世界は一週間先も予見できないほどの混乱した状況にある。いわゆるマスコミの流すニュースは、そのまま信じたら何処に連れて行かれるか分からない。ナオミ・クラインが言う所のショックドクトリンが、重層的に実施されているように見える。いや、そういうふうに見ること事態が、陰謀論に毒されているという見方も出来るだろう。しかし、お前の言うことは陰謀論であり聞くに値しないと言い続けてきた何人かの知り合いが、少しづつ認識を変え始めた。余りの遅さに今頃かいという思いが先行する場合が多いのだが、できるだけ丁寧に説明することを続けている。感じるのは政府とマスコミの洗脳の深さと悪意ともいえる程の巧妙さである。
私は40年前にTVを捨てた。誇張と煽り、TV局の持つ偏見のフィルターによる事実の歪曲などに嫌気が差したのが原因である。ではTVを本当にまったく見なかったのかと聞かれると、少し違う。同居していた両親はTVを見続けていた。耳が遠くなっていた父親は、道路からでも聞こえるような音量で見ていた為、TVの音声だけは聞くことができた。そこで気付いたのだが、アナウンサーの声・トーン・響きが、ニュースによって明らかに違うのである。TV番組の内容は極めてつまらない。でもTVはとても面白い。昔、画面を消して色々な番組を見たわけだ。古典落語はそれなりに聞けた。漫才ではいわゆる地下鉄漫才はそれなりに聞けたが、当時流行っていた新作の漫才は全く面白くなかった。ドタバタのど付き合いの画面に、笑い声がかぶせてあるだけだと云うのが良く見えた。音声を消した TVはかなり悲惨だった記憶がある。一度やって見られたらどうだろう。画面の後でここは拍手、ここでは笑い声、ここでは感動の声などとブロックサインを出して盛り上げているディレクターの姿が目に浮かぶだろう。
そんなことはどうでも良いとして、昨日の千葉テレビ報道である。
『千葉県9月12日 2881人感染 ワクチン未接種の40代男性など12人死亡』というのがテロップに出ていた。『ニュース内では、死亡した人のうち40代男性は、9月下旬に感染が確認され、その後免疫系の基礎疾患が悪化し、死亡しました。ワクチンは未接種でした。』
近頃、ニュースの解釈は異常に難しくて、使われている言葉の定義にまで遡らないと真意が分からない事が多い。上の報道をみると、この40代の人がワクチンを打っていれば死なずに済んだだろうにと判断しそうになる。しかしである、先月半ば頃、厚生省は1回目や2回目の接種日がわからない人を未接種者として扱って感染者数のデータを出していたこと、接種歴不明者を接種者と改めたところ、感染者の85%が接種者であることが判明するやいなや、今度は感染者の接種歴を非公表にするという隠蔽を行った経緯がある。https://news.yahoo.co.jp/articles/302956e09ab38e2d48292a38a03cbbacf24b7340?page=1
さらに、2回目の接種までしかしていない人においては、もう効果が落ちているため未接種者として扱うというのであれば、この40代の男性は2回目の接種までは終えている可能性は十分にある。さらに免疫系の基礎疾患の原因がワクチンであった可能性も捨てきれない。とすれば、亡くなった方々は全て接種者と云うことになる。考えすぎだと云う批判もあると思うが、コロナ感染症についてはマスコミの報道内容を盲信することはできない。コロナ感染症については、近日中に新しい知見を含めて書く予定である。
いま一つ、エリザベス女王が亡くなった。チャールズ皇太子が即位し、チャールズ3世になった。安倍前首相の国葬と彼女の国葬を比較するつもりはない。多くの人がやっていることの後追いをするつもりはない。ただ、チャールズ3世について気になったことがある。一般的にはチャールズの名を持つ英国国王はあまり幸福な国王ではなかったが故に、彼の治世に対して少しばかり不安を感じている人がいるようだ。私も、彼の治世は短いのではないかと危惧している。理由は以下の記事にある。
https://www.miyamatakeru.com/charles-ninnki/
画像をコピペで使えればいいのだが、権利の問題があるので上記のブログを見て欲しい。問題は2枚目の写真である。チャールズ新国王とともにカミラ夫人が歩いているものだが、彼の手に注意して欲しい。赤黒く浮腫んでいるように見えないだろうか。その他にも書類にサインをしている画像が出回っているが、手は同じように浮腫んで見える。インクで手を汚し、不機嫌になったという報道もある。これを常識的に判断すれば、公式の場所に現れる場合においても、手の浮腫みを隠しきれない状態になっていると考えられる。とすれば、心臓、腎臓、甲状腺などがかなり弱っている可能性が高い。リンパ浮腫の可能性も捨てきれないか。飲みすぎかな。
勿論、深読みがすぎるとする批判があるだろう。ただ、今の時代はニュースをそのまま信じられるほど社会正義が機能しているとは思えないし、皇族や王族の写真となればそれなりの検閲が入っていない筈がない。そうした状況にあることを加味して、ニュースを見ようと云う提案である。皇族や王族にとっては写真の一枚一枚が政治のカードである。すねたりひねたりして、全てを疑い、斜めに受け取るべきだと云っているのではない。一応、ニュースはニュースとして受け止める。その後、行間を読み、写真を読み、言葉遣いをそして使われている言葉を吟味し、ニュースを提供している会社の背景を考える。そしてそのニュースについて意識の窓口を広くしておく。それだけである。