まずいこと書いたかな

 少し前、あまりにも荒唐無稽だと私自身も思うものの、新型コロナ感染症で亡くなる人よりワクチンの副作用でなくなる人の方が多くなるのではないかと書いた。数が少ないのでこの結果が全体に外挿出来るかどうかは分からないが、鳥取県がそうなったらしい。おとしめるつもりはないが、鳥取県は過疎地であるため政府の目が届いていなかった可能性もある。また陰謀論だといわれそうだが、そうではなさそうな報道が色々と出始めている。ポルトガルでは6月28日のリスボン裁判所において、新型コロナ感染症(COVID)で死亡したと「確認された症例」は、政府が主張した17,000件ではなく、その0.9%の152件のみである結論づけた。この判決により、政府がCOVID-19の死亡統計を捏造していたことが証明されたそうだ。https://greatgameindia.com/lisbon-court-death-covid-cases/ 

 我が国でも、別の理由でなくなった方に対してPCR検査を行い、もし陽性であった場合は新型コロナ感染症による死者であるとしてカウントするようにとの指針が配られていると聞く。こうした話がいわゆる大手マスコミから全く流れないのはどうしてかと推測を始めると、妄想だ陰謀だという非難を浴びるのである。それなりに疑問を感じている人とならば、その程度を見定めながら話が出来るが、ワクチンを信じきっている人にはどう答えるべきか全く分からない。この危機の中、政府が懸命に推進していることに楯突くのかという論理で攻められる可能性が高いのである。人間関係の悪化を避けるためには、生温い笑顔で対応するしかない。

 コロナには一片の危険性のないと河野さんがいう。一寸ばかり知識不足の丸川氏も打つべきだという。忽那氏は政府広報とはいえ大手のみならず地方の有力紙を含め一面ぶち抜きのワクチン推進広告、(いくらかかったのだろう)、形振り構わないワクチン押しである。一方ワクチン反対派は、大手マスコミが報道してくれないためYouTubeやTwitter、FBなどへの投稿に力を入れている。それにしても国内の医師390人と地方議員60人が新型コロナウイルスワクチンの接種中止を求める嘆願書を厚生労働省に提出したなどというニュースは殆ど見かけることはない。次のようなニュースも紹介されることはない。https://aapsonline.org/majority-of-physicians-decline-covid-shots-according-to-survey/  原子力発電の可否について、議論の際に見飽きた風景が再演されているようだ。国の将来を左右するようなカタストロフが起きないことを願っておこう。

 お前はどうなのだという問い掛けがありそうだ。一応私の立ち位置を明らかにしておこう。まず、判断するに当たって絶対に譲れない前提条件が一つだけある。治療薬は罹患した人に投与するものであり、合理的なリスクであればこれを許容する。しかし、ワクチンは健康な人に投与するものである。従って、許容されるリスクは治療薬よりもはるかに低いものでなければならない。その前提が満たされるのであれば、ワクチン接種を頭から否定するものではない。天然痘ワクチンは間違いなく有効であったと考える。しかし、現在接種され続けている新型コロナに対するワクチン群がその前提を満たすとは思えない。さらに、賛成派にしても反対派にしても、ワクチンに対する情報がかなり偏った形で発信されているように思える。そうした中において、ワクチンの真の姿が全く見えないというのが私の感想である。ただ、前回も書いたがこのワクチンを危険と考える人たちの方が、真摯であり、知的でありかつ理性的であるように感じている。従って、私が現在のワクチンを接種することはありえない。(色々なものに対するアレルギーを持っているという個人的理由もある)感染防止にワクチンを使うという政策を端から否定するつもりはないが、でもきっと、反ワクチン派として分類されるだろうな。

 それにしても、理系と文系を早期に分ける教育の欠点が、この感染症の問題で露になったようだ。いわゆる文系の人々に、DNA、RNA、複製、転写、翻訳、逆転写、DNAウィルス、RNAウィルス、レトロウィルス、PCR、RT-PCR、realtimePCR、realtime RT-PCR、プライマー、ct値、スパイクタンパク質、アンジオテンシン2変換酵素、エンドサイトース、・・・と並べなければ説明できない、新型コロナウィルス感染症やその診断に対する正しい理解を求めることは、ほぼ不可能といって良い。よほどの時間と知りたいという熱意を持った人でなければ、このワクチンは安全か安全でないかという結論を聞くだけで、自ら考えられる段階まで到達することはないだろう。文系の人だけではない、理系に属する人であっても、いわゆる生物科学系以外の人たちにとっても、なかなか難しいと思う。その逆もまた真である。この感染症に関する混乱が収まらない一つの原因は、言葉の共有が絶望的なほどになされていないことにある。人々の分断すなわち社会の分断が、使用する言葉によってすでに起こっていたと考えて良いだろう。

 次の時代を担う若い人たちに、いかにして裾野の広い知識・教養を持ってもらうかがこれからの教育の大きな問題になるだろう。高校から始まる理系と文系の分断、1991年の大学設置基準大綱化以降、20年間に及ぶ大学改革が大学教育に与えてきた悪影響など、この国の教育システムを見直す時期に来ていると思っているのだが・・・。

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