アメリカの独立記念日

 年寄りだから昔の話ししかしない。30〜40年前だったかな、7月4日のアメリカ独立記念日にワシントンにいたことがある。なんとも日時に関しては記憶が曖昧でどうしようもないのだが、スミソニアン博物館に行って疲れた足を引きずりながら、夕方からの祝賀パレードを見たんだったかな。パレードのための規制をする騎馬警官だけでなく彼の乗った馬の大きかったこと、サラブレッドではなかったような記憶がある。

 ホワイトハウスの南側にあるオベリスクの後ろに上がる花火を見ながら、日本の花火の方がやはり繊細で情緒的だなと思ったりしていた。芝生に住むという土蛍を見たのも初めてだった。これは陸生の蛍でカタツムリ類を餌にして育つという。光の色は日本の蛍に類似しているのだが(少々青白さが強い)、光る時間が短い。暗闇の中でピカッピカッと光りながら、けっこう素早く飛び回る。これまた、繊細さと情緒に欠けるのである。川岸の草むらの上をゆらゆらと飛ぶ日本の蛍とは全く違う。善し悪しではない。風土の持つ湿度が原因かななどと思ったりもしたが、湿度の高いタイのホタルはアメリカのホタルに似ている。他の国のホタルはどうなんだろうなどというアホな考察は横に置くとして、日本人は蛍を右脳で見ているのかもしれないな。Fireflyという語感とホタル(蛍)という語感を比べるというのは無謀な試みだと思うが、蛍にどのような感傷を託すかということになると、大きな違いがありそうだ。「恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」という都々逸は、なかなかアメリカの人には通じなかった。まあ我々は、「夏はホタルの光で、冬は雪明りで勉強する」くらい苦学せよと訓示を受けた世代である。当時の受験雑誌は旺文社の「螢雪時代」だったと書こうと思ったら、現在も継続して発刊されている。受験生の減少は発刊を続けて行く上で大きな問題だろうな。

 それはそうとして、ホワイトハウスの前の通りで行われる色々なパレードをぼんやり眺めていたのだが、このパレードの衣装や装飾もきらびやかではあったが、今ひとつしっくりと来るものではなかった。どうやら侘びと寂を根底に持つ私の感性の外側にある文化だななどと思いながら見ていたのである。ぶらぶらと歩き回っていると、軍のパレードが始まっていた。隊員が皆大きい。身長が高い順に隊列が組んであったのだが、最後尾の人であっても私より二回りほど大きい。ごついなあ、多分170cm以上あるのではないかと思いながら眺めていて愕然とした。その隊列、すべて女性だった。次に来た隊列、男性の隊員たちだったのだが、まるで壁が動いているように見えた。当時のアメ車と日本車の違いである。

 とりとめのない話だが、アングロサクソンあるいはゲルマン人で構成される国の空港では思わず緊張してしまうのだが、原因はこの体格差にあるようだ。前が見えないのである。満員電車に乗った子供の気分に近いかもしれない。スリや置き引きが多いから注意せよと言われていても、アジアの国々の空港ではこの緊張感はない。体の持つ重量感というか威圧感が全く違うのである。アメリカやヨーロッパから帰る時にJALやANAに乗った瞬間の安堵感は半端ではない。言葉が通じるとか通じないとか言う以前のものである。あの体格を持った人たちと外交交渉するのは大変だろうな。幕末にペリー艦隊が来た時、艦隊への物資の運搬人として浅草から相撲取りを呼んだという話をどこかで読んだことがあるが、さもありなんと感じている。

 毎日、草刈り三昧、臨済宗に唯々歩く歩行禅というのがあるらしいが、さながら草刈禅の境地にいる。でも、育った作物を間違って切ってしまった瞬間に悟りの境地から現実に落ちてしまう。修業が一瞬にして途切れてしまうわけだ。今日は立派に育ったタケノコイモを5本も切ってしまった。刈り払い機の刃を23 cmのものに変えていたにも関わらずである。さて、明日には本論に戻って、TCA回路への異論6をアップする予定である。

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昨日博多に行った

 薬が切れたという理由で、昨日は博多まで行ってきた。薬を訓読みすれば危険な香りはないが、音読みすると何となく違法行為的なニュアンスが湧いてくる。もちろん大麻や覚醒剤、ましてや麻薬に耽溺するような趣味はない。その点では一応合法的に生きている。ただ、大麻についてはその取り扱いについて一寸だけ異論を持っているのは間違いない。異論を持つから違法行為をするかといえばそれはしない。その程度の分別は持っているつもりだ。

 大麻の有用性と品種によるカンナビオール含量に基づく論理的異論とは別に、少しだけ困ることがある。実は麻の実は合法的に売られているのである。これをまくとちゃんと発芽する。発芽した麻が警察に見つかると、大麻取締法違反で手が後ろに回ることになる。しかし、この麻の実は野鳥の好物であるとともにリスやハムスターの餌としても配合してある。英彦山の山頂付近でこれを手のひらに乗せてじっとしていたら、ヤマガラが食べに来たことがある。さらに、麻の実を言い換えればヘンプシード、流行りの健康食品でもある。七味トウガラシの中にある、小さな丸っこいものがヘンプシード、麻の実、つまり大麻の実である。そしてこのヘンプシード由来のヘンププロテイン、ヘンプオイルなどは健康食品として高い値段で取引されているだけでなく、その繊維から作った衣料品も専門店が出来るほどに取引されている。でも、国内での栽培はよほどの政治力か何かが後ろにない限り事実上不可能である。

 大麻の話をするつもりはなかった。病院に行ったら血を抜かれたのだが、10分くらいでA1Cの結果が出るという。この前まで検査センターに送って分析していたのに、病院内で測定できるキットでも出来たのだろう。糖尿病患者が自宅で検査できるキットは昔からあったのでさほど驚きはしないが、検査センターの収入が減るのかな。こうした簡易な機器の開発が進み、臨床検査技師の養成校が看板を下ろし始めたのが、20年以上前になるのかな。ともあれ、A1C、7.0まで値が落ちていた。正常値といわれる5.8にはまだ遠いとは言え、近頃9近くをうろうろしていたので、それに比べれば幾分改善されたといえるだろう。何か今までと変わったことをしましたかと聞かれたのだが、いや別にこれというような特別なことはしていないですねと答えた。

 その後で、昔のソフトボール仲間の別の医者に会ったのだが、その話になった。ほんとになにもしてないのと聞かれて、実はフフフと笑った。一つだけ始めたんです。「かかと落とし」、これタダだし、時間とらないし、やったからといって副作用もなさそうだし、まあ嘘でもいいやと思って40日くらい続けているんですよ。彼も、テレビで見たことがあったらしい。でも、それが原因で値が好転したことについては、多分まだ疑っていると思う。私だって、半信半疑である。さらに、一つだけ誤算があった、副作用はないと思っていたのだが、右のひざが痛くなってきた。回数と強度を少し減らそうと思っている。もう一つの副作用、体重が5Kg 減って50Kg台にまで落ちてきた。これが良いことか悪いことかまだ分からないが、昔のスラックスや作業服が再度着られるようになったのは事実である。

 帰りに基山のパーキングで一寸休んだ。A1Cが7まで落ちたので、今日くらい何か甘いものを食べようと思ったのである。ところがどうにも買う気にならない。理由は商品の量のスケールダウンがあまりにも激しかったからである。オタクサ、九十九島せんべい、にわかせんべい、博多の人、これらは例として名前を出しただけで気の毒だとは思うが、殆どの菓子類の大ささに呆れてしまった。いや小ささに呆れてしまった。ポテトチップは窒素ガスを売っているようにしか見えない、パンも本当に小さくなった、見えないインフレがどんどん進んでいるようだ。これらを買って食べたとしても、昔の大きさを知っているが故に多分満足できないだろう。これなら、家に帰ってご飯を少し大目に食べたほうが精神的によろしいと思い帰ろうとしたとき、中村屋羊羹本舗が売っている、昔から小さかった「昔羊羹」を見つけた。これはサイズが変わっていないようだ。値段は知らない。でも大きさに納得してこの昔羊羹を買って帰った。でもまだ食べていない。

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まずいこと書いたかな

 少し前、あまりにも荒唐無稽だと私自身も思うものの、新型コロナ感染症で亡くなる人よりワクチンの副作用でなくなる人の方が多くなるのではないかと書いた。数が少ないのでこの結果が全体に外挿出来るかどうかは分からないが、鳥取県がそうなったらしい。おとしめるつもりはないが、鳥取県は過疎地であるため政府の目が届いていなかった可能性もある。また陰謀論だといわれそうだが、そうではなさそうな報道が色々と出始めている。ポルトガルでは6月28日のリスボン裁判所において、新型コロナ感染症(COVID)で死亡したと「確認された症例」は、政府が主張した17,000件ではなく、その0.9%の152件のみである結論づけた。この判決により、政府がCOVID-19の死亡統計を捏造していたことが証明されたそうだ。https://greatgameindia.com/lisbon-court-death-covid-cases/ 

 我が国でも、別の理由でなくなった方に対してPCR検査を行い、もし陽性であった場合は新型コロナ感染症による死者であるとしてカウントするようにとの指針が配られていると聞く。こうした話がいわゆる大手マスコミから全く流れないのはどうしてかと推測を始めると、妄想だ陰謀だという非難を浴びるのである。それなりに疑問を感じている人とならば、その程度を見定めながら話が出来るが、ワクチンを信じきっている人にはどう答えるべきか全く分からない。この危機の中、政府が懸命に推進していることに楯突くのかという論理で攻められる可能性が高いのである。人間関係の悪化を避けるためには、生温い笑顔で対応するしかない。

 コロナには一片の危険性のないと河野さんがいう。一寸ばかり知識不足の丸川氏も打つべきだという。忽那氏は政府広報とはいえ大手のみならず地方の有力紙を含め一面ぶち抜きのワクチン推進広告、(いくらかかったのだろう)、形振り構わないワクチン押しである。一方ワクチン反対派は、大手マスコミが報道してくれないためYouTubeやTwitter、FBなどへの投稿に力を入れている。それにしても国内の医師390人と地方議員60人が新型コロナウイルスワクチンの接種中止を求める嘆願書を厚生労働省に提出したなどというニュースは殆ど見かけることはない。次のようなニュースも紹介されることはない。https://aapsonline.org/majority-of-physicians-decline-covid-shots-according-to-survey/  原子力発電の可否について、議論の際に見飽きた風景が再演されているようだ。国の将来を左右するようなカタストロフが起きないことを願っておこう。

 お前はどうなのだという問い掛けがありそうだ。一応私の立ち位置を明らかにしておこう。まず、判断するに当たって絶対に譲れない前提条件が一つだけある。治療薬は罹患した人に投与するものであり、合理的なリスクであればこれを許容する。しかし、ワクチンは健康な人に投与するものである。従って、許容されるリスクは治療薬よりもはるかに低いものでなければならない。その前提が満たされるのであれば、ワクチン接種を頭から否定するものではない。天然痘ワクチンは間違いなく有効であったと考える。しかし、現在接種され続けている新型コロナに対するワクチン群がその前提を満たすとは思えない。さらに、賛成派にしても反対派にしても、ワクチンに対する情報がかなり偏った形で発信されているように思える。そうした中において、ワクチンの真の姿が全く見えないというのが私の感想である。ただ、前回も書いたがこのワクチンを危険と考える人たちの方が、真摯であり、知的でありかつ理性的であるように感じている。従って、私が現在のワクチンを接種することはありえない。(色々なものに対するアレルギーを持っているという個人的理由もある)感染防止にワクチンを使うという政策を端から否定するつもりはないが、でもきっと、反ワクチン派として分類されるだろうな。

 それにしても、理系と文系を早期に分ける教育の欠点が、この感染症の問題で露になったようだ。いわゆる文系の人々に、DNA、RNA、複製、転写、翻訳、逆転写、DNAウィルス、RNAウィルス、レトロウィルス、PCR、RT-PCR、realtimePCR、realtime RT-PCR、プライマー、ct値、スパイクタンパク質、アンジオテンシン2変換酵素、エンドサイトース、・・・と並べなければ説明できない、新型コロナウィルス感染症やその診断に対する正しい理解を求めることは、ほぼ不可能といって良い。よほどの時間と知りたいという熱意を持った人でなければ、このワクチンは安全か安全でないかという結論を聞くだけで、自ら考えられる段階まで到達することはないだろう。文系の人だけではない、理系に属する人であっても、いわゆる生物科学系以外の人たちにとっても、なかなか難しいと思う。その逆もまた真である。この感染症に関する混乱が収まらない一つの原因は、言葉の共有が絶望的なほどになされていないことにある。人々の分断すなわち社会の分断が、使用する言葉によってすでに起こっていたと考えて良いだろう。

 次の時代を担う若い人たちに、いかにして裾野の広い知識・教養を持ってもらうかがこれからの教育の大きな問題になるだろう。高校から始まる理系と文系の分断、1991年の大学設置基準大綱化以降、20年間に及ぶ大学改革が大学教育に与えてきた悪影響など、この国の教育システムを見直す時期に来ていると思っているのだが・・・。

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降る降る詐偽とは言わないが

 農民とは天気予報に振り回される存在である。朝起きると天気予報を見る。午後1時頃から雨などという予報があると、朝は早めに仕事を始め、1時頃には上がるつもりで働く。ところが2時になっても3時になっても一滴も降らない。体力の配分を間違った事で、夕方には足が上がらない。普通なら、フカフカした畑の土は好ましく感じるのだが、こんな時疲れた足がめり込む畑の土は疎ましく感じる。土が悪いのではなくこちらが疲れて勝手に感じているだけである。

 ここ10日程の間に何回か雨の予報があったが土の表面さへ濡れない程度の雨しか降らなかった。6月とはいえ、ここまで晴れの日が続くと作物は水が不足する。何とか次の雨まで持たせようと300Lにタンクと動噴を軽トラの背中に積みこんで、水まきに走ることになる。ナスは水切れに弱い。樹勢が落ちると後のなりがすごく悪くなるため、何とかしようとあがいているわけである。さらにだが、農薬をまく場合、雨の前に撒くのが常道だと聞く。雨が降る時には風も吹く。風で煽られて葉っぱに傷がつき、その傷に病原菌を含んだ雨の飛沫がかかるからだという。雨の前の薬剤散布は予防散布であり、雨の後の薬剤散布は治療散布ということになる。でも、雨の度に薬を2回も撒くはずもなく、病気になった葉っぱは切り取るようにしている。

 白いゴーヤの初収穫が昨日だった。去年は8月1日が初出荷だったので、ひと月ほど早い収穫である。理由はわからないが、すべての作物が半月から一月ほど収穫期が早まっているようだ。残念だが、出荷に必要な申請書の提出が遅れていたため、出荷は出来ない。自家消費するには多すぎたので、近所の人のお裾分けした。明日も採れるかもしれない。どうしよう。この季節、することは同じで、唯々草刈りである。無我の境地で草刈り三昧と洒落込みたいのだがそうもいかない。さらにこの時期、草刈り中にオオアワガエリだと思うのだが、イネ科の植物の花粉による花粉症を発症することが多い。草を切っている時はまだ良いのだが、その後がいけない。コロナコロナの世の中では、人中でのクシャミと鼻水はご法度である。従って、草刈りをした日、時には次の日まで人には会わないように心がけている。なんとも暮らしにくい世の中になったものだ。

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歴史生物学 TCA回路への異論 4

 では、TCA回路に対して私が感じている違和感について述べることにする。かたくなに定義にこだわるつもりはないが、やはり現在広く認められている主流派の定義を押さえておく必要があるだろう。私のようにある定義を読むたびに、この定義の到達範囲はどれくらいだろうとか、この定義はいかなるパラダイムの下に構築されたものだろうなどと考える人は少なそうだ。この習性が、お前は多少変わっていると誉められる原因であるようだ?多少とはどんな意味だろう。花落知多少

 さて、定義には単なる恣意的な定義と同時に、定義している物をどう捉えるかと言うパラダイムを明確に反映する定義がある。ではTCA回路はどう定義されているか。またもや日本薬学会のサイトとKEGGのサイトから引用することにする。別に恨みがあるわけではない。しかし、これらのサイトには当たり障りのないといえば批判じみて聞こえるが、そうではなく常識的な立場からの説明がなされているため引用しているに過ぎない。

日本薬学会用語解説による定義

Citric acid cycle、トリカルボン酸回路、TCA回路、クレブス回路

  H. A. Krebsにより提唱された、糖、脂肪酸、ケト原性アミノ酸の炭素骨格を酸化する代謝経路。好気的な条件下でエネルギー獲得に中心的な役割を果たす。真核生物ではミトコンドリア内(マトリクス)で行われる。すなわち、クエン酸回路に関与する酵素はマトリクスに存在する。唯一、コハク酸デヒドロゲナーゼはミトコンドリア内膜に存在する。炭素骨格を酸化する過程で、補酵素NADやFADを還元して、NADH+H+、FADH2を生成する。生成した還元型補酵素は、電子伝達系での酸化的リン酸化によりATPの産生に利用される。糖、脂肪酸、ケト原性アミノ酸由来のアセチルCoAは、クエン酸シンターゼの作用で、オキサロ酢酸と縮合しクエン酸を生じる。クエン酸は、順次、(cis-アコニット酸)、イソクエン酸になったのち、脱水素的脱炭酸を受け、2-オキソグルタル酸になる。さらに、脱水素的脱炭酸、CoA の脱離、脱水素、加水、脱水素などの反応を順次受けて、スクシニルCoA、コハク酸、フマル酸、リンゴ酸を経て、オキサロ酢酸に変換される。回路が1回転するあいだに、クエン酸を酸化し2分子の二酸化炭素を生じるので、アセチルCoA由来の炭素骨格は完全に酸化されることになる。脱水素反応により補酵素を還元して、NADH+H+を3分子、FADH2を1分子産生する。また、エネルギー的にATPと等価のGTPを1分子産生する。(2005.10.25 掲載)(2009.1.16 改訂)

KEGGによる定義

 The citrate cycle (TCA cycle、 Krebs cycle) is an important aerobic pathway for the final steps of the oxidation of carbohydrates and fatty acids. The cycle starts with acetyl-CoA、 the activated form of acetate、 derived from glycolysis and pyruvate oxidation for carbohydrates and from beta oxidation of fatty acids. The two-carbon acetyl group in acetyl-CoA is transferred to the four-carbon compound of oxaloacetate to form the six-carbon compound of citrate. In a series of reactions two carbons in citrate are oxidized to CO2 and the reaction pathway supplies NADH for use in the oxidative phosphorylation and other metabolic processes. The pathway also supplies important precursor metabolites including 2-oxoglutarate. At the end of the cycle the remaining four-carbon part is transformed back to oxaloacetate.

 TCAサイクルは何に始まってどこで終わるのかという問題に、薬学会の定義は全く触れていない。分かっているでしょうというのが底流にありそうだが、文章を読んだ限りではミトコンドリア内で起こる反応となっておりピルビン酸からAcetyl CoAの段階が含まれるかどうかは分からない。一方KEEGにおいては、Acetyl CoAを出発物質として明確に指定し、Acetyl基に含まれる炭素がCO2へ、水素がNADH+H+へ変換された時点をもって終点としているようである。私はミトコンドリア内に運ばれたピルビン酸から回路を一周してオギザロ酢酸までとしたほうが合理的だと考えるが、この差異は歴史的な経緯に基ずく恣意性に基づくものに過ぎないだろう。

 しかし、大きな問題が二つあると考える。一つは、TCA 回路が好気的であるのかどうかという問題である。薬学会の定義に於いては、「糖、脂肪酸、ケト原性アミノ酸の炭素骨格を酸化する代謝経路であり、好気的な条件下でエネルギー獲得に中心的な役割を果たす。」と明確に書いてある。KEGGにおいても「Krebs cycle is an important aerobic pathway for the final steps of the oxidation of carbohydrates and fatty acids. クレッブスサイクルは炭水化物や脂肪酸を酸化する最終段階の重要な好気的経路である。」と述べている。その他にも色々な書籍を参照してみたのだが、すべて好気的過程であると書いてあった。どうやら、TCA回路が好気的代謝系であるという位置づけに対して違和感を感じる人はいないらしい。

 しかし、本当にTCA 回路は好気的代謝系であろうか。解糖の産物であるピルビン酸はミトコンドリア内で酸化的に脱炭酸を受けAcetyl CoAに変換された後、オギザロ酢酸とのアルドールタイプの縮合を経てTCA 回路に導入される。この回路では基質レベルでの酸化が起こり、1分子のアセチルCoA から3分子のNADH+H+、1分子のFADH2と1分子のGTPが生産される。TCA 回路で生産されたNADH+H+とFADH2は、電子伝達系を通って酸化を受け、それぞれ3分子と2分子のATPを生産する。多くの場合、「生物は嫌気的には1分子のglucoseから2分子のATPしか合成できないが、好気生物は解糖系の産物であるピルビン酸をTCA回路、電子伝達系で酸化して38分子のATPを生産できる」と、TCA回路と電子伝達系をまとめて好気的エネルギーを生産する系として記述されている。

 この結論について、学生の頃からどこか不満であった。TCAサイクルでは酸素分子は全く関与していないではないか。関与するのはNAD+或いはFADという補酵素である。これらの補酵素が酸化剤として働き、基質レベルでの酸化を起こしているのである。もし、TCA回路の酸素が関与しないこの基質レベルでの酸化を好気的経路として認めるのであれば、解糖系であっても好気的経路と云わなければならない。解糖系から出てくる2分子のNADH+H+を電子伝達系に流し込んで、「解糖系は好気的経路であり、グルコースをこの系で分解することによって、総計8分子のATPが生産される」という言明が成立すると思うのだが、ここに矛盾はないのだろうか。

 さらに38分子のATPが生産されるという場合は、解糖系で生産される2分子のNADH+H+と解糖系とTCA回路をつなぐ部分で生成される1分子のNADH+H+も、電子伝達系を通るものとしての計算結果である。ここにはATP生産という目的に合わせた恣意的な計算が存在する用に感じる。このような矛盾を引き起こしたものは、ATP生産という呪縛のもとに、TCA回路と電子伝達系を1セットのものとして組み合わせてしまったことに起因する。Krebsがこの経路を提出して84年が経ったわけだが、誰もこの辺りの曖昧さについて意識しなかったのだろうか?

 上のセクションで使用した解糖系という言葉は、通常使われているグルコースからピルビン酸までの代謝を意味している。自ら批判した解糖系を、このような形で使うことには忸怩たる思いがないわけではないが、このような書き方の方が一般的意味に於いては分かり易いと考え、そのまま使うことにした。

 ワクチン擬関連だが、ワクチンパスポートを実施する方向での議論が始まったそうだ。ワクチンを接種しても感染する事例には事欠かないし、ワクチンの有効期限も不明な状況ではパスポートの有効期間をどう扱うのか全く展望が見えないように思う。政府の本音はマイナンバーとの紐付けではないかと邪推している。災害便乗型専制政治の始まりかな。田舎で、肩をすぼめて静に暮らしたいと願っていたが、時代はそれを許さない方向に動いているようだ。まあ、先はさほど長くないし、今更都会に出て遊び回る気はさらさらない。しかしながら、その権利をワクチンパスポートという制度で頭から否定されると腹が立ち上がりそうだ。呼吸器が弱く、高血糖で、コレラの予防注射で高熱を出し、インフルの予防注射でインフルエンザに罹るようなな人間には、パスポートの取得は無理だろう。体の弱い若い人が可哀そうだな。


 忌野清志郎、亡くなって何年経つのかな。そう言えば土岐英史さんが亡くなった。彼のサックスは好きだったな。いつか生で聞きたいと思っていたが、パスポート云々ではなくもう無理か。

https://www.youtube.com/watch?v=9DSJMc0yeos

歴史生物学 TCA回路への異論 5 に続く

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