春の兆

 数日前、イカル(鵤)の囀りを聴いた。イカルはスズメ目アトリ科の小鳥で全長は約20cmで 体は灰褐色で,頭・顔・翼・尾は紺色と書かれている場合が多いが、野外では白黒のツートンカラーに見える。春先だから囀るというわけではなく四季を通じて声は聞ける。見かけよりはるかに声は美しい。強そうなくちばしで木の実や草の実を食べることから。マメマワシ、マメコロガシなどの地方名を持つ。この鳥の声はとても綺麗で、カタカナで書けばキーコキーと聞こえるが、これを蓑傘キー(蓑傘を着ろ)と聞きなして明日は雨だと予想したり、赤ベコ着ー、月日星と聞きなす地方もある。さて斑鳩の里と言えば奈良県、聖徳太子が住んでいたとされる土地で、七世紀初頭に法隆寺を建立し隣接した斑鳩宮に自身も起居したとされている。ところが推古天皇をはじめ主だった豪族たちは飛鳥に暮らしていた。斑鳩と飛鳥、直線距離にして20キロほど離れたふたつの都を結ぶ道路は「太子道」と呼ばれる道で結ばれていたという。聖徳太子は斑鳩宮からこの道を通って飛鳥まで通っていたように書いてある場合があるのだが、それはないだろう。あの時代、片道20Kmの通勤は遠すぎる。過酷な通勤である。なんらかの理由、あるいは歪曲があるのだろう。ここまで3月5日である。

 ここ数日、コジュケイの地鳴きを良く聴く。もう春だなと思っていたら我が家の桑の木にコゲラがきた。結構長い時間、木の幹を突いていた。その木にはクワカミキリの食痕が沢山あったから有り難い話である。日没後の向かいの林では、フクロウが大声で鳴いている。都会で聴くことは殆どないと思うが、ゴロットホーセー・コーズと野太い声で鳴く。いやいや楽しいひと時である。この春の兆、書き始めたのは2週間程前、未だ寒かった。その頃は庭に捨てた完熟の渋柿に、50羽どころではないメジロの群れが毎日訪れていたし、そのメジロを蹴散らしてヒヨドリも多数きていた。山の畑周りの雑木林では四十雀にまじって山雀の囀りも聞こえていたため、餌台を作って好物であるヒマワリの種を置く用意を始めた。とはいえ、近くの林に住むハイタカが襲うのではないかと危惧している。餌台を置く場所に工夫が必要だろう。

 などと、のんびりした春の話を書こうと思っていたら、コオロギがニュースの前面に出るようになってきた。初めの頃は興味半分の話だと無視していたのだが、実際には余程周到な根回しがされていたようで、驚いている。敷島製パンや無印良品などの大手企業のみならず、かなりな数の中小企業と大学を巻き込んだ研究・実施グループが作られていたようだ。私の住んでいる筑後川中流域は、過疎気味でそんな事とは縁が遠いと思っていたら、認識が甘かった。我が家から20分程度の所にある日田市の醤油会社「マルマタ醤油」〜創業安政六年(1859)の老舗〜がコオロギ醤油を売りだしていたのである。

 国会にはフードテック振興のための議員連盟と言う組織があるようだが、その中にコオロギ食を推し進めている議員さんがいるらしい。何しろこのフードテック議連のホームページの表紙がコオロギパウダー入りのパンである。(https://www.foodtech-giren.jp/)名簿に河野太郎が抜けているような気がする。巷には、コオロギ食用化に支援金・補助金が6兆円ほど流れているという話があるが、これはさすがに盛りすぎだと思う。金額については想像のしようもないが、コオロギ食用化を進めようとする議員連盟があり、徳島大学を始めとする大学群があり、敷島製パンや無印良品などの企業群がある事を考えると、想像以上の多額のお金が流れている可能性は否定できない。農水省や経産省あるいは厚労省の予算に潜り込ませてあるのかな?近頃、異常に膨れ上がっている予備費の可能性も捨て難い。

 これらの国会議員が何を食べようと気にはしないが、人の食い物にまで介入するのはやめてくれ。気持がち悪いのは、フードテック振興議員連盟の構成員が与党だけでなく、野党議員にも広がっていることだ。まさかと思われる人の名前まで上がっている。

 と書いてアップしようとしていたら、SVC(シリコンバレーバンク)破綻の話が飛び込んできた。続いてすぐにシグネチャー銀行、そして名前は忘れたがもう一行が破綻したという。その理由については沢山の報道があるので、皆さんご存知の事だと思う。この騒動が収まるかどうか、米政府が預金者への払い戻しを迅速に決めて発表したので、しばらく注意して見ておくことにする。何しろ預金者保護を発表した米政府には、保護に必要なお金の裏付けがない。さらにだが、シリコンバレーバンクは数年前まではトランプと良好な関係を保っていたのだが、数年前から民主党へと支持を変えた経歴がある。政府が借金をしようとしても、共和党優位の下院を説得できるかどうか?

 その後すぐスイスのクレディスイス銀行が危ないというニュースが流れてきた。今回の危機には関係ない話だが、クレディスイス銀行にはあまり良い印象を持っていない。クレディスイス銀行を使うほどの大金を持ったことはないので個人的な話ではない。以前勤めていた大学の理事長?か理事会?が、38億円だったと記憶しているが、大学の金をある証券会社を通して何かに投資をしたという。この投資資金が、あれやこれや訳のわからないルートを通ってクレディスイス銀行へと流れ込んだ後、タックスヘイブンの国へと送金され、その足跡が消えたと聞いた。我々が聞かされた説明が事実であったかどうかはわからない。金額だって正しいかどうか自信はないが、とにかくこのお金の失踪事件にクレディスイス銀行が噛んでいることは事実だったと思われる。だからクレディスイス銀行にはあまり良い印象を持っていないというわけである。極々私的な、意味のない感想である。

 リーマンショックの時、我が国の政府は我が国への影響は軽微であると表明したが、振り返ってみれば我が国が最も酷い影響を受けたことを記憶している。今回の危機について、現政府は影響は少ないとの見解を発表しているが、何が起こるかわからないというのが現実だ。少し以上に身構えてショックに備える必要を感じている。でも、何をすれば良いのか、それが全くわからない。銀行から預金を下ろしておけと言う人がいるが、我々が慌ててそういう行動をとったら、その時点で取り付け騒ぎが起こるだろう。備蓄を勧める人もいるが、そんなに沢山できるものではない。一週間程度の災害用の備蓄なら何とかなるにしても、一年分とか言われたら夢のまた夢である。山の栗畑の周囲に野菜の種をばらまいておこうという程度である。

 でもね、クリは葉っぱから何か分泌しているらしく、この木の下には殆ど草が生えない。たとえ生えても、小さくひょろひょろとしている。クログルミという植物がいる。この木の回りには雑草が少ない事実が知られている。クログルミは葉からジュグロンというナフトキノン系の物質を分泌する。雨が降るとジュグロンを溶かした水が樹冠の下に降り注ぐ。ジュグロンは他の植物の発芽と生育を阻害する。いわゆるアレロパシーと呼ばれる現象である。クリもそうであるならば、栗林の周りに野菜の種を蒔いても無駄かもしれないな。

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Legionella pneumophila

 昔、筑紫野市二日市に10年ほど住んでいた。すぐ近くというわけではないが、徒歩で20分余りの場所に大丸別荘があった。温泉に行くような身分ではなかったし、温泉自体をあまり好きではないので、訪れたことはない。従って、この旅館に対して別段の愛憎はない。先日以来、風呂の水の交換をほとんどしていなかったため、水中のレジオネラ菌が基準値の3700倍にも上ったとの報道に接し、フーンと思っただけである。

 二日市に住んでいた頃(1976年)、アメリカの在郷軍人の集会で謎の肺炎が集団発生した。健康な男性の集まりであったにもかかわらず、225人が発症し 34人が死亡した事件であった。原因は、会場となったホテルの空調設備内にレジオネラ菌が大量に繁殖しており、そこからの感染であったと伝えられた。 在郷軍人は英語でレジオンlegionnaireであることから、病原となった菌はLegionella pneumophilaと名付けられた。当時、在郷軍人以外ーつまりホテルの従業員やこの会の前後にホテルを利用した客ーに患者が出たという報道はなかったと記憶している。そこに幾分かの疑問を感じていた。

 この菌についての説明を読むと、感染力は弱く、健康な人にほとんど感染しない。人から人への感染もほとんどない。 ただ、幼児、高齢者、免疫低下者、男性喫煙者、飲酒家などは感染しやすくなると書いてある。但し、空調用冷却水塔、循環式浴槽(いわゆる24時間風呂)、循環式給湯器、加湿器、噴水など、水を取り替えず消毒していない環境では大量に増殖することがあり、 これらが感染源となるという。困ったな。先のフレーズ、健康な男性の集まりであった在郷軍人の集会で謎の肺炎を引き起こし34人の死者を出した原因であるレジオネラ菌と、感染力は弱く、健康な人にほとんど感染しなのみならず人から人への感染もほとんどないと言う記述が微妙に矛盾しておりそこはかとない違和感を感じるのである。

 基準の3700倍もの細菌数が検出されたというが、それは測定した時点での数値であってそれ以前の数値はわからない。もっと多かったかもしれないし少なかったかもしれない。とはいえ、宿泊客に肺炎患者が出たという報告はないようだ。この経緯を見ると、上にかいた違和感が一層強くなるのである。

 と書いていたら、大丸別荘の前社長が自殺したというニュースが飛び込んできた。今後も決して行かないであろう場所であり、個人的に繋がりのある人でもないため特段の感慨はない。とはいえ、少し唐突に感じた。少なくとも周囲から批判・非難・中傷を受けた経験が少ない人のようにみえた。

 それはそうと、少しだけ疑問に思ったのは、かっての在郷軍人病の病原菌は本当にLegionella pneumophila だったのかという疑問である。会場となったホテルの空調設備から飛散したLegionella pneumophila の菌量と、ホテルの浴場でシャワーを浴びた時の菌量はどちらが多いのだろう。ここのお湯の検査で見いだされたLegionella pneumophilaは、同じ種であったとしても極めて感染力が低いか感染しても発症しない変種であったのだろうか。もしそうであれば、この菌は理想的な生ワクチンの候補になり得るだろう。でも、一般的なレジオネラ菌自体が、感染力は弱く、健康な人にほとんど感染しないのみならず人から人への感染もほとんどないというのであれば、そんなワクチンは不要だな。とはいえアメリカの在郷軍人の集会でおこった謎の肺炎ー新型コロナウィルスよりはるかに高い死亡率を示した謎の病原体ーが、 Legionella pneumophila であったとする結論が誤っていた可能性があるのではないかと感じている。これ以上は書かない。またもや陰謀論者と言われるから。

 多くの方が暫くの間このホテルの利用を控えるだろう。だが、営業停止が終わった直後など、ホテル側は信頼回復のため最大限の注意を払うことは間違いない。利用客にとっては最も安全な期間とも言えるし、サービスも良いだろう。いやいや、とりとめのない駄文でした。

 

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TCA回路の話は終わったのか?・・・1

 解糖系とTCA回路についての議論は終わったように見える。私のこの私的な議論の中身については、認める人もいるだろうし認めない人もいるだろう。認めない人においては、くだらないそのうちに消える仮説が一つ提出されただけで、変わらない日常が続いて行くだけであろう。だが、もし認めてくれる人がいた場合、その人にとっての生化学は昨日とは違うものになってしまう可能性を秘めている。何しろ解糖系とTCA回路は、生化学という学問の基礎の部分を構成するものであり、この二つの系の意義付けは分子生物学における「セントラルドグマ」に値するような位置づけをされている概念だからである。まあ、この異議申し立てが下るモノであるのか下らないモノであるのかの判断は、読者に任せるしかないだろう。

 さて、こんなことを考え始めたのは何となく解糖系の経路図を眺めながら、グリセルアルデヒド 3-リン酸がグリセルアルデヒド-3-リン酸デヒドロゲナーゼの触媒する反応により、1,3-ビスホスホグリセリン酸 (1,3-bisphosphoglycerate)に変換されるとき、グリセルアルデヒド 3-リン酸のアルデヒド基が基質レベルでの酸化を受ける反応について考えていた時のことである.この反応において、補酵素であるNAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)分子が還元を受けてNADH+Hに変換されるのだが、このNADH+Hはどうなるのだろうと思ったことに端を発している。

 人が急激な運動をした時、ミトコンドリアへの酸素の供給が間に合わない状況が起こっても解糖系が駆動しATPを生産して不足を補う。この時、ATPとともにNADH+Hが生産されるのだが、このNADH+Hは解糖系の産物であるピルビン酸を還元して乳酸を生産する過程で消費されるため、細胞内の酸化還元の状態に影響を与えない。生成した乳酸は運動後の筋肉痛の原因物質であるが、運動が一段落した後ピルビン酸へと戻され本来の代謝過程に戻ると教えられた。当時は代謝系路を追っかけることで精一杯であり、上の説明を無批判に記憶して納得していたわけである。(現在、乳酸が疲労物質であるという考え方は否定されているようだ)

 後年、講義中に解糖系の説明をしていた時に何か騙されていたような気がした。この反応が乳酸で終わるのなら乳酸醗酵である。乳酸が再度ピルビン酸に戻されアセチルアセチルCoAを通ってTCA回路へと導入されるのであれば、その反応においてNADH+Hが再生されるのである。さてこのNADH+Hどうなるのだろう。困ったことに、ここで得られたNADH+Hは、ミトコンドリアへと輸送され電子伝達系で酸化されるという記述を見つけてしまった。そうであれば、ブドウ糖から解糖系とTCA 回路を通って生産されるATPの数の計算において、解糖系は好気的代謝として記述されるべきである。なぜならTCA 回路という代謝系において、基質レベルでの酸化は起こっているが酸素を消費する酸化は起こっていない。ATPの生産は、解糖系で生産されたNADH+HとFADHが電子伝達系を通って酸化される際に起こっているのである。電子伝達径を含めたTCA回路を酸化的経路として定義するのであれば、解糖系も酸化的な経路として認めなければならないのではないかという異論はそこに淵源を持っている。 

 いま一つは光合成に関する理解に起因する。修士課程に在籍していた時だったと記憶しているが、テルペンや多糖、あるいはタンパク質の伸長反応のメカニズムに嵌まってミクロなメカニズムばかり追っかけていた時に、指導教官であったT先生が、マクロに見れば動物は酸化的な生き物であり植物は還元的な生物だよ。その前提を踏まえた議論をしないと、理論をの道筋に矛盾が生じるよという助言を受けた。成程と思った。発想の豊かな先生で、その場ではなんという突飛なことを言われるのだろう感じる場合が多々あったのだが、後で反芻すると私の知識が足りないだけでなく演繹の射程が短かったように思う。光合成について考えていた時に上記の言葉が蘇ってきた。動物においては食物として摂取した多糖類が加水分解を受けて解糖系へと流入するのに対し、植物においては光合成系で作られた3–ホスホグリセリン酸が解糖系への入り口となる。これらの事実を基礎として論を起こしたのが、「解糖系への異論」と題した一文である。

 「TCA回路についての異論」においても、発想の淵源は似た所にある。TCA回路はミトコンドリアに存在し、生物活動のエネルギー源となるATPを効率的に生産する代謝系であるとする常識においては、アセチルCoA を基質レベルで酸化する TCA回路と、基質レベルでの酸化生成物であるNADH+HとFADHを好気的に酸化する電子伝達系を一体のものと見なした場合に成立する概念である。しかしながら、嫌気的生物には逆周りに駆動するTCA回路、いわゆる還元的カルボン酸サイクルが電子伝達系なしで存在するのみならず、オキサロ酢酸を出発物質として右回りに2−ケトグルタル酸まで続く系を持つ生物や、オキサロ酢酸から左回りに2−ケトグルタル酸まで続く系を持つ生物も存在する。そうした生物群を含めてTCA回路を説明しようとした場合、電子伝達系をアプリオリに一体化して考えることには無理があると考えたわけだ。その結果、TCA回路のもつ意義は、原初の頃から現在に至るまでアミノ酸代謝と核酸代謝の出発点に位置する2−ケトグルタル酸の供給にあるという結論に至ったわけである。(これは好気的生物において電子伝達系と連動してATP生産を行う意義を否定するものではない。しかし、ATP生産は地球大気が遊離酸素分子を蓄積した後の話であり、地球が嫌気的な大気を持っていた時すでに存在していたTCA回路の存在意義ではないと言っているのである.)

 先に書いたが、解糖系とTCA回路は生化学という学問の根幹の部分を構成する概念であり、この二つの系の意義付けは分子生物学における「セントラルドグマ」に値するような位置にある。何方かが私の議論の間違いを指摘して、常識の方が正しいことを納得させてくれれば、この先は書かなくて済むのだが・・・。

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歴史生物学 TCA回路への異論 9

 だが、話は「歴史生物学 TCA回路への異論 8」で終わらすことはできない。こんなブログを読んでいる人であれば当然ご存知だと思うが、KEGG(Kyoto Encyclopedia of Genes and Genomes)というデータベースは、膨大な情報を集積しているだけでなく、使いやすい形で提供しているサイトである。(近頃アップグレードがなされ私にとっては幾分使い難くなった。でも不平は言えない。)個人ユーザーとして、寝る前のかなりな時間をこのサイトで遊んでいる。これほどの情報にアクセスできるなど、若い頃には想像できなかった。サイトを構築された金久實教授とそのスタッフに、どれほど感謝してもしすぎることはないと思っている。そんな私が、真核生物(動物: 85種、植物: 38種、Fungi: 72種、Protist: 41種)、原核生物(真性細菌: 2594種、古細菌:165種)の計2995種の生物について、どのような TCA 回路を持つかを調べてみた。最終的に一月ほどかかったのだが、視力が落ちて、肩が凝った。マッサージに行くはめになっただけでなく、自らの無知を再確認させられるような被虐的楽しみの毎日であった。

 原核生物に我々のものとは異なるTCA回路を持つ生物がいることは知ってはいた。だが、真核生物の中にも、そうした生物がいたのである。アピコンプレックス門に属する原虫類、マラリア原虫に代表されるグループの TCA 回路は左回りの系で、2-ケトグルタル酸までで止まっている。もっともこのグループは寄生性の原虫であるから、系が不完全でも良いではないかという議論が成立するとして無視するのは可能だろう。だが、そういうわけにも行かないようだ。例えばXenopus laevis(アフリカツメガエル)、実験動物として広く使われ切り刻まれている気の毒なカエルだが、このカエルに於いてはフマル酸とリンゴ酸の間が切れている。Micromonas sp. RCC299は海洋性ピコプランクトンとして知られている緑藻の仲間だが、この藻に於いてはクエン酸から2-ケトグルタル酸をつなぐ酵素が存在しない。珪藻の中にも同じ欠損を持つ種が存在する。ということから、少し丹念に調べてみることにした。

 真性細菌、いわゆるバクテリアや古細菌を片っ端からみていくと、回路になっていないTCA回路(この表現は矛盾している)を持つ種は珍しいものではなく、かなりな割合の種が存在している。最初はそれほど多数にはならないと楽観していたのだが、余りの多さに驚いてしまった。この部分をきちんと割合で示す事ができればいいのだが、さすがに再度見直す気分にはなれない。ただ、TCA 回路の空白部分は、幾つかのパターンに分けられそうである。同時に、当然ではあるが寄生性の生物においては不完全な回路を持つものが多いようだ。

 前置きはこれくらいにして、幾つかの欠損パターンを持つTCA(非)回路を示してみよう。図3-23にPseudomonas aeruginosaの持つTCA(非)回路を示す。

 こうしてみるとリンゴ酸とオギザロ酢酸の間で切れているように見えるが、このタイプの系路を持つ生物には、ピルビン酸とリンゴ酸をつなぐ系が存在するため、系のメンバーとしてピルビン酸を加えれば回路が成立する。Pseudomonas の中では、Pseudomonas mendocinaPseudomonas syringaePseudomonas stutzeriがこの系を持つだけでなく、Staphylococcus aureusDesulfosporosinus orientis、Marinobacter aquaeolei、Thiomicrospira crunogena、Allochromatium vinosum、Marinomonas mediterranea、Neisseria meningitidisなどかなりな数の微生物がこの系路を持つ。従って、このグループは修飾された TCA 回路を持つものと見て良いだろう。但し、それぞれの生物が持つ回路がどちらを向いて機能しているかについては確認していない。好気性の微生物においては右回りに機能していると予想しているが、この点は今後の課題になるだろう。

 面白いのは図3-24に示すMethanothermococcus やMethanocaldococcus属細菌の持つTCA(半)回路である。

 この古細菌において、系は左回りに駆動しオギザロ酢酸からα-ケトグルタル酸に到達する。そして右半分は存在しない。この左半回路を持つ生物は古細菌だけではない。真性細菌であるChlamydia、Chlamydophil、Bifidobacterium、Desulfotomaculum、Prevotella属細菌も、同じようにオギザロ酢酸からα-ケトグルタル酸までの左回りの代謝を行う。左回りに半分しか存在しないのに回路という表現は不適切だとは思い、左半回路という表現を用いた。

  一方、図3-25に示すように、TCA回路の左半分を欠いている右回りの系を持つ生物も種々存在する。

 Eubacterium、Roseburia、Coprococcus、 Ruminococcus 属細菌などである。彼らはオギザロ酢酸から右周りに系を駆動し、2-ケトグルタル酸まで代謝を行う。アセチルCoAの生合成系がないではないかと思われる方がいると思うが、これらの生物においては Acetyl-CoA:formate C-acetyltransferaseという酵素が、ピルビン酸とアセチルCoAの間をつないでいる。Synechococcus、BrachyspiraProchlorococcus 属細菌もほぼ同じ右半回路系持つ。

 これら以外に、上記の系路が1段階あるいは2段階延伸した系を持つ細菌、脈絡を考えにくいようなランダムな系を持つ細菌、TCA回路をかけらも持たない細菌などもいる。脈絡を考えにくいようなランダムな系を持つ細菌、TCA回路をかけらも持たない細菌類は、寄生あるいは共生という生活様式を持つものがほとんどを占め、ホストあるいは共生の相手にこの部分を依存していると思われる生物群である。(共生と寄生を明確に区別するのは極めて難しいが、ここでは常識的な用語として使っている。)

 上に述べた現実を基盤としてTCA回路の意義を考える場合、TCA回路はエネルギー(ATP)生産系などという説明はもはや意味をなさない。意義については、幾分強引な推論だが、いわゆる解糖系と還元的カルボン酸サイクルに加えて、図3-24と図3-25の系について考えれば良さそうだ。これらの4種の回路・非回路を持つそれぞれの生物群において、それぞれの系は同じ目的で駆動されていると考えて良いだろう。幾つかの異なる代謝系が同じ目的を持って駆動している場合、まず各集団に共通するものを探すのが鉄則である。この場合、4つの系で共通している化合物は 2-ケトグルタル酸である。この化合物、団塊の世代としては α-ケトグルタル酸と呼びたい化合物であり、文中でも α-ケトグルタル酸と書いてしまった部分があるようだ。

 どうやら、解糖系と還元的カルボン酸サイクル、右回りと左回りの半回路において、共通する構成成分は α-ケトグルタル酸であると考えて良さそうだ。ではこの α-ケトグルタル酸、生物の中でどのような意義を持つのか。多くの方がご存知の通り、α-ケトグルタル酸からはアミノ酸代謝が出発する。α-ケトグルタル酸のα-位のカルボニル基にアミノ基転移が起こりL-グルタミン酸、L-グルタミン酸の γ 位のカルボキシル基がアミド化されてL-グルタミンがつくられた後、これらが種々の α-ケト酸にアミノ基を転移して、多様なアミノ酸類の生合成が起こる。アミノ酸生合成は、生物がタンパク質をつくる前段階の欠くべからざる反応であり、「その出発物質であるL-グルタミンとL-グルタミンの原料である α-ケトグルタル酸を供給するのがTCA(非)回路の意義である」とするのが適切な判断だと思うが、諸氏の考えはどうだろう。

 重要な補足である。α-ケトグルタル酸から誘導されたL-グルタミン酸とL-グルタミンの存在意義は、先に述べたアミノ酸生合成の出発点にあるだけではない。両化合物は、図3-26に示すようにプリン代謝につながりDNAとRNAの原料であるアデニン、グアニンの生合成につながるのみならず、ピルビン酸の脱炭酸段階で必要なチアミンリン酸生合成へと伸びている。

 また両化合物は図3-27に示すとおりピリミジン生合成の原料ともなりながらDNAとRNAの原料であるチミン、ウラシル、シトシンへの生合成を可能にしている。

 回路になっていないTCA回路を持つ多くの生物が存在している。酸化的リン酸化の系を持たないClostridium 属のような偏性嫌気性細菌にも、α-ケトグルタル酸で止まる右回りのTCA回路を持つものが存在する、もちろん左回りの系を持つ偏性嫌気性菌も存在する、右回りの系と左回りの系の共通代謝物はα-ケトグルタル酸である、α-ケトグルタル酸は種々のアミノ酸代謝のハブに位置する化合物である、α-ケトグルタル酸はプリン塩基とピリミジン塩基生合成の共通の原料である、という事実を重ね合わせてこの系の意義を推測するとすれば、第一義的にはα-ケトグルタル酸の供給という側面を見なければならない。エネルギー獲得系という意義付けは、酸化的リン酸化の能力を持つPseudomonas denitrificansのような好気的微生物や、Pseudomonas denitrificansの末裔ともいわれるミトコンドリアを持つ生物において成立するにすぎないだろう。但し、これらの生物においても、α-ケトグルタル酸の供給という系の意義は不変である。

 そうすると、TCA回路・還元的カルボン酸サイクル・不完全なTCA回路に通底する根源的意義は、α-ケトグルタル酸の供給に求めざるを得ない。「生物の発生以来、右回りであろうと左回りであろうと、TCA 関連系路は α-ケトグルタル酸の供給を続けてきた。その後、酸化的リン酸化能力を獲得した生物が、系を右向きに回すことで生成するNADH2やFADH2を酸化し、多量のATP生産能力を獲得した。しかし、これらの生物においてもα-ケトグルタル酸の供給の意義は継続している」と記述すべきではないだろうか。

 ギリシャ神話においてカイロスは両足に翼を持つ形で表されるが、私の想像(妄想)にも大きな翼が付いているようだ。時として、勇み足となる場合もあるだろう。しかし、結果を見た後で理屈をこねる経済学者のようにはなりたくない。夕暮れに飛び立つミネルバのフクロウにはなりたくないのである。そう思ってここまで来たのだが、1つ間違うとイカロスになる運命が待っているかもしれない。まあそれでも良い、クロノス時間に従っていても楽しくない。私の妄想はカイロスの時間に相性が良さそうだ。

歴史生物学 TCA回路への異論 完

 しばらく、PowerPoint が昔つくったファイルを開けなくなっていた。古いPCを使っているため、色々と不都合が起こり始めている。新しいマシンを入れようかなと思わないわけではないのだが、マシン代に加えて、日本語入力ソフト、年賀状作成ソフト、ChemDrawあるいはChemOfficeなど、新たに購おうとすれば40万円、あるいはそれ以上の出費を覚悟せざるを得ない。一寸以上に躊躇する。身の程を考え、生活を質素なものにして、想像と妄想と創造の世界を豊かにしていく方が実りあるものになりそうな気がしている。

 

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演繹の射程

 寒い日が続いている。室温は同じでも、寒い日の方がより寒く感じるのは何故だろうなどと考えながら、自堕落に暮らしているのである。本来怠け者なので通常進行といえばそれで済むのだが、仕事は山積している。外で何か始めるとすぐにやって来て見張りをするジョウビタキが、窓のすぐ側までやって来て中をのぞいている。外に出て働けといわれているような気がしないでもないが、薪ストーブの前でうつらうつらと過ごす退職後の生活も捨て難い。この寒波が終わったら、分けてもらった30トンほどの梨の木の、運搬と薪作りをする予定である。2年乾かして再来年の冬に焚くのだから気の長い話である。その頃まで生きとるかどうかわからんぞと茶々がはいる。あんたが柿の苗木を植えるのよりまだましやと答える。そうだ、山の栗の木が、ゴマダラカミキリとシロスジカミキリの食害でほぼ全滅に近い。寒い間に新しい苗木を植えねばならない。栗なら長くて3年、大苗を植えれば2年で収穫できる。何とか間に合うか?そういえば桑の木も、ゴマダラカミキリとクワカミキリに新芽を食われ続けている。適用のある農薬がないので丁寧に剪定して除いているのだが、手間のかかること半端ではない。

 さて、TCA回路についてちまちまと書いているのだが、一つ一つの事項に対する確認がいよいよ難しくなってきた。サイエンスに基づいて書こうとしているのだが、いっそのことファンタジーとして書いたほうが楽かなと思うこともある。持っている専門書が古くなったし、新しい報告へのアクセスも不便である。九大の図書館が使えればいいのだが、片道の交通費で3,000円以上かかるだけでなく、丸一日が潰れてしまう。さらに次の日にも疲れが残るとなれば、一寸行ってこようという気にははならない。まあ可能なだけ書き続けるという楽な姿勢で向かうことにしよう。

 そこで次回の予告編になるのだが、アブシジン酸とルヌラリン酸の場合と同じような推論を行ったわけである。《アブシジン酸の総合的理解に向けて》の中で、植物の進化においてルヌラリン酸の植物中でのニッチをアブシジン酸が簒奪したという仮定の下で論を進めた。つまり、アブシジン酸が植物の生長を抑制する(好ましくない環境下において一時生長を止める)という機能をルヌラリン酸から引き継いだという立論からはじめた。TCA回路についての議論においても、逆のベクトルを持つ二つの回路において、より古いと推定される還元的カルボン酸サイクルの持っていた欠くべからざる機能を、好気的TCA回路が継承したと考えたわけである。先に述べたように、エネルギーの生産(ATPの生産)を、この「何らかの機能」として措定することは難しいと考えた。では、いわゆる好気的TCA回路は還元的カルボン酸サイクルから何を継承したのだろう。

 などなどと考えながら、人とは各自の持つ幾つかの思考様式に縛られているものだと少なからず呆れている。私の場合、幾つかの系路を比較する場合、まずそれぞれの系路の成立年代を考える。次に若かった頃に影響を受けた構造主義ー特に分節という概念ーと、カールマンハイムの知識社会学ー知識の「存在被拘束性(Seinsverbundenheit)」ーという二つの考え方を、対象とする代謝系の分析に適用する。今回もその域から一歩もでていないようだ。とはいえ、解糖系の存在意義についての解釈が今までとは全く違った解釈になっている点においてはある程度満足している。そして、この解釈の演繹可能性に期待しているのである。

 さてもう一度、桑の剪定枝の片づけに行くことにしよう。

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