政局だけ

 政治に関してはあまり近づきたくないのだが、あまりにも不可解な状況が続いていて理解が難しい。安倍首相の病気、本来なら隠すべき人達が暴露合戦をやっている。国のトップの健康状態は、トップシークレットのはずである。麻生(あ・そう)と聞き流すには甘利(余り)にも酷い。結局、新型コロナウイルス感染症の場合と同じく、意識的にフェイクニュースが流されているわけだ。

 自民党内に後継者がいないと言うが、彼の仲間なら別として当たり前でしょう。次の人は安倍さんのやった失政の後始末で国民の不満を一身に受け、すぐに支持率が落とし退陣することになるのが目に見えている。火中のクリを拾いたくない一心でしょう。まあ、安倍さんに恨みを持っている人であれば、今まで封印されてきた疑獄事件を大々的に報道させ、目くらましを計るという方法があるかもしれません。でも、そういう人を後継にしないためなら、何でもありというのが現状でしょう。

 安倍さんに寄生して甘い汁と吸ってきた人は沢山いると思いますが、これらの人にとって、権力を失いカネを流せなくなった安倍さんは存在価値がないだけではなく、消えてくれた方が良い人物です。色んな海外援助事業や分かり難い補助金などで発生するキックバックをばらまくことができれば、しばらくは追従する振りをする人がいるかもしれませんが、首相職を失った安倍首相に手を差し伸べる人がいるとは思えません。金の切れ目が縁の切れ目、検察が改心して(ないか)連座制適用などということになる前に、お金を隠して地下に潜る。そうなるでしょうね。

 病気は事実か、それとも仮病か、私には分からないけれど、こういう話が出た時点でもはや政治家としては死に体(レームダック)です。積極的な政策は何一つ打てないでしょう。何だか、寂しい老後が待っていそうですね。但しだが、この方は世の常識をはるかに超えるルサンチマンとそれに基づく権力への執着を持っておられそうなので、常識的な私には今後どうなるのか予想は付かない。今日の記者会見で、方向が見えるかもしれないが、それでも信じ切ってしまうのは危なそうだ。

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ビール自粛

 今日は午後から雲が出たため、いくぶん気温が上がらなかった。午前中は庭の桑の木を切っていたのだが、連日の夜更かしで眠くてたまらなくなり、部屋に戻って寝てしまった。これが自由業の良いところである。眠気を堪えて会議に出席などという拷問は、無いわけではないがほとんどない。問題があるとすれば、自堕落になろうと思えばどこまでもいけることにある。

 若かった頃から胃が強い方ではない。2日休みが続くと3日目には口内炎か舌炎が出た。体調が落ちるとヘルペスのお出ましと云うことである。友人が帯状疱疹だと聞くと、注意しなければと思う。何に注意するかと云えば、休んではいけないのである。1日ならまだしも、2日休むと口内炎、要するに休みを取らずに、毎日適切に働く事を続ける生活をしなければならない。そういう意味で、退職後に農業を始めたのは正解であった。退職後直ぐに体調を崩して亡くなった方が結構いる。次のピークは73歳前後にありそうだ。運動不足が大きな原因になっているのではないだろうか。

 植物も昆虫も微生物も、決して待ってはくれない。私が動くしかないのである。いま、桑の枝ではクワカミキリ・ゴマダラカミキリ・シロスジカミキリが表皮を囓り、タマゴを産み付けている。孵化した幼虫はその細めの枝に食い入り、幹を目指す。産卵された枝を切り落とすのは今しかない。もちろん、早めに生長調節剤を散布しておけば大丈夫なのだが、クワはマイナーな作物であるため農薬としての認可がされておらず、生産物を販売をするのであれば使うことはできない。8月に散布して収獲は来年の5月、こっそり撒けば来年まで残ってはいないと思うものの、日本農薬学会立ち上げ時からの会員であるので、この手の違法行為はしてはならんだろうと、何とか控えている。でも、植えて4年もすると半分以上の木が弱ってくる。常に挿し木をして、次の木を用意しておかねばならない。

 さて、健康のためもあって3時頃から山に出かけ、そこにある桑の剪定をした。1時間半くらいで10本ほど終わった。台風が来ているので風が強いだろうと思っていたのだが、そよ風程度でさほど強くない。そこで山を下り、イネに薬を撒くことにした。今年はトビイロウンカの注意報が出ている。数日前から注意しているのだが、私の田んぼにはほとんどいないようだ。でも、コブノメイガがかなり増えており、白っぽくなった葉が目立っている。イネはちょうど今が開花期、これから光合成してできたデンプンを貯め込む時期なのに、葉っぱを食べられてはたまらない。と云うわけで散布が終わったのが7時頃、いや、日が短くなった。夕食時にビールを飲もうかなと思ったが、働いた時間を考えると4時間ほどしか無い。たった4時間しか働かずにビールなど贅沢過ぎると考え、自粛した。

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白ゴーヤーについての追記

  • 2020.08.26 Wednesday
  • 00:52

 昨日書いた記事だが、白ゴーヤーの販売単位がKgとなっています。チャンプルにしてもそんなに食べるものかと思われそうだが、洗ってワタを出してスライスしておけば、冷凍可能です。さらに、スムージーにして生食するという方法があります。販促を狙って、レシピを書いておきます。

 白ゴーヤー        100g

 バナナ          中程度のもの1本

 ヨーグルト        大さじ2杯程度(増量可)できれば、一寸とろとろの地中海ヨーグルトをお勧めします。

 豆乳もしくは牛乳     200ml~以上 (お好みで)

 砂糖           大さじ2杯~  (お好みで)

 ゴーヤーはたねとワタを抜いて、厚さ5mm位にスライス、できるなら凍結させておく。全部をまとめてミキサーに入れ、滑らかになるまで撹拌、これだけです。殆ど苦みは感じません。知らない人に飲ませると、ゴーヤーがは入っていることに気付く人は殆どいません。

https://shop.yamasatoagr.com/からのお知らせです。

 これ、古希を過ぎた爺が書くことかね?まあ、それは良いとして畑の風景です。

こんな感じでなっています
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ゴーヤーが正しいそうだ、白いゴーヤー、一応通販開始

 白ニガウリ最盛期になってきた。道の駅では売りきれない。Amazonや楽天に搾取されることなくネット上で売ろうと、ネットショップを作ってもらっていたのだが、何とか動くようになった。何も分からず始めたもので、思ったようなものが作れているわけではない。とにかく何とか動くという段階である。これから少しずつ改善していきます。何しろ、フリーのホームページ作成ソフトであるワードプレスにウーコマースを組み合わせ、さらにストリップではなかったストライプというオンラインの決済システムが乗っかっているというシステムになっているのだが、つながりがよく分かっていない。とにかく動かすので精一杯、ページのデザインや色使いなど完全に後回しです。理由にはならない理由だが、この企みの師匠が現在帯状疱疹で安静中、弟子は五里霧中の状態、早期の回復を願っている。

 それにしても、通販のネックは送料です。商品代金より高くなってしまいます。沢山送れば割引があったり集荷してもらったりと、いくらかの便宜を図ってもらえるそうなのだが、その辺りもまだ手つかずである。箱代、送料、集荷場までのガソリン代など必要経費を上げていくと、近所の皆さんが苦労しているのがよく分かる。送付用の箱、送るのはゴーヤーだがお米送付用の箱を転用している。こんなつぎはぎの状態で立ち上げるのはいくぶん気が引ける。でも、とにかく始めないと何も始まらない。ましてや、ゴーヤーは待ってくれない。熟れて黄色くなってしまう。歩きながら考えよう。

 ということで、気が向かれたら  https://shop.yamasatoagr.com/ にアクセスしてみて下さい。

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半分で済んじゃった?

 世の中、コロナ狂想曲の真っただ中で、多くの人がどうして良いのか分からない状況である。私もここまでミスリードが多いと、どのニュースが、どの意見が正しいのか判断に迷うことが多い。どう考えれば良いのかについては書きかけの記事があるのでそちらに回すことにして、コロナ騒ぎによる大学教育の崩壊の可能性について書いておく。

 大学教育と書いたが、小・中学校における不規則な休校、それに伴う夏休みの短縮、オリンピックに伴う祝祭日の恣意的な移動などは、子供たちの規則的日常を破壊している。子供たちには少なくとも規則正しい日常が必要だと考える。そうした落ち着いた規則正しい日常の上に、入学式、各学年で恒例の年中行事、夏休み、冬休み、修学旅行、そして卒業式などが一里塚のように配置してあるわけだ。基盤にあるのは規則正しい日常生活である。ところが、それが壊されてしまい、彼等はいつ何があるのか全く予測できない世界に放り込まれてしまった。学校での学習内容より、不規則な日常に対応する事で精一杯の状況になってはいないだろうか。

 大学で教鞭を執っている何人かの人と話したのだが、オンライン講義に関する話が興味深かった。新型コロナウイルス感染症の蔓延に伴いオンライン講義が導入されたわけだが、この導入自体についてはかなりスムーズにいったという人が多かった。近年、講義のデータベース化が進んでいたことが基盤となったようである。ただ、問題がなかったわけではなさそうだ。殆どの人が云うには、今まで90分で行っていた授業をベースにパワーポイントを作り、このパワーポイントについて説明を入れると、45分つまり半分の時間にしかならない。彼等は言う、講義にこんなに無駄が多かったとは思わなかった。

 講義には確かに無駄と思える時間が存在する。出席を取る時間などはその典型と言えなくもない。近頃、この時間をなくすためにICカード方式を採用するところが増えてきたようだ。マスプロの授業であれば致し方ないと思わないでもないが、50~60人程度までの講義であれば、出席を取ることのメリットもある。名前を呼んで顔を見る、返事の声の大きさとか座っている位置、どのグループに属しているのか、今日はこいつ元気がないななど、その後の指導に有益な情報が得られるからである。講義が終わった後、おい○○君、今日は元気がなかったけどどうかしたの、とか今日は座る位置が変わってたね、などと声をかけておくと、その後の反応が劇的に変わることが多かった。オンライン講義ではこうした人間関係の構築はまずできないだろう。教育というのは講義の内容だけで行うものではない。人対人の人間関係が基礎にあって成立するものである。そうした意味において、現在の大学生は非常に可哀想な状況にあるのではないか。

 いま一つの大きな問題は、実験・実習科目をどうするかという問題である。実験は実験することを通してしか教育できないだろう。一つ一つの操作を動画で見せられて、それで終わりとはならない。実際に操作を行うとき、その記憶は脳だけに残るのではない。筋肉が覚える操作がある、その意識化できない筋肉の記憶を植え付けるのが実験である。カーブを投げる、シュートを投げる、プロのピッチャーの動画を見て同じように投げられるかという問題と同じである。マイクロピペットを用いたピペッティング、金属の切削など、今では機械任せにできる場合が増えたとは言え、実際にものを持たせて訓練しないと絶対に上手くならない。今の教育においてこの筋肉が覚える記憶についての理解と配慮が余りにもなさ過ぎる。

 実習科目についても同じである。実験と実習とどこが違うかあまり考えたことはないのだが、例えば、解剖学実習を経験していない医者なんて想像もできない。メスの切れ味や組織に入るメスの感覚など、映像化も数値化もできないクオリア(質感)を経験させるだけでなく、献体となった人の尊厳を意識し、さらに感謝と敬意を実感してもらう実習であると考えている。世の中には絶対にオンラインでは教育できないものがあるのである。

 半分で済んじゃった講義の残りの半分は、講義をする人の姿と声のトーン、板書する時間、板書のされた文字、途中で入る雑談や叱責、隣の学生の呼吸音や寝息など、それら全てが講義内容に対するタグであり講義の持つクオリアである。この半分は価値がないどころか、ひょっとすると講義内容以上の重さを持つのかもしれない。こんなことを考える人間は時代遅れである、文科省の教育指導方針に合わない人間である、きっとそう言われると思う。しかし、恩師を思い出すとき、講義内容ではなく黒板の前に立つ先生の姿と声そして生き方が浮かんでくる。

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