過剰と蕩尽 8

 以前にも書いたが、私はカール・マンハイムの影響をかなり受けているようだ。どんな思想も、考える人の立場や時代に拘束されているという「思想の存在被拘束性」が、科学的な発想の場面においても適用できると考えているのである。例えば、ある時代にヒトが生存していたことが化石から証明されたと云う場合、ヒトは何を考えるか。一昔前のヒトであれば、ああ人骨がでたのだなとか、明らかにヒトが作ったと思われる遺物あるいは遺跡が発掘されたと受け取るであろう。いまの分子生物学者であれば、材料は何であれヒトの遺伝子が確認されたと考えるかも知れない。(チンパンジ−ではないという証明は難しいかも知れないが)

 ここでヒトの糞に由来する化石(糞石)がでたと考える人がいるとすれば、かなり、いや相当以上に変わった「極少数派」に違いない。ヒトが、ティラノザウルスが、始祖鳥が、三葉虫が化石になったと云うとき、骨(外骨格も含む)を考えずに、どこにあるかさえ分からない彼等の糞石を考えるヒトはどんな人だろう。是非、会ってみたいものである。もちろん真面目に糞石の研究を行っている研究者がいることは知っている。ヒトの糞石に関しては、すでに人が住んでいたと確定している住居遺跡で発掘された糞石から、食性、健康状態、寄生虫の有無などを観察しており、その行動は充分に合理的である。

 では植物の化石はどうか?一部の石炭は、昔の植物が土に埋まって炭化したものであるというけれども、植物体と云われる部分の中で、生きた植物細胞が占める割合はどれくらいかと考えると、先の話を笑って切り捨てるわけにはいかなくなってくる。草本類の場合はさほど目立たないが、大きな木の化石を考えると困ったことになる。木本類において、生きているのは樹皮のすぐ下にある形成層の部分と、その外側にある内樹皮、そして形成層から内側に向かって形成されたばかりの導管部分にすぎない。樹木の大部分を占める辺材部分と心材部分では、死んだ細胞の内容物は抜け去ってリグニンが沈着し肥厚した細胞壁だけからできている。そうすると、植物由来の石炭の大部分は、植物細胞が生合成して細胞膜外にため込んだセルロースとヘミセルロースとリグニンが化石化(炭化)したものと言える。

 これをヒトに対応させると困ったことになる。生まれてから剥がれ落ちていった皮膚(垢)や消化管の粘膜上皮細胞、抜け落ちた体毛などが、化石化したことと同じであろう。消化管の粘膜上皮細胞であれば、ウンコの成分である。結局のところ、常に分裂を続けている細胞群が、働いた後に死んで行く細胞群を体の外側に形成するか内側に形成するかの差にすぎない。我々の祖先は、生きてきた歴史とも言える死細胞群を捨て去ることで身軽に動き回る動物という生き方を選んだ。しかし、それ故に捨てられた細胞群の残渣が化石化するという実感を持ちえない。まさに「思想の存在被拘束性」、いや「発想の存在被拘束性」を実証するものではないだろうか。

 何が言いたいのかと訝っている読者もいると思うが、微生物は裸で浮遊しながら生きているわけではない。何らかの場所に、コンディショニングフィルムと呼ばれる敷物を敷いてその上に定着する。定着した微生物が増殖していく場合、隣の微生物とべったり接触して増殖するかといえばそうではない。そんな満員電車みたいな接触を認めるのは、本能を喪失したヒトくらいである。彼等は、EPS(extracellular polysaccharide)と呼ばれる多糖を分泌して粘性のある膜を形成し、その膜の中で相互に品よく距離を取りながら次第に大きなコロニーを形成していく。熱水噴出口に存在するチムニー周辺の分厚い微生物マットをイメージすれば良く、ストロマトライトの嫌気条件版と考えてもいいだろう。このマットは、微生物が分泌する多糖類に由来する粘性のある膜で覆われるが故に、微細な泥などをくっつけながら生長するのだが、このマットの中で生きた微生物そのものが占める割合はさほど大きくはないと考える。ただ、このようなデータを記載した報告は読んだことがない。(微生物マットにおける生細胞の存在比をご存知の方がおられたら、是非教えて下さい)従って、以下の推論は独断であり、ストロマトライトや珊瑚礁からの連想にすぎないが、こう考えないと微生物そのものの集団から観測可能なグラファイトが生成されるとは思えないのである。つまり、数百年、あるいは数千年にわたって生長してきた微生物マットー多糖類の集積したものが、堆積する土砂に埋もれ、長期にわたる温度と圧力の下で炭化したものこそ、東北大の研究者がみたグラファイトであろう。

 それがどうした。だからどうだというのだ。回りくどい話ばかりしてというお叱りの声が聞こえそうである。私としては、上記の結論が、抗生物質・アルコール発酵・乳酸発酵といかなる接点持つのかを論じることで、この問いに答えようと考えている。

 次回のブログを公開する前に、少しだけ考えて欲しい。いわゆる抗生物質の発酵生産・アルコール発酵・乳酸発酵と云われるプロセスにおいて(グルタミン酸発酵でもいい、酢酸発酵でもメタン発酵でもよい)、すべての発酵に共通するものは何であるのか。

過剰と蕩尽 9 に続く

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