タマホーム

 タマホーム(株)の玉木伸弥社長(42)が、社内に事実上の“ワクチン禁止令”を出しているという記事が週刊文春に出たことで、結構大きなニュースになっている。ヤフーニュースから引用したい。

 「接種したら無期限の自宅待機」タマホーム社長が社員に“ワクチン禁止令”

大手住宅メーカーのタマホーム(本社・東京都港区)で、玉木伸弥社長(42)が社内に事実上の“ワクチン禁止令”を出していることが「週刊文春」の取材で判明した。複数の現役社員らが社内資料やメールを基に証言した。

 今年7月上旬、玉木社長は、幹部らが参加するオンライン会議でこう訴えた。

「世の中がなんと言おうとも、ワクチン接種に反対です!」

 約1カ月前の6月初旬、ほぼ全社員がオンラインで視聴した「経営方針発表会」ではこんな一幕があった。玉木氏が突然、「ワクチンを接種したら5年後に死にますからね」と口走ったというのだ。社員のA氏が明かす。

「ギョッとしました。その後『5Gがコロナ感染を引き寄せる』という意味のことも言いました。まったく理解できず、不穏な予感がしました」

 6月中旬には、玉木氏は幹部に対し「ワクチンを接種した場合は無期限の自宅待機」

「(自宅からの社用)PCへのログインは禁止」などのルールを伝えたという。

 ある支店に勤務する社員の親族・B氏が語る。

「ワクチンを打てば出社を拒まれ、それでも働きたければ『モデルルーム周辺の草むしり』や『配置転換』と言われ、閑職への異動がほのめかされるそうです。表向きは『打つか打たないかは個人の判断』とも言っているようですが、実質は『打つな』に等しい。持病があって早めに打ちたい人もいるのに、理不尽です」

 その後に配布された、7月6日付の社内資料にはこう記されている。

「感染拡大防止対策に関する社内ルールに違反した場合、自宅待機を命じる」

「自宅待機期間中は欠勤(無給)扱いとする」

 社員のC氏が語る。

「この資料自体はワクチンに関する記述を避けて作られています。ただ、普段からワクチンを打てば自宅待機と言われているため、『自宅待機=無給』はワクチンを打った際にも適用されると多くの社員は理解しています」

労働基準法違反、パワハラ行為に当たる可能性
 労働問題に詳しい旬報法律事務所の佐々木亮弁護士が解説する。

「会社側の都合で社員に自宅待機を命じた場合、基本的に賃金は100%支払わなければいけません。本当に無給にした場合、労働基準法24条に違反する可能性があります。また、ワクチン接種をしたらペナルティーを与えるというのはパワハラの類型の一つである『個の侵害』にあたります。個人携帯の5Gオフを強制したとすれば、それも社員のプライバシーに立ち入って嫌がらせをするパワハラ行為と言えます」

 タマホームの広報担当は、「私どもは7月15日に(ワクチン対応に関する誤った書き込みについて、と題した)リリースを出しており、今お答えできるのはそれがすべてです」と答えた。

 そのリリースには、

「当社の新型コロナワクチン対応に関する誤った内容を記載した、匿名での書き込みがTwitterや掲示板上にてなされております。当該一連の書き込みでは、当社が社員に対し『新型コロナワクチンを接種しないよう強要している』『新型コロナワクチンを接種した場合、懲戒解雇にすると発言している』といった内容が書かれておりますが、そのような事実は一切ございません。新型コロナワクチンの接種につきましては、個人の判断に委ねております」と書かれている。

 だが、接種した際に自宅待機となることや、社用PCにもログインできず業務が事実上できなくなることなどには一切言及していない。

 コロナ感染が拡大する中、東証1部上場で年間売上高2000億円を誇り、3400人超の社員を抱える大手企業の“ワクチン禁止令”は、議論を呼びそうだ。

 7月20日(火)16時配信の「週刊文春 電子版」および7月21日(水)発売の「週刊文春」では、タマホームの社内の様子を伝えるさらに詳細な証言や、玉木社長の人柄、米大統領に絡む驚きの指示などを報じている。

「週刊文春」編集部/週刊文春 2021年7月29日号

 ヤフーニュースも週刊文春電子版と週刊文春からの引用なのだが、このニュースに対して14,000件近いコメントが寄せられているし、いろんな所で物議を醸していると聞く。そこで、この社長の言い分についてだが、私もあれこれと情報をあさっている人間であるから彼の発言のネタが何処にあるのかは知っている。信憑性の高い部分もあれば、何となくまだ腑に落ちていない部分もある。さて、タマホーム(株)、従業員数は3,500人弱である。常識的に考えれば、ワクチンを信頼している多くの社員がいることは容易に推測できる。とすれば、彼の発言がこうした騒ぎになることは容易に予想できたはずで、余りにも不用意であったことは間違いない。この記事が出たことが原因で同社の株価は314円(ほぼ10%)急落した。

 今後、ワクチン接種に賛成の社員と反対の社員、ワクチン接種に賛成の顧客と反対の顧客、さらには様子見の中間派の社員と顧客が、「ワクチン打ちましたか」と、腹の探り合いのような挨拶から商談に入るわけで、事態がどう推移して行くのか予想は難しい。この騒ぎを契機として、社内ではワクチン不接種を強制する動きは抑制され自己判断を尊重するという形で落ち着くことは間違いないだろう。従って、株価はじきに戻るのではないかと予想している。ただ、相手は「週間文春」である。まだ隠し球があるかもしれない。

 さて、加藤勝信官房長官は21日の記者会見で、大手住宅メーカー社長が社内に事実上のワクチン禁止令を出しているとの週刊文春報道に関し、「国民が自らの判断で接種してもらうことが大前提となっているわけで、そうした環境をつくることが重要だ」と強調したそうだ。迅速な対応でありかつ正論である。余りにも正論過ぎて、ケチをつける所がない。こんな書き方をすると何かありそうだと勘ぐる人がいそうだが、その通りである。世の中、ワクチンを打ちたくないにも関わらずワクチンを打たないと仕事を続けられないという悩みを持つ人の方がはるかに多い。今回の事件、一部上場企業の社長発言に端を発したものでニュースバリューが大きかったため、政府の反応が速かったと理解しているが、接種するかどうかは国民自らの判断に基づくという観点から、逆のケースに対する言及も必要であったのではないか。

   

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歴史生物学 TCA回路への異論 5

 要するに、大したことを云っているわけではない。TCA回路と電子伝達系は分けて考えるべきであり、その場合のTCA回路は嫌気的回路と考えないと、解糖系の定義のやり方と矛盾するではないかという指摘をしているだけである。ただし、これを認めると今まで続いてきたTCA回路もしくは解糖系について、どちらかの定義の修正が必要となる。過去に出版されてきた多くの書籍や報告の修正は、JRの駅名の変更のようにとてつもなく大変な作業を伴うのでそんなことは出来ないに違いない。万一認められたとしても、「まあそういう理解もあるよね」というなんとも生温い判断の下で、そっと放置される蓋然性が高い。現段階において私の意見はかなり高い確率で没になる少数意見であることは自認している。とはいえ、こうした異なる視座からTCAサイクルを見たらどうなるのか、もう少し議論を進めてみることにする。

 いまひとつの問題は、細胞内でのTCA回路の存在意義に関する定義の部分にある。前章において、人は自らが従属栄養生物であるという実感(一定の時間ごとに空腹感に襲われること)を持つが故に、EM経路という経路をグルコース或いはグリコーゲン(デンプン)を出発物質、ピルビン酸を生成物として流れるATP生産系として捉える考え方に親和性が高いのだろうと述べた。しかしながら、独立栄養生物には流れのベクトルが異なるEM経路が存在する。例えば、植物においてのEM経路は 3-ホスホグリセリン酸が流入点であり、ここから多糖類の生合成へ向かうEM系路とピルビン酸に向かうEM系路が始まっていると考えるべきであると「解糖系への異論」の中で述べた。同じように系を解釈するに当たって、依拠するパラダイムの違いが、TCA回路の意義付けに大きく影響する可能性が存在するのではないだろうか。

 TCA回路の存在意義はどこにあるのかという問題に対して、日本薬学会は「好気的な条件下でエネルギー獲得に中心的な役割を果たす」という一文で片付けている。最後の部分で「また、エネルギー的にATPと等価のGTPを1分子産生する」という説明を付しているところを見ると、エネルギー獲得という観点からの判断しか示していない。

  一方、KGEEにおいては「In a series of reactions two carbons in citrate are oxidized to CO2 and the reaction pathway supplies NADH for use in the oxidative phosphorylation and other metabolic processes. The pathway also supplies important precursor metabolites including 2-oxoglutarate. (アセチルCoA に由来する)クエン酸中の2つの炭素原子は、一連の反応の中で二酸化炭素へと酸化され、酸化的リン酸化、そしてその他の代謝過程で使用されるNADHを供給する。TCA回路はまた、2-オクソグルタル酸を含む重要な代謝物を供給する。」とのべており、この回路から派生していく他の代謝-特にアミノ酸代謝を意識したような記述となっている。但し、前半でこの回路を好気的過程であるとした記述があるために、TCA回路が好気的回路であるという枠組みは生きているようだ。その点に問題ありと思うものの、KEGGの定義の方に幾分かの柔軟性が認められる。

 以下、書くべきか書かざるべきか少々迷った。本筋から幾分離れた内容になるからである。とはいえ、TCA回路を使って動物が二酸化炭素を固定すると書いてあるからには少々コメントせざるを得ない。二酸化炭素を固定するということは、還元するということと同義であり、TCA回路を還元系として捉えることを意味するからである。総合的に見れば、流れる物質量としては少量であり、炭素循環においては無視できると考えて良いかもしれないが、少々気になったので書くことにした。

 いまから18年ほど前になる。カイコやクモの糸を構成するアミノ酸中に、空気中の二酸化炭素が取り込まれるという報告が出た。質量数13の炭素を含む二酸化炭素を用いたトレーサー実験の結果であった。13Cを取り込んだ主なアミノ酸はアラニン、アスパラギン酸、グリシン、セリンであるとされていた。13CNMRの積分値を取り込みの証明に使った実験である。13CNMRは、定量性については幾分不確実な(特に完全デカップリング条件での測定)測定法である。感度は低くなるが定量性を重視した測定法もあるためコメントしにくいが、そういうことは織り込み済みでの結果であり結論であると思う。この結論によれば、動物である昆虫が、空気中の二酸化炭素を固定するという結果になり、真核生物である動物は炭素固定を行わないと思っていた私にとって、結構興味を引く報告であった。

  ただ、いくらかの疑問は残った。図-9に農業生物資源研究所のサイトに乗っている図を示す。

図-9 大気中の二酸化炭素をカイコが繭糸を構成するアミノ酸の中へ取り込む代謝回路のモデル図

 この図に於いては、ピルビン酸が pyrvate carboxylase [EC 6.4.1.1]の触媒下に二酸化炭素を取り込んでオギザロ酢酸になるのだが、この段階で炭素固定が起こっていることになる。オギザロ酢酸は通常通りアセチルCoAと反応してクエン酸を与える。クエン酸から脱水反応が起こってシスアコニット酸に、シスアコニット酸に反対向きの水付加が起こってイソクエン酸となった後、α-ケトグルタル酸に変換されるのだが、カイコには二通りの経路が存在する。一つはisocitrate dehydrogenase (EC 1.1.1.41)によって一気にα-ケトグルタル酸になる経路、いま一つはisocitrate dehydrogenase [EC:1.1.1.42]の触媒下にオギザロコハク酸を経由してα-ケトグルタル酸になる経路の二つである。ここでα-ケトグルタル酸の2つのカルボキシル基がともに、多分1/2の確率で取り込まれた二酸化炭素に由来するように描いてある。そうすると、このような分布の原因となる段階は2つに絞られる。

 1つの可能性はアセチルCoAのオギザロ酢酸のカルボニル基への付加がresi面を区別せずに起こる場合であり、いまひとつの可能性はクエン酸からcis-アコニット酸への変換がプロキラリティーを無視して起こる場合である。ところが、最初の付加反応はカルボニル基のsi面側から起こることが知られているし《Biochemistry, 29, 2213-2219(1990)》、クエン酸からcis-アコニット酸への変換は ProR側の側鎖に二重結合が形成されることが分かっている《Proc. Natl. Acad. Sci., 93, 13699-13703 (1996)》。そうなるとα-ケトグルタル酸の2つのカルボキシル基がともに取り込まれた二酸化炭素に由来すると描いてあるこの図はどこかおかしい。さらに、最初に固定された二酸化炭素に由来する、α-ケトグルタル酸のα-ケト酸側のカルボキシル基は脱炭酸で除かれるため、図9のように回路を右回りしてオキサロ酢酸に戻った後アミノ酸への変換が行われるとすれば、そこで生成するアミノ酸には取り込まれないはずである。(図-10参照)

図10 ピルビン酸に取り込まれた二酸化炭素は2-Oxoglutarate(α-ケトグルタル酸)からコハク酸への段階で系外に放出される

 どう考えればよいか?1つの可能性はカイコの持つpyrvate carboxylase [EC: 6.4.1.1]やisocitrate dehydrogenase (EC:1.1.1.41) 、isocitrate dehydrogenase [EC:1.1.1.42]が、プロキラリティを区別する特異性を持っていないと考えることである。そうであれば問題はないが、そんなことはないと思う。この取り込みを説明できる合理的な考え方があり得ると考えている。

 公開の予告をしておきながら図-10の描画で戸惑っています。ここをうまく描いておかないと立体化学に精通した人でないと何を言っているのか理解が難しいと思う。プロキラリティの定義を含め、この部分については数日中にアップする予定です。あまり時間が空いても少々寂しいので、取り急ぎ、ここまでをアップしておきます。

歴史生物学 TCA回路への異論 6 に続く

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アメリカの独立記念日

 年寄りだから昔の話ししかしない。30〜40年前だったかな、7月4日のアメリカ独立記念日にワシントンにいたことがある。なんとも日時に関しては記憶が曖昧でどうしようもないのだが、スミソニアン博物館に行って疲れた足を引きずりながら、夕方からの祝賀パレードを見たんだったかな。パレードのための規制をする騎馬警官だけでなく彼の乗った馬の大きかったこと、サラブレッドではなかったような記憶がある。

 ホワイトハウスの南側にあるオベリスクの後ろに上がる花火を見ながら、日本の花火の方がやはり繊細で情緒的だなと思ったりしていた。芝生に住むという土蛍を見たのも初めてだった。これは陸生の蛍でカタツムリ類を餌にして育つという。光の色は日本の蛍に類似しているのだが(少々青白さが強い)、光る時間が短い。暗闇の中でピカッピカッと光りながら、けっこう素早く飛び回る。これまた、繊細さと情緒に欠けるのである。川岸の草むらの上をゆらゆらと飛ぶ日本の蛍とは全く違う。善し悪しではない。風土の持つ湿度が原因かななどと思ったりもしたが、湿度の高いタイのホタルはアメリカのホタルに似ている。他の国のホタルはどうなんだろうなどというアホな考察は横に置くとして、日本人は蛍を右脳で見ているのかもしれないな。Fireflyという語感とホタル(蛍)という語感を比べるというのは無謀な試みだと思うが、蛍にどのような感傷を託すかということになると、大きな違いがありそうだ。「恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」という都々逸は、なかなかアメリカの人には通じなかった。まあ我々は、「夏はホタルの光で、冬は雪明りで勉強する」くらい苦学せよと訓示を受けた世代である。当時の受験雑誌は旺文社の「螢雪時代」だったと書こうと思ったら、現在も継続して発刊されている。受験生の減少は発刊を続けて行く上で大きな問題だろうな。

 それはそうとして、ホワイトハウスの前の通りで行われる色々なパレードをぼんやり眺めていたのだが、このパレードの衣装や装飾もきらびやかではあったが、今ひとつしっくりと来るものではなかった。どうやら侘びと寂を根底に持つ私の感性の外側にある文化だななどと思いながら見ていたのである。ぶらぶらと歩き回っていると、軍のパレードが始まっていた。隊員が皆大きい。身長が高い順に隊列が組んであったのだが、最後尾の人であっても私より二回りほど大きい。ごついなあ、多分170cm以上あるのではないかと思いながら眺めていて愕然とした。その隊列、すべて女性だった。次に来た隊列、男性の隊員たちだったのだが、まるで壁が動いているように見えた。当時のアメ車と日本車の違いである。

 とりとめのない話だが、アングロサクソンあるいはゲルマン人で構成される国の空港では思わず緊張してしまうのだが、原因はこの体格差にあるようだ。前が見えないのである。満員電車に乗った子供の気分に近いかもしれない。スリや置き引きが多いから注意せよと言われていても、アジアの国々の空港ではこの緊張感はない。体の持つ重量感というか威圧感が全く違うのである。アメリカやヨーロッパから帰る時にJALやANAに乗った瞬間の安堵感は半端ではない。言葉が通じるとか通じないとか言う以前のものである。あの体格を持った人たちと外交交渉するのは大変だろうな。幕末にペリー艦隊が来た時、艦隊への物資の運搬人として浅草から相撲取りを呼んだという話をどこかで読んだことがあるが、さもありなんと感じている。

 毎日、草刈り三昧、臨済宗に唯々歩く歩行禅というのがあるらしいが、さながら草刈禅の境地にいる。でも、育った作物を間違って切ってしまった瞬間に悟りの境地から現実に落ちてしまう。修業が一瞬にして途切れてしまうわけだ。今日は立派に育ったタケノコイモを5本も切ってしまった。刈り払い機の刃を23 cmのものに変えていたにも関わらずである。さて、明日には本論に戻って、TCA回路への異論6をアップする予定である。

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昨日博多に行った

 薬が切れたという理由で、昨日は博多まで行ってきた。薬を訓読みすれば危険な香りはないが、音読みすると何となく違法行為的なニュアンスが湧いてくる。もちろん大麻や覚醒剤、ましてや麻薬に耽溺するような趣味はない。その点では一応合法的に生きている。ただ、大麻についてはその取り扱いについて一寸だけ異論を持っているのは間違いない。異論を持つから違法行為をするかといえばそれはしない。その程度の分別は持っているつもりだ。

 大麻の有用性と品種によるカンナビオール含量に基づく論理的異論とは別に、少しだけ困ることがある。実は麻の実は合法的に売られているのである。これをまくとちゃんと発芽する。発芽した麻が警察に見つかると、大麻取締法違反で手が後ろに回ることになる。しかし、この麻の実は野鳥の好物であるとともにリスやハムスターの餌としても配合してある。英彦山の山頂付近でこれを手のひらに乗せてじっとしていたら、ヤマガラが食べに来たことがある。さらに、麻の実を言い換えればヘンプシード、流行りの健康食品でもある。七味トウガラシの中にある、小さな丸っこいものがヘンプシード、麻の実、つまり大麻の実である。そしてこのヘンプシード由来のヘンププロテイン、ヘンプオイルなどは健康食品として高い値段で取引されているだけでなく、その繊維から作った衣料品も専門店が出来るほどに取引されている。でも、国内での栽培はよほどの政治力か何かが後ろにない限り事実上不可能である。

 大麻の話をするつもりはなかった。病院に行ったら血を抜かれたのだが、10分くらいでA1Cの結果が出るという。この前まで検査センターに送って分析していたのに、病院内で測定できるキットでも出来たのだろう。糖尿病患者が自宅で検査できるキットは昔からあったのでさほど驚きはしないが、検査センターの収入が減るのかな。こうした簡易な機器の開発が進み、臨床検査技師の養成校が看板を下ろし始めたのが、20年以上前になるのかな。ともあれ、A1C、7.0まで値が落ちていた。正常値といわれる5.8にはまだ遠いとは言え、近頃9近くをうろうろしていたので、それに比べれば幾分改善されたといえるだろう。何か今までと変わったことをしましたかと聞かれたのだが、いや別にこれというような特別なことはしていないですねと答えた。

 その後で、昔のソフトボール仲間の別の医者に会ったのだが、その話になった。ほんとになにもしてないのと聞かれて、実はフフフと笑った。一つだけ始めたんです。「かかと落とし」、これタダだし、時間とらないし、やったからといって副作用もなさそうだし、まあ嘘でもいいやと思って40日くらい続けているんですよ。彼も、テレビで見たことがあったらしい。でも、それが原因で値が好転したことについては、多分まだ疑っていると思う。私だって、半信半疑である。さらに、一つだけ誤算があった、副作用はないと思っていたのだが、右のひざが痛くなってきた。回数と強度を少し減らそうと思っている。もう一つの副作用、体重が5Kg 減って50Kg台にまで落ちてきた。これが良いことか悪いことかまだ分からないが、昔のスラックスや作業服が再度着られるようになったのは事実である。

 帰りに基山のパーキングで一寸休んだ。A1Cが7まで落ちたので、今日くらい何か甘いものを食べようと思ったのである。ところがどうにも買う気にならない。理由は商品の量のスケールダウンがあまりにも激しかったからである。オタクサ、九十九島せんべい、にわかせんべい、博多の人、これらは例として名前を出しただけで気の毒だとは思うが、殆どの菓子類の大ささに呆れてしまった。いや小ささに呆れてしまった。ポテトチップは窒素ガスを売っているようにしか見えない、パンも本当に小さくなった、見えないインフレがどんどん進んでいるようだ。これらを買って食べたとしても、昔の大きさを知っているが故に多分満足できないだろう。これなら、家に帰ってご飯を少し大目に食べたほうが精神的によろしいと思い帰ろうとしたとき、中村屋羊羹本舗が売っている、昔から小さかった「昔羊羹」を見つけた。これはサイズが変わっていないようだ。値段は知らない。でも大きさに納得してこの昔羊羹を買って帰った。でもまだ食べていない。

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まずいこと書いたかな

 少し前、あまりにも荒唐無稽だと私自身も思うものの、新型コロナ感染症で亡くなる人よりワクチンの副作用でなくなる人の方が多くなるのではないかと書いた。数が少ないのでこの結果が全体に外挿出来るかどうかは分からないが、鳥取県がそうなったらしい。おとしめるつもりはないが、鳥取県は過疎地であるため政府の目が届いていなかった可能性もある。また陰謀論だといわれそうだが、そうではなさそうな報道が色々と出始めている。ポルトガルでは6月28日のリスボン裁判所において、新型コロナ感染症(COVID)で死亡したと「確認された症例」は、政府が主張した17,000件ではなく、その0.9%の152件のみである結論づけた。この判決により、政府がCOVID-19の死亡統計を捏造していたことが証明されたそうだ。https://greatgameindia.com/lisbon-court-death-covid-cases/ 

 我が国でも、別の理由でなくなった方に対してPCR検査を行い、もし陽性であった場合は新型コロナ感染症による死者であるとしてカウントするようにとの指針が配られていると聞く。こうした話がいわゆる大手マスコミから全く流れないのはどうしてかと推測を始めると、妄想だ陰謀だという非難を浴びるのである。それなりに疑問を感じている人とならば、その程度を見定めながら話が出来るが、ワクチンを信じきっている人にはどう答えるべきか全く分からない。この危機の中、政府が懸命に推進していることに楯突くのかという論理で攻められる可能性が高いのである。人間関係の悪化を避けるためには、生温い笑顔で対応するしかない。

 コロナには一片の危険性のないと河野さんがいう。一寸ばかり知識不足の丸川氏も打つべきだという。忽那氏は政府広報とはいえ大手のみならず地方の有力紙を含め一面ぶち抜きのワクチン推進広告、(いくらかかったのだろう)、形振り構わないワクチン押しである。一方ワクチン反対派は、大手マスコミが報道してくれないためYouTubeやTwitter、FBなどへの投稿に力を入れている。それにしても国内の医師390人と地方議員60人が新型コロナウイルスワクチンの接種中止を求める嘆願書を厚生労働省に提出したなどというニュースは殆ど見かけることはない。次のようなニュースも紹介されることはない。https://aapsonline.org/majority-of-physicians-decline-covid-shots-according-to-survey/  原子力発電の可否について、議論の際に見飽きた風景が再演されているようだ。国の将来を左右するようなカタストロフが起きないことを願っておこう。

 お前はどうなのだという問い掛けがありそうだ。一応私の立ち位置を明らかにしておこう。まず、判断するに当たって絶対に譲れない前提条件が一つだけある。治療薬は罹患した人に投与するものであり、合理的なリスクであればこれを許容する。しかし、ワクチンは健康な人に投与するものである。従って、許容されるリスクは治療薬よりもはるかに低いものでなければならない。その前提が満たされるのであれば、ワクチン接種を頭から否定するものではない。天然痘ワクチンは間違いなく有効であったと考える。しかし、現在接種され続けている新型コロナに対するワクチン群がその前提を満たすとは思えない。さらに、賛成派にしても反対派にしても、ワクチンに対する情報がかなり偏った形で発信されているように思える。そうした中において、ワクチンの真の姿が全く見えないというのが私の感想である。ただ、前回も書いたがこのワクチンを危険と考える人たちの方が、真摯であり、知的でありかつ理性的であるように感じている。従って、私が現在のワクチンを接種することはありえない。(色々なものに対するアレルギーを持っているという個人的理由もある)感染防止にワクチンを使うという政策を端から否定するつもりはないが、でもきっと、反ワクチン派として分類されるだろうな。

 それにしても、理系と文系を早期に分ける教育の欠点が、この感染症の問題で露になったようだ。いわゆる文系の人々に、DNA、RNA、複製、転写、翻訳、逆転写、DNAウィルス、RNAウィルス、レトロウィルス、PCR、RT-PCR、realtimePCR、realtime RT-PCR、プライマー、ct値、スパイクタンパク質、アンジオテンシン2変換酵素、エンドサイトース、・・・と並べなければ説明できない、新型コロナウィルス感染症やその診断に対する正しい理解を求めることは、ほぼ不可能といって良い。よほどの時間と知りたいという熱意を持った人でなければ、このワクチンは安全か安全でないかという結論を聞くだけで、自ら考えられる段階まで到達することはないだろう。文系の人だけではない、理系に属する人であっても、いわゆる生物科学系以外の人たちにとっても、なかなか難しいと思う。その逆もまた真である。この感染症に関する混乱が収まらない一つの原因は、言葉の共有が絶望的なほどになされていないことにある。人々の分断すなわち社会の分断が、使用する言葉によってすでに起こっていたと考えて良いだろう。

 次の時代を担う若い人たちに、いかにして裾野の広い知識・教養を持ってもらうかがこれからの教育の大きな問題になるだろう。高校から始まる理系と文系の分断、1991年の大学設置基準大綱化以降、20年間に及ぶ大学改革が大学教育に与えてきた悪影響など、この国の教育システムを見直す時期に来ていると思っているのだが・・・。

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