インバウンドは嫌いだ

  数日前、外国からの観光客がだいぶ戻ってきたと云う新聞記事があった。小さな記事だったのだが、この現象を好意的に受け止める内容であった。もっと客が戻れば良い、もっと土産物が売れれば良い、もっと客が泊まれば良い、そうすれば地域経済が浮揚する、ひいては日本経済にも良い影響がある、そんな内容である。要するに地元に金が落ちさえすれば良いという立場のようだ。そりゃあ観光地の宿泊施設や土産物屋に行ってインタビューをすれば、そういう返事が来ることは容易に予想できる。記者が現地に行かなくても、AIにキーワードを入れればすぐに書ける記事である。そんな記事に価値があるのかと問いたい。

 コロナ騒ぎの少し前、日本の観光地は韓国と中国からの観光客で溢れ返った。九州の太宰府であっても、参道から聞こえる声は韓国語と中国語だった。参詣するに際してのマナーの話は横に置くにしても、余りの混雑に行く気をなくした。神社・仏閣が観光地であることは認めるにして、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンと同じに考えて良いのだろうか。日本に限らず世界の多くの国において観光地とされている宗教施設は数限りない。現地のまともな信者達は、観光客による喧騒に辟易としているのではないだろうか。

 なぜインバウンドが嫌いか。観光客として行くにしても受け入れるにしても、訪れた土地に対する基本的心構えが出来ていない人が多いからである。行き先の政治形態も文化も宗教も習俗も知らず、団体で乗り込んで行ってまるで自国にいるかのようにに振る舞う、その思い上がった俗悪さが嫌いなのである。間違ってほしくないのだが、この旅行者に対する嫌悪感は、近年日本を訪れている観光客に対して持っているだけではない。1970年代から旅の恥はかき捨てとばかりにご乱行を続けてきた日本人の団体客にも向けられている。旅行者が落とす金に目がくらんで、媚びへつらう観光業者も嫌いだ。結果として、そういう醜い人間集団を生み出すインバウンドが嫌いだと云っているわけだ。

 などと書いていたら姻族壊滅、卒寿を過ぎた妻の両親、その娘3人が新型コロナに感染した。新型コロナ自体についてはさほど心配をしているわけではないが、母親の脱水症状が進んでいたらしく、コロナ病棟に収監されてしまった。そういう訳で、父親にはモルヌピラビル、母親にはレムデシビルという評判の悪さに反比例して薬価の高い薬が投与されているようだ。母については入院中で会うことも適わないため運を天に任せるしかないが、父親のモルヌピラビルについては服用を止めてもらっている。もう少し早く知っていれば母も脱水状態にならないよう、なんとかできなかったなと思ったが、これは私の思い上がりだろう。

 最終的には全員がコロナ罹患者となった。自宅待機などという規制があるためなかなか思い通りには出歩けないため、私が思いついた必要品をチマチマと届けている。といっても、十分に手が行き届いているとは言い難い。先月のクリスマス頃からの騒動であるため、年賀状書きも停止したままである。このブログの読者で年賀状が来ないと心配してくれている方々、私は元気です。

 二日ほど熱が下がっていた父が、今朝また39℃近い熱を出したという連絡があった。肺炎が怖いな。病院は休みだ。肺炎と一言で言うが原因が細菌であるか、ウィルスであるか、あるいはマクロファージであるかによって治療に使う薬が異なる。半端な知識を持っているとはいえ、素人が手出しをするのは憚られる。あと数日はこの状況が続くだろう。インバウンドについてもう少し書きたかったのだが、一応ここまでにしておく。

 

 

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