TCA回路の話は終わったのか?・・・1

 解糖系とTCA回路についての議論は終わったように見える。私のこの私的な議論の中身については、認める人もいるだろうし認めない人もいるだろう。認めない人においては、くだらないそのうちに消える仮説が一つ提出されただけで、変わらない日常が続いて行くだけであろう。だが、もし認めてくれる人がいた場合、その人にとっての生化学は昨日とは違うものになってしまう可能性を秘めている。何しろ解糖系とTCA回路は、生化学という学問の基礎の部分を構成するものであり、この二つの系の意義付けは分子生物学における「セントラルドグマ」に値するような位置づけをされている概念だからである。まあ、この異議申し立てが下るモノであるのか下らないモノであるのかの判断は、読者に任せるしかないだろう。

 さて、こんなことを考え始めたのは何となく解糖系の経路図を眺めながら、グリセルアルデヒド 3-リン酸がグリセルアルデヒド-3-リン酸デヒドロゲナーゼの触媒する反応により、1,3-ビスホスホグリセリン酸 (1,3-bisphosphoglycerate)に変換されるとき、グリセルアルデヒド 3-リン酸のアルデヒド基が基質レベルでの酸化を受ける反応について考えていた時のことである.この反応において、補酵素であるNAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)分子が還元を受けてNADH+Hに変換されるのだが、このNADH+Hはどうなるのだろうと思ったことに端を発している。

 人が急激な運動をした時、ミトコンドリアへの酸素の供給が間に合わない状況が起こっても解糖系が駆動しATPを生産して不足を補う。この時、ATPとともにNADH+Hが生産されるのだが、このNADH+Hは解糖系の産物であるピルビン酸を還元して乳酸を生産する過程で消費されるため、細胞内の酸化還元の状態に影響を与えない。生成した乳酸は運動後の筋肉痛の原因物質であるが、運動が一段落した後ピルビン酸へと戻され本来の代謝過程に戻ると教えられた。当時は代謝系路を追っかけることで精一杯であり、上の説明を無批判に記憶して納得していたわけである。(現在、乳酸が疲労物質であるという考え方は否定されているようだ)

 後年、講義中に解糖系の説明をしていた時に何か騙されていたような気がした。この反応が乳酸で終わるのなら乳酸醗酵である。乳酸が再度ピルビン酸に戻されアセチルアセチルCoAを通ってTCA回路へと導入されるのであれば、その反応においてNADH+Hが再生されるのである。さてこのNADH+Hどうなるのだろう。困ったことに、ここで得られたNADH+Hは、ミトコンドリアへと輸送され電子伝達系で酸化されるという記述を見つけてしまった。そうであれば、ブドウ糖から解糖系とTCA 回路を通って生産されるATPの数の計算において、解糖系は好気的代謝として記述されるべきである。なぜならTCA 回路という代謝系において、基質レベルでの酸化は起こっているが酸素を消費する酸化は起こっていない。ATPの生産は、解糖系で生産されたNADH+HとFADHが電子伝達系を通って酸化される際に起こっているのである。電子伝達径を含めたTCA回路を酸化的経路として定義するのであれば、解糖系も酸化的な経路として認めなければならないのではないかという異論はそこに淵源を持っている。 

 いま一つは光合成に関する理解に起因する。修士課程に在籍していた時だったと記憶しているが、テルペンや多糖、あるいはタンパク質の伸長反応のメカニズムに嵌まってミクロなメカニズムばかり追っかけていた時に、指導教官であったT先生が、マクロに見れば動物は酸化的な生き物であり植物は還元的な生物だよ。その前提を踏まえた議論をしないと、理論をの道筋に矛盾が生じるよという助言を受けた。成程と思った。発想の豊かな先生で、その場ではなんという突飛なことを言われるのだろう感じる場合が多々あったのだが、後で反芻すると私の知識が足りないだけでなく演繹の射程が短かったように思う。光合成について考えていた時に上記の言葉が蘇ってきた。動物においては食物として摂取した多糖類が加水分解を受けて解糖系へと流入するのに対し、植物においては光合成系で作られた3–ホスホグリセリン酸が解糖系への入り口となる。これらの事実を基礎として論を起こしたのが、「解糖系への異論」と題した一文である。

 「TCA回路についての異論」においても、発想の淵源は似た所にある。TCA回路はミトコンドリアに存在し、生物活動のエネルギー源となるATPを効率的に生産する代謝系であるとする常識においては、アセチルCoA を基質レベルで酸化する TCA回路と、基質レベルでの酸化生成物であるNADH+HとFADHを好気的に酸化する電子伝達系を一体のものと見なした場合に成立する概念である。しかしながら、嫌気的生物には逆周りに駆動するTCA回路、いわゆる還元的カルボン酸サイクルが電子伝達系なしで存在するのみならず、オキサロ酢酸を出発物質として右回りに2−ケトグルタル酸まで続く系を持つ生物や、オキサロ酢酸から左回りに2−ケトグルタル酸まで続く系を持つ生物も存在する。そうした生物群を含めてTCA回路を説明しようとした場合、電子伝達系をアプリオリに一体化して考えることには無理があると考えたわけだ。その結果、TCA回路のもつ意義は、原初の頃から現在に至るまでアミノ酸代謝と核酸代謝の出発点に位置する2−ケトグルタル酸の供給にあるという結論に至ったわけである。(これは好気的生物において電子伝達系と連動してATP生産を行う意義を否定するものではない。しかし、ATP生産は地球大気が遊離酸素分子を蓄積した後の話であり、地球が嫌気的な大気を持っていた時すでに存在していたTCA回路の存在意義ではないと言っているのである.)

 先に書いたが、解糖系とTCA回路は生化学という学問の根幹の部分を構成する概念であり、この二つの系の意義付けは分子生物学における「セントラルドグマ」に値するような位置にある。何方かが私の議論の間違いを指摘して、常識の方が正しいことを納得させてくれれば、この先は書かなくて済むのだが・・・。

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