晩春

 当地の春はイヌフグリの空色から始まる。続いて臘梅の淡黄、梅の紅白、菜の花の黄蘗、桜の淡紅、桃の紅白が咲き分ける世界につづいて、純白の塩原とも見える梨の開花が続く。この間、柿の花の開花があるのだが、柿の花は地味な存在で普通の人は気付かないようだ。連休が明けた頃から山藤の若紫と山法師の白が目立つようになった。ヤマボウシの白は良い。近づいて見るよりも少し距離を置いて見たほうが風情を感じる。ただし、花びらに見える白いものは総苞片であって花弁ではない。改めて考えてみると、私は白い花、それも幾分緑色を帯びたものが好きなようだ。薔薇の品種で云えば花弁がゴテゴテしていない小振りな緑光あたりである。

 たわいのないことを書きつづっているブログなので余り役には立たないが、清少納言が紙の白さに拘っていた。枕草子における色々な事柄の描写のなかで、色に関する感受性が特に優れているように思う。そういうことはどうでも良い、いまは山法師の花が綺麗だと言いたいだけである。山法師は花水木に似ている。花弁と見まがう白い総苞片の先端が少し窪んだ形をしている。この木とその窪みについては、キリストに関する伝説らしきものがあるそうだが、信頼性のある話ではないので書かない。そういえば数日前から庭石菖の花も咲き始めた。因みに花水木も庭石菖も北米原産である。さらにつけ加えれば、花水木は1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、アメリカ合衆国ワシントンD.C.へ桜を贈った返礼として3年後にワシントン市から東京市に寄贈されたものだそうだ。

 桑を育てている。実取りの桑である。近所に育てている人は全くいない。こうした作物には適用を持つ農薬はほとんど存在しない。だが、それを食害する害虫や病害菌(我がままな定義だな)は存在する。ややこしい話になるが、蚕の餌としての桑には散布して良い農薬がある。この農薬を桑の葉茶を採る為の桑に使っている人がいるらしいが、気持ちは分かる。実採りの桑に対してはロブラールという農薬が1シーズンに2回だけ使える。菌核病に効く薬なのだが、今年は散布するタイミングを間違えたらしい。実った果実の半分くらいが菌核病にかかり、商品にならない。もう一つ、オレートという農薬が使えるのだが、これはただの石鹸水である。高級石鹸であるオレイン酸石鹸の水溶液を農薬として登録した商品であり、アブラムシに牛乳をまくのと同じく、虫の気門を封じて窒息死させる。

 いまクワキジラミと云うアブラムシのような小さな虫が発生している。上記のオレートが効くことになっているのだが、1寸の虫にも五分の魂、彼らは桑の葉を巻き込んでその中に隠れているのでオレートをまいても薬液がかからない。生態的防御手段というべきか、塹壕にもぐって敵弾から避けている兵士と同じである。仕方なく、巻いた葉っぱの1枚1枚にスプレーでオレート溶液を吹き込んで行くのだが、とても間に合わない。それだけではない、周辺の梨や柿畑にいたカメムシが、薬剤散布に追われてうちの畑に逃げ込んでくる。カメムシに対する薬は何も認められていない。今年はダメだ。畑の中に蚊取り線香でも吊るしたらなどと妄想するが、蚊取り線香にはアレスリン(ピレスロイド系農薬)が含まれている。ということで、ポジティブリスト制の下では全く動きが取れない。

 これはポジティブリスト制を否定しているのではなく、そこで決まっている数値が現実とそぐわないと云っているだけである。近年、世界的に農業に対する締めつけが厳しくなってきた。オランダの状況をみれば、先は暗い。地球温暖化の原因になると云うことで稲作を制限しようと云う議論がある、牛のげっぷにメタンが含まれるから牛の飼育を制限しようと云う話もある、ペットは気候変動の原因、肉食のペットは安楽死させて、温暖化にあまり影響しないカメや爬虫類にしようという提言もある、コオロギを食べろ、ゴミムシダマシを食べろ、ハエのウジを食べろと言っているグループの主張である。どうも人間としての尊厳を奪いに来ているようだ。

 好きな花について書いていたのに、後味の悪い終わり方になった。やはり最後は綺麗に終わりたい。シャガ、射干あるいは著莪と書く。アヤメ科の植物で、清楚な花をつける。やや湿り気味で半日陰に咲く。中国から渡来した日本に咲く射干は3倍体であるため種子ができない。川沿いの登山道の脇などに群生しており、疲れを癒やしてくれる植物である。ちょうど今頃が開花期に当たる。有毒植物と云われているが、使い方さえ間違えなければ民間薬としても使える。そういえば上で書いた庭石菖、これもアヤメ科の植物だった。後で写真を付けるかもしれない。

 とはいえ、地震が多いですね。水と数日分の食料、家具の固定、枕元に長靴程度の用意は必要かも。八丈島、かなり危なそう。

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今日はコマ打ち

 一月の半ば過ぎだったと記憶しているが、近所のNさんの手を借りて切りかけのクヌギの木を切って放置していた。切る時期が少しばかり時期遅れだったため、玉切りの時期も半月ほど遅らせて行い、今日のコマ打ちとなった。註釈だが、クヌギの木は椎茸栽培用の原木であり、玉切りとは原木を1m弱に切りそろえる事を意味する。その原木にドリルで穴を開け椎茸菌を前もって生育させた木片(コマ)を打ち込む作業をコマ打ちと呼ぶ。原木の直径が30cm程あったので、根際から切り出した原木は優に50Kg を超える。これをキャタピラタイプの運搬車に乗せてヨタヨタと斜面を登り、軽トラに乗せ変える。この作業を七八回繰り返したあと自宅に帰る。それから15cmおきに電動ドリルで穴を開けコマを打ち込むのである。来年の年明けには正真正銘の原木椎茸が食べられるという期待がなければとてもできない。

 とは云うものの、駒を打てば終わりというものではない。プロの椎茸農家は駒を打った仮伏せという形で保温・保湿・適当に乾燥・直射日光遮断などなどの条件を満たすように6月頃まで世話をする。その後、本伏せと呼ばれる木組みを作り適切な保湿と乾燥且つ遮光を行い収穫に至るのであるが、アマチュアの私に出来るかといえば仮伏せ・本伏せに適した場所がないだけでなく、暑い時期に木組みを変えるほどの体力もない。仕方なく、幾分密着した合掌組みで仮伏せ期間を過ごしてもらう事にしている。日光は透水性の遮光ネットと去年買っていたワラを使い何とかする予定である。手抜きの集大成といっていいだろう。それでも、自家消費を賄う程度には収穫できるので満足している。とはいえ、費やした時間と労力、ガソリン代、さらに打ち込むコマ代を計算すれば赤字かもしれないな。

 もう昔の話である。ローマに1週間ほど滞在した事がある。いわゆる普通の観光客としてぶらついていたのだが、いわゆるキリスト教的建築物に馴染めなかった。冬は寒そうだなとか転んだら痛そうだなとか、掃除が大変だろうな、などと考えていた。無意識に木で作られた寺や神社と比較していたようだ。寺だろうが神社だろうが冬は寒いし、畳であっても転べば骨折するかもしれない。もちろん掃除は大変である。とはいえ、畳や木の床の冷たさと石造りの床の冷たさに何らかの差違を感じていたのだろう。近頃気付いたのだが、私が風景や建築物を見る場合、そこにいる人々を取り除いて観ていたらしい。人のいない社寺からは静謐さを感じ、人のいない教会建造物からは廃虚的なイメージを感じていたようだ。これは偏見だなとは思うもののそう感じるのだから仕方ない。

 そんな個人的な感想は横において、観光客の常としてバチカン市国へも足を伸ばした。この場所にも全く馴染めなかった。依って立つ文化と宗教が違うだけでなくキリスト教の思想について無知同然であったのだから当たり前といえば当たり前である。私に理解する素地がなかったことは間違いないだろう。記憶に残っているのは、やけに立派な彫刻と壁画、そして暖房が効きそうにもない高い天井で溢れていたことである。以前に書いたかもしれないが、バチカン市国の人口は800人余り、男女比は極端に男に偏っている。当然ながら子供は原則として産まれないそうだ。こうした偏った社会では色々な問題が頻発するが、そんな事を書きたいわけではない。誰もが一寸調べれば分かることだからである。私が気になったのは、出会った司祭や修道女の皆さん(言葉遣いが正しいかどうか分からない)の多くが、肥満気味であったと云う記憶である。かなり以上に偏った社会のストレスが、食事の量に表れているのではと邪推してしまった。

 

 

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TCAサイクルの話は終わったのか・・・2

 何が言いたいのか。解糖系とTCA回路の意義付けが変われば、必然的にこの系路に含まれる物質群や関連している系路群の意味付けも変わってくるに違いない。そこが悩ましい。

 まず簡単に、いわゆる解糖系とTCA回路の存在意義をまとめておく。いわゆる解糖系、常識に従えば嫌気的にブドウ糖を分解して2分子のATPを生産するとともに、ピルビン酸を通って2分子のアセチルCoAをTCA回路に供給する意義を持つ。送り込まれたアセチルCoAはTCA回路と電子伝達系を通る間に大量のATPが作られ、この作られたATPが生物の主要なエネルギー源であるという形での常識的理解だけでなく、送り込まれたアセチルCoAは2−ケトグルタル酸から分岐するグルタミン酸・グルタミンを通って各種アミノ酸・タンパク質のみならず核酸塩基の生合成系の原料としての大きな役割を果たしていると明記すべきであろう。

 先に解糖系について書いた際に、ブドウ糖(グルコース)は解糖系から突き出した盲腸であると書いた。これが書きすぎであることはある程度理解している。解糖系についての研究が行われた時代背景を考えれば、人のエネルギー代謝を念頭に置いた解糖系研究であったことは明らかであろう。とすれば、経口的に取り込んだ食品中の炭水化物がブドウ糖まで消化された後、小腸から吸収されて血液にはいり体中のエネルギー源になるというストーリーとの相性は良い。だが、高血糖で少し困っている一人として考えれば、血液にはいったブドウ糖は、G-6-P、G-1-Pを経由してグリコーゲンとなり、肝臓や筋肉中に貯蔵される系路の重要性を無視できないのである。大まかな計算だが、肝細胞は食後直後に肝臓の重量の8 %程度(大人で100~120 g)までのグリコーゲンを蓄えることができる。この肝臓に蓄えられたグリコーゲンは他の臓器でも利用することができる。骨格筋中ではグリコーゲンは骨格筋重量の1-2 %程度の低い濃度でしか貯蔵できない。筋肉は、体重比で成人男性の42%、同女性の36%を占める。このため体格等にもよるが大人で300g程度のグリコーゲンを蓄えることができる。

 人によるこの2種類のグリコーゲンの利用様式を見てみると、肝臓のグリコーゲンはグリコーゲンホスホリラーゼの作用を受けグルコース−1−リン酸となった後、ホスホグルコムターゼによりグルコース 6-リン酸へと転換される。このグルコース 6-リン酸はグルコース-6-ホスファターゼによって加水分解を受けブドウ糖に変えられ血流中に放出されたあと体内の細胞中で解糖系を通って利用される。(肝細胞においてはグルコース 6-リン酸の形で、そのまま解糖系へ導入されている。そもそもグルコース 6-リン酸がグルコース-6-ホスファターゼによってブドウ糖に変えられ血流中に放出されること自体がエネルギーの無駄遣いと言えないこともない)。筋肉細胞においては、グリコーゲンホスホリラーゼの触媒下にグルコース−1−リン酸となった後、ホスホグルコムターゼによりグルコース 6-リン酸へと転換される。ここまでは肝細胞の場合と同じだが、筋肉細胞にはグルコース-6-ホスファターゼが発現していないため、グルコース 6-リン酸がそのまま解糖系へと流入し代謝される。さて、消化・吸収されてグリコーゲンまでの代謝は糖新生系として捉えるとして、グリコーゲンから解糖系に流れ込むに際して、グルコースを経由する物質量よりグルコース−1−リン酸を経由する物質量の方が多そうに見えるところが悩ましい。

 植物においては、糖新生系から生じるブドウ糖をそのままの形である程度含む例は、ブドウ、プルーン、バナナなどに限られさほど多くない。大多数の植物では光合成で生産された3単糖リン酸すなわち3−ホスホグリセリン酸の形でいわゆる解糖系と糖新生系へと流入するのだが、下流へと流れる3−ホスホグリセリン酸はブドウ糖などを経由する事なくTCA回路へと流れ込んでゆく。一方糖新生系を流れる3−ホスホグリセリン酸は、これまたブドウ糖を経由せずに、セルロース、デンプンなど多糖類という分類される化合物群へと変換されて行くのである。ここにおいてもブドウ糖の影は限りなく薄い。植物においては、ブドウ糖(グルコース)は解糖系から突き出した盲腸であるという言明が成立しそうだ。上のように考えると、動物のエネルギー代謝に於けるブドウ糖の存在意義についてはある程度認めるにしても、植物の代謝におけるブドウ糖の存在意義はかなり低下してしまいそうだ。(植物が分泌する蜜にはブドウ糖が高濃度に含まれる。この現象に関する考察は別途せざるを得ない。)

 植物生理学を専門とする研究者達は、何故動物で確立された解糖系の図をそのまま使うのだろう。植物には動物における消化器と連動して働く肝臓はないし筋肉もない。植物は独立栄養生物であり動物は従属栄養生物である。生き方において全く異なった二種の生物のエネルギー代謝が異なっているのが当然だと思うのだが、世の常識はどうもそうではないらしい。解糖系・TCA回路の意義づけを物質生産側に少しばかり拡大し、動物と植物におけるをれらの糖代謝の異なる側面を考慮すると、今まで糖代謝の中心的位置にあるとするブドウ糖の存在意義が思い掛けなく薄くなってしまった。まあいいか、どうせ少数派の遠吠えとして扱われるだろう。だが、解糖系とTCA回路の存在意義の変更は、思い掛けないほど周辺の代謝系に影響を与えるのである。

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春の兆

 数日前、イカル(鵤)の囀りを聴いた。イカルはスズメ目アトリ科の小鳥で全長は約20cmで 体は灰褐色で,頭・顔・翼・尾は紺色と書かれている場合が多いが、野外では白黒のツートンカラーに見える。春先だから囀るというわけではなく四季を通じて声は聞ける。見かけよりはるかに声は美しい。強そうなくちばしで木の実や草の実を食べることから。マメマワシ、マメコロガシなどの地方名を持つ。この鳥の声はとても綺麗で、カタカナで書けばキーコキーと聞こえるが、これを蓑傘キー(蓑傘を着ろ)と聞きなして明日は雨だと予想したり、赤ベコ着ー、月日星と聞きなす地方もある。さて斑鳩の里と言えば奈良県、聖徳太子が住んでいたとされる土地で、七世紀初頭に法隆寺を建立し隣接した斑鳩宮に自身も起居したとされている。ところが推古天皇をはじめ主だった豪族たちは飛鳥に暮らしていた。斑鳩と飛鳥、直線距離にして20キロほど離れたふたつの都を結ぶ道路は「太子道」と呼ばれる道で結ばれていたという。聖徳太子は斑鳩宮からこの道を通って飛鳥まで通っていたように書いてある場合があるのだが、それはないだろう。あの時代、片道20Kmの通勤は遠すぎる。過酷な通勤である。なんらかの理由、あるいは歪曲があるのだろう。ここまで3月5日である。

 ここ数日、コジュケイの地鳴きを良く聴く。もう春だなと思っていたら我が家の桑の木にコゲラがきた。結構長い時間、木の幹を突いていた。その木にはクワカミキリの食痕が沢山あったから有り難い話である。日没後の向かいの林では、フクロウが大声で鳴いている。都会で聴くことは殆どないと思うが、ゴロットホーセー・コーズと野太い声で鳴く。いやいや楽しいひと時である。この春の兆、書き始めたのは2週間程前、未だ寒かった。その頃は庭に捨てた完熟の渋柿に、50羽どころではないメジロの群れが毎日訪れていたし、そのメジロを蹴散らしてヒヨドリも多数きていた。山の畑周りの雑木林では四十雀にまじって山雀の囀りも聞こえていたため、餌台を作って好物であるヒマワリの種を置く用意を始めた。とはいえ、近くの林に住むハイタカが襲うのではないかと危惧している。餌台を置く場所に工夫が必要だろう。

 などと、のんびりした春の話を書こうと思っていたら、コオロギがニュースの前面に出るようになってきた。初めの頃は興味半分の話だと無視していたのだが、実際には余程周到な根回しがされていたようで、驚いている。敷島製パンや無印良品などの大手企業のみならず、かなりな数の中小企業と大学を巻き込んだ研究・実施グループが作られていたようだ。私の住んでいる筑後川中流域は、過疎気味でそんな事とは縁が遠いと思っていたら、認識が甘かった。我が家から20分程度の所にある日田市の醤油会社「マルマタ醤油」〜創業安政六年(1859)の老舗〜がコオロギ醤油を売りだしていたのである。

 国会にはフードテック振興のための議員連盟と言う組織があるようだが、その中にコオロギ食を推し進めている議員さんがいるらしい。何しろこのフードテック議連のホームページの表紙がコオロギパウダー入りのパンである。(https://www.foodtech-giren.jp/)名簿に河野太郎が抜けているような気がする。巷には、コオロギ食用化に支援金・補助金が6兆円ほど流れているという話があるが、これはさすがに盛りすぎだと思う。金額については想像のしようもないが、コオロギ食用化を進めようとする議員連盟があり、徳島大学を始めとする大学群があり、敷島製パンや無印良品などの企業群がある事を考えると、想像以上の多額のお金が流れている可能性は否定できない。農水省や経産省あるいは厚労省の予算に潜り込ませてあるのかな?近頃、異常に膨れ上がっている予備費の可能性も捨て難い。

 これらの国会議員が何を食べようと気にはしないが、人の食い物にまで介入するのはやめてくれ。気持がち悪いのは、フードテック振興議員連盟の構成員が与党だけでなく、野党議員にも広がっていることだ。まさかと思われる人の名前まで上がっている。

 と書いてアップしようとしていたら、SVC(シリコンバレーバンク)破綻の話が飛び込んできた。続いてすぐにシグネチャー銀行、そして名前は忘れたがもう一行が破綻したという。その理由については沢山の報道があるので、皆さんご存知の事だと思う。この騒動が収まるかどうか、米政府が預金者への払い戻しを迅速に決めて発表したので、しばらく注意して見ておくことにする。何しろ預金者保護を発表した米政府には、保護に必要なお金の裏付けがない。さらにだが、シリコンバレーバンクは数年前まではトランプと良好な関係を保っていたのだが、数年前から民主党へと支持を変えた経歴がある。政府が借金をしようとしても、共和党優位の下院を説得できるかどうか?

 その後すぐスイスのクレディスイス銀行が危ないというニュースが流れてきた。今回の危機には関係ない話だが、クレディスイス銀行にはあまり良い印象を持っていない。クレディスイス銀行を使うほどの大金を持ったことはないので個人的な話ではない。以前勤めていた大学の理事長?か理事会?が、38億円だったと記憶しているが、大学の金をある証券会社を通して何かに投資をしたという。この投資資金が、あれやこれや訳のわからないルートを通ってクレディスイス銀行へと流れ込んだ後、タックスヘイブンの国へと送金され、その足跡が消えたと聞いた。我々が聞かされた説明が事実であったかどうかはわからない。金額だって正しいかどうか自信はないが、とにかくこのお金の失踪事件にクレディスイス銀行が噛んでいることは事実だったと思われる。だからクレディスイス銀行にはあまり良い印象を持っていないというわけである。極々私的な、意味のない感想である。

 リーマンショックの時、我が国の政府は我が国への影響は軽微であると表明したが、振り返ってみれば我が国が最も酷い影響を受けたことを記憶している。今回の危機について、現政府は影響は少ないとの見解を発表しているが、何が起こるかわからないというのが現実だ。少し以上に身構えてショックに備える必要を感じている。でも、何をすれば良いのか、それが全くわからない。銀行から預金を下ろしておけと言う人がいるが、我々が慌ててそういう行動をとったら、その時点で取り付け騒ぎが起こるだろう。備蓄を勧める人もいるが、そんなに沢山できるものではない。一週間程度の災害用の備蓄なら何とかなるにしても、一年分とか言われたら夢のまた夢である。山の栗畑の周囲に野菜の種をばらまいておこうという程度である。

 でもね、クリは葉っぱから何か分泌しているらしく、この木の下には殆ど草が生えない。たとえ生えても、小さくひょろひょろとしている。クログルミという植物がいる。この木の回りには雑草が少ない事実が知られている。クログルミは葉からジュグロンというナフトキノン系の物質を分泌する。雨が降るとジュグロンを溶かした水が樹冠の下に降り注ぐ。ジュグロンは他の植物の発芽と生育を阻害する。いわゆるアレロパシーと呼ばれる現象である。クリもそうであるならば、栗林の周りに野菜の種を蒔いても無駄かもしれないな。

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Legionella pneumophila

 昔、筑紫野市二日市に10年ほど住んでいた。すぐ近くというわけではないが、徒歩で20分余りの場所に大丸別荘があった。温泉に行くような身分ではなかったし、温泉自体をあまり好きではないので、訪れたことはない。従って、この旅館に対して別段の愛憎はない。先日以来、風呂の水の交換をほとんどしていなかったため、水中のレジオネラ菌が基準値の3700倍にも上ったとの報道に接し、フーンと思っただけである。

 二日市に住んでいた頃(1976年)、アメリカの在郷軍人の集会で謎の肺炎が集団発生した。健康な男性の集まりであったにもかかわらず、225人が発症し 34人が死亡した事件であった。原因は、会場となったホテルの空調設備内にレジオネラ菌が大量に繁殖しており、そこからの感染であったと伝えられた。 在郷軍人は英語でレジオンlegionnaireであることから、病原となった菌はLegionella pneumophilaと名付けられた。当時、在郷軍人以外ーつまりホテルの従業員やこの会の前後にホテルを利用した客ーに患者が出たという報道はなかったと記憶している。そこに幾分かの疑問を感じていた。

 この菌についての説明を読むと、感染力は弱く、健康な人にほとんど感染しない。人から人への感染もほとんどない。 ただ、幼児、高齢者、免疫低下者、男性喫煙者、飲酒家などは感染しやすくなると書いてある。但し、空調用冷却水塔、循環式浴槽(いわゆる24時間風呂)、循環式給湯器、加湿器、噴水など、水を取り替えず消毒していない環境では大量に増殖することがあり、 これらが感染源となるという。困ったな。先のフレーズ、健康な男性の集まりであった在郷軍人の集会で謎の肺炎を引き起こし34人の死者を出した原因であるレジオネラ菌と、感染力は弱く、健康な人にほとんど感染しなのみならず人から人への感染もほとんどないと言う記述が微妙に矛盾しておりそこはかとない違和感を感じるのである。

 基準の3700倍もの細菌数が検出されたというが、それは測定した時点での数値であってそれ以前の数値はわからない。もっと多かったかもしれないし少なかったかもしれない。とはいえ、宿泊客に肺炎患者が出たという報告はないようだ。この経緯を見ると、上にかいた違和感が一層強くなるのである。

 と書いていたら、大丸別荘の前社長が自殺したというニュースが飛び込んできた。今後も決して行かないであろう場所であり、個人的に繋がりのある人でもないため特段の感慨はない。とはいえ、少し唐突に感じた。少なくとも周囲から批判・非難・中傷を受けた経験が少ない人のようにみえた。

 それはそうと、少しだけ疑問に思ったのは、かっての在郷軍人病の病原菌は本当にLegionella pneumophila だったのかという疑問である。会場となったホテルの空調設備から飛散したLegionella pneumophila の菌量と、ホテルの浴場でシャワーを浴びた時の菌量はどちらが多いのだろう。ここのお湯の検査で見いだされたLegionella pneumophilaは、同じ種であったとしても極めて感染力が低いか感染しても発症しない変種であったのだろうか。もしそうであれば、この菌は理想的な生ワクチンの候補になり得るだろう。でも、一般的なレジオネラ菌自体が、感染力は弱く、健康な人にほとんど感染しないのみならず人から人への感染もほとんどないというのであれば、そんなワクチンは不要だな。とはいえアメリカの在郷軍人の集会でおこった謎の肺炎ー新型コロナウィルスよりはるかに高い死亡率を示した謎の病原体ーが、 Legionella pneumophila であったとする結論が誤っていた可能性があるのではないかと感じている。これ以上は書かない。またもや陰謀論者と言われるから。

 多くの方が暫くの間このホテルの利用を控えるだろう。だが、営業停止が終わった直後など、ホテル側は信頼回復のため最大限の注意を払うことは間違いない。利用客にとっては最も安全な期間とも言えるし、サービスも良いだろう。いやいや、とりとめのない駄文でした。

 

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