし、阿蘇山で阿蘇4と呼ばれるような破局的噴火が起これば、数時間で九州は壊滅、火砕流は山口県に上陸、国内には火山灰が降り注ぐ状況になるだろう。アメリカのイエローストーンで破局的噴火が起こればもっと酷い状況になる。それは歴史上の事実である。こうした大災害が人類の歴史に大きな影響を与え続けて来たことを少しでも意識すれば、現在のお金第一主義の考え方や、狭小な人間中心主義、軽薄な効率中心主義に侵された社会のチンケさに気付くのではないだろうか。

 石黒耀さんの書いた火山小説「死都日本」、一度読まれることをお勧めする。この中で出てくる菅原首相みたいな人が首相になってくれないかなと思うのは高望みかもしれないが、この日本にそうした資質を持つ人がいないのではないと思う。そうした人を表に出すシステムが錆びついていると考えている。札門さんが分からない?札はお札、英語で bill がヒントかな。

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解糖系執筆中

 昨日は雨だった。半日近くPCの前に座りChemDraw と格闘した。後期高齢者の足音が近づいている爺が、ChemDrawで作った図をPowerPointに移し、説明を入れた後スクリーンショットで図ファイルにしてWordPress に挿入するなど、実に目に悪い。辛うじて眼鏡なしで車に乗っているが、次回は一寸難しいかもしれない。それ以上に心配なのは、昔購入して使い続けているChemDrawが、新しいPCのOS上で動くかどうかだ。昔のPCを何台かバックアップのために残してはいるが、この先どうなるか分からない。Macを使い始めて40年近く経つのだが、OSをHigh Sierra 以上に上げると、色々とソフトの買い直しがバカにならない金額になる。それでなくても4月5月は税金や保険など支払うべきお金が多い。金がないのは困ったもので、生活が突然貧しくなってしまう。そういえば、持続化給付金と言う名目でお金が出たため、これを使って農業機械を買った人がいたのだが、この持続化給付金は収入として計上されるため、所得税が上がる、来年度は社会保険料が上がる、地方税も上がるということで、貰った分は取り返されそうだと嘆いていた。

 解糖系、蛇足の部分で書いたのだが、やはり初めの段階での話がいまひとつしっくり来なかった。つまり生物の発生時期にグルコースはあったのか、最初に投入するATPはどこから来たのか、という問題である。この二つの問題の中で、ATPの起源は説明がつきそうな説が出てきているので、クリアーできそうな気がしている。しかし、グルコースが出発物質であると言う仮説は成立しそうにない。これが崩れると解糖系と言う概念の根幹が揺さぶられてしまう思っていた。さらに解糖系と言う代謝物質の流れを決めていくに際して、どのような枠組みを意識して代謝物を並べたのか、などなど、学生時代を含め現職の頃から考え続けていたのだが、そんな足下を掘るような仲間は殆どいなかった気がするな。

 まあそれは次回から書き進めていくこととして、前回、ネットでの検索記録から坊さんの派遣業者や葬儀案内がPC上に現れ続けて鬱陶しいなどと書いた。ところがその直後から・・・・・・compute.amazonaws.comというサイトから猛烈なアタックが始まった。このサーバーの管理者さんから、しばらく注意して下さいとメールが来たが、こちとらコンピュータに対してはど素人である。注意してといわれてもどうすればいいか分からない。彼が言うには、どうやらログイン時にユーザーIDとPasswordを入力時に盗もうとしているようなので、ログインしないでくれと言うことだった。幸いにもログインを継続する設定にしていたので、こうして書き続けられるというわけである。しばらくはPCオンの状態を続けよう。でもね、待つと言うことについては機械には勝てない。何しろ彼らは、退屈することを知らない。人間の警戒心なんて、3日もすれば半減し、10日もすれば忘却の彼方である。停電の無いことを願っている。

 いまは、タマネギの極早稲品種が収穫の最盛期、5月になると中生品種と赤タマネギの収穫が始まる。皆さん、収穫期は同じであるため市場はタマネギで埋まることになり、後は値段だけの競争になる。昔、タマネギは外側の皮をつけて売られていたが、いまでは外皮をはいで真っ白にしないと全く売れない。都会ではゴミを出すことを極力避ける生活習慣が当たり前のことになっているようだが、その付けは農家にかぶさってくる。タマネギの茎と外皮、簡単に燃えるものではない。とすれば、農地の一部に穴を掘って埋めるしかない。穴掘りは結構な重労働であり、高齢の方には気の毒な作業である。

 タマネギ以外の収穫物は本当に少ない。うちの畑ではアイシクルという二十日大根と丸葉山東菜という巻かない白菜が収穫期である。自家用であり出荷するほどの量はない。アイシクルは橙の酢を使った甘酢漬けにすると最高に美味しい。丸葉山東菜は癖のない菜っ葉で、何にでも合う。少し煮込んでもシャキシャキした歯触りが失われない所が良い。もう少しすれば、グリーンピースが採れ始めるし、昨年の秋に植えていた水前寺菜と雲南百薬という野菜が収穫期を迎える。雲南百薬は好みの野菜で、今年の春に6株を追加購入した。少しは出荷できるように育てたいと考えている。

 

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解糖系 蛇足のページ 

 この経験を若い学生さん達に共有してもらいたいと願っている。そこで蛇足と分かってはいるが、解糖系を生物有機化学的見地から少しばかり丁寧に描いておきたい。一般の方々は読み飛ばされて、いや読み捨てられて結構であるが、少し詳しく理解したいと考えている真摯な学生さん達には有益だと考える。大学を中途退職して10年程経ったのにまだこんなことを言い続ける、つくづく教えることがというより、伸びていく若者を見るのが好きだったのだなと思う。

 まずグルコースについてである。グルコースは水に溶かすと、図2に示すよう3種の混合物として存在する。(量的に少ないのでフラノース型は無視する)そして下図におけるⅠ、Ⅲ、Ⅳの式で書いてある場合が多い。有機化学を十分にわからない段階でこういわれると、解らんと壁を作ってしまう学生が多い。少しかみ砕いて書いてみよう。

図2 鎖状構造を介したグルコース異性体間の相互変換と変換反応時のプロトンの処理

 この図においてⅠとⅡ、ⅣとⅤは同じものである。とにかく水に溶かすと、グルコースは Ⅰ、Ⅲ、Ⅴ の構造間で相互に変換しながら存在している。色んな書籍の中でよく見かけるのはHaworthの投影法にしたがって描かれたIIとVの式、及び Fisher 投影法に従って描かれた III の式である。I と IV は、立体化学を意識して描かれたものである。では II と III と V は相互に違うのか、それとも同じものかという疑問を持たれると思うのだが、答えは難しい。こうして形を固定して描いてしまえば違うものである。しかし、次の瞬間には Ⅲ を経由して相互に変換しているという立場に立てば、同じものであり得るという禅問答のような答えが正しい答えとなるだろう。

 グルコースは還元糖でありフェーリング反応を起こすし銀鏡反応も起こすことが知られている。この D-Glucoseの還元性は、III式の1位にあるアルデヒド基が原因になっている。では、II、V で示す α-D-グルコース や β-D-グルコース にはアルデヒド基がないため還元性は持たないかといえばそんなことはない。それらを水に溶かすと、I(α-D-Glucose 約 37 %)、III (D-Glucose ごく微量)、V (β-D-Glucose約 63 %)の平衡混合物となってしまう。そして、ごく微量存在するD-グルコースが、還元性を示す原因となるのである 。その異性化のプロセスを、下段に分かり易く描いてみた。

 そこで中央のD-グルコースをHaworthの式をイメージしながら描くと、下段に示した左右二つの式(VIとVII)を描くことができる。一見、1位の形が違うのではと思われるかもしれないが、1-2位の炭素間はsp3混成軌道間の結合であるため、自由回転(Free rotation)が可能であり、これらの2つの式は同じ物質を示している。ここで、5位の水酸基の酸素分子が1位のカルボニル炭素を求核攻撃するとヘミアセタールが生成し、環状構造が出現する。この時、アルデヒド基のカルボニル基が向いていた方向によって、環の1位に出現する水酸基の方向が確率的に決まってくる。

 初学者が迷うのが水素イオンの処理である。5位の水酸基の酸素分子が1位のカルボニル炭素を求核攻撃するに際して、水酸基の水素は水素イオンとして外れなければならない。その水素イオンは、攻撃を受け立ち上がったカルボニル基のマイナスに荷電した酸素に移動しなければならない。慣れれば何でもなく脳内で処理できるのだが慣れない間は何となくこの水素イオンがこっちの酸素に移動しなければならない。結構遠いな、などと考え込んでしまうらしい。グルコースは水に溶けている。その時、水素結合で連なった水分子のクラスターみたいなものが、水素イオンの見かけの移動を担っていると考えれば良い。図1の下部に書いた概念図を参照して欲しい。左側の図がα-D-グルコース、右側がβ−D-グルコースの場合の図である。これらの図が正しいというわけではなく、挟まってくる水分子はいくつでも良い。

 さてそこで、解糖系にはいることにする。図3に解糖系の最初の部分、グルコースからフルクトース-1、6-ジリン酸までの反応を示す。中段の列が通常描かれているもので、上下に各反応のメカニズムを示している。ここで、Enzyme-B: は酵素の活性部位に存在する塩基性部位を示し、Enzyme –A-Hは酵素の活性部位に存在する酸性部位を示す。これもまた初学者が惑うことなのだが、Enzyme –A-Hから水素イオンが外れるとEnzyme –A:−イオンとなり(−記号は上付き文字)これは塩基として働くし、水素イオンを受け取ったEnzyme-B: H+(+記号は上付き文字)は酸として働くことになる。


図3 α-D-グルコースからフルクトース-1,6-ビスリン酸まで

 グルコースからグルコース-6-リン酸(G-6-P)への反応は、グルコースの6位の水酸基とATPの γ 位のリン原子との間に起こる2分子求核置換反応《SN2反応》により進行する。この反応において酵素は反応の進行を促進すると同時に、二つの基質を補足してグルコース6位の水酸基とATPの γ 位のリン原子間で反応が起こるように配置するわけだ。

 生成したG-6-Pは、まずヘミアセタール環が解列してできたαヒドロキシアルデヒドがケト-エノール互変異性体であるcis-エンジオール中間体を経由して鎖状のフルクトース-6-リン酸に異性化した後、生成したカルボニル基と5位の水酸基の間でヘミアセタール環(フラノース環)が形成されることで完成する。この反応においては描きにくかったので省略したが、ホスホヘキソースイソメラーゼの活性部位内の塩基性部分が、反応において脱離するプロトンを攻撃し、そのプロトンを生成した酸素アニオンに供与していると考えて良い。この際、グルコースの環化と同じように4位と5位の炭素間の結合が自由回転であるため、生成するF-6-Pはα体とβ体の混合物になるらしい。従って中段のF-6-Pには結合を波線で示した。F-6-PからF-1,6-PPヘの変換は、α体を例にしたように描いているが、やはりF-6-Pの1位の水酸基がATPのγ位のリン原子を攻撃して起こる起こる2分子求核置換反応《SN2反応》である。生成したF-1,6-PPは多分α体とβ体の混合物になるのだろう。書籍によりα体で描いてある場合とβ体で描いてある場合が存在する。生体内の話であるため、水中にあると考えて良いだろう。とすれば、この両異性体間においても相互変換が起こっているため、簡単にこちらだと決めることは難しそうだ。今後は、そうしたことも頭に入れた上でα体の形で描いていくことにする。

 これくらい丁寧に描いてある教科書があったら、私ももう少し早い時期に理解が進んだかもしれない。それはお前の理解力の低さに由来するものだと言われればそうかと言う以外に言葉はないが、話を聞いていると多くの人も解っていないことが言葉の端々から感じられる。多くの人の中に生化学教育を担っている方々が散見されるのが残念である。

 ただし、以上の描き方では、酵素の反応に対する関与については殆ど述べていない。糖分子にはいくつもの水酸基があるのに、何故特定の水酸基のみが反応に関与するのか、反応の促進はいかに起こるのか、などという問題に踏み込まなければならないのだが、そこまでやると何が問題であったのかさえ霞んでしまうだろう。生物における酵素反応の奥はもっと深いということで、ここは納めておくことにしよう。では次の段階、すなわち、フルクトース-1,6-ジリン酸から3-ホスホグリセルアルデヒドと1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸への反応に進むことにする。

 解糖系における反応の中で、この段階がもっとも解りにくいのではないかと思う。ここで起こっている反応はレトロアルドール縮合と呼ばれるものだが、レトロアルドール縮合はよく知られたアルドール縮合の逆反応である。まず図4にアルドール縮合の説明から描いておくことにする。上段にはアルドール縮合の端緒と言うべき反応を描いている。アルドール縮合に分類される反応は無数といっても良い程存在し、アルドール縮合に分類される反応をまとめたAldol condensationというタイトルを含む書籍は、数十種を優に超えるだろう。そのアルドール縮合の原型とされている反応が、図に示したアセトアルデヒドからアルドールを生成する反応である。有機化学の入門書においては「α-水素をもつケトンまたはアルデヒドが縮合して,β-ヒドロキシケトン,もしくはβ-ヒドロキシアルデヒドを生成する反応」などとごく簡単に説明して、2分子のアセトアルデヒドからアルドールが出来る反応と、それに続くアルドールから脱水によってクロトンアルデヒドが副生する図が示されている場合が多い。

図4 アルドール縮合の説明図

 だがこの反応はそんな説明で済むようなものではなく、炭素−炭素結合を作る極めて重要かつ応用範囲の広い反応である。とはいえ、ここは有機化学の話をする場ではない。少しだけ有機電子論の立場からアルドール縮合について説明し、目的のレトロアルドール縮合へと話を続けたい。アセトアルデヒドはカルボニル基の隣の炭素上に水素原子が存在する。従ってケト-エノール互変異性体が存在するわけだ。中段に描いた反応式において左側がアセトアルデヒドのエノール体、右側がケト体である。エノール体がケト体に異性化しようとするとき、瞬間的に2位の炭素がアニオンに変わると考えて良いだろう。そのアニオンが、隣のケト形のカルボニル炭素を攻撃して炭素−炭素結合が生成すると同時に、腑に荷電した酸素にプロトンが結合してアルドールとなるわけである。

 この反応は塩基性触媒、あるいは酸性触媒の存在下に加速されるのだが、塩基性の触媒は右に示したA即ち炭素アニオンの生成を加速し、酸性触媒はB即ちカルボカチオンの生成を加速することで反応速度を上げている。蛇足だが、仮想的アルドラーゼは下段に示すように、活性部位に存在する塩基性部位と酸性部位が協奏的に働き驚くほどの反応速度を達成していると考えられる。但し、これは模式図にすぎない。反応メカニズムがそうなっているという意味での話であって、実際に生物中にアルドールそのものを形成する酵素が存在するかどうかは分からない。(電気陰性度の差によるカルボニル基の立ち上がりとか、ルイス式による構造式の表示と形式電荷などについては理解しているという前提で描いている)

 とりあえずアルドール縮合は分かったとして、先に進むとすれば、この反応の逆反応がレトロアルドール縮合である。この開裂反応はまだ未熟だった私を最も悩ませた変換反応の一つである。この反応において、フルクトース-1,6-ジリン酸はレトロアルドール縮合を起こし、1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸と3-ホスホグリセルアルデヒドへと解列するのだが、当時は何が起こっているのか皆目分からなかった記憶がある。

図5 レトロアルドール縮合によるフルクトース-1,6-ビスリン酸から3-ホスホグリセルアルデヒドと1,3-ジヒドロキシ-アセトンリン酸ヘの開裂

 図5の上段に示すように、アルドールのβ位の水酸基からカルボニル基が再生するとき2位のC−C結合が切れ、左側の部分からアセトアルデヒドが生成するのと同時に、右半分はアセトアルデヒドの2位の炭素原子上にアニオンが発生する。このアニオンが最初に外れたプロトンと結合して、もう一分子のアセトアルデヒドが生成すると考えて良い。その次の段に、上の反応の形に合わせてフルクトース-1,6-ビスリン酸のフラン環が開いた後、3位と4位の間で開列が起こるレトロアルドール縮合を示した。上下を見比べてもらえば分かりやすいだろう。

 1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸には不斉中心が存在しないためそのまま下段のように描いて不都合はない。一方、3-ホスホグリセルアルデヒドは2位の炭素が不斉炭素であるため、これをフィッシャー投影法で描き直してやると見慣れた投影式が得られる。この辺りの表記法については、分子模型を使って慣れるしか方法はない。不思議な物で、慣れれば脳内に浮かんだ分子が回転したり反転したりするようになるので、そこまで頑張って下さい。

 最後に、1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸はトリオースリン酸イソメラーゼによって3-ホスホグリセルアルデヒドへと異性化され解糖系の中に取り込まれていく。従って、ここから先は2分子が流れていくことになるのだが、この異性化はエノール性互変異性体を介して起こる異性化反応でありフルクトースとグルコースの相互変換とメカニズム同一である。一言付け加えるとすれば、この段階も立体選択的な反応で、生成物はD体のつまりフィシャー投影において水酸基が右側に描かれる3-ホスホグリセルアルデヒドであることは注意しておくべきである。(1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸は上下を入れ替えて描いたほうが親切だったと思わないでもないが、上の段とのつながりもありこの形となりました。)

 レトロアルドール縮合はアルドール縮合の逆反応である。またもや脱線するが、縮合反応の一般的な定義は、2つの分子が水、アンモニアなどの小さな分子の脱離を伴って新しい共有結合を生成する反応をいう。そうであるのにフルクトース-1,6-ジリン酸から3-ホスホグリセルアルデヒドと1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸ヘの反応は、レトロアルドール縮合という縮合反応に分類されているにもかかわらず、実際はフルクトース-1,6-ジリン酸が3-ホスホグリセルアルデヒドと1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸ヘ開裂しているのである。これは上記の定義に合わないのではないか。

 「君は人の悩まないところで悩む才能を持っているね」とある人に褒められた(けなされた?)ことがあるのだが、まさにその通りである。こんなことで悩んでいると学習が進まない。でも、世の中には私のような若者がいるかも知れないと考えて以下の説明を付け加えておくことにする。

 アルドール縮合の逆反応であるレトロアルドール縮合は、縮合反応ではなく開裂反応である。勘違いしないように書くとすれば、レトロアルドール反応として縮合という言葉を抜くべきであろう。要するに、人の悩まないところで悩む才能を持つ阿呆な著者がレトロ・(アルドール縮合)と切るべき所を、(レトロアルドール)・縮合と切ってしまい、この反応を縮合反応であると思い込んだのが迷走の原因であった。つまりレトロアルドール縮合とはアルドール縮合の逆反応であり、C-C結合の開裂反応である。

 つづいて、3-ホスホグリセルアルデヒドから1,3-ビスホスホグリセリン酸への基質レベルでの酸化を伴うリン酸化反応である。

図6 3-ホスホグリセルアルデヒドから1,3-ビスホスホグリセリン酸ヘの変換反応

 図6に示すように、この反応の初発段階は、3-ホスホグリセルアルデヒドデヒドロゲナーゼのシステイン残基にあるSH基が3-ホスホグリセルアルデヒドのアルデヒド基に付加する反応である。酵素内の塩基性部位がチオール残基を活性化し、カルボニル基への付加を加速する。この際、酵素内の酸性残基がカルボニル基の立ち上がりを促しているため、この付加反応は速やかに進行する。この付加反応で、酵素内の酸性残基と塩基性残基が入れ替わっている。−A:で表示された塩基が1位に発生していた水酸基のプロトンを攻撃してカルボニル基の再生が起こるのだが、この時1位の水素がアニオンとなってNAD+のピリジン環の4位に求核的に付加する。この反応は、水に対して極めて不安定なヒドリドイオンが生体内で移動するという興味深い反応である。よく見ていただければ分かると思うが、−A:でプロトン(H+)が抜かれ、ヒドリドイオンの移動でHが抜かれている。両者を合わせると脱水素が起こっているため、この段階が酸化反応ということになる。次の段階では正リン酸イオンが反応性の高いチオールエステルのカルボニル基を攻撃した結果、切れていく硫黄アニオンが酵素分子内の−B:を再生して酵素が元に戻ると同時に、目的物である1,3-ビスホスホグリセリン酸が生成することになる。

図7 1、3-ジホスホグリセリン酸からピルビン酸までの変換反応

 さて図7に示すように、ここで得られた1、3-ジホスホグリセリン酸のカルボン酸とリン酸の混合酸無水物は化学的に非常に反応性が高く、キナーゼの存在下にADP末端のリン酸基ををリン酸化してATPを生成すると同時に、3-ホスホグリセリン酸を与える。このステップがグリコリシスにおける最初のATP生産段階である。

 次のステップは幾分ややこしい。ここでは脊椎動物、昆虫、藻類、そしてグラム陰性菌に主に分布している反応について描いておく。働く酵素はホスホグリセリン酸ムターゼなのだが、この酵素は分子内にリン酸化されたヒスチジン残基を持っている。反応のはじめの段階で、この酵素のリン酸基は3-ホスホグリセリン酸の2位のリン酸化に使われる。つまり2,3-ジホスホグリセリン酸が中間体になるのであるが、この中間体が生成すると直ぐに酵素の活性部位の形が変わり、酵素のヒスチジン残基は2,3-ジホスホグリセリン酸の3位のリン酸基を攻撃してリン酸化され元に戻ると同時に、2-ホスホグリセリン酸が生成する。従って、この2位のリン酸基は酵素のヒスチジン残基と結合していたものであり、初めに3位に存在していたリン酸基が転移したものではない。

 次のステップはエノラーゼに触媒される脱水反応である。図7に示すように協奏的に脱水が起こり、極めて反応性の高い重要な代謝中間体であるホスホエノールピルビン酸が生成する。このホスホエノールピルビン酸はピルビン酸のエノール体に存在するエノール性水酸基がリン酸化された形の化合物で、ピルビン酸キナーゼの存在下にADPをリン酸化してATPを生産しながら解糖系の最終産物であるピルビン酸が生産されることになる。

 できるだけ丁寧に記載しているので、興味のある方は全体を通してトレースして下さい。有機化学系の学生さんは、生化学反応が有機電子論的に描けることに納得して頂けると思うし、生化学系の学生さんは、生化学反応の基礎にある有機化学という学問に今少し目を向ける切掛けにして欲しい。老婆心からの発言です。とは言っても各図には不十分、場合によっては不正確な点があることは十二分に分かっている。気付いていないミスもあるだろうし、私が誤解している部分もあるかもしれない。しかし、お釈迦様が説くところの方便として受け取っていただければ幸いである。後は各自で補って欲しい。とにかく、2分子が流れる後半のプロセスで4分子のATPが生産される。この4分子のATPから前半で消費された2分子のATPを差し引いて、系全体のATP生産は2分子であると説明されているわけだ。
 こうした形で理解した上で考える解糖系と、図1をとにかく丸暗記して答える解糖系には認識の上で隔絶した差があることを自覚していただければそれで良い。

 次回は、蛇足から本論に戻り、この解糖系の理解の仕方が妥当であるかどうかについての議論を始めたい。蛇足の蛇足みたいだが、2分子のATPを投資すると、4分子のATPが収益として得られるという認識、まるで資本主義的理解だな。善し悪しの問題ではなくこうした説明に納得する感性を、我々は現代社会の枠組みの中で身に付けて来たのかもしれない。さらにだが、一番初めに投資するATPは何処にあったのだろう。

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まあ仕方の無い面があるとは言え鬱陶しいな!!

 先日、知り合いの家族に不幸があった。ただ哀悼の意を表すしかなく、私が何もすることができないのは当たり前だ。問題はそこにはない。御霊前を持参しようと袋を購入しお金を入れて再度熨斗をつけようとしたのだが、そこで困ってしまった。裏側の折り返しの部分で、上から折り返した部分としたから折り返した部分、どちらを上にすれば良いかが分からなくなった。何気なくグーグルで調べると、上からの部分が上になると書いてあった。解決である。慣習といえば慣習で、どちらが上でも良いではないかと思わないこともないのだが、こういうことは社会通念に従っておくのが良い。

 問題はその後である。PCを開くと坊さんの写真が必ず現れる。葬儀の案内サイトがずらっと並ぶ。坊さんの派遣と料金案内が表示される。いやはや、この状況が10日近く続いた。結局、検索結果を次回をもとに表示を決めているーつまりこちらの情報が完全に漏れているということである。坊さんの広告が出るからといって、無視するだけだから何ということはないが、そこまでしなくてもいいだろうと強く思う。アマゾンで定期的に買い物を続けていると、頼まなくて物が届くようになるとか、宅配業者の車が注文するタイミングで家の前に待っているなどという笑い話があったが、あり得そうな状況である。

 以前に不幸が幸せに先行すると書いた記憶がある。怪我をした。痛い状況から次第に直っていく幸せ、貧乏な状態から少しずつ裕福になっていく幸せ、蚊に刺されてかゆい時そこを適度にひっかく気持ちよさ、全部良くないことが先に起こっている。欲しい物を注文してもなかなか来ない不幸と届いた時の喜び、余りにも苦労せずに物事が処理されていくということは幸福感を減殺しているのではないか。現代文明は我々から待つ喜びを奪っていきつつあるようだ。

 私は北九州、いや中九州かな、に住んでいるのだが、北部九州では現在進行形を「〜しよる」と表現する。大阪弁の「〜しよる」には一寸ばかり非難するニュアンスが含まれる場合が多いのだが、我々の「〜しよる」にはそうした意味は含まれない。通常は現在進行形を意味する。標準語に直せば「〜しつつある」となる。何でこんなことを書き始めたかといえば、「待つ喜びを奪っていきつつあるようだ」と書いてしまったからである。この部分を私の方言に翻訳すれば「奪っていきよるごたる」となるだろう。この「しよる」が「しつつある」より優れているのは、否定形を持つことだ。「食べよる」の否定形は「食べよらん」、「いま書きよる」の否定形は「いまは書きよらん」となる。「〜しつつある」の否定形は「〜しつつない」ではない、どうなるのだろう。これは知りたいな。

 ネットで調べれば答えがあるかもしれないが、突然アマゾンの国語辞典のサイトが現れるかもしれない。日本人としては残念だが、紀伊國屋書店のサイトは出ないような気がする。まあ、葬儀の案内サイトよりましかな。

 

 

 

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歴史生物学 解糖系についての考察 2

解糖系についての序章

 大学で生物系の学科を卒業した人だけではなく、高校で生物学を履修した人であれば、少なくとも解糖系という名前だけは聞いた記憶があるだろう。しかしながらこの解糖系、知名度は抜群であるにもかかわらず、きちんと説明できる人は少ない。この経路は生物の基本的代謝系である、絶対に覚えろと言われたから試験前に覚え、試験が終わったら直ぐに忘却したと言う人が大部分だろう。現実の問題として、我々にとって生活にさほど役立つ知識ではないし、覚えていたからと言って飲み屋で披露できる知識でもない。

 初めから脱線するようだが、系と経との使い分けで悩んでいる。代謝系と使う場合は系、代謝経路と使う場合は経を使う。系を英訳するとsystem、経はpathwayとなるのだろうが、系路という使い方もある。さらに、径路という言葉もある。径路と経路は同義であると考えて良いと思うのだが、この径路は生化学分野では使われないようだ。今までの経験からすると、解糖に関する用語においては系が使われる。ところがペントースリン酸経路の場合は系ではなく経を使うようだ。どうもいま一つ分からない。多分、使われ続けてきた歴史が反映しているのであろう。軽々に決められない系路と経路、とりあえず著者の感性で使い分けることにする。

 そこで解糖系、実生活で役に立たないからといってどうでも良い系であるかと云えばそうでもない。生化学という学問において、この系はとても、いや最も重要かつ基本的な系として扱われている。日本薬学会という薬学の研究者が構成している学会があるのだが、その薬学会には用語解説のページがある。薬学会自体を批判するつもりはないが、このページには常識的な解説が書いてあるので、少し引用することにする。このサイトにおいては解糖系を以下のように説明している。

解糖系

glycolytic pathway, エムデン-マイヤーホフ経路

グルコースを分解して、ピルビン酸や乳酸を生成する代謝経路。大腸菌からヒトまで多くの生物種に保存されている。解糖系に関与する酵素は、哺乳動物ではすべて細胞質ゾルに存在する。反応全体の収支は、グルコース+2NAD+2ADP+2リン酸→2ピルビン+2NADH+H+2ATP+2H2O、もしくは、グルコース+2ADP+2リン酸→2乳酸+2ATP+2H2O、となる。解糖系は、酸素がまったくない状態でもATPを供給できる特徴をもち、激しい運動時など酸素欠乏時の骨格筋(主として白筋)では必須となるほか、赤血球や神経細胞では唯一のエネルギー供給経路となっている。好気的条件下にある多くの組織では、ピルビン酸からアセチル-CoAが生成し、解糖系クエン酸回路へ基質を供給する経路としての役割を果たす。解糖系の反応の大部分は可逆的であり、糖新生でも同じ酵素が逆方向の反応を触媒するが、ヘキソキナーゼ(グルコキナーゼ)、ホスホフルクトキナーゼ、ピルビン酸キナーゼの反応は、生理的に不可逆であるため、糖新生では別の酵素が触媒する。グルコース以外にフルクトース、ガラクトース、マンノースやグリセロールも解糖系に回収されて代謝される。また、グルコース6-リン酸はグリコーゲン代謝やペントースリン酸回路などの分肢点となるとともに、ピルビン酸からはアラニンが生合成される。(2005.10.25 掲載)(2009.1.16 改訂)(2014.7.更新)

 もう一つ、私がよくお世話になっているバイオインフォマティクス研究用のデータベースから引用しよう。KEGG(Kyoto Encyclopedia of Genes and Genomes:京都遺伝子ゲノム百科事典)と言うサイトで、京都大学の金久實教授達のプロジェクトとして構築され、ウェブ上に公開されているものである。そのグリコリシスのページの説明文を引用する。

  Glycolysis is the process of converting glucose into pyruvate and generating small amounts of ATP (energy) and NADH (reducing power). It is a central pathway that produces important precursor metabolites: six-carbon compounds of glucose-6-phosphate and fructose-6-phosphate and three-carbon compounds of glycerone- phosphate, glyceraldehyde-3-phosphate, glycerate-3-phosphate, phosphoenolpyruvate, and pyruvate.

 つたない訳文

 グリコリシス(解糖系)はサイトゾルに存在し、ブドウ糖をピルビン酸に変換し、少量のATP(エネルギー)とNADH(還元力)を生成するプロセスである。グリコリシスは重要な代謝前駆物質である6炭素化合物:ブドウ糖6リン酸、果糖-6-リン酸、そして3炭素化合物:グリセロンリン酸(1,3-ジヒドロキシアセトンリン酸)、グリセルアルデヒド-3-リン酸、3-ホスホグリセリン酸、ホスホエノールピルビン酸とピルビン酸を生産する中心系路(Central pathway)である。

注:このKEGG(Kyoto Encyclopedia of Genes and Genomes:”京都遺伝子ゲノム百科事典” )というサイトは、1995年に京都大学化学研究所の金久實氏らによるプロジェクトとして発足したあと、現在も整備が続けられている膨大なデータベースである。極めて有用なサイトである。その中のグリコリシスの説明文に異論があるからといって、その存在価値は些かも揺るがないことを付け加えておこう。こんな文章が書けるのもKEGGのお陰である。

 上記の説明を読んで即座に「うむ」と納得できる人は極々少数であるとと思う。大多数の人が、科学者と呼ばれる集団が使う専門用語にたじろいでしまうのではないだろうか。もう少しわかりやすくならないかと思わないでもないが、これはこれで仕方ない。専門用語を一応理解した上で記憶し、論理的に使いこなせるようになることは、専門分野を修得するに際して避けて通ることは出来ない。さらに、これらの内容が判りにくいからと言って、その記述が間違っているわけではない。これらの説明文を書いた筆者たちの住むパラダイムの中にあっては、これらの説明は間違いではないのである。

 では、先の二つの説明の何処に異論があるのかと問われるのだろうが、一言で答えるのは甚だ難しい。詳しい話は後ろに回すとして、一つだけ疑問をを投げ掛けておこう。確かに、解糖系は大腸菌からヒトまでどころではなく、原核生物(古細菌を含む)から真核生物にわたるほとんどの生物に広く分布する普遍的な代謝系である。その点に疑問はないのだが、出発物質がブドウ糖であることに納得が行かない。この系を持つすべての生物は、エネルギー源として使うブドウ糖の給源を何処に求めているのだろうか。さらにだが、解糖系らしき系は持つものの、その系の中にブドウ糖を含まない生物も散見される。それらをどのように説明すればいいのか?

 本格的な批判をする前に、解糖系について常識的な説明しよう。現在認められている解糖系についての知識がなければ、批判が批判ではなくなってしまうからである。さらにだが、この批判は次に述べる「TCAサイクルに関する異論」と続けて読んでもらったほうが理解しやすいだろう。現在、原稿に手を入れているので請うご期待というところである。そこで解糖系、解糖系は図1のように描かれるのが通常である。まあ縦に化合物を並べる場合もあるが、内容は同じである。そこで、この図に沿って説明をする。

  解糖系の出発物質であるα-D-グルコースは、ヘキソキナーゼの触媒下にATPを消費してα-D-グルコース-6-リン酸となる。生成したα-D-グルコース-6-リン酸はホスホフルクトキナーゼによってD-フルクトース-6-リン酸へと異性化される。D-フルクトース-6-リン酸はホスホフルクトキナーゼによってATPを消費しながら、D-フルクトース-1,6-ビスリン酸へと変えられた後、アルドラーゼの触媒下に3位と4位の炭素官の結合が開裂し、3単糖であるグリセルアルデヒド-3-リン酸とジヒドロキシアセトンリン酸が生成する。ジヒドロキシアセトンリン酸はホスホトリオースリン酸イソメラーゼによりグリセルアルデヒド-3-リン酸へと異性化されるため、ここから先は2分子のグリセルアルデヒド-3-リン酸が系を流れることになる。

 グリセルアルデヒド-3-リン酸はグリセルアルデヒド-3-リン酸デヒドロゲナーゼによって基質レベルでの酸化を受けた後、リン酸を取り込んで1,3-ビスホスホグリセリン酸となる。混合酸無水物である1,3-ビスホスホグリセリン酸は高エネルギー化合物であるため、ホスホグリセリン酸キナーゼの存在下にADPをリン酸化してATPを生成しながら3-ホスホグリセリン酸に変化する。後で議論することになるが、この3-ホスホグリセリン酸は解糖系を考える上で重要な役割を果たす化合物である。記憶に残しておいて欲しい。

 3-ホスホグリセリン酸から2-ホスホグリセリン酸ヘの変換はホスホグリセリン酸ムターゼで触媒されるのだが、この酵素には2種類が存在する。一つは植物、古細菌そしてグラム陽性菌を中心に分布する酵素で、分子内でリン酸基の転移を触媒する酵素である。いま一つは、脊椎動物、昆虫、藻類、そしてグラム陰性菌に主に分布する酵素で、2,3-ビスホスホグリセリン酸をコファクターとして3-ホスホグリセリン酸の2位の水酸基のリン酸化に続く3位のリン酸残基の脱離を通して2-ホスホグリセリン酸を生成する。図1には、後者のタイプの反応をイメージして、2,3-ビスホスホグリセリン酸を中間体とする形で示している。

 こうして生成した2-ホスホグリセリン酸はエノラーゼによって脱水反応を起こし、極めて重要な代謝中間体であるホスホエノールピルビン酸に変換される。ホスホエノールピルビン酸はエノール型になったピルビン酸の水酸基がリン酸化された化合物で、ピルビン酸キナーゼの存在下にADPをリン酸化してATPを生産しながらエノール型のピルビン酸にとなるのだが、エノール型のピルビン酸は極めて不安定で触媒の存在を必要とせず速やかにケト形のピルビン酸へと異性化する。

 解糖系においては、青の矢印で示した2つの段階でATPが消費され、赤の矢印で示した2つの段階でATPが生産される。グリセルアルデヒド-3-リン酸以降は系を2分子が流れることより、解糖系を通ってα-D-グルコースが2分子のピルビン酸に分解されると差し引き2分子のATPが生産されることとなる。また、緑の矢印で示した段階で、NAD+が還元を受け重要な補酵素NADH2分子が生成する。

 つまり、「ほとんどの生物が持つ嫌気的でもっとも普遍的かつ根源的な代謝系」である解糖系は、6炭糖であるブドウ糖を出発物質とし、酸素を使わずに2分子のピルビン酸まで分解することにより、2分子のATPと2分子のNADHを生成する反応である」となる。

 学生の立場からすれば、「解糖系について知見を述べよ」という問題は、図1を記憶して、解糖系が「ほとんどの生物が持つ嫌気的でもっとも普遍的かつ根源的な代謝系」であること、2分子のATPと2分子のNADHを生成する反応であることを書けば、間違いなく80点は貰える楽勝な問題である。系を乳酸まで伸ばせば、NADHの収支もゼロとなり、細胞内の酸化状態も変えずにATPの生産ができると書けば、今少しの加点が期待できる。私だって学生の時はそう答えた。現役教員の頃もそういう基準で評価をしていた。失礼ではあるが、分かっていないのにこの図を丸暗記する集中力と努力は認めるべきだと考えたからである。こいつ何にも分かっていないくせにと思っていたにせよである。

 本論から逸脱することは承知の上で、少しだけ補足しておきたい。代謝系を構成している反応群は、少なくとも有機化学的に理解されるべきだという立場にいる私から見ると、図1をとにかく丸暗記するという時点で理解することを放棄したと言える。これは学生達だけを揶揄しているのではなく、学生時代の私自身に対する批判でもある。

 私も図1のような概念図を絵として暗記し、それを答案に書いた。単位は取れたのだが、何も分かっていないことには気付いていた。有機化学に片足を乗せて研究生活を始めようとしていた学生であるにもかかわらず、この系を構成する素反応群を有機化学的に記述できなかったのである。D-フルクトース-1,6-ビスリン酸とグリセルアルデヒド-3-リン酸・ジヒドロキシアセトンリン酸の間で起こる可逆反応なんて、とても刃が立たなかったし、グリセルアルデヒド-3-リン酸から1,3-ジホスホグリセリン酸への変換はさらに理解不能な反応であった。

 つまり、当時の私にとって図1は単なる絵に過ぎなかった。生物有機化学という分野自体がまだ一般的ではなかった時代、多くの先生方さえもが有機化学と生化学は別の学問であるという考えであったようだ。何とか代謝系の素反応を有機化学的に理解したいと、ドナルド・J・クラムが有機電子論的立場から書いた有機化学の教科書を、練習問題まで全て解きながら5回ほど読み通した。進歩は遅く、解糖系の素反応を有機電子論的に描けるようになるのに5年ほどかかったのだが、そうなってみると新しい世界が広がっていたのである。この頃、1年後輩ではあったが、適切な指摘と助言をくれたK君がいなかったとすれば、今の私は無いだろう。できる後輩を持つというのは半分有り難く、半分怖いものである。感謝!!

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