- 2020.08.17 Monday
- 22:30
ある程度の期間、社会人としてそれなりに働き暮らしてきた。色々なカテゴリーの色々なヒエラルキーに属する人々と接する機会を持ったのだが、極々一部の例外的な人を除いて、人は自分の利益のためにしか動かない。極々一部の人の例外的な人の中には、いわゆる筋を通す立派な人がいるのだが、その多くは偏屈なという形容詞が当てはまる人であった。極々一部の人の中のごく一部の人の特徴は、その多くの人がある程度の資産を持つということにある。「貧すれば鈍す」という言葉があるが、貧する可能性がないが故に、自己の良心に従った行動が取れると言うことだろう。「恒産無くして恒心無し」、つまり多くの人が貧すれば鈍すわけである。
恒産とは何かといえば、安定した職業や財産を意味する。現代の社会のやり切れなさは、派遣という就業様式にあると思っている。さて、どんなレベルの議員であれ、落選すればただの猿以下といわれるように、次の選挙での当選は欠くことの出来ない生活費の源である。政権を取っている政党の議員は政策の決定権を持つが故に、色々なお金が集まってくる。非合法のものがあるかもしれない。とにかく、議員を動かすことができるお金を用意できる人達のために、政治が動くのである。制度がそうなっているのだから、それは違法ではない。野党議員は与党議員に較べ、正論を言っている場合が多いように見える。でも、ぎりぎりの場面になると決まって腰が砕ける。ああ、そうかと思う。どこからか潤滑油が入ったなと納得するのである。
歳費があるじゃないかと思われるかも知れないが、歳費は議員になることが前提である。議員になるためには票がいる。ここに問題がある。生活が苦しい、コロナで先の生活がどうなるか分からないと悩んでいる階層の人々は、選挙に行っているのだろうか。議員を動かすのにはカネか票、カネと票の方がもっと効果的かもしれないが、無党派とか支持政党なしでくくられる部分の人達は、自分たちのために動いてくれる可能性を持つ議員に対して、カネは別としても票を与えているのだろうか。議員は聖人君子ではない。カネと票とに惹かれる少しだけ自己顕示欲の強い凡人が大半を占めていると思う。この、少し薄汚い議員を正しく働かせようと思うなら、カネと票、少なくとも票を与えなければならない。この部分を正論で美化しすぎているところに、現在の政治の停滞があると思っている。議員にとって、票こそがこそが餌であり、彼等の力の源泉である。
私、選挙には必ず行きます。正論を言うため、筋を通すために、派手な生活を控えて少しずつですが貯金をしていました。何度か数百万のお金で誘われたことはありますが、お断りをしました。でもあのお金、喉から手が出るほど欲しかったな。学生から尋ねられたことがある。先生、幾ら賄賂を出したら籠絡されますか? うむ、2,000兆円くらいかな。何に使うんですか?まず、日本に1,000兆円やる。借金を払って綺麗になって出直しなさい。次に国内で真面な教育をしている大学に、運営基金として1兆円ずつ配る。そして、と続けていたら、やってられないという顔をして,彼は去って行った。
議員はカネか票でしか動かない。(名誉も少しあるかな)現実の政治において、これは90%以上正しいでしょう。皆さん、議員に餌を与えていますかという切り口から選挙を考えないと、現実は動かないでしょう。イヌだって訓練するときは餌で釣ります。理想論だけではただ上滑りするだけになります。