妄想論ワクチンモドキ

 いくつかの不完全な事柄を基礎に華麗な空想の世界を描くのが空想論、空想を突き抜けた非常識な議論を妄想論というのかな。そんな妄想論を政治の世界に当てはめると陰謀論になるのだろうか。現実世界ではそれは陰謀論と名付けられた時点で、その議論は無条件に正当性を失うのが世の決まりである。では誰がある論を陰謀論と決めるのか。それを考えない人たちが、陰謀論という概念を成立させ続けてきたわけだ。現体制において成功した人々が作る指導層は、彼らにとって都合の悪いことについての議論を避けるために、この陰謀論という言葉を実に巧く使い続けてきた。如何に辻褄が合わなくても、論理に矛盾があっても、明らかな嘘であっても、マスコミを操作して同じ話を繰り返せば、そのうち国民はその話を受け入れる。ヨーゼフ・ゲッペルスの名言通りである。一応、彼の名言を紹介しておく。

1.「小さな嘘より大きな嘘に大衆は騙される」

2.「嘘も100回言えば本当になる」

3.「嘘も毎日つけば真実になる」

4.「プロパガンダの本質とは、こういってよければ芸術である。そしてプロパガンダ担当者は、言葉の最も真実の意味で、大衆心理の芸術家である。その最重要任務は、毎日毎時間、大衆の心臓に耳を寄せて、その鼓動を聞き取り、その鼓動の調子に合わせて対策を立てることにある」

5.「プロパガンダの秘訣とは、狙った人物を、本人がそれとはまったく気づかぬようにして、プロパガンダの理念にたっぷりと浸らせることである。いうまでもなくプロパガンダには目的がある。しかしこの目的は抜け目なく覆い隠されていなければならない。その目的を達成すべき相手が、それとはまったく気づかないほどに」

 そこで一昨日の続き、新型コロナに罹らないために新型コロナワクチンモドキを接種した人が、非接種者の他の人に悪影響を与える可能性についてである。影響があると云う記事がある一方で、ある筈がないとする記事もある。どちらが正しいかと聞かれても分からないというしかない。以下の話は、あるとすればどんなメカニズムが考えられるかという試論である。専門家ではないので間違った解説であるのかもしれないと、少なからず不安ではあるが一応書いておくことにする。

 ファイザーのワクチンモドキはコロナウイルスのスパイクタンパク質の遺伝情報を運ぶ伝達RNA(mRNA)を、脂質の膜で包み分解されにくくしたモノである。これを接種するとmRNAがヒトの細胞内に取り込まれた後、このmRNAの持つ情報を基に細胞内でウイルスモドキのスパイクタンパク質が生産されて、スパイクタンパク質に対する中和抗体産生及び細胞性免疫応答が誘導されるという。

 ワクチンモドキの他の成分についての問題は一旦脇に置くとして、上のプロセスから起こってくる問題があるとすれば、一つはスパイクタンパク質の過剰生産である。ファイザー社が明らかにしていなさそうなので断言はできないが、生産を止めるメカニズムは組み込まれていないように見える。通常、体内で生産されたmRNAはリボヌクレアーゼによって分解を受けるが、その半減期はmRNAの種類によって著しく異なり、安定なものは数日、短いものは数分のオーダーで分解を受ける。

 一寸専門的になるが、核内で生合成されたmRNAは5’末端にはCAP構造を、3’末端にはpolyAを付加された後サイトゾルへと輸送される。これらの特徴的な構造に結合するタンパク質群がサイトゾルにあり、それぞれがエンド型のRNaseによる分解からmRNAを保護している。また特異的な配列を認識してRNAをの中間部分から分解するエキソ型のRNaseがあるのだが、この酵素に拮抗する保護タンパク質もまた存在する。つまりRNaseはこれらも保護タンパク質を除去しないと分解を始めない。しかしいったんCAP構造やpolyAが消失すれば、もう保護タンパクによる防壁はなくなるため、RNaseによる分解が始まるというわけである。もう少し詳しく知りたければ以下のサイトを参照して下さい。https://www.chem-station.com/blog/2012/07/post-417.html

 ファイザー社のワクチンモドキにおいては、スパイクタンパク質のアミノ酸配列情報を持つmRNAを接種するのだが、そのままではRNase(RNA分解酵素)による分解を受けるため、その分解を抑制するための何らかの工夫をしているらしい。この部分は特許の核心部分に当たるため開示されていないわけだ。さらにこのmRNAは界面活性剤(PEG: ポリエチレングリコール)でコーティングされた脂質の膜に包まれているという。ここではPEGによるアレルギー反応は扱わない。それはまた別の問題である。

 こうして体内での分解に抵抗性を持たせたmRNAを内包した脂質微粒子が、筋肉注射によって体内に注入されると血流に乗って血管の中を流れていく。そしてその微粒子は血管の内側にある「内皮細胞」に接触するわけである。この脂質微粒子は、ヒトの細胞の表面に接着して中味であるmRNAが細胞内に入り込むと、細胞内でタンパク質を作っているリボソームへと移動しスパイクタンパク質を作り始めることになる。要するに、我々の細胞がウイルスのスパイクタンパク質の工場として使われることを意味している。

 問題はここから始まる。この作られた異物であるスパイクタンパク質は細胞から出て血流に再度乗るのだが、この異物を血管の中の免疫細胞が見つけ、抗原抗体反応が起こることになる。その結果作られた抗体がコロナウイルスの感染を防ぐというストーリーになっている。ここまでは、物語としてはそうかと思うのだが、二つの問題が残るだろう。一つは先に述べたように、スパイクタンパク質生産を止めるメカニズムは組み込まれていない点にある。日本昔話の塩吹き臼の物語ではないが、mRNAの分解が抑制されていると、スパイクタンパク質の生産は止めどなく続くことになる。これが免疫反応にいかなる影響を与えるかについては今更云う必要はないだろう。自己免疫疾患を引き起こす可能性が避けられない。

 さらにだが、作られたスパイクタンパク質が単なる外被タンパクで、毒性があまりないものであればまだ救いがあったのだが、昨年の終わり頃からこのスパイクタンパク質がコロナウイルス感染症の色々な症状を引き起こしているようだという報告が増えてきた。新型コロナ感染症で入院している人のほぼ4分の1が心筋損傷を経験し、多くが不整脈または血栓塞栓性疾患を発症することが報告されている。さらにこうした血栓症は心臓だけでなく多くの臓器で認められること、とくに脳においても認められることが明らかにされた。困ったことは、こうした障害を受けている臓器にはウイルス感染が起こっていないように見えることである。どうやら、こうした障害を引き起こしていたのが、スパイクタンパク質であると云う結果が得られ始めている。とすれば、ファイザーやアストラゲネカのワクチンモドキは病気の原因となるスパイクタンパク質を作らせるというとんでもないものであるという結論にならざるを得ない。

 この結果を受け入れると、有害事象のかなりの数が、血液の凝固障害(心筋梗塞、脳卒中、流産、四肢への血流の中断、肺塞栓症)に関連していることが合理的に説明できる。新型コロナ感染症が流行り始めた頃、なぜWHOは死因を明らかにするための解剖を禁止したのだろう。この病気に対するWHOの対応は全く理解できない。それはそうと、ワクチンを接種した人が未接種者に影響を与えるという現象をどう考えるのかというのが今回のブログのテーマである。接種した人の中で大量のスパイクタンパク質が生合成され、これが呼気、咳、発声に伴って放出されると、近くにいる未接種者に取り込まれて影響を与えるかもしれないという説がある。濃厚接触による逆感染みたいなものである。でも、そこまで大量のスパイクタンパク質が発現するものだろうか。まだ眉に唾を付けながら事態の推移を見守っている。

 もう一つの可能性だが、植物にはウイロイドとよばれる200から400塩基程度の短鎖のRNAが病原体となる病気がある。もっとも有名なのがジャガイモヤセイモ病ウイロイドだ。ウイロイドの増殖は宿主のDNA依存RNAポリメラーゼ(DdRP)IIによって行われるのだが、今のところ動物に感染する種は知られていない。だが、知られていないことが存在しないことを意味するわけではない。もし、スパイクタンパク質の遺伝情報を運ぶ伝達RNA(mRNA)が、ヒトのDNA依存RNAポリメラーゼによって複製を行う能力を持っていたとしたら、ワクチンモドキとして接種されたmRNAが、接種者の体内で増え、呼気、咳、発声あるいは濃厚接触に伴い未接種者に移ると、その身接種者の体内で増殖するという事態が起こることになる。とすれば、このファイザーワクチンモドキは自己拡散型ワクチンということになる。

 昔から、蚊を使ってワクチンを自己拡散させようというアイデアはあった。SFとして読んでいたが、思いもよらぬ形で実現されているとしたらいやだな。しかしながら、上の妄想がもし万一事実であるとすれば、ワクチンモドキを打ったヒトを隔離しなければならなくなる。やはり訳が解らなくなった。もう寝よう。

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何が何か分からなくなってきた

 「どうせ年寄りの妄想サイトだ」、として読み捨ててもらうことを期待している。妄想とは、想像が空想を通り越して止めどがなくなったものである。ただ、時々これが当たることがある。従って、読者には内容を読んだ上で、これが玉であるのか石であるのかを峻別する常識と判断力と智慧がが求められるわけである。

 昨日もだが、前ぶりが長過ぎるといわれそうだ。でも前ぶりがないと、後の部分にメリハリが付かない場合もある。まあお暇であれば付き合って下さい。新型コロナワクチンモドキにおいて分かりにくい点がいくつかあるのだが、その一つについて妄想を述べてみよう。新型コロナワクチンモドキが副作用ーあえて副反応とは言わないーを引き起こすという記事は、マスコミには殆どでないにしてもネット空間には読み切れないほどある。隣の市の26歳の看護婦さんも先日亡くなった。

 今までのワクチンであっても副作用はあったのだから、このワクチンではない新型コロナワクチンモドキに未知の副作用があっても驚くことはない。コロナ風邪よりコロナワクチンモドキの方が危険だという意見に80%くらいは同意できる。残りの20%は、自ら実験を行ったものではないだけでなく、生物を対象とした試験にはある程度の誤差が付随するからである。さらに、結果を評価する人の主観が大きく影響することを知っているからである。コロナワクチンモドキの危険性は無視できると言い切る先生方の無神経さに怒りを感じている。

 ところが、一寸ばかり信じられないことを書いているサイトに出くわした。新型コロナワクチンモドキを接種した人と接触した非接種の人に、ワクチンモドキの影響が出るというのである。まさかと思って読み進めると、驚いたことにファイザー社のコロナワクチン・プロトコルに書いてあるという。PF-07302048 (BNT162 RNA-Based COVID-19 Vaccines) Protocol C4591001(http://82.221.129.208/pfizervax.pdf)

 ダウンロードして開いてみたら、146ページもある文書でとても全部を読む気にはならない。そんなことをしていたらいまでも遅れている農作業の予定が、いよいよ遅れてしまう。仕方なく、p67〜69辺りの該当する部分を探して読んでみた。困ったことに、こうした法律を意識した文書を読むスキルは持ち合わせていない。DeepL翻訳ツールで下訳を行い英辞郎 on the WEBで適訳を探しながら何とか読んだ。中身を書こうかと思っていたら、以下のサイトに取り上げられていた。

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2176627.html#morehttp:// blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2176449.html

 分かりやすく翻訳すると以下のようになるだろ。日本語として馴染んでいない所はご容赦下さい。

妊娠しているワクチン未接種の女性が、8.3.5.1で示すような経路でワクチン接種者と接触すると、A.流産 B. 自然流産 C.母乳を介しての赤ちゃんの汚染 D.先天性障害のある赤ちゃんが誕生する恐れがあります。ワクチン接種者と接触とは以下のケースである。

8.3.5.1. 妊娠中の曝露 (接触) 以下の場合、妊娠中の曝露(接触)が発生します:

  • 女性参加者が、ワクチン接種を受けている間、または中止した後に妊娠していることが判明した場合。
  • 女性が、環境曝露によりワクチン接種者に曝露(接触)されている、または曝露(接触)された状態で妊娠していることが判明した場合。以下は、妊娠中の環境曝露の例です。
  • 女性の家族または医療従事者が,吸入または皮膚接触によりワクチン接種者に曝露(接触)された後,妊娠していると報告する。
  • 男性の家族または医療従事者が、吸入または皮膚接触によりワクチン接種者に曝露(接触)された後、妊娠前または妊娠前後に女性パートナーに曝露(接触)した場合。

 訳が解らないのだが、新型コロナに罹らないために新型コロナワクチンモドキを接種した人が、新型コロナワクチンモドキを打っていない他の女性に悪影響を与える可能性を示唆した文書である。これはなんだと考え込んでいたら、変なニュースが飛び込んできた。

 というものである。多分、前半に書いたことを基礎にした判断だと思うのだが、もちろんマスコミは誤解に基づく誤った決定であるという報道を流している。どちらが正しいのか判断は難しい。こうなると新型コロナワクチンモドキ信者と新型コロナワクチンモドキ不信者が分かれて暮らすしかないような世界が待ち受けていそうだ。相互不信ならぬ相互憎悪の社会になりそうで嫌だな。

 しかしながら、新型コロナに罹らないために新型コロナワクチンモドキを接種した人が、非接種者の他の人に悪影響を与える可能性はあるのだろうか。新型コロナワクチンモドキを接種して、体内で大量のスパイクタンパク質を作った人からスパイクタンパク質が咳や呼吸によって非接種者に移動して、悪影響を与える可能性が言われているようだが、それは何となく違うような気がしている。

 あり得るとすれば、この新型コロナワクチンモドキが自己拡散型ワクチンである場合であろう。自己拡散型ワクチンの話を始めると長くなりそうなので今日は止めておくことにする。でも、しかし、ひょっとしたら、まさかだが、実はジャガイモに「ジャガイモやせいも病」という病気がある。ウイロイドと呼ばれる短いRNAが病原体になる病気である。これがヒントになるかもしれない。次回に少し考えることにする。

 

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歴史生物学 解糖系についての考察4

 1945年にホロウィッツは前生物的に生成していたアミノ酸、糖、核酸塩基、脂質などが蓄積していたことを前提に、発生した原初生物がこれらを基質として利用していたとする条件下に、代謝経路は最終産物から中心代謝へ向かって逆向きに伸長したとする説を提唱している。つまり生存に必要な基質の不足を、その基質の前駆体に求めることで代謝系が創生されていったとしたわけだ。この説に従えば、プレビオティックに作られていたグルコースが、その利用系が創成されるまで大量に蓄積していたことを意味する。しかし、そんな予定調和みたいな物語で説明の付くことではないだろう。

 さて、宇宙空間には星間分子と呼ばれる一群の化合物群が分布している。詳しくは専門書を参照して欲しいが(http://www.astrochemistry.net/ )にもある程度詳細なデータが記載されている)、700種を越える発見された星間物質の中には、ホルムアルデヒド、アンモニア、シアン化水素、ギ酸、メタノール、ビニルアルコール、アセトアルデヒド、グリコールアルデヒド、酢酸、エタノール、アセトン、ベンゼン、ナフタレンなどとともに、グリシンやジヒドロキシアセトンなどが見つかっている。William M. Irvineによれば、銀河系に存在するエタノール量は8x1024トンに上るという。とても飲みきれない量である。確かに広大な宇宙空間には、こうした化合物群が生物の関与なしに存在しているとはいえ、それらの存在密度は極めて低い。

 さらに、原始地球大気の組成の問題ゆえに、いまとなっては否定的に見られているとはいえ、ユーレイ-ミラーの実験に端を発する非生物的な有機化合物の合成実験で、核酸塩基、アミノ酸をはじめとして、多種の糖(グリコールアルデヒド、グリセルアルデヒド、ジヒドロキシアセトンなど)や低級脂肪酸類(ギ酸、酢酸、プロパン酸、乳酸、ピルビン酸など)が比較的容易に生成することが明らかになっている。そして、星間物質としても知られるホルムアルデヒドは、粘土鉱物上で連続的に縮合してホルモースと呼ばれる多種の糖の混合物を与えるのだが、この混合物の中に5単糖、6単糖が含まれる場合があると報告されてはいる。しかしながら、α-D-グルコースという6単糖の1光学異性体だけが、特異的に大量に蓄積する可能性は極めて低いだろう。初めて出現した生物が従属栄養生物であったとして、彼らの出現時に生存と増殖を担保するような量のグルコースが、前生物的に蓄積していたとする物語は成立しないと考える。

 一方、もし原初の生物が独立栄養生物であったならば、原初の解糖系の流れる方向は3単糖から6単糖に向かうベクトルを持ち、グルコ−スは原初生物自らが創生したものとするのが理性的判断ではあるまいか。こう書くと、原初の生物が独立栄養生物であるはずはないとする批判を浴びることがあるのだが、いわゆる独立栄養生物、従属栄養生物という分類は、環境から取り入れる物質の複雑さの程度に差があるだけで、本質的な差はない。いずれに分類される生物であっても、生存に必要な物質を環境に依存していることに変わりはない。さらに原初の生物は解糖系で得られるATPに依存していたのではなく、いわゆる酢酸などのC2化合物や地球化学的に存在するポリリン酸の代謝を含む原始発酵系で得られるATPを使っていたと思われる。

 時として、お前は変わっていると評価される。自覚はない。よくよく話を聞いてみると、考える際の空間的・時間的スパンが相互に大きく異なっている場合が多い。私のスパンの上で、私はすこぶる常識的な人間である。その極めて常識的な私が素直に考えるとすれば、原初生物におけるグルコースの生合成は、グルコースの分解系あるいはグルコースの利用系に先立って起こったと思惟する。グルコースの生合成が行われた後に、グルコースの利用系としての解糖系が成立したと考えるべきであろうし、グリコーゲンやデンプンなどを含む多糖類の生合成系が成立した後でそれらの利用系が成立したと考えるべきではないだろうか。尤も、こんな複雑な系が相互に独立して創生されることはなかなか考えにくい。二つの系で多くの段階が共通であり、かつ酵素反応の可逆性を考えれば、生成系と利用系が同時に成立していったとする考え方が極めて理性的であろう。

 さて、高校および大学初年度までの段階ではほとんど触れられることはないが、解糖系に寄り添う一つの代謝系がある。図9に示す糖新生系路と呼ばれているこの系は、人に植物に大腸菌に、そしてアカパンカビにも古細菌にも分布する。そしてその分布は解糖系以上に広い。

図9 乳酸を起点とする糖新生系

 さて、解糖・糖新生系に限らず殆ど全ての代謝系で系の作動を担保しているのは、酵素という触媒機能を持つタンパク質である。この酵素は、触媒としての機能を持ち、反応速度を大きく時には劇的に変化させる。しかし、反応の平衡点を移動させることはない。平衡点は熱力学的に決まるものである。つまり、AからBの化学変化を触媒する酵素は、AとBの濃度比によってはBからAへの変化をも触媒するのである。理論的には、グルコースからピルビン酸への代謝系はピルビン酸からグルコースへの変換も可能であることを意味する。実際の解糖系は、逆反応が起こらない不可逆なプロセスを含むため、そのまま逆行することはできない。しかし、そこには逆行を可能とするバイパスが存在するため、系全体としての逆反応が可能になっている。図9においては、解糖系と異なる段階を点線の矢印で示している。

 さて解糖系は、ブドウ糖やブドウ糖ユニットで構成される糖質を栄養源として取り込む従属栄養生物においては解糖を進める方向で機能するが、これに寄り添う糖新生系は、同時に糖を新生する方向で動いているのである。ましてや、そうした栄養源としての糖質に依存しない独立栄養生物においては、糖新生系が先に稼働するのは自明ではないか。

 実は幾分以上に、自ら展開している議論に不満である。糖新生系の定義を明確にすることなく議論に入っているからである。通常、糖新生系は解糖系(EM系路)の逆反応とされている。では糖新生系は解糖系の最終物質であるピルビン酸から始まるかと云えばそうではない。ピルビン酸も出発物質の一つとして含まれはするものの、乳酸、プロピオン酸、糖原性アミノ酸などから、おおむね解糖を逆行してα-D-グルコースをつくる経路を糖新生系(Gluconeogenesis)と記述している場合が多い。解糖系においては、乳酸まで含めれば酸化還元のバランスがとれると説明できるのにこれを外し、糖新生においてはピルビン酸から始めればEM系路の逆向きの反応であると云えるのに、ピルビン酸だけでなく乳酸、プロピオン酸、糖原性アミノ酸などを加える。推測だが、筋肉生理をやっていた人たちの考えが、色濃く反映しているように感じられる。

 私見だが、この糖新生系は解糖系に比べより根源的で重要な系路であるように思える。にもかかわらず、言及される頻度はあまり高くない。何故か?解糖系が1分子のグルコースから2分子のピルビン酸に至る過程で2分子のATPを生産するのに対し、2分子の乳酸から1分子のグルコースを生産する糖新生系においては6分子のATPが消費されるからであろう。どうやらエネルギーを生産する系の方が、世の中では重要視されているようだ。20世紀から、エネルギー源である石油利権を巡って争い続け、さらには将来のエネルギー源を何に求めるかで混迷を深めている現在の世界状況を考えると、こうしたエネルギー源を重視する社会的な思考の枠組みが、代謝系の意義づけに影を落としてはいるのではないだろうか。

 さて、この世には種々多様な生物が棲息している。そのなかに温泉や熱水噴出口、あるいは塩濃度の高い湖に分布する変わった細菌がいる。いまでは古細菌と呼ばれるこの生物は、古くから何かしら変な細菌として一部の研究者には知られていた。16S rRNA配列から全生物の分類を試みたカール・ウーズの野心的な研究が進展した1970代になって、彼らは分類学上で古細菌という新たな分類学的位置を与えられ、広く認知されるようになった。この生物は16S rRNAの塩基配列において真核生物ともバクテリアとも大きく異なるとはいえ、バクテリアより真核生物に近い生物である。

 我々の周りにも色々な古細菌が棲息するが、その中で比較的知名度の高い古細菌はメタン細菌であろう。1988年以降、世界を振り回してきた地球温暖化、その一つの原因としてのメタンを発生させる細菌である。地球温暖化仮説が科学理論として成立するかどうかは少々以上に疑わしい所があるとはいえ、メタン菌がメタンを作るのは間違いない。一時は、メタンを含むウシのゲップを止めろとか、メタン発生源である東アジアの稲作を制限しろとか、気違いじみた議論がなされていたのが記憶に新しい。2018年時点で、500種を越える古細菌が知られているが、KEGGには以下に示す281種のデータが記載されている。括弧内は知られている種数に対しブドウ糖合成酵素もブドウ糖リン酸化酵素も持たない種の数を示している。
Euryarchaeota (45/191) Nanohaloarchaeota (0/1) Crenarchaeota (34/64) Thaumarchaeota (15/16) Nanoarchaeota (1/1) Micrarchaeota (?/1) Korarchaeota (1/1) Bathyarchaeota (2/2) Lokiarchaeota (0/1) Unclassified Archaea (2/2)
 余り世の中をかき回したくはないが、この中にG-6-PやG-1-Pまでの代謝系は持ちながらも、ブドウ糖に変換する酵素とブドウ糖をリン酸化する酵素を持たない種が、ユーリアーキオータ45種(191種)、クレンアーキオータで34種(64種)、タウムアーキオータで15種(16種)、などが存在する。ブドウ糖合成酵素を持たないだけの条件にすれば、ほとんど全ての種が当てはまる。もちろん、Sulfolobus tokodaiiにおいて基質特異性が低くADPをリン酸供与体とするヘキソキナーゼ(6単糖リン酸化酵素)が見つかったように、いくつかの種では起源の違う加水分解酵素やリン酸化酵素を持つ可能性が残るとは云え、全部の種が消えることはないだろう。

 こうしたブドウ糖まで延伸していない解糖系は、古細菌にのみ分布しているわけではない。真正細菌《バクテリア》の中にも、超好熱細菌であるAquifex aeolicusだけでなく、Bacteroidetes門に属するかなりな数の微生物に分布している。更に、純粋培養ができていない微生物―分類名の前にCandidatusが付いている−においては、その分布割合はかなり高い。(ただし、これらの微生物の中には他の生物に寄生することで生活している種がかなり含まれており、共生進化の過程で解糖系を失った可能性については、注意を払う必要がありそうだ。)

 解糖系と書くと、言葉に糖を壊す方向のベクトルが含まれる。従って同意語であるEM経路と記述するが、一部の菌の持つEM系路は糖新生側に向かって駆動することが判明している。例えばIgnicoccus hospitalis、彼らは嫌気的な独立栄養条件下では、ブドウ糖があってもこれを資化しないにもかかわらず、グリコーゲンやデキストリンなどの多糖類を生合成する能力を持っている。Hyperthermus butylicusPyrolobus fumarii、彼らはブドウ糖を生合成しないだけでなく、多糖類を生合成する能力も持たない。しかしG-6-Pを通ってG-1-Pまで変換する酵素はもっている。

図10 Hyperthermusbutylicusの持つEM経路(KEGG GLYCOLYSIS/GGLUCONEOGENESISより引用)
https://www.genome.jp/kegg-bin/show_pathway?select_scale=1.22&query=&map=hbu00010&scale=1.22&orgs=&auto_image=&show_description=hide&multi_query=

 これらの細菌のEM系路をどのように捉えるのか。これらの細菌が、カール・ポパーが言うところの蓄積主義の崩壊−白いカラス−になり得るのだろうか。カラスは黒いという無数の蓄積された科学的命題は、1羽の白いカラスの出現で崩壊する。前回述べたように、古細菌の中で主要なグループであるEuryarchaeota属、Crenarchaeota属のいずれにも、グルコースを代謝できない菌は少なくない。ここで言う代謝とは生合成と分解をさす。それは古細菌のことだろうと言われるかもしれないが、そうでもない。真正細菌つまりバクテリアにおいても、Polynucleobacter属やBordetella属をはじめとしてかなり広範囲の菌が、グルコースの生合成系のみならずグルコ−スのリン酸化酵素を持っていない。まあBordetella属細菌は百日咳の病原体で寄生性細菌であるためグルコースまでの代謝を失っている可能性は否定できないが、Polynucleobacter属の Polynucleobacter duraquaeはオーストリアのアルカリ性の湖から単離された自由生活性細菌である。これらの例外が多数知られているにもかかわらず、「EM系はグルコースを分解する経路である」あるいは「逆行するEM系を通ってグルコースが生合成される」とする言明が成立するとは思えない。白いカラスが数知れないほど乱舞しているのである。白いカラスはカラスではないとして、漫然と教科書に従った講義を続けていいのだろうか、と長い間迷っていた。

 結論を言えば、我々よりはるかに長い時間を生き続けてきた微生物には、グルコースなど関係なく生きることのできる多くの種が存在するのである。そうであるなら、彼らの持つ代謝系を基盤にした認識体系が併存してもおかしくはあるまい。(注:近年、アルコール中毒患者が更生施設に収容された後で急激に痴呆が進む原因が、これらアルコール中毒患者の脳においてエネルギー源がブドウ糖ではなく酢酸となっているという報告がある。ひょっとすると、これらの患者の脳においては遠い過去に働いていた代謝系が再現されているのかも知れない)

 勿論、世の識者がこの程度のことをご存じであることは、承知の上での議論である。教科書なんて、物事が明らかになってその評価が確定する頃にならないと改訂されない代物である。そんな時代遅れのものを相手に議論を吹きかけるのが愚かな行為であることは、百も二百も承知の上で話をしている。多くの研究者と呼ばれる人々は、目の前の競争が忙しくてこんなバカバカしい議論をしている暇はないのであろう。パラダイムが変われば、新たなパラダイムに乗り換えて研究をすればよい。それがコストパフォーマンスの高い効率的な研究法である。論文になりそうにない、自らが依拠しているパラダイムの足下を掘るような仕事は、研究者人生にとってかなり危険な試みになるに違いない。功利的に考えればその通りである。しかしながら、それでいいのかと考え続けてきた。表面的な研究活動は行ってきたが、思考時間の殆どの部分は、役に立たないことに費やされていた。自覚してやってきたのだから、後悔はない。

 仕事を辞め、実験化学者としてはすでに終了した私であれば、危険な勇み足になることは承知の上で論を進めても良いだろう。いわゆるEM系路と糖新生系からグルコースを除いた時、どのような風景が見えるのか。

 生物の発生時の特徴を多く残していそうな生物群は、好熱性で嫌気的な生物であると考えられている。そのような特徴を持つ生物は、火山の噴気口、特に海底の熱水噴出口周辺に、いまも棲息している。こうした我々から見ると過酷に思える環境から得られた細菌類(バクテリア、古細菌に係わらず)にあって、グルコ−スやグリコーゲンまで達していないがエネルギー消費系であるEM経路(糖新生系)は機能しているようだ。中村 運氏は3-ホスホグリセリン酸からピルビン酸に連なるEM経路の一部を原始発酵系と呼び、原初の生物においてはこの部分の代謝が必要なエネルギーを供給していたように述べているが、私はこの部分の反応のベクトルは逆でありエネルギー消費系であったと考える。では、その反応のエネルギーと担保していたのは何か。

 ほとんどの生物でEM経路と同等以上に充実している代謝系がある。ピルビン酸を中心として動いているPyruvate metabolismと呼ばれている系である。この系はピルビン酸とアセチルCoA中心に機能している経路で、この辺りの経路がATPの供給源であろう。今更、生物発生時のエネルギー源論争に乱入する気はないのだが、地中から吹き出すポリリン酸をエネルギー源としていたと考えるのが妥当と考える。アーサー・コーンバーグ博士が見つけた、ポリリン酸を基質としてAMPやADPからATPの生産を触媒するポリリン酸キナーゼのグループは、そういう意味でとても面白い。もっと興味深いのは、広島大学の黒田博士が研究室紹介に書いているATPの起源に関する一文である。一寸紹介するが、ポリリン酸をMg イオンの存在下に加熱すると、3分子の正リン酸が環状の無水物となったトリメタリン酸が優先的に生成するそうだ。このトリメタリン酸がアデノシンと反応すれば、1段階の反応でAMPやADPを経由することなくATPが作られることとなる。これが、ATPが生物の普遍的エネルギー通貨として使われるようになった理由かもしれないと言う話だ。とにかく、6単糖へ続くEM経路の位置づけは、エネルギー産生系ではなくエネルギー消費系に変わってしまう。

 ではなぜ、エネルギーを消費してまでG-6-Pまでの生合成系が必要かという問いに答える必要があるだろう。G-6-Pから出発するペントースリン酸経路は、細胞内で使用される還元剤であるNADPH2+の生産を担うとともに、トランスケトラーゼ、トランスアルドラーゼと呼ばれる酵素群による糖の相互変換を通して、核酸の原料となるリボースの生産を担うとされている。この部分の説明にも意義はあるが、それはペントースリン酸経路の項で説明しよう。この場で一言付け加えておくとすれば、ペントースリン酸経路は解糖系の側路という捉え方は間違いであろうし、この経路を6回まわると,グルコース-6-リン酸は全てCO2とNADPH2+に変換されるとする説明は、綿密に計算されたことは認めるにしてもあまりにも発想が貧困であるように感じる。

 少し異なる視座から、解糖系について考えてみよう。いわゆる一般的に語られる解糖系において、グルコースからグルコース-6-リン酸、果糖-6-リン酸から果糖-1、6-ジリン酸への変換において2ATPの消費がおこる。果糖-1、6-ジリン酸が2分子の3炭糖(3-ホスホグリセルアルデヒドと13-ジヒドロキシリン酸)へ解裂された後、ピルビン酸までの代謝に伴って4分子のATP生産が起こる。従って消費された2分子のATPを差し引いて正味2分子のATPが生産されると説明される。身も蓋もない言い方をすれば、2分子のATPを投資すると4分子のATP生産が起こるため、差し引き2分子のATPが収益ですよと言っているわけだ。これではまるで資本主義の解説ではないかと思うのだが、妙に説得力があるのも事実である。この説得力こそが、我々が資本主義の世界に住み、その考え方にどっぷりと浸っている証拠であろう。考え方の善し悪しを云っているのではない、その考え方に無意識に溺れていることを指摘しているだけである。

 さらに、取り込んだグルコースが分解されることによって生存に必要なエネルギーが発生するという説明で納得する精神構造は、我々が動物であり食物を摂取・分解することで生きているという実感と親和性が高いようだ。従属栄養生物であるというヒトの存在様式に、我々の意識が拘束されていると考えて良い。社会科学的概念を安易に自然科学に持ち込むことには注意深くあらねばならないとは思うが、この親和性の高さはカール・マンハイム云うところの「意識の存在非拘束性」に対応するのではないだろうか。彼は、思想の存在被拘束性を越えて真理に近づくためには、全体的視野から相関や歴史を見よ、いくつもの視座の間を自由に浮動させることが出来る知識人になれと説いた。常識的解糖系の解釈においては、まさに視座の固着が起こっているように感じている。

 何度も書くようだが、グルコースなんてEM経路の外につき出した蛇足に過ぎないなどという講義は、さすがに出来なった。学生がこの意見を盲信した場合、彼にとって就職や進学で不利になる場面が予想できるからである。言いたいことをストレスなく言える場所が欲しかったと今でも思っている。

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名は体を表すか?

 以前にも書いた記憶があるのだが、似て有らざるものにどう名前を付けるかと言う問題は思った以上に難しい。例えば鳥類において、モズに似て一寸小振りのモズがいるのだが、名はチゴ(稚児)モズという。とりあえず情緒のある名前であるとしておこう。タカ(鷹)の大きめの鳥にはオオタカという名が付けられている。サギ(鷺)の仲間は、コサギ、チュウサギ、チュウダイサギ、ダイサギなどと余り味気のない名が付けられている。もっともアマサギ(猩々鷺)とかゴイサギ(五位鷺)などもいるので、サギ全部が味気ない名を持っているわけではない。

 植物においては、エンドウによく似た植物に、カラスノエンドウとかスズメノエンドウという名を与えているし、アカシアに似た植物であるハリエンジュにはニセアカシアと言う接頭語をつけている。本来の種より一寸小ぶりの種にはヒメという接頭語を(ヒメウツギ、ヒメツルソバ、ヒメオドリコソウ、ヒメジョオン、ヒメスミレ、ヒメフウロなど)、大振りの植物にはオニという接頭語を付ける(オニユリ、オニバス、オニタビラコ、オニスゲ、オニゲシなど)。有毒な種に関してはドクを付けることもある。ドクムギ、ドクニンジンなどだ。

 これが昆虫になると少しばかり風合いの違う命名がなされる場合が多い。接頭語としてニセ、チビ、ケブカ、メクラ、メナシ、アシブト、ハラビロなど現在では大声で言いにくいもの、ホソクビ、クビナガ、アシボソ、コシボソなど大声で言ってもよさそうなもの存在する。接尾語としては、ダマシ、モドキが多い気がしている。昆虫は種類が余りにも多いので、情緒ある名前をなどという余裕がないのかもしれない。

 命名すると言う行為は、ある集合からある特性を持つものを切り分ける行為を含んでいる。現象はコトバによって分節され認知されるなど、ソシュールのような難しいことを言うつもりはないが、言葉はある現象を意味するわけだ。当たり前ではないかと言われそうだが、その当たり前が当たり前に行われていない現実があるためにこういうことを書いている。

 新型コロナ感染症というものが流行っているそうだ。日本での死者数の多い病気の順番で言えば、多いほうから35〜6番目辺りにあるそうで、さほど問題にするような感染症ではない可能性が高い。しかし、なぜか発狂してしまったマスコミによってことさら怖い印象づけが行われているため、世はコロナ恐怖症に陥っている。そしてこの感染症に有効なのはコロナワクチンだけであるという誘導が行われている。これは私のこの感染症に対する感想であって、読者の同意は求めないし、各人がこの病気を恐れても一向に構わない。以前に書いたが、この感染症対策に必要なのは、罹った時に飲めば効く薬でありワクチンではないという考えも変わっていない。

 そこでコロナワクチンについてだが、結構否定的な意見があるにも関わらず、これを待ち望む人の多さには呆れ果てているというわけだ。もちろんこれも各人の自由であり他人が口を挟む必要はないのかもしれない。だが、このコロナワクチンは本当にワクチンだろうかと考えてみると、どうもきわめて怪しいのである。ワクチンは薬に分類されると思うので、日本薬学会の用語解説を参照するのが良いだろう。ではどう書いてあるか引用しよう。

 《免疫反応の抗原となる微生物やその産物を含むものであり,感染症の予防を目的として注射や経口投与により生体に能動免疫をつくりださせる製剤.生きた弱毒病原体(生ワクチン),不活化病原体(またはその一部),病原体代謝産物(毒素,毒素の不活化物であるトキソイド)が使用される.ワクチンの接種により生体(ヒト,家畜など)の体内に能動的につくられる抗体(体液性免疫,細胞性免疫,または両者)が病原体の感染・伝播・流行を阻止する.生ワクチンにはBCG,痘そう(天然痘),ポリオ,麻しん(はしか),風しん,おたふくかぜワクチンなどがある.不活化ワクチンとしては,百日咳,ジフテリア(トキソイド),破傷風(トキソイド),インフルエンザ(HA),日本脳炎ワクチンなどがある.(2005.10.25 掲載) (2009.11.6 改訂)》 日本薬学会の用語解説ページより

 新型コロナウイルスに対するワクチンと比べて違和感を感じないだろうか。ワクチンの定義のよれば、生きた弱毒病原体、不活化病原体(またはその一部)、病原体代謝産物(毒素,毒素の不活化物であるトキソイド)であると明記してある。などという曖昧な解釈を認めるような文言もない。もっとも、ウィキペディアなど一部の改定の早いところでは、ウイルスベクターワクチン、mRNAワクチン、DNAワクチンなどの項目を挙げているので、私が知らないだけでワクチンの定義の拡大が行われたのかもしれない。しかしながら、旧ワクチンのグループと新ワクチンのグループには、作用メカニズムに大きな違いが存在する。

 旧ワクチンのグループにおいては、抗原抗体反応を引き起こす異物は外部から導入される。ところが、新ワクチンのグループの特徴は、抗原抗体反応を引き起こす異物が、注入される遺伝情報を持つ遺伝子の情報にしたがって人の体内で作られる点にある。自分の体内で自分のものではない異物(抗原)を作らせるのが、新型ワクチンと呼ばれているものである。この違いは思った以上に大きい。旧ワクチンでは、抗原抗体反応を起こす抗原の量は、投与量である程度制御できるが、新型ワクチンではどれくらいの抗原が体内で作られるかの制御は個人差が大きくて難しそうに思える。さらに接種された遺伝子のフラグメントが、体のどの組織において異物を作るのかがよく分からない。

 個人的意見だが、この新グループワクチンには別の名称を与えたほうが誤解を招かないと思う。もっともこれはワクチンに対して慎重な意見を持つ私の感想に過ぎない。推進する立場の人たちは、健康に役立ってきたワクチンという誤解を利用したほうが都合がいいと考えるだろう。何を考えても、いつも少数派から抜けきれないな。ふふ、ニセワクチン、ゴカイリヨウワクチン、ドクワクチン、ワクチンモドキ、ワクチンダマシ、ワクチンダマシモドキ、YouTubeならバン間違いなしだ。そうか、バンワクチンでも良いか。

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歴史生物学 解糖系についての考察 3

 それにしても、前段がなくてそれにしてもという逆接の接続詞は一寸おかしいが、一旦図2〜図7のような理解をすることを経験したら、こんな名前しか書いていない図8の虚ろさが納得できるのではないだろうか。

図8 解糖系概念図

  ここから本論に復帰する。代謝の流れの中で出現する無数とも思える化合物群を類別・統合していくに際して、化合物が発見された順序に伴う歴史性、発見した人達の立ち位置あるいは名誉欲に伴う歪曲などが影をさしているのは否定できない。さらには発見した人々が生きていた時代の「時代精神」−社会的パラダイム−が、類別と統合に通底する規範となった可能性を加味しながら、解糖系を考えてみよう。

 という事で、今後は生物有機化学的な話は封印して、解糖−すなわちGlucoseを2分子のピルビン酸へと分解しながら、ATPとNAD(P)Hを生産するプロセス−について考えてゆく。ある物語を理解しようとする場合、その物語の中に入って内側から眺めることが大事であることは言を待たない。しかしながら、その物語が成立するかどうか、その外側から眺める視座も不可欠であろう。この場合も、解糖系の内部だけを考えても全体像は見えないと思う。したがって、解糖系に付随しているいくつかの代謝系も考察の範囲に入れることにする。

 解糖−すなわちGlucoseを2分子のピルビン酸へと分解しながら、ATPと同じくNAD(P)Hを生産するプロセス−は、いわゆる解糖系だけではない。先に述べたいわゆる解糖系−中心経路とも称されるエムデン-マイヤーホフ経路(EM経路)の他に、好気性の真正細菌や好気性の古細菌と一部の嫌気性クレンアーキオータ(これも古細菌)に分布するエントナードウドロフ経路(ED経路)、古細菌に分布しED経路のバイパスと考えられている6炭糖段階でのリン酸化を経由せずに3炭糖への解裂を起こすピロ解糖系が存在する。さらに、ペントースリン酸経路も解糖を行う系として扱われることがある。この系ではATP生産は起こらず生体内で還元反応に使われるNADPHを生産する系として意義づけられる場合が多い。解糖系という経路の含む概念の中にエネルギー生産系というものがあるとすれば、ペントースリン酸経路は解糖系に含まれないのかもしれないが、糖を分解するという意味で関わりの深い系であるとして考察に含めることにしよう。

 いまひとつ考察から除外できない代謝系が糖新生系である。この系は解糖系とは逆向きの反応を進め、グルコースを産生する経路とかなりあいまいに記述される場合が多い。私見だがこの系は、解糖系よりも長い歴史を持ち、かつ解糖系以上に重要な系だと捉えているのだが、通常の生化学の講義の中で時間を割いて話されることは少ない。

 さて、私の解糖系に対する懐疑はグルコースへの疑問から始まった。世の中の常識では、解糖系の出発物質であるブドウ糖すなわちα-D-グルコースは、生物の代謝において極めて重要なハブ的位置にある化合物と認識されているようだ。グルコースからα-D-グルコース-6-リン酸(今後G-6-Pと表記する)を通って、解糖系(EM経路)、ペントースリン酸経路、デンプン・ショ糖合成系が分岐する。G-6-Pが果糖-6-リン酸(今後F-6-Pと表記する)に異性化を受けると、このF-6-Pからキチン・キトサン生合成系、糖の相互変換系を通って、もはや記述できないほどの膨大な代謝群に分岐していく。それ故にグルコースはハブっぽい代謝物だという。しかし、私から見れば、G-6-P酸やF-6-Pのほうがよりハブっぽいように見えるし、ピルビン酸やホスホエノールピルビン酸ならもっとハブっぽい。グルコースはさほど重要な位置にあるとは思えないのだが、我々の生化学においてグルコースは何故重要視されるのか、さらにグルコースは何故に解糖系の出発物質として見なされるのか?

 代謝の流れの中で、出現する無数とも思える化合物群を類別・統合していくに際して、化合物が発見された順序に伴う歴史性、発見した人達の立ち位置、名誉欲、あるいは彼らが従属栄養生物であることに伴う歪曲などが影をさしているのは否定できない。さらには発見した人々が生きていた時代の「時代精神」−社会的パラダイム−が、類別と統合に通底する規範となった可能性を意識しながら、解糖系を考えてみよう。

 さて、先に「代謝マップは、時系列を意識して作られてはいないようだ」と述べた。このような視座からグルコースを見たらどうなるのか。解糖系について現行の説明を素直に読むと、解糖系はグルコースから始まる。当たり前である、系の名称が解糖すなわち糖を分解する系であることを示しているではないか、と言われそうである。一般的な認識では、ブドウ糖すなわちα-D-グルコースは、生物の代謝において極めて重要なハブ的位置にある化合物と認識されているようだ。しかし、グルコースを解糖系の開始物質として置くとすれば、この系はグルコースの存在を前提とした系ということになる。では、グルコースはこの系の成立に際してアプリオリに存在する物質と考えていいのだろうか。 

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