団塊の世代は壊し屋である。奴らは日本の常識と伝統を壊し、社会通念を変え続けてきたと云われる。でもこれは正しくないだろう。1学年250万人を超えるほど人口があるが故に、この世代を消費ターゲットとしてきたファッション・音楽・旅行・マスコミ業界などが、必要以上に持ち上げ阿りながら、業界の利益に合うように誘導してきたことが原因であると思っている。もちろん、彼等の思うがままに誘導されてしまった責任を問われれば、ぐうの音も出ないのだけれど。
そう、若かった頃、そうしたファッション誌にそそのかされて、友人たちとベルボトムジーンズを見に行ったことがある。スリムで足の長い外人が写ったポスターを横目に見ながら試着すると、裾が開く前に我々の足が尽きていた。なんと言うことはない、ジーンズ生地でできたもんぺである。短足胴長の日本人であることを身にしみて感じた。帰りの電車内、ジーンズとともにトールシューズを買った奴以外は、何となく口数が少なかった。
さて、団塊の世代だからと云ってさほど他の世代と異なる人ばかりがいるわけではない。私が知る範囲に於いても、ごく少数の異常と思える人がいなかったわけではないが、大部分が小市民的穏健派である。穏和な私が、お前は過激派だと云われるほどに皆穏健である。
とはいえ、その温和な私がこのブログに於いては、生化学の根幹に位置する解糖系を批判し、TCA回路を否定し、植物色素の考え方を否定し、いままたアルコール発酵、乳酸発酵の意義付けをも否定してしまった。
可哀想なのはグルコースである。いままでこの分子はいろいろな代謝の出発物質として輝かしい中心的位置を占めてきた。しかし、私の解釈に於いてこの分子は、いわゆる解糖系からはみ出した盲腸のような扱いなっている。こうした否定の連続は、いくぶん過激な批判行動であると私自身も認めざるをえない。このままでは先行する概念を批判し崩壊させるだけの、過激な団塊の世代の行動と同じではないかと云う批判が当てはまりそうだ。この批判に答えるためには、批判し論破したと思っている概念群を超える包括的視座を提示する義務があるだろう。
先に述べたが、生物の生産する物質の存在意義について、生産物から機能を抜き去ると時間的に後戻りとなる説明はできなくなる。従って、説明の根拠は生産物をつくり出す先行代謝の中に求めざるを得ない。簡単に言えば、いろいろな代謝の考察をする際に歴史的観点(時間軸)を導入することによって、否定した概念群に合理的解釈を与えようとする試みである。
1965年、朝永振一郎博士は超多時間論と繰り込み理論による量子論への貢献が認められ、ノーベル賞を受賞した。高校生だった私は、いつかこの理論を理解したいと思ったものである。それから50年が経ち2015年になっているが、この理論はほとんど理解できない。悔しいが仕方がない。ただ、超多時間論とか繰り込み理論という言葉は、憧れとともにずっと記憶に残っていた。考えてみると、私の代謝理解は「時間繰り込み型代謝解釈論」と言えないこともない。名前が少し似ているだけではあるが、何となく嬉しい。一寸長くなりそうな前振りから始めることにする。
我々が受ける生化学と云う学問に於いて、代謝と云われる物質変換系はいくつかのカテゴリーに分類されるが、これらの分類は余り体系的ではないように思われる。例えば、解糖系(ペント-スリン酸回路を含ませるかどうか)、TCA回路、酸化的リン酸化系路、アミノ酸代謝系、脂質代謝系、テルペン合成系、フェニルプロパノイド合成系、核酸代謝系などと命名されている系においては、現在の系の生産物、あるいは生産物が持つ意義らしきモノによって分類されているように見える。
いま一つの分類は、一次代謝系、二次代謝系として、生命維持に対する系の重要さを基準に分類する方法である。(解毒代謝(系)はどちらに入るのだろう、独立させるのかな)。この際、生命維持にとって重要な系が、さほど重要とも思えない系とパッチ状に出現するため、説明に苦しむ状況に陥る場合が頻発する。
最も理解に苦しむのがエネルギー代謝系と称せられるモノで、こう言ってしまえば何でもここに分類されるのではないかと危惧している。解糖系-TCA回路-酸化的リン酸化を全部含めてエネルギー生産系とし、ここでつくられるATPを使う系すべてをエネルギー消費系とすれば、何でも含まれてしまうような気がする。しかし、エネルギー生産系定義された系に含まれる素反応の中にはエネルギーを消費するモノが存在するし、エネルギー消費系と定義される系の素反応にはエネルギー生産反応が存在することになる。
これは一つの提案に過ぎないのだが、代謝の分類において厳密な基準にはならないにしても時間的背景を組み込んだらどうだろう。非常に長いタイムスパンで考えた場合、生物で発達した代謝系は、生存環境に従って大きく2つに分けられるだろう。一つは生物誕生から酸素発生型光合成を行うシアノバクテリア出現に至るまでのほぼ絶対的嫌気条件下で発達した代謝系群であり、もう一つはシアノバクテリア出現後の好気的条件下で発達してきた代謝系群である。このように分けてやれば、いわゆる解糖系-私の云うTCA回路-TCA回路中のα-ケトグルタル酸グルタミン酸からプリン塩基・ピリミジン塩基-核酸代謝や、いわゆる解糖系-私の云うTCA回路-TCA回路中の2-ケトグルタミン酸からグルタミン酸-アミノ基転位を通してタンパク質代謝系、あるいはグルコース-6-リン酸からペントースリン酸系路を通るD-リボース、リボヌクレオシドジリン酸から2’-デオキシリボヌクレオシドを通って流れる核酸代謝などが前者に相当する。これらの代謝群は、絶対的嫌気条件下で発生し進化してきた微生物群の体内で創造された代謝群である。現生多細胞生物の細胞においても、酸素分圧の低い核やその周辺で機能している嫌気的な代謝系である。まだ完璧な照合をしたわけではないが、一般的に一次代謝と云われている代謝群がこれに当たると考えている。
我々が、生存するために酸素を不可欠とする生物であることから、嫌気的条件下で生存する生物を下等で原始的な生物として捉える傾向があるようだが、彼等の方が我々よりもはるかに長い歴史を持つ。複製・転写・翻訳・解糖(ペントースリン酸経路を含む)・グルタミン酸合成(敢えてTCA回路とは云わない)・アミノ酸代謝・ピリミジン・プリン代謝など生物として生きていくのに不可欠な根源的代謝群は、彼等が作り上げたもので、真核生物を創った共生を通して我々の細胞にも引き継がれている。つまり酸素なしの状況下において、命を全うし次世代の再生産を行う嫌気的生物は完成の域に達していたわけであり、彼等の時代は38億年ほど前から絶えることなく現代へと続いている。
過剰と蕩尽 7 に続く